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書類を両手に持ちながらガラス張りの通路を歩いていたバデリヌワは、前方を歩いている人影を見て顔をほころばせた。
<あ、佐藤さん、佐藤さん!>
<あ…>
後ろからの念に立ち止まる宏子。バデリヌワは小走りに通路を渡り、宏子の横までやってくる。
<ああ、バデリヌワ。今日はこれから…何すんの? その感じじゃ練習じゃないよね。>
手の書類に目を向けながら宏子が微笑む。
<ええ。今日は午前中は医療部の方の研究に協力するんです。モルモットになるんです、私。>
小柄の三つ編みの少女はそう言うと、何故か嬉しそうに笑っている。表情が疑問符に変わる宏子。
<…モルモットなの?>
<モルモットですよー。もう、思いっきり実験されちゃいますから。>
<はあ…>
<はい。…何でも、私が攻撃弾を出したり、テレパシーを使ったり、空を飛ぼうとしたり…飛べませんけど、そういった色々な魔法を使う時の脳波を調べて、純粋な地球人の方でも魔法が使えないかどうか、といった研究に役立つんだそうです。>
<…なるほどね。>
いつになく元気の良いバデリヌワの説明に、宏子は笑いながら頷いた。
<魔法を使って、魔法少女だって認められるのが嬉しい訳だ、バデリヌワは。>
<ええ、それはもう! …まあ、それがクザラル魔法協会の手術で付いただけで、自分の努力による訳じゃない、っていう事自体はあまり楽しくはありませんけど。でも、自分の力で地球の危機を救えるんだ、っていうのはとても嬉しいです。>
<でも、魔力の種はクザラル製でも、それをここまで開花させたのはバデリヌワ自身の努力なんだから。>
<あ、は、はい、ありがとうございます!>
バデリヌワは嬉しそうに頷く。
<それにしても、バデリヌワは模範的だねえ。魔術が使えるって分かった時に、まず最初に宝くじの大当たりの番号を予知してみよう、とかそういう発想には行かなかったでしょ、あんたの場合?>
<あ、はは…佐藤代表はそうだったんですか?>
顔が苦笑にかわるバデリヌワ。宏子は手を振った。
<いやあ、最初、魔術がある、ってプオとかに言われた時にそういった方向を思いつかなかったのを今でも凄く後悔してるんだけどね。>
<でも…その時は佐藤さんは、サクコブに攻撃を受けていたんでしたよね、確か。だから、それどころじゃなかったんでしょう?>
<うん。確かに自分の身を守るので精一杯だった、っていうのもあるけど、それ以上に私、自分が魔法少女とか言われるのが凄く嫌だったのね。魔女って言ったらあーた、要は、お前は他と違う異常な奴だ、って言われてるようなもんじゃない。しかも魔法だよ。この21世紀の世の中で、魔法って。>
<はあ…でも、佐藤さんの街にだって何人か呪術師位はいたでしょう?>
真顔で尋ねるバデリヌワ。
<いや…多分……そんなにたくさんはいなかったと思う。…私の街は。>
<そうですか…じゃあ、佐藤さんは今でもそうなんですか?>
<ん、何が?>
<今でも嫌ですか? 魔法少女じゃない方が良かったですか、佐藤さんは?>
<うーん…>
歩きながら、宏子は指を額にあてた。
<どうかな。もう慣れちゃってるからね。慣らされてるっていうか。…でもやっぱり、今となっては凄く憧れるな、普通の高校生の生活にさ。昔やってた馬鹿三昧の日々はもう出来ないのかと思うと、ちょっと、ね。>
<ああ…>
<選べるなら、やっぱり私は魔法少女じゃない方が嬉しかったかもしれないな。>
<そうですか…>
<代表がこんなんで、がっかりした?>
<い、いえ、そんな!>
バデリヌワは慌てて顔を上げ、首を振る。
<私もそういう事は、時々思いますから。でもやっぱり、魔法少女で良かったです、私は。毎週、月曜の朝にお父さんが電話してくれて、「地球の為に頑張れよ」って言われると、やっぱりここに来て良かったな、って思うんです。>
宏子は微笑んで念じる。
<そっか…バデリヌワのとこは、家族が知ってて応援してくれているんだったよね。>
<あ、はい。…最初は色々あったんですが、今は皆、応援してくれてます。…はい。>
バデリヌワはどこか申し訳無さそうに頷く。
<別に恐縮する事じゃないって。良いよね、一家の誇りなんでしょ? このちっこいバデリヌワ嬢が。>
<それが…実はそうでもなくてですね。>
バデリヌワは照れと苦笑の半々のような顔をみせた。
<へ、そうなの?>
<ええ、実はうちのいとこで、もっと目立ってる出世頭がいるんですよ。ちょっと年上の女の子なんですが、フランスの大学の方に留学しちゃった子がいて。>
<ええええっ。それは凄いじゃん。何の勉強してんの?>
<ええと、政治学だったかな、ジャーナリストになるための勉強だって聞きました。それでですね、今はその人、確か日本に行っているはずです。勉強を続けに。>
<へえ…日本のどこ?>
<そこまでは…どこかの大学だと思うんですけど。でも、もしかしたら代表に会った事もあるかもしれませんね。>
ニ人は通路を曲がる。
<どうかな…まあ、可能性はゼロとは言えないけど。>
困った笑顔で首をかたむける宏子。
<でもその子、昔からちょっと、変わった子で…良い子なんですよ。頭も良いし、性格も良い子なんだけど、ちょっと何て言うか、言葉遣いが…>
宏子が立ち止まる。バデリヌワは部屋のドアを見て、納得したように頷いた。
<あ、すいません。話が止まらなくって。これから会議なんですね、ここで。>
<別に謝んなくて良いって。ま、確かに今から会議なんだけどね。OTRのアンドレア君と楽しいお話し合い。>
念じながら肩を上げる宏子。バデリヌワは苦笑いする。
<佐藤さん本当に苦手なんですね、ピーターセン会長が。>
<笑顔で腹に一物かかえてるタイプは嫌いなの。OTRのピーターセンとか、魔法協会のゴーノとか、EIMのサハネイヤとか。>
さらに辛そうな苦笑になるバデリヌワ。
<ア、アリーザ魔術師は代表、毎日お見舞いに行っているじゃないですか。リハビリにも付き合ってるって聞きましたよ?>
宏子の顔が最後の一節に敏感に反応する。
<…誰から聞いたの、そんな話?>
<あ、いや、その…>
ピピッ。

宏子の腕端末が鳴る。宏子は腕端末のボタンを押した。かすかに安堵の息をもらすバデリヌワ。
「…どした。」
リチャードの声が返ってくる。それに反応してイヤホンから日本語の声が流れ出す。
「代表ですか。05の30a0さんからお電話です。」
「分かった。繋いで。」
「はい。」
しばらくして、端末自体から綺麗な日本語の声が聞こえてきた。
「…佐藤代表ですか?」
「うん。30a0さんだよね。どういうお話ですか? 今、ちょっと会議前だから、あまり時間無いんだけど…」
「そうですか。実は先日の佐藤代表の偽者の件につきましてお話がありまして、こちらとしては、出来ればこちらの方を優先して頂けるとありがたいのですが…もちろん無理にとは言いませんが。」
「…」
少し考えてから、宏子はバデリヌワに、にっと笑って見せた。
<会議逃げるナイス口実発見。>


「サクコブと考えていたのが間違いだったのです。」
黒い宇宙船の前で30a0が浮遊していた。宏子、美耶、プオラギイックがその前で立ち、それぞれの前のバーチャルディスプレイに目を向けている。
「じゃあ、…クザラル人だったのか?」
「違います。クザラル人がe828dd32を使う可能性は低いですから。」
「じゃあ…」
プオラギイックは宏子と目を合わせる。
「誰が?」
「その前にまず説明したいのですが、佐藤代表の偽者はずっと佐藤さんを演じていた訳ではありません。少なくとも一時期幸田さんに化けていたのは確認済みですし、プオラギイック副代表に化けていた可能性も低くありません。」
「…」
三人はお互いを見合う。美耶が30a0を見て口を開いた。
「私の…偽者?」
「ええ。詳しくは分かりませんが、最低一度はあなたの偽者が現れているはずです。その間は、佐藤代表は本物、つまりあなたが活動していました。本物の佐藤さんの右肩を照射機で撃ったのは、幸田さん、あなたの偽者だったはずです。」
「はずです、って言われても撃った記憶は一応あるし、良く分からないんですけど…」
美耶は宏子に目を向けながら話す。
「でも…ひーこやプオさんならともかく、私の偽者なんかいてもしょうがないと思うんだけど…EIMの正式メンバーですらない民間人になんかなったって、ねえ。」
美耶の視線に、宏子は無言で肩を上げた。
「彼等が特に幸田さんを選んだ理由は不明ですが、佐藤代表一人に化けるより、複数に化けた方が場をかきまぜやすくなるのは事実です。」
「まあ、確かに、正気の美耶が宏子をそう簡単に撃つとは思えないからな。」
「その通りです。」
30a0がプオラギイックの言葉に同意する。
後ろの黒い物体に急に穴があく。中から虫型ロボットの2匹目が現われ、摩擦音を立てながら飛んできた。
「説明はすみましたか。」
2匹の05生命体はお互いのアンテナを激しく点滅させあう。
「まだです。これから本題に入るところです。」
30a0に対するもう一匹の方…おそらく9d88なのだろう、は30a0をせかすようなトーンで破擦音を上げている。
「これだから、口頭によるコミュニケーションは非効率だと言うのです。」
「彼等のやり方です、尊重してください。」
「戦闘の時などもこのようでは、一瞬の好機を失いかねません。」
「それについてはまた後で。」
「…了解しました。」
「…」
非常に簡潔に終わる議論に呆気にとられる三人。30a0はまるで喉を整えるかのように頭部を何度か動かすと、再び三人の方に体を向けた。
「説明を続けますが、このような複雑な攪乱工作はサクコブの得意とするところではありません。むしろクザラル人等がよくやる手法です。」
「うん。…でも、クザラル人じゃないんでしょ?」
宏子の質問に答えずに30a0は質問を返した。
「佐藤代表の偽者、の遺体の検証で、何か分かった事はありましたか?」
「…いや、こちらの検死では特に変わった点は。奴は普通の地球人のDNAを持っていた。」
答えるプオラギイック。
「そうですか。ではその検死は間違いです。」
宇宙船近くに浮かんでいた9d88が口を挟む。
「…え?」
「あの偽者のDNAは…ごく簡単な偽装はされていますが、緑色生命体のものです。あの偽者は緑色生命体なのです。」
「緑色生命体…? あの、「五和経典」にある緑色生命体か? …じゃあ、本当にいるのか、そいつらは?」
「はい。もちろん。」
「でも…あれは神話上の、」
「ゴニ教徒の神話における「緑色生命体」と、私達の言っている「緑色生命体」が同一のものなのであるかどうかについては議論の余地がありますね。ただいずれにしても、現実に緑色生命体という宇宙生命体は存在します。クザラル人、サクコブ生命体共に、その事を正しく理解しているのはごく一部であると思われますが。緑色生命体の魔力が強いので、明確な記憶・記録に残らないのです。」
答える30a0。同意するように9d88が後を継ぐ。
「地球の皆さんにとって、目下の敵はサクコブであり、クザラル人であると思われがちでしょうが、彼等にはそれぞれ弱みがあり、総合的に言ってその力には限界があります。しかし、緑色生命体にそういった限界はありません。彼等の力は無尽蔵で、その魔力は他の全種族が合わさってもとても太刀打ち出来るものではないのです。」
「…」
宏子達三人はお互いを見合わせる。
「…でも、その…私の偽者がそれだった、っていうのはあんた達は分かった訳でしょ。それにそもそも、偽者の攻撃自体、何とか私達で止める事は出来た訳だし…」
「意図は分かりませんが、これが彼等の本気の攻撃でない事は確かです。」
宏子に答える9d88。30a0が続ける。
「もし彼等が本気で隠匿しようとすれば、私達もこんなに簡単にDNAを鑑定などは出来なかったでしょう。むしろ彼等は、その存在をわざと私達に知らせようとしているようにすら思えます。当然あの偽者の「攻撃」も、本気でも何でもなかった。」
「な…それって、何かの警告、とかって意味?」
「さあ、分かりませんね。彼等は私達以上に閉鎖主義ですから、何を考えているのか分かりませんし。そもそも彼等にとっては、05も地球人も干渉に値しない「下等な」生命体であると思われるのですが…。」
9d88は上下に浮遊しながら答える。続ける9d88。
「ただ言える事は、もし緑色生命体が本気で地球人や05を攻撃しようとすれば、私達はひとたまりもない、という事です。彼等の力は私達の比ではありません。魔力も、技術力も、生命力も。私達とは全ての次元が異なるのです。」
「…」
三人は9d88の言葉に、不安気に目を合わせた。


魔法少女佐藤

第19話「魔法少女とさようなら」


白茶色の少しくすんだレンガの街並みを人々が行き交う。曇り空の向こうで青い光が明滅し、黒い虫の影が姿を現した。


「ベルギー軍から緊急通報、サクコブがブリュッセル郊外に出現。現在数は4体のようです。」
タマラがヘッドセットマイクで告げる。同じ指令室内の一角に立っていた宏子は振り向き答えた。
「了解。05とOTRに至急連絡を。非魔術部隊は…2隊は用意出来るよね?」
自分のデスクに駆けつけたリチャードが、数メートル向こうの宏子に頷く。
「はい、全員起こせば5隊までは可能です。」
「そこまでは良いや。その代わり魔術師は小英以外全員。…あ、NK30以下の人は良いから。」<小英、こっちをお願い。>
途中からテレパシーに切り替えた宏子が小英の方を向く。
<大丈夫か? こっちはアリーザでも何とかなるんじゃないか?>
<未だにまともに歩けないんだから駄目。本人がリハビリやる気ないんだから、アレは。>
<…内輪の事となると手厳しいな。>
<は? 別に事実を言ってるだけでしょ。>
<はいはい。>
すまし顔で頷いてみせる小英に、宏子は何か言いたげな表情になるが、息をつくだけにとどめた。宏子はもう一度向こうに顔を向ける。
「リチャード、05とOTRに連絡出来た?」
「ええ、05は3機とも移動可能だそうです。OTRは20分以内に指定地域へ軍を派遣するそうです。…恐らくドイツからでしょう。」
「オーケー。じゃ、皆05宇宙船の前に今から2分以内に集合して!」


「4匹だけのようですから、佐藤さんなら触媒を使って比較的容易に撃退が可能でしょう。突発的な問題が起きない限り私達の勝利はほぼ確定的です。」
05宇宙船の「客間」は本来がらんとしていて殺風景な空間のはずだが、EIMのメンバー達がぎゅうぎゅうに詰め込まれて搭乗している関係上、かなり息苦しい状態になっている。
満員電車に乗っているかのように肩を隣の人とぶつけあいながら、ステッキを手にしている宏子が聞き返した。
「え? 今触媒って言わなかった?」
「ええ。佐藤さん流の言い方をするなら「生贄」です。その協力が無いと魔力増幅装置は最大限の効果を発揮出来ませんから。」
宇宙船はガタ、ガタと床を揺らす。立ったままの宏子はよろけかけながら答えた。
「だから。私達は二度と人を生贄…触媒?に使う事はしないの。私達は人殺しじゃないんだから、そんな残酷な戦い方は出来ないの。」
ブズ、ブズズ。
「ですが、触媒無しでは、失礼ながらそちらの魔力を全員分足しても恐らくサクコブ4体の撃退は困難なのではないでしょうか。一人の犠牲を惜しむ事で、何百何千という犠牲を生む事にも繋がりかねません。」
「だからって、こっちから殺すなんて事は出来ません。大体その触媒って、若い女の子にやらせるものなんでしょ?」
「御存知でしょうが、地球人やクザラル人のようなヒューマノイド型生命体の場合、年齢の若い女性がもっとも潜在的魔力を有していますから。これは右脳…クザラル人の場合は後脳ですね、の活動は、若い女性がもっとも活発だからです。」
「活発なのは良かったけど、残酷でしょ。そんな、」
ガタッ。
「そんな、生贄に若い女の子を捧げるなんてさ。」
震動によろけて壁に手をつけながら宏子が言う。
「若い女性がいけないという事であれば、それ以外の性別、年齢でもある程度は構いません。40%程度まで効果は落ちますが、サクコブ4体には何とか対処出来るでしょう。」
「そういう問題じゃなくて! とにかく、今回はそういった「触媒」は絶対に使いませんから。そっちで勝手にその辺の子を拉致ったり、「説得」したりしないでよ。その場合は私達も05との同盟を再検討しますから。良い?」
「そこまで言われるのでしたら、私達も強制は出来ません。」
30a0は一秒の間もあけずに、あっさり引き下がった。少し眉を上げる宏子。
「ですがこれで防衛が失敗した場合、私達も地球の方々との同盟を再検討させて頂きたいと思いますが、よろしいですか?」
「どうぞご勝手に。」
揺れる船内で宏子は肩を上げた。


宏子が目を開くと、彼女は雲の間近に迫る空中に浮いていた。両手にグリップを握ったまま、宏子は右手首の腕端末のボタンを押す。
「プオがD、私がB・C担当で。通信はつなぎっぱで、随時担当変更可能で行くよ。」
「了解。」
100メートル近く向こうの空中に浮いているプオラギイックが、バーチャルディスプレイ上で頷く。
シュウウウウウウウウウン…!
「来た!」
<ヒア・エンティフ!>
ステッキを目の前にかざす宏子。瞬時に宏子の体の周囲に赤い光の球が出来る。
プシュウ、プシュプシュ、プシュウッ。
<え、何、3匹こっち集中攻撃?>
4体のサクコブ生命体はそれぞれが無関係なように円を描いて回遊している。しかしその内3体までは攻撃弾を絶え間なく一点に集中させていた。
やや焦った顔のプオラギイックがディスプレイ上で喋る。
「宏子、もう念じるのが癖になってるのは分かるが何か思ったら口に出してくれ。これだけ遠いと、こっちの通信機じゃないと「聞こえ」ない。」
「あ、うん、ごめん。ちょっと…どうしたら良いの、これ。次元移動する隙も無いじゃん。」
「隙も何も、次元移動は最初から妨害フィールド張ってるから出来ないんだよ。今はもう、向こうもいつ出来てもおかしくないからな。」
「あ、そうだった。…どうしよう?」
「…まず俺が自分についてる奴を何とかするから、それまで持ちこたえてくれ。」
多少呆れた声で言うプオラギイック。あはは、と頭をかきながら宏子が答える。
「…善処します。…でも早くしてね?」
「はいはい。」

プオラギイックは画面の宏子に頷くと、米粒のように建物が立ち並ぶ景色の上で、飛行のスピードを最大限に上げた。
「…」
耳をそばだて、目を細めながらプオラギイックは自分の近くのサクコブ生命体の周囲を飛行する。その生命体だけは、回遊しながらプオラギイックに絶え間なく攻撃弾を浴びせていた。
<一体だけとはなめられてるな…>
呟きながらプオラギイックは、回っている生命体の周囲をさらに衛星のように周回し、背後に来た所で一気にサクコブとの距離を詰めた。
コツ。
プオラギイックはそのまま、生命体の背部に飛び乗るかのように足をつける。プオラギイックに気付き羽をはためかせる生命体。
<まず一つ!>
プオラギイックは自分の持っていたステッキを生命体の背中に突き立てる。プオラギイックの体の周囲の光が消え、それと同時にステッキの先端から光が溢れた。
ブズズズズ、ブズズ、ブズ…。
<フィア・ディシュ!>
生命体の体を蹴るようにして離れ、プオラギイックはすぐに防御膜を張り直す。
シュウウウウウウウウウウウン…ボンッ。
プオラギイックの攻撃した生命体は青い光の球にのまれ、脚部のわずかな残骸を落下させて消滅した。

「お見事!」
画面の宏子にプオラギイックは目を向ける。表情はまだ笑っているが、少し額に汗が浮かんでいるようだ。
「おい、大丈夫か?」
プオラギイックは空中を移動しながら宏子と3体のサクコブ生命体の方に近づいていく。
「大丈夫じゃないから早く助けてよ。この増幅装置であんたのNKだったら後一匹はいけるでしょ?」
「いや…ちょっと、厳しいな。」
端末の表示するバーチャルディスプレイ上の別ウインドウを見ながら、プオラギイックが耳を揺らした。
「防御を考えるとかなり無理がある。悪いが。」
「防御しなくたって死なないんでしょ?」
「30a0の説明聞いただろ。確かに俺達は現実にここにいる訳じゃないから攻撃弾が破裂してもその部分が消えたりはしないが、感覚接続している以上そこが消えるという感覚は止められないんだ。命に別状は起きないが、普通、軽いショック症状でしばらくは意識を失ってしまう。つまり戦闘不能になるって事だ。」
「じゃあ…えっと…」
プオラギイックが宏子から10メートル近くまで接近する。3体の生命体は意に介さないかのように旋回しながら宏子の防御膜に攻撃を続けている。
「俺はもう攻撃は無理だ。出来る事は俺がおとりになってお前が攻撃。」
「…でも、私ももう大分疲れてるから2匹しか出来ないと思うんだよね。」
「そんな所だろうな。…良いタイミングを狙って、大き目の一撃で複数のサクコブを墜としてくれ。それで2発で3体だ。」
「…あんたも簡単に言うけど…」
顔の分かるところまでお互い近づいたニ人。宏子はため息をついてみせる。プオラギイックは首を振ってうながした。
<シミュレーションした事はあるだろ。しかしこいつら、本当に俺の事は無視だな。…宏子、降下しろ。>
<え? あ。>
自分の周囲に防御魔法の光の球を保ったまま、プオラギイックは宏子のいる場所に近づいてくる。彼はそのまま、数メートル下にさがった宏子の真上、つまり今まで宏子がいた場所に移動した。
<防御の解除は出来そうか?>
<動いて。影をマークするから。ここだとBの生命体がしつこいの。っていうか、静止してると複数同時は無理だし。>
<ああ、そうだな。でもまた魔力を使うんだなそれで。>
<しょうがないでしょ。>
プオラギイックは端末を操作して念じた。
<この青線のコースで行くぞ。3、2、1。>

プオラギイックと宏子は今までいた場所から浮遊して移動する。ニ人の周囲を包囲する円は崩れるが、攻撃弾はぴったりとくっついたままだ。
<どうだ?>
プオラギイックの背後に隠れるように飛行する宏子に、プオラギイックが背を向けたまま念じる。
<解除は…たまに出来るんだけど、照準が重ならないんだもん。>
<…俺ももうもたないぞ…>
自分の端末の表示に目をやるプオラギイック。彼の念に焦りのトーンが混じる。
<分かってる。どうにかして複数が近づく瞬間を見極めるから。>
<…>
ブズズ、ブズズズズ…。
生命体は未だに宏子だけを狙っているようだが、その射程上にプオラギイックがいるため、結果としてプオラギイックの防御膜に攻撃弾の雨が降るようになっている。飛び回るプオラギイックの背後をうろちょろしながら宏子は3体を絶え間なく見るが、彼等お互いの位置はなかなか近づかない。
ニ人にそれぞれの言葉で30a0の声が聞こえてきた。
「副代表はもうMKが10以下です。これ以上は防御が効きませんので、グリップから手を離してください。」
「いや無理だ。どうせ0まで行ったって気絶するだけなんだからチャンスを」
<プオ、今すぐ離して! 早く!>
<えっ?>
<早く!>
<…>
背後からの、ちょっと頭痛がするほどの強い念に、プオラギイックは宙に浮かんだ棒から思わず両手を離した。
ブーン…。
一瞬の画像のぶれと共にプオラギイックの姿が目の前から消える。それの直前に、宏子はグリップと一緒につかんでいるステッキを前へ突き出した。
<フィアディシュ!>
シュウウウウウウウウウウウウウン、ボンッ。
<っしゃっ!>
防御膜を再び光らせた宏子は目の前の光景にガッツポーズをとった。こちらでAとCと名づけた2体の生命体が同時に攻撃弾の破裂で体の大半を失い、残った部分を落下させていく。
「はぁ…」
<残るはこいつだけ…>
額の汗をぬぐいながら、宏子は自分の周りをしつこく周回しているBの生命体を見上げた。
「佐藤代表。」
どこからともなく聞こえてくる30a0の声に宏子は眉を上げる。
「何? 今、余裕無いんだけど。」
「その事ですが、本当に、触媒は使わないのですか? もう一度だけ確かめたいのですが。」
「は? 今そんな事議論する暇なんか無いよ。使わないってもう言ってるでしょ、あと一匹なんだから、静かに見ててよ。」
ステッキを持ちつつ、自分の周りを回っている生命体に目を向けたまま宏子が答える。
「今なら、まだ間に合うのですが。佐藤さんのMKでも充分生命体Bを攻撃可能になる計算なのですが。」
「しつこいな。まさか使ってないよねえ? プオ、ちゃんと見張っといてよ、スタッフが知らない間に一人いなくなってたりしないように。」
一瞬の間ののち、30a0の声が響く。
「あくまで使わないという事で、よろしいですね?」
「うるさいな、今、防御を解除する瞬間を見極めてるんだから…。」
攻撃をやめる気配を全く見せないBを見続けながら念じる宏子。
「それでは仕方がありません。佐藤代表、今すぐグリップから手を離してください。これ以上の攻撃は、佐藤さんに危険なだけで全く無意味です。」
「はあ? 危険な事なんか最初から分かって浮いてるって。」
「そうではありません。今すぐ手を離してください。もうMKが8を切っています。後40秒ほどで佐藤さんの残有魔力はゼロになり、佐藤さんはBの攻撃を直に受けながら墜落する事になります。いくら「生命に別状は無い」と言っても、推奨出来る行為ではありません。繰り返します、今すぐ手を離してください。」
「え…?」
宏子は息をのみ自分の端末のデータ表示を見た。
「で、でも…」
「御存知の通りこのMKでは何をしても生命体には勝てません。既に浮上と防御を同時にこなすのがかなり困難になってきているはずです。これ以上は、そこにいても無意味なのです。」
冷静な音声で30a0が告げる。
「で、でも、だって! まだ一匹いるんだから、止めないと!」
空中から聞こえる声が変わった。
「…宏子、とにかく手を離せ。対策はそれから考えよう。…嫌なら今から強制的に離させるぞ。」
「プ、プオ…」
荒い呼吸で宏子は、空を悠然と飛ぶサクコブ生命体を見上げた。


「…」
EIM本部ビル内の会議室。長いテーブルに、4、50代の男性達が5、6人座っている。皆背広を着ていて、一人の黒人以外は白人のようだ。そして全員とも、怒りを抑制しているような表情を見せている。
「…」
そのテーブルに対面しているもう一つの方のテーブルに、宏子達が座っている。こちらは服装はバラバラだが、全員居心地の悪そうな表情という点で一致している。
「今回、我々の地球軍の決死の攻撃により、サクコブ生命体はオランダ北方沖20キロの北海で破壊、墜落しました。これは通常兵器のみによるもので核は使用していません。それでもコンピューター誘導による兵器の効果的な集中砲火で、何とかその息の根を止める事に成功したのです。」
テーブル中央の、やや頭のはげあがった恰幅の良い男性が英語で言う。
「しかしながら、我々が攻撃に成功するまで、実に200キロもの距離を生命体は飛行し続け、その直下の街々を破壊しつくしています。これにはアントワープとロッテルダムのかなりの部分、ハーグの一部も含まれているのです。これによる被害者の総数は現在まだはっきりしていませんが、死者だけで恐らく5万人に迫るのではないかと思われます。」
「…」
宏子は両手を額につけ、文字通り頭を抱え込んだ状態で黙っている。
EIM側のテーブルで、ただ一人普段と同じ表情の小英が、小声で独り言のように呟いた。
「…そういうの、「攻撃に成功」って言わないだろ、普通。」
「…」
喋っていた男性が、まるで後を促すかのように小英に目を向ける。無視する小英。
沈黙を嫌うように、プオラギイックが口を開いた。
「ピーターセン会長、私達も、ベストは尽くしています。ですが現状ではこれが限界なんです。強い魔力を持つ者は元々少なかった上に、今は動ける者が特に減ってしまっていて、本当に強い魔術師と呼べるのはここの代表以外は」
「いえ、別に言い訳を聞きたいという事ではありません。」
ピーターセンは笑顔を崩さずに、プオラギイックの話の腰を折った。
「そちらの事情が苦しいのはよく分かっています。ただ私達は、現状の確認をしているにすぎないのですから。」
<…だったら、単にメール送ればすむ事でしょ、顔突き合せなくても。>
顔を伏せたまま念じる宏子。軽いため息で密かに同意するプオラギイック。
横を向いたまま小英が念じる。
<って言うか、05が「魔力は無いけど私達で攻撃しますか」って聞いてきた時点で何でそれに頼らないんだ。>
<…私に聞いてんの?>
プオラギイックはアンドレアに口を開く。
「そうですか。でしたら、私達も現状は既によく理解しています。」
「本当にそうであるならよろしいのですが。最近、EIMへの支持率が各国で漸減しつつあるという事は御存知ですか? サクコブ生命体来襲以来、今に至るまで全く敵に勝てず、敗北し続けている頼りにならない集団、という評価が人々の間で徐々に強くなってきているのです。」
「…」
いつのまにか宏子は顔を上げ、ピーターセンの顔をじっと見ていた。ピーターセンは肩をすくめてみせる。
「もちろん、根も葉もないデタラメな偏見に過ぎません。私達OTRは常にEIMの皆さんのご活躍や、日々の努力を拝見し、こちらも微力ながらそれに協力していこうとしていますから、そういった評価が全くの嘘であるというのはよく分かっています。…ですが、人々の中には、まだ世の中の事を何も知らないような17歳の小娘が代表を務めている組織が本当に信用出来るのか、等といった中傷を平気でする方々もたくさんいるのです。」
「…」
宏子はまるでその言葉に同意するかのように目を下げる。少し意外そうに眉を上げて、ピーターセンはそのまま続けた。
「…世の大衆にとって、過程や正当性はそれほど重要ではないのでしょう。結局、自分達の身を守ってくれるか、くれないかが重要な訳ですからね。協力し合うもの同士、お互いそういった存在になれるよう、努力したいものですね。」
「…」
にこやかなピーターセンの声に、プオラギイック達はため息で答えた。


真新しいベッドの上で、意識の無いリジュワナが機械に繋がれたまま眠っている。その様子が、システム手帳のリフィルにペンで描かれている。
ペンを持つ手は、迷いの少ないタッチで描画の線を足し、背景を描き込みだしている。
<上手いもんだねえ。>
「きゃっ!」
背後の念にアリーザは叫び声をあげ、手にしていたシステム手帳をサインペンもろとも落とした。
<…題材はちょっとどうかと思うんだけどね。>
<…>
振り返り、後ろで頷いている宏子を見やってから、アリーザは息をついた。
<…病人を脅かさないで下さい。心臓に負担がかかります。>
自分の寝ている…正確には座っているのだが、そのベッドのシーツの上に散らばった手帳とペンをアリーザは拾う。
<あんたは病人じゃないでしょ。それにしてもあんた、絵なんか描くんだ。もう一年の付き合いになるのにそんなの初めて知ったよ。>
アリーザのベッドの横に立った宏子が楽しそうに念じる。パジャマ姿のアリーザは冷淡に首を振った。
<そうでしょうね、知らせた覚えもありませんから。…佐藤代表、お願いですから部屋に入るときはまずノックをして下さい。仮にそれが大部屋であったとしてもです。>
<…あー、ノックしないで入った場合あんたがエッチな事をしてる瞬間を目撃する事になるかもしれないしね。>
<ええ、その通りです。もしそういった時に邪魔をされたら、佐藤さんも強制的にその行為の仲間に入れますから覚悟していてください。>
目を閉じたアリーザはため息まじりにそう念じる。
<おお、怖。それにしても、教えてくれないなんて水臭いなあ。絵を描くのが趣味だったの、アリーザ?>
<別にそういう訳ではないですよ。ただ、ここでじっとしていてもする事がないので、暇つぶしをしていただけです。>
ニヤニヤしていた宏子は、ふいに真面目な表情になってアリーザを見た。
<…義足の歩行訓練は? 最近ずっとサボってるんじゃないの?>
<ええ、義足がどうもサボり気味のようで。私の方は結構やる気はあるんですけどね。>
<…>
<分かっています、つまらなかったですよ、今の答えは。>
片手を上げ、宏子の視線に答えるアリーザ。
<…私は駄目なんですよ。劣等生だから。>
<また、急に何言い出すかなこの子は。突拍子もなく。>
ベッド横に腰掛けながら宏子は肩を上げる。
<病気な訳でもなく、体自体は健康なのに一日中ベッドに寝ているんですから、間違いなく劣等生ですよ。>
<…そう、思ってるなら何で、そこから変わってこうって思わんのよ。>
アリーザは宏子の方を向いた。
<…>
アリーザはいつもの、微かに微笑をたたえた表情で宏子をしばらく見る。
<…何?>
<今は劣等生でいたいんですよ。佐藤さんなどには、後で怒られるかもしれませんが…>
<劣等生なら、怒られるのは今なんじゃないの?>
<…そうとは限りません。佐藤さんには深遠すぎて理解不能でしょうが、世の中は全て佐藤さんの判断系統並に単純であるとは限らないのです。>
肩を上げてみせるアリーザ。
<…ねえ、何で知らない内に私のほうが怒られてんの?>
<でも佐藤さん、劣等生くらい、楽な生き方は無いじゃないですか。何故私はそこから変わらないといけないんです?>
<あのう…アリーザさーん?>
<…冗談ですよ。>
アリーザは顔を横に向ける。
<いや、全然どこも冗談には聞こえなかったけど…口調も内容も…>

<…買いかぶりすぎですよ。それで今日は佐藤さんは、そのお説教にこられたんですか。リハビリしなさいって、無理矢理私の手を引っ張って立たせます?>
<いや…まあ、それもあるんだけどさ、>
顎に指をつけて、宏子は念じた。
<今日はちょっと、相談に付き合ってほしいと思って。>
アリーザは不思議だ、という風に首をかしげてみせた。
<…今日は。…それに、相談?>
<ごめんなさい。今日も。しかも相談じゃなくて愚痴です。これで良いですか。>
<それでお説教が回避されるのであれば、>
アリーザはシステム手帳の留め金を閉じる。
<お付き合いしましょう。今日はOTRですか、05ですか?>
<どっちも。>
<つまり、いつも通りだったという事ですね。>
宏子はため息をもらしつつ頷いた。
<まあね…でも、今日は特に05かな。奴等、私らの方法では自分達の安全が保証できないから、意見を変えないのであれば段階的に地球から撤退するってヌカしてた。>
<それは本気ですか?>
<プオが言うには、単にこっちにプレッシャーをかけてるだけじゃないか、って。ただ向こうが、同盟に不満を持ち出しているのは事実だけど、って言ってた。>
<それはまあ、そうでしょうね。…結局、私達地球人は、長年サクコブと向き合ってきたクザラル人と比べると、まだまだ覚悟が足りないのだと思います。人を平気でさらって手術したり、洗脳教育をしたり、そういった事を私達は毛嫌いしていますが、クザラルの人達が曲がりなりにもここまで生き延びてこられたのは、まさにそういった「努力」のお陰なのかもしれませんし。>
<…触媒使えってあんたまで言い出すの?>
<難しい問題ですね。一人を殺すのをとるか、5万人を殺すのをとるか。>
<…>
悲しそうな顔で、宏子はアリーザの顔を見たまま口をつぐんだ。
<一応断っておきますが、前者が無条件で良いと言っている訳ではありません。佐藤さんの葛藤は、私もよく分かっています。>
<05とかOTRだけじゃなくてね…私って、世界的な有名人じゃない?>
<…>
<最近ニュースを見てると、いつも私の顔写真とか、会見の時の映像とかが出てるの。で、それにかぶさるテロップが、「5万人を一声で殺した女」。>
<…>
息を深くはいてアリーザが念じる。
<昔を思い出しますね。昔っていうほど昔じゃないですが、私達が春日部にいた頃、最初、日本のテレビに「謎の魔女達」みたいな感じで取り上げられた事があったじゃないですか。>
<うん。…でも、あの時と今は全然違うよ。>
<そうですか? 確かに状況はこれでもかと言うくらい変わりましたけど、マスコミが好き勝手な事を言うという点だけは全く変化は起きていないでしょう?>
<そうかもしれないけど…それでも、違うよ。だって、あの時のニュースは全部いい加減で、嘘ばっかりだった。今は…いい加減かもしれないけど、嘘じゃないんだもん。「5万人を一声で殺した女」だ、って…それって、間違って、ないんだもん。>
<…佐藤さん。5万人殺したのはサクコブです。あなたはそれが数百万数千万になるのを押さえた側じゃないですか。間違いなんですよ、そんなテロップ。あなたは皆から感謝されこそすれ、罵られる筋合いなんて無いんです。>
<そうかな…私、自分で自信が無いんだけど…>
<それはそうでしょうね。>
あっさりと頷くアリーザ。宏子は目を向ける。
<悩むのは当然ですよ。私達は洗脳で動かされてる訳じゃない、自分達で考えて行動をしてきているんですから。…>
<…で、何?>
何かを念じかけ、考え込むように止まったアリーザを宏子が促す。
<…それで。率直な意見を言えば、非人道的であるのは分かっていますが、私は触媒を使うべきだと思います。…ですが、佐藤さんの守りたい「正義」も私はよく分かるし、佐藤さんのそういった所が好きでもあるんです。ですから、今の佐藤さんは悩んでください。悩んで、その結果出された結論に対しては、それがどっちであっても、私は何も言いません。…いえ、皆、何も言わないと思います。少なくともEIMの人間は。>
<それは…嬉しいけど、>
宏子は向こうのベッドに寝ているリジュワナを見てから、病室の窓の向こうに目を移した。
<それだけじゃ駄目なんだよ。OTRにも、05にも…世界中の人達にも分かってもらわないと、この同盟も、EIM自体も続かない…。>
<…>
宏子はアリーザを見て、首を振った。
<そんな自信無いんだよ、悪いけど。>
<…>
宏子の表情を見て息をつくアリーザ。


「…ごほ、ごほごほっ。」
アリーザが突然咳き込んで、自分の胸に手をあてた。宏子はアリーザに目を向ける。
<ん、どした?>
<別に…ちょっとむせただけです。>
<…そう。>
視線を外す宏子。
「…ごほごほ、げほっ。げほっ、かはっ、かは、ごほっ、ごほっ、けほけほっ、げほっ!」
宏子は視線を戻し、アリーザの体に手をあてた。
<ちょ、ちょっと? 大丈夫?…じゃないよね。ちょっと…医者呼ぶ?>
<大丈夫です…すぐに収まりますから。>
「ごほごほっ、ごほっ、ごほ、けほっ! ごほ、ごほ…がふっ!」
咳が立て続けに出て、アリーザの上半身が揺れる。宏子はおろおろと周囲を見回した。
「ぐほっ! ごほ、ごほっ、ごほ、が…こほっ…かはっ…はっ…」
<ほら、もう…収まりましたから。安心してください。>
苦しそうに息をつきながら、アリーザは宏子に微笑んでみせた。宏子は眉を寄せる。
<あんた…ただの怪我人でしょ? いつからそんな病人になったのよ。>
<もちろんなってませんよ。今言った通りこれは、ただむせただけですから。多分気管につばが入ったんでしょう。>
<…>
宏子は腕を組んでアリーザを見下ろした。
<絶対病気だね。普段のアリーザだったらもうちょっと巧妙なウソをつくもん。>
<…それは一本取られましたね。>
ベッドに苦しげに寝転がりながらアリーザが答える。
<大体において、こういった病室のベッドというものは、人を陰気にさせますから。健康な人間でも徐々に病人のようにさせてしまうものなんですよ。>
<あ、そう。で、本当は何なの? …>
宏子は口をあけて息を吸った。
<…まさか、リハビリとかをずっとサボっていたのも、「したくない」からじゃなくて「出来なかった」からだ、なんて言い出さないでよね。「劣等生」とそれじゃ、全然違う意味だよ、分かってる?>
<もちろん分かってますし、私の「劣等生」はそのままの意味です。私は出来ない時ははっきり出来ないと言いますよ。仮に私が病気だとして、佐藤さんに隠す理由なんて無いじゃないですか。>
<…本当に?>
<もちろん本当ですよ。…私も信用されていないんですね。やはり普段の行いでしょうか…>
やや怒った様子で、アリーザは形の良い眉をひそめた。
<そんなの関係無い! じゃあ、何だったの、今のは? 納得のいくよう説明してよ! 普通にむせたとか、ちょっと体調悪いって位で今の咳になるの?>
<…風邪ですよ。ここの空調は、ちょっと冷房がきつくて。>
<まさか、まだドラッグ続けてたりとかはしないよね?>
<…>
<…あ…>
しまった、という顔で宏子は口を開いた。
アリーザはごく普通の表情で軽く息をつく。
<…なるほど。知られていましたか。出所は…フェヨールさんですね。という事はもう随分前から御存知だったと。>
<…ごめん…>
<謝る事じゃないでしょう。いや、謝る事なのかもしれませんね…気を遣って黙っていたりなんかしないで、ちゃんと私を叱るべきだった、のかもしれませんけど。フェヨールさんがそうしたように。>
<…そうしたんだ、モニクは。>
<あの人は正義感の強い人ですから。>
アリーザは寝たまま、柔らかな微笑みを見せた。
<…アリーザ…>
<安心してください。今はもう、何にも手は出していません。コーヒーだってチョコレートだって口にしていませんから。…お茶は少し飲みますけどね。>
<なら…さっきの咳は…>
<分かりました。ちゃんと説明します。…さっきのは、ちょっとした発作なんです。>
目を閉じながら念じるアリーザ。
<それは私でも分かるよ。だから、何の発作なのか、って…>
<呼吸器系に軽い疾患があるんです。生まれつき。…今思えば、クザラル人が無理に地球人の擬態をしているからなのかもしれませんけどね。時々こういう発作が起きる事があるんですよ。でも、それ以上何かがあるという事ではないですし、別に怪我やドラッグとは無関係な事です。まあ、多少喉や心臓に負担がかかるという位で。だから別に、病気というような病気じゃないんですよ。>
<…治せないの、それ?>
<これ位なら我慢しましょう。幸田さんの発作に比べれば可愛いものですから。>
<…>
心配気に宏子はアリーザを眺める。アリーザが苦笑する。
<いつのまにか立場が逆転してるじゃないですか。今日は私が佐藤さんを慰める役じゃなかったんですか?>
<…フフッ。>
宏子はアリーザの念に、軽く息をもらした。


ビイイイイイッ、ビイイイイイッ、ビイイイイイッ。
「今度は何匹?」
EIM本部の指令室で、立ったままの宏子が自分の前のバーチャルディスプレイに目を向けていた。その横を戦闘員らしきスタッフ達が慌しく走っていく。
「今のところ6体ですね、このペースで増え続けると想像もしたくない数になりますが。」
宏子の横に立っているリチャードが答える。目を見合わせる宏子とプオラギイック。
「OTRは?」
聞くプオラギイック。
「既にインド軍の協力を取り付けて、戦闘機を向かわせているそうです。…逆に危ないだけだと思うんですけどね。」
リチャードの言葉にプオラギイックは頷く。
「そうだな。で、そのデリーっていう街はどれくらいの人口規模なんだ?」
「地球でも一、二を争う人口密集地帯です。デリー圏だけで830万人以上、ただしその外も断続的に密集地帯が続き、ガンジス川流域全体では数億に達します。」
「くっ…」
プオラギイックは呟き声を漏らす。厳しい顔で宏子が言う。
「…まあ、とにかく行かなきゃ。05の方は?」
「2機が移動可能です。ナカムラ隊を既に向かわせています。」
「そ。じゃ後は魔術師か。…って、小英はどうしてんの?」
宏子は辺りを見回す。
「さあ…」
「ったく、自分がどれだけ貴重な人間なのか分かってないんだから、あのチビッコも。」
バーチャルタッチパネルを操作する宏子。[蔡小英]の文字を宏子が押すと、通話の呼び出し音が端末のスピーカーから流れる。
…ガチャッ。
「…何だ?」
「非常時で5コールも待たせないの。」
「悪かったな。トイレにいたんだよ。でもどうせ、今日も留守番だろ?」
端末から大人びた子供の中国語が響く。
「ううん、一緒に来て。もう余裕無いからこっちも。」
言いながら、宏子はプオラギイックと頷きあった。


「遅れてごめん。今日はこれで全員だから。」
小英たちと共にシャトルベイに駆け込んできた宏子が迎え出た05生命体に言う。
「了解しました。ただちに瞬間移動の準備をします、皆さん衝撃に備えてください。」
「瞬間移動に入るまでに、今からどれくらい?」
「1分12秒ほどかかる事を想定しています。」
「そ。」
後ろの入り口がみるみる壁になっていくのを見ながら宏子が答える。
「佐藤代表。お聞きしたいのですが、今日も触媒は使われないのですか?」
「…」
宏子は一瞬絶句してから、きつい視線を30a0に向けた。
「あ、当たり前でしょ。私達はそういう事はしないってもう口が酸っぱくなる位言ったと思うんだけど。」
「前回、代表と副代表が全力で戦われた結果で、3体のサクコブ生命体しか倒す事が出来ませんでした。今回は既に7体います。現在既に、デリー市郊外を激しい勢いで破壊中です。しかも、今回彼等が現れた地域は前回の場所よりも人口密度が高く、このままでは地球人の皆さんの被害は前回の比ではなくなると思われるのですが…」
「…」
「…」
満員電車状態のシャトルベイの中で立ったまま、小英、プオラギイック、バデリヌワ達が無言で宏子を見つめている。宏子は弱々しく首を振った。
「で、でも…それでも、駄目なものは駄目…そう、決めたんだから…私達は、クザラル人じゃないんだから…地球人の、代表なんだから…」
「…」
小英は無言で宏子を見ている。隣のバデリヌワが顔を上げ、真剣な表情で宏子の方を向いた。
<…佐藤さん。私でよければ、なります。触媒に。>
「…は?」
間抜けな声を上げる宏子。
<バ、バデリヌワ?>
小英が一瞬震え、隣の少女の肩に手を置いて念じた。
<何を言ってるんだ? 宏子はそんなの使わない、って今言ったんだぞ。>
<それなら…佐藤さん、いえ、皆さんにお聞きしますが、>
バデリヌワはテレパシーから口に言葉を切り替えた。
「触媒を使う以外で何か7体を撃退する方法があるんですか? 無いんでしょう、今の私達には?」
「あのね、バデリヌワ。私も一応ここのリーダーな訳で、私がやらないって決めたら、やらないのよ。あんただって貴重な魔術師候補なんだから、簡単に死なれたら困るの。」
「バデリヌワ魔術師なら、触媒としてこれほど適当な方は他にいません。」
「…!」
30a0の声に宏子はきっとなって振り向く。
「触媒の性能としては最高級です。彼女を触媒に佐藤さん一人で、7体位は簡単に破壊出来るでしょう。それに魔術に脳が慣れていますから、うまくすればショック死しないですむ可能性もあります。」
「…」
口を開けたまま言葉の続かない宏子。小英が30a0に聞く。
「その可能性っていうのは、具体的に何パーセントなんだ?」
「4.6%です。」
「な…そんなの駄目だって! それに、どうせ死ななかったとしても脳に凄いダメージが出るに決まってるじゃん! リジュワナみたいな事になっちゃうんでしょ!?」
ガタッ。
揺れる船内で宏子はつばを飛ばす。
「そんなのは、認められません! バデリヌワも馬鹿な事言ってないで、サポートの事だけを今は考えて。」
バデリヌワはいつになく強情に口答えした。
「ですから、そのサポートの話を私はしているんじゃないですか。他に何か方法があるんですか? 無いんでしょう?」
「バデリヌワ、それ以上続けたらもうEIMクビにするよ。」
「構いません。もうこうなったら、私も好きなだけ言います。佐藤代表は弱虫です。自分が人殺しだと思いたくないのは結構ですが、そんな小さな自己満足のために何人の人の命を奪えば気が」
パシンッ。
「…」
バデリヌワは自分の頬を叩く小英を睨んだ。
「宏子は止めろって言ったんだ。」
「止めません! このまま触媒を使わなければ、また何万人、もしかしたら何十万人、何百万人という人が死ぬっていうのが分かっているんですよ? 私は」
「分かったよ、バデリヌワ。」
<宏子っ?>
小英が宏子に念じる。首を振ってみせてから、宏子は30a0に言った。
「それなら、私が触媒になる。プオと小英で攻撃するから。私なら触媒として最高級でしょ?」
<な…>
小英が息をのむ。30a0は上下に浮遊しながら破擦音を立てた。
「それは出来ません。今、佐藤代表という主力戦力を失う事は出来ません。これに関してはプオラギイック副代表、小英魔術師についても同様です。」
「そ、そんな事言ったらバデリヌワだってそうでしょっ!」
「違います。バデリヌワ魔術師は確かにNKがありますが、このレベルならEIM内でも他に25人程いますから。しかし佐藤代表のレベルは他に一人もいないのです。」
「な、そんな…」
ガタッ…。
「デリー近郊に着地しました。ハッチを開きます。」
壁に穴が開き、摂氏40度近くありそうな空気と、眩しい太陽光がデッキに入ってくる。


<宏子、さっそく攻撃の準備だ。>
宏子に念じる小英。宏子はうつむいたまま動かない。
<…宏子?>
「わ、私……私は…」
<宏子、攻撃の準備だぞ。>
小英は苛立った顔で繰り返す。うつむいている宏子。
「…私は…」
何かに気付いた表情でバデリヌワは頷き、宏子に近づいた。
「佐藤さん。認めてくれるんですよね? 一言「イエス」と言ってくれればそれで良いです、私も30a0さんも理解しますから。」
「バデリヌワ、いい加減にしないか。もうふざけている時間じゃないんだぞ。プオラギイックも何か言ったらどうなんだ?」
プオラギイックは小英を見て口を開きかけたが、ため息と共に首を上に上げた。
<何を言えっていうんだよ。気の利いた事が言えるならとっくに言ってる。>
「な…プオラギイック!?」
「それでは、バデリヌワ魔術師を触媒に使用するという事でよろしいですか、佐藤代表?」
「…」
無言の宏子。髪に隠されて宏子の表情は伺えない。
「「イエス」と言ってください!」
<おい、宏子!>
「代表、時間が無いのですが、どうされますか?」

「……」
宏子が何か口を開く。余りに微かでその声はよく聞き取れない。
そして宏子はゆっくりと、ほんの数ミリほど頭を上下に揺らした。


<ひ、宏子!>
小英がうつむいたままの宏子の両肩をつかむ。その小英の肩に、プオラギイックが手を置いた。
小英が振り向く。
<プオラギイック、>
<…代表が決めた事だ。>
<代表って、…この素人代表の決めた事は、間違ってる!>
<そうだとしても、代表の決めた事に従うんだ。ここはそういう組織だ。>
<な…>
「ありがとうございます、代表!」
笑顔で頷くバデリヌワ。

「……は…」
ドサッ。
息を漏らす宏子。小英達が宏子の方を向く。
「は…は…」
両目を濡らし赤く腫れあがらせた宏子が、膝から落ちて呆然と座り込んでいた。



→Part B



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