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A-Sato Ltashofe Yde Ilne

Episode 20: Polomerria

私は走って彼女に追いつき、彼女の前に立ちふさがった。
<ひーこちゃん! ひーこちゃんでしょ?>
「…」
一年近くぶりに再開した彼女は、やっぱりフケていた。
でもそれは、より大人びた顔になった、というプラス方向の変化のようにも思えた。改めて見ると、少女(日本語で言う「女の子」)、というより既に大人の女性と言ったほうが良いような気もしてくる位の顔つきだ。
肌は日焼けしている。地元の華僑の子達よりよっぽど黒い。
そして、何故か髪型はポニーテールになっていた。
これだけ変わっていたんだから、簡単に気付く方がおかしい(多分)。しかもどうも、ひーこちゃん本人は私と話をしたくないようだ。
「…」
何ですか? とでも言いたげにすまし顔で首を傾げてみせてから、ひーこちゃんは再び街方向への道を歩き出した。
<ちょっとひーこちゃん、久々の再会でそんな態度は無いと思うけど? それにしてもいつポニーテールなんかに? 結構似合ってるじゃない。>
私はひーこちゃんの横を歩きながら念じる。
「…」
無反応。聞こえてません。
<…>
ちょっとカチンと来た私は、彼女の前にまた回りこんで彼女を立ち止まらせた。
<…あのさあ、仮にあなたがひーこちゃんじゃないとして。テレパシー聞こえてないんだったら聞こえてないで、普通何か喋るもんなんじゃないの、これだけ付きまとってる外人が目の前にいたらさ。ジモティーだと思ってもらいたいんだったら、ちょっと何か喋ってみたら? どうぞ、英語でもマレー語でも中国語でも何なりと。それっぽく聞こえれば私だって「あ、この人は他人の空似か」って思うんじゃない?>
「…」
ちょっと良い反応になってきた。まだ無表情を保とうとしているが、目や口元の感じから、あきらかに内心ムッとしているのが読める。まるで心を隠せていない。
ひーこちゃんはやっぱり、まだ相当しばらくは「女の子」のラベルが適当かもしれない。
<ま、日本人観光客を装うって手もあるかもしれないけどねえ。その場合は相当うまくやらないと説得力は出ないだろうけど。>
私は追い討ちをかけた。
「…」
ひーこちゃんはこちらをしばらく眺めてから、おもむろに両手の荷物を地面に置く。
<…?>
「…」
そしてひーこちゃんは両手で、手話の真似事を始め出した。
<…むっ…>
「…」
しばらくやって満足したのか自分流手話をやめ、会釈をしてから再び彼女は荷物を持って歩き出した。
<ちょ、ちょっと…!>


私はしつこく彼女の横に付いていく。5分か10分ほど、私達は丘を降りる道を歩き続けていた。
<プオちゃん寂しがってたよ。本部の壁にひーこちゃんの写真を等身大に拡大して貼り付けて、その前でずっとぶつぶつ言ってるの。しまいにはポスターのひーこちゃんの顔にぴったり耳を付け出すし…>
「…」
凄く嫌そうな顔。もう殆ど隠せなくなってる。
<何でそこまでして黙るかな。で、どう? アリーザちゃんの方は、元気してるの? 一緒にいるんだよね?>
「…」
…この反応はよく分からない。ひーこちゃんは無表情に戻るが、何度か視線が違うところに行ったように見える。どういう事だろう?
<取りあえずひーこちゃんは元気そうで安心したけどさ。やっぱり、自室にはあるんでしょ、こう、ばーんと。プオちゃんの等身大ポスターが。>
「…!」
転びかねない勢いで彼女は立ち止まった。
「…」
「…」
あ、ひーこちゃん、ムチャクチャ怒ってる。
「…」
口を開いたまま私をしばらく睨みつけて、ひーこちゃんはまた歩き出そうとする。
<今止まった理由は何なのかな。テレパシー聞こえてない人が、何でここで急に立ち止まってそんな怒った顔で私を睨んだの?>
<うるっさいなあ。たまたまここで気が障っただけかもしれないでしょ!>
<…ひーこちゃん。>
<あ…>
ひーこちゃんはまた立ち止まった。
<…>
そしてまた、すたすたと歩き出す。
<で、何で黙ってたの?>
<…>
ひーこちゃんはさっきの念が無かったかのように、また前を見て横の私を無視したまま歩き出した。
<何か喋っちゃいけない事情でもあるの?>
<…うるさいなもう。>
ひーこちゃんは観念したようにため息をついた。
<何の事情も無い。ただ、私はあんたと話したくない。それだけ。>
<……私は、話したいんだけど…>
<あっそ。残念だったね。でも私は話したくないから。>
ひーこちゃんが道を歩くスピードは徐々に速くなる。
<何で…? それって、私が魔法協会側に残ったから? それで怒ってるって事?>
<そうだよ。分かりが良いじゃん。>
どうでも良さそうにひーこちゃんは答える。どうも本心ではないようだ。
<それは…ごめん。でも…だったら、話は出来るよ。この前みたくなじってくれれば良いんだよ、モニクの馬鹿、あんたは間違ってる、って、そう怒ってよ。そんな無視されたら私だって、何が間違ってるのかも分からないじゃない。ねえ、ちょっと、ひーこちゃん! 無視しないで少しは聞いてくれたって良いでしょ! ひーこちゃんってばっ!>
<…>
何度目か忘れたが、私達はまた道の途中で立ち止まった。
<…モニク。>
<…やっと名前、呼んでくれたね。>
ひーこちゃんは無視して続ける。
<モニク、ごめん。私は話をしたくない。…怒るっていうのは、相手がこれから良くなる事を期待している時にする事でしょ。私はもう、あんたがこれからどうなるなんて何も期待してないし、そんな事別に、どうでも良いの。…だから、ごめん。もう、話す事は、本当に何も無いの。>
<ひ、ひーこちゃん…>
<じゃあね。>
ひーこちゃんは歩き出す。
<…>
私はもう、ひーこちゃんを追えなかった。私は汗まみれで、道の向こうに消えていくひーこちゃんの影をただ眺めたまま立ち続けていた。


6月26日 木曜日

そろそろ十日の期限が迫っている。だが、ここで何も出来ないまま帰るのは嫌だ。私は昨日ひーこちゃんと会った場所の周辺を、朝からうろうろしていた。
出る前にホテル近くの売店でジュースはたっぷり買った。同じくここで買ったリュックサックに詰め込んでいるが、おかげで体が重い。
昨日と同じように涼しい顔で歩くポニーテールの少女を見つけたのは、日のさんさんと照る午前11時ごろだった。
<…>
丘の向こうからやってきたひーこちゃんはこちらを見て足をとめ、進むか戻るかしばらく迷うような表情を見せた。
<…>
ひーこちゃんは再び歩き出した。どうせ戻っても追いかけられると踏んだのだろう(そしてそれは正解だ)。
しかし追いかける側の私の言う事ではないが、そんなに嫌なら瞬間移動でどこかへ移動してしまえば良いと思うのだが。
まあ、そうでなくてこっちは助かった。私はひーこちゃんの所へ早足についていく。
<おはよう。今日も暑いね。>
<…>
ひーこちゃんはもちろん相手にしない。こちらに目も合わせず、今日も何かの袋を持って歩いている。
<何の袋、それ?>
<…>
昨日と違ってその布袋は膨らんでいない。中身は今日は入っていないようだ。
<…買い物袋? ひーこちゃんこれから買い物に出かけるの?>
<…>
<…>
<…>
ああ、重い。リュックも重いし空気も重い。
<…はあ…>
私は思わずため息をついた。
<…ねえ、昨日といい今日といいひーこちゃんに会うけどさあ、…いやまあ、今日は狙って会いに来たんだけどもさ、アリーザちゃんは、どうしてるの? 一緒にいるんだよね? 元気してる?>
<…>
ひーこちゃんと私は昨日と同じように炎天下の道を歩いていく。
<ひーこちゃんがそうつれないんだったら、私、アリーザちゃんと話、したいなあって思ってるんだけど。>
<…>
ひーこちゃんは横目で私を見た。
<ひーこちゃんがさ、どうしても私と話せないっていうんだったらまあ、それはそれでしょうがないよ。でも、私とアリーザちゃんだったら別だよね? アリーザちゃんが良いって言ってくれる分には構わないでしょ?>
<…>
<私さ…もう時間が無いんだよ。ひーこちゃんとアリーザちゃんに会いたくてね、無理言って仕事休んで来てるんだけど、そろそろ休みのリミットが切れるから…このままだと、本当に会って帰った、ってだけになっちゃうからさ。>
<…>
ひーこちゃんが少し不思議そうな視線でこちらを見ている。と思ったら、こちらに気付いて目をそらした。
<あ、つまり。まだ私、何でここに来てるのか説明してなかったか。あのね、私、皆と話がしたかったんだ。うん。>
<…>
<プオちゃん達からどれだけ話聞いてるか分からないけど…私ね、魔法協会から洗脳を受けていたみたいなんだ。いつからか、とかまでは分からないけど…それで、シユマさん…もちろん知ってるよね? HNKのシユマさん。彼女が私のところに来て、私の洗脳を解いたの。…まあ、彼女が言うには。>
<…>
<うん…確かにそれまでと、何だか違うんだよ、感じが。前は魔法協会にいる事に何も疑問が無かったんだけど、今は正直良く分からない。…ただそれが、本当に洗脳を解かれたからなのか、逆に、シユマさんに洗脳をかけられたからなのかは…>
<…>
あ、ムッとした目になってる。ひーこちゃんとは黙っていても充分意思疎通が出来そうだ。
<…それは分からない。ただ…急に皆に会いたくなったんだ。ずっと、正しい事をしているのは私で、皆が間違っているんだと思ってきたけど…もしかしたら、逆だったんじゃないか、とも思えてきて…>
<…>
<…>
<…で。>
<え?>
私は顔を上げた。ひーこちゃんは相変わらず前を向いたまま歩いている。
<で。だから何。仮にあんたが間違ってたとして、今更どうするって言うの。>
<…それは…>
<死んで詫びる? でもそれだって、今まで魔法協会のしてきた事を考えてみれば生ぬる過ぎるんだけどね。魔法協会のせいで何人も死んだんだから。一人が死んだ位じゃ釣り合いなんて取れないんだけど。>
<…>
<まさか、単に口で謝るだけってつもりで来た訳じゃないよね。>
<…ひーこちゃん。ひーこちゃんが本気で死んで詫びてほしいって言うんなら、私もそうするかもしれない。>
<…>
ひーこちゃんが私に目を向ける。
<ごめんね、他の人の命に関わるような事はさすがに出来ないから、私の命以上の事は私も犠牲には出来ない。でも、私だけで良いっていうなら、私は自殺するかもしれない。>
<…>
<だって、私にとって、ひーこちゃんは大切な友達だから。>
<私にとっては違うけどね。>
<かもね。でも私にとってはそうだから。>
<…>
<でもね。今のひーこちゃんは…それを、本気で言ってるようには聞こえないんだよね。>
<…>
<話したくないっていうのは、私が本当に嫌いになったから? それならそれで仕方が無いけど、ひーこちゃんがそんな簡単に人を嫌いになれる性格だとは私は思えない。>
<簡単?>
ひーこちゃんは私の用意した取っ掛かりに引っかかってくれた。それこそ、簡単に。
<ここ一年の何が簡単だったのよ。…あ、あんたは簡単だったよね、自分で何の努力もせず、ぬくぬくと、クザラル星でビップ待遇で過ごしてきてたんでしょ。地球で何人もの人が死んでてもそれは全部ニュースの上での出来事で自分とは関係無い。自分の正義を信じてのほほんとしていられたんだから、まあ羨ましいよ。>
<ひーこちゃんだって。私みたいにのほほんとはしていなかったかもしれないけど、自分の正義は、いつだって信じてきていたんじゃないの? 「地球人の独立」の為に、一生懸命戦ってきた…そのつもりだったんでしょ?>
<その結果がこれよ。>
ひーこちゃんは日焼けした顔を私に向ける。
<見て分かるでしょ。今はこうやって海外の街で、隠れながら細々と暮らしてる。もう誰も残ってない。私とアリーザだけ。もう、全部終わったんだよ。今は、ここでこうやって何もしないで、毎日市場で物を買って、食事を作って、服を洗って、家を掃除して、…で、それだけ。もう私には何もないの。…同居人以外はね。>
<…そうは思えないけど…>
私は首を傾げた。
<ここに来る前に、EIMの本部を見てきたけど。HNKには戦闘に慣れた魔術師がいるし、05のコンピューター技術は凄いみたいだし。後は代表さんのやる気次第なんじゃないの?>
<だとすれば、その代表さんのやる気がないの。>
<…>
<もう殺し合いはたくさん。何より地球の人達自身が、EIMよりUOTRの方が良いって言ってるんだったら、それじゃもう、どうしようもないし。それに魔法協会がバックなら、確かにサクコブにもちゃんと対抗は出来るんでしょ。だったら私に出来る事なんか何も無いよ。>
<…あのさあ。私がこんな事、言えた義理じゃないのはよく分かっているんだけど…>
<じゃあ言わなきゃ良いじゃん。>
<ひーこちゃん、ひーこちゃんがやる気がないって言ったって、他のEIMとかHNKとか05の人達は一体どうするの? プオちゃん寂しそうにしてたよ。美耶ちゃんもね。あそこの人達は皆、ひーこちゃんが帰ってくるのを心待ちにしているように私には見えたけど。それをほっぽってここに逃げ出してるんだとしたら…ひーこちゃん、それは、随分無責任な話だと思うんだけど。>
<あんたに何が分かるのよ!>
ひーこちゃんの目つきがきつくなる。
<またそうやって逃げる。そんなの、分からないよ、ひーこちゃんの気持ちなんて。ひーこちゃんが説明しようとしていないんだから分かる訳無いじゃない。それで分かってくれないから、ってすねてこんな所に逃げているんでしょ。それが無責任だ、って私は言ってるんだよ。>
<私は…>
ひーこちゃんはようやく立ち止まった。
<そうだよ、無責任だよ。代表失格なの。だからここにいるの。ああそうです、無責任です。ここまで逃げてきました。笑いたいんだったら笑えば。馬鹿にしたいんだったら好きなだけすれば良いじゃん。>
<ひーこちゃん! 何があったの!>
<何があった…>
ひーこちゃんは歩き出した。
<どう説明しろって? こんな話、長過ぎて説明なんか出来ない。>
<昔のひーこちゃんはそんなんじゃなかった。そんな風に、逃げる人じゃなかったよ。>
<昔の私じゃない事くらい、見れば分かるでしょ。昨日見たとき、最初は私だって気付きもしなかった癖に。>
<…>
<…疲れたの。色々あったから。>
<ひーこ、ちゃん…>
<…あんたは、洗脳が解けて、自分が正しい事をしてきたかどうか不安になった、ってさっき言ってたよね。私の場合は、洗脳も何も無しで、不安になったの。自分が正しいのかどうか。>
<…>
<…羨ましいよ。洗脳にかかっていたんだったら、その間の事は、ある意味自分の問題じゃないんだからね。私は違う。全部自分の問題。自分の責任。自分が冒した間違いなんだから。>
ひーこちゃんはいつしか私に顔を向けていた。
<自分の間違いで…人が死んだの。何人もね。知ってる人も一杯いたよ。昔のあんた並に仲が良くなった魔法少女だっていた。そういった子達が次から次へと死んでいくんだよ。攻撃弾を受けて、体をバラバラに飛ばされて、私の目の前で。泣きながら。…全部、私のせいで。>
<それは…本当にひーこちゃんのせいなの? ひーこちゃんが勝手に、そう思い込んでるだけなんじゃないの?>
<戦闘の時の…判断ミスで、味方を失う、とかだったら、簡単に誰のせいって言う事は出来ないかもしれないね。>
ひーこちゃんは、意外にあっさり引き下がった。
<でもモニク、例えば、勝つために積極的に味方を殺すっていうのはどう? 失うんじゃなくて、こっちから殺すの。自分の魔力で。昨日まで仲良く喋ってた子を。バタって倒れるの、目の前で。人とは思えないくらい、ぶるぶる震えて倒れるんだよ。>
<…>
ひーこちゃんはようやく腹をわって話し出してくれた。だから、こっちも何か返事を返さないといけない。
だけど、こんな話に一体どう返事を返せっていうんだろう。
<じゃあ、こんなのはどう? 勝つ為でもない、もう、負けちゃってるのがはっきりしてるから、早く逃げようっていう時。でも、目の前に助けてって言ってる子がいるの。もちろん、自分の知ってる子。そして彼はこっちの事を信じて、頼ってきている。もうギリギリなんだけど、でもまだ頑張れば、何とか彼を助けられるかもしれない。>
<…>
<そしてその状態で…彼を見殺しにするの。こっちが何かをミスったって訳じゃない。そうする事で他の命が助かるとか、そういう事でもない。…頑張れば、何とかなったかもしれない。そういう状態で……ただ見殺しにするんだよ、目の前で。…ただ、怖いから。怖くて自分が動けないから、っていう、それだけの理由でね…>
<…>
<怖くて動けない私の目の前でその子は死んだ。最後まで私の事を信じて、「助けて、助けて…」って言いながら。…私に裏切られて、死んだの。>
歩きながら念じているひーこちゃんの目が滲んでいる。
<…そんな臆病者に、ゲリラの代表なんか勤まると思う?>
<…>
私は恥かしかった。
悩んでいる方が正しい姿なんじゃないか、なんて先週から思っていたが、それこそそれが、思い上がりだったのだ。そんな気楽に志向できるものなんかじゃない。悩むっていうのは、自分が正しくないかもしれないからだ。それは、とんでもなく大変で、辛い事なのだ。
ひーこちゃん達がどれほど辛い目に会ってきたのか、私には計り知れない。
ひーこちゃんが私と話したくないというのもよく分かった。自分達がそんな目に会っている時に、一人安全な場所にいて、しかも本人はこっち側こそ正義、みたいな事を言っていれば話をするのも嫌になるのは当然だ。
それでは、私はもうひーこちゃんと話さない方が良いのだろうか。
<…>
<そんな目で見ないでよ。同情されたくて言ってるんじゃないんだから。>
<…>
でも、今のひーこちゃんは、私に同情されたがっているように見える。
私はまだ、自分が間違っていたと全面的に認めるつもりは無い。そこまではまだ分からない。だけど、友達としてひーこちゃんの事は助けたい。
<何とか言いなさいよ。>
<…それで。何を買いに出かけてるの?>
<なっ…>
もしひーこちゃんが許してくれるんだったら、しばらく一緒にいたい。私はそう思った。それで、私に何か出来るのかは分からないけれど。もしかしたら何も出来ないかもしれない。でも、彼女の話を聞く事くらいなら、私にでも出来る。
そしてそれは、多分、UOTRのお飾り顧問のような実は誰にでも出来る仕事よりは、私にとって重要な事のように思われた。
<バッグの荷物くらいだったら持つよ。…あ、私ね、このリュックにジュース詰めてるの。喉渇いたらいつでも言ってね。重いから、ちょっとこれ、何とか減らさないと…>
<…>
ひーこちゃんはしばらく私をみて目をぱちくりさせた後、付き合いきれないという顔で鼻息をつきながら首を振った。


街におりた私達、というかひーこちゃんは、市場で果物や野菜や鶏肉を買っていた。相変わらずの英語だが、慣れた様子で身振り手振りを交えながら買い物をしている。どうやらここの人達とは顔なじみになっているようだ。
ひーこちゃんは市場から歩き出す。
<で、次はどこで何を買うの?>
<…もう帰るよ。>
<あ、そうなんだ。何、今からこれで何か料理作るの?>
<念のため言っておくけど…あんたは来ないでよ。家にまで来られちゃ、たまったもんじゃないから。>
<え、何で? 来ちゃ駄目?>
<…ふう…>
ひーこちゃんは全身でため息をついてみせる。
<どうやれば、あんたから逃げられるのか今凄く考えてるんだけど。ねえ、どうすれば見逃してくれる?>
<見逃すっていうか…本当に嫌なんだったら、瞬間移動で逃げれば良いと思うんだけど。>
<…>
ひーこちゃんは一瞬驚いたような顔を見せてから、目を細めてこちらを見た。
<なるほどね。>
<…え?>
<大事な事言い忘れてた。私ね、あんたと違って、もう魔法少女じゃないんだわ。魔法使えないの。だから逃げるって言っても、自分で頑張って走るか、その辺のトラックの荷台に飛び乗るか、だね。>
<使えないって…え、何言ってるの、ひーこちゃん今テレパシー使ってるじゃない。>
<それ位美耶でも使えるよ。今の私のNKは1.6。ちなみに地球人の平均が0.7とされてるから、それの約2倍ってとこかな。まあ、純地球人としてはかなり高い方なんだろうけどね。>
<そ……冗談…>
<魔法も使えないただの高校生が、しかも臆病な高校生が、地球人を代表して戦ってちゃマズいでしょ。>
ひーこちゃんは半笑いでそう念じると、もと来た道を戻りだした。


<だから、付いてこないでよ。今の私は瞬間移動で逃げたり出来ないんだから。>
<何言ってるの? だからこうやって付いていってるんだよ。追いかけられるから。>
私達は街の目抜き通りと言って良いらしい通りを歩いている。昨日私が、クザラル人を目撃した場所だ。
<…>
<…ねえ、私も料理手伝わせてよ。>
ひーこちゃんはため息をついてから向き直り、こちらを見上げて歩み寄った。
<どうも分かっていないみたいだからはっきり言うけど。私は今のあんたは嫌いなの。だから、一緒にいたくないし、話もしたくない。分かったらもうこれ以上付いてこないで。>
<少なくとも話はかなりひーこちゃんの方からしていたような気がするけどね。>
<うるさいなあ。ホント、これ以上付きまとうようだったら警察を呼ぶよ。>
<ああ、良いんじゃない、呼べば。マレーシアの警察さんも喜ぶよね、あの失踪していた元EIM代表がこんな所で見つかった、って知れたら。まあ、私の方は系の魔法で自分の身元は隠せる訳だけど?>
<くっ…>
<で、何作るの? やっぱりマレー料理?ってそんなのひーこちゃん作れたっけ?>
<…>
あー、ひーこちゃん、あんまりそういう表情ばかりしてるとおでこに皺が増えると思うんだけどね。
「ああ、お前さん、昨日の勇敢な子だね!」
通りがかりの人から英語で声を掛けられて、私達はそちらの方を向いた。
この辺りで商売をしているらしき華僑のおばさんだ。おばさんは「ああ、ちょっと待ってて」と言って向こうへ走っていく。
<勇敢って何が?>
<え? あ、ん…ちょっとね。>
「ほら、これ持ってきなさい。」
おばさんはニコニコして、私に何かのフルーツ…ちょっと名前は分からない、の5、6個入ったビニール袋を押し付ける。
「そんな…受け取れません。」
「良いの良いの気にしないで、気持ちなんだから! ほら、持ってきなさいって!」
「あ、どうも…それじゃ、お言葉に甘えて。」
食えないほどマズかったらどうしよう、と内心酷い事を考えながら、私は笑顔でそれを受け取った。
「アー…シー・ブレイブ・ホワイ?」
ひーこちゃんがおばさんの方へ首をつっこむ。おばさんはますます笑顔をほころばせて昨日の事を話し出した。
いわくミミズク野郎達はホーさんとこの息子をこないだ誤射で殺した、方さん怒ってミミズク野郎に抗議、ミミズク野郎は方さんを口封じに殺そうとする、そこでこのブレイブ西洋レディー身を投げ出して方さんを助け、更にブレイブな事にその場でミミズク野郎に直談判、彼等を謝らせた。
「いやあ、ウチの馬鹿息子にもちょっとは見習わせたいよ、この嬢ちゃんの半分でもちゃんとしてほしいわねえ。」
等という閉め言葉で、彼女は事実3割・演出7割の話を完結させた。
「やっぱりあれかしらねえ、アメリカの女の人は勇敢なのかしら。皆強いわよね、スタイルも良いし。」
…いや、まだ完結はしていなかったようだ。何だか大分脈絡が無くなってるけど。
とりあえず話の大筋(但し事実3割)をつかんだひーこちゃんは、私に向かって肩を上げてみせた。
<…>
「私の店、あそこだから。いつでもこれが欲しくなったら来てよね。」
「あ、はい…。」
ついに話が完結したらしいおばさんは向こうへ歩いていく。
何を思ったか、ひーこちゃんはビニール袋を開けてその中のフルーツを一個取り出した。
<食べれば?>
<…は?>
<切れ目が入ってる。そこから割れば良いから。>
<は、はあ…>
おばさんからもらった青っぽい、大きなキュウリみたいなそれを恐々持ち、真中から2つに折る。
<じゃあ…こっち、食べる?>
一方をひーこちゃんに押し付け…じゃなくて、渡す。
<ありがと。>
ひーこちゃんはそれを受け取り、縦の切れ目からそれを割った。現れた中の果肉をひーこちゃんはかじる。
<食べないの?>
<…あ、うん。>
頷き、私もひーこちゃんの真似をする。
手や口がベタベタしてしまうのが難点だが、結構甘くておいしい。
<まあ、アメリカの女の子は違う、ってね。>
<…>
<ま、パリ人に間違われなかっただけましか。でしょ? モニク。>
<ん、まあ、ね…。>
ひーこちゃんはどこか嬉しそうだ。理由はよく分からない。
<一応、言うけど…あの人の言った事はかなり誤解や誇張が混じってるような気がするんだ。>
<だろうね。大体、通りを歩いてるクザラル人が、ここの人を一方的に攻撃なんてしないでしょ。正当防衛的なもんだったんじゃないの、多分。>
<…よく分かってるね。>
<そろそろ帰らなきゃ。>
ひーこちゃんはフルーツの皮を自分の袋の中に入れ、腕端末に目をやる。
それからひーこちゃんはこちらを向いて言った。
<どうせ逃げても追いかけてくるんでしょ。>
<…>
え?
<だったら怠けないで働いてくれる? これからちょっと力仕事するから。>
<…>
ひーこちゃんはそれだけ言うと、すたすたと山の方向へ歩き出した。
<あ、ちょ、ちょっと、待って!>
私は慌ててその後を追った。


私がひーこちゃんを見つけた地点から更に5分位歩いた地点でひーこちゃんは道を外れ、空き地、じゃなくて宅地に入った。そこには一軒のコンクリの平屋がある。
<うわ…>
…ボロい。
<…悪かったね。>
ムッとした様子で振り返るひーこちゃん。
<もしかして…ここに住んでるの?>
敷地はそこそこあるようだが、ボロい。住居というより住居跡と言った方がしっくりくる。コンクリートの壁に茶色いヒビが入っているように見えるのは、私の何かの思い違いだろうか。
<もちろん。嫌だったらいつでも帰って良いから。っていうか私は最初っからとっとと帰ってほしいって思ってるんだけど。>
<…入りますよ。もちろん。文句なんか無いですよ。>
私は呟きながらひーこちゃんの後を歩く。ひーこちゃんは片手でドアの鍵を開けた。
<でも…何でわざわざこんな家に? ひーこちゃん、別にお金に困ってる訳じゃないでしょ?>
<いや、結構困ってるけど? 05ってのの技術力が高いのは知ってるでしょ、あいつらん力を借りてお金を偽造出来ないかとか、今ちょっと本気で思ってるとこなんだけど。>
屋内は外ほどは汚くなかった。一種のワンルームというか、居間と台所とダイニングと寝室あたりが全部まとめて大部屋になっている作りのようだ。板張りの床は一応掃除されている。但しひーこちゃんが掃除をしているらしく、隅っこの方は何だか埃がたまっている。
<それにしたって…何でまた?>
<目立たない家の方が良いでしょ。もちろん実際には警備の人のお世話になってるけどさ、大きいよりは小さい家の方が警備は楽じゃない。>
ひーこちゃんは荷物をダイニングテーブルに置きながら答える。
<はあ…>
<靴、脱いで。ここは日本式だから。>
<あ、うん…>
それにしても…。
<こんな所にまでディアンジェロのポスターは貼ってる、と…相変わらず「良い趣味」してるねひーこちゃん。>
私は壁に貼られている、上半身裸の筋肉質の黒人男性の写真を見ながら言った。
<う、るさいな。私の家なんだから好きにして良いでしょ。>
<この調子だと、CDもさぞかしあるんだろうね。っていうかひーこちゃんのラップの聴き方って、何か不純なものを感じるのは私の気のせいかな?>
<良いから。ほら、手伝いなさいよ。っていうかその前に挨拶もしてないでしょ。>
<え?>
私はひーこちゃんの方に振り返った。ひーこちゃんは出っ張っている壁の向こうにいて、ここから見えない。私はひーこちゃんの声の方へ近づく。
<あ…>
そこに人がいた。
ベッドに寝ている。
<…アリーザちゃん?>
<ああ、名前覚えていたんだね。>
<う、うん…>
私はひーこちゃんの嫌味ったらしい口調に生返事を返しながら、ベッドに寝かされている人を凝視した。

目の前の人は頬がこけ、目は焦点を失ったまま動かない。肌は乾いた粘土のような色で、右腕や首筋にも肉らしい肉はついておらす、昔のひーこちゃんのような大雑把なセミショートの髪型の髪はパサついている。
そして、パジャマの左の裾口から腕が出ていない。よく見ると右脚も無いような気がする。
目の前の人と、私の知っていたアリーザちゃん…ニュースで見た一番最近の映像まで含めても、とは、どう頑張っても同一人物には見えない。

私は思わずひーこちゃんに<本当?>と言いかけ、慌ててそのテレパシーを自分の頭の中に押しとどめた。
<…何……です…>
<…>
何か頭に聞こえた。それはひーこちゃんの念ではない。私はアリーザちゃんの方を向く。
<あ、あの…>
<どなたですか、って。一応元同僚なんだし挨拶位すれば?>
<あ、>
私はアリーザちゃんの顔の近くまで来て、中腰に頭を下げた。
<私だよ。モニク。アリーザちゃん、ひさしぶりだね。…ちょっと、お邪魔、しにきたんだ。>
<…あ…>
アリーザちゃんは取りあえず、私の言ってる事は分かったらしい。彼女は僅かに微笑むと、目をこちら…側のどこかに向けた。
<…会う…久しぶり……モニク…>
<う、うん。久しぶり。…また会えて、嬉しいよ。>
<…も…ールさん…綺麗…>
<あ…あ、うん。アリーザちゃんもね。>
アリーザちゃんは、私の心のこもっていない念に、本当に驚く位優しく笑う。
<…どうぞ…気楽……自分を…>
<あ…うん。…くつろいでくね。>
私はアリーザちゃんに頷く。ひーこちゃんはため息をついてみせた。
<まったく。珍しいよね。人の家に勝手に押しかけて、くつろいでいきます、だって。どういう敵さんなんだか。>
<…>
アリーザちゃんは微かに体をゆらす。笑っているようだ。
私に代わり、ひーこちゃんがアリーザちゃんに顔を近づけた。
<アリーザ、今からお風呂入るから。都合大丈夫だよね。>
<…>
アリーザちゃんがひーこちゃんに何か念じている。テレパシーが余りに弱くて、こうやって少し離れたところに立っている私にはもう全然聞こえてこない。
<…何言ってんの、んな訳ないでしょ。>
今度はひーこちゃんが、アリーザちゃんの言葉に笑っている。ひーこちゃんはアリーザちゃんの肩を叩くと、ベッドの陰から移動用寝台を出してきた。
<モニク、足のほう持って。あ、足っていうか腰ね。>
<あ、う、うん。>
私とひーこちゃんは、寝たままの体勢のアリーザちゃんをベッドから寝台に移す。
予想していた事ではあったが、アリーザちゃんの体重は驚くほど軽かった。
<ありがと。じゃ、私はこいつの風呂にちょっと付き合ってるから、あんたはしばらくこっちで待ってて。…いない間に攻撃とか仕掛けるのはやめてよ。>
<そんな、いくら私だって>
<…え、ヤだよそんなの。どうしてもって言うならアリーザが頼めば? …はは…>
ひーこちゃんはアリーザちゃんの念に答え、笑いながらキャスター付き寝台を押していく。
<…>
大部屋の奥から伸びている通路の方にひーこちゃんはアリーザちゃんの寝台を押しながら消えていった。
<…何だか、仲良いの。>
春日部時代は馬鹿組が私とひーこちゃんで、賢い組がリジュワナちゃんとアリーザちゃんだったもんなんだけど。私は嫉妬混じりに呟いた。


<それで、説明してくれるよね?>
この日記を書く直前、今さっき、私はひーこちゃんとニ人、向かい合ってダイニングテーブルに座っていた。アリーザちゃんは既にベッドで静かに寝息を立てている。
インスタントのコーヒーを飲みながらひーこちゃんは息をつく。
<説明は面倒くさいしね…>
<…ひーこちゃん。>
<ふう…えーと、まず、怪我の方からかな。>
ひーこちゃんは自分の頭を整理するように首を傾げながら話し出した。
<あの怪我は、HYIがEIMを攻撃した時に受けた奴。最近の北京の攻撃じゃなくて、もっと前ね、EIMが一番最初にアメリカのニューメキシコに本部を持ってて、そこをHYIが襲った時。その時に攻撃弾にやられたの。>
<魔法協会が…理由も無くEIMを襲ったの?>
<疑いたいなら疑えば? …まあ、HYIにとってはEIMであるっていうだけで充分な理由だったんじゃないの、知らないけど。>
ひーこちゃんは肩を上げた。
<…別に、EIMの方から何か挑発した、とか、そういう事でもなく?>
<だからそれも。HYIから見ればEIMの存在自体が挑発じゃん、HYIと手を切って出来た組織なんだから、そもそも。>
<…>
<…信じたくないんだったら別に良いよ。ともかく、それでアリーザは左腕と右脚は無くしたの。>
<でも…結構最近のニュースで私、アリーザちゃんを見た覚えがあるけど…>
<HNKが性能の良い義手と義足はくれたよ。本人は面倒くさがって滅多に付けなかったけどね。>
<ああ…>
<で…まあ、それはそれ。だけど今あいつが寝てるのは、別に怪我とは関係ないよ。直接はね。>
<…そう、だね。>
確かに。彼女の様子は体の障碍しょうがいとは明らかに別問題だ。片足が無いという事と視力もまともに無いという事には、直接の因果関係があったりはしないだろう。
<何なの?>
<病気。>
ひーこちゃんは簡潔に答えた。
<それもやっぱり…攻撃で?>
<ううん。…持病っていうかな。性癖っていうか。…モニクは良く知ってるよね。>
<…まさか、>
<そ。>
ひーこちゃんは頷いた。
<でも…何で? そりゃ確かにアリーザちゃんはそういう事してたけど…でも、あんなになるほど抑えが効かなくなるなんて、彼女らしくない…>
それはまあ、誰でも抑えが効かなくなるのがハードドラッグだ、と言えばそれまでだけど。それでもちょっと信じられないものがある。
<つまり…怪我とか、そういう事で心労がたまったから、クスリに?>
<ううん。アリーザはそんな「可愛らしい」性格はしてないし、大体、私らだってそういう事が起きないように厳しく目を光らせてたから。プオの提案で、本当に少しだけは黙認してたけど。でも、キツい奴は見つけ次第全部ごっそり捨ててた。基本的にずっと病室にいたから、隠れてそういう事とかもまずしてないでしょ。>
<じゃあ…何で、こんな事に?>
<魔法少女だからだよ。>
薄暗い大部屋で、白熱灯に照らされているひーこちゃんは静かに言った。
<魔法少女…?>
<あんたもだけど、アリーザは地球人に擬態しているクザラル人でしょ。>
<…>
<それも、信じたくなければ信じなくて良いけどね。>
私の視線が鬱陶しいらしいひーこちゃんが話を続ける。
<とにかく、アリーザはクザラル人なの。遺伝子操作と手術でかなり地球人に近いところまでは来てるけど、完全に地球の生活に対応しきれている訳じゃない。特に魔術関係、つまり脳の働きに関するようなところで、彼女を作ったクザラル人が想定した事、以外の働きをされると、何が起きだすか分からないんだ。>
<つまり…>
<アリーザを作ったクザラルの科学者は、アリーザがキツいドラッグを使う、なんてとこまでは予想していなかったって事。この辺の詳しい話は私も何度聞いてもよく分からなかったけど、ドラッグっていうのは、種類にもよるんだけど、脳の普段あまり使っていない部分を刺激するものがあって。そういったものの一部は、一般より使う脳のエリアが広範囲である魔法少女の場合、脳への悪影響が強いんだって。つまり、処理しきれずに…何て言うの、オーバーしちゃうって事。普通の人がそういったドラッグを使った場合はさ、それでもまだ脳には余裕があるから、気持ちよくなるだけですむ訳なんだけど、魔法少女の場合、脳の中に、普通に生活するために使っている部分があって、魔術を発生させている部分があって、で、その状態で更にドラッグまですると、脳はもう処理しきれなくなっちゃって、で、場合によっては本来生活するために動かしている部分をサボりだしちゃうんだ。アリーザが今こういう風になったのは、昔からの積み重ねが一気に表に出たって事。>
<でも…急だよね。やっぱり、私が前テレビで見た時は…>
<彼女も無意識に、そういった異常を抑えていたの。…魔法でね。ところが魔法を処理している脳にまでついに影響が出だして、それまで覆い隠していたものがまとめて一挙に表に出てきちゃった。>
<…そうなんだ…。>
<…>
<…>
…何て言えばいいのか分からない。
一体何が悪いんだろう。そんな風に彼女を作ったクザラル人科学者か。ドラッグに手をつけたアリーザちゃんか。こんな事になるまで彼女を放っておいた魔法協会か。それとも前からドラッグの事を知っておきながら、それを厳しく禁止しなかった私だろうか。
<…それで、回復する見込みは?>
<ん…>
ひーこちゃんは私の顔をちょっと見てから、辛そうに目を落とした。
<…溜まってた借金を一気に払わされてるような感じで、脳の疲れが凄いらしいんだ。もう…いつ…脳が完全に止まっても、おかしくない…>
<…そんな…>
私は思わず自分の顔を手で覆った。
<…もう、分かったでしょ。私らがここにいるのは、アリーザの療養の為。…でも、療養って言い方はおかしいんだよね、もう治る見込みがある訳じゃないから。単純に医療で言うなら、もちろん本部にいて、いろいろ延命措置をとって、薬を一杯飲むってえのがベストなんだけど、でももう、そんな事をしていても意味が無いから。>
<それで…アリーザちゃんが、ここに来たいって? ひーこちゃんと。>
<ううん。一緒にいたいって言ったのは私。まあ、場所は多少アリーザのリクエストを考慮したけどね。>
<ひーこちゃんが?>
<うん。一緒にいたかったから。私が。何が出来るって訳じゃないけど、…せめて、一緒にいたかった。今の私に出来る事は、これ位だから。>
<…>
ひーこちゃんはどこかで聞いたような台詞を呟くと、自分の言葉に満足したかのように微笑んだ。
それは確かに、凄く綺麗な言葉だ。ひーこちゃんにそんな事を言われて、文句を付けられる立場の人なんて世の中に一人もいないと思う。
だけどそれは、私がここに来た理由と同じ位、何て言うか…
<分かってる。我侭だよね。>
ひーこちゃんは自嘲気味に呟いた。
<…>
<…>
<…でも。アリーザちゃんは、<そんな事ありませんよ、一緒にいれて私も嬉しいです>とか何とか言うよね、絶対。>
<うん。>
<優しいからね。>
<うん。…そうだね。>
ひーこちゃんはポニーテールを揺らしながら、微笑み頷いた。


6月27日 金曜日

一日ひーこちゃんとアリーザちゃんの家にいた。ひーこちゃんはテキパキと家の掃除やら、料理やら、家庭菜園(があるそうだ)の手入れやらをして働いている。
はっきり言って、違和感満載だ。
朝食の時に私は思い切ってひーこちゃんに尋ねた。
<ひーこちゃんって…料理作れる人だったんだね。>
<…美味い?>
ひーこちゃんは食卓を指差す。
<…いや、おいしいけど…>
トーストと目玉焼きと切ったフルーツがお皿にある。どれも、そんなに自慢するほど難易度の高い料理ではないと思う。と言うか全部私でも出来る。
<まあ、これは置くとしても、何て言うか…ちょっと意外だったから。>
<意外で正解。ここに来るまで料理なんかした事無かったよ。>
<はあ…>
<うん。だから、ここで料理しだした頃も、最初は知らない内に野菜が真っ赤になってたりとか、>
<え、え?>
ピピ。
<あ。>
ひーこちゃんは端末のボタンをおさえ、すぐ後ろの台所へ歩いていく。
鍋の火を消し、ふたを開けてひーこちゃんはおたまをその中に入れる。
<アリーザ用スープ完成ー。ん、美味い。それでは5分の冷却期間開始ー。>
おたまに軽く口をつけながらひーこちゃんは念じている。
<…>
私は思わず自分の皿の上の果物に変な色が付いていないか、しげしげと眺めた。


ひーこちゃんが働く一方、アリーザちゃんはずっとベッドにいる。それは当たり前だと言えば当たり前なんだけど、昼間とかでもとにかくよく眠っている。しかも明らかに快眠だ。
何と言うか、先の短い病人ならもう少し時間を大切にするものだと私は今まで思っていたのだが、彼女はそんな私の常識を軽く覆してくれている。
起きている時は、彼女は私の話を聞きたがった。私は一日かけて、この一年の私のしてきた生活とか、その前のエクサンプロバンスの頃の話をした。しまいにはアニメの話までした。もちろん、アリーザちゃんはアニメの知識なんかゼロだ。日本のアニメが全部が全部エッチな話な訳じゃない、という事実を知った彼女は、ずいぶんと残念そうだった。


6月28日 土曜日

05の音声再生装置を確認しながら今週前半の日記を加筆する。その反動という訳でもないが、昨日今日とあまり書く事が無い。
午後は、ひーこちゃんが言うところの「家庭菜園」の手入れを手伝った。
騙された。あれはどう見てもジャングルだ。炎天下の力仕事で、私はもう少しで熱中症で倒れるかと思った。この5時間に及ぶ労働の報酬は、クラッカーと昨日の作りおきのチキンスープ。…EIMがいたいけな魔法少女を搾取、とかでタレコミが出来るな、と思った。


6月29日 日曜日

昨日の深夜から、アリーザちゃんの調子が悪いようだ。少なくとも昨日おとといに比べ顔色が良くない。スープも飲みたくないらしく、今日のアリーザちゃんの食事は三食とも腕からだった。クザラル式の、腕にマッサージ機のような物を押し当てるタイプの一種の点滴だ。
テレパシーを使うのも辛いらしく、アリーザちゃんは口頭の英語で全部すませていた。


6月30日 月曜日

アリーザちゃんの体調は思わしくない。プライドがあるのか、彼女はここで、苦しそうな顔を殆ど見せない。それだけに、ごくたまに顔が歪んでいるのが目に入ったり、辛そうな息が漏れたりすると、逆にその印象が強烈に残ってしまう。HNKのクザラル人医師…マブルさんと言うそうだ、が週一で家に来るのが今日だったのだが、彼女はアリーザちゃんの様子を見るなり耳を立てた。マブルさんが言うには、これから更に容態が悪化する可能性が高いそうだ。マブルさんが大量にひーこちゃんに渡した薬は、皮肉にもダウナー系ドラッグと成分的に大差の無い、痛み止めの系統のものだった。
マブルさんは、これから回復するとか、逆にこれは絶望だとか、何日後で峠とか、もって何日とか、そういうような言い方は一切しなかった。どれも分からないからだ。そもそも、既にアリーザちゃんはいつ死んでもおかしくない事になっていた。

ひーこちゃんに<あんたいつまでいる気?>と聞かれてふと気付いた。確か、もうジュチャちゃんと約束した10日の期限は過ぎてしまったんじゃないだろうか。正直、すっかり忘れていた。やっぱり今も、モンスター…サクコブ生命体と言うべきか、は地球のどこかを攻撃しているんだろうか。ここではニュースを見ていないのでまるで分からない。


7月1日 火曜日

あまり書きたい内容の一日じゃなかった。
簡潔に言うと、夕方、アリーザちゃんの魔法が暴発した。上手く制御が出来なくなっているらしい。それのお陰で、スープの入った鍋とシャープのラジカセ、それにひーこちゃんの園芸関係の本が全て犠牲になり、もう少しでアリーザちゃんの左脚と私がどこか(恐らくここから20キロ位離れた場所)に飛ばされそうにもなった。
それと併行して…それのせいで、あるいはこっちが原因で魔法が暴発したのか、因果関係はよく分からないが、アリーザちゃんの心も暴発した。
最初は、アリーザちゃんがベッド上でバタバタと暴れ、急に叫び出したところから始まった。私達ニ人はベッド際に駆け付ける。アリーザちゃんは自分の胸を右手でかきむしり、「痛い、助けて」といった内容を、口頭とテレパシーで何度も繰り返す。だが、私達が近づこうとすると彼女は手近にあるトレイ等を投げつけたり、干渉弾を放ってきたりして近づけまいとする。干渉弾どころか、二度ほどは正真正銘の攻撃弾をひーこちゃんに撃ちすらした(もちろん私が防御したが)。
アリーザちゃんは泣きながら私達をなじる。人をペットにして、人をおもちゃにして、人をモルモットにして、人の誇りを失わせて、あなた達は恥かしくないのか。私がこんな苦しみを受ける謂れはない、むしろそんな汚い目で私の事を見るあなた達がこの罰は受けるべきだ。そんな内容のテレパシーを、今の一万倍位汚い口調で叫び続けた。
私は、そのテレパシーの内容云々より、あのアリーザちゃんが感情もあらわに泣き叫んでいる、という事にただ呆然としていた。どうやらそれは、ひーこちゃんも同じだったようだ。彼女もしばらく、悲しみよりも驚きの方が明らかに多い表情で、じっとアリーザちゃんを見下ろしていた。

いつしかアリーザちゃんのテレパシーはトーンが弱まり、比較的いつもの彼女に近い丁寧な口調になる。そしてその内容は、自分を殺してくれという懇願に変わっていた。

その間にも彼女の呼吸は乱れ、失禁をし、知らないうちに後ろの壁にまた小さな穴が開いていたりする。規定量の倍のマブルさんの薬…それを飲ませるのも一苦労だった、がようやく効き、彼女が落ち着き出したのは、確か夜の10時頃だった。


ここでのひーこちゃんはアリーザちゃん並に忍耐強い。だから、ひーこちゃんがあの後床を掃除していた時に隠し切れずに見せた表情は、私にはとてもやりきれない物に感じられた。


7月2日 水曜日

昨日から、アリーザちゃんはまともに話が出来なくなっている。そしてテレパシーも一切使えない。昨日から服用させている抑制剤のお陰で、魔力がほぼゼロになったからだ。アリーザちゃんの「病気」にとってはむしろ毒となる薬だそうだが、昨日の事の後では、こちらも背に腹は変えられない。
アリーザちゃんは、一日中うなされて首を振り続けている。私達には依然非協力的で、彼女なりの懸命の力でタオルを投げつけたり、私達を何とか押しのけようとしたりしていた。
後は…何も無い。日記に書けるような事は。


7月3日 木曜日

私は神様というものがいる事を、特に信じてはいない。日曜日に教会に行く事もないし、聖書よりは「ふしぎ遊戯」の方が人類にとって大切だ、なんて真剣に思っているようなバチ当たりな人間だ。
だから神に祈る、なんて行為を私がしちゃいけないのは分かっている。

…だけど。神様。


7月4日 金曜日

ここ数日昼夜がぐちゃぐちゃだった。基本的にひーこちゃんが寝ている間が私の昼で、私が寝ている間がひーこちゃんの昼だ。アリーザちゃんにとっては、殆ど24時間昼間だったような感じだろう。
仮眠から目を覚まし、居間(らしき部分)のソファーから私が頭を起こしたのは午前10時だった。おかしい。だって、確かチェンジの時間は7時前って言っていたはずだから。
寝ぼけかけの目で見回す。台所(の部分)で朝食を作っているらしいひーこちゃんが、こちらに気付き振り返って笑みをみせた。
<お、ちょうど良い所をかぎつけたねモニク君。>
ポニーテールを揺らし、彼女は鼻歌まで歌いながらスープと思しき物を温めている。
<あ…ごめん、寝過ごしちゃって。>
起き上がる私に、台所のひーこちゃんは向こうをむいたまま首を振ってみせた。
<そりゃ寝過ごすって。起こさなかったんだから。>
<う、うん…やっぱりそうなんだ。…何で?>
<あんたはここの新入りだから。HYIのお嬢様のお手をそんなに煩わせたら申し訳無くって。>
<…ひーこちゃん。>
<冗談だって。なん、別に、ちょっと残業する位で何って事でもないでしょ。元々時給とかがある訳でもないんだし。ん、っていうか、もう仕事が開けたっていうか…>
<え…?>
要領を得ないまま、私はアリーザちゃんのベッドの方に目を向ける。
<…おはよう、ございます…>
ベッドの上で上半身を起こしているアリーザちゃんが、微笑んで会釈していた。
<…>
<…>
アリーザちゃんが軽く首を傾げる。私は慌てて頷いた。
<あ、う、うん、おはよう。>
<…はい…>
<ようやく嵐が過ぎたみたい。昨日の夜から、大分発作は弱まってたでしょ。>
ひーこちゃんが鍋の前にはりつきながら言ってくる。
<ん…って言っても、その…体力的に疲れたんだと思っていたけど。>
<もちろんそれもあるけど。結果的に脳の異常活動が沈静化したんでしょ。薬の効果が現れてるのも大きいだろうしね。>
<…でも…一番大きいのは、お二人の、愛の…力、ですね…>
<…>
<…だってさ。>
否定もせずにひーこちゃんは肩を上げる。
<私に代わってから、あんたと同じ位の時間にアリーザも寝たんだわ。で、午前3時位だったかな、アリーザが起きだしたから、正直身構えたんだけど、全然普通になってたから拍子抜けしちゃって。>
<拍子、抜けと、言うか…異常なほど…喜んで…わざわざ、フェヨールさんを、起こそうと…>
<しかけたけど起こさなかったから、異常じゃあない。>
ひーこちゃんがアリーザちゃんの念を遮る。ひーこちゃんは今はサラダを作っているようだ。
<まあ…良くなったんだったら、良いけど…>
<…非常に…模範的な、拍子抜け…ですね…>
私のリアクションを、アリーザちゃんが多分誉めた。
<…あ、朝食手伝う。>
私は立ち上がった。
<良いって。もう殆ど出来てるから。>
<…そ。>
<にしても今回の嵐はデカかったねえ。本はまあ良いけど、ラジオはちょっと勿体無かったよ、アリーザ。>
<…あまり、記憶に無いのですが…それもまた…秘境リゾートらしくて…良いかと…>
<何言ってるんだか。普段一番使ってるの自分の癖に。新しいのはあんたが払ってよ。>
ひーこちゃんが笑いながら言う。
<それは…又、交渉するとして…佐藤さん…フェヨールさん…>
<ん…?>
ひーこちゃんと私はアリーザちゃんの方に顔を向けた。
<…ええと…>
アリーザちゃんは穏やかな顔のまま、ベッドで何か考えている。
<何よ。>
<…あの…>
<ん?>
<…>
アリーザちゃんはふと何かに笑うと、顔を上げ改めて私達を見た。
<…今日も、暑そうですね…>
<…>
<アリーザ、あんたの言う事が余りに素っ頓狂だから、モニクの口が開きっぱなしになってるよ。>
…あ、しまった。またあのマヌケ顔になっていたようだ。
<…おかしい事…言いました、か…?>
<ん…ま、間違った事は言ってないか。>
ひーこちゃんはアリーザちゃんを眩しそうに見つめ、微笑んだ。

<そう、思います…>
アリーザちゃんは軽く頷く。
<…佐藤さん…ところで…>
<ん?>
<…そろそろ…果樹園の、クールJが、良い頃合…なのでは…?>
…クールJ?
<う、うん。>
ひーこちゃんがこっちをちらと見て、何だか恥かしそうに頷く。
<じゃあ、今取ってくるか。快気祝いって事で。>
<…それは…豪気ですね…>
<でしょ? あ、モニク、すぐ戻ってくるから、5分位だけ待っててくれる?>
<あ、うん。…ところで、クールJって名前…もしかして>
<すぐ戻ってくるから。>
<…>
ひーこちゃんはさっさと靴を履き、逃げるように家を出て行ってしまった。


バタン。
<…>
<…>
<…さて…>
ドアが閉まったのを確認してから、私はアリーザちゃんのベッド近くに行き、そばの椅子を引っ張り出して腰を降ろした。
<…どう、しました…?>
<それで…本当はどうなの?>
私は、さっきからずっと頭にあった疑問をようやく言葉にした。
<…何が、ですか…>
<体調。本当に良くなったの?>
<…それは、もちろんですよ…昨日とは…違うのは、見て、…お分かりかと、思いますが…テレパシーだって…今は、明瞭でしょう?…もう、魔力を、抑えなくても…大丈夫ですから…>
<確かにね。…でも…>
<…>
<…>
<…>
私は息をついた。
<…じゃあ、何でひーこちゃんを追い出したの? 私とだけで、何か話したいんだよね?>
<…そう、来ましたか…>
アリーザちゃんは微笑み首を振った。
<流石…明晰な…フェヨールさんだけ、あります…>
<良いから。さっきは本当は、何を言おうとしてたの?>
<…フェヨールさん。私は…見ての通り、元気です。……今は…>
<…>
<…科学的には…根拠は、挙げられませんが…恐らく、今日の私の…元気は…命の、最後の輝き…なのではないかと…>
<随分…>
心臓がドキドキ言ってる割には、響く自分のテレパシーは妙に冷静だった。
<乙女チックな事言うんだね、アリーザちゃんって。>
<…魔法少女、ですから…>
<…>
言う台詞なんか、思いつく訳も無かった。
<…お願いが、あります…フェヨールさん、「ひーこちゃん」を…よろしく、お願いしますね…>
<な…そん…>
<…佐藤さんは…お分かりでしょうが、私の…看病が、…生きがいに、なってしまって、いるんです…もし…私が死ねば…彼女は…今の自分を、否定されたように、感じてしまう、事、でしょう…>
アリーザちゃんは優しげな眉を、ほんの少しだけひそめてみせた。
<…ですから…フェヨールさん、お願いです。私は…今日か…明日には…もう、灼熱の地獄で>「はっ」
アリーザちゃんが急に変な声というか息を出した。私は思わず立ち上がる。
<アリーザちゃん?>
<…>
アリーザちゃんの視線よりは、生暖かい風の方でふと気がついた。玄関のドアが開いている。

<…っ!>
振り返る。太陽の逆光が照るなか、ひーこちゃんがこちらを見て立ち尽くしていた。
<…まだ…実は、熟していなかったでしたか…>
手ぶらの彼女を見てアリーザちゃんが小さく呟いた。
<…あ、ひーこちゃん、>
<…>
彼女は首を振る。
<あの……あの、今の話は、全部ブラックジョークで、>
<…>
近づこうとする私と歩幅を合わせるように、彼女は後ずさる。
<冗談だから。ね。あの、本気で受け取らないで。…知ってるでしょ、アリーザちゃん平気でそういう事言う子だから私もつい合わせちゃって。>
<…>
<…いやあ、本当言うとね、ひーこちゃんを驚かせようと思ってどっきりの練習してたんだけど、まさかその現場を見られてるなんて思ってなかったから>
<…>
ダダッ。
<あ、ちょっと、>
彼女は首を何度も振ると、外へ一目散に駆け出した。
<ひーこちゃん!>
私は一瞬後を追おうとしてから、後ろを振り返った。
<…>
アリーザちゃんは頷いてみせた。私は頷き返す。
私はひーこちゃんを追ってスリッパ履きのまま駆け出した。


坂になっている車道をしばらく走り、呆気ないほど簡単にひーこちゃんに追いついた。
追いついたというか、彼女は逃げるでもなく、道脇の草原…空き地と呼ぶべきだろう、に座り込んでじっとしていた。
この坂道は、つい先週私とひーこちゃんが久しぶりに出会った場所から、数メートルも離れていない場所だった。道の進行方向を見下ろすと、サンダカンの白い街並みとその先に青い海が見える。海の上にあるのは、海と同じ位に濃い青の空。
<…ひーこちゃん。>
<ごめん。…しばらく…>
<…うん。>
ひーこちゃんは体育座りで、頭を両腕の間に隠すように下げている。私はその近くに腰を降ろした。
もちろん今日も炎天下だった。時折車道を走る車が、熱風と埃を巻き上げる。
見下ろす街の、ちょっと雑でちょっと安っぽい原色の景色は、改めて見ると笑えてくるほどに美しかった。
<…いつかこの日が来るのは、分かってたから、>
ひーこちゃんは顔を上げる。涙は無い。
<うん。…大丈夫。大丈夫だよ。私はね。こうなる事は最初から分かってた。ううん、これが目的でここに来たんだもん。別に、ショックを受けるような事なんて、何にも無いよ。人が死ぬのを見るのは、楽しい事じゃないけど、正直もう飽き飽きするほど見まくってるし。だから、大丈夫。…良かったよ、今回はモンスターにやられる訳じゃないから、目の前で陰惨な事が起きたりする訳じゃないもんね。アリーザも、親御さんと一緒じゃなかったのは可哀相だけど、最後に私達と一緒にいられるんだから、ね。幸せもんだよ。>

<…>
空き地の隅に、数株の白い花が咲いている。その可憐な美しさが、今の私には苛立たしい。街も、海も、空も。全てが私の神経を逆撫でする。…ああ、暑いなあ。何だって私は、こんな場所に立ってるんだ。

ひーこちゃんは立ち上がり、私に笑顔を作ってみせた。
<ね、そう思うでしょ、モニク。>
<…>
本当に時間が経っちゃったんだなあ、と思った。
ひーこちゃんは、いつからこんな悲しそうな笑顔をする子になったんだろう。
<ねえ…私達、魔法少女同士なんだから。言ってるテレパシーが本心かどうか位、お互い見当がつくもんだ、って思ったりしない?>
<だって。私、魔法少女じゃないし。>
それでもひーこちゃんは笑っている。暴力的な陽の光を浴びながら。
<そっか。でも、それは普通の友達同士でだって同じ事だよね。>
<は、はは…>
今度はまた、ひーこちゃんは違うタイプの笑いを私に見せている。
<じゃあ、何。あんたは私に泣いてほしいんだ。ここで我慢しないで泣けって訳ね。おいおい、と。アリーザ死んじゃ嫌だ、行かないで置いてかないでって叫んでほしいんだ。ま、そっちの方が女の子らしいもんね。>
<…ひーこちゃん。ひーこちゃんが本心から、アリーザちゃんの最期を笑顔で迎えられるって言うんなら…もちろんそれが楽しいって意味じゃなくてだよ、でも笑顔で迎えられるって言うんなら、それなら、私は何も言わない。…でも、違うんだもん。何を我慢しているの? ひーこちゃんの意地の張り方は、私にはよく分からない…>
<あんた、「魂は日本人」だったんじゃなかったの?>
<だってひーこちゃんの魂はアメリカの黒人なんでしょ?>
<いつ誰が言ったのよ、そんな事。>
<あのね…何言ってるんだか分からないって思われるかもしれないけど…泣いて欲しいって言ってる訳じゃないんだよ。一番良いのは、笑顔で送る事なんじゃないかな。でもそれは嘘の笑顔じゃいけないと思うんだよね。ひーこちゃんの…笑う顔はね…もっと…馬鹿っぽくないと…そんな、探偵物の主人公みたいな苦味ばしった顔はね……ひーこちゃん、はね…>
ひーこちゃんは「え?」と声を上げ口を横に広げる。
<え、はい? 何でそこで、あんたが泣いてるの? …悲しいから?>
<…分かんないよ、そんな事っ!>
私は何度も首を振った。
<いや、でも…私の方が分からないんだけど…>
<…ひーこちゃん、>
目を拭った私は顔を上げた。
<嘘はつかないで。自分に。>
<…何で嘘をついたら駄目なの? …ついていい嘘だって、中にはあるじゃん。>
<上手い嘘ならね。でもすぐバレるような嘘はちょっと。私ですら気付くような嘘を、アリーザちゃんが気付かないと思う?>
<…でも…>
<…>
ひーこちゃんが言おうとして言えない事は分かる。気付いたところで、アリーザちゃんはそれを許すだろう。許すというより、そもそもそれが悪い事だとも思わないだろう。
でも問題はアリーザちゃんじゃない。怖いのは、ひーこちゃん自身が自分の嘘を許せるか、なのだ。自分についた嘘の虚飾は、今のもろいひーこちゃんには、ちょっと重荷過ぎる。それが私は心配なだけなのだ。
…かといって、それこそ<泣け>と強要するのもおかしいかもしれない。ショックを正面から受け止めた結果は心の崩壊でした、とかではシャレで済まされない。私がしている事は大きなお世話どころか、むしろ害毒なのだろうか?

<…>
…そこまで思ったところで自分のいた魔法協会の事が浮かんでくるあたり、私も大分ひーこちゃん達のプロパガンタに毒されてきているようだ。
ニ人とも感情的でいては、話が解決もしないだろう。少し私は冷静になったほうが良い。
…それに、家に置いたアリーザちゃんの事がちょっと気になる。
私は私同様黙りこくっているひーこちゃんにテレパシーを送った。
<ひーこちゃん…いつでも…何か、話したくなったら私に言って。…多分まだしばらくは、ここにいると思うから。一応、私は今でもひーこちゃんやアリーザちゃんの…友達のつもりでいるから。>
<…敵なのに?>
ひーこちゃんの念は攻撃的ではなく、酷く弱々しいものだった。
私はやれやれ、とため息をついた。
<もう、敵じゃないんだよ…私は間違ってた。私は洗脳されてたの。私は私でいて、私じゃなかったんだよ。>
<…>
<…洗脳を解かれた瞬間から、そんな事はとっくに分かってた。ただ認めたくなかった…認めたら、自分が間違った事をしてたって認める事になっちゃう。皆に迷惑をかけて、直接的にではないにしろ何人もの人が死んだ原因になったって、ひーこちゃんやアリーザちゃんやリジュワナちゃんを苦しめて、酷い事をしていたって、認める事になっちゃう…そんな事実は、事実と認めたく、なかった…>
…嫌だな。そんな事今、話すつもりなんてなかったんだけど。嫌な事思い出させないでよひーこちゃん。
<…>
私は歩き出す。ひーこちゃんが背中から声を…テレパシーを、かける。
<…戻るの、家に?>
<…喉が渇いたからね。>
私は片手を上げ、そのままボロ家への道を戻っていった。


そして、私は家に人がいないのを発見した。
ドアを開け、土で汚れたスリッパをぬぎベッドに向かう。そこにアリーザちゃんの姿は無い。
車椅子はちょっと離れた場所にある。そもそもここでアリーザちゃんがあれを使っているのを私は見た事が無いのだが、いずれにしろそこにあるんだから、車椅子は使われていない。
だから、自分では動けないはずだ。いくら何でも今のアリーザちゃんの体力で義足を付けて歩き出すとも考えられないし。
という事は…誘拐か?
HYIが私の後を実はつけていて、ここに来てみたらいたのがアリーザちゃんだったから代わりに連れて行った…あってもおかしくない話だ。
強盗の可能性もある。ここは余り物騒な街には見えないが…動けないアリーザちゃんだけをおいて鍵もかけずに出て行ってしまったのだ。家に入ろうと思えば簡単だったはずだ。
<ああもう、どうして一人おいていっちゃった…>
独り言を言い終わる前に私はテレパシーを止めた。理由は分かりきっていた。あの時点では、私はひーこちゃんの方が危なく思えたからだ。
それはとにかく、探さないと…。
私はベッドの辺りを見回す。シーツは乱れてはいない。物が散乱している様子もなさそうだ。
<えっと…>
私は右手を自分の頭に置いた。どこだ。どうやったら探せるんだろう。
<…>
私は取りあえず家の中を見てまわる事にした。通路の奥にあるトイレとシャワールームと物置をそれぞれ見る。どこにもいない。
いないのはもう分かりきっているが、念のため大部屋内の「台所」や「居間」の方ももう一度見る。棚に隠れでもしていない限りいないようだ。
<…どうしたの?>
頭に響く念に私は顔を向けた。
<ひーこちゃん、いないの、アリーザちゃんが。>
<アリーザが…?>
<うん…>
<…>
腕を組むひーこちゃんは意外に冷静そうだ。
…いや、こういう状況だと逆に冷静になれるんだ、この人は。
<誰かが連れてくって事は考えられないから…って事は自分でどっか行ったんだ。車椅子は?>
<車椅子なら、そこにあるけど…。>
<あ、ほんとだ。>
<でも、何で誰かが連れてく事は考えられないの?>
<…だって、一応警備がいるんだからそれは彼等が阻止するでしょ。>
あ、そうか。それはそうだ。ここで私達のやっている「普通の生活」っていうのは、あくまで警備に守られた上でのお芝居みたいなものだったんだ。
<…あ、でも警備がやられてたら別か。>
ひーこちゃんは腕端末を操作し、どこか(警備員だろう)に電話をかける。
「…はい代表、何でしょうか?」
「シンブル、こっちに何か反応は無かった? あ、反応じゃなくても、侵入者でも。」
「こっちというのは家にですか? いえ、別に…何か問題でしょうか?」
「アリーザが…ちょっといないんだよ。だからどこに行ったかそっちで分からないかな、って…」
「本当ですかっ! あ、はい、今、至急調査します!」
「お願い。何か情報があったら報告して。」
「はい!」
「じゃ。」
ひーこちゃんは腕端末のスイッチを押す。
<…何だか全然、知らなかったみたいだね。>
<異常も、何も無かったみたいだしね。>
<じゃあ、…つまり、どういう事? 警備の人達、アリーザちゃんが外に出たのだって目撃してないんでしょ?>
<…>
ひーこちゃんは考え込む表情をみせ、「あ」と口を開いた。
<そっか。でもまさかそんな魔力がまだ残ってるとは思っていなかったけど…>
<何?>
<瞬間移動だよ。この家にいなくて、外に出たのを見られた訳でもないって事はそれしかないでしょ。>
<あ…>
言われてみれば当たり前だ。
でも、私はそれに気付かずひーこちゃんは気付いた。昔のひーこちゃんだったら、多分今の私と同じで、気付かなかったような気がする。
って事は、彼女はこの一年で成長もしたっていう事だ。私とは違って。
<…え、でも、それだったら、他人がこっちに瞬間移動で来た可能性だって…>
<だから防御してるんだって。その設定を解除出来るのは、解除コードを分かってる側の人間だけでしょが。>
<あ、そっか…>
<…>
ひーこちゃんはベッド近くのクローゼットを開ける。下着をのけると、小さめの据え置き型魔力増幅装置が顔を出した。
<…そんなのあったんだ、この家。>
<…敵さんに手の内を全部は見せられないでしょ。>
冗談なのか本気なのかよく分からない口調でひーこちゃんは言う。
<…>
ピッ、ピピッ、ピッ、ピッ。
壁にバーチャルディスプレイが表示されひーこちゃんはそれを操作する。
画面に新たな表示が現れる。それを見たひーこちゃんは首を振る。
<あー。何にもログ無いや。使われた形跡無いね。>
<じゃあ…自力?>
<そうだね。今のあいつなら、そう遠くは行けないとは思うけど…>
<って言っても…>
この街はちょっと道を外れれば、熱帯雨林がいくらでも広がっている。そんなところに行かれたら見つけるのは相当困難だ。
<…あ、ひーこちゃん、魔力反応のログとかは?>
<…ん、>
ひーこちゃんは今度は腕端末の方のバーチャルディスプレイを立ち上げて操作しだした。ひーこちゃんは眉をよせる。失望した顔というより、不可解そうな顔をひーこちゃんは見せた。
<消されてる…?>
<…ログが? 反応無いの?>
<ん…っていうか、アリーザがいない事になってる…>
<…へ?>
私は自分の腕端末を操作し、ひーこちゃんの見ている画面をフランス語版で自分の前に表示させた。
<…>
確かに。今日の魔力反応が特に記録されていない、というのもさる事ながら、アリーザちゃんが最初からここにいる人のデータに登録されていない。過去のデータにもだ。
<…データを書き換えたのかな?>
<確かにアレはパソコン苦手ではないけど、あんたみたいに特殊技能がある訳じゃないよ。…系の魔法で隠してるんでしょ、これ。>
<系魔法…>
つまり、本当はデータは存在しているのに、私達の脳がそれを認識する事を拒絶するよう仕向けているのだ。
<…何でそんな事までして、まるで私達から逃げてるみた…>
<…っていうか、逃げてるんでしょ?>
<…>
<って、何で?>
自分で言っておいて、ひーこちゃんが私に聞いてくる。
<何で、って…>
<…>
私もよく分からない。良くない予感だけは、石を落とした水面の波紋の如くさざなみだっているけれど。
<とにかく探さないと。>
私はイハッジャを取り出し、誰もいない空中に構える。
イハッジャの投影石は私の流す気律に従いその光を放ち出した。
<…ビャクニウ・エンティフ!>
私の念と共に、ピンクの光の波が周囲へ拡散する。一瞬目を閉じるひーこちゃん。
私達は再び目の前のバーチャルディスプレイに目を向けた。
<…う…>
<…ま、人には向き不向きもあるし…。>
系の魔法を解除しようとした私の試みは、見事不発に終わっていた。表示は全く変わっていない。
うう…いくら下手だって言っても、瀕死の病人に魔力負けてる私って一体…。
<しょうがないよ。じゃあ、データを見ても分からないって事は、街にでも出て探すしかないか。>
<そんな…>
<…>
ひーこちゃんがふと目をそらし、何か考える表情を見せる。私は彼女の顔色を伺う。
<…あ、ひーこちゃん、何か良いアイディア思いついた?>
<いや…あのさ、アリーザが自分から逃げてるんだとしたら…つまり、私達に追って欲しくないって思ってるって事でしょ?>
<…>
……は?
<…だから、何で私達追いかけようとしてるんだろうって…どういう事情か知らないけど、あいつが一人になりたいと>
<ひーこちゃん!>
私は叫ぶように念じ、ひーこちゃんを睨んだ。
何とか自制して、パンチ等はくらわせなかった。私もちょっとは大人になったものだ。
<…あ…その…>
<行くよ! 街に! 何としてでもアリーザちゃんを見つける、良いよね!>
<…あ…ん…>
私はひーこちゃんの手を無理矢理引っ張り、暑い屋外へとまた歩き出した。


太陽の照りつけるなか私達は街中を歩き回った。人々に話を聞くが有力な話は得られない。…まあ、当然だった。データが「消される」位なんだから、人々の視界に正しいアリーザちゃんの姿が「見えない」のは当たり前だ。私達は何度も何度も同じ通りをぐるぐる回り、通りを行き交う人々の姿を眺め、フラフラになりながらあの変な性格のマレーシアン・アメリカンの姿を探し続けていた。

気が付けばもう日が暮れかけていた。
ヤシの木とベンチの並ぶ、大きめの歩道つきの道で、私は大きなため息をついていた。
この道は、今日通ったのは既に3回目だったと思う。4回目だったか?
<もう、駄目…私…もう動けない…>
私はひーこちゃんにしなだれかかった。ちなみにニ人とも、お互いちょっと近寄りたくない位に汗臭くなっている。
<ちょっと、モニク、こっち来ないで、重いでしょっ!>
<あ゛ー…>
ひーこちゃんは無慈悲に私を追い払う。
<ふう…>
<って、何でそれで改めてひーこちゃんが私に寄りかかってくるのかな。>
<だって…私徹夜明けなんですけど…>
<あ…>
すっかり忘れてた。
<はあ…>
よしよし、と私はひーこちゃんの肩を叩く。もうお互い疲れきっている。特にひーこちゃんはキツいだろう。
アリーザちゃんを探すのは良いが、このままでは私達がバテてしまう。少し対策を練り直した方が良さそうだ。
私はひーこちゃんにとりあえず一休みしようと提案、道ぞいのベンチに腰かける事にした。

<よいしょ…>
ここはビーチ沿いの道だ。この歩道のベンチに座ると、ヤシの木の向こうにコンクリートの段差があって、その先に砂浜がある。…街中なのでそんなに綺麗とは言えないけれど。そしてその先は南シナ海だ。
<ふう…>
私の隣でひーこちゃんは、ちょっと眠たそうに目を細めながらため息をついている。私は海辺を眺める。
<あ…>
私は呟いた。
はあ…。
って事はまた歩くのか。
私は今さっき座ったばかりのベンチを、ちょっと嫌々立ち上がった。
<…どうしたの?>
不思議そうにひーこちゃんが見上げる。私はヤシ並木越しの十数メートル先を、親指で示した。
<行かなきゃ。>
<え…何が?>
<見えるでしょ。>
<…>
ひーこちゃんは立ち上がり、私の指す方向に目を細める。
<…何が?>
ポニーテールを揺らし、彼女は首を傾げて見せた。
<…>
…あ、そうか。ひーこちゃんは魔力がもう無いから、分からないんだ。
<…アリーザちゃんが、いるじゃない。砂浜に。もう系の魔法が大分弱まって、私でも見破れる位になった。>
<…>
さっきもあそこに同じ人影はあった。地元の少女が、コンクリートの壁に寄りかかりながら砂浜で何もせずただじっと佇んでいるから、ほんの少し違和感はあったのだ。
ひーこちゃんはその人影…ひーこちゃんにとっては、まだ地元の少女にしか見えていないであろう人影、を眺め口を開ける。
<…行こう。>
私は歩き出した。
<…>
<…>
私は歩くのをやめて振り返る。
<来ないの? まさかここで逃げる訳じゃないよね?>
<う…>
<…>
<う……うん…>
<…>
私の視線に引っ張られるように、ひーこちゃんは重い足を動かし出した。
<…>
私達は段差を下りる階段の方向へ歩き出す。


私達は砂浜に下り、少女のもとへ向かう。
下りると如実に分かるが綺麗な砂浜ではない。ゴミが結構散乱している。
そんな中で彼女は本当に優美に佇み、じっと水平線の方を眺めていた。
<…ひーこちゃんは見えないんだよ。もう解いて良いでしょ。>
<…>
アリーザちゃんはゆっくり顔をこちらに向けると、微笑んだ。
<…>
<…あ! あ…>
ようやく見えるようになったらしいひーこちゃんが、意味の成立していないテレパシーを発する。
<…ニ人とも…遅かった…ですね…>
<…>
アリーザちゃんがいつものように軽口を叩く。私もひーこちゃんも、その理不尽な台詞に文句もつける事も出来ず、ただ黙って彼女を見下ろしていた。
<…どうぞ、腰を降ろして、ください…ニ人とも、疲れたでしょう?…>
<…>
私達ニ人はお互いを見合った。

ザザ…。
<…どうして、こんな事を?>
アリーザちゃんの両隣に私達は座る。アリーザちゃんは背中こそ護岸の壁に寄りかかっているが、一つの足しかないところを松葉杖も無しに右手で踏ん張って、ようやく左右どちらかに倒れてしまうのを回避している。私はアリーザちゃんが倒れないように、彼女に肩を貸すような形で密着して座った。
<…夕焼けが、見たかったんですよ…だから…来たんです…>
アリーザちゃんは私にそう答えた。
<…何でわざわざ居場所を隠したのか、っていう事についての答えを聞きたかったんだけど。どっちかって言うと。>
私の質問に、アリーザちゃんは笑って首をゆっくり振る。
<…だって…そうしたら、見つかっちゃうじゃ、ないですか…夕焼けが…見れなくなって、しまいます…>
<…>
ひーこちゃんはただアリーザちゃんを見ながら黙っている。私は言った。
<だって…もし、見つからなかったら? 今、アリーザちゃん……危ないんでしょ? 万が一、私達が見つけられない間に>
<…大丈夫…お二人なら…見つけられる…思ってましたよ…>
<そんな…言ってる事おかしいよ、アリーザちゃん。>
<…良い…です…だって、…おかしいです…私…昔から…会った、頃…>
<…>
ひーこちゃんは海の方を見ていた。昼間あんなにギラギラしていた太陽は、今はオレンジと紫を混ぜたような色に空と海を染めて、今日最後の輝きと共に、徐々に徐々に、水の向こうに消えようとしている。
<…この街の夕焼けなんか私初めて見るよ。>
ひーこちゃんはぼそっと呟いた。
<…佐藤さん…夕食の支度して…この時間は…>
<そうだね。当然アリーザも初めて見るんだよね。…家に閉じ込めっぱなしだったもんね私。>
<…佐藤さん…>
<良いの、フォローしてくれなくて。事実だから。私は>
<佐藤さん……愛しています…>
立つまではいかなかったけど、ひーこちゃんは文字通り飛び上がった。
<は、はっ!?>
<…そういう…意味では…>
<あ、う、うん。もちろん分かる。…わ、私も、アリーザの事は大好きだよ。>
ひーこちゃんは小刻みに頷く。
<…フェヨールさん…>
<…あ、私も? あ、ありがとう。>
<…お二人とも…本当に…ありがとう…こちら、こそ…>
<…>
アリーザちゃんが一瞬揺れたような気がして私は横を向いた。
<…>
良かった。ただの気のせいだったようだ。
アリーザちゃんはテレパシーを続ける。
<…これから…してください…自分の好きな…物事…>
<…>
<…私は…良くない…頭が…残せない…言葉は…含蓄の、ある…>
<…>
<…だから…私は…ありがとう。お礼です…好きです…ニ人とも…幸せ…会えて…ニ人…皆…>
<ア、リーザ…>
ひーこちゃんが呟く。
アリーザちゃんが続ける。
今のアリーザちゃんに、私達の顔が目に入っているのかどうか、私にはよく分からない。
<…して…あなた…好きな…事…しない……こうかい…おねがい…>
アリーザちゃんのテレパシーはどんどん聞き取りにくくなっていく。
<…いのる…かみ…まもる…あなた、たち…>
<…>
<…>
<…アリーザちゃん?>
<…>

私に目を合わせず、前を向いたままのアリーザちゃんは、そこでいつものように優しく微笑んだ。
<…みて…きれい…うみ……たいよう…おちる…いろ…>
<…>
<…みて…>
<…>
私とひーこちゃんは前を向いた。
<…>
確かに、綺麗だった。海はそれほどでもないと思うのだが、やはりこうやって水平線に陽が落ちていく光景は、それなりのものがある。
私達は皆、じっとそのオレンジ色の丸を眺め続ける。
その丸は赤くゆらゆらとゆらぎながら、水平線に口をつけ、そのままどんどん欠けてゆく。最初は太陽側が水に口をつけるような感じだったのが、いつしか水にのみこまれ、そして知らぬ間に立場が逆転し、太陽が水に、むしろ圧倒されていく。
それでもオレンジ色の円の、上の方の弧の部分が抵抗を続け顔を出し続けるが、最後には一番てっぺんまでぽつり、と水に飲み込まれ、太陽は完全に姿を消した。


数メートル前ではじける弱い波の音が、すぐ頭上の方から聞こえる車の走行音やクラクションと混じり合う。
日が完全に落ちると共に、周囲は急速に暗くなりだす。まだオレンジ色の残滓が遠くの空に残っているが、それが消えるのも後数分の内だろう。

ニ人とも、それでもずっと水平線を見続けていた。もう横を向く勇気なんて無かった。
さっきまで三人だった私達は、今はニ人だった。


7月5日 土曜日

EIMに連絡を入れて、美耶ちゃんやリチャードさん(例の一番よく働いている人)に来てもらった。アリーザちゃんの遺体は向こうへ持ち帰り、お葬式をするとの事。御両親はまだ連絡が取れていないが、何とかして探したいと美耶ちゃんは言っていた。ひーこちゃんは皆に会いたい気分ではないと言って、どこかへ逃げている。私は自分に任せるよう言い含め、心配する美耶ちゃん達を帰した。
…正直、私自身自分で解決出来そうな事だとは思っていないけど。


7月6日 日曜日

朝になったらひーこちゃんは家に戻ってきていた。どこで切ったのか、髪を春日部の頃よりちょっと短い位のセミショートにしている。なんにしろ戻ってきた、という事で最初はほっとしたのだが、彼女の状況は全く思わしくない事がすぐに分かった。完全に茫然自失といった雰囲気で、一日中何をするでもなく自分のベッドに座り、時折思い出したようにすすり泣いている。何度か、というか何度も声をかけるが、まともに相手にされる事は無かった。


7月7日 月曜日

昨日と全く変わらず。唯一違った点は、私が目を離した隙に、隠してあった錠剤…おそらくアリーザちゃんから没収していたドラッグ、を適当に飲もうとした事。あわてて取り押さえて事無きを得た。
とにかく医者に見せた方が良いと思う。彼女自身の協力を得られそうにはないので、こちらの独断でEIMに連絡。しかしクザラル人のお医者さんが来た時には、彼女はまた逃げ出してしまっていた。魔法も使えないくせにつくづくすばしっこい。
医者以外で彼女を治せる人と言ったらプオちゃんだろう。私はそう思いもう一度EIMに連絡をとる。しかし電話に出た美耶ちゃんの話では、プオちゃんは行きたがっていないとの事。ひーこちゃんは自分を拒絶しているから、自分が行ってもひーこちゃんの助けにはなれない、とプオちゃんは考えているらしい。そんな悠長な事を言っている場合ではないと思うのだが…。


7月8日 火曜日

昨晩、深夜にふと目を覚まし、ソファーからベッドの方を見ると、ひーこちゃんはベッドの上で一人座り、膝を抱えて震えていた。
私はその光景を見ている内にだんだん腹がたってきた。こんな状態になるまで彼女を放っておいているなんて、プオちゃんは一体何を考えているんだろう。
日があけて今日。ひーこちゃんを一人にしておきたくはないのだが、そろそろ食料が尽きてきた。私は日が高くなる前の午前中に、街に買出しに出かける事にした。

すっかり顔なじみになった商店主達から今日食べる用の果物や、数日もたせる肉、卵類を買い込む。
最初は適当に相槌を打っていたのだが、どうも腑に落ちない所があるので私は商店主に聞き返した。
「あの…さっきから言われてますけど、何で今日は店が開いていたらおかしいんですか?」
「そりゃあ客がいないからさ。こんな日に店を空けているような奴はよっぽど間抜けか、俺みたいによっぽど暇かのどっちかだな。」
ターバンを巻いたインド人らしきおじさんは答えた。
「はあ…では、何故お客がいないんでしょう。…イスラム教の祝日?って言っても、華僑の人達もあまり見ないですよね…」
確かに言われてみれば、いくらウィークデーの午前中とはいえ、人通りが普段よりかなり少ない気がする。それにちょくちょく、走っている人達を見かけるのは何なんだろう。
「あー、お前さんFMを聞いてなかったな。だからのこのこ出てきたんだ。」
「はあ。」
「悪い事は言わないから早く家に帰ったほうが良い。この街に出たって噂だぞ、例の宇宙モンスターが。」
「モンスター!?」
咄嗟にひーこちゃんの事が頭に浮かんだ。
「ああ。誰だかが空を飛んでいる所を見たと言っている。まだ、警察や軍やハヤイ…だったか?も公式発表はしてないが、もうすぐここに戦闘機を送り込むんじゃないかってな。クザラルのあのとんがった宇宙船が見れるようなら、噂は確実に本当だろうな。」
「…あ、ありがとう。」
頷き露店を後にする。
…どうだろう。今のひーこちゃんは魔力は無いんだから、彼女を狙うとは考えにくい。…という事は私だろうか? あるいはこの間のアリーザちゃんの魔力の暴発で、サクコブがこの場所にひかれたという可能性もある。
いずれにしても、効率的に大都市圏、特に先進国のそれを狙い続けている最近のサクコブの攻撃傾向から考えて、このジャングルの小さな街への襲来は、事実とすればかなりイレギュラーだ。つまり明らかに私達をピンポイントで狙ってやってきたとしか思えない。
家の周囲は防御魔法がかけられているはずだから直接瞬間移動では向かえない。私は行ける範囲で近くギリギリまで瞬間移動してから、私達の家に全速力で走り出した。


<ひーこちゃん!>
最初、家のドアを開けたが、すぐそこにはいない事に気付いた。外から羽音がしたからだ。
ひーこちゃんとサクコブ生命体は、裏庭にいる。

私は置いてあったステッキを持って裏庭に走る。そこで私は立ち止まった。
<ひ、ひーこちゃん!?>
ひーこちゃんとサクコブ生命体が確かにいた。
しかし、彼等は戦闘していなかった。あるいはしていたのかもしれないが一見そうは見えなかった。
<…>
ひーこちゃんがぼうっとした様子でこちらに目を向ける。ひーこちゃんは何の感情もこちらに示してこない。
<ひ、ひーこちゃん、えっと…待ってて、>
ひーこちゃんは空中に浮遊し、同じく浮遊しているサクコブと1、2メートルの距離をあけて向かい合っている。しかし彼女は手に何も構えず、ただ光に包まれて浮いたまま立ち尽くしているだけだ。
プシュウ、プシュッ。
<ひゃっ>
サクコブから、私の足元に攻撃弾が数発放たれる。私は転びかけながら壁の角まで退却する。
<ひーこちゃん、何やってんの!>
私は叫ぶ。今度はひーこちゃんはこちらを見向きもせず、モンスターに徐々に近づいている。
…何でだろう、ひーこちゃんの顔は何だか嬉しそうに見える。私は怖くなった。
<…>
よし、と自分に改めて気合を入れてから彼等の前に立ち、私はもう一度ステッキを構える。ステッキの先がしだいに光を帯びる。
シュウウウウウウウウンズバアアアアアアアアアアアアン!
<…え?>
そして光の中に彼等が消えるのを目撃した。瞬間移動…の、防御は解除されていたようだ。
ひーこちゃんとモンスターは、まるで連れ添うようにして、どこかへ消えていってしまった。


それから1時間後、ようやくEIMのメンバーが家にやってきた。普段からこんなに行動が遅いのだろうか。…EIMが魔法協会に負け続けてきた理由が、良く分かった気がする。
ドアが開き、青い肌の男が一目散に走ってきて、私の肩を揺らした。
<おい、宏子がいなくなったって本当か!? 場所は?>
バシッ。
私は何を答えるよりも先に、プオちゃんの頬を思い切りはたいた。
今回は自制が効かなかった。

続く



Written by FML (AKA Franken).
Ver. 1.00 on 2003/1/15.

<実は最近私、恐ろしい秘密を知ってしまったんだけど…>
<はあ。>
<ここだけの話だよ。実はね…この連載の次回予告って、次回の予告まともにした試しがないのよーっ!>
ずどーん。(波)
<………>
<…今まで気付いていなかったのか?>
<という事で今回はちゃんと次回予告をやろう! ええっとねえ、次回も一杯死ぬよっ、キャラクター! つまりキャラクター死に放題!>
<…(全然笑えん…)>
<…(他人事じゃないし…)>
<何浮かない顔してるの。ポジティブに頑張ってれば、誰だってその内良い事あるって! じゃ良い事教えてあげよう、次回はまた戦闘です!>
どどーん。(大波)
<…(何で楽しそうなんだこいつは…)>
<…(私も逃げたいよ、ひーこ…)>
<そんな次回の魔法少女佐藤第21話は、「友達いっぱい魔法少女」。お楽しみに! あ、ちなみに次回死ぬキャラクターって、敵のエキストラ達の事だから。>
<それを先に言わんかあああああっ!>
<でも次の次…その次、更に次のエピソードでは…どうかな…(フッ)>
<…(病弱だって設定、今から何とかして変えられないかな…)>
<…なあ…もしかしてこの連載って、魔法少女物じゃないんじゃないか?>
<それも今更気付く事じゃないと思うよ、プオさん…>



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