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「はあ、はあ、はあ…」
額の汗を手で拭いながら、夜の近づきつつある住宅街を、少女はとぼとぼと歩いていた。
「…はあ、はあ、はあ、はあ、はあ…」
足がもつれ、宏子は道の脇で崩れ落ちるようにへたりこんだ。
「…はあ、はあ、はあ…はあ…」
両手を道のアスファルトにつけ、四つんばいになりながら宏子は息を整える。
「…はあ……はあ…」
また流れてくる汗を手で拭う。ごくりと息を飲み込みながらも、まだ荒い息はしばらく止まりそうにない。
宏子は強張った表情のまま、後ろを振り返る。
「…」
先ほどの非現実的な光景は消え、時折どこからか聞こえる自動車の走行音のみが、平凡な住宅街の静寂を破っていた。
「はあああっ…て、ここどこ?…」
周囲を見回す宏子。特に変な所は無いが、彼女には見覚えの無い家々が周囲に立ち並んでいる。
「まあいっか。どっか大きい道に出さえすればどうって事はないよね。美耶、疲れな…」
宏子は自分の右を向き、口を開いたまま止まった。
「…あれ、美耶?」
改めて自分の周囲を見回す。宏子は一人だけで、住宅街の道に立っていた。
「あれ、美耶? 美耶、美耶っ!?」
チャンチャチャッチャッ、チャンチャンチャン…。
「…」
ピッ。
鞄の中から着メロが鳴る。宏子は中から携帯を取り出し、それを開くのとほぼ同時に通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「あ、ひーこ、ひーこ、今どこっ? ようやく繋がった!」
「美耶! あんたこそ今どこにいんのよっ! 大丈夫?」
「えっとね、私は、えっと…春日部は出てないような気がするんだけど。」
携帯を滑り落としかけつつ、宏子が電話の相手に頷いた。
「…ああ、そう。とりあえず無事なのね? それなら良いけど、えーと、病院は? 今日もあんた、一応診てもらいにいくはずだったよね。」
「無事じゃないよお。ひーこが無理に引っ張ってくから途中で転んじゃって、両膝ともすり傷で、とっても凄惨な事になっちゃったんだからあ。だから、それを診てもらわないとね。」
凄惨というイメージからは程遠い呑気そうな声が、スピーカーから響く。
「ああ、そう…そりゃ悪かったね。」
「ひーここそ大丈夫?」
「あ、うん私も、肘あたりちょっとすっちゃったか…」
シュウンッ。
「!」
宏子が裾をまくって肘を見てみようと右腕を上げた時、そのすぐ下を青い光が通り抜けていった。
ガチャッ。
宏子は携帯を落とした。
「ん、ひーこ、どうしたの? …ひーこ、ひーこ?」
ズズズズ、ブブズズズ、ブズズズズ…
「…」
息をのむ宏子が向いた先、道の向こうから、黒いモンスターが一歩一歩近づいてくる。
「…」
「ひーこ、答えて、ひーこっ!?」
「あ、ごめん電波の入り悪いみたい、またねっ!」
「えっ? ちょっ」
ピッ。
宏子は拾い上げた携帯を閉じると、一目散に道路を駆け出す。
シュンッ、プシュウ。シュンシュン、プシュプシュウッ。
「朝といい、今といい、どうして誰も助けてくれないのよっ!」
−取りあえず、どこか道陰に隠れた方が良いのかも…。どこか良い場所…。
キーン…。
−えっ、嘘、何で今、こんな時に!
宏子の視界が、立ちくらみをしたかのように一瞬白く光る。
次の瞬間、宏子の体は棒のように固まった。
−何でよ、何でこんな時にコレが来るのよ!
宏子は懸命に自分の体を動かそうとするが、顔のわずかな表情筋くらいしか反応しない。
「……、……」
道の前方で、うすぼんやりした何かの影が、こちらに話しかけてきているのが見える。
−分かんないわよあんたの話、言いたい事があるならはっきり言いな…っていうか今は早く解放してよ、それどころじゃないんだから!
−これが始まったら、数分は動けなくなる…ここ数週間無かったでしょ、何で今この時に来んのよ…。
青白い光はやんだが、モンスターの声のような音と足音が、背後から着実に近づきつつあるのが聞こえる。
ブズズ、ブズズズズ…。
−何なのこれ、こんなんで私の一生終わるんかい…。…まだ、姉貴のプレゼントも結局思いついてないのに…。
カツ…カツ…カツ…カツ…。
−最期なのに、目を閉じる事も耳をふさぐ事も出来ないの、私? 勘弁してよ…あんまり痛くなければいいんだけど…。
カツ…カツ…カツ…カツ…カツ…。
−だから、頼むからさあ、こういう時に話しかけてくるのはやめてよ…間が悪いでしょ、ねえ……お父さんも…お母さんも、さあ…。
「…」
はっ
「解放された!」
急に視界が元に戻る。
背中を押されるように体を弾かせた宏子は、後ろを向かず走り出した。
カツ…カツ……カツ…。
シュンッ。
「っと!」
細い道を右折する宏子。
「うっ。」
宏子の前方に広がる道は、10メートルもいかずに個人宅の入り口になって終わる袋小路だった。
「…」
後ろを振り向く宏子。モンスターは既に同じ道を曲がり、彼女の目と鼻の先にまで近づきつつある。
「は、はあっ…」
カツ…カツ…カツ…。
その巨大な体に比べて小さな足を器用に動かし、モンスターが宏子に、一歩一歩近づいてくる。周囲を見回す宏子。逃げ道らしき場所は見あたらない。
「はあっ、はあっ、はあっ…はあっ…」
宏子はモンスターの方向を向いたまま、へたりこんだ。
シュウウン、ズバアアアアアアアアアアン!!
「え?」
宏子の後ろで、爆発音と共に何かが光瞬き、そしてその後に軽い風が吹いた。振り返る宏子。
<ああ、間に合った。大丈夫か?>
「だ…え? ってキャアアアアアッ!」
宏子に呼びかけたのは、髪の毛が全く無く、そのかわりに頭部にフクロウの耳のような突起を持った人間だった。服は東南アジアあたりの民族衣装のようで、どうやら男性らしいが、全体的に青白い、というよりも、青そのものの肌をしている。
「な、ど、な、どういう格好してんのよ!」
<落ち着いてくれ、俺はお前の味方だ、お前を助けに来たんだ。>
「え? …あ、え…うん、じゃあお願い! あれを何とかして!」
<あ、って言っても奴を今、倒せるのはお前だけなんだけどな。頑張ってくれよ!>
「は、はあああっ!?」
カツ…カツ…カツ…。
モンスターはニ人にゆっくりと近づく。
<このステッキを持って、「フィア・ディシュ」と叫びながら…いや、「止まれ!」と叫びながら振ってくれないか。>
男はニコ、と笑いながら、背後からピンク色のステッキを取り出した。
「…あ、あのさあ、そこまで人をコケにして楽しい? もうホントおちょくるのもいい加減にしてくれる?」
<…ああ、でも叫ぶ時はちゃんと心を込めてくれよ、そうしないとそのステッキも働かないからな。>
「人の話聞きなさいよ!」
シュウンッ。
「ひっ」
宏子の目の前を青い光がかすめる。
<本当は練習してほしいところだが、見ての通り時間が無い。今すぐ魔法使いとしてのお前の才能を見せてくれ!>
「そんな才能持ってないっ!」
カツ…カツ…カツ…。
ズズズ、ブズズズズ…。
宏子達の1メートルほど前にまでモンスターが近づき、ニ人を嘲り笑うように音を立てた。
「…あーっ、もう分かったわよ、やれば良いんでしょ、やれば!」
宏子は男からステッキを奪うように取ると、仁王立ちで、それをモンスターの前に突き出した。
「てめえ止まれ、いい加減にしろおおおおっ!」
シュン、シュウウウウン…。
「…え、ええっ?」
ステッキの先端に付いていた赤い宝石らしき物が光り出す。思わずステッキを下ろしまじまじと見つめる宏子。
シュウウン、シュウウウウウウウウン…。
石は輝きを増し、彼等の周囲をまばゆい光が包み込んだ。
続く
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