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←Part A


「あ、えーと、ディス、ディス。ワン、ワン。イエス。ハウマッチ?」
「Es tres Pesos.」
宏子は通りのジューススタンドで、オレンジジュースの沢山入ったプラスチック容器を指差して店主の女性に聞いていた。
「え…あれ?」
相手の声が日本語にならない。宏子は自分の耳に手をやった。
耳たぶに付いているはずの、小さな機械の感触が無い。
「あれ…ヤバ、どっかで落としたのか?」
「Tres. Tres.」
女性は指三本を上げて宏子に見せる。
「え? ああ、3ペソ…って300円? 高っ! 日本よりも高いじゃん!」
声を上げる宏子。
「…アー、オーケー。…ノー・サンキュー。」
肩を落とし、宏子はスタンドから離れる。
「Oye, oye! Lo hice! Usted roba esto?」
店主の声に振り向く宏子。店主は紙コップに入れたジュースを突き出し、左手で「3」を強調してわめいていた。
「…はあ…」
宏子は深々とため息をついた。

宏子は歩行者天国になっている通りで、公共のオープンカフェのような感じで道の中央に置かれた椅子に座り、3ペソのジュースを飲みながら周囲のビルを眺めていた。
「ふう…」
頬杖をつく宏子。
−こうやってじっとしてると…眠くなるなあ。アリーザが昨日休んだのって普通の意味だったのかもなあ。私も今からでもホテルに戻りたい…けど、そしたら警備に捕まっちゃうもんなあ。…まあ、それでも説明すれば寝させてはくれるかな?
息をつき、宏子は改めて周囲を見回した。
ヨーロッパ式の石造りの、5、6階建てのビルがずっと続いている。街路樹の下にオープンスペースがいくつも用意されているが、今日は雨という事もあって、座っている人は少ない。
−悪い街じゃないんだよな。改めて見れば。春日部…は問題外として東京と比べてもよっぽど綺麗だし。初海外なんだから、もっと楽しまないとな…。
「…」
自分の手にあるジュースを宏子は見つめる。
「…はあ…」
−楽しみたいんだけどなあ。何か、頭の中をメンドクサイ事が一杯覆ってるから…蔡英に、フアンか…このままどんどん魔法が使える子が増えていくのかな…300人とか、5万人とかなったら私覚えられないな…。
「…」
−って、そういう問題じゃないわな。
自分の考えに、宏子は自分で眉を上げた。
−って、そもそも市内観光なんかしてる暇があったら、とっとと敵を倒すなり、練習するなりすりゃあ良いだろうに。
−…敵? 敵って誰?
「…モンスター…サクコブ……クザラル人…地球人…」
−私達をいつも殺そうとしてるのは…姉貴を殺したのは、サクコブっていうモンスター…。あいつらを許せるなんて訳、ない。けど、彼等が来る原因を作ったのはクザラル人なの? …って、あれ? じゃあ何で、モンスターは地球人まで襲うんだ?

宏子はパラソル越しの雨空を眺める。
「何にも分かってないんだな、私達って…。」
<何を悩んでいるんですか。>
「ひあっ!」
突然響いた念に宏子は声を上げた。
<へ? …え、フアン?>
<似合わないですよ。佐藤さんに沈んだ顔は。>
栗色の髪の毛の少年が、やや息を切らせながらにっこりと微笑んでいた。
<あ…はあ…って、わっ!>
宏子は慌ててジュースを置き、椅子から飛び上がって駆け出した。
<あ、ちょっと! 大丈夫ですよ、捕まえにきたんじゃありませんから!>
<…え?>
いつでも逃走を再開できる体勢で、宏子は軽く振り返る。
<違いますよ。僕も逃げてきたんです。蔡さんや佐藤さんと違って、僕は系の魔法をまだ上手く使えませんから、今は警備の方やテレビの方も追いかけてきてるんじゃないかと…>
<は、はあ…>
<という訳で、逃げましょう!>
<え? …ちょっと!>
フアン=カルロスは宏子の手を引いて通りを走り出した。

<あ、あの…フアン…そろそろ…走るの…やめても、良いんじゃないかな?>
<え?>
路地から路地を走り続けていたフアン=カルロスは宏子の念に振り返る。
「…あー、はあ、はあ、はあ…」
<あ、す、すいません。佐藤さんの都合も考えないで。大丈夫ですか?>
<大、丈夫だけど…ちょっと、休んで…休まして…>
<あ、はい…>
「はあ、はあ…」
フアン=カルロスの肩に手を乗せ、自分の肩を上下させながら呼吸する宏子。
「はあ…」
宏子は一つ大きく息をつくと体を戻し、細い目でフアン=カルロスに笑いかける。
<…取り合えずさ。もう、そんな簡単に追いつかれたりはしないだろうから、ゆっくり歩かない? それにまあ、捕まったら捕まったでまた市内観光続ければ良いしさ。>
<はあ…>
<っていうか…何で君まで逃げたの? 案内役がいなくなったら困るんじゃないの?>
しばらく考えて、フアン=カルロスは顔を上げる。
<…佐藤さんはどうして? 皆のリーダーなのに、どうして急に走っていったんですか?>
<だからリーダーじゃねえって。>
<さっき、蔡さんを探しているようには見えなかったですけど…>
<ん? うん。私は…何かさあ、メンドクサクて。>
<僕の案内が、詰まらなかった、って事ですか?>
<いや、それは…>
<…>
<…あはは。>
ぎこちなく笑う宏子。フアン=カルロスはうつむいた。
<すいません…僕の説明が、至らなかったばっかりに。>
宏子は慌てて首を振る。
<あ、違う、そうじゃない、そうじゃないって。ただ…今、ちょっとね。色々とこう…考え事があってさ。>
<考え事…ですか?>
フアン=カルロスは宏子を見上げた。
<ん、まあ、ちょっと、色々とね。いや、私の事はともかくとして、それよりフアンは?>
<僕は…何だか、逃げていった人達が気になって。>
<…>
<…いや、捕まえようっていうんじゃないですけど。何ていうか…逃げたらどんな感じがするのかな、っていうか…>
<あのねえ。そんな事は、別に試さなくて良いんだよ。>
宏子は苦笑いをする。
<…佐藤さん、これからどうしますか?>
<え、私? そうだな…? 何にもしてなかったんだよ、さっきはね。>
<じゃあ、何かする事があるとかじゃなくて、本当に逃げただけだったんですね。>
フアン=カルロスが苦笑を返した。
<まあね。…うーん、でもこのまま真っ直ぐホテルに戻るっていうのも何かシャクだし…>
<…あ、じゃあ佐藤さん、ここのお土産を何か買っていきませんか?>
<お土産?>
<ええ。こっちの名産品とか。そうしたら…何だろう、革製品とかかな?>
<うーん…>
念と口で唸る宏子。
<案内しますよ。名誉挽回させて下さい。今度は、さっきほど退屈じゃない…と、思いますから。>
フアン=カルロスは笑うと、通りを今度はゆっくりと歩き出した。
<う、うん…>


東洋人の少女と、彼女より一回り小さい白人の少年が、小雨の中、ショーウインドウを眺めつつ、ゆっくりと歩いている。やがてニ人はある店の前で立ち止まり、店内に入っていった。

宏子は棚に並んでいるピンク色の石で出来た置物を眺め、口を開けながら念じた。
<わー、これは綺麗じゃん。>
<ロサ・デ・リンカ、インカのバラって呼ばれる石です。こっちだと、宝石並に価値のある石ですよ。>
<へえ…私の知り合いで鳩マニアの奴がいるんだけどさ、これとか喜ぶかな?>
宏子は5cm位の小さな置物を棚から取り上げ、フアン=カルロスに見せる。
恐らく鷹か鷲をかたどったと思われる置物を前にフアン=カルロスは視線をさまよわせた。
<ええと…多分、それは鳩じゃないと思うんですが…>
<良いの良いの、鳥類だったら多分全部鳩だって判断する程度の知能の奴だから。>
<はあ…>
<これ、買っちゃおうかな?>
<ええと…一個30ペソですね。>
棚の値札にフアン=カルロスが目をやる。
<ふうん。だから日本円だと3…3000円!?>
<そうなんですか? …レートを知らないんで、円は分かりませんけど…要は、30米ドルって事なんですが。>
<だから、それって3000円だよ。た…高ぁっ!>
<買わないんですか?>
置物を棚に戻す宏子を、フアン=カルロスが不思議そうに見る。
<買える訳ないじゃん、こんなの!>
<そうですか? …でも、日本の人って確か、お金持ちなんですよね?>
<…それは、良く分からないけど、別に日本の人が全員社長っていう訳じゃないんだからさ。大体高校生って、どこの国でも貧乏してるもんなんじゃないの? たかだかこんな石ころで3000円って。…う、うーん、でも海外のお土産かあ。食い物じゃ帰るまでもつか分からないし、3000円…うーん…微妙って言えば微妙…>
宏子は顔をしかめている。
<はあ…じゃあ、こっちはどうですか? これなら5ペソですけど。>
向こうの棚を指さすフアン=カルロス。宏子はその方向に顔を向けた。
<ん…? 何これ? 碁石じゃん。>
小さな藤かごに山になって入った、ただの丸い石のかけらを眺め、宏子は念じた。
<碁…東洋風の丸い石を使ったチェス、で使う石の駒ですか。>
伝わったイメージを解析するフアン=カルロス。
<そうだけど、つまり何でもないただの石ころって事だよ。>
<ああ、なるほど。…でも、さっきの鳥と材質は同じなんですよ?>
<そりゃ、そうだけど…何の役にたつの、この石?>
<さあ…もしかしたら、その「碁」に使えるかもしれませんし…>
<…>
宏子は丸く磨かれたピンク色の石ころを一つ取り上げ、しげしげと眺める。
<ん、これ買お。>
フアン=カルロスは目をまたたかせた。
<え…本当に買うんですか?>
<うん。別に碁石としては使わないけどね。>
<でも…何に使うんですか?>
<それは…貰った方が悩めば良い事だから。>
<…ははは…>
眉間を寄せながら笑うフアン=カルロスにそう念じ、宏子は店のレジカウンターへ歩いていった。


宏子とフアン=カルロスは店から通りに出る。何時の間にか雨はやみ、空を埋める白い雲には切れ間が目立ちだしている。
<ええっ、じゃあ、翻訳機も無い状態で街中をうろうろしていたんですか!?>
<…しょうがないじゃん、気づいたら取れてたんだから。…それは、市内観光してた間は、あったんだよ?>
<はあ…じゃあ、僕の翻訳機を貸しますよ。>
<全てをスペイン語に翻訳するイヤホンがあっても、私的には余り助からないんだけどね。>
<ああ…それはそうですよね。>
<だから、その代わりフアンが通訳になってくれればね。>
<え、ええ。それは、構いませんけど。>
宏子の笑顔を見ながら、フアン=カルロスはこくこくと頷いた。
宏子は空を見上げる。
<雨、やんでるね…。これからどうしようか?>
<お土産は、もう大丈夫ですか?>
<うん。結局親と友達用に4つ買っちゃったから、もうお金も無いしね。>
<…>
<どしたの? さっきから。>
自分を見るフアン=カルロスに宏子が聞く。
<いえ…そんな風に笑うのか、と思って。>
<ん、え?>
<…あの、素敵な笑顔ですね。>
<…何、惚れた?>
<…その笑顔は、ちょっと違いますね。>
<…>
フアン=カルロスの念に瞬時にムっとした様子になる宏子。
<お父さんお母さんと、仲が良いんですか?>
歩き出すニ人。フアン=カルロスが宏子をちら、と見ながら念ずる。
<え? 悪くはないけど。何で?>
<…わざわざ、お土産、買ってるし…>
<うん…まあ、悪い訳じゃないけど…?>
<急に魔法少女になんてなったりして、何も言われませんでしたか?>
<うーん、最初は驚かれたけどね。でも、説明したら分かってくれたよ。>
笑顔で念じる宏子は、ふとフアン=カルロスの顔を見る。
<…フアン…つまり、フアンのお父さんとかお母さんが、何か言ってたりとか、するの?>
<え? ああ、そうじゃないです。いや、本当はどう思ってるのかは分かんないけど…それが神の意志なら、精一杯やってみろって言われました。>
<ふうん…>
横を歩く小柄な少年を見る宏子。
<…あ、ねえ、フアン。良かったらだけどさ。フアンの家見せてよ。こっちの人がどういう家に住んでるのかも分かるし、フアンの人となりなんかも、多少よく分かるようになるかもしれないからさ。>
<え、僕の家…ですか?>
<うん。私達さ、多分皆、長い付き合いになると思うんだ。幸か不幸かね。…だから、どうせなら仲悪いよりは仲良い方が良いじゃん?>
<え、ええ、それはそうです、けど…僕の家なんか来ても、別に楽しい物なんか一つも無いですよ?>
<それは自分はずっと住んでるからそう思うんだって。でも日本に比べたら、こっちの街並とか間違いなくずっと綺麗だからさ、私は多分楽しいと思うよ。それで、フアンが日本に来たら私の家を見せてあげるしさ。…それどころか下手したら住む事になりそうだけど。>
<あ、はあ…>
<ね?>
<いや、あの…佐藤さん。>
フアン=カルロスは口を閉じ、宏子を見つめる。
<その、すいません…家は全然汚いですから、佐藤さんに見せられるような状態じゃなくって…>
<別にそんなの気にしないって! っていうか、ウチの方が間違いなく汚いと思うよ。特にモニクの部屋ね。あれは…ま、ウチっていっても私の責任じゃ全然無いけど…。あれは。>
フアン=カルロスは首を振り、宏子の腕にすがった。
<ああ、そんなのじゃないです! もっと酷いです、絶対に! だから、本当に冗談とかじゃなくて、見せられるような状態じゃなくって!>
<は、はあ…>
宏子はフアン=カルロスの剣幕に足を止める。
<あ、その……ごめんなさい!>
頭を下げるフアン=カルロス。
<そ…別にそこまで謝んなくても、さ。あ、そうなんだ…まあ、急に押しかけようなんて言った私が無遠慮だったっていうか、ね?>
宏子は笑顔を作り、フアン=カルロスに頷きかけた。
<あ、その…ほら、多分、僕の家も警備の人とかテレビとか、絶対いると思うんですよ。だから捕まっちゃうだろうっていうのもあるし…>
<あ、そう、そうだよね。じゃあ、もうちょっと公園で暇つぶし…>

<…>
頭を下げ、宏子の足元に視線を固定していたフアン=カルロスは、ふと相手の念が響かなくなったので頭を上げた。
<…しないでも済む用事ができたね。>
手を伸ばし、軽く深呼吸をして宏子が通りの向こうを見る。
サクコブの生命体が、ゆっくり羽を揺らしながらニ人の前に浮いていた。


「Uhhhh!」
フアン=カルロスは宏子の腕にしがみついた。
<…フアン、安心して。どうせすぐ他の奴等も駆けつけてくるだろうし、フアンは取りあえず、自分を防御する事だけ考えてれば良いから。>
生命体に視線を向けたまま、宏子はフアン=カルロスの背中を軽く叩く。
<…で、でも僕も力にならないと…ひっ!>
ブシュウッ。
彼等の前に、生命体から光の弾が放たれる。それと同時に宏子は、フアン=カルロスの体を引き寄せながら右に倒れこむようによける。
シュウンッ。
一秒前まで彼等のいた所を通り過ぎていく光。
<これは雑魚かな? 一回に一発しか攻撃出来ないのかな?>
立ち上がりつつ宏子が念じる。
ブシュ、ブシュウッ。ブシュウッ。
前方に突っ込むように走り出した宏子がポケットからイハッジャを取り上げる。すぐに中央の石は光りだし、前方に現れた赤い光の弾が何度も生命体の方向に放たれる。
シュウウウウン…。
<つっ、相変わらずデカい割にすばしっこい…>
生命体は大きな体を揺らし、宏子の放った弾を器用によける。生命体は一旦急上昇し、すぐさま急降下しながら光の弾を放ってきた。
「Ahhhhhhhhhh!」
<フアンンン!>
ブズズ、ブズズズズ…。
生命体の放った光はフアン=カルロスの場所へ直進する。フアン=カルロスと光の間に干渉弾を撃つ宏子。
シュウウウウウウウウウウン…ボシュッ。
フアン=カルロスに向かっていた光は干渉弾に吸収され姿を消す。その数センチ先で、言葉も無いフアン=カルロスが膝を落とす。
<フアン、早く逃げて! そこで腰抜かしてる場合じゃないって!>
「...」
「んあ…」
思わず声を漏らす宏子。宏子はイハッジャを再び構え、一瞬両目を閉じた。
<…気律の力を我の頭上に!>
再び石から光が溢れる。目を開ける宏子は、自分が5メートル程度、空中に浮かび上がっている事を確認する。
ブズ、ブズズ…。
生命体は背後のオーラを感じたらしく、興味の対象を前方の少年から頭上の少女に移した。生命体を包む防御用の光の球が、その焦点を彼女の方向に向ける。
<ザナ…>
念じかけて、ふと宏子は周囲を見回した。
<…あれ?>
通りの遥か向こう、歩行者天国の終わっている先を車が走行しているのが、さっきまで遠目にちらちら見えていた。それがふと気付くと、車が全て停車しているように見える。
<…>
宏子は生命体に視線を戻す。生命体は宏子よりは下方、空中数十センチメートルを浮いた状態だが、こちらもどうも止まっているようだ。目に見える、あるいは気律の波動で感じられる光のゆらぎが、まるで無い。そもそもサクコブ生命体は絶えず舌を動かしているものだが、それも完全に停止している。
<…>
宏子は構えるのをやめ、ゆっくり降下して生命体の目の前、つまりフアン=カルロスの立っている路上に着陸した。
<ねえ、フアン、なんか、周りがおかしく…>
フアン=カルロスに念じかける宏子は、フアン=カルロスをもう一度見る。彼は宏子に全く反応せず、膝から崩れ落ちた体勢のまま、1ミリも動かず口を開けて生命体を見つめ続けている。
<…おーい。フアンー。聞こえるかー。>
フアン=カルロスの目の前で手を振る宏子。宏子は手をフアン=カルロスの口、鼻の前に近づけた。
「息…?」
呟く宏子。宏子は手をフアン=カルロスの胸につける。
「心臓…動いてない…」
宏子はふと、自分の胸に手をあてた。
「…動いてる…って、それは当たり前か。…これって、もしかしなくても、えっと…」
宏子は腕の端末に手を触れた。バーチャルディスプレイが宏子の前に表示される。
「だよね? やっぱ、私、時の魔法で時間の流れを抜け出したんだ? …空の魔法やったつもりだったんだけどな…?」
生命体がフアン=カルロスに数センチメートルという所まで迫っている、一見、非常に緊迫した状態の静止した光景に背を向け、宏子は画面の説明に見入る。
「まあ、いずれにしても多分、地球初の快挙か。後でジュチャに自慢しとこっと。」
ディスプレイの表示を消す宏子。
「えっと戻るのは…ウーサ・キュディヌ・ヒオ…だったよね? 時の練習なんて何度もやってないからなあ…」
呼吸を整えながら、宏子がイハッジャを前に掲げる。
「…」
宏子はふと自分の横に目を向けた。
「…戻る前に、始末つけなきゃ意味無いか。」
<フィア・ディシュー。>
宏子はおざなりな念とともにイハッジャを光らせる。
シュウウウウ…ボンッ。
宏子の光の弾はゆっくりと生命体に進み、そのまま生命体の場所で静止、やや膨らんでからシャボン玉が破裂するように消滅した。同時に体の殆どを失う生命体。
「うわ…」
球形の断面でえぐられた生命体の頭部が、不自然な形で空中に浮いている。宏子は思わず声をあげつつその断面に近づく。
「この状態だと…フアンに落っこちてくるよな。」
宏子は生命体と顔を付き合わせた状態のフアン=カルロスの肩を引き、数メートル離れた場所まで彼の体を引きずり、路上に座らせた。
<…それじゃ、戻るとしますかね。ウー…>
念じかけて、宏子はまた何かを考え出す。
「…この辺に、銭湯の男湯…無いかあ。アルゼンチンにそんなの無いよなあ。…ま、それは日本に帰ってからのお楽しみって事で…」
声に出さず、ニヤニヤ笑いで肩を揺らす宏子。
<…じゃ、戻ろっと。…気律の力を、我の頭上に。ウーサ・キュディヌ・ヒオ!>
シュウウウウウウウン…。
宏子の体を、赤い光が纏わりつくように包み込む。

ドサッ!
宏子の横で、空中に浮いた状態になっていた生命体の頭部が、地面に叩き付けられた。
シュウウウウウウウン…。
生命体の残骸は、同時にその影を薄れさせ、見る見る内にこの時空から消滅した。正確には、消滅というよりはサクコブ側でどこかへ瞬間移動させているのだろう、と宏子は思った。しかしその方法や理由は宏子には全く想像がつかない。
「Uh...Que?」
フアン=カルロスは声を上げ、辺りを見回す。
<え、あの…佐藤さん?>
<一見落着。>
急に周囲の景色が変わり、目の前の生命体も消えた。フアン=カルロスは宏子の方を見る。宏子は、手の埃を払うようなジェスチャーをしながら微笑んだ。

<…佐藤、さん…え? モンスターは? 倒したんですか?>
<佐藤さんを信じなさい。>
立ち上がるフアン=カルロス。腰に手を当てる宏子は、楽しげにウインクしてみせる。
<で、でも…今の今まで、モンスターはここ…じゃない、あそこに突進してて…というか、僕は何でここに?>
フアン=カルロスは改めて周囲を見回す。
<今さっきまでそっちにいたのに? それに、佐藤さんがモンスターを倒すところ、全然目に止まらなかったですよ?>
<そりゃそうだわ。私今、止まった時間の中にいたんだから。>
<…止まった時間?>
<ん。この時間の流れを抜け出して、一人だけ、時間の止まった世界に入り込んだの。だからフアンも、サ…モンスターも、全部止まってて。それなら倒すのは楽だし、その後でモンスターの死骸にぶつかっちゃわないように、フアンもちょっと動かさせてもらったけど。>
<そんな…事が、出来るんですか?>
自分の体を見ながら、フアン=カルロスが尋ねる。
<クザラルの魔法に時、空、系の3種類があるっていうのは、もう聞いてるよね? その内の、時は、究極的にはそういう魔法。…私も今、初めて使えたんだけどね。>
<はあ…でも、モンスターがいないって事は、本当に本当、なんですよね…。>
フアン=カルロスは驚いた顔のまま周囲を見回す。先ほどまでの光景が嘘のように、サクコブ生命体の姿は全く消えている。
<…凄いです! 佐藤さん…佐藤さんは命の恩人です!>
<…>
フアン=カルロスは宏子の手をとり、頭を下げる。やや照れくさそうにした宏子は、ふいに微笑みフアン=カルロスに念を送る。
<…今度戦う時は、フアンが恩人になってね?>
<あ、はい!>
ニ人は笑いあった。

<…じゃ。そろそろ帰ろうか。ホテルに。>
歩き出す宏子。
<…あ、傘あんなとこに投げてたね。>
宏子はふと道に放置された2つのビニール傘に目をやり、それを取りに行く。
<…あの、佐藤さん。>
<ん?>
<良かったらですけど…家…僕の家、来てくれませんか?>
<…>
傘を拾い上げる宏子が、その動きを止める。
<…良いの?>
<もちろんです。佐藤さんなら大歓迎ですよ。>
<…>
<…あ、いや、本当の事言うと…恥かしかったんです。僕は…ここじゃ、国の英雄って事になってるんですけど…僕の家は、そんな、外国の人に誇れるような所じゃないから…>
<…フアン…>
<小さくて汚い部屋なんですよ。来れば分かると思いますけど…だから、魔法少女の皆さんには、とてもじゃないけど見せられない、って…>
<…>
<でも、何でだろう、今、佐藤さんには…見て欲しいです。本当の、英雄なんかじゃない僕の本当の家を…いや、うん、今さっきの戦いで僕は何も出来なかったですから、もう佐藤さんには隠すものもないですし…>
<…フアン。>
<…あ、でもやっぱり迷惑ですよね急に? 戦闘もあった事だし、もうさすがに家出も続けちゃ駄目でしょうから、まずはホテルに>
<早く連れてって。フアンの家。>
<え? は。はい…。>
しゃがみ込み、フアン=カルロスの目線で微笑む宏子に、フアン=カルロスはやや頬を紅潮させながら頷いた。


<あ。>
<あ…>
閉じた傘を片手に、石畳を歩く二人は、曲がり角を来た所で足を止めた。
「Ahora los encontramos!」
警官達が無線に言いながら、こちらに駆け寄ってくる。思わず固まり、両手を上げる宏子。
「Oye, no somos criminales. No tenemos libertad?」
フアン=カルロスが声を上げた。
「Usted no consiguio dano, senor?」
「Usted sabe que no lo hicimos, si usted puede utilizar sus ojos.」
警官とフアン=カルロスが何やら言い合う。男達を振り切ってフアン=カルロスは先を行こうとするが、警官は首を振りながら何か言って、フアン=カルロスの前方に立ちふさがる。
<何、これ以上行くなって?>
<え、ええ、まあ…行くなっていうより、早くホテルに合流してほしいって言ってますけど。もう、すぐそこなんですよ?>
宏子の念に頷きながらフアン=カルロスが答える。向こうの角の5階建てのビルというかマンションというかに、特に警備員達が固まっている。恐らくそこがフアン=カルロスの家なのだろう、と宏子は思った。
そのビルは何十年前に建てられた物か分からない古びた石造りの物で、この通り自体、スラム等ではないがあまり綺麗な場所でもない。もっともそれはブエノスアイレス市内の他の場所に比べればという話で、日本の雑然とした街並みに慣れている宏子にはここがそんなに「恥かしい」場所なのかは余りピンと来なかった。
<…まあ、警備の人には警備の人の事情もあるんだよ。それにこっちで危ない事があったら本当に困るしさ。…家族、巻き込まれたら嫌だよね?>
<それは、そうですけど…でも、本当にすぐそこなんです。もう見えてるんですよ。それなのに結局御招待出来ないなんて…>
<良いんだよ、フアン。ここまで散歩してこれただけで満足だからさ。だからもう…>
「...No podemos ir a fomentar? Tengo algo que me olvide de tomar alli!」
フアン=カルロスは顔を前に向け、再び警官に何やら言う。首を振り、何かを答える警官。言葉は分からないものの、宏子にも警官が慇懃無礼な態度でフアン=カルロスの申し出を断っているのは見てとれた。
宏子はフアン=カルロスの肩に手をかけた。
<…フアン。もう一生帰ってこれない訳じゃないんだから。今日の所は諦めよう。もう、一回、「ここを出ます」って言ってる訳でしょ?>
<そうですけど、そういう問題じゃなくて、佐藤さんを呼びたいって…>
<私もまた来るから。だから…>
「Oye, Juan Carlos! Que tu esta haciendo?」
<あ…>
<…ん?>
向こうの角のビルの、3階の窓から女性が顔を出し、大声で何かを叫んでいる。
<あれは…>
「Desee...desee...desee, llevar a nuestra huespeda a mi hogar! Es nuestro deber para servir a una huespeda extranjera!」
フアン=カルロスは大声で言い返す。宏子と警官達は、呆気に取られた様子でフアン=カルロスを見る。
「Tu incurre en siempre equivocacion grande, mi hijo!」
「Pero, mama, pens...」
「Si es asi por que tu no vino en el tiempo de la cena?」
「Mama?」
3、40代の恰幅の良い女性が言う言葉に、フアン=カルロスは虚をつかれたような顔で聞き返す。
「Ha Ha Ha. La espera justa y cuenta con mi locro magnifico!」
女性は笑いながら窓を閉めた。
「Oh...」
<何、何の話してたの? っていうかあれ、お母さん?>
<…あ、ええ。うちの母親です。ええと…>
<何?>
<ええと…>
フアン=カルロスは熱っぽくまた何かを警官に話す。フアン=カルロスの口調に押されたか、渋々といった様子で警官が肩を上げ、何かを無線に話しだした。
<…さっき母は、今はうちに来るな、って言ったんです。>
<え、そうなの?>
<ええ、その…どうせだったら夕食時に来い、って…>
<え?>
「Espera! Su huespeda permanece aqui manana, a la derecha?」
女性の声が再び聞こえて、フアン=カルロスと宏子は顔を上げた。
「Ah, si. Pienso asi?」
答えるフアン=カルロス。
「Tu viene manana por la noche, pues bien. Tu tiene que ablandar vehiculos a partir del dia antes, tu sabe.」
「Ah, si, si tu insiste...」
窓から顔を出している母の言葉に、フアン=カルロスは口ごもりながら肩を上げる。
「Tengo que hacer el mejor para servir su novia encantadora, para...」
「Espere, espere, ella es mi colega, no dice una mentira!」
フアン=カルロスは何かに猛然と抗議しだした。
「Venido manana, mi hijo!」
「Espera!」
バタン、と再び窓が閉まる。
<…ああ、全く、一体何を考えてるんだか…>
<え…どうしたの?>
<え、あ、いや、何でもないんです。何でもないんですよ。はは、あははは。>
<はあ…>
何故か顔を赤らめているフアン=カルロスは、宏子を見上げながら念じた。
<…いや、何でも、今日じゃ料理の支度が間に合わないらしくて、明日来てくれ、って。>
<それで怒ったの?>
<いや、怒ったのはまた別で、…というか、その話は別に良いんですけど、とにかく、明日…>
フアン=カルロスは口を閉じる。
<…忙しかったら別に良いんですけど、って、魔術師は忙しいに決まってますよねえ。でも、うちの母の作るロクロは本当においしいんです。自称ブエノスアイレス一のロクロですから。>
<う、うん…じゃあ、明日また来れば良いんだ?>
フアン=カルロスの勢いに押されるように、宏子が頷く。
<はい! あの、他の皆さんも全員呼びましょう! どうせうちの母は毎回馬鹿みたいな量を作るから、その後一週間位同じ食事が続いたりするんです。ましてや、これからは一人暮らしになりますから…>
<…>
<あ、ええと…ちょっと、父親が…え、出稼ぎに行ってるんですよ、…アメリカに。>
<…そうなんだ。それじゃあ……大変だね。作った食事が食べ切れなくて。>
ほんの数秒の沈黙の後、宏子は冗談めかした表情でそう念じた。
<ええ、本当に。…いつも、多く作っちゃうんですよね。>
<じゃあ…明日は、皆でお邪魔させてもらおうかな。>
<あ、はい! お願いします!>
<お願いしますって…それはこっちが言う事じゃないかな、多分?>
<でも、お願いします…そういうのが嬉しいんです、僕も、多分母も。>
曇りのない顔で、フアン=カルロスは宏子に微笑んでみせた。


<それってさ、フアン=カルロスちゃんがひーこちゃんの事を好きだって事なんじゃないの?>
ホテルの敷地内、曇り空の下のプールサイドで、白い椅子に座っているモニク。彼女は黄色の水着の上にタオルだけ羽織った格好で、本のページに手をかけている。モニクは軽く目だけを宏子に向けてそう念じた。
<そう…? そんな事考えてもみなかったけどな? 大体、皆来てくださいって言ってるんだしさ。>
テーブルの横に立っている、同じく水着姿の宏子は、今プールからあがったばかりなのか、顔に落ちてくる水滴を手でぬぐいながら念じている。
<そんなの口実に決まってるよ。昨日も、小英ちゃんだっていなくなったのに、フアン=カルロスちゃんはずっとひーこちゃんと一緒にいたんでしょ?>
<それは、たまたまフアンが見つけたのが私だったからでしょ。>
<その後で小英ちゃんを探さなかったのは?>
<さあ、私が探す気がゼロだったから、それに合わせたのかね? 別にあいつもここに戻るって分かりきってたし、実際戻ってきたじゃん?>
<ふうん…>
<何、その目つきは。…何だ、何読んでるかと思えばまたマンガじゃん。こういうのばっか読んでるから思考回路がそういう方向に偏るんじゃないの?>
モニクは手に持っていた本をすとん、と縦に立てる。
<私はいつも魔法少女としての心構えを勉強しているんです。>
<…日本のマンガでそんな事勉強してもしょうがないじゃんよ…別に良いけどさ。とにかく、フアンは別にそういうんじゃないって。>
<プオちゃんといい、大地ちゃんといい、フアン=カルロスちゃんといい、つくづく魔性の女ですなあひーこちゃんも。ってイタっ。>
モニクの頭に軽くチョップをいれながら、宏子はプールサイドのテーブルに腰を乗せた。
<何かね。事情は全然知らないけどさ、やっぱ、色々あるらしいのよ、彼も。…何か、お父さん、今いないらしくて。本人は「アメリカに単身赴任してる」って言ってたけどね。ま、実際にそれだけなのかもしんないけど、いずれにしても今はお母さんと二人暮しらしいんだよ。それでさ、いきなり魔法があるとか変な顔色の奴に言われて、気付いたら国民的英雄かなんかにされてさ、多分ちょっとしんどいと思うんだ、男の子ったって、多分まだ中学生でしょ?>
<…>
本を横に置いたモニクは、テーブルに腰掛ける宏子の背中を見る。
<…お父さんがいないっていうのは、本当に、ただの単身赴任なのかな?>
<さあ…別にそこまで聞いてないけど…?>
宏子は振り返り、モニクの方を見る。
<…ひーこちゃんのとこも…いないよね。>
<あんた、自分の所は話さない癖に人の家庭事情は聞く気?>
<ごめん。…忘れて。>
プールを見ながら宏子が聞く。モニクは本に視線を戻しながら、念のトーンを落とした。
<ああもう、冗談だよ。ウチは全然大丈夫。>
<…>
<あ、いやまあ、大丈夫ってのは私的にはね。ウチはもうさ、すんごい前に死んじゃったのよ。まだウチがヨチヨチ歩き…はオーバーか、でも相当小さい頃にね。だからもちろん、サクコブは関係ない。ま、子不幸な父親なのは事実だけどさ。でもま、そんだけだ、要は。>
<そっか…>
<で、あんたんとこは?>
<…>
無表情に本を見たまま、モニクは沈黙する。
<…はあ、まあ良いけどね。>
<…ごめん…>
<良いって。そんなに沈まれたらこっちが罪悪感感じるでしょうが。>
<あ、ご、ごめん…>
<…モニク。>
<あ、ご…>
振り返る宏子。モニクは念を飲み込んだ。
<あ…うん。>
<…>
宏子は軽く微笑む。モニクは息をついた。
<うん。でも…思ったのはね。フアン=カルロスちゃんも…その事を知ってるのかもね…>
<ん?>
<詳しい話はもちろん知らないだろうけどね、ひーこちゃんの家も今、ニ人…四人だけど、私達を除けばニ人暮らしでしょ。だからもしそれを知ってれば、何か思う事もあるのかな、って。>
<フアンが?>
モニクは無言で頷く。
<まさか、それは考えすぎな気がするけど…ん。>
<あ。>
宏子とモニクは、自分達の腕端末に目をやった。鳴っている電子音を止めてバーチャルディスプレイを表示させるニ人。
<「敵発生、ステッキ持参で右の地図の地点まで急行の事。(蔡とフアン=カルロスは玄関に用意した車で移動。)NK推定340。油断は禁物。 JHT」 …毎日毎日律儀だねえ、サクコブ君達も。>
ディスプレイを閉じ、小走りにプールサイドを歩みだす宏子。
<でも今回の反応からすれば、多分これを潰せばしばらくは大丈夫だね。…日本に帰る時間位は。>
<何かそう言われると希望無くすな…まあ取りあえず、340なら今の私らなら何とかなるよね。>
ニ人はホテルの建物の中に駆け込んでいった。


シュウウウウウウウウウンズバアアアアアアアアン!
住宅街の通りの中央に赤い光が現れ、やがてその光が渦を巻くように風を引き起こして溢れ出す。光の中から現れた宏子は、片手にステッキを持ちながら周囲を見る。
シュウウウン、シュウウンッ。
<遅いわよ、宏子。>
すぐ手前にいたリジュワナが、空中に浮遊しているサクコブ生命体を相手に光の弾を撃っていた。隣にはアリーザとジュチャもいる。
<あ、ごめん。水着から着替えてて。モニクもすぐ来ると思う。ジュチャ、状況は?>
<良くないわ。340っていう推定は間違いだったみたい。>
ジュチャが帯状のレーザー光線のような、光の波のような物をゆっくり動かしながら宏子に答える。
<強いの?>
<多分防御は平均レベルなんだけど、攻撃が…>
シュウウウウン、ブシュウ、ブシュウッ。
<え、あ?>
<ヒア・エンティフ!>
<あ、エンティフ!>
空を飛ぶモンスターから光の弾が一つ放たれる。とそれはすぐに無数の弾に分裂し、雨のように宏子達の上に降り注いだ。防御の魔法で光のシールドを作る宏子達。
ブシュブシュブシュブシュブシュウッ…。
宏子達の全身を包む光の球に、弾がいくつも吸い込まれていく。少し離れた場所に降り注いだ「雨」は、コンクリート舗装の道に無数の穴をあけ、道を見る見る内にでこぼこにしていった。
<な、何よこいつ?>
<クザラル星では、このタイプは数回しか目撃されてないわ。でも殆どのケースで、こっちに甚大な被害が出てるの。まさか地球の環境下で使えるとは思っていなかったわ。>
シュウウウウウン、ブシュウウッ。
<ふう…>
ようやく雨から解放された宏子達。リジュワナが再びモンスターを狙いながら聞く。
<何とか出来ないの?>
<さっき言った通り、こいつは防御は弱いから、とにかく攻撃して。>
<それは良いんですが、こっちの防御ももう限界です。こんなに多数の弾を同時に浴びるなんて今まで経験していないんですから。>
<そうだけど…モンスターを消さない事には、弾も消えないわよ。>
軽くため息をつきながら、ジュチャはアリーザに答えた。
<あ、そうだ。私多分出来るよ。>
<何が?>
<倒すの。>
シュウウウウウウウウウウウウウンズバアアアアアアアアアン!
モニクが瞬間移動してきたのを横目で確認しながら、リジュワナが宏子に念じる。
<気が向いたらやってもらえる?>
<って、どうやって?>
<時間を抜け出すの。時の魔法で。>
ジュチャに答える宏子。
<時? あなた、いつからそんな事出来るようになったの? 時はあなた苦手じゃない。大体私もまだ地球では、>
<昨日から。説明は後でするから。>
宏子はステッキを自分の前に構えた。
<気律の力を、我の頭上に。…ウーサ・キュディヌ・ヒオ!>
シュウウウウウウウウウウウウウン…。
宏子のステッキから、赤い光が溢れ、糸が織られるようにそれらが宏子の体を覆っていく。周囲に巻き起こる突風。
シュウウウウウウウウンズバアアアアアアアアアアン!
やがて、光と風の勢いが頂点に達すると、その光の繭は爆発するように消滅した。

「…よしゃっ」
宏子は周囲を見回し、思わずガッツポーズを上げた。
周囲の人物、ジュチャ、リジュワナ、アリーザ、モニク、皆ちょうど自分の方を見た状態で固まっている。それどころか、道に起きた風で巻き上がっている粉塵まで静止して浮いたままだ。
「…」
宏子は思わず、近くにいたジュチャの頬に指を突いてみた。
「…」
指を放す宏子。ジュチャの頬は、不自然にへこんだままそのくぼみを保っている。
「うわ、お、面白れーっ!」
叫ぶ宏子。
「って、それはともかく…」
宏子は空を見上げる。
「昨日も戦ったばっかだし、この時空移動が相当魔力消耗してるっぽいからな…今のMKムクは…げ、もう74しか無いじゃん。」
表示させたバーチャルディスプレイを見ながら、宏子は顔を引きつらせた。
「じゃあ…手堅く内部に複数の穴を開けて…いや、それだと悪あがきでまた雨降らせられるかもしれないか。…大きめの一発で、何とか完全に消滅させるか。…でも帰る事を考えると、70全部は使う訳にはいかないし…」
胸に手を置き、息をつく宏子。宏子はふと、パンツのポケットからピンク色の小石を取り出した。
「…まあ、倒さなかったらロカラだか何だか食べられないし、やってみるしかないか。」
宏子は穏やかな笑みを漏らした。
「…」
石をしばらく眺めた後、宏子はそれを再びポケットに入れる。彼女はステッキを左手から右手に持ち替えて目をつむり、念じ始めた。
<気律の力を、我の頭上に…フィア・ディシュ!>
シュウウウウウウウウウウウウン、ブシュウウッ。
宏子の全身を包む強力な光の球が、そのままはねあがるように上へ飛んでいく。宏子は目を開き、その様子を目で追う。
直径2メートル程の光の球は、サクコブ生命体を包んで更に膨れ上がり、直径3メートル程となった。
…ブシュウッ。
そして光のシャボン玉ははじけとぶ。跡形もなく消え去る生命体。
「…」
生命体の浮上していた場所の真下まで宏子は走り寄る。空中をくまなく見渡す宏子。
どこにも生命体の残骸は見当たらない。
「…ふう。多分もう、全然力残ってないよね…表示は見ないようにしよ…」
嬉しそうな様子で、宏子は息をついた。
「ここで息絶えない内に戻るとするか…ウーサ・キュディヌ・ヒオ!」
念じる宏子の体を、再び赤い光が包み込んだ。


シュウウウウウウウウンズバアアアアアアアアアン!
宏子は眩しさにくらむ目をしばたかせながら、周囲を見渡す。
<…あ!>
リジュワナは宏子の立っていた場所から空に目を上げ、念を上げた。
<…へ?>
まだ何も分かっていない様子のモニク。
<ひろ…ええと、あ、宏子。>
ジュチャはさっきまで宏子のいた場所から回りを見回して、宏子の今いる場所に顔を向けた。
<モンスターが消えてるけど、これって…>
<任務終了って事。>
<…>
驚いて声も出ない様子のジュチャ。アリーザが空を見上げる。
<確かに。影一つ見当たらなくなりましたね。佐藤さん、さすがです。>
<もっと誉めて。何も出ないけど好きなだけ誉めて。>
アリーザは宏子に頷いた。
<そうですね。それでは佐藤さん、私が思うところ、あなたの最も素晴らしい点は>
<…ちょっと待って。…あれは、何?>

リジュワナの念に、一同は空を見上げる。
<あれは…>
<凄く上空から…モンスターの青い光の弾が、降ってきて…それが…それ、が…>
モニクは、念を途中で止めた。

どんよりとした曇り空の雲の隙間から、光の弾が漏れる。それはさっきまでモンスターがいた高度数メートルとは比較にならない遥か上空で、そこからこちらの地上に向かって落下してきている。その光は途中で、花火のように無数に分裂する。その分裂した一つ一つの光の弾が、また分裂をする。その光がまた全て、音楽の指揮に合わせるかのように同時に分裂する。
数秒の間に何度か分裂が繰り返され、今の今まで曇りだったはずのブエノスアイレスの空は、一面の青い光に覆われ、目も開けられないほどに眩しくなった。


魔法少女達は、ただ呆然とその様を見ていた。
<って、ちょ、っと、あれ、は…何よ?>
どもりどもり宏子がジュチャに聞く。
<…>
<モンスターの放った光の弾でしょうね。…それ以外無いのでは?>
アリーザが宏子に答えた。
<だって、そんな…完全にモンスターは消したはずだし、大体あんな高さから何で、>
空を覆い尽くす光の海は、更にその光度を増しながら徐々に地上に近づいてきている。
<ヒア・エンティフ!>
シュウウウウウウウウウウウウン…。
魔法を念じるリジュワナ。リジュワナの周りを紫色の光の防御膜が覆う。
<ちょっと、リジュワナ、バリアに閉じこもる前に弾を消さないと!>
<…>
無言でこちらを見るリジュワナ。
<…ひーこちゃん…こんなに増えちゃったら、もう、手遅れ…じゃないかな…>
モニクがリジュワナを代弁するかのように宏子に念じる。
<で、でも、だからって、何にもしなかったらこの街が、あ、私がもう一度時空を移動して、>
ジュチャが遮る。
<…いくらあなたでも、もう一度時間を抜け出して、そしてこっちに戻るだけの余力は無いはずよ。大体、あの量をどうやって消すの?>
<ジュチャまで! でも、だって、このままだったら、この空の下の人達が皆、私達以外全員、プオや英やフアンも皆>
<その三人ならプオラギイックで防御は出来るはずよ。>
<…あ、でも、さっきホテルでプオちゃんと小英ちゃんに会ったんだけど、フアン=カルロスちゃんは今、自宅にいるらしいんだけど…>
<ちょ、モニク、それ本当なの?>
<あ、ヒア・エンティフ!>
空のまばゆさに目を細めるモニクは、思い出したように防御の魔法を念じる。ピンク色の光に包まれるモニク。
<ちょっと、皆、まずこれを何とかしないと、フアンが、ここの人達が、この光の下は、全部>
<宏子防御して! もう来るわ!>

叫ぶように念ずるジュチャ。見上げる宏子。
「くっ!」
目を閉じる宏子。宏子の体から光が溢れる。
<…う、嘘でしょ、嘘だよね…?>


次の瞬間、彼女達の周囲の景色は沸騰したような光の大雨にさらされた。


空から、青い光の海は消え、先程までのどんよりとした曇り空にまた戻っていた。
空から普通の小雨が一本、二本と降り出す。雨はそのまま強くもならず弱くもならず、しとしとと地面を濡らし始めた。
宏子はじっと地面を見つめていた。
<…>
<…>
宏子からやや離れた所に、リジュワナがいつもの無表情で立っていた。リジュワナは空を見上げる。
<雨ね。>
<…>


宏子とリジュワナの周囲の景色は、地球のそれではなかった。
全ての人工物、植物、動物、岩や金属、考えうる全ての物が消え去っていた。残っているのはそれでも残骸として生き延びたごく一部の鉄骨や岩、肉片、そして波打ちながらひたすら地平線まで続く地面だった。
周りの景色は、茶色と灰色でのみ構成されていた。


<…もう、救援のヘリが来ているわ。待たせるのも悪いでしょ。>
<…>
宏子は顔を上げない。宏子はじっと、地面を凝視し続けている。
<…>
<…>
<…あなたが自分のせいだと思っているんなら、それは>
<分かんないよ。>
<…>
<私のせいとかそうじゃないとか、全然分かんない。でも…こんなの、こんなのは、納得出来ない…>
<…>
<私、約束したんだよ。フアンと、お母さんと、皆と、食事するって…約束したよねえ? ブエノスアイレスは、私達で守るって、…私達、ここの英雄なんでしょ? それが……それが、さあ…>
顔を上げる宏子。遥かに向こうの山脈は、昨日と同じ山並みを地平線の先に現している。
<何百万人も生きてたんだよ。ここに。それが、…あんな、たった一瞬で…あんな、訳の分かんない事で、それで、こんな…ねえリジュワナ、あんなのと戦えなんて、無茶だよ、そんなのって…>
<…宏子、>
<大丈夫、すぐにヘリに乗るから。>
宏子の方に歩み寄ろうとしたリジュワナを、宏子は手を上げて止めた。
<…少しだけ…一人にさせて。何分も待たせないから。>
<…でも…>
<大丈夫だから。一人にさせて。>
<…>
リジュワナは無言で、宏子から離れた方向へ歩き出す。一旦立ち止まりもう一度宏子の方を見るが、彼女は諦めたように息をつくと、また歩いてヘリの方へ向かった。


<…>
宏子は一人、何も無い荒地で、小雨に打たれ佇んでいた。
宏子はポケットから、ピンク色の小石を取り出し手にした。
<…>
石を持つ宏子の手が震える。
<…>
ザッ。

顔を下に向けた宏子は、無言でその小石を地面に投げつけた。

続く



Written by FML (AKA Franken).
Ver. 1.00 on 2002/8/7.

<クザラルはやっぱり信用出来ないわ…何とかして、彼等の考えている事の情報収集が出来ないかしら…>
<あ、それなら妙案があるよ! リジュワナちゃんが色仕掛けでプオちゃんに迫るの! そうすれば機密情報も次から次へと…>
<却下。他に何かいい案は…>
<取りあえずあんたのそのガン飛ばしでプオを脅かす。>
<そんな事で情報収集出来る訳ないでしょ…大体そんなに目つき悪くないわよ。>
<じゃあ、リジュワナちゃんが色仕掛けでジュチャちゃんに迫る! 濃密な女同士の色香を…>
<却下!>
<それなら、取りあえずあんたのカンフー技でプオを…>
<出来ないわよ!>
<…このように、人の思い込みは一度固まるととても強固になるのです。次回、魔法少女佐藤第10話、「魔法少女の魔法学校」。お楽しみに。>
<アリーザ、あなたは何か提案ない?>
<私ならやっぱり、ジュチャさんがホクさんに色仕掛けで…>
<意味が分からないわよ!>



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