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シュウウン、シュウウウウウウウウン…。

ステッキの石が光を増す。眩しくて、何が起きているかは全く見えない。宏子はただ懸命にステッキを降り続けた。
−止まれ、止まれ、止まれっ!

宏子はステッキを降り続ける。ふいに宏子は、静寂に気づいた。モンスターの声が知らない内に止んでいたのだ。
宏子は呼吸もままならないまま、モンスターの方を見る。ステッキの光も今は収まったらしい。
モンスターは動かない。
「…はぁっ…」
息をつく宏子。

プシュウッ。
「え?」
その時、モンスターの前頭部が軽く震え、あの青い光が飛び出してきた。
「い、いやああああああああああああああああっ!!」


「はっ」
宏子は目を開けた。

宏子は体を起こす。彼女は朝日の光溢れる寝室の、中央に置かれたベッドに横になっていた。
「…」
周囲を見回す宏子。彼女の見慣れた家具や家電製品、ポスター等が目に入る。
朝という事もあってか、部屋は不自然に思えるほどの静寂に包まれている。
「…」
軽く目を閉じ息をつくと、瞼が半開きの状態で宏子は目元を指でこすり、ついた目やにをティッシュでふき取った。

「…イチ、ニ、イチ、ニ。次は腕を伸ばして手足の運動…。」

静かな部屋と思っていたが、よく耳をすませると、どこからか微かにラジオ体操の声が聞こえてくる事に宏子は気づいた。
「ふう…」
宏子は無表情のまま、またベッドに倒れ込む。視界に天井が広がった。
−見知った、天井…。

「…続いてラジオ体操第二、腕と脚を曲げ伸ばす、屈伸の運動…。」
「…うーん…」
「更に続けてラジオ体操第三…。」
「…え?」
半分寝かけていた宏子は、ふと目を開いた。

「第四は飛ばして第五…。」
「えっ?」
がば、と起きあがり、周囲を見回す。
「もう、安西さん、そんなラジオ体操ある訳ないじゃないですかあ。」
「あはは、キョウちゃん、それでは交通情報の方をお願いしますよ。」

「…」
宏子の左側に、ラジカセを持った青い肌の男が楽しげな表情で立っていた。
<おはよう。目覚めの気分はさわやかか?>
「…」
「…」
「…」
「…」
「って、何なのよあんたはああああああっ!」


魔法少女佐藤

第2話「二人目の魔法少女」


「っていうか、私は魔法少女じゃないって言ってんでしょっ!」
宏子は両手でステッキを持ち、ダン、と右膝に当てた。
グニャッ。
<うわっ!>
「…わー、結構簡単に曲がるもんなんだ。ねじったら切れるかな?」
90度近く折れ曲がったステッキを、驚いた様子で見る宏子。

宏子は既にベッドからは出ていたが、まだパジャマ姿だった。男の方は昨日と同じ格好だ。
<おい、お前、何て事をするんだ! そのステッキがどれだけ貴重か分かってるのか?>
「こんなのその辺のトイザらスで5、600円で売ってるって。欲しけりゃ買いに行けば? えーと、ほら、ここからだったら16号線岩槻の方に行って、元荒川、越えた角で…」
<頼むからちゃんと念じてくれ。お前の言葉で言われても俺には分からないんだ。>
「は、何が? あんた日本語喋ってんじゃん。」
宏子はぽかんとした様子で男の顔を見た。
<念じてくれよ! まさか俺のテレパシーが伝わってない、って事はないよな…なあ、俺の言ってる事、本当に聞こえてるか?>
「…あれ?」
心配そうな表情をしている男は、こちらに語りかける間、一切口を開いていなかった。
「…腹話術?」
<おい、頼むぞ…でも、昨日あれだけの魔力は見せてるから通じない訳はないんだが…>
「あ、凄い凄い! 全然口開いてないのに! テレビ出れるよ! あんた格好も目立つから結構話題に!…って、あれ、元々あんたってもうテレビの芸人なのか?」
<あの、俺の言ってる事、少しでも聞こえてる?>
男は苦笑いしながら首を傾げる。
「うーん、でもなあ。素人さんを死ぬほど驚かせたりとか、ましてや寝起きをいきなり襲うなんて、あんまり良くないと思うんだなあ。…そりゃまあ、確かに、私位の見た目だったら何て言うかテレビでいじりがいもあるっていうかさ、あ、いや、もちろん凄い美人だっていう訳じゃないけど、逆にそういう親しみやすさがいかにも親近感があるっていうか、うーん言ってみれば坂下チリちゃんライン? まあ彼女よりか私の方が全然年は若い訳だけど…」
<…頼む、聞こえていたら、俺の言う通りにしてみてくれないか。>
「ん?」
自分で自分の言葉にうっとりしつつあった宏子が顔を上げた。
<ええと…右手のひらと左手のひらを合わせてみてくれ。前で。…胸の前、だな。>
「んー?」
眉を寄せつつ、宏子が男の言う通りにしてみせる。
<ああ、やっぱり伝わっていたのか! …よかった、コミュニケーションがとれなかったらどうしようかと思ったぞ。>
「何言ってんの?」
<…よし、じゃあ、手のひらを上にするように、両手を開いて。つまり、それぞれの指と指は離さず、右手と左手のはじも付けたままで、手のひらだけ離すんだ。>
「…こういう事?」
宏子が手のひらを上に向ける。そうすると、まるで宏子が何かを恵んでもらいたいかのような手の付け方になった。
<良いぞ。それでそのまま、両手を目位の高さまで上げるんだ。>
「…」
手を上げてみせる宏子。
<そうだ! …あはは、こりゃ最高だ! 地球人が挨拶してる、あはは、これは面白…>
「…私で遊んで楽しいかい。」
眉の吊りあがった宏子が、低い声を出しつつ男の目の前に顔を近づけていた。


腕組みをした宏子は、近所迷惑な勢いの大声をあげた。
「えええっ? つまり、あんたはずっと私に、テレパシーで語りかけていたっていう訳え?」
両頬及び後頭部に未だ残る激痛に顔をしかめながら、男が顔を上げる。
<頼むから何か言いたい時は、その内容を念じてくれ。>
「ほんとにそんなので通じるのお?」
<お前達の言葉が直接喋れないのは悪いと思っているが、こっちも時間と機材の余裕が無かったんだ。…いや、人材の余裕と言うべきかな。>
男は自分の言葉にはっとして、天井付近を見上げながら首を上下に動かした。
<いやいや、そんな事はないぞ。俺はこの辺境までやってきた勇敢な魔術師だ。それは確かに今はNKノク65の班師補でしかないが、このまま地球同胞の魔術開化を助ける事が出来たら、ついに俺にも正当な評価が>
「あー、もしもし、君、それでは今から念を送ってみようと思うんだが、良いかね?」
宏子が男の目の前に手のひらをかざす。
<ん、何だ。何のジェスチャーだ?>
「いまから、ねんを、おくるからね?」
何の意味があるのか、ゆっくりと念を押すように繰り返す宏子。

「んんんん…」
宏子は両手を組んで、目をつむりうなり声をあげだした。
<ああ、こっちに向かって念じてくれているんだな!>
男は嬉しそうに頷いた。
<一体何を念じているんだ…考えてみれば、これは記念すべき、地球人との初の直接的な意志疎通の瞬間になるんじゃないか!>
「んんんん…」
<…ああ、感じられる、何かのイメージが感じられるぞ。ん…ぼんやりしているな。言語に頼りすぎだ。もう少し意味自体のイメージを送るようにしてもらえないか。>
「…うるさいなあ…」
宏子は眉をひそめながら念を送り続ける。
<ああ、良い感じになってきたぞ! さすが魔法少女だけあって飲み込みが早いな…。ん…早く…とても…消える…>
興奮した様子で、男が受けたイメージを再構成している。
<外出する…ここより…お前……毛の無い……男…>
男の言葉が、徐々にトーンダウンする。
<…>
<…>
<…<とっととここから出てけ、このハゲ野郎。>……>
男が、宏子から受けたテレパシーを再構成して繰り返した。
「わーっ、凄い、通じてる! あんた凄いじゃん! どういうトリックなの?」
<…>
置物のように固まっている男を前に、宏子は元気良く目を見開いた。

「宏子お、今日は朝飯抜きかー?」
ドアからの女性の声に、宏子は我に返った。
「え、姉貴がもう部屋出たって事は…?」
呟きながら大きなデジタルの置き時計を見る。
「わっ、何この時間っ! もう家、出ないと! って私まだ着替えてもないじゃん!」
慌ててワードローブを開け、自分のパジャマの腰に手をかけた所で、宏子はふと振り向いた。
「ってちょっとあんたいつまでいるのよ! とっととここから出てけって…」
<…>
「…おい。おいっ!」
男の肩を叩く宏子。
<…ん、あ、何だ?>
「ふう…」
宏子は腕を組んで再び目をつむった。
<…デテケ…イマスグ…デナイト…コロス…>
<わ、分かった分かった。今は取りあえず出ていくよ。>
男は健気に微笑んで見せた。
<でも、いいか。いつでも困った時は、このステッキ…はまずいな、新しいステッキをすぐに渡すから、そっちを降れば俺はいつでも>
「いいから出てけって言ってんでしょっ!」
<……了解。>
迫る宏子に後ずさりながら、男は頷いた。

「…大体あんた、どうやってこの部屋に侵入したのよ。窓よじ登ってきたの?」
<それじゃあな、いつでも呼んでくれよ。>
男はダボダボの服の裾から携帯ゲーム機程度の大きさの物体を取り出した。左右に羽のような形の取っ手らしき物がついたそれは、中央に例のステッキの物と同じ、水晶のような透明な石がはめ込まれている。ピンクの本体と白の取っ手のその物体は、可愛らしい、というより殆どキッチュという方が近いような見た目だった。
<気律の力を、我の頭上に…>
男が何かを念じる。
<ザナ・キュディヌ・ヒオ!>
「…!」
男のテレパシーが急に意味不明なものとなり、宏子は驚いて後ずさる。男が手にしている物体の石が、青く光り出した。

シュウ、シュウウウウウン…。
ビュウウウウウウウウウウウ…
それと同時に男の周囲、十数センチの空間のみが、嵐のような激しい空気の流れに包まれる。
ビュウウウウウウウズパアアアアアアアアアン!
「…」
石の光が最高に輝くと同時に、空気が爆発したかのように周囲に吹き出し、光と共に男は跡形もなく消えた。

「…」
まだ吹いている弱い風を頬に感じながら、宏子は男の消えた所を、口を開けたままぼうっと見つめていた。
「…ん…」
宏子はふと、そのすぐそばの床に置いてあるものに気づいた。
「…だからこれいらないから、ちゃんと持ってけっつーの…」
自分が折り曲げたステッキを床から拾い上げ、一人ごちる宏子。
「って、いけない、このままじゃ美耶ともども遅刻だーっ!」


団地の2階、階段を上って、向かって左側の方の赤いドアの横にあるインターホンのボタンを宏子は押した。
「…はい、どちらさまでしょうか?」
「…」
自分の荒い呼吸を整えながら、宏子がインターホンに会釈する。
「あ、良美おばさん、佐藤なんですけど…」
「はい、おはよう。今鍵あけるわね…あら。」
「どうかしましたか?」
インターホンに向かって聞き直す宏子。
ガチャ…。
「ううん、ただ、いつもよりちょっと遅いな、と思ってね。」
美耶に顔はよく似ているが、言葉の調子や身のこなしは遥かにてきぱきとした雰囲気の大人の女性が、ドアを開けて答えた。
「え…ええ、確かに遅れましたけど…」
玄関に入りながら言う宏子。
「それじゃ、美耶をお願いね。」
微笑むと良美は廊下の奥へ消えていく。
…確かに遅れたけど…2分…。
宏子は複雑な表情で自分の腕時計に目をやった。


「へー、そうだったんだ、それは大変だったねえ。頑張った頑張った。」
「じゃ、なくてね。」
「え?」
いつもの通学路を、約2分遅れでニ人は歩いていた。
「…あー、腹減った。何か食いたい。」
「え、ひーこ朝食取ってないの? 駄目だよひーこ不摂生は体に毒だよ。」
「誰のために朝抜いたと思ってるのよ…」
「ん?」
「って別に美耶は悪くないか…悪いのはあの不法侵入青塗り男よね……どうやって消えたのかが分からないけど…」
ぶつぶつ呟き続ける、まだ多少顔色の悪い宏子。
「っていうか、大体あんたこそ毎日朝食抜いてるじゃない。」
「えー?」
美耶が、驚いているのか驚いていないのかよく分からない声をあげる。
「…でも私は、元々病気だから、大丈夫。」
美耶は自慢するように胸に手を当ててみせた。
「何だかさっぱり分からないわよ…」
「ねえ、ひーこ。昨日、無事だったの? 凄く心配したんだよ。」
「…」
宏子は美耶の急な言葉にしばらく顔を見てから答えた。
「それは…ごめん。」
自分の足下を見るかのように視線を下げる宏子。
「ひーこ。やっぱりあれって…テレビのどっきりとかじゃないような気がするんだよね。」
「…」
宏子は眉をひそめ、美耶の顔を見た。
「…じゃあ、何? まさか本当に、あれが今噂になってる「モンスター」だ、なんていう訳じゃないよね?」
「でも…ただのどっきりだったら、あんなに危ない事にはならないと思うんだけど…」
「…だからさ、私ら、2回とも、まんまと引っかかって逃げ出しちゃったりとかしたけど、本当は全部、目の錯覚かなんかなんだよ。だから別に、危なかったりとかはしないの。」
「…」
「どした?」
「ひーこ…その鞄…」
宏子は両手で、黒い鞄を持っている。学校指定の、いつも彼女が使っている鞄だ。
「ん? うん。…何か知らないけど…」
「昨日…穴が開いた奴だよね。」
「写真とか、全部そのままだから。…間違いないと思う。」
「…中身は?」
「全部ある。…教科書も、ノートも、MDも、コンパクトもナプキンも、全部…普通にあった。結構色々落としたり、少なくともノート辺りは穴も開いてたような気もしたんだけど…」
「それって…おかしいよ、やっぱり。どっきりでそんなところまで用意するなんて、聞いた事ないよ私。」
「それは…確かに、どういう仕掛けかは知らないけど…でもさ。どっきりじゃないとしたら、一体何なのよ。それ以外、考えられないじゃん。もしあれが本当に、そういうモンスターだとしたら、何で警察は動いていない訳? 警察っていうか、自衛隊とかが動いちゃっていいような事なんじゃないの? 怪獣、モンスター!みたいなさ。」
「怪獣モンスターじゃ、名前になってないと思うけどね。…何か、ひーこさあ、「これはやらせだ」って、思い込もうとしてない?」
「「怪獣だ」って思い込むのと、どっこいどっこいだと思うけど?」
「そうかもしれないけど…」
「ふう…」
宏子と美耶は、同時にため息をつく。
−確かに、こんな大掛かりなどっきりなんて、今まで聞いた事ないけど…。
宏子は昨夜起きた事を思い返した。


住宅街の、細い袋小路の道。夜だが、人家の明かりや防犯灯がそこかしこにあるので暗闇には程遠い。
そのため、宏子にはモンスターが青い光を吐いたのが嫌が応にもはっきりと見えた。
「い、いやああああああああああああああああっ!!」
宏子は泣きながらステッキを放り投げ、頭を抱えながら道に座り込む。
キイイイイイイイイイイイイン…。

すると、宏子の体全身からステッキの先から出ていた物と同じような光が溢れ出し、周囲に軽く風を起こしつつ膨張しだした。
「Ak?」
男は驚いて彼女から後ずさる。

シュウン……ボシュッ。
モンスターから放たれた直径10cmの青い光の弾はまっすぐ宏子の方向に向かい、そこで宏子の体から出ている直径3メートル以上の赤い光のバリアにぶつかると、それに飲み込まれるように消滅した。

「はあ……はあ…はあ…」
<…凄い…訓練したクザラル人でも、増幅無しでここまでの防御膜はなかなか張れないだろうに…NK200は超えているんじゃないか?>
「…消えろおおおおおっ!」
ブシュウウウウウウウン…。
宏子が手をついて立ち上がり、モンスターに向かって叫ぶ。それと同時に彼女の周囲の赤い光が一旦消え、彼女の体の前から別の光の球が現れた。その光の球は見る見るうちに大きくなり、直径2メートル程度の大きさにまでなったところで、彼女の声を追うかのように巨大な弾丸となり、モンスターの方向に向かいだした。

…ブズ、ブズズズズ…。
「…」
モンスターの「声」が、急に騒がしくなったように宏子には思えた。
シュウウウウウン…プシュウウッ。
「…えっ?」
宏子の放った光はモンスターにまとわりつくように停止し、それの全身を包み込んだかと思うと、泡がはじけとぶように消えてなくなった。
赤い光の中にいた、モンスターは跡形も無く消え去っていた。
「…」
「…」
男は宏子の魔力の強さもさる事ながら、彼女が冷静にその光景を見ているらしい事に多少驚いているようだった。
<…おい、怪我は無い…よな。あれだけ強けりゃ。それにしても驚いたぞ、予想以上の力じゃないか。これだったらまたいつ奴等が来ても…って、おい?>
「…」
無表情のまま、ゆっくりと宏子は男に顔を向ける。
「…」
そして口を開く。
<ん、何だ?>
「…」
「…」
「…ふうっ。」
<って、おいっ!>
そしてそのまま、宏子は気を失って後ろに倒れこんだ。


A-Sato Ltashofe Yde Ilne

Episode 2: Contact

カーン…カーン…カーン…。
日差しが眩しい。瀟洒な白壁の建物の、塔になっている部分から鐘の音が響く。
大きな建物の敷地内はいくつも大木が葉を広げ、その内のいくつかは、まるでつたのように建物の壁によりかかっていた。

「…うん。」
少女は眼鏡をずり上げ、ノートに書いた内容を確認して頷いた。
「ふああああ。」
ようやく終わった、といわんばかりに隣の少女が大きなあくびをした。
「…ずっと我慢してたわね。」
「当たり前だよ。9時間目なんかちゃんと起きてノート取ってるのあんたくらいだよ。」
あくびをした方の少女が首をかしげるように動かしながら答える。
「そんな訳ないでしょ。…まあ、それでもなんとか寝ないで踏みとどまっていたのは誉めてあげるけど。」
少女はそっけなく言うと、手にしていた鉛筆を筆箱にしまいだした。
「…」
「授業中に派手に寝入ったりしないでよね、隣の私まで不真面目な印象が付きかねないから。」
「…」
「…何よ。」
彼女が、ずっと黙っている少女の方を向いて言った。
「…あんた、この辺、シローレーカーが波打ってるよ。」
少女のノートにびっしり書かれた文字を、一行一行、ひとつの横線が一直線につなげている。隣の少女は、その直線の、直線になっていない一部分を指差した。
「…」
「…え、誰が不真面目だって? ホクさんや。」
無言で眉の上がっている彼女を、少女が肘でつついた。
「ナジーラ、また明日!」
「ういー。」
彼女達の後ろを通る女生徒に、少女が手を上げて答える。
ナジーラが向き直り、ノートをしまっている彼女の、後ろにまとめたお団子頭の髪をつついた。
「で、リジュワナ、今日はどうするこれから? とりあえず大学部のサ店でさあ」
「髪いじんないで。サ店は良いけど今からあなたの村行くのは嫌よ。」
「何でよ。」
本気でむっとした表情になるナジーラ。
「そりゃ、まあ。確かに君のような都会の娘にはバグジュリ村はさぞかし何も無い退屈なところに映る事でしょうよ。しかし私に言わせるなら、ダッカみたいな都会よりか私の近所の辺りの方がよっぽど」
「その通りよ。」
リジュワナが頷いた。
「バグジュリは、とっても良い所だと思う。…何も無いけど、田んぼ以外。」
「んー?」
それで、とナジーラがうながす。
「でも、ここからバグジュリに行くっていうのはリクシャ使ってダッカの中心地を横切るって事でしょ。」
「悪かったわね、私ん家、車持ってないんだからしょうがないでしょ。」
「という事は、あの人いきれと排気ガスの中をオープンエアーで行って帰ってこなきゃいけないって事なのよ、今から。ただでさえもう疲れているのに、何でそんな事を、お金を払ってしなきゃいけないのよ。」
「はあ…」
ナジーラは、毒気を抜かれたようにリジュワナを眺めた。
「人ごみが苦手、って、つくづくあんたって珍しいタイプのバングラデシュ人だよね。」
「あなた位堂々と態度の悪い女学生も珍しいでしょうけどね。」
「何言ってんだか。それはリジュワナでしょうが。しかもあんたの場合は下手に成績が良いもんだから、逆にハッサンとかの神経に触ってるんだよ。」
「それは…いい気味かもしれないわ。」
眼鏡を光らせるリジュワナ。
「…」
ナジーラはやや怯えた様子でリジュワナの方をしばらく眺める。彼女は息をついた。
「…さあ、悪人はどっちだ?」
「そうねえ…。まあ、どうせ私は、バグジュリには馴染めない西洋かぶれの都会人よ。」
「あんたが西洋かぶれだとしたら、ダッカ市民の8割位はそれ以上の西洋中毒患者になっちゃう気もするけどね。」
苦笑するナジーラ。
「で。結局来るの、来ないの?」
「行かない、ってさっきから一貫して言ってるのが分からない?」
「っだあ、頑固な奴だな。…あ、じゃあ週末の金曜は? それなら疲れてないでしょ?」
「頑固なのはどっちよ。」
ノートを鞄に片付け終えたリジュワナが、立ち上がりながらナジーラに笑った。
「そこまで言うんだったら、さぞかし面白いものがバグジュリで待ってるんでしょうね。」
「ウチの紅茶は、結構美味いよ。」
「チョッポッティは辛味が効いてるし?」
「うんうん。」
「そう。それは感動的な話ね。今まで全然知らなかったわ。」
ナジーラに向かって、リジュワナは肩を上げた。


「お呼びでしょうか。」
扉が開く。茶色の肌で、宇宙人の男と同じような服を着た人影が部屋に入ってきた。声は女性だ。
「ええ、お久しぶりですね、ジュチャ議員。お元気でしたか?」
机の人影が女性に言う。こちらの声も女性だ。
ニ人の言葉は、日本語や英語とは全く違う発音の外国語だ。敢えて言えばロシア語等に比較的近いような音だが、それともまた違う言葉らしい。
ニ人はそれぞれ、両手をつけ、お恵みを受けるようなポーズをお互いに向かってしてみせた。
「はい、お陰さまで。ブパリ議員もお変わりないようで、とても嬉しいです。」
「気遣って頂いて有難う。ジュチャ議員がお元気で、私も嬉しいです。」
「有難うございます。」
そこまでお互い言い合って、ニ人は手を戻し、顔を上げた。
「さて、お気づきでしょうが、今日はあなたに良いお知らせがあります。」
「有難うございます。」
「私達はいつも、あなたの素晴らしい業績を見てきました。高い能力を持ち、素晴らしい仕事をされていらっしゃる方には、相応の関係性が必要だと思うのです。」
「私のような者に過大な御言葉、身に余る光栄です。」
ジュチャと呼ばれた女性は、また頭を下げる。
「それで…どのような仕事なのでしょうか。やはり、例のニュースに関係したものなのですか?」
「ええ、まさに、今誰もが話題にしているあの「例のニュース」ですよ。」
「そうですか…」
ジュチャは頷く。
「一昨日、哨戒船のリタシブ号が消息を絶ったそうですね。その直前までの通信では、彼等は、宇宙空間に漂う、後光を伴った3代目シャウビと接触していた、とか…」
「…ああ、ニュースと言っても、そっちではありません。」
ブパリが手を振っている。ジュチャはかすかに首をかしげた。
「…はあ。」
「確かに私達は、神や奇跡を信じてはいますが…それとオカルトは、違うものでしょう。緑の神は、あくまで神です。それが現世に、シャウビの姿で軽々しく現れるなどというのは、一部の無知な非魔術師達の迷信でしかないでしょう。」
「…そうですね…。確かに、その通りです。…私とした事が、そのような迷信に惑わされてしまって。お恥ずかしい限りです。」
「恥じる事ではありませんよ、議員。最新のニュースに明るいというのは、素晴らしい事ではないですか。…でしたら、こちらのニュースもご存知でしょう? ついに地球に、モンスターの魔の手が忍び寄っている、という話です。」
「…」
ジュチャは顔を上げる。彼女の影はじっと立ったまま、しばらく動かない。
「…そうですか…」
「ええ。」
「つまり…新しい職場は、そちらになる訳ですね…」
「ええ。正直言いますと、私も羨ましい位ですよ、議員。観察議員として、今、これ以上のキャリアは望み得ないでしょうからね。」
「え、ええ…そうですね……本当に…」
どこか不本意そうなトーンで、ジュチャの影は、ブパリの影にゆっくりと頷いた。


−って、どういう事よ、その後の記憶まるっきり無いじゃない、どうやって部屋に戻ったのよ…。
宏子は無意識的に手を口に近づけながら、考えを巡らす。
−今のどっきりって、ここまで手を込んだ事する? …って、あんだけ人驚かせて、危ない目合わせて、最後にゃ寝起きリポートで不法侵入…芸能人でもない私が何でそこまで派手などっきりに? …そうよ、何で私がそんなのの対象になるんだろう…。
「…」
「…」
「ひーこ…」
「…えっ、つまり実はそこまで可愛いかったっていう事お?」
ふいに両手を自分の頬にあてて声をあげる宏子。
「へっ?」
「えっ…あっ、ううううん何でもない何でもない。あははは。…って、えっと、何の話してたっけ?」
宏子が上ずった声で聞く。
「いや、今から話そうとしてたんだけど。…今朝もやっぱり…街灯とか滑り台とか、木とか、全部直ってるんだね。」
「あ…」
美耶の視線の方に宏子が顔を向ける。
「本当だ…昨日の朝壊れて、帰りに来たら全部直ってて、でもその直後にまた壊れて、で、また…全部直ってる…」
宏子は街灯の柱に近づく。例によって、本来の傷だけは残り、昨日のモンスターの攻撃で出来たはずの傷は残っていない。
「ねえ、ひーこ…」
「何?」
どこか怯えた様子の声に、宏子は振り返る。
「この調子で行くとさ…また今朝も、モンスターにここで襲われたり、なんて事は…ない、よね?」
「…」
宏子はふと考え込む。
「っていうか…何でウチら、懲りもせずに毎日ここ通ってんだろ…」
深刻な表情で、彼女は腕を組みため息をついた。
<はっはっは、不思議だろう、全部公園が直ってて! ちなみに俺の部下が全部、完璧に復元したんだがな!>
ズルズルズル…ズテッ。
そしてそのまま足を滑らせ横転した。

<そりゃもう大変だったんだぞ。まあ、生命体の復元に比べれば話は楽だが、って木は生命体だから、やっぱりそれは大変だったんだが、>
「って何後付いてきてんのよっ!」
地面とキスをしていた顔面をがば、と起きあげ、宏子が遊歩道の向こうの人影に罵声をあびせる。
<…テレパシー。>
なぜか勝ち誇ったようなテレパシーを念じる男。
「ぐぬぬ…」
こぶしを握る宏子は、立ち上がり、朝と同じように目を閉じる。
<…なぜ…来た…私の…後…>
<ん? なんでお前の後を付いてきたのかって? とんでもない、正反対だ。俺はお前達の先回りをしてきたんだぞ!>
「Hap Hap Hap Hap!...Sh'ae!」
高らかに笑っていた男は、宏子の投げた石をおでこにくらって座り込んだ。
<くっ…テレパシーがつたないくせに言語によらない感情表現手段がやたらと豊富だな、ヒーコは…>
<どこで、聞いた、名前、私の。ヒーコ、違う、私の、本当の、名前。>
「ねえねえ、ひーこ。」
肩に手をかけられた宏子は、びくっとしながら横を振り返った。
「って、あんたが言ったんか!」
「…何を?」
<それ位の事は俺達で事前に調べてあるって。>
<…何が、目的、お前…>
「あの、ひーこお。」
美耶が宏子の肩を揺らす。
「ん?」
「こちらの方は…どなた?」
美耶が、まだ座り込んでいる男を、バスガイドのような物腰で指し示した。宏子は腕を組む。
「変態。」
「…」
一語で答えた宏子にあまり納得した様子を見せず、美耶は男に近づいていく。
「危ないよ美耶、昨日みたく食われるよっ!」
「私昨日、何からも食われてないよ。」
諭すように宏子に答えつつ、彼女は男の前に立って頭を下げた。
「初めまして。ひーこのお友達ですか?」
<ん…ああ、お前は彼女の友人だったよな? とりあえず、もう少し暴力的な部分を何とかするように彼女に言ってやってくれないかな?>
男はまだ頭を押さえつつ立ち上がる。
「…もしもし?」
<あ、そうだよな、テレパシーが通じる訳はないか。全く、つくづく変な話だよな? 宇宙人との初接触で、翻訳機が使えてないなんて。…あ、いや…ちょっとと待っててくれ。>
「あ、もしかして外国の方? …あー、ハロー? ナイストゥミーチュー。」
「...Chal sahgnahkesha hop.」
男は何かを言いながら人差し指を上げると、腕に付けている腕時計らしき物のスイッチに手を触れた。
「うわ…凄い。」
そこから映写機が映像を映し出すように、何も無い空中に四角い画面が現れ、見た事のない文字によるコンピューター・ウインドウが表示された。
<魔法、とても、安っぽい…>
<何言ってんだ? これはただの腕端末のバーチャルディスプレイだ、魔法なんか全然関係無いぞ?>
宏子に伝えつつ、男が画面上の文字を指で触れる。すると文字がゆっくり点滅し、しばらくしてその下に普通のローマ字が表示された。
「Enixuz.」
そこを指さす男。ローマ字は、[Hello.]と書いてあった。
「ああ、イエス! ハロー!」
うんうんと頷く美耶。
「Haroo.」
頷き返しながら、男が画面の中の一つのウインドウの上で素早く何かを入力する。角張ったその文字が点滅し、やがてさっきと同じようにその下にローマ字が表示された。
[My name is Puoelaxiik.]
「あ、ああ、イエス。ネームね。プ…プ…オエラ…ク…クス?」
「Puoehlahxi'ik.」
「ポーラヒイッ。」
男の発音を真似る美耶。
「Pu-oeh-lah-xi-ik.」
「プ・オ・ラ・ヒ・イッ。」
「Xi-ik.」
「ギ・イック。…プオラギイック。」
「Han.」
プオラギイックは頷いた。
「ハン、ハン。…あ、ミー。マイ・ネーム・イズ・ミヤ・コーダ。」
「Maihn neem...」
「ノーノーノー、えー、ミヤ。ミヤ。」
「Miyah.」
「イエス。ミヤ・コーダ。」
「Miyah Koohda.」
「イエス、イエス。」
「…」
ニ人を見つつ、宏子は手を頭の上で組みながらため息をついた。


[And I help her.]
美耶は真剣な表情で、バーチャルディスプレイ上に羅列された英語と睨めっこをしていた。
「そして私は助けます…か。えーっとだから…つまり、ひーこは魔法を使う素質があって、それをプオ…グ…クス……プオ、さんが助けているんですね。アー、アー、イェー。分かりました。」
プオラギイックに頷く美耶。
[But,]
「うー、でも英語よく分からない…。」
<あー、エウグ語は得意じゃないんだよな…。>
難しげな表情のニ人。プオラギイックは迷い迷いバーチャルディスプレイ上のタッチパネルを押す。
[But, she doesn't like it.]
「でも、彼女はそれが好きではありません…まあ、ひーこは多少意固地な所あるから…。」
[So, please help me by persuading Hiko, Miya.]
「お願い私を助けて…ひーこが…えっと…。」
眉をよせる美耶。
「えっと…ん、まあ、うん。大体アンダースタンド。オーケー!」
美耶は画面から目を離し、プオラギイックに向かい頷いた。
「Han?」
「…ハン?」
画面を操作するプオラギイック。
[Yes?]
「ああ、イエス、イエス。ハン、ハン!」
[Thank you.]
「あー、イッツ、グッド!」
プオラギイックと美耶は笑顔で頷きあった。
「…なー。いつまでこの変態に付き合ってんの? 学校遅れるよ?」
とうに飽きた様子の宏子が、美耶の背後から近寄ってきた。
「えー、ひーこ何言ってんの。今はそれどころじゃないじゃない。昨日のあれはどっきりなんかじゃなくて、本物の怖いモンスターが私達を襲ってきてたんでしょ?」
「こんな変な格好の奴の言う事なんか真に受けんなよ。」
宏子はプオラギイックの方を顎で指す。
「あ、それは失礼だよひーこ、この人がやって来た星ではこれが正装なんだから。多分。」
「だからそういうホラ話を一々真に受けるなって言ってんのよ。」
はあ、とため息をつく宏子。
「ねえ、ほんとにもう行かないと学校マジ遅れるって。」
「えー、そんなのもう全然大丈夫だよー。」
美耶はただでさえにこやかな表情をよりいっそう綻ばせて、宏子に腕時計を見せた。
「もう30分前に確定してるもん、1時間目の遅刻は。」
「…」
宏子は、一週間で何度抱いているか分からない殺意を今日も美耶に抱いた。



→Part B



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