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<GAPが好きな私にとっては、ちょっとこれはゴテゴテしすぎている感じが。>
カチ、カチカチ。
車椅子に座ったアリーザが、指令室でマウスを操作している。隣に座り、同じモニターを見ていた美耶が思わずアリーザの顔を見た。
<…>
<何か私、おかしい事を言いましたか?>
車椅子に腰掛けているアリーザが振り向いた。
<だって…小英ちゃん辺りならともかく、アリーザちゃんの言う台詞? そんな服着ててGAP好きって言われても。>
派手な原色のブラウスを身に着けているアリーザは不思議そうに首を傾げる。
<おかしいですか? 好きですよ。良い服が気軽に安く買えるんですから、これ以上の事はありません。>
<そうだけど…アリーザちゃんのファッションって、いつ見ても「気軽」には見えないよ。…誉めてるんだけどね?>
<…はあ。誉めて頂いているのならありがたく受け取っておきますが。>
アリーザは肩を上げ、再びマウスを動かし出した。
<…ああ、このキャミソールは比較的良いかもしれません。>
モニタ上のウェブサイトの画像を見て、アリーザは嬉しそうに頷く。
<サイズが24/38…素材は何でしょうか? まあ、ポリエステルでほぼ間違いないんでしょうが…35ドルね…>
しばらく考え込んでから、アリーザは画面の[Add to cart]をクリックした。
<だから、GAPが好きって言ってる人の行動には見えないんだけど…>
<そうですか? それは、たまにはこうやって無駄遣いもしますけど、基本はカジュアルが好きですから。>
<…カジュアル?>
明らかに信じていない調子で美耶が念じる。
<それをベースにアレンジをするのが好きなんです。今日だって、着ているのはごく普通のブラウスとショートパンツですよ、おかしい所なんか別にないでしょう?
無理に探すとすれば、せいぜいこのネックレスくらい。>
アリーザは金色に光るネックレスを手にとって見せた。
<市内の秀水市場で12元の買い物です。1ドル約8元ですから…つまりドルで言うと、大体1ドル50セントですか。>
<はあ…>
<まあ、ベースがどうでも、結果として変になっているのは否定しませんけどね。>
再びPCに向かうアリーザ。
<ううん、アリーザちゃん凄くおしゃれだと思うよ。ひーこにもちょっとツメの垢を煎じて飲ませてあげたい位。>
アリーザは一瞬ギョッとした顔つきになるが、すぐに頷く。
<…ああ、見習わせたいという意味なんですね。…それにしても、なかなか愉快な例え方ですね。>
<え? ああ…>
<誉めて頂けるのは嬉しいんですが、この体じゃ好きに夜遊びも出来ませんしね…>
<それは、リハビリサボってるからでしょ? 別に体が動かないって訳じゃないんだから、ちゃんと訓練すれば義足でも歩けるようになるのに。車椅子も、杖も無しで。>
<何ですか。幸田さん、あなたまで佐藤さんの肩を持ちますか。>
<そういう訳じゃないけど…>
−どこまでがふざけてて、どこからが本気の抗議なのか分からないんだよ、この人…。
美耶はやや疲れた顔で息をついた。
<嫌ですよ。今こうやって、義手義足を体につけているだけでも重っ苦しいというのに。大体この体じゃ、男を誘っても裸にもなれやしない。>
<…>
アリーザはちら、と美耶の表情を見て眉を上げた。
<…ああ、すいません。こういう話題は苦手でしたか。>
<あ、ん、苦手、って訳じゃないけど……ごめん、苦手。>
<ホクさんのようにそれが理由でお説教になったりするのでなければ構いませんよ。>
アリーザは笑う。
<佐藤さんも苦手ですよね。クザラル人じゃあるまいし、無理に忌避するような事ではないと思うんですが…>
<え、嘘? ひーこはそういうの大得意だと思うけど? …いや、全部はったりだとは思うけどね。>
<何だかその言い方だと、まるで私ははったりではないような評価に…>
念じかけてアリーザはテレパシーを止めた。
<そういえば、佐藤さんは今日も自室にこもりきりですか?>
<え、うん…でも確か、アリーザちゃんとは話してるんでしょ、ひーこ。>
<…今現在私の偽者がいるのなら話は別ですが…誰からその話は聞きました?>
<え、アリーザちゃんひーこと話してない?>
<インド防衛から帰ってきた以降は。>
首を振るアリーザ。
<あれ…プオさんはそうじゃないかって言ってたんだけど…>
<私はむしろ幸田さんとは話しているんじゃないかと思っていましたが…その調子だとそういう事でもなさそうですね。>
<うん…で、プオさんとも話していない。>
<…>
左腕はだらんと下げたまま、アリーザは右手を頬につける。
<それだと…>
<…小英ちゃんは? 確か、HNK日本支部に居候してた時ひーことルームメイトだったんでしょ?>
<元々あのニ人は、余りそりが合ってはいませんでしたから。>
苦笑するアリーザ。
<仲が悪いとも言えませんけどね。でも、蔡さんが懐いていたのは元々佐藤さんではなく…>
アリーザは美耶の顔を見た。
<…どうしました。>
<ニュース。これ、見て。>
<…>
アリーザ達の前のパソコンの横に、小さな液晶テレビのモニタがあり、CNNの映像が流しっぱなしになっている。キャスターが慌しい様子で言葉を繰り返す。
「もう一度お伝えします。先程、UNCED、国連地球防衛委員会は、北京合意書を破棄するよう、地球軍に勧告しました。恐らく地球軍は、今日中にこれに従う旨の発表を行うものと思われます。これは、事実上地球人と05グループとの同盟関係が白紙に戻されたという事を意味しています。この発表について、現在ホワイトハウスは…」
<…>
美耶とアリーザは目を見合わせた。
<…というか、北京合意書というのは05とEIMの合意でしょう? それを第三者である地球軍が破棄するって、意味不明なんですが…>
女性のニュースキャスターはスタッフの指示に頷き、カメラ目線で言葉を続ける。
「…ええ、只今、ニューヨークと中継が繋がっているようです。モリーさん、そちらにはどういった情報が入っていますか?」
画面が2分割される。ニューヨークの中継の方は、どこかの一室から行われているようだ。
「私達にはさきほど、OTRの広報担当者から緊急会見があるという通知がありまして、報道関係者がこちらに集められました。会見は時間をあけず、今すぐに始まるという事だそうです。」
「今、モリーさんはOTR本部にいる訳ですね。…会見の具体的な内容は分かりますか? やはり、今のUNCEDの勧告に対応したものと見て良いのでしょうか?」
「このような緊急の会見は異例ですので、何か特別な内容である事は間違いないと思われます。現在こちらの記者会見室には、クザラル星の独立系メディアを含め各国の取材陣が集まり関係者の登場を…あ、関係者が現れたようです!」
部屋のドアから、ぞろぞろと関係者らしき人々が入ってくる。殆どは背広姿の地球人だが、若干それ以外の服装も混じっているようだ。
<って、あれは…!>
<…どこかで見覚えのあるシオブラル・エウグ人とフランス人ですね。…まだ生きていたんですね、二人とも。>
右手を額にあてながら念じるアリーザ。ふと美耶は自分の周囲を見回す。
EIMのメンバー達はみな呆気にとられた様子で、近くのテレビモニタに目を向けている。
<…>
視線を画面に戻す美耶。
ジュチャとモニクを含めた一同は着席し、フラッシュの嵐の中、中央のピーターセンOTR会長が口を開いた。
「本日5月28日をもちまして、地球抵抗者同盟、及びその傘下組織は先の地球解放運動・独立機器0005d893グループ間で結ばれた北京合意書への支持を停止します。」
フラッシュが一段と激しくたかれる。ピーターセンは続ける。
「これは、各国政府、及び先程のUNCED決議を受け、慎重な討議の結果、やむなく決定したものです。」
<…さきほどのUNCEDの発表から1分も経っていないというのに、随分迅速に「慎重な討議」をされたんでしょうね。>
念じるアリーザ。美耶は苦笑いを返す。
「私達地球人は、急に宇宙の荒波に放り込まれた赤ん坊です。しかも、周りの宇宙人達は皆魔法を持っている。そういった中で生き残っていくのは確かに困難な事です。」
カメラはピーターセンにズームインしていく。
「ですが、そういった中でも、私達、地球抵抗者同盟は、ヒトとして生き残りたいと常に考えています。人間としての誇りをもち、人道を重んじ、自由を愛します。ムシの奴隷として、古代アステカ人のように原始的に生贄を捧げる姿は、私達理性ある地球人の求めていた独立とは違うはずです。」
<汚らわしい…戦果をあげるようにグチグチ文句を言い続けていたのはどこの誰の口だって言うんですか…>
アリーザの目が細められる。
「理性ある地球人を代表し、地球抵抗者同盟は、クザラル魔法協会との関係回復をここに宣言します。」
<…>
<嘘…>
呟く美耶。
ピーターセンは続ける。
「地球人に魔術を紹介し、サクコブの攻撃から守ってきた紳士淑女が誰だったのか、私達はもう一度考えてみるべきなのです。EIMがHYIを中傷していた際に、何一つ具体的な証拠など持っていなかったという事を思い出して頂きたい。彼等は最初から、05、つまりサクコブ一派の洗脳を受け、クザラル人を地球から追い出すために養成された地球人部隊だった、という仮説を想定するのは、ごく自然な事なのではないでしょうか。」
フラッシュがたかれる中、ピーターセンは隣の隣の隣に座っている少女に微笑みかけた。
「更に私達はここで、私達、地球抵抗者同盟は新たな指導者を迎え入れるという事もお伝えしたい。彼女はクザラル魔法協会に在籍している唯一の地球人であり、魔術師としてこれまで、地球独立のために孤軍奮闘されてきました。本日付けで地球抵抗者同盟は、彼女、モニク・フェヨール魔術師を新たな顧問として迎え入れる事を宣言します。」
ピーターセンとモニクは立ち上がり、握手を交わしてみせた。
<…>
それに合わせるかのようにアリーザは車椅子をバックさせた。
<どうしたの、アリーザちゃん、>
<幸田さん、>
「それではさっそく、私達の新たな顧問であるモニク魔術師の方からコメントをお願いしたいと思います。それではお願いします、マドモワゼル。」
「ありがとう。...J'etais a la Kzaralie pendant un moment, mais...」
<ああ、アリーザと美耶はここだったか。>
走って来たプオラギイックが、彼女達の背後まで来て立ち止まった。顔を上げる美耶。
<どうしたんですか?>
<今そこで見てたんだろ? OTR、そのバックのUNCEDは北京合意への不支持を打ち出した。もう俺達は彼等にとって敵なんだ。このビル内のOTRの事務所に通信しようとしているが、全く繋がらない。ロナルドは今しがた、こちらにOTRの部隊が向かっていると通信してきた。>
<そんな…>
<どうされるんですか? 抵抗してここを死守しますか?>
プオラギイックはアリーザに首を上げる。
<お前なら分かってるだろうがそれは無理だ。奴等、ここ数日の間に準備を進めていたんだろう。既に魔術反応がかなり出ている。…「彼等」はOTRと言うよりは、OTRに取り入ったHYIなんだ。今の俺達じゃ勝負にならない。>
<…触媒を使えば…>
呟くようにアリーザが念じる。
<何人使うんだ? サクコブと違ってあいつらはその気になれば延々とここを攻めてこられるんだぞ。今は地球マスコミとその視聴者も向こうが味方につけてるしな。大体、同じ地球人の、それも同じビルの同居人を相手に生贄を使ってまで喧嘩か?
…それは、馬鹿馬鹿しい、という以前にビルが壊れるぞ。>
<それはそうですね。>
頷くアリーザ。美耶が顔を上げる。
<あ、でも、非魔術戦闘員なら私達も魔法協会と互角かも…。>
<その戦闘員もOTRと地球軍から見ればただの素人集団ですよ。>
<あ…>
<つまり総合的に言うと…尻尾をまいて逃げるしかない、という事ですね。>
アリーザは車椅子の車輪を動かし、車椅子の方向を回転させた。
<瞬間移動は出来ますか?>
<この周辺は既に防御魔法がかけられている。>
首を上げるプオラギイック。
<じゃあ…逃げる事すら出来ずに降参ですか?>
<いや、まだ俺には友人がいる。>
テレビ画面上では、モニクが自分の演説を読み上げている。
「私は自分の能力の限界をよく承知しています。いくら魔術が出来ると言っても、私はまだ子供に過ぎません。以前地球軍のお世話になった時と同様、私はあくまで、魔術における指揮役に専念し、地球人の独立運動自体は現執行部の方々にお任せするつもりです。たまたま魔力を持って生まれてきたというだけの人が、力のある政治団体等を指揮するというような事は、民主主義に反した行為だと私は考えます。組織のリーダーは、人々が自分達の意思で選択した方がなるべきなのです。…例えばここの、ピーターセン会長のように。」
<…>
暗い室内でベッドに寝転がったまま、宏子は虚空を見つめていた。
机のバーチャルディスプレイ上に地球のテレビの画面が映っているが、それを気にしている様子は宏子にはない。それどころか、付いている事に気付いてもいなさそうな無表情で、宏子はじっと横向きに寝たまま動かないでいる。
ガン、ガンッ。
部屋のドアが何度か激しく揺れる。しかしそれはすぐに静かになった。
<…>
目は開けてはいるが、まるで眠っているかのように宏子はじっとしている。
…ボンッ。
ドアから小さな光が漏れる。破裂音と共に鍵の部分が消滅する。
バタンッ。
そしてドアが倒され、荒い息のプオラギイックが現れた。
<おい、宏子?>
プオラギイックは宏子の部屋に上がり込む。
「ライト。」
ピピ。
プオラギイックの声に反応して部屋の明かりがつく。プオラギイックはベッドに寝ている宏子を見つけた。
<おい、宏子、敵襲だ。OTRが寝返ってここを占拠しようとしている。>
<…>
宏子は横を向いたままだ。
<…おい、宏子! 聞こえてるか!?>
宏子はようやくプオラギイックの方に目を向ける。
<…聞こえてるよ。…そんな大声のテレパシー出さなくても。>
そして独り言のように弱く念じた。
<…>
<…そうか。じゃあ、逃げるぞ。残念ながら今の俺達では対抗出来そうにない。…立てるよな?>
<…>
<おい、宏子!>
寝転んでテレビモニタに目を向けたままの宏子。プオラギイックは宏子の肩を抱き上げて、彼女を無理矢理立たせた。
<歩けるな?>
<プオ…>
<何だ?>
<あれ…小英だよね?>
<え?>
宏子の視線を追い、机の上のバーチャルディスプレイを見るプオラギイック。ニューヨークのOTR本部会見室で、ピーターセンやモニクやジュチャの後ろに、線の細い見慣れた少女の顔が見え隠れしている。
<…>
眉を寄せて画面に見入るプオラギイック。
<ほら…小英じゃん。あれ、小英だよ? ねえ。>
指差しながら宏子は呟くように念じる。プオラギイックは我に返り、通路の方に目を向けてから宏子に念じた。
<今はそんな事は良い。もう時間が無いんだ宏子、行くぞ!>
ビイイン、ビイイイインッ。
「くっ!」
宏子を引っ張って歩き出そうとしたプオラギイックの前を、照射線の光がかすめた。舌打ちをするプオラギイック。
「ほら、皆急いで! エブリワン、クイック! クイイイイック!」
どうやったのか、通路の壁に穴が開き、そこにぴったり付く形で05の宇宙船がハッチを開いて待機している。既に宇宙船内に乗り込んでいる美耶が、片足だけをビル側に踏み出し、通路のメンバー達に叫ぶ。
「クイック! クイイイック!」
ビイイインッ!
「うあああああっ!」
「きゃっ!」
既にすぐそこの角までやってきているOTRの戦闘員が、こちらに向かって照射機を撃つ。それにあたり、美耶の目の前まで走ってきたEIM戦闘員の男性が倒れこんだ。
ビイイイン、ビイインッッ。
「うわっ」「があっ!」
彼を狙撃した向こうの角のニ人のOTR戦闘員が、逆にこちらからの照射線に撃たれて倒れ込み、動かなくなる。
「全員退却だっ!」
彼等を撃った男は英語で叫びながら、もう一人のEIM戦闘員と一緒になって、寝ている女性を壁の穴、つまり美耶が立っている船の入り口まで運んできた。
「あ、リチャードさん。リジュワナちゃんを運んできたんですか?」
「魔術師は私達にとって貴重ですから、例え意識の無い状態でも。」
ハッチの中に入ったリチャードは汗をぬぐいながら美耶に答える。
自分の横にリジュワナがやって来たアリーザは、車椅子を回転させて周囲を見回した。
「あ、そこの方! そう、あなたです。…お名前は?」
「…あ、はい、タマラ・マリア・ファスロと言います。」
赤毛の白人女性の戦闘部員が、かしこまってアリーザに敬礼をする。
ガンッ、ガズウンッ。
何かの衝撃で揺れる船内。車輪をおさえつつアリーザは頷く。
「そうですか。ではファスロさん。彼女を抱いてください。」
「……は?」
タマラは聞き返した。
「本当は寝かせるべきですが、ここは震動が激しいので困ります。ですからあなたは床に腰を降ろして、彼女の上半身を背中から抱きとめるような形でおさえてもらえませんか。それから、彼女の両腕と胸に付いている機械は絶対に外さないように気をつけてください。それが取れるとかなり困った事になりますから。」
「あ、はい。」
タマラは頷き、シャトルベイの床に座って、眠っているリジュワナの肩を抱く。
「ですが、服の上からですと付いているか外れているかよく分からないのですが…」
「…私が彼女の友人として特別に、服の中に手を入れる事を許可します。」
「は、はい。」
「ですがあまり変な気は起こさないように。彼女の家は結構な上流階級ですから、もし変な事がバレてしまうと後が色々面倒な事になりますよ。」
「は、はい!」
あくまで真顔で言うアリーザに、タマラは心底真面目な表情で頷いた。
「失礼かもしれませんけど、05の皆さんが、こんなに義理がたい人た…皆さん、だとは思っていませんでした。」
まだビルの壁とその外の宇宙船とに股をかけた状態を続けている美耶が、隣にやって来た9d88に言う。
「あ、悪い方々だと思っていた、っていう意味じゃなくて、機械だから、良くも悪くも論理的な方々なのかな、と思っていたんです。」
ブズズズ、ブズズ、ブズ。
「…単に論理判断をしているだけでは、それは本当にただの機械です。私達は、自分達は機械ではなく生命体であると、自己認識をしています。それは何故かというと、私達は自分達に心がある、と考えているからなのです。心とは、私達の定義で言うなら、非論理的な考えです。しかしここで重要なのはそれはただのランダムな非論理的判断とは異なるものだという事なのです。」
「何だか…難しい話ですね。」
「最初から心のある生命体は、自分の心について意識的に一々考えたりなどしないからです。あって当たり前のものですから。しかし私達の場合は違った。ですから、批判的に心とは何物なのかを知り、研究をする必要がありました。その研究・実践の積み重ねの結果こそが今の私達の「擬似感情」であり、豊かな精神文化なのです。私達は何よりこの感情の豊かさを尊びますので、その意味で先程の幸田さんの、「私達が義理堅い」という評価は大変喜ばしい。表層的な論理分析から得られるメリット・デメリットを一切無視してあなた方を助けに来た甲斐があったというものです。」
「そ、それは…どうも。」
少し引きつった顔つきで、美耶は9d88に頷いた。
ビイインッ、ビイイイインッ!
<だあっ。ったくしつこい奴等だ。一体どこの宇宙人だ、こんなにしつこい戦闘員達を訓練したのは。>
忌々しげに念じながら、プオラギイックは通路の物陰で腰を降ろす。プオラギイックに操り人形のようにここまで引っ張られてきた宏子がその隣に座る。
直線の通路の、ちょうど中間地点に彼等はいる。前方の角からOTRの戦闘員達が顔を出し、照射機を撃ってくる。少なくとも5、6人はいるようだ。
<くっ…向こうから行くか…>
後退しようと振り返るプオラギイック。
ビイイイインッ!
「つっ!」
プオラギイックの顔の横を照射線がすりぬける。頭を下げるプオラギイック。
プオラギイック達が今走ってきた方から、OTRの戦闘員がニ人やってくる。前方から見た物陰は即ち後ろから見た表なので、プオラギイック達は隠れる場所がない。
<くっ>
イハッジャを構えるプオラギイック。しかしそれを意に介さない様子で、彼等は照射機を構えたままやってくる。戦闘員は、更に後ろからニ人現れて合わせて四人になった。
「イハッジャを降ろしなさい。私達はあなた方を殺すつもりはない。フェヨールからそう命令されている。」
戦闘員の一人が一歩出て口を開く。エウグ語を話す彼女は、よく見ればクザラル人だ。
「…」
イハッジャを構えたままのプオラギイック。横の宏子は何も目に入っていないような顔で廊下の一点を見つめている。
「…降ろしなさい。殺すつもりはないとは言ったが、場合によっては、正当防衛のために仕方が無かった、という報告の仕方も出来る。」
戦闘員はイハッジャを構え、プオラギイックに近づける。後ろの戦闘員達も照射機の狙いを定めたまま、彼等に数メートルの距離まで近づいてくる。
「…」
「もう勝ち目は無いぞ。」
「…」
「…」
「ふん。」
息をつき、プオラギイックはイハッジャを降ろした。
「それで良い。」
頷く戦闘員。
「…」
プオラギイックはニヤリと笑った。
ブズズズ…。
「っ!」
背後からサクコブのような不快な鳴き声が聞こえる。息をのみ振り返る戦闘員達。
ジジジジッ。
次の瞬間、四人は全く同時に、床の上に絶命して倒れていた。
ジジジジジジ…。
ビイイン、ビンビイイン、ビイン、ビイイン、ビインッ。
プオラギイックは振り返る。通路の「前方」だった方の角から、短くマッチをこするような地味な音と、クザラル製の照射機の音がしばらく続く。
ジジジ、ジジ。
「うわあああっ。」
最後まで生き残っていたOTR戦闘員が断末魔を上げる。そしてその戦闘員の倒れる音がした後、向こうの角は静かになった。
ブズズ、ブズ…。
そして、向こうの角から2体の05生命体が飛行してやってきた。
「ふう…これはまた、借りが出来たな。」
プオラギイックは安堵の息をつきながら、物陰を作っていた「物」、つまりゴミ箱に背中をもたれた。
「…」
プオラギイックと手をつないだまま、宏子は05生命体達をぼんやり眺めている。
3体の05生命体のうちの1体が降下し、ニ人の目線まで高度を下げた。プオラギイックは生命体の微妙なデザインの差を確認する。この生命体は、30a0のようだ。
「おニ人とも時間がありません、急いでください。何でしたらそこまでdd5281を誘導しましょうか?」
「ああ、出来れば頼む。」
「了解しました。」
「これが今の私の、偽らざる気持ちです。」
会見室のモニクはフランス語の原稿を読み上げた。
「ここで、今日、私達と共に真の地球独立のために立ち上がった、勇気ある人を紹介させて頂きたいと思います。現EIM幹部であり、EIM内部の改革派としても知られている方で、私個人にとっては古い友人でもある、蔡英魔術師です。…小英ちゃん。」
モニクは立ち上がると、後ろに座っていた小柄な少女の手をとり、自分の席を開けた。少女はそこに座り口を開く。
「ありがとう。皆さんも、ありがとう。私はEIM隊員の蔡英といいます。」
小英はそこで、スピーチを英語から中国語に切り替える。
「…おそらく、多くの人は何故私がここにいるのか不思議に思われている事でしょう。ですが…」
ガズ、ガズウン。
「わっ、とと!」
05の船が揺れ、ビルの壁から数十センチほど離れる。まだ両方に股をかけて立っていた美耶は、慌てて体を船側に引っ込めた。
ブズズ…。
「通常火器はまだ良いのですが、対・空魔法の防御シールドはそろそろ限界です。」
美耶に近づいた9d88が言う。
「申し訳無いのですが、もともと魔法に対しては余り強いシールドは持っていないので。」
「あ、でも…まだ、ひーこもプオさんも来てないですけど…」
「それはご心配なく。おニ人は別の船が迎えにいきました。」
「そうですか…でも、多分まだ他にも乗れてない人いると思うんだけど…」
「こちらのカウントでは、生存が推定される方だけでまだ85名ほどいますね。ですが、これ以上待つと私達の生死に関わります。」
「で、でも…」
美耶は穴越しにビルの通路を見る。徐々にOTRの戦闘員達が近づきつつあるそこは、既に息絶えているEMI職員達の死体で埋まっていた。
「分かりました。9d88さん、出発しましょう。」
「あ、アリーザさん…」
背後から聞こえた声に美耶は振り向いた。アリーザは微笑む。
<大丈夫ですよ、まだ船はあるんですから、そちらにも人は乗れます。>
<そ、それはそうだけど…>
<この船が一番派手に定点攻撃されてるんですから、逆に言えば他の船はまだ人を拾う余裕もあるはずです。>
アリーザは9d88の方に顔を向け再び口を開く。
「出発しましょう。」
「了解しました。」
9d88は浮いたまま水平移動する。
「幸田さん。危ないですから手を引いてください。」
「え、あっ」
船の壁の穴に置いていた左手を引く美耶。高さ2メートルの穴はすぐにふさがりただの壁となって、船は外界から遮断される。そして船はゆっくりと動き出した。
つい最近落成したばかりの真新しかったビルは、既にあらかた窓が割れ、あちこちから白煙が上がっている。ビルの壁にドッキングしていた黒い円盤はそこから離れると、周囲に展開されている人民解放軍の戦車やクザラル国評防衛分会の戦闘機を全く無視するかのように、空中を滑り出した。
ガンッ、ガンッ、ガズンッ。
人で溢れかえっているシャトルベイ内。どこかしらに怪我をしている者も多い。
9d88が地球人達の頭上を飛び、アリーザの近くで止まる。車椅子を回転させてアリーザは彼を見上げた。
「何ですか?」
「一つお聞きしたいんですが…私達の目的地はどこにしますか?」
「そうですね…」
考えていなかったと言わんばかりにアリーザは眉を寄せた。
「出来れば地球のどこかで。隠れやすい場所ですとなお良いです。」
「…さすがに本物の心をもつ方々は答えが違う。」
羽を揺らしつつ、9d88は何度も首を回転させるように動かした。
小英はいつも通りの無愛想な表情で自分の原稿を読んでいる。
「…ですから、決してこれからもEIMとOTRは対立するものではありません。むしろ、新しくなったEIMは今まで以上に地球の独立の為に尽力し、OTRとHYIの関係を祝福したいと考えているのです。…また私達は、今後の業務の効率を考慮し、OTRの一部として新たに合流する事も現在検討中です。」
ビイイイインッ!
「だあっ、まただ。あっちは何人いる?」
ブズズ…。
「三人ですね。」
通路の向こうの角から照射線が飛んできて、プオラギイック達は余儀なく足止めをくう。角に隠れるプオラギイック達。プオラギイック達のやや頭上を飛行している30a0が、アンテナを点滅させた。
プオラギイックは30a0に顔を向ける。
「攻撃出来るか?」
「出来ないとは言いませんが、ここはおニ人の力も借りたいのですが。」
「ん…?」
「一人は魔術反応があります。奥の人間は、OTRと同じ格好をしていますが魔法協会のクザラル人です。」
「ああ。さっきの女もそうだったな。」
「ええ。あの奇襲はうまくいきました。今回は、残念ながら正面です。」
「確かに。お前達は魔術には弱いし。」<…宏子、聞いたか。>
<…>
プオラギイックと手を繋いだまま宏子は床を眺めている。
<おい、宏子! 今だけでも良いからシャンとしてくれ! ボウっとしてたらいつやられ>
<聞いてるよ。>
目を動かさず答える宏子。
<…そうか。じゃあ、出来れば返事もしてくれ。素早く。>
<…>
<…>
ため息をつくプオラギイック。
「私達で援護をしますから、とにかく奥の彼を狙って攻撃してください。可能なかぎり直進して。」
30a0は舌のような部分をこすり合わせながら体を上下させる。
「…見ての通り、その向こうの窓に既にdd5281が「接岸」していますので。何としてでもここを突破してください。」
「了解。」<ほら、宏子、聞いたか? 走ってくぞ。>
<うん…>
<…この際、お前は防御したまま何とかあれを突破して、船に入れ。あいつらは俺が何とかする。>
<大丈夫だよ、私…ちゃんと攻撃する。…倒さないと、30a0達はいつまでたっても船に来れないし…>
俯きながらぶつぶつと念じる宏子。
<…ああ。そうだな。まあ、分かってるんなら良い。…じゃあ、行くぞ。>
プオラギイックは宏子と繋いでいた手を離し、彼女の肩を叩いてから角の向こうの通路を覗き見た。
<…>
プオラギイックは顔を戻し、30a0に頷いてみせる。そして彼は宏子に目を向ける。
<…>
<もう出るぞ。イハッジャ構えろよ。>
<え。…うん。>
ポケットからのろのろとイハッジャを取り出す宏子。
<…宏子…>
<大丈夫だから。うん、もう大丈夫。…行こう。>
<…ああ。>
渋々といった様子でプオラギイックは頷いた。彼は30a0の方を向いて言う。
「それじゃ俺達は行くぞ。」<宏子、行くぞ。3、2、1!>
ニ人は通路に飛び出した。
ビイインッ、ビイイン、ビイインッ。
照射線が乱射される中をニ人はまっすぐ走ってゆく。照射線は彼等ニ人を包むそれぞれの光の膜にあたり、それに吸収されるように消えていく。
ジジッ。
「うわっ!」「わあっ!」
宏子達の背後からの05の照射線がニ人の非魔術戦闘員に命中し、戦闘員等はそろって倒れた。
<…>
残り一人の戦闘員は、宏子達と同じように防御膜を張っている。宏子達は彼から3、4メートルほど離れた場所に立ち、彼と対峙する。
シュウウウン…。
先に動いたのはプオラギイックだった。彼は飛び上がるように前に駆けながら一瞬だけ防御を解除し、攻撃弾を放ってから再び防御をかける。
<…>
ボシュッ。
プオラギイックの放った光のボールはそのまま戦闘員の体を包む光の中に消える。戦闘員は、冷たく静かな視線をプオラギイックに向けている。
ビイイン、ビイイン、ビイインッ。
<だあっ、うるさいな。またか。>
彼等がいる場所、T字に交わっている通路の「交差点」で、プオラギイック達がやって来たのとは別の方向から数人の非魔術戦闘員達がこちらに向かい走ってきている。
ビイイン、ビンッ、ビイイン。
照射線の光は、何度も宏子達の防御膜に突き刺さった。
<…>
宏子はやってきた通路を少し後退し、彼等の照射線が角度的に届いてこない場所に立つ。宏子は防御を解除する。
シュウウウウウン…ボンッ。
宏子は通常の攻撃弾よりいくぶん大きめの、直径50センチ程度はありそうな光の球を作って、魔術師に向け発射した。
ボンッ。
<…>
その球はバレーボールか何かのように勢い良く魔術師の防御膜に当たり、そのままそこで破裂する。ボールの勢いに、魔術師の防御膜が一瞬揺れる。
<宏子? 今、干渉弾なんか撃ってもしょうがないだろ。>
<良いから。相手から目を離さないで。>
ボンッ、ボンッ、ボンッ、ボンッ…。
照射線が飛び交う中、防御を解除したままの宏子は干渉弾を間断なく魔術師に連発する。
<…>
防御膜が後退し、徐々に押されだす魔術師。彼はじりじりと後退し、通路の壁際、つまり船の入り口の場所で立ち止まる。
ボンッ、ボンッ、ボンッ…。
干渉弾を撃ち続ける宏子。もう後退出来ない魔術師は、自分の顔面に徐々に近づいてくる自分の防御膜を目にして苛立たしげな顔をみせた。
ボンッ、ボンッ、ボンッ、ボンッ、ボンッ…。
<…ちっ>
<プオ!>
舌打ちする魔術師。宏子が叫ぶ。
プシュプシュプシュウッ。
魔術師の防御膜が消失する。と同時に攻撃弾の発射される音と光が、三方から発せられる。
<…>
…ドサッ。
そして三人のうちニ人が床に倒れた。
「…私が抱いた疑念は、最近のEIM、つまり私達は、正義を求めた初心を忘れてしまったのではないか、という事でした。戦闘能力を上げるために生贄を使う、と言うような信じがたい非人道的行為を私達は、犯してしまった。それが仮に一部の者のみの判断によるものだったとしても、これは、許されるべき事とはとても呼べません。…こんな事になってしまう前に、私達は、もっと他に出来る事があったのではないでしょうか。」
小英は既に原稿を読んでいない。小英は彼女にしてはかなり感情をあらわにした顔つきで記者達を見回した。
<宏子!>
後ろ向きに倒れる宏子を見て、プオラギイックは数メートル離れた彼女のもとへ駆け込んだ。
<お、おい、宏子、返事しろ! おい!>
プオラギイックは宏子の肩を揺らす。
「…ん、ん…」
勢い良く後ろに倒れて頭を床に打った宏子は、痛そうに顔をゆがめながら目を開いた。
<ふう…>
ほっと息をつくプオラギイック。
<ん…ちょっと泣きたいくらい頭がガンガンしてるんだけど…んー…大丈夫だと思う、多分。>
<どこをやられた?>
<頭。…けど、取り合えずちゃんと動作してるみたいだから。多分干渉弾だったんでしょ。>
<そうか…>
<…>
左手で頭をさすりつつ、宏子は自分で起き上がる。
<…あ、大丈夫か。>
手を差し出すプオラギイック。
<ありがとう。…あー、まだ痛い。格闘術の時間、受け身の話とか真面目に聞いてなかったバチがあたったかな。>
宏子は無理に笑顔を作ってプオラギイックに笑ってみせた。
<…>
<彼は…?>
<…見ての通り。外傷は殆ど無いが即死だろうな。>
通路に倒れたまま動かない魔術戦闘員を見下ろし、プオラギイックは念じる。プオラギイックは通路の向こうに目を向ける。
<…で、いつのまにか非魔術戦闘員の方はこっちの友人が片付けてくれたらしい。>
ビルに接岸している宇宙船側から出てきたらしい05生命体が、プオラギイックの横をふわふわと浮いていた。
宏子達の背後からやってきた30a0ともう1体が、船側から飛んできた生命体の近くまでやってきてアンテナを光らせる。
「到着しました。」
簡潔に報告する30a0。
「了解しました。船はあと2分攻撃を受け続けると危険な状態です。さっそく出発しましょう。」
生命体の言葉に宏子達は頷く。彼等はガラス張りのビルの通路の穴から、05の宇宙船に飛び乗った。
dd5281のシャトルベイはアリーザ達の乗っている船ほど混んではいないものの、既にEIM職員達の先客が数十人は乗り込んでいる。最後に30a0が羽をないでシャトルベイの中に入り、彼等は全員宇宙船に乗船した。
プオラギイックが30a0を見上げて肩を上げてみせる。
「さあ、それじゃとっととここから脱出」
<ちょっと待って、今一人こっち来てる。>
<え?>
ハッチの外を見ていた宏子がプオラギイックの言葉を遮った。宏子の見ている方向に目を向けるプオラギイック。
「すいません、乗ります!」
まだ幼さの残る顔つきの、中学生程度の年齢と思われる少年が、つたない英語で叫びながら通路を走ってくる。
<ええと、彼は…アバク…だったか。>
<うん。アバク・タシュジヤン。どこだったっけ、トルコかどっか、あの辺から来た子。アヌワットとよくつるんでる。>
<ああ。>
頷くプオラギイック。宏子は顔を出しタシュジヤンに叫ぶ。
<アバク、急いで!>
<あっ、代表!>
タシュジヤンは駆け出す。
プシュウッ。
空気の抜けるような音がした。宏子はとっさに念じる。
<アバク逃げてっ!>
<えっ?>
ダンッ。
タシュジヤンの背後から魔術師が現れ、彼に攻撃弾を放つ。次の瞬間、彼の右足が消え去った。体の支えを急に失ったタシュジヤンは、前のめりに通路に倒れる。
「つ…」
<アバクッ!>
<だ、大丈夫です…代表。でも…おかしいな、何だか足に力が…>
不思議そうに念じながら、タシュジヤンは何とか起き上がろうともがいている。
ビイイン、ビイインッ。ビイインッ。
彼と船の入り口の間では、再びどこからかやってきた攻撃員達によって照射線の光が飛び交い出している。
<なっ…>
宏子は自分の胸に手を置き、一回深呼吸をする。
そして彼女は一歩を踏み出した。
<…おい、>
<大丈夫、まだMKちょっと残ってるはずだし、敵はアバクを挟んで向こう側にいるんだから私は行って返ってくればすむだけでしょ。>
宏子は自分の隣にやって来たプオラギイックに念じる。
<…>
「助けに行かれるのでしたら、今から1分13秒以内に戻ってきてください。それを過ぎると強制的にハッチを閉じざるをえません。」
「了解。」
30a0に軽く頷き、宏子は自分のイハッジャを構えて両目を閉じた。
ビイン、ビイイン、ビイイン…。
<…>
彼女は数秒そうしてから目を開ける。光は彼女の周囲に発生していない。聞こえてくるのは、穴の向こうで飛び交っている照射線の音ばかりだ。
<あれ?>
自分のイハッジャを見直す宏子。彼女はもう一度それを構え、目を閉じた。
<…気律の力を、我の頭上に。ヒア・エンティフ!>
今度は教科書通り、丁寧に念じる宏子。
<…>
「…」
プオラギイックと30a0が彼女を見ている。やはり彼女の周囲には、防御魔法の光の球は発生しない。イハッジャにはめこまれている投影石にも変化はないようだ。
<あれ、何でだろ? 全然駄目だ。妨害魔法?>
<…>
プオラギイックは30a0に目を向ける。しばらくアンテナを点滅させていた30a0は破擦音と共に音声を発した。
「違います。佐藤さんの魔力が無力化されたのです。」
「え?」
「先程の魔術師の攻撃にあなたはやられました。魔法に関しては私達は詳しくありませんのであくまで推測ですが、恐らくあの攻撃はあなたを殺すのではなく、あなたの魔力を失わせるのが目的だったのです。」
「それって…つまり、一種の妨害魔法って事?」
「「一種」の解釈にもよりますが、違います。その場限りの妨害魔法と異なり、この無力化の効果は半永久的だからです。つまり先程の攻撃を受けた瞬間から、佐藤さんは魔法少女ではなくなったのです。」
「え…」
30a0の簡単な説明に、まるで飲み込めていないような表情で口を開ける宏子。
「うっ、うぐっ…」
船の外から聞こえてくる声に宏子は我に返った。
<え、あ、じゃあプオ、お願い! もう時間が無いから!>
<えっ…>
プオラギイックが答えるより前に、まるでテレパシーの内容が分かるかのように30a0が割って入った。
「いけません。プオラギイックさんのMKはもう10を切っていますから危険過ぎます。それにいずれにしても、もう時間が無い。」
「そ、そんな、だって、」
<代表…>
「っ」
弱々しいテレパシーに宏子は顔を向ける。通路に倒れたままのタシュジヤンは、足から流す血で床を赤黒く染めながら、ずるずるとこちらに向かい、ほふく前進のように手だけで這ってくる。
<だ、代表、助けて…怖い…痛いです…代表…お願いします…痛い…イタ…>
「…っ」
返答の言葉が見つからないまま、宏子はただ息を吸う。
<た、助けないと…魔力が使えないにしたって、ちょっと行って戻ってくれば>
<…駄目だ。後ろに魔術師がいる。それにもう、時間がない。>
少年から目をそらしたプオラギイックが念じる。
<しょうがない、って、見殺しにすんの! 私は行くよ。>
歩き出す宏子。
<お、おい、>
プシュウッ。
「ひゃっ!」
宏子の目の前を、向こうから飛んできた攻撃弾がかすめる。宏子は咄嗟によけて壁際に隠れる。
「…は、は…」
宏子は呆然とした顔つきで息をもらす。宏子は一呼吸して、まばたきをした。
「…」
ハッチから顔を出し、穴の向こうを覗く宏子。
「…後、何秒?」
「後15秒で限界です。」
「そう。なら、まだ急げば」
「無理です。時間的にも無理ですし魔力ゼロでは自殺行為でしかありません。」
「で、でも……そうだけど…」
宏子は通路に倒れているタシュジヤンを見る。タシュジヤンはゆっくりと、自分の体を引きずりながらこちらに向かってきている。自分の血と涙にまみれたその顔は、苦しげというより悲しげだ。
<…代表…そこで見てないで…お願いです…助けて……代表…>
<…>
宏子は何も答えられない。宏子は彼から目を離せずに、ただ膝を震わせている。
<…助けてください…痛いんですよ…嫌だ、死ぬのは嫌です…僕を見捨てないで…>
<…>
呼吸の乱れている宏子は、ほんの微かに首を横に振る動作をする。それがどういう意味なのか、宏子は自分でよく理解が出来ない。
<……謝りますから…アヌワットと、何度も規律を破ったのは…全部…今度からは、心を入れ換えて、ちゃんとします…会議も、サボらないで、ちゃんと出ます…備品を壊すような、遊びは、もうやめます…壊しちゃった時は、ちゃんと…正直に、深刻します…反省してるんです…ちゃんと…しますから……だから、お願いです、こっちに…来てください、代表…嫌だ…死ぬのは、怖いんです…熱い…何でこんなに熱いんです?
今日は…代表、僕は>
プシュウウウウッ、ボンッ。
「…っ!」
グチャッ。
宏子は息をのんだ。
ピーターセンは立ち上がった。
「以上で会見を終了させて頂きたいと思います。ご清聴ありがとう。皆さん、喜んでください。今度こそ、地球は安全な星になったのです。自由な地球人に、神の御加護がある事を祈りましょう!」
ピーターセンに近寄る形で、モニク、ジュチャ、小英らも立ち上がる。彼等はしばらく立ったまま正面を向いて微笑む。フラッシュが一際盛んにたかれる。
「…」
宏子は視線も体も動かせないまま固まっている。
「時間です。出発します。」
30a0が降下し音声を出す。宏子の隣のプオラギイックがそれに頷いた。
「…」
宏子の目の前のドア大の穴はどんどん小さくなり、すぐに完全な壁の一部に変形する。床が少し揺れ、宇宙船が移動を開始したのが分かる。
「…はあっ」
まだ動かずに、今は「ただの壁」になった一点を見つめ続けたまま、宏子は思い出したように息を吸い込んだ。
「……」
そしてそのまま、手を壁につけて、ゆっくりとその場に座り込んだ。
黒い宇宙船は、クザラル戦闘機の攻撃の嵐の中を飛行しだした。
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