| 魔人 |
その1
「まだかなぁ」
相変わらず無口な相棒に、いらいら口調で呟きながらも少女は進んでいく。砂漠の夜は聞いていた以上に寒い。日中と気温の差の激しさには辟易する。サードインパクト・大崩壊以降は特にそうらしい。もっとも昔はこんなところに砂漠はなかったらしいが。
いらいらと顔をしかめた少女の歳は14、5か。子供と言ったら怒られそうだが、一人で放っておくには少し危ない、そんな歳だ。サングラスをしている為瞳は見えないが、髪は赤みが極めて強い金髪だ。ほりは深そうな顔立ちだが鼻は団子っ鼻だ。砂漠を旅する為か厚着をしている。ただプロポーションの良さは厚着の上からも判る。ほっそりとしているが出るところはでている。特に腰は、将来脂がのったら凄いことになりそうだ。
少女は先ほどから複合燃料対応の四輪駆動EV車を、愚痴りつつ運転している。有機物なら何でも燃料にするこの車も、砂漠ではなかなか燃料が手に入りにくい。今は昼間屋根の太陽電池で充電した電力で道を進んでいる。後ろに引いている貨物車が重そうに揺れている。一応ガソリンもいざという時の為にある程度積んではいるが、それこそ非常用だ。
車内は寒い。昔の内燃式エンジン自動車なら、熱効率の低さが結果として暖房になったが、燃料効率がいいこの車ではあまり廃熱が出ない。一番の熱源は乗っている少女達だろう。もっとも寒いのは厚着をすれば何とか成るため、夜旅をする事にしている。
「あっオアシス」
少女の声に助手席でうとうとしていた相棒が目を覚ます。運転している少女と対照的な姿をしている。ほっそりとしたところは同じだが、こちらの少女は痩せて胸や腰も小さい。あまり体脂肪が無い様に見える。もしかしたら体脂肪率が低すぎて生理は無いのではと言うほど痩せている。ただ顔付きは穏やかな丸顔だ。口も鼻もこじんまりしている。瞳は丸くて大きめだ。琥珀色に近い茶色をしている。髪型はウルフカットと言うよりヘルメットやマッシュルームのようだ。まん丸にカットされている。そして脱色したのか生まれつきかは判らぬが見事な白髪をしている。
目を覚ました相棒は、上半身を起こした。リクライニングのシートも起こす。EVのフロントグラスを凝視するがオアシスなど見えない。今夜は新月の為、星明かりだけだ。遠くは見えぬ。運転している少女に見えたのはサングラスに暗視装置を組み込んでいるためだ。燃料を節約する為ライトを消して走らせても大丈夫なのはその為だ。
「クリス見えない」
もともとEVであるこの車はエンジン音が殆どしない。内蔵された燃料電池に使うことが出来ない、粗雑な燃料の時だけ、一種の蒸気機関を使うが、その時だけ音がする。今は車のタイヤが砂を噛む音だけ聞こえる。
キノコカットの少女の声はがさがさに掠れていた。しかもタイヤの音にかき消されそうに小さい。
「そりゃそうよ。大体マイは鳥目気味でしょ」
いらいらした口調は毎度のことなのかマイと言われた少女は気にしていない。目の辺りを手で擦ると軽く伸びをする。
「寒い」
「毛布使ったら、アンタ痩せ過ぎなんだから」
「うん」
マイは後部座席に丸まっている毛布に手を伸ばす。よく見ると伸ばした右手の甲の真ん中にむごたらしい傷跡がある。そのせいかは判らぬが右手の動きが少しぎこちない。それでも掴んで毛布を身体の上にかける。暫くマイは身体をずらしたりしていたがその内動きを止めた。
「ごめん」
「いいわよ。アンタは身体弱いんだから。運転は私がやる。その代わり他の事はマイがやる。そうするって決めたでしょ」
「うん」
それきり二人は黙った。車は星明かりだけをたよりに、夜の砂漠を進んで行く。進んでも進んでもあまりに変わらぬ光景は、まるで時間が何度も繰り返されている様に思えて来る。永遠に抜けられぬ夜の砂漠。もちろん砂漠とて変化はある。砂の波紋は風で刻々と変わる。星達も少しずつ高度を変えて行く。
「あっ」
マイが呟く。星明かりの中、鳥目気味のマイにもオアシスが見えて来た。砂だらけの砂漠にぽかりと別の風景が広がる。
オアシスと言ってもヤシの木が生えている訳ではない。常夏の国に成ってもう1000年経つ日本だが、植生はあまり変わっていない。水が湧き出て小さな池に成っている。周りに名も知らぬ雑草がはえている。側に家の残骸がある石造りだ。この池を利用して誰か住もうとしたが、やはり砂に負けたのだろうか。クリスはEVをその廃墟の側につけた。この辺りは砂ではなく土の大地だ。
「調べるから」
「うん」
クリスは後部座席から防寒具を取ると着込む。外の寒気を入れぬように素早く外に出た。風はほとんどないが、マイナス10℃程度まで冷えている。目を凝らすと微かに東の空が明るくなっている。今は夜明け前の一番寒い頃だ。歩くと足下で音がした。地面を見る。この辺りの地面は水分を含んでいるため、霜柱が立っている。しゃがんで触れてみる。冷たい。クリスは家の残骸に入っていく。暗視装置の付いたサングラスのせいでよく見える。
「ふ〜〜ん」
埃と砂が分厚く積み重なった家の中には、朽ちているベッドと机と椅子がある。ただ家自体の作りはそう悪くないようだ。中で寝れば昼間の直射日光は遮れそうだ。車で寝るより涼しいだろう。クリスは車に戻ると家の窓の横に車を着けた。これで強い風は防げる。
「マイ、今日はここで寝るわよ」
「うん」
「用意するから待ってて」
「ありがとうクリス」
クリスは車を降りると、引いていた貨物車から掃除道具を出す。まず池から水をくみ貨物車に付いている水のタンクに入れる。車体のそこいら中に付いている、太陽電池と光反応触媒の入った透明なチューブが水を浄化してくれる。次にとにかく家中の埃を外に掃き出す。とりあえず咳き込まない程度に綺麗になるのに1時間かかった。
○
石作りの家は太陽の日射を遮ってくれる。結構涼しい。今日の宿はここだ。
日も上がって暖かくなってきたので、眠る前に二人は池で水浴びをする事にした。二人はEVに引かれている貨物車からタオルと縄を持ってくる。縄を家の室内に横断するように吊す。
池に戻り服を脱ぐと二人の素肌がさらされた。傷だらけだ。特にクリスは体中鞭の跡のような物、擦過傷の様な物など古傷だらけだ。長い間手枷足枷首輪で繋がれていたのか、その辺りの皮膚は黒く変色している。クリスはサングラスも外す。左目は中心部に何か突き刺さったような痕があり、白く濁っている。殆ど視力はないだろう。マイの方はクリスの様に全身に傷があるわけではない。両手の甲、両足の甲に何かが突き刺さって貫通したような傷がある。そのせいかマイは少し手足が不自由そうだ。
二人は池に入る。結構深い。マイの腰ぐらいある。意外と池の水は暖かい。地下水が豊富なせいだろう。日が上がったのでどんどん気温も上昇してくる。二人はタオルで身体を拭う。若い二人の肌を水の玉がころころと転がる。お互いの背中を流したり、髪を洗ったりする。一通り洗い終わったので、今度は着ていた物を洗う。それも終わると、池から上がる。砂漠の風はすぐに二人の身体を乾かす。洗濯した衣服をよく絞る。
家に戻るとかけてある縄に衣服を吊す。
「待ってて」
クリスは貨物車に戻る。大きな寝袋状の物を持ってくると部屋の隅の寝台だった物の上に置く。二人で潜り込んだ。
「お休みクリス」
「お休みマイ」
夜の長旅の疲れかすぐに二人とも寝息を立てた。
○
疲れが溜まっていたようだ。夕方まで二人は熟睡した。クリスが目を覚ますと、既にマイは起きていた。窓の側に座りじっと外を見ている。クリスの視線に気が付いたようだ。後ろを振り向く。
「おはようマイ」
「おはようクリス」
マイは挨拶をするとまた外を眺め始めた。まるで彫像だ。いつものことらしく全然気にせずに身を起こす。クリスは額に手をあてると憂鬱そうに眉をひそめる。
「どうやら明日辺りから始まりそう。ここで4日過ごすわ」
クリスの言葉にマイはまた振り返り頷いた。クリスは寝袋から抜け出し床に降りる。頭上の縄にぶら下がっているタオルを一枚取り寝汗を拭く。服を着るのが面倒なのでサングラスをかけてブーツだけ履くと外に出た。夜の闇では判らなかったが、クリスの肌は白い。かといって純粋の白人とも違うようだ。クリスは貨物車の浄水器から水を飲む。少し体を動かす。
「風があるわね」
確かに少し風が出てきた。貨物車から小さなバケツを取ってくる。水を少し汲む。クリスは風下の方に歩いていく。
しゃがんだ。用を足す。紙の代わりはそこら中にある乾燥しきった砂だ。少し移動すると地面の砂を手に取りそれで肛門の辺りを拭う。熱く乾いた砂は便の水分をすぐに吸収し殺菌した。捨てると乾いた風がすぐにその汚れた砂を乾燥させる。それを繰り返すとお尻は綺麗になった。最後にバケツの水で念のため肛門と性器の辺りをもう一度綺麗にする。手もだ。クリスも初めは紙を使っていたが、すぐに無くなりそうになり考えついた苦肉の策だ。クリスはともかくマイは肌も弱いので、彼女の為に紙をとっておきたい。
クリスは家に戻ると服を着た。マイは飽きずに窓から外を眺めている。
「ご飯は食べた」
「まだ」
興味なさそうにマイが呟く。クリスは暫くマイの横顔を眺めていたが、溜息を付くと貨物車の方へいく。ヤカンに浄水器からの水を入れる。凹面鏡を使った太陽熱利用の湯沸かしを外に出しセットした。EVの運転席に戻ると紙の地図を持ってきた。ベッドに座り外を見ているマイの横に腰を下ろす。流石にマイも横を向いた。
「今お湯を沸かしているわ。その間に今後の計画立てよう」
「うん」
クリスはベッドに地図を広げた。今まで進んだ道のりが記してある。地図と言ってもど真ん中に×の印があるだけだ。
「車の慣性誘導装置は誤差多いけどしょうがないわね。なんせここはGPSも何も使えないんだし」
「だから、私達は助かった」
「そうね」
クリスは大体の距離を指で測る。腕を組む。
「約50km、あと一日ね」
その言葉にマイも頷く。暫く二人で話し込む。やがて外からぴーぴーと音がしてきた。傾きかかった太陽にも関わらず、日射自体は強い。クリスが外に出ると、お湯が沸いていた。クリスは貨物車に行くと中から拳二つ分ほどの包みを二つと深いプラスチックの皿とスプーンを二つずつ取り出す。包みを開けると中の塊を一つずつ皿に載せる。ヤカンを持ってくるとお湯を注いだ。塊は一部分が溶け、一部分がふやけた。溶けた部分をかき回すとスープになった。インスタントの携帯圧縮食だ。これで一日分の栄養素は取れる。味もそれなりにある。ただ流石に2週間も同じ食事だと飽きるが。
「あと一日か」
貨物車の奥から干し肉の塊を取る。スープにナイフで削って入れた。ちょっぴりご馳走だ。明日当たりは生理が来そうなので少し栄養を付ける為もある。クリスは皿を持って家に戻ると、ベッドで地図を見ているマイの横に置いた。また貨物車に戻ると折り畳みのテーブルを持ってきた。コップと浄化水のボトルもだ。テーブルに並べる。
「いただきます」
「いただきます」
今日も生き残れたことを、これからも生き残れることを、信じてもいない神に祈ってから二人は食事をとり始めた。
○
「何見てるの」
「星」
星の配置は当然昔と変わってはいない。日が落ちて急速に寒くなってきた為二人は車に戻る。後部座席を倒して毛布を何枚も敷く。その上に寝袋を置き二人で潜り込む。EVの窓は内側も撥水性の高い樹脂が塗って有るため、呼吸で出た水蒸気が水滴に成り下に落ちていく。それも回収して浄水器に戻すような機能がある。
そのおかげで窓が曇らない。星もよく見える。
「綺麗」
「そうね」
クリスも窓越しに星を見る。昔母に教わった星座を追ってみる。片目が見えぬせいかなかなか上手く追えない。それでもいくつか見付けた。暫く見ていると流れ星が流れた。
「何かお願いした」
「していない」
また暫く二人は黙る。やたら流れ星が見えるのは、流星雨が降る日なのかもしれない。マイは寒いのかクリスに身を寄せる。
「ねえ、着いて何もなかったらどうする」
「判らない」
マイはクリスの胸元に頭を寄せる。
「でも、戻りたくない」
「そうね。どのみち戻れば、なぶり殺される。犯されて、切り刻まれて」
「うん」
「その時はこの砂漠で終わろう」
「うん」
クリスはマイを抱き締めた。
「私が男の子だったらいいのに。そうしたらマイともっと仲良くなれるのに」
「うん。でも女同士でも」
「ばか」
クリスはマイのおでこにキスをする。
「マイ、お話しして。あなたお話得意でしょ。昔話。遠い世界の夢の話」
「うん。昔々……」
○
たっぷり昼間も寝たはずが夜も結局眠り込んでしまった。2週間も砂漠を渡っていると疲れが溜まっていたらしい。二人が気が付くと朝になっていた。
「やっぱり、始まったわ」
「そう」
クリスは下腹に重苦しい痛みを感じた。手を股間に伸ばす。服を着たまま寝袋に潜り込んでいたせいで下着が血で濡れている。クリスは寝袋から出る。ジーンズパンツの股間の部分に血がしみ出ている。脱ぐとショーツはぐっしょり濡れていた。思わず溜息を付く。
「まったく。どうせ好きな男の子供なんて産むことないのに。水浴びてくる」
「うん」
クリスは貨物車に行くと大小のバケツとタオル、ショーツ、パンツ、生理用のナプキンを取ってくる。泉に行く。流量が多いせいか、昨日二人が水浴びをして出来た濁りはもう無くなっていた。
「それにしても、なんか生理の時は入りたくないわね。別に汚さでは肛門だって同じなのに」
クリスはぶつぶつ言いながら大きなバケツ一杯に水を汲む。家の横まで持ってくると、ショーツも脱ぐ。とりあえず股間を水できれいにした。汚れたショーツやパンツを手洗いする。水がふんだんに使えるのはいい。何度かバケツの水を換えると何とか履けるぐらいに汚れが落ちた。家の中に張ってあるロープに干す。マイも寝袋から出て貨物車から降りてきた。寝汗が酷いのでとにかく全部脱いだ。クリスと同じように洗濯を始めた。クリスの生理の血が付いている寝袋も洗うことにした。
クリスの方はタオルで股間を綺麗にすると、ナプキンを当ててからショーツを履きパンツを身につける。
「マイ、やっぱ怠いわ。今日は寝てる」
「うん。判った」
クリスは貨物車から毛布を持って家の中に入り、寝台に敷いて熱っぽい体を横たえた。結局二人はここで四日過ごした。
○
五日目の朝体調も戻ったので二人は出発することにした。目的地に一日で着きそうなので昼間の移動だ。クリスは黙々とEVを運転する。優秀な断熱材と効率のいい熱交換機のおかげで、強い日射にも関わらず中は意外と涼しい。夜の旅と違いEVの調光ガラスが相当濃く染まっている。そうでなければ眩い日の光と白い砂のおかげで目がやられてしまう。クリスは誘導装置のスクリーンを見つつ車を進める。
「見えてもいい頃だけど」
クリスの口調はいつでもいらいらして聞こえる。きりっとした顔立ちもそう聞こえる原因かも知れない。
「バブンドルク」
「何よ」
マイが呟いたので、振り向かず聞く。砂漠の砂は高低が判りにくい。か弱い少女の二人組だ。EVが砂に埋まったら即、死が待っている。
「名前はよく覚えていないけど、千年以上前の幻想文学。砂漠の中にある、この世の物とは思えぬ美しい都市の話。だれもがその美しさを知っているのに誰も行くことがない」
「あんた変なことはよく知っているわね」
クリスはずり落ちてきたサングラスを指で戻す。鼻は低いのですぐずり落ちる。
「私達の目的地はそんな美しい都市じゃないわよ。砂漠に封じ込められた邪な町よ」
「じゃ何故行くの」
「他に行く所ある」
「無い」
クリスもマイも黙った。特にマイは黙ると一日ぐらいは平気で黙っている。クリスも運転に熱中する。
「あれ……」
少し盛り上がった砂漠の丘の上まで来ると、クリスはEVを止めた。突如それは見え始めた。砂漠の中、天に向かい何本も伸びる高層ビルは、確かに幻想文学にふさわしいのかも知れない。クリスは助手席を見る。マイもクリスの方を見ていた。頷きあう。
クリスはアクセルを踏み込んだ。EVは丘を下っていく。クリスは今まで以上に真剣な顔で運転を続ける。
「人類の力を全てつぎ込んで作られた都市。美しさより強さを求めた都市」
「そして何よりも邪悪な都市、第三新東京市」
クリスの言葉は砂漠の魔の怒りに触れたのかもしれない。EVのスピードが落ちはじめた。初めの内は単に砂の抵抗がまして速度が落ちているのかと思った。変化がないように見える砂漠も、場所によって砂の質は相当違う。
そしていきなりEVが沈み始めた。それも一気にドアの辺りまでだ。おかげで戸が開かない。
「流砂」
クリスが唖然としながらも呟くと、マイは慌てて窓を開け脱出しようとした。
「駄目よ、どうせ外に出ても砂に飲み込まれる。確かこの下にはもう一つ都市があるって言い伝えあるわね」
「うん。ジオフロント」
マイがクリスの方を向いて答えたときには、すでにEVの視界は砂に埋もれていた。砂の圧力でEVが軋む。
「それにかけるわ」
「保てばいいけど」
マイの言葉を裏付けるように、軋み音が大きくなってきた。クリスはエアコンだけ残してEVの全ての動力を切った。