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ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板の跡ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。
(当掲示板上であなたが受ける物理的・心理的損害に対し当方は一切の責任を負いかねますわ。その他書き込みのルールが気になる方はこちら。


ふむふむ。
No.:108
Name
Date:2009/07/29(Wed) 12:21

旧が「グルグル同じところを回っていて」変化しない状態からある時点で「どんどん退化しだして等々破綻した」物語になっていたのに対してこんどは「螺旋状にステージが変っていく」、同じような事を繰り返しながら、しかし「元と同じところには戻らず、一つずつ何かを得ていく」(しかし、得る事の重要さに比例して被る波の大きさもどんどんでかくなる)と言う構造になっているように見える、てのは昨日衛星で話してた通りの見解です。

「大きなものを得れば、その分降りかかる災難もしゃれにならないほどでかくなる。で、その時どうするのか、どうやっていくのか」という話だと。

此処で旧の構造にシンパシーを抱く人なら「そんなの堪えられるはずが無い。だからどうどうめぐりで良いんだ。それが自分の現実なんだ」と言う方も結構あるのかもしれません(苦笑)が、それにこっちが「付き合う義理は無い」訳で。

むしろ「堂々巡りになれ。俺の現実に近づけ」と願ってる人だって居るのかもしれませんけど「それはこっちの知った事では無い」(笑)だって「わたしはあなたじゃないもの」(猛爆)

波が来るから何もしない、したくないって人は布団を被っとけばいいんだと。そう言う人にはそう言う人の人生があるのでしょうし…

揺り戻し、と言う感じには捉えてないんです(笑)むしろ、何かを欲して何かすれば、更なる困難にぶちあたるのは「生きている限り当たり前の事」なんだと。ただ、その程度が「半端じゃあない」だけで(苦笑)

揺り戻しと言う表現は「元に戻したい、前に(旧に)帰りたい」という感覚がどこかにあるようで、それはやっぱり「逃避」癖なんじゃないかなあ、と言う感じがするので。
(マッキーはそっちに未練があるのかな、クリエイターとして、過去「色々言われても死力を尽くした」実績に。まあ、色々言われたのはそれこそ天災みたいなもんで氏の責任では全く無いですしね 汗&苦笑)

サイケデリックはあれは駄目だろうとは思いますけどね(苦笑)電車が良いところ限界ですな。あれは「何となくイメージだけ投げといて、観客に任せる」と言っても「任せすぎ」です(苦笑)現代美術批判になりますけど、「便器をおいて作品だ」(泉)と言うダダイズムは「二度やったら阿呆」なんです(苦笑)それは「ペテン師」の芸術であって職人の仕事じゃあない…自負の問題ですね。まあ煮詰まって精一杯でそれやったってのは解るし、手はかけてるんだけど・・・でも結局「駄目な方に労力を注ぎ込んじゃった」ような気がする。

バックグラウンド書き換え、ですが…物語全体に関して、それは既に巧妙に行われてますよね。物語にのってる人間達のドラマ=生と情念は「おおむね同じ」に進んでいく。

しかし、それが乗ってる「世界」の構造は実は「同じに見えて全く違う」…と言う感じに。ゲンドウとか冬月の行動原理が「逆ベクトルになってる」のが凄い(笑)前は何だかんだいって「辛い生、ユイの去った生を苦しがって死・消滅ばかりを望んでいたヘタレジジイ共」が、今度は「生き延びる為になんか死力を尽くしてる」っぽい(笑)今度のセカンドインパクト=地球最悪のテロは、ゲンドウ(ユイ)が仕組んだものではないらしい、と言うような場面がありましたね。

そのモチベーションが「同じ様に見えてやっぱり違う」彼等の言動や考え方に繋がって行く。そういう「書き換え」、面白くなるほう、より「アップデートなテーマの方へ」の書き換えは面白いから歓迎、ですけどね(笑)

まあ、レイのキャラクター性・方向性自体、旧の展開の中でどんどん書き換えられていったものらしいので、(代替わり設定自体、21話脚本の修正過程で登場したと言うアバウトさ 笑 当初原案ではちびレイ=今のレイの幼少期、だったとか 苦笑 首絞められたあと息吹き返す、って脚本に載せてたし…ナオコ博士は死に損ですか 汗)その辺りは微妙ですが、しかし、既に「描写している」生い立ちの「困難さ」を「無い事に」する事は「普通考えないだろう」、と言うかそこまで「適当」は誰もやらんだろうと思います(苦笑)

つーか、キャラクター性の根幹に関る部分と言うか「別世界設定」でも「SF設定ではなくても、やはり同様の心の苦しみ、悲しみに繋がる過去や出生をもっていてその時点でのレイがある」と言う描き方をしてますよね、二次創作においておや。まあそう言うことかと。

まあ、構造自体を放棄しちゃう、と言うか「問題に直面する事、それに対処していく事」そのものにドラマがあるのに、それを「めんどくさいから止め」と言うのは駄目でしょう(苦笑)が、鶴巻氏が「そう言う意味で言ったのかな」と言う疑問はありますけれども。

むしろ「問題難しいし、下手に書けば安直になっちまうし、かといってズボ換えで解決ってのは禁じ手だろうし、だったら解決しないで別の表現、方向性で済ませちまうのがそれっぽいよな。旧だとそんな感じだったし」と言うニュアンスを感じて「それは本末転倒だろうに」と言った訳ですな。

極論すれば「安直を安直と、単純を単純と感じさせなくするまでに演出し、捻り、表現するのが貴方の仕事でしょう!?」と(苦笑)

つーか、「王道でベタな話ってのはどうやったって安直単純な構造はつきものなんだよ。と言うかこの世の中ってのは結局そーゆーもんなんだけど、それをわざと捻くれて避けたところで結局碌なもんにはならねーんだよ。かしこぶるだけなら前にもやったろうが。職人として本道をきっちりとやってみせてくれよ。俺は陳腐なモダンアートじゃなく、正統派超一流の職人の仕事がみたいんだよ!」と(笑)

>性急

つめこんだ結果、物凄く過密になってましたね(汗)
キツかったろうなあ…

テーマの模索、的な事は又の地ほど。

こちらこそ、お久しぶりですー。
No.:107
Namenorth(北)
Date:2009/07/29(Wed) 00:28
Websitehttp://nss.atlas.vc/

ははあ、なるほど。
何となくわかったような気もするんですが(そらそうだなあ、とは思ったんですが)こう、そういう綾波というキャラクタののシチュエーションが交換可能か、ってところで、ちょっと食い違う部分みたいなものがあるのかなあ、って感じはします。

どういうことかというと、描く時に(たとえばアスカが式波さんになったみたいに)バックグラウンドごと書き換えちゃうことって、いつでも可能なんですよね。それこそ、おいおいそれは反則だろ、みたいな話ではあるけど、学園エヴァ的なお話で言えば、そういう方法論で作られているものだって現に存在するし、FFにおいては既にキャラの原型もぜんぜん留めていないものもある。でも、それも綾波レイだと思う人は思う、という状況。

で、実際にエヴァ以降のアニメーションにしろ、漫画にしろ、そういったキャラクターに対して、その背景となるものがどんどん後退していく、キャラ立ちだけが重要になっていくみたいな状況があったわけですよね。データベース消費だとかなんとか、いろんな語り方をされましたけど、キャラクターを構成するための要素のかなりの部分は変換可能だし、そのような記号性(それこそ包帯みたいな)によるキャラ立ちが重要になる、という。

そういうところを考えた時に、方法論としてはそうした安直をすることだっておそらく、可能なわけです。もちろん、それは鯖さんにとっては看過できるはずのない暴挙なのでしょうけども(というか、北だってそれは萎えますけど)、たとえば物語の変更点として、そこを変更して物語る、という方法はありうる。綾波はふつうの女の子でした、幸せになりました。おめでとう、って。

鶴巻監督による発言はそこらへんまでキャラクターをバックグラウンドから切り離し可能な存在と看做したうえで、「でも、そういうようなことはエヴァ的ではない」というお話だったのかな、と僕は理解していて、これはEOEがまさにそうというか、そのまま「これまで書いてきたことにどう責任を取るんだ」という、今まで書いてきたバックグラウンドへ目配りしたようなお話であるように感じました。

だから、ここでの怒り……幸せになりました、ってのはどういうことなのよ?ってのは、その怒り自体が間違っているわけでもズレているわけでもないんだろうけど、その対象になってる「単純さ」は鶴巻自身がここで想定してた、可能性としてはありえるかもしれない「単純さ」(でも鶴巻自身がそうできるとは思っていない)とは異なっていて、そこでややズレてるのかな、って感じがしました。特にいま、かっこで書いた、鶴巻自身がそうは思わない、というところにおいて。

そこで想定されているのは、難問をあっさりぶっちぎっちゃうような解決じゃなくて、難問自体をなかったことにしちゃうような解決で、それは言うなら「まあ、この難問は今回はやめとこう」みたいなことなんだろうと。構造自体を放棄しちゃう。

で、それをここで鶴巻は明確に否定している。そんな簡単に変えることはできない、と。結ばれるどうこうというか、もっと前の段階で、脚本を変えることすらも簡単にはできないのだから。その意味で、問題であることを鯖さんと同じように鶴巻は共有している。鶴巻はむしろ、「でも、こんな簡単な問題態々解いたってつまらないしね」というふうに変えちゃうわけにはいかないよね、っていう側にいる。それは、鯖さんと相対的には同じサイドではないのか。

その「単純に」を看過しないという点において。

その意味で、鶴巻自身のとる立場は、鯖さんほどではないにしろ、そのような忸怩がある立場なんだろう、と思ったので――「でも、そんな簡単に変えられるんだったら、10年前のエヴァンゲリオンはあんなことになっていないんだと思うんですよね。それくらい、やっぱり真摯に作っていたわけだから」という言葉はまさに、そんなにことは簡単ではないはずだろう、という意思の現れでしょう――、どうして「相対的に見たら同じサイドにいるはずの」鯖さんがここで怒るんだろう? というところに違和感があったわけです。

そーいう深度も、大変さも、難問であることも、「単純に」はいくはずないことも、理解しているんじゃないの?と。ここでは確かにファンが突き放されているのかもしれないですが、そういう解釈をするようなファンがやはりいる、ってのは、鯖さん自身書いてらしたかと思います。その意味では、間違ってはない。

ここはどうでしょうか。



ただ、後半の指摘、奇を衒うのか、みたいなところは、わからなくはないな、とは思っています。EOEが奇を衒ったのかといえば、テレビも含めて、あれはあれで真摯なんじゃねえの?と僕自身は思っているんですが、このあたりは見方によると思うので措きます。恐らく、溝は埋まらないでしょうし、今回同じことはでけへんやろ、というのは同じように思うからです。

ただし、今回の綾波にしろ、シンジもそうなんだけど、このあたりの書き方については、いっぺんゆり戻しは来るのかなあ、って感じはしています。それこそ、「そう簡単に変えることはできない」から。旧世紀版に欠けたものを描いていく、その過程で、やはり旧世紀版は参照されていくし、そこで問われていた問題も、またなしにはできない。個人的には今回の描写はやや性急というか、表層的な部分があったように思えて、いちどそこで得られたものは試練にさらされるのかな、という感じがしています。

そのプロセスもまた、真摯に書いた(と北は思っている)結果としてメンヘルになり、サイケになっていった過去、そこにあった大変さを超克するために必要なんだろう、と思うので。

とかまあ、まとまってるのか微妙なところですが。とりあえず。

きたさん御久ですー♪
No.:106
Name
Date:2009/07/28(Tue) 11:21

まあ、只の勝手な文句です(苦笑)

>見つかりませんでした

そこです(苦笑)そこの「単純に」って表現が癇に触ったと言う訳です(笑)

>自負と言うか、そういう作品ではない、というところから来ている言葉のように感じられて、

そです。安直が出来る構造には全然なってない。と言うか、元々キャラクターの置かれる立ち居地としては困難と逆境の塊として作られてると言って良いでしょう。ならばこそ、

「~幸せになりましたっていうことではないと思うしね」

と言うのは「何を言うとるか、それこそ本末転倒だ」とも思った訳なんですよね(苦笑)「単純に結ばれる」だけでも、あの連中の立ち居地から言えば「艱難辛苦の果ての物凄い一大事」って話じゃあなかったのかよ!?と言いますか(苦笑)

「ないと思うしね」以前に「単純になんて出来ない構造にしといて、その自覚がないのか?」と言うまあ一観客の「物語への入れ込み」に比してのその発言に「あ゛ー?」と思った訳です(苦笑)

そして、「単純に」なんて言葉が出てくる、って事はまあ、FF読者だの書き手だのやってた人間としては「さて、どう解決したもんか…」と悩んでネタを捻り出す様な「難問」を作っといた当人の側が、「でも、こんな簡単な問題態々解いたってつまらないしね」と言ったようなもんだと思う訳です。

これだけの不幸と言うか運命を背負わせといて、それが「普通に恋をして、愛しいと言う感情、愛される事を知って幸せになる」だけでも、きちんと描こうとすればどんだけ大変なんだよと(苦笑)それを「単純」で片付けられたら「ふざけんな、この馬鹿野郎!」位は言いたくなると言うもんです(苦笑)

そーゆー「深度」と「大変さ」がまんまのっかってるキャラクターなんだろうが!と。

「薄幸の少女の恋と幸福への苦難の道」なんてのは「ベタで安直」だ、だからもっと捻って「妙な事やれば又受ける」とか「何時ぞや」みたいな奇をてらうだけの事考えてるんだったら辞めちまえ! 「王道を王道でやりきって、さらにそうでありながら観客をそれで圧倒できる」自信があるからこそ、これを初めたんじゃあなかったのかよ?と。

「単純」と言う言葉に、どっかしら「前みたいに奇をてらって妙な事するからウケる」と言う気持ちがどっかしら存在してないか?と言う疑りでもありますね。

三度やったら「本物のカス」だぞ? と。

「安直」を拒否して堂々巡りに嵌った挙句「サイケデリックにすればいい」「メンヘラっぽくすりゃよかろう」と言う方向へ逃げた「前科」があるんですから、「そんな事を言える立場だと思ってるか?」と言う話ですわね(苦笑)

まあ、後に書こうかと思ってたんですが、「幸福」と言うなら「ヒトは自分ひとりだけ、或いは自分たちだけでは幸せになれない存在」「愛は飢えて他者に求めるものじゃない。相手の幸福を願うことだ」とか、そーゆー「ベタだけどやっぱりそういうもんだろ?」と言うテーマは存在すると思う訳ですよ。それこそが旧世紀版に決定的に「欠けていた」ものだったし。破では、レイがそれを一つ一つ自覚し、学んで心の中にそういう「大事なもの」を蓄積していくプロセスを「しっかりやってた」のをみて、作者の良いように乗せられるのは少々「口惜しい」ような気もするけれどやっぱり其処に「感動した」訳ですよ。ええ。

その上で、矢張り「籠の鳥」ならぬ「水槽の魚」だと。外に出されたら死んでしまう。此処でしか生きていけないと言う。狭いところに閉じ込められて可愛そうに、と言っても同時に「水を替えてくれて、きちんとご飯をくれるヒトがいるから自分は生きていける」と自覚もしているしきっと感謝もしている。そう言う生に疲れて「無に帰りたい」と言ってた娘が「生きて、食べて、愛する事、そして愛される事」の喜びを知ろうと言うのに、やっぱり「生きていけるのは水槽の中だけ」だと言うんですよ。ベタですよ。確かに。

けど、これを「単純」と片付けて「奇をてらえば良い」って問題じゃあないでしょう(苦笑)と言うか衒ったらどうしようもない。

そ の 自 覚 は あ る の か をい!

と言う話、だったんですよね(苦笑)
まあ、そう言った意味で(ほほほ)

Re[97]: 御巫山戯でないよ鶴巻さん
No.:105
Namenorth(北)
Date:2009/07/28(Tue) 02:48
Websitehttp://nss.atlas.vc/

こー、拝見していまいち良くわからないのですが、

> 「単純に」って何さ、ええ?(怒)

ってのを読んで、インタビューに「単純に」って出てくるところを探したんですけど「それに、単純にシンジと結ばれるっていうことが、幸せになりましたっていうことではないと思うしね」というところしか見つかりませんでした(見方が甘かったのかな)。
で、そういう見方ってそれこそ

> あの二人の間に「単純」なんて関係が「其れこそあってたまるかい(激怒)」、少なくともアンタ方が作ったあの話の中では、損所そこらの「単純に」くっついたり離れたり出来る連中みたいな、そんな「立ち位置」にゃあ全くなってねーだろが(怒)
> 自分等で作っといて「そーゆー事」言うかね?そんなに簡単に「ハイ、幸せになりました」なんてマネが出来るキャラクターなら「十何年越しでファンなんざせやってねーよ(激怒)」
> そんな安いキャラクターじゃねぇんだよ、綾波レイ、ってのは(怒)チャラチャラペラペラした「在り来りたりの美少女キャラ」と一緒にすんじゃねぇよ。

っていう自負と言うか、そういう作品ではない、というところから来ている言葉のように感じられて、だから、ここで怒るっていうのがいまいち良くわからない。

> それを「作ってる貴方達」がそーゆー台詞を吐くか?
> 幾らなんでも観客馬鹿にしすぎてねぇか?ああ?

というのはあるけど、実際に綾波さんとシンジが幸せになるといいね、という素朴な感想はありえるでしょうし、二次創作におけるLRSというのもそういう一面は確かにある、という感じは受けます。それを考えると、あながち馬鹿にしすぎてねえか?とも言えないかなと思います。

それこそ、

> それを、とうのアンタ等がそんな事でどうするよ。
> ええ?テキトーにやったもんに騙されたこっちが悪い、
> ってか?そりゃあ、ものづくりやってる人間の台詞じゃ
> ねぇと思わんか?

と思っているからこそ、あのように破は作られたし、安直なファンの態度が見える時に、予想できるときに、それを予め自分たちが用意してしまっているときに……(それこそ、受け手がどう受け取って受け手の自由だろうがって話で言うと傲慢かもしれないけど)作り手はまさに(鯖さんがそうなのと同じように)苛立つし、予想される安直な終わり方、安直な救済に対して、あんなふうに釘を打つのではないでしょうか?

もう12年経った。確かにそうだろうけれど、その間にも関連商品は増え続け、それによってエヴァを知る人も多い。その中には、そのような単純な受け取りを許すような「公式二次創作」ともいうような色々なバリエーションも存在します(それが悪い、とは必ずしも北は思いませんが)

そのようなところも見据えてのこの発言かな、とは思うし、逆に言うと、この作品がそれくらい幅広いところに向けて打っている(それこそ、旧劇場版だって、広がり続けて収拾がつかなくなったファン層に対して、って意識はあったのでしょうけど)ということの証左でもあろうかな、と思えて、そこを否定する気はあまり起きません。

良くも悪くも、もはやエヴァはそういう多様な位相をその内部に抱えてしまったものになったのだろう「たったひとつでは、もはやないのだ」と思うので(もちろん、二次創作作者もまた、それに加担した者達だし、被害者なんかではありえない)。そこに対して見ないフリをするよりは、それを含めた「さまざまなエヴァ」に対しての「ヱヴァ」を描いていく、というのが、やはり正道なのかな、という気がしています。

とか、そんな見方をするのは、受け手としての北が、あの旧劇場版をもって「終わった」と思うような人間であるから、かもしれませんが。

今、あえて書くLRS私論1
No.:104
Name
Date:2009/07/25(Sat) 19:47

正直、んな事ぁ「個人の勝手・ファンの勝手」であって態々文章にする様なこっちゃあ無いと思っていたのだが、鶴巻インタビューの「単純」発言で頭に来た名残があるようなので書いておく(苦笑)

どうも破のレイは「ぽか波」と呼ばれているらしい(笑)
可愛らしくて悪い表現ではないが、あえて言おう。

「サブカルだのビジュアルやフェティシズムのみから綾波に入った奴には解るまいよ。元々レイはそう言うベクトルを持った娘だった。旧版における押えた表現と、途中からかなりぞんざいになって行った演出故にそれがぼやけたり脱線して行っただけだ」と。故に「旧版ではレイの描写は成功していなかった・キャラクターとして完成させられて居なかった」と。其れが像のブレを生んだ。

旧劇においては、ストーリー回収の為にずいぶんと家族社会学的な方向に走り、母性神話云々、と言うようなフェミニズム論文から引っ張ってきた様な方向へ持っていった様にも見える。一般読者向けに出版された脚本案ではそもそも「一人目、二人目、三人目」の設定がまだ存在せず、「ナオコ博士に首をしめられたちびレイは息を吹き返し、あたりをきょろきょろ(…バアさんはどこ?)」と言う場面になっている。

これも流れの中で「破滅に向けて変更されて行った」部分の一つだったと言う事だろう。ことほど左様に「設定やキャラクター造詣のブレは激しい」ものだったのだ。(そもそも、かの涙の回をして「一寸待て。LCLの中で涙はああいう風には流れねーんじゃ…」と言う致命的なミスがあるも、破綻した後半の中で屈指の名場面ゆえに修正されることなく突っ込み厳禁の侭今に至って居る)

山下いくと氏等の噛んだ旧版の幕引き案では、もっと酷い描写もあるが(殺人マシン扱い 怒)…軽薄な嫌がらせも程程にしろよアア!?(怒)観客舐めんじゃねぇぞゴルァ、と又キレそうになる話である(苦笑)

まあ、同時に当時「ことほど酷い扱い」であるからこそ余計に「レイが大事、愛おしい」と感じる様になったという経緯もあったかもしれないが…

しかしながら、綾波レイが、まあ旧劇で「あれだけしっかりした嫌がらせとその顛末としての惨殺」と言う流れを迎えて直、大半の人は「彼女を忘れてしまったとしても」今でも固定したファンが居ると言う事は、その「ブレ」の中にもちゃんと「大事な何か」をそれぞれが見つけたからだと言うことなのだろうと思う。

そして、「破」の中で、少なくとも筆者は「やっと妥当な扱いで描写される綾波レイ」を見た。何よりも、レイの悲しみや寂しさ、想いの深さを他のキャラクター達がちゃんと受け止めようとし、それを理解しようとする様が嬉しかった。

エレベーターのシーンは鳥肌が立った。「貴女にはエヴァに乗らないしあわせがある。」(即ち、エヴァに乗る事では幸せになれない、と彼女は感じ、考えている)とアスカに語り、「エヴァに頼らなくて良い」と思いやりの言葉を掛ける。そして「わたしはヒトとつながっているだけ」(即ちこれは「此処でしか生きられない」と言う水槽前の言葉と同じ意味を持つ)と言う「絆、哀しみ、せつなさ、それでも矢張りヒトが好き」と言うレイの想いの全てが現れる台詞が語られる。そして、「人を愛する」と言う事の意味をレイがちゃんと「理屈ではなく感覚で、アタマではなく身体で」知っているのだと言う描写と台詞が…(涙物ですよええ)

或いは、やや「つたない」字で一生懸命用意したのであろう招待状に「赤木博士様江」「弐号機パイロット様江」と書かれて居た事に感動した。やっぱり、そうだ。

レイの愛は「排他的な愛」ではないのだ。大事な人が「ぽかぽか」する為には「皆が一緒に幸せになってもらわないといけない」と理解しているのだ。「二人だけが幸せになれば他人の事はどうでも良い」と言う様な「自己愛=ナルシズムの延長に過ぎない感情」とは違う…「開かれた関係性」への指向がレイの想いの中にはしっかりと存在する。

下手なファンフィクションで軽薄に描写される「ゲンドウに、或いはシンジに盲目的に従い、全ての判断を委ねてしまう」レイという、低俗な発想とは無縁なのだ。(そんなものは所詮、書き手側の人間的貧困の反映に過ぎぬ 嘲)

「ありがとう」と言うアスカやマリへの感謝、マリを巻き込まないために後ろに突き飛ばして逃すレイ(その結果、シェルターに頭から突っ込んだ真希波、シンジと出会う)…魚を「この子達」と呼び、命なのだ、としっかり認識しているレイ。

そして、「ぽかぽか」を伝える為には「食事を出す」、即ち、アスカの説教にあったが如く「命を分け与える」行為こそが相応しいと「感じた」レイ。リッちゃんの巻いてくれた絆創膏を愛おしそうに撫で、もしかしたらリツコへの「娘から母への思慕」と、シンジやゲンドウが「ぽかぽかしてくれる」事を願い、その結果として切った傷にも「ぽかぽか」を反芻し「気持ちが暖かくなる」レイ。絆創膏の数は単に「努力の数」だけではない。全てに「幸せな想い」が刻まれているのだ。

戦闘や実験の結果の負傷に巻かれた「包帯」が示す「どうしようもない不幸と残酷な境遇」の対極にある「幸せの数が刻まれた傷」にリツコが巻いてくれた「絆創膏」…(涙)

レイの中には、ちゃんと「愛と幸せの循環」があるのだ。
それは「閉塞する自己愛や独占欲(の全てを否定はしないが、過剰に強くバケモノ化したそれは他者に向けた憎悪の刃にしかならないものだ)」と言った「排他的な感情」じゃない。

「他者に幸せになってほしい」と言う想いが「自分も幸せにする」と言う一つの、大事な人間的循環なのだ。

「この娘なら幸せになれる」。そして「この娘の幸せを守らなきゃならない」し、その結果「この娘が幸せなら、自分もきっと幸せになれるだろう」…そう感じさせてくれる彼女をやっと「確かめることが出来た」のだ。

破において、レイは「タナトス」ではなく、ささやかだけれど、とても暖かい「エロス(えろに在らず)」に満ちた少女として蘇ったのである。

今、あえて書く「破」随想(備忘録5)
No.:103
Name
Date:2009/07/25(Sat) 12:47

しかし、今回何と言っても十四年来の綾波者として「うん、そうだ。そうなんだよ!」と言う事は実に沢山在った訳だが、
細かい部分から言えば、破においてレイが「プラスー姿」だの増してや「包帯」だのと言った「記号的」晒し者扱いを受けていなかった事は実に嬉しかった。

綾波と言えば「包帯」と抜かすアホウ共には溶けた鉛でも飲ませてやろうか?と何度も思っていた輩としては(笑)

誰も怪我したくてしてんじゃねーんだよ(怒)
「絆だから」「他に何も無い」と思っていたから一生懸命痛いのに、苦しいのに乗って「毎度毎度包帯だらけ」になってたんだよ綾波は!!

…そこにフェティシズムなぞ持ち込んで欲情するとは貴様等それでも日本男児か?恥を知れ恥を!(怒)

彼女の必死さの表れに、サド気質の変態さんが反応したとしても、まあそれ自体は気に入らないが仕方ないとしよう。
しかし「綾波と言えば包帯」と抜かすまでに「記号化」するヤツラだけは簡便ならん(怒)そこに存在する哀しみとかさみしさみたいなもんを一切理解してない奴に「そんなことを言われたくはない」(怒)

プラスーも悪くは無いけど、それに似た発想になっているならやっぱり気に入らない。「ビジュアル系」からしか綾波に入らないやつが、筋金入りのアヤナミストとしては非常に気に入らない(苦笑)レイを「人形」扱いする奴はすべからく、とことん気に入らない。

しかし、破ではちゃんと、「日常の中でこそ綾波レイは輝くし、そのぬくもりが伝わるのだ」と言う事をやってくれた様に感じたのである。レイは決して「硬質」なだけの娘ではない。柔らかくて、ちっちゃくて、そしてぽかぽかと暖かいのだ。其処には匂いと体温のぬくもりがあるのだ。レイは「無痛症の人形」などではない。(なのでEOEの時にレイを「無痛症」にした演出には心底怒りを覚えた。)

その分、式波さんと真希波さんが「派手にプラスー、裸エプにパンチラ」「御色気担当」の対フェチ陽動に当ってレイを不躾な視線から「守ってくれた」形になってるのは正直少し嬉しかった(笑)

今、あえて書く「破」随想(備忘録4)
No.:102
Name
Date:2009/07/25(Sat) 12:19

式波大尉。艦名ならば「敷浪」だろうがあえて「式」としたのは矢張りあの映画のタイトルの関係だろうか?
(ヒント 「手首外す。」の方の御嬢さん)

はっきりと依存症が無くなり、「打算で人と付き合い利用する」と言う発想など微塵も無く「エリートたる物孤高に生きる」を実践するエースさん。一番お気に入りのシーンはヒカリとのやり取り、「あげないわよ?」(笑)弁当寄越せ、と言いにきた訳では無いのだがその無邪気さがほほえましい。しかし、自信に裏打ちされた余裕もちゃんとある。良いことだ(笑)今度のアスカは「ハリボテと虚栄の似非エリート」じゃないぞ?

すっかり良いお母さんになったみやむーこと関夫人が琴乃さんのアフレコ中に「あ゛ー!?」と叫んだ内容は…

「あの時、アスカ(旧惣流)ってもうO女じゃなかったの!?」
とかそう言う考えに思い至った訳ではあるまいな?(苦笑)
まあ、欧州は色々進んでいるといいますし、ええ(ううむ)

(多分庵野総監督から「式波は惣流と違って、突っ張っててもケガレなき純真なオボコっぽく」みたいな指示をうけて「…?」となって考え込んだ優子さん、途中で「あ゛ー!?」と言う結論に至ったのでは?)


今、あえて書く「破」随想(備忘録3)
No.:101
Name
Date:2009/07/25(Sat) 11:55

マリのポジションは今のところは「狂言回し」、いわば信州の企業城下町や岡山の因習満ちる山村にある山林王の豪邸に、依頼を受けてふらりと現れた「セルの袴にトランクをさげた、さえない不思議な探偵」のそれである(笑)

ある意味、もう一人のトリックスター、カヲルと「対峙できる」唯一のキャラクターと言うところか?

「タナトス」のカヲルと「エロス=サバイバリズム」のマリ、この好カードの対決は果たしてあるのかどうかはまだ解らないが。「無痛症」にも見える、生と死は当価値と言い切る微笑の美少年と、「痛ったぁ!?でも、面白いから、いい!」とうきうきして叫び、「まあ、生きてりゃあいいか。」とさらっとのたまう眼鏡のファイターの激突は、一度見てみたい気はする。非常に(笑)

匂い、痛み、美味しいという事…リクツじゃない。それ固そが「生きてる」って事なんだから(笑)


今、あえて書く「破」随想(備忘録2)
No.:100
Name
Date:2009/07/25(Sat) 11:40

マリの「機能」だが、確かにアバンタイトル以外は「他のキャラクターの代替」的な意味合いが強いようにも見える。

当初「レイやアスカの性格をごちゃ混ぜにしたり、加持の代わりの役回りになっただけだったり」と言うのを試行錯誤の上で「ああいうインパクトのある、今まで作品内に居なかったキャラクターに持っていった」と言う名残は残っているとも言える。なので「動き自体はストーリーの流れに決定的な影響は与えず、あくまで象徴的に破の空気を現す事に徹している」とも言える。が、シンジとの会話は「シンジのモチベーションにつながる」と言う意味では「正にあれで正解」とも言えるが。

同時に、その「象徴」としてのインパクトは大きい。正直に言って「個人的には物凄く親近感を覚える」キャラクターである。「戦闘状況下において、其処で任務を果たすものとしてはごく自然な思考とモチベーションを持っている」と言う意味で「ああ、実にわかりやすい!お前は俺か?」と言う奴になっているのは楽しかった(笑)

何より「生きてりゃあ良いか!」は正に「うん。そうなんだよな」と共感を覚える所しかり(あの能天気で好い加減そうな性格に親しみを覚えているという面もあるが)しかし、実際そうだもの。世の中所詮、全ての生き物は「最期まで生きて立っていた奴の勝ち」というのはある意味筆者の人生哲学?そのものでもあるから(笑)

特に、一回の作戦ごとにエヴァを乗り潰して任務完遂、しっかり生存、と言うスタイルは実に良い(笑)兵器とは「そんなもの」、だし「兵士」とはそういうものでなければね。まあ「金食い虫の問題パイロット」ではあるけれど(苦笑)
プロっぽいねえ、真希波さん。

まさに、90年代的「内面葛藤ぐるぐる」をスパっと打破して、「生きてるってのはこう言う事よ♪」と言うのを体現してくれるのはワクワクする(笑)マリの体現する「破」のサバイバリズムは正に筆者が自らも信ずる所の、エヴァに、恐らく十四年前から「内在して欲しかった」哲学の一つであったのだから。

筆者自身、「ああいう考え方で生きてきて」今に至っている以上は(苦笑)故に「90年代」は筆者にとって「物凄くいやな時代」でもあったのだが(笑)

まあ、JAの「制御棒」ネタをああもってきたのはすばらしい「愛嬌」だった(笑)


今、あえて書く「破」随想(備忘録1)
No.:99
Name
Date:2009/07/25(Sat) 11:18
Websitehttp://Q@E 

色々、ああだこうだと沸いてくるので文脈を無視して備忘録。

破。随想は又後で書くとして、企図してかしてないのかは兎も角…実は「ラストシーンまでは破、にはなっていなかった」と見る。

色々「場面に登場するキャラクターや担当台詞を入れ替えたり」はしているが、全体として「流れ自体は旧と同じ」になっている。また、単に「スケジュールの前倒し」と言う意味での変化もあった。

例えば新「三号機事件」→キャラクター入れ替え+第15使徒事件前倒し。順序は変っても「流れ自体は変っていない」とも言える。「ダイジェスト(複数エピソードの意味・役割をより集約して表現する意味での)」「入れ替え」「前倒し」と言う、ある意味「総集編」+「試行錯誤で新表現を行いつつも決定的には変化しない」と言う形である。

その一方で「順序入れ替え」が決定的な変化への伏線となっていたり、日常的な新しいストーリーラインがそうした「それ単体としては破ではない」シーンと複合されて「決定的な変化への伏線」となっていく、と言う流れが存在する。

例えば、タイトル直後に来た「墓参り」。これを冒頭に持ってくると言う事は明らかに「同じシーンに別の意味を持たせ始めている」と言う事の一つの例ではないかとも思う。(これの順序が変ると其の後のシンジの精神の流れそのものが変ってくる)

何にせよ、「破が破になった」瞬間と言うのは「覚醒」シーン、正にあれの瞬間であったろう。其処までは「総集編の中に破に至る伏線を少しずつ張り巡らせて」「ラストシーンで一気にその流れを覚醒させて覆す」と言う構造は見事と言うしか無い。

あれに至る過程で、シンジの「メンタルなステージ」と言うか内面、と言うものは「決定的な変化を経る事となった」。
旧で最期まで出来ていなかった「父からの精神的独立」をやってのけたとは…再びゲンドウと対峙したシンジは「男として一対一で」ゲンドウに「父さん!」と呼びかけたのである。

今、あえて書く「破」随想(その2)
No.:98
Name
Date:2009/07/25(Sat) 02:25

マッキー鶴巻氏のインタビューの「言い草」に余りに頭に来た所為か(些細な「一言」ですよええ。些細なんだけど…やっぱりその一言が許せねえ 苦笑)何書こうとしてたのか忘れてしまった(笑)

まあ「序」の事からだったんだろうけど。
あれはね、ハマりましたよええ。二回立て続けに見ましたもの。と言うか…「風姿花伝」だと言う話を聞いて、「序」
がヤシマ作戦までだ、と言うのは凄く納得が行った訳で。

前述の「自説」のまんまでしたから。六話までの物語は「概ね完璧」と言うか筆者にとっては「あれこそエヴァ」。以降は一部を除いて「蛇足」(苦笑)だから、それ自体は「変える必要は無い」と言うより…


もし、当時エヴァにはまった30前後のオールド特撮・アニメ・SFファン…昭和40年代に生を受けたSF少年の成れの果て達が期待した、「本当に見たかった物語」を今度こそ立ち上げるならば、まず「再び其処から始めなければならない」のは当然だったから。うん、正に「序」。

昔、色々雑多にあった「エヴァ考察本」の中で「唯一面白かった」サイバーフェミニスト、小谷真理氏(同じくフェミ学者である旦那が書いた文章もある云々色々論争のある方ですが、フェミ系SF評論家と言う立ち位置は日本では特異で面白いものを書く方ですな)の著作「聖母エヴァンゲリオン」と言う本がありましたが、この著作が「崩壊」を逆にフェミニスト的立場から肯定的に捉えて(つまりフェミニストにとっては男は弱ってて駄目になってた方が支配するのに都合が良い、って話になっちゃう訳なんだけど、結局は 苦笑)その構造を的確に見抜いていたのが面白かったのですよ。

・・・まあ、実際にそう言う「弱ってだめになった男」が世の中にあふれて結局はDVやストーキングに走ったり犯罪方向へ行っちゃった様な面もありますから、彼女等が思ってたほど世の中は甘くなかった訳ですが(苦笑)

まあ、それはさて置き、「葛藤の内面ドラマ」その物に前述の如く「やって潰れた人間は気の毒。しかし当たり前の事もやらないでナキゴトだけ言う奴に興味ない」と言う類の人間である筆者は、あまり興味など持てなかった訳で、当然旧シリーズを十代に見ていた、なんて世代の事はまず想像出来ない…と言うより「あれは未成年に見せて良いもんじゃあなかったような気もするなあ」と言う気持ちの方が強いかも知れ無い訳ですな(苦笑)

ああいう葛藤が「わからない」とはいわないけれど、結局自分達は当時既にそう言う「年代」を過ぎて、色々折り合いをつけて色んな事を「やってる最中」…寧ろミサッちゃんの立場でものを考えたりするのが普通の処に居たから(苦笑)

まあ、何にせよ「葛藤の時代」為るものに若い人たちは共感するのかもしれないけれど、自分にとっては全く「異世界」であったり、むしろ良い年をした批評家・ジャーナリスト・作家共が延々そういうことばかり語っている事に苛立ったり(苦笑)

だから「序」は懐かしく、そして「良い!」と感じた訳です。と言うか…しょっぱなから度肝を抜かれたし(苦笑)

まあね、最初は「総集編」と言う話も聞いたし、旧の「DEATH編」も総集編ではあっても「なんじゃこら?」だったので「今度はちゃんと総集編にしたのかね?」と言う感じで「一応見てみるか」と言う気持ちと、同時に「序・破・急」
と言う言葉通りの意味なら、もしかして…と言う「あらぬ期待(笑)」を少しだけもって見に行った訳ですよ。

まあ、突端でやられましたねえ…「赤い!?なんでLCLが…まさか。嘘だろ?」

ゾクゾクッと…嵌められましたねえ(苦笑)
「これ、世界設定が違う!!」「総集編?とんでもねぇ。これは新作だ!」うん、景色が違う。明らかに世界観が…しかし。

「やっとる事は同じだわな???新規に書き上げてるみたいだけど構図も略同じ…」「やっぱり只の総集編っぽい?それとも序だから?」「でも、この音楽は良い!グレードアップしとる。」…

…「拘束具、引き千切らない!?これは、もしや 汗」
其処で気が付く。「新しいことが起きる」のもさることながら「前は起きたことが起きない」事の意味(汗)

なんつー構造だ(汗)気のせいや尺の都合かも知れんが…

「形象崩壊って…これはやるな 汗 そう来たか」
「使徒を一寸ずつ変えてきてるなあ」
「ミニガンかい!?しかもあの薬莢、艦砲並か」

「…それって、もしかして庵野氏と摩砂雪氏か大月氏の会話をまんまアレンジして台詞に使ってるんじゃ 汗」(ゲンドウと冬月の会話)

と言う流れで、やはり見入る。そして「雨,逃げ出した後」で「おお!?」…良い、この展開は!全体としての流れは変らなくともこう来たか!しかも「TVオープニングに出ながら本編では使われなかったあのシーン(サーチライト)が!?」…「これは…もしかしたら、矢張りやる気、なのか?」

まあ其の後、「少しじゃねえ、このバージョンアップは!?」「新盤の音楽いいな。今度の陽電子砲はシモノフじゃなくてかなり凝ったデザイン」「すでにリリスを認識?(流れ違ってくるぞ、これは 汗)」…

しかし、シンジ君、男臭さが少し出てきてて良いねえ。
あの少しヤサグレた視線と反抗的な態度が良いね。

流石、レイたんは益々美しいのう…「!?なんつー火力!?こんなもんと遣り合えるか普通!?」

ミサッちゃんの台詞に「お!?」と思う。

人間だけではなく地球上の「生命」が視野に入った発言をエヴァで聞く事になろうとは…(前述の如く、EOEのどうしようもない人間中心主義をかなりこってり批判してきた口なので 苦笑。「生命」には神経質な綾波人の端くれですから、ある意味当然「命そのものが貴重であり尊重されるべき存在」「人間だけが生きているわけではない」と言う発想は常にあった訳で。)「共生」と言う感覚がある!!

凄いことだよこれは。エヴァが変ったよ!?(と此処で思う)そして…「笑えば良いと思うよ」のシーン。

「眼鏡を抱きしめるように気絶しているレイ」の描写が…
これは旧にはなかった細やかな描写…レイは「恐怖を知らない」無機質な少女なんかじゃない。本当はとても怖い、だからゲンドウの眼鏡をきゅっ、と抱きしめるようにして、お守り、絆に必死に縋りながら一生懸命、震えながら戦っていたのだ…なんと、愛おしい…(涙)

そして、その手から滑り落ちる眼鏡、そして「フラッシュバックが無い!」…すげぇよ。これは!シンジの手をとるレイ…まさか、これを見られる日がこようとは…

旧作のこのシーンは庵野氏いわく「残酷な」互いの思いのすれ違いのシーン、だった。言って見れば、この時の「すれ違い」がやがて「涙」の悲劇に至る伏線となって行った。しかし、これは違う。「初めて」、12年の時がたってはじめて、レイがシンジの方を見つめている!

つないだ手と手には、もしかしたら「希望」があるのかもしれない…

…もう一回みよう(汗)

まあ「序」は「予想外の衝撃」があった作品だった。
確かに「ヱヴァ」が始まった。旧六話までの「自分の
愛したエヴァ」が、このような形で復活しようとは…

しかも、多分「ベースになっている世界設定は全く違う」
かもしれない。

これは次が…ん?眼鏡っ娘!? 月から飛来、ってそろプロトタイプの原案ネタやん!?まさか…「たった一つの冴えたやり方」???

うわあ(汗)本気だよ。これは!

かくしてヱヴァは再び「嵌るべき作品」となってしまったのである(苦笑)

つづく?

御巫山戯でないよ鶴巻さん
No.:97
Name
Date:2009/07/24(Fri) 23:48

CUTのインタビュー、ありゃあなんだい?

まあ、正直あれですよ。たかが四十路突入した一介のSFヲタク風情が、業界第一線でご活躍の気鋭のクリエイター様にこんな事を言うのはおこがましいのは承知ですけどね、ええ。そりゃあ、一介の、十四年越しのオールド・ファンなんぞの戯言なんぞゴミでしょうけれどもね・・・

それでも、十四年越しで、何だかんだ悪態垂れつつ、エヴァと綾波のファンである事を未だに引き摺ってる人間としては、幾らなんでも「カチン」と来る一言はある訳ですよええ。

「単純に」って何さ、ええ?(怒)

あの二人の間に「単純」なんて関係が「其れこそあってたまるかい(激怒)」、少なくともアンタ方が作ったあの話の中では、損所そこらの「単純に」くっついたり離れたり出来る連中みたいな、そんな「立ち位置」にゃあ全くなってねーだろが(怒)

自分等で作っといて「そーゆー事」言うかね?そんなに簡単に「ハイ、幸せになりました」なんてマネが出来るキャラクターなら「十何年越しでファンなんざせやってねーよ(激怒)」

そんな安いキャラクターじゃねぇんだよ、綾波レイ、ってのは(怒)チャラチャラペラペラした「在り来りたりの美少女キャラ」と一緒にすんじゃねぇよ。

それを「作ってる貴方達」がそーゆー台詞を吐くか?
幾らなんでも観客馬鹿にしすぎてねぇか?ああ?

はいはい、確かに只の一観客のわがままですよええ。
逆恨みも甚だしい、んでしょうよ。けどな。

少なくとも俺は『作家としてのあんた方の作ったもの』に心を奪われて「本当にすげえ」と感嘆し、口幅ったい台詞だが「ずっと大事に愛してきた」つもりなんだよ(怒)

それを、とうのアンタ等がそんな事でどうするよ。
ええ?テキトーにやったもんに騙されたこっちが悪い、
ってか?そりゃあ、ものづくりやってる人間の台詞じゃ
ねぇと思わんか?

TV版リアルタイムなら、それ位の言葉じゃこっちも全く怒らなかったろうよ。けどな…何年だったと思ってる?

あんた等の中では「一端終わった仕事」だろうが、客にとっちゃあ「10年の蓄積」ってなあ随分重くなっちまうもんなんだよ。十年間「中途半端なまま」放り出した形になったもんを、こっちゃあ…「自分等でせっせとつくろって」何とか形に出来ないか?になんて馬鹿なマネを、態々それぞれの商売や学業、本業の合間にやってた連中が居るんだよ(怒)

それを何だ?「単純に」と来たか?

そんな認識で物語作ってたのかよ(怒)
「御巫山戯でないよ(怒)」

アンタ等が日本SF史上屈指の「人外」娘にしちまったキャラを「幸せに」しようってんだぜ?んなもなぁ「主人公初め、多大な要素を全部突っ込んで」初めて「見られたもんが出来る」に決まってるだろうが!!

画面の端っこで申し訳程度に「ハイ、幸せになりました」なんてやってみろ。その時は絶対にゆるさねえ(怒)サブキャラや適当な立ち居地のキャラクターと絡ませて「チャチなサイドストーリーで補完しました」なんてアホな寝言は寝ながら吐くもんだ。

それだけのもんにしながら、類稀に生み出しながら、「不憫」な扱いになったキャラを、もう一度輝く存在に戻す方法なんざ初めから「一つしかねえ」んだよ。

物語の「中心」に、前にやったぞんざいなメタファー扱いじゃなく、正に「一人の少女、一人の女の物語」として、直球で物語のど真ん中で輝かせること、それだけなんだよ(怒)

ああ、はっきり言えば「主人公すら彼女を輝かせる為の手段に過ぎない」、それ位の扱いでも良いと俺は思ってるよ。それだけの価値が、少なくとも俺にとってはあるからな。

おためごかしのサブキャラ扱いで「救済」なんぞとお茶濁そうなんてフザケた台詞はやめてくれ。彼女が「普通の、何処にでも居る少女」になっても構わない。むしろその方が良いのかもしれない。

それも綺麗な、筋の通った終わり方かもしれん。

けどな、そうであろうがなかろうが、少なくとも「物語の本筋と中心」から外して「救済しました」なんて台詞だけは絶対にはいてもらっちゃあ困るんだよ。

それと、「単純に」なんぞと言うが、アンタ考えてもみるがいい。「全部受け入れて」『単純に』それやるだけでも、ちゃんと作れば「どれだけ濃いドラマが必要か」考えてみなよ(怒)多分全く尺がたりねーんと違うか?

場合によっちゃあ「種族を超えた主客の一致」なんて、それだけで十分SF、センスオブワンダー、なんだからさ。その生い立ちだの何だの、一体どれだけの「困難と障害」があるドラマになるんだよ。だけど、「あえてそれに立ち向かう」彼等の姿を「見たい」ってのを「単純」で済まされちゃあ全く納得がいかねぇんだよ。

…大体、23話「前半」は使ったけど、「後半」全然使ってねーだろ?それをやらずに「単純」とか軽々しく言ってくれるなよ、頼むよ。ファンなんてもんは、「そのハードルをどう越えるのか、超えてそこからどう一緒に生きていくのか」なんてドラマに延々と頭を悩ませて「ナンボ」な生き物なんだよ。初めからそれを投げり避けたりするドラマになんて価値を見出したり出来るかよ(怒)

そこを見ごたえのあるドラマに出来なくて何のヱヴァだ?
フザケルな。

折角「開かれた関係性」のドラマが出来上がってきたんだろ?勝手な私見だが、ああいう流れなら「彼等」は自分達だけ「幸せ」になれると思うような方向にはいかねーだろ?
何のための招待状エピソードなのさ?何のための「ありがとう」なんだ?

少なくとも「他人や世界に対して無関心になって、自分だけ幸せになる事なんか出来ない」そう言う娘として彼女を方向付けたんだろうがよ(怒)「ただ排他的なだけが愛じゃない」「周りの人間みな」と「彼等」の相互作用が「自分達の幸福を作っている」と気付いて行く、折角そういう流れを作ったんだろうが。良い話だよ・・・ものすごく基本的で大事な話だよ。それを今更適当な事やってメインの流れから退場させたら、俺は物語の価値を疑うね。それを全力で支えようともしない主人公なんぞに価値は見出せないね。

正直、「あ、これなら」と言う様なラストシーンの方向なんてものを考え付いたりもしたさ。「ああ、これなら旧作のカタルシスを完全に超えつつ、歓喜の物語にだって出来るだろう」と。素人の言うこちゃないから言わないけどね。

折角、「下敷き」だって新しい物に換えて構造だって出来上がってるんだろうに。前とある意味「正反対」のものに。


まあ、何にせよファン舐めてんじゃないよ。「御巫山戯でないよ」(怒)


今、あえて書く「破」随想(その1)
No.:96
Name
Date:2009/07/23(Thu) 15:58

今更、此処にエヴァ、もといヱヴァネタの雑文を書く気になろうとは・・・(苦笑)

「破」も「序」同様態々公開初日に「二回続けて見た」(苦笑)何だかんだ言いながら「病膏肓に入る」とはこの事か?

今更ながら、旧TV版に対する筆者の評価は十二年前から「6話で頂点、19話までグダりながらも何とか走り、20話で崩壊して後は事故」「旧劇場版は最早謎の電波であり事故を通り越して一種の公開仮想自殺」と言うものだった。

特にその「断末魔」は当の庵野氏をして「ある種の人にしか聞こえない(筈の)特殊な波長の叫び」と言わしめ、幸か不幸か筆者には「全然聞こえない」種類の波長だったらしく、

「よくまあ、これだけ自暴自棄と言うか自嘲的になったよね。まあ凄く気の毒な気はするなあ・・・」

と、皮肉な苦笑とささやかな同情のみが残ったものである。
最も、庵野氏が「特殊」だと思っていたその波長はなぜかやたらと多くの人間に「聞こえた」らしく、其の後の反応は正直筆者には理解し難いものではあったし、その妙に「リベラルサヨク系家庭社会学者」みたいな批評家らの語り口には、当時「なんなんだろうね、この人たちの感覚は?」と強い違和感を覚えたりもした。(その時、後に教育関係掲示板等で人権派論客と「被害者の権利」や「少年法」について泥仕合を展開する事になるなど全く思ってもみなかった 苦笑)

其の後、傾倒していた?村上龍の「ラブアンドポップ」で庵野氏は「援助交際」をテーマに実写を撮るが、同時期「援交」を一種の「既成秩序への少女達のレジスタンス」よろしく捉え礼賛していた宮台真司も、00年代に入って、彼の調査対象だった少女等が「軒並みメンヘラーと化して」一種の絶望を覚えたらしく「転向」し、また庵野氏本人も「EOEを援交少女等に見せたら予想外に共感されてヘコんだ」事がどこかで語られていた記憶がある。

そして、その後庵野氏は「式日」によってどうやら自身の中での「エヴァの挫折」と「機能不全家族トラウマ」とも言うべき問題に対して、一つの回答と言うか折り合いをつけたらしい・・・

当時、筆者は別にエヴァに限った事でもないが、そうしたメンヘラー的「ワタクシ」論が世間に溢れて、「パブリックなもの」と言うより「より優先して当たらねばならない問題」に対して余りに無関心になって居る事に強い苛立ちを覚え初めて居た訳だが。『好い加減にしろよ貴様等』と(苦笑)

式日(その二年前の秋から翌年の春に掛けて庵野氏、「カレカノ」でアニメ作品復帰)が公開された2000年当時は丁度「少年法改正」問題で世間が賑やかだった頃であり、又、
NHKに置いて「プロジェクトX」の放映が始まった年でもあった。(丁度その頃、火曜夜に謡曲を習いに通っていた頃なのでリアルタイムで見られないのが不便だった 苦笑)

第一回の冨士測候所の回に置いて、コメンテイターがかの人々に比して「今の日本は腐っていますね」と語った事が誠に印象的で、矢張り共感するものがあった(苦笑)

翌年世界が更に「大変」になり始めると、流石に社会も「パブリックな事柄を蔑ろにして放置すれば大変な事になる」と気付いたらしい気配は感じる事になったのだが・・・

続く?


相変わらずだがこう言う意見もある(苦笑)
No.:95
Name
Date:2008/05/24(Sat) 18:36

ttp://nishidasaburou.iza.ne.jp/blog/entry/585374/

好き放題言ってるけどねえ(苦笑)

だがまあ、ヒステリック過ぎる反応に対しては、まあこう言う反応もありじゃないかとは思う。

相変わらずのヲタフォビアには苦笑するしかないが。

無題
No.:94
Name
Date:2007/12/17(Mon) 21:57

先日、佐世保で起きた散弾銃による殺人についてマスコミが
姦しい。

事件自体は「又か」な、壊れた男の幼稚で陳腐な犯罪に
過ぎないので、その様態について特筆すべき点は何も無い。
容疑者の母親が熱心なカトリック信者だったらしいと聞き、
「そういう家庭には矢張り何らかの深刻な抑圧があるのだ
ろうな」程度の事を思ったくらいである。

そして、マスコミの方も、動機等自体は「ありふれた」
サイコの犯罪と言う事で然程掘り下げるでもなく、只管
二点、「毎度のお涙頂戴ワイドショー」と(被害者遺族を
そっとしておくと言うデリカシーはこの国の人間からは
何時しか失われてしまったらしい。喪失の悲しみはその
人々だけの物であるがゆえに尊いのであり、何の縁も無い
赤の他人がよってたかって疑似体験にふけるなどと言う
マネは美徳でもなんでもないと言うのが未だ分からないの
だろうか?)、今回用いられた「凶器」の入手経路に
集約された感がある。

今回の事件で用いられた銃器は、ありがちな、暴力団や
ネットの闇サイト経由の裏取引で犯人の手に落ちた密輸・
密造銃ではない。都道府県公安委員会の正規の手続きを
経て入手した、合法的に所持される猟銃であった。

そして、なぜかこの事が、マスコミや「識者」と称する
連中にとっては「非合法で出回る拳銃等」よりも遥かに
深刻で「許しがたい」事であるらしい。

常識的に考えれば「凶器が合法の場合より非合法の場合の
方が犯罪としてはより深刻」な筈であるし、同時に「合法の
凶器を用いた殺人自体も何ら珍しいものではない」筈だが。

問題の本質は「法治社会において殺人と言う忌むべき問題
解決法を選択する人間の出現が枚挙に暇が無い」と言う
事態であり、「何が凶器として用いられたか」と言うのは
あくまで二次的な問題である筈である。使い古された言い
回しかもしれないが「人を殺すのは人間」であって「凶器
そのもの」ではない。

そして、その凶器と同じ道具を所持している大半の普通の
人間は「犯罪者などではなく普通の市民である」と言う事
も又、今更ながら此処にあえて言わなければならなくなって
くる。

いうまでも無いが、猟銃を所持している人々の殆どは
犯罪者でもなんでもない、ごく普通の善良な市民であり、
正当な法的手続きをとって、自分の稼ぎと時間を使って
その銃を所持している。

今回の殺人において、警察・公安委員会側の審査に「手抜
かり」「落ち度」があったとして、その事自体は、現在
全国で銃器所持登録をしている免許保有者の殆どに「何らの
責任や落ち度がある事を意味しない」。

当たり前の話であるが。

一人のキチガイが、突然の凶行に及んで人を二人も殺す。
由々しき事態である。そして、精神に異常をきたしていた
節のあった犯人になぜ所持許可が下りてそのままになって
いたのか、未然に防ぐ方法は無かったのか、確かに早急に
検討されなければならない。

しかし、その事と、全国数万の射撃・狩猟愛好家と、その
事は本質的には何ら関わりのない話である。責任は審査に
手抜かりのあった公安委員会にあったとしても、現在免許を
受けている人々に一体どう言う責任や落ち度があると言う
のだろうか?

それらの人々は、皆普通の国民として、自分自身の金と
時間を使って審査を受け、免許を取り、自分の趣味を安全に
行なっているだけの人々である。

それに対して…あの傲慢なマスコミの言い草は一体なんで
あろうか?あの者達に、「すでに自らの投資で資格を得て
それを生涯の趣味としている」人々に対して、それを訳も
分からずヒステリックに「取り上げろ」「禁止しろ」等と
いう資格でも有るというのだろうか?

本当に「それが必要だ」と言うなら、あの連中や「識者」と
やらは「御願いする」立場にあるのではないのか?他人が
持っている正当な権利を「自分達の考えで」制限したいと
言うならば、すでにその権利を持っている人々に対して、
その者達は頭を下げて「頼む」のが筋ではないのか。

それを大上段に「許せない」と叫ぶと言うのは一体どう言う
つもりなのか。

その傲慢さに嫌悪と怒りを禁じえない、一、猟銃免許保有者
、射撃愛好者として此処にそれを書いておく。


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