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時の長さは人それぞれ異なる物。それはある者にとっては遠い昔、ある者にとってはつい今しがた起きた話。


大波が船人を襲い、彼等の疲れは頂点に達していました。
彼等は長い戦いを続けていました。本当に長い、終わりの無い戦いです。
彼等は負け続け、命からがらこの地に逃げ込みました。

そしてこの青い星で、彼等は最後の希望を得たのですよ。


魔法少女佐藤

第1話「青い星の魔法少女」


穏やかで、少し暖かな風が、彼女の前髪をゆっくりと揺らし続けていた。
青い空と白い雲は、彼女の上でどこまでも続いていく。
「希望…? うん…だから…それって…ううん…うん…」
白いブラウスとダークブラウンのスカートを身につけた女子高生が、芝生に寝て、何かをむにゃむにゃと呟いていた。
芝生の丘には鳩もいる。彼女からやや離れた場所で、何をする訳でもなく、数匹が周囲を歩いている。
丘の向こうから、何かのチャイム音が聞こえてきた。
「ん、ううん…」
その音に起こされるかのように、彼女は両腕を伸ばし、顔をしかめる。陽だまりの中、彼女はあくびをもらしながら上半身を起き上がらせ、目を細め、周囲を見回した。
「ううん…」
目の前にはグラウンドがある。その向こうには校舎。お世辞にも綺麗とは言いがたい、ベージュ色の没個性的な建物だ。後、目に入るものは、緑のネットフェンスと、その向こうにある緑の田んぼ。
「…」
水田の辺りを眺めながら、彼女はさっきまで見ていた夢の余韻に浸るかのように弛緩した顔つきで、ただじっとしている。
彼女の顔つきはすらっとしていて、眉や目元などは涼しい、というのを通り越え、ややキツい感じすらする。惜しむらくは、今の表情の雰囲気は、キツさからは程遠い。彼女は、自分のセミショートの髪を留めている横のヘアピンが取れかけている事に気づいて、手でそれを外し胸ポケットにしまった。
「…ふあ…」
また、さっきの4音程のチャイムが聞こえてきた。あくびをしかけていた彼女は、ふと目を見開く。
「って、え、あ!? もう5時間目!?」
目をまたたかせる彼女。彼女は慌てて立ち上がり、校舎へ向かい走り出しかけ、そこで足をとめ、後ろに振り返った。
「って、美耶!」
「…ううん…」
先程まで彼女の寝ていた場所のすぐ隣で、同じ制服を着た女子が、すこぶる気持ち良さそうに眠っている。
美耶、と呼ばれた女子は、起きている方の女子とは対照的にのんびりとした顔つきである。あるいは、今の危機感の無い表情で特にそういう印象を与えているだけかもしれないが。
「もう、食べきれないよ…」
まだ寝ている彼女が、嬉し気に一人で呟く。
「…うわ、本当にそんな事言ってる奴初めて見た。」
「こんぶ…」
「…」
女子の片眉がやや上がる。
「うん…」
寝返りを打つ美耶。女子は我に帰って、膝まずき、美耶に近づいた。
「ほら、美耶、起きて。…幸田さん。」
「…とうふ…」
「ああああ、おいしいねえ。昆布も豆腐も。でも4月の食卓に一番ふさわしいもんとは微妙に違うような気もすっけどね。」
「…ううん…」
「ほら、良いから起きて。」
彼女は美耶の肩を揺らす。
「…プリン…」
「…」
女子は、美耶の耳のそばに口をよせ、思い切り息を吸い込んだ。
「オラッ! 美耶、起きろっつってんだ、いい加減にしろおおおおおおおおおっ!」
バサ、バサバサ…。
彼女の剣幕に、近くにいた鳩たちが一斉に飛んでいった。
「ん? ん……あ、あーっ。」
ようやく起きた美耶は、何かに気づき声をあげる。
「ひーこ!」
「そうよ!」
頷く女子。
「大変じゃない!」
「そうだよ、もう予鈴…」
「ここの鳩さん達が皆、逃げてっちゃったよ!」
「そうじゃないよっ!」
既に生徒の誰もいない校庭の隅で、彼女は額に皺を寄せながら言い返す。
再び、テープのチャイム音がスピーカーから響き渡る。
「あ、あ…」
膝まずいている方の女子は、力の抜けた様子で肩を落としながら息をついた。
「遅刻確定、だね。」
ニコニコしながら言うセミロングの彼女に、セミショートの女子は顔の一部を引きつらせるという形で返答した。


「なるほど。つまりはいつも通りだったって事だな。あんた達ニ人は。」
学校の中の教室。ボーイッシュなショートカットの女子が、ある机の上に軽く腰かけ、隣の席を見ながら笑っている。教室は休み時間中らしく、生徒達は騒がしい。
「そ。本当にいつも通り。私は一生、こうやって美耶に迷惑かけられながら生きていく運命にあるのかねえ。」
先程美耶を起こしていた女子が、ショートカットの女子の隣の席で、机に伸びている。
「違うよお。今日はそれだけじゃなかったんだよ。」
その彼女の前の席に腰をかけている美耶は、不満気に口を尖らせた。
「何だ。まだ、何かあったのか?」
「そうだよ志穂。あのね、ひーこったらお昼休みの時間、鳩さん達を脅かしてたんだよ。」
「…」
志穂は、よく分からないような、しかしどこか呆れたような顔つきで、机に伸びている方の女子に目を向ける。
「そりゃまあ、宏子だったら動物虐待の一つや二つ、いかにもしてそうだけどな。」
「…あのね。私は虐待されてる側だって、今訴えたばかりじゃない。涙ながらにさあ。」
机にべたあっ、と顔をつけたまま、気力の無い顔で答える宏子。
「っていうか私…腹減ったんだけど…」
「ああ…もしかして、朝食を抜かしたのか? それは体によくないぞ。」
「うう…違う…朝食は一応食べた…」
「私はもちろん、食べてないけどね。」
人差し指を上げながらニ人に口を挟む美耶。志穂は構わず、宏子にわざとらしく聞く。
「じゃあまさか…昼食を抜かしたのか? 食べる時間はたっぷりあったのに? 何で? 何か昼休みに、用事でもあったのか?」
「うう、ううう…寝過ごした…気づいたら5時間目遅刻してた…」
机に寝ながら、泣きまねをしている宏子。
「そ、そんなバカな話がこの地上にあるとわっ!」
「うう、うーうーうー…それは全てこのバカに全面的に責任があ…」
「…一応言っておくけど、ひーこも私と殆ど同じ時間まで、一緒になって寝ていたような気がするんだけどね。あれが私の思い違いじゃなければね。」
やや引きつった笑顔で、美耶が首を傾ける。
「それに、一食位どうって事ないよ。ダイエットになると思えば、さ。」
「あんたは二食抜いてるだろ。」
美耶の言葉に眉をひそめる志穂。
「え? でも、朝食は私、元々食べないし。」
「だからそれじゃ体に悪いだろ。昨日の夜から何にも食べてなきゃ。よくそんな事で、倒れないでいられるな。」
「倒れてるじゃん、こいつ。よく。」
ようやく起き上がった宏子が、前の席の美耶を指差しながら言う。志穂は頷く。
「確かにそうだな。」
息をつく志穂。
「大体、ダイエットなんかする必要無いだろ、あんたらは。私なんかと違ってさ。」
「私はあるよ。…少なからず。」
「ああ、そうだな。宏子はあるな。少なからず。」
「…何でそんな簡単に認めんのよ。」
三人の少女達の中で、一番髪の長い少女が一番体の線が細く、一番髪の短い少女が一番体ががっしりとしている。
美耶は首をふり、ニ人を諭すように語りだした。
「でもね、皆それぞれに、適正な体重っていうのは別々だから。確かに志穂とかに比べたら、私は筋肉とかはあまりついてないけど、私の基準で言わせて貰えば、今の私はちょっと太めなのは間違い無いんだよ。」
「…」
「…」
美耶の言葉に、志穂と宏子は真面目な顔つきでお互いを見る。
「…喧嘩売られてるのか? もしかして。」
「…」
志穂が聞く。宏子はこくこくと頷いてみせた。

「それにしても、さっきのひーこは酷かったよ。今度、ちゃんと鳩さん達にも謝っておいた方が良いよ。」
「あのねえ…」
話題が唐突に戻る。宏子はその事と、戻った話題の内容との両方に、疲れた息をついた。
「私は別に鳩をいじめた訳じゃなくて、単にあんたを起こそうとして大声を出しただけでしょうが。」
「でもそれで、私がなかなか起きなかったんだから、全然意味無いよねえ。」
両手を上げ、笑う美耶。宏子は志穂に耳打ちする。
「ねえ、何、何なのコイツ。私達を怒り狂わせる事で、何かの罠に陥れようとしているスパイなんじゃないの?」
「ひーこ。鳩さん達だってこの学校の住人…はおかしいけど住…ハトなんだから、大事にしてあげないと。」
「だから、鳩と対決したつもりはないんだけど。」
「でも美耶は、鳩の味方なんだよな。」
「うん。」
志穂の言葉に、美耶は笑顔で頷いた。
「…何でそんなに鳩に拘んのよ。」
「別に拘ってなんていないよ。鳩さんに限らず、動物に優しくね、っていう話。」
「そりゃまあ、私は美耶と違って、女の子らしくハムスター飼ったりとかはしてないけど。」
「私ね…夢で、鳥になる事が時々あって。空を…自由に飛びまわってるの。だから、鳥さんの気持ちが分かる…って言ったら、ちょっと嘘になるかもしれないけれど、」
「ああ、嘘だわそりゃ。大体鳥がさ、空を「自由に」飛びまわってるなんて訳ないじゃん。そんなの、勝手なこっちのイメージでしょ? 鳥は鳥で、多分大変なんだと思うよ。電線とか多いし、空気は汚いし、ちょっと気を許したらあっというまに天敵に食われちゃうし。ガブ、ガブ、ガブッ!ってね。」
「…どうしてそう夢のない言い方をするかなひーこは。」
美耶は顔をしかめる。
「大体空気は、空が飛べても飛べなくても悪いじゃない。」
「ああ…ま、そりゃそうだけど。」
「やっぱりね、私は前世は、鳥だったと思うのよ。」
「…」
「…」
「うん。」
美耶は、ニ人の方を向いて頷いた。
「…まあ、どっちかって言えば、私はあんたの前世はプリンかなんかだと思ってたけどね。」
「生き物で言ってよ!」
「あーあー。」
「志穂お? 何で頷いてるの!? 私のどこがどうプリンっぽいのっ?」
「で、何で鳥なんだ?」
「え?」
美耶は志穂の問いに、視線を落とした。
「あ、うーん…鳥かどうかは分からない。違うものかもしれない…例えばほら、伝説で、空を飛べる人…何て言ったっけ?」
「ドラえもん?」
「ひーこっ! えーと、ケンタウロス…ミノタウロス? みたいな、あんな感じの、かも。」
「はあ…」
首を傾げる志穂を、美耶は真剣な表情で見つめる。
「さっき言った通り、夢を見るの。最近。自分が空を飛んでる夢を。」
志穂が考え込む。
「えーと、それは確か…。」
「欲求不満なんだよ。美耶、最近溜まってるんでしょ?」
「溜まってないよっ! って、いや、えっと、ずっと溜まってるけど、ってそうじゃなくって!」
赤い顔で宏子を怒鳴りつけてから、美耶は話を続ける。
「夢の内容とかは全然分からないよ。でも、ごく自然に飛んでる、っていう記憶はあるんだ。夢だけじゃなくて…何ていうか、私は空が飛べるんだって、思える瞬間が時々あるっていうか…あ、それに、時々、呼ぶ声が聞こえる事もあるかな。」
「呼ぶ声?」
「うん。」
美耶は宏子に頷いた。
「誰が何を語りかけているのか、っていう所までは、朝になったら全部忘れちゃってるんだけどね。覚えてるのは、時々頭の中で何かが聞こえる、って事。私に対して呼びかけてるんだ。」
「…」
宏子は、美耶の顔をまじまじと見つめた。
「…多分その内、もっと鮮明に思い出せるようになるんじゃないかと思うんだけどね。」
「…おい、それってなんか…美耶、お前、ちょっと疲れてるんじゃないのか?」
志穂が心配そうに尋ねる。
「そんな、大丈夫だよ、志穂ちゃんは大袈裟だなあ。ね、ひーこ。…あれ、ひーこ?」
一人、机を見つめて顔色を変えている宏子を、美耶は不思議そうに覗き込んだ。
「…え? あ、うん、ああ、それくらい別に大丈夫じゃないの、溜まってるだけだって。」
「だから溜まってな…溜…ああっ、もうっ、ひーこのオヤジっ!」
「エッチだなあ、美耶は。」
「何で私なのっ!」
志穂がニヤニヤしながら言う。彼女に抗議する美耶。

−そうなんだ。…何かの声が聞こえてくるのって、私だけじゃなかったんだ…。
「ほら。またひーこ、ぼうっとしてるけど?」
「え? あ、だから美耶とのプレイを今、思い出してたからさ。」
「そんな事してないよっ!」
真っ赤な顔の美耶を前に、宏子は笑い顔を作ってみせた。


宏子は液晶画面に目をやり、頬杖をつきながら息を吐いた。
「私の表示見て居留守使ってるんじゃないだろうな、姉貴は…今度から非通知にしてやるか。」
教室はどうやら放課後らしく、まばらになった生徒達はおのおの会話を楽しんだり、帰り支度をしたりしている。自分の机に座っている宏子は、携帯電話を持った右手の親指でせわしなくキーを押した。
「ま、メールだけでもやっとくかね…。」
「そうやっていると、見た目だけは女子高生みたいだなあ。」
「…」
宏子は親指だけを止め、そのまま表情を変えずに視線を上げた。
「女子高生だしね。」
「ま、部活の無い奴はラクで良いなあ。何で入んないんだ?」
宏子の机にやってきた体格の良い男子は、そのまま机に軽く腰をおろし、教室の窓の方を向く。
夕日が家々の長い影を作り、校庭にそれを投影させている。
石戸田いしへだこそこんな所で油売ってる暇なんかあるの?」
「…誰にメール打ってる? 幸田か?」
「美耶なら、バレー部室までひとっ走りすればすむじゃない。」
「あいつは休んでいる事も多いけどな。」
「まあね。でも、美耶本人が体を動かすのが好きだから。」
「無理をするのが、の間違いだろ。」
校庭に顔を向けたまま、石戸田が表情を固くした。
「…」
石戸田につられるように顔を曇らせていた宏子は、ふいにいたずらっぽい表情になって顔を上げた。
「…ね、私は心配しないの? こんなに可愛らしい幼なじみが物憂げーな表情で一人淋しくしているのに。」
「物うげえっ?」
「発音が違うっつーの。」
「可愛らしくないし、お前と幼なじんだ記憶も無い。お前はただのご近所。」
「うわ、全部即答したよこの人は。」
「大体俺が佐藤の何を心配しないといけないんだよ。末路か?」
「末路って何よ末路って。」
「これ以上人を殺すなよ?」
「あんた以外の人間を殺す予定なんか全く無いから安心して。…あのねえ、私だって色々と悩みもあるんだよ、あんたが知らないだけで。」
−そういう所で、私が部活に入っていない理由を察する事は出来んもんなのかね…こいつは。
宏子は自分の机に座る男子の顔に目をやった。彼の顔はまるで30代と言っても通用してしまいそうな、良く言えば「大人びた」雰囲気がある。悪く言えば、フけている。
「どうせお前の悩みって言ったらあれだ、便秘とかだろ。じゃなきゃ下痢だ。」
「…」
宏子は軽く息をつくと、右手でパチン、と携帯を折り畳んだ。
「で、誰に送ってたんだメールは。」
「何であんたに言わなきゃいけないのよ。」
「気になるからだ。」
「何でよ?」
「何か言いたくないみたいな素振りを見せてるしな。」
「…」
口を開きかけた宏子は、それを一旦閉じてから立ち上がった。
「まあ別に良いけど。姉貴にかけてただけだよ。」
「ああ、佳菜恵姉さんねえ。でもお前等、仲悪かったじゃん。」
「もうすぐ姉貴の誕生日だからさ、プレゼントに何が欲しいかな、ってちょっと探りを…って人の家庭事情を勝手に悪化させないでよ。」
「そうだよー、性格はともかく、佳菜恵さん最近とっても女らしいじゃない。見た目は。」
「誉めてんだか何なんだか…って、わっ!」
「え?…あ、わっ。」
「合わせなくて良いって。」
宏子は自分達の背後にやって来ていた美耶の方を向いた。
「あれ、どうしたの? 着替えてないじゃん。今日はバックレ?」
「自分と相手の行動基準を一緒くたにすんな。」
「…」
美耶は、睨みあっているニ人に苦笑しながら鞄を持ち直す。
「ううん、サボるつもりじゃないけど…今日は病院の日だからね。」
「ああ、そっか。じゃ美耶、一緒に帰ろっか。…石戸田さんも、もうそろそろ部室行かなきゃマズいんでなくって?」
「ん? …あ、やべ。」
腕時計を見た石戸田は、慌てて自分の机に戻り、荷物を手にする。
「んじゃな。あ、幸田、帰り道、モンスターに食われんなよ。…佐藤もモンスターを食うなよ!」
石戸田は鞄をかつぎ、教室を駆け出していった。
「は? 急にモンスターってあれ、何言ってんの? 何か凄く失礼な事を言われた気だけはするんだけど。」
「あはははは…あれ、ひーこ知らないのモンスター?」
ニ人も鞄を持ち、教室から廊下へと歩き出す。
「何よ、モンスターって?」


「…ん? つまり噂だと、最近この界隈に怪獣が出没してるって事?」
「そうだよ。うわああって現れては、人を食べちゃったり、金品を奪っちゃったりしてるらしいよ。」
彼女達の学校は水田の中に、離れ小島のようにして立っている。そこからまっすぐ伸びている一本道は、まるで海の上にかけられた連絡橋のようだ。
夕暮れのオレンジ色に染まるその橋の上を、宏子と美耶が歩いている。春の日に暖まった空気は、微かにニ人の前髪をなびかせた。
「金品って…それは、暴漢か何かじゃないのか。」
「うーん…」
「大体さ、そんなのが出てたら何でニュースにならないのよ。」
「モンスターさんが、知られたら困るって思ってるのかもね。」
「…そういう問題なのか?」
「山根病院の急患の怪我人でね、何かそんな事をずっと言ってる人がいたんだって。それで初めてみんなに伝わったらしいよ。」
「って…つまり、噂の発信源あんただって事じゃない。」
宏子は美耶を呆れた様子で睨んだ。
「えー、違うよー。私も噂を聞いたのはだいちゃんからだもん。だいちゃんがそう言ってたの。」
「石戸田ねえ…どうせ喋るネタも無かったから適当に作った話なんじゃないの?」
「でも、病院の人に聞いたらみんな真面目な顔でうんうんって頷いてた。」
「…」
「だから、ひーこも気をつけないといけないよ。」
「…ねえ、美耶。体、まだ調子悪いの?」
宏子は進行方向を向いたまま、呟くように尋ねた。
「え、私? …ううん、どこも悪くないよ?」
「じゃ何で未だに病院通ってるのよ。」
「さあ…」
「さあ、じゃなくてね。」
「…原因が分からないから、なんだと思う。だから定期的に検診するんじゃないかな。」
「治す訳でもなく?」
「うん、治す訳でもなく。」
美耶は宏子の言葉がおかしかったのか、あはは、と笑った。それにつられるようにクスリと笑う宏子。
「それで金取ってるんだから、奴等も良い商売してるよねえ。」
「うん、良い商売だねえ。」
「…ま、あんたが元気なら別に良いんだけどさ。」
ニ人は公園の遊歩道を歩いていく。
「今度、佳菜恵さんのお誕生日なの?」
「ん? うん。だからどういうのがプレゼントで欲しいか、それとなく探りを入れようかと思ってたんだけどさ。」
「あ、そうなんだ。…じゃあ、私も仲間に入れて貰っていい?」
「別に人の姉の誕生日なんか祝わなくて良いって。」
「…」
「…いや、まあ、美耶がやりたいって言うなら全然構わないんだけど。」
如実にぶすっ、と顔を膨らませた美耶に、宏子が慌てて答える。
「うん。佳菜恵さん、何が似合うかな?」
「…似合う?」
「やっぱりアクセサリーか何かだよね、選ぶとしたら?」
「ア、アクセサリー?」
美耶の言葉に顔を引きつらせる宏子。
「うーん、でもこれからの季節夏服も捨てがたいか…あ、帽子とかも良いかな? それとも…」
「…」
横の美耶の言葉に、宏子は息をつく。
「…」
「…」
美耶の足音がやんでいる。宏子が顔を上げて彼女の方を見た。
「ん、どした? って、美耶っ!」
宏子は彼女の体を受け止めようとするが間に合わない。急に意識を失った美耶の体は、アスファルトに倒れ、砂埃をあげた。


廊下を、看護師や医師達が忙しく行き来している。黒いベンチソファーに座った宏子は、廊下のタイルの四角い模様をじっと眺めながら座り続けている。
「あ、佐藤!」
廊下の角から、男子、と呼ぶには多少無理がある顔つきだが、高校の制服の白いYシャツを着た男子がこちらに走ってくる。
「石戸田…」
「幸田は?」
「…」
宏子は無言で、自分の横にある部屋の入り口、その上についている表示板に顔を向けた。
「治療中、か…」
赤いライトの表示板を見る石戸田。彼は息をつき、宏子の横に座る。
「で、どうしたんだよ?」
「別に、いつも通りだけど…? 急に意識が無くなって倒れてた。その直前までは、本当に普通に喋っててね。あんまりに突然だったから、体を支える事も出来なかったよ。…その時、道に車が走ってなかったのが、不幸中の幸いだったかも。走ってたら、今度はぐっちゃりいっちゃってたかもね。」
「そっか…で、その後は「行きつけ」の集中治療室に入ったまま、出てくる気配無し、か。」
「うん。」
「…」
ニ人はほぼ同時にため息をつく。
「相変わらず…全く、本当に相変わらずだなあいつは。」
「うん…友達不幸な奴だよね、美耶って。まあ親不孝でもある訳だけど。」
「つくづく、何であんな奴の友人なんだよ、俺達。」
「友人っていうか…ただのご近所なんじゃない? 多分。」
「かもな…」
石戸田は薄く笑う。宏子は目を伏せ、唇をかんでいる。
「佐藤、大丈夫だよ。あいつにとっちゃ、こんなのは日常茶飯事だろ。どうせまた、ひょっこり意識が戻って、自力で集中治療室からスキップで戻ってきたりとかするに決まってんだ。」
「そうかもしれない。そうであってほしいとは思うけど…でも、心臓に悪いよ、こういう空間って。石戸田もそう思わない。」
「俺は、部活が休めたから良い。」
「あ、そ。」
「…」
「…やっぱり、ちゃんと食事をしなかったのがいけなかったのかな…」
「しない本人の問題だろ?」
「うん…いやまあ、そうなんだけど、そうじゃなくて、今日ね、昼とか、校庭の芝生で昼寝してたんだよ、ニ人で。」
「あ? …お前達が今日、5時間目を寝過ごしたのって…」
「そう、それで昼メシ抜きだったからさ…」
「…面白い事してるなあ、お前等も相変わらず。」
面白がるというよりは、疲れた様子で石戸田が言う。
「…」
「…でも、実際にはそんな事関係無いんだろ。あいつは好きな時に病気になって、好きな時に回復すんだから。普通の人間の体調とは感覚が違う。…自分を責めてもしょうがないだろ、佐藤。」
「…」
「俺、コーヒーでも買ってくる。」
石戸田は立ち上がろうとする。
「…」
「…」
宏子は床に顔を向けたまま、左手で石戸田の裾をつかんでいる。石戸田はソファーに座り直した。
「…」
「…」
「…俺がいても良いのか。」
「駄目なの?」
宏子は顔を上げ、石戸田を見る。
「ああ…俺達、幼馴染だろ、お互い三人とも。でもそういう割に、お前達ニ人が、特に何て言うかこう、仲が良い気がして…」
宏子は少し楽しそうな顔になる。
「変な妬き方するんだねえ、石戸田も。別に美耶を取るつもりなんて無いから、安心していいよ。」
「ああ、別にそういう意味じゃねえよ。そういう意味での魅力は、お前達ニ人どっちにも、これっぽちも感じていないしな。」
「あら残念。ってか私は良いけど、美耶にはそういう言い方はしないでおいた方が良いよ。」
「そうか? 結構、「うん、私もそうだねえ」位の返事がけろっと返ってきそうじゃないか?」
「ん、まあね。…だから、あんたが傷つきかねないでしょ?」
「なるほど。」
「…」
宏子が息をつく。
「私達ニ人が仲が良いって、それは単に、女同士だから一緒に動く事が多いってだけじゃないの? あんたと連れションとかはしない訳だし。」
「そりゃそうだ。…でもこう、お前達ニ人を見てると、時々本当に、以心伝心が働いているように見える事があんだよ。まあ、俺が妬いてるだけなんだろうけどさ。俺とか金成かんなりには入り込めない世界、っていうのか…」
「…女子トイレで起きる、妖しい世界?」
「まあ、そんなとこだ。」
石戸田は気のない様子で頷く。
「んなもん無いって。以心伝心も何もね。私も石戸田と同じで、あれの考えてる事なんか、さっぱり何にも分かんないよ。」
「じゃ、何で…俺達ここに来てるんだ?」
「…ご近所だからでしょ?」
「そうか。」
石戸田は宏子の言葉に笑った。


「じゃあ、ご近所同士、しばらく幸田さんの無事を祈って待つ…」
「…石戸田?」
宏子が顔を上げる。石戸田は、治療室上の表示板を見上げる。
「あ…」
表示板のライトが消えている。目を見合わせるニ人。
宏子は立ち上がり、治療室のドアの前に来る。
ドアが開き、青い服を着た医師が、自分のマスクを外しながら歩いてくる。宏子と石戸田は、彼の前に詰め寄った。
「あの、美耶は…」
「…」
50代の、口髭を生やした医師は、憔悴した表情で視線を落とした。
「…出来る限りの事は、したんですが…」
「え、え…嘘……ですよね?」
「…申し訳ありません。」
「ちょ、ちょっと、それってどういう」
「…」
「あ、石戸田!」
石戸田が集中治療室内部へ歩いていく。宏子は慌ててその後を追う。

診療用ベッドには、たくさんのチューブの刺さっている美耶が寝ていた。呼吸用マスクが付き、はだけた上半身にはタオルケットがかけられている。

「…そ…」
首をふる宏子。
ツー…。
たくさん並んでいるモニターの一つに宏子は目を向けた。緑色の線が、全く上下に動かずずっと一直線に続いているのが画面に表示されている。
「み……美耶…」
「17分35秒に…ご臨終です。」
看護師の一人が石戸田に言う。石戸田は無言で目を見開いたまま、ただ美耶を眺め続けている。
「嘘、嘘でしょおっ! 起きて! なんか言ってよ! 嘘だよおっ! 美耶、美耶あああああああああああっ!」
涙を飛ばし、宏子が叫ぶ。そして周囲の景色は、白い光に包まれだした。


 

「…はっ」
宏子は目を開けた。
「あ、ようやく起きたか? まったく、薄情な奴。」
「え…わっ」
宏子は石戸田の肩に、自分の頭を乗せていたようだ。慌てて石戸田から離れる宏子。
「あ、ごめん…」
「ああ全くだ。今度一回、昼メシおごり、な。」
「…」
「どうした?」
石戸田が目を向ける。
「…夢、だったの? 全部?」
「幸田が救急車に、ってところまでは多分現実だぞ。」
「嘘…でも、凄く、リアルだったのに…それに大体、何で私がここで寝てるの?」
「誰に聞いてんだ?」
「あ…」
「…あ。」
彼等の横の、治療室入り口の表示板のライトが消える。ニ人は立ち上がった。
「…」
入り口に歩く石戸田。宏子は不安そうに、石戸田の背後に縮こまっている。
「…どうした?」
眉をひそめ、石戸田が振り向く。それと同時に治療室のドアが開き、中から青い服の医師が出てきた。
「…」
医師がマスクを取るのを見て、宏子は息をのむ。
−さっきと、同じ人じゃん…何で? 私、この人初めて見るのに…。
口髭の医師は、疲れながらも、どこか満ち足りた顔つきで石戸田の方を向いた。
「ご友人の方ですね。彼女でしたら、もう心配はありません。少なくとも数日は、こちらで安静にしてもらった方が良いでしょうが…恐らく、軽い栄養失調とそれに伴う貧血でしょう。」
「そうですか。…有難うございます。」
頭を下げる石戸田。医師は笑顔で頷き、歩いていく。
「って……そんな…」
「どうした、佐藤? お前、さっきからおかしいぞ?」
「え? あ…何でもないよ。良かった、ご近所さんが無事で。」
石戸田に笑顔を作る宏子。石戸田は怪訝そうに頷いた。



→Part B



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