←Prev ↑Home ↑Original Novel →Next Franken!

原色の日ざしが照らす中を多数の若者達が行き交っている。空気は熱で少しゆらいでいるようだ。
しかし白壁の建物は涼しげで、緑の庭園と互いを引き立たせるように落ち着いてそこにある。
建物の中はエアコンも入っていないが、日陰で空気の動きの少ない場所ならそれなりに快適だ。
石造りの床に足音が響く。会議室のような部屋のドアが開き、長い黒髪の女性が現れる。見た目は日本人のようだ。
女性は、白い壁の会議室の中央にある木製のテーブルの前で、椅子に腰掛ける。椅子も木製の大きな物なので、その雰囲気は西洋のお城の中の、食堂か何かのようだ。
「…」
机を挟んで向かい側の壁に、小さな窓がある。女性はしばらくそこから見える真っ青な空を眺めていたが、やがて飽きたのか視線を真正面に戻した。
「…」
「…」
女性の向かい側に座っていた影が動く。その少女は顔を上げ、ふと目の前を見た。
「あ…ごめんなさい。」
それまで机にキスをするようにへばりついて寝入っていた少女は慌てて上半身を起こす。黒髪の方の少女は嬉しそうな表情で口元を緩めてみせた。
今まで寝ていた方の少女は相手の顔に、明らかにムッとした様子になる。
「…」
「うふふ。」
「…うふふじゃなくて。私が寝ている時はすぐに起こしてって言ってるでしょ。」
「そんなの寝る方が悪いじゃないですか。」
「そうだけど…」
口ごもる少女。相手の方は自分の黒髪を手でいじりながら言う。
「大体寝る事は別に恥かしい事ではないんですから。どんな知的生物だって、何らかの休憩プロセスは持っていますよ。それは私達も同じですから。体を離れた意識体でも、ですね。」
「分かってる。誰も恥じてなんかいないけど…いや、やっぱり恥かしいわ。寝るっていっても、ちゃんと規則正しい時間にしないと。昼間の仕事の時間に寝てしまうなんて、人としては恥かしい事だから。」
「でも、そもそも私達なんてお互いの仕事の時間の間に平気で「寝て」いますけど。そういうものですよ、私達の休憩プロセスは。4200チュチャクズ活動して230チュチャクズ休む。その間は他の者が仕事をすれば良いだけです。だから変な気はつかわないで良いんですよ、ホクさんも。」
「分かってるって。」
クスクス笑っている黒髪の少女の言葉に、リジュワナは降参するように頷いてみせた。


魔法少女佐藤

第21話「友達いっぱい魔法少女」


「そうは言っても、時間は短いじゃない。今日はいつまで喋れる?」
「今から281チュチャクズ。」
黒髪の少女の答えにリジュワナは目を細める。
「…だから。」
「もう問題なく分かるでしょう、一々換算しないでも。」
「それでも一応地球の単位で確認したいものなんだけど。」
「はいはい。18分20秒です。」
「それで「部屋の鍵が開く」と。…今日は短めね。」
「今日は監視の目が厳しくて。ほら、例のガガパバの爆発騒ぎでぴりぴりしていますから。自己弁護で言う訳ではないですが、これだけの時間、ネットワークを偽装させるのだって、結構大変な技術なんですよ。」
「それは、分かってる。いつもあなたに感謝はしてるわよ、スグタ・ベトボさん。」
リジュワナは微笑んでみせる。スグタと呼ばれた少女は嬉しそうに頷いた。次の瞬間リジュワナの目の前、つまりリジュワナとスグタの間にバーチャルディスプレイが2、3表示される。
「18分あればスピーチもとれるし会議も出来ますね。まずデアグとジェギキの小競り合いですが…」
「ちょっと待って、今自分で見るから。」
「はい。」
「…昨日の話だと、要は、パティポチョのファブグコジュアシの利権が欲しいのよね、両方とも?」
ディスプレイの表示を見ながら言うリジュワナ。
「まあ、端折ってしまえばそうなりますね。どちらの民族ともメンツもありますし。」
リジュワナは意外そうに視線をあげる。
「…サクコブにメンツなんてあったの?」
「もちろんですよ。本来、サクコブのそういったこだわりは凄いんです。メンツがあるから…、そういった無意味な対立が内部で絶えなかったからこそ、それを抑える為に、論理的な思考を良しとする思想が生まれたのです。それがなければ、私達サクコブは自分達でいがみあうばかりで、ここまで生き延びてこれなかったでしょう。」
「…」
「…どうしました。」
リジュワナは呆けた様子で頬杖をついた。
「ええ…何となく、似た話を別の場所で聞いた事があるような気がして。」
「はあ。」
「とにかく、そういう事なら…パティポチョを共同統治にすれば良いんじゃない? ファブグコジュアシについては生産量を折半で…」
「いけません。それでは双方とも納得しないでしょう。デアグ族にとっては4兄弟の育った伝説の星ですし、最近、星に住みだしてファグブコジュアシを発見したジェギキ側はデアグの権利なんて全く認めたくないでしょうし。」
「話だけ聞くと…ジェギキ側の方が領有の正当性はありそうね。」
「そうですね。ただ問題は、あそこは場所として、地理的にはデアグの領域内であるという事です。デアグの立場で言うなら彼等の安全保障に関わります。」
「そんな事言っても、現実にジェギキが住んでいる訳だし…」
ため息をつくリジュワナ。
「…そんな問題どうやって私が決着つけろっていうのよ。」
「ですが、双方が従うような指導者がホクさん以外にいますか?」
白壁の部屋でスグタは微笑んだ。
ダッカの街の喧騒が、ここでは林越しにほんの微かに聞こえてくる。
「…どっちか選べって事? でもこの時期に、どっちも今は恨まれたくないわ。」
「そうですね。何か他に良い方法があるのなら、教えて頂きたいんですけど。」
「…18歳に判断を仰ぐような話じゃないわよね…」
呟くリジュワナ。
「はあ。でも私達の間で18歳と言ったら、」
「そんな事分かってるわよ、でも地球人の18歳は未熟な子供なの。…普通はね。」
「失礼ですけど、ホクさんは普通ではないでしょう。どう見ても。それにクザラル人ですよ。」
「…じゃあ、こういうのはどうかしら。」
リジュワナはスグタの言葉を無視して言った。
「場所の領有権はデアグよ。だってデアグの領域なんだから、そんな簡単に「密入国者」に渡す訳にはいかないんでしょ。でも、ファグブコジュアシの採掘経営は民間企業に任せるの。当然、今までそこで生活してて、ファグブコジュアシを発見した生命体達が作るのよ、その企業は。」
「はあ…ではファグブコジュアシはジェギキに?」
「基本的には。でも地代は適当に払えば良いでしょ。その辺の交渉までは私は面倒みないわよ。」
「ですが…それではやはり双方とも不満でしょうね。特にジェギキ側の不満が強そうです。実は取れるとはいえ、自分達の領土ではないとなると。」
「実際違うんだったら仕方がないわ。一応味方同士の癖に相談もなく植民拡大するから話がおかしくなるの。」
「…分かりました。」
頷くスグタ。バーチャルディスプレイの一つが消えた。
「後の議題は今日は軽いですよ。3つあります。まずはゴポイポの飛行形態に他民族から苦情です。」
「…下手だって?」
「ええ。それからジェギキですが、准尉以下でもコドゥドゥファジュブ・ポジュを全員に携帯させたいと言っています。ゴポイポとジュトゥが乗り気でないのですが…」
「関係無いわ、持たせてやりなさいよ。反乱を起こす前に自分達の軍縮を始める反乱軍なんて聞いた事が無いわ、私。」
「ですが、そうすると相対的にゴポイポとジュトゥの立場が弱くなりますね。余り彼等をいじめると…」
「分かってる。でも結局は彼等のやる気なのよね。デアグやジェギキが出来て彼等が出来ないなんて訳無いもの。その辺どう思う、ジュトゥのあなたとしては?」
「私自身は、各民族から中立のつもりで働いているんですけど…」
「分かってる。個人的な気持ちとしては?」
「そうですね…原因と言ったら、地理的な事や歴史的な事があるんでしょうけど、ジュトゥの場合は気質が元々穏やかで、兵士には向いていない民族なのかもしれません。」
「じゃあ、今の兵士万歳なサクコブ世界では辛いわね。差別も大きいんじゃない?」
「ですから反乱を起こそうとしているのではないかと。」
「ああ、それはそうね。」
頷くリジュワナ。
「…でもそういった気質は、今しばらくは変えていた方が良い。…お互いの交換研修制度を活用した方が良いわね。もっと。そこから上手い具合に統一軍の体制に持っていければ良いんだけど…今の、4つの別軍がある状態はまだるっこしくて仕方がないわ。」
「ゴポイポの飛行に対する苦情もそれで無くなれば良いんですけどね。」
「ええ。」
「3つ目です。ジュトゥの外国体条項にデアグが抗議しています。ジュトゥ側はそれに対し、内政干渉だと。」
「勧告して。デアグ系ジュトゥ生命体の人権問題だって言えばジュトゥも文句は言いづらいでしょ。」
「了解しました。」
「ふう…」
リジュワナは額をおさえ、ため息をつく。リジュワナの顔の前に、新たなベンガル語のディスプレイが現れる。
「今日のスピーチです。どうぞ。」
「…皆さんこんにちは。リジュワナ・アニシュル・ホクです。お元気ですか。」
リジュワナは数秒と間をあけず真正面を見つめ、ペラペラとディスプレイに表示される原稿を読み上げ始めた。
「…さて御存知の通り、フィキチュアジは昨日シジュへの攻撃を内部通達しました。ついにベベソダフォ基地襲撃のチャンスがやってきたのです。今回の作戦は特に、地の利のあるジェギキとゴポイポの皆さんの活躍に期待しています。今こそ私達の存在、声、そして怒りを全サクコブ、ひいては宇宙生命体へ知らせようではありませんか!」


スグタが手をパン、と叩いた。彼女は髪を揺らしながら頷く。
「…はい、オーケー。きっちり60チュチャクズ分頂きました。」
「…毎回思う事だけど、こういうメッセージって私が言って効果があるのかしら。私みたいな無甲殻生命体が。」
「甲殻なんか無くても知的な生命体がいるという事は、パフタオチトゥ連邦に参加しているサクコブなら知らない者はいないと思いますよ。大体、事実上ホクさんが作った連合じゃないですか、これは。」
「何言ってるの、代表はあなたでしょ。」
リジュワナの言葉にスグタは笑って手を振る。
「私はただの連絡係でしょう。デアグやジェギキの連中を一つにまとめるなんて無謀な事を思いついて、なおかつ実行に移したのはホクさんじゃないですか。」
「あの頃は…こんなに無謀な事だとは知らなかったから。あなたみたいな反体制派に接触出来た事で有頂天になってて、そういったグループの中でも反目があるなんて事までは思いもよらなかった。」
頬杖をついたリジュワナは視線を天井付近に揺らす。
「全く、無知は恐ろしいですね。」
「…ええ。」
視線を無表情にスグタに降ろし、リジュワナは同意する。微笑んだままのスグタ。
「お陰でこんな強力な反乱軍が出来ちゃいました。」
「…フン。」
リジュワナは笑って肩を上げてみせた。
スグタは涼しげな顔を傾け、リジュワナを見る。
「ところでホクさん。個人的に、聞きたい事があるんですけど良いですか?」
「また地球人の生活習慣の話?」
腕を伸ばしながらリジュワナが言う。
「何度も言ってるけど、私も平均的なサンプルとは言いがたいのよ。ここに来る前に、地球の他の場所から来た女の子達と暮らしていたけど、それぞれがそれぞれ、考え方がバラバラでかなり驚く事が多かったわ。…自分はそれまで堕落した都会人だと思っていたのが、とんだ思い違いだったって事も嫌というほど分かったし。」
「そのあたりの話も非常に興味はあるんですけど、残念ながら今日はその話ではありません。」
スグタは肩を上げる。
「じゃ、何?」
「ホクさんのお体の事です。大丈夫なんですか? 本当に戻らなくて。」
「今更。って言うか、大丈夫でしょう。一度クザラルデータネット経由で情報を見た限りでは手厚く「治療」されてるみたいだし。」
「と言っても…サクコブならいざ知らず、地球人・クザラル人にとって長期の間、意識のみを別の場所に移す…特に電子空間のような、物理的に存在しない場所に移すと言うのは、まず無い経験でしょうから。…もう700万チュチャクズ…地球の単位で言えば一年近いじゃないですか。そんな間、体を放っておいて、戻れなくなったりしないんですか?」
「理論的には大丈夫なんでしょ?」
「そうですけど…実例が無い訳でしょう。そうでなくてもこんなに長い間自分の体を放っておくなんて、サクコブ生命体でもまず有り得ないですよ。」
「乗っ取られる?」
「ええ。誰か別の意識体に体を乗っ取られて全くおかしくないと思います。」
スグタは真面目に頷く。
「でも地球にそんな悪者の意識体はいないわよ。大体こんな意識ネットなんて代物、地球には存在しないし。技術レベル的に言って、意識体と肉体を人為的に分ける事がそもそも出来ていないんだから。」
「なら、乗っ取られる心配は無いかもしれませんね。」
肩を上げるスグタ。
「でもそれだけでは戻らない理由の説明としては弱いですよ。技術のレベルが、意識体と肉体を分離出来るところまで到達していないような生命体…つまりクザラル人ですが、そういった生命体は普通、自らの肉体には強く執着するものです。自分の肉体、イコール自分の命、という考え方が自然ですから。それは地球の人達だって同じ感覚でしょう? その割にはホクさんは、随分考え方がサクコブ風に染まっていませんか?」
「それもあるかもしれないけど…スグタ、今の私はね。自分が向こうに戻れなくなる事よりも、ここに戻れなくなる事の方が怖いのよ。知ってるでしょ。一回この「接続」を切ったら、またお互いこうやって会えるようになるまでに何ヶ月もかかってしまうかもしれない。あなたと会えるまでの3ヶ月がどんなに辛かったか分かる? まあ、辛かったと言うか…する事が無くて、退屈だった、というだけだけど。ただのその退屈さ加減が、尋常じゃなかったわ。」
「…その話はもうこれで32回目ですよ。」
「そうだったかしら? まだ20回目位だと思っていたけど。とにかくあれを繰り返してまた時間を無駄にする、なんてリスクは冒したくないの。今は何より時間が大切だから。」
「その点は、私達の方でこの前開発したクザラル人・地球人向けの新接続プログラムを使って頂ければ。フィキチュアジの監視をスルーした上で、フィキチュアジ並に自由にこっちに来たり、向こうへ行ったり出来るはずですよ。ディディシはこれに魂を削ったと言っていますから。彼女の自信作です。」
「自信作って、まだベータ版なんでしょ。大体使った成功例が無いじゃない。」
「…ホクさん。」
スグタはため息混じりに、リジュワナを軽く睨んだ。
「使用例が無いのは当たり前でしょう、ここにいる無甲殻知的生命体はホクさんだけなんですから。こっちは、ホクさんが心配で言ってるんですよ。自分だけの体じゃないんですから、もっと指導者らしく」
「私は指導者なんて柄じゃないわよ。大体代表はあなたでしょ。」
「それなら…何なんですか、ホクさんは?」
「…まあ、マネージャー位が妥当でしょう。」
「それならマネージャーでも良いです。…とにかく、もっと自分をいたわる事を覚えて下さい。」
「…」
リジュワナは無表情に立ち上がる。
「…」
リジュワナは後ろを向く。小さな窓に顔を向け、そこから外の庭園を眺め出した。
「…」
スグタはリジュワナの背中を見ながら言う。
「…無礼を承知で言いますが、私からは、ホクさんはまるで現実から逃避しているように見えるのですが。地球人や、自分の周囲の辛い現実から逃げて、この心地良い学園で過ごされているように見えてなりません。」
「…でもね、スグタ。私、ここが心地良いなんて思った事は一度もないわ。」
景色に目を向けたまま答えるリジュワナ。
「このシャヒッド高の景色が全部バーチャルだって一番痛感しているのは自分なんだから。自分以外の人物は皆映像に過ぎなくて、たまに会える別の人…というか生命体も、こういう風にプロテクトをかけた中で、ごく限られた時間にしか会えない。それを楽しい毎日とは言えないでしょ。」
リジュワナはスグタに振り返る。
「それでも私がここにいるのは、そのあなた達に会える時間が貴重だからよ。地球人が生き残れる策を私は懸命に探しているだけ。今はそれを、あなた達に賭けている。私がここにいるのは、辛い現実を逃避する為なんかじゃないわ。その現実を打破する為よ。」
「…」
スグタはまだ納得していない顔で首を傾けながら、椅子からゆっくり立ち上がる。
「それなら、どうしてなんでしょうね…」
「何?」
「逃げているように見える理由です。…私達と会って、こういう風に反政府組織を育てる、というのもホクさんにとってはバーチャルな世界の中の事なのかもしれませんね。」
「え? 馬鹿言わないで。あなた達はリアルじゃない。」
「そうですが、この体はバーチャルです。」
自分の胸元に手を置くスグタ。
「そんな事は分かりきってるわ。いくら私が機械音痴だって言っても。」
スグタは微笑み、リジュワナの前まで来て立ち止まった。
「いいえ分かっていません。…良いですかホクさん、確かに私達を指導して下さるのはありがたい事ですし、ここでホクさんと連絡が取れなくなるかもしれないというリスクは、私達もそれを決して歓迎出来る物ではありませんが、それでも考えてください。…ホクさんはクザラル人なんですから、もう少し御自分の肉体と、その肉体の周囲で起きている方の現実も大事にされた方が良いのでは?」
「…」
「出過ぎた意見なのは分かっています。まあ、14の「子供」の話ですからそう怒らないで下さいね。」
「…」
ニ人の横に表示されているバーチャルディスプレイの表示が[002.5/00:10]になる。
「後10秒ですね。じゃ、また明日。いつも通り午後3時から5時までの間に来ますので。」
スグタは部屋のドアまで歩き、もう一度振り返って頬をゆるませ「では」と言うと、ドアを開き部屋を出て行った。
憮然とした顔でリジュワナは部屋に佇んでいる。ストップウォッチがゼロになった瞬間、表示されていた全てのバーチャルディスプレイは消え、部屋は落ち着きを取り戻している。
「…食堂にでも行こうかしら。」
呟くリジュワナ。
「それにしても最近性格が悪くなってるわね…一体誰の影響なんだか…」
リジュワナは一人、息をつきつつ眉を上げた。


もう、何もやる事は残っていない。
こういう結末になるのは分かりきっていた。治らないっていうのはもう分かっていた事だった。
だから、こんな風にずっと一緒にいて、一日中世話をし続けた所で、それは全部無駄だって事は分かっていたのだ。
…そうではなくて、結末も確かに大切だけど、過程が大事なんだ。だから、仮にもう結末が分かっちゃっていても私は彼女の看病をしたかった。それ自体が私にとって大事だから。
そう思ってた。
そうなんだろうか。
そう思ってたとしたら、私はもうこの事を引きずる事なんてないはずだ。でも、実際の私はこれが100%になっていた。まだ切り替えが出来ない、なんていうようなレベルじゃない。どんどん磨り減っていった私の心が最後になって、全部海に洗い流されちゃったような感じだ。…まあ、そんなに綺麗なモンかどうかは知らないけれど。
私はもう何にも残っていない。最後の石鹸は彼女が持っていってしまった。何で、だろうなあ。死ぬにしても石鹸は置いていってほしかったのに。私はあんたに尽くしたのに、これじゃ、何だか理不尽だ。
…そこまで考えて、私は少し気付いた。私は、彼女が治らないなんて思っていなかったのだ。
本当は、期待していた。理屈には合っていないけど、私の献身的な努力が報われると、彼女が奇跡的に良くなるんじゃないかとどこかで思っていた。
石戸田が死んだと分かった時の美耶の言葉を思い出す。もう自分の周りの人間は、皆死んでしまった、と彼女は言った。それは私も同じだ。そして私の周りの人間が死んでいくという事は、「正義の味方」のはずの私にとっては、自分の存在意義を否定されるのと同じ事だった。
私の周囲の人間はどんどん死んでいく。私は気付いた。私はそもそも、何百人、何万人といった人々の命を預かれるような、心の強い、頭の良い人間なんかじゃない。申し訳ないけど、そんな役割は、私には荷が重過ぎる。
だから私は最後に、一人位なら、一人に一日中尽くし続ければ、私でも一人位なら、命を救う事が出来るんじゃないか、そう考えたんだ。
でも本当は、私は彼女に尽くしていたんじゃない。むしろ利用していた。自分を慰める為に。自分でも役に立てるんだって思いたくて、自分は負けたんじゃないって思いたくて、彼女を自分の慰みものにしていた。感情が暴発した時に彼女の言った言葉は、ことごとく当たっていたんだ。
そして、当然、そんな私の虫の良い考えが本当になる事はなかった。私はまた思い上がっていた。
結局私は、どんなに一生懸命頑張ったところで、人一人だって救う事の出来ない人間だった。
…もう、私のせいで何人の人が死んだのか、数えるのも億劫になっちゃったな…。


何か物音がして、宏子はふと顔を上げた。
宏子はじっと目を細めてから、おもむろにベッドから立ち上がる。
「…」
また物音がする。
「…っ」
宏子は息を吸い込んだ。
−サクコブ?
無機質な破擦音が微かに聞こえてくる。宏子はおぼつかない足取りで玄関へ歩き出した。
裏庭にやって来た宏子は、少し眉を寄せたまま、そこで立ち止まった。
宏子の前には、1体のサクコブ生命体が浮遊して佇んでいる。
「…」
宏子は無防備にその前に立つ。生命体は彼女に攻撃弾を撃つでもなく、ただそこに止まっている。
−なんで今ごろサンダカンに? 私らを狙うならもっと前から…あ、そっか。私や病気のアリーザなんか狙っても意味無い、こいつが狙ってるのはモニクなのか。
宏子は軽く息をつく。
−そうだよね、魔法少女じゃないんだから「モンスター」だって私にゃ興味ないわな。
プシュウッ。
生命体が光を放った。こちらに向かってくる。
−あれ、やっぱり私でも相手してくれるんだ。…呆気ないな、最後はこんな死に方か。
「…あ…」
そして宏子は空中に浮かび上がった。


…殺してくれるんじゃないの?


シュウウウウウウウウウウウウンズバアアアアアアアアアアアアアン!!
光に目を閉じた宏子が、前で構えた両腕をときながら目を開く。
「…」
−どうやら死に損なったっぽいな。
オレンジがかった周囲を宏子は見回す。
「…え?」
それから宏子は自分自身の体に目を向ける。
−…さすがに制服にはなってない、か。
宏子はもう一度顔を上げる。
−こんな所にいたんだよな、昔。もうどれ位前にいたかも想像つかないよ…。
春日部北高の夕暮れの教室で、自分の席に座っている宏子は少し頬をゆるませながら息をついた。
ガラガラ…。
教室の戸が引かれる。宏子はそちらに目を向ける。
やって来た少女が軽く手を上げてこちらに念じてくる。
<久し>
<はああああああああああああああああああっっっ!?>
宏子は相手が一言を終える前に最大ボリュームで念じた。
<…>
<…>
お互い口を開いて、相手を見たまま両者はピクリとも動かない。
<…ふう。久しぶり。なんだけど、相変わらず元気過ぎる位元気なようね。>
先に立ち直ったリジュワナが、手を下ろし口も閉じて宏子を見た。
<…>
まだ再起動の兆候が見られない宏子。怪訝そうな顔のリジュワナの後ろから、もう一人の少女が顔を現した。
<…初めまして、佐藤さん。ご機嫌如何ですか?>
<…>
<…?>
宏子の無反応に首を傾げるスグタは、リジュワナの方を向く。
<あの…何か問題が?>
<…さあね。少なくとも技術的な問題じゃないと思うけど。>
<はあ…>
<…あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、>
宏子はリジュワナを指差し念じる。
<意味のある内容を念じてもらえると助かるわ。>
<あ、あ、あ、あ、バ、バ、ババケモノッ! バケモノ眼鏡女っ!>
<…>
無言で自分の額に指を当てるリジュワナ。
<ほう…>
スグタは何かに感心するかのように頷いた。


<…あー、つまり、ここはサクコブの一種のデータネットで、そこではこうやって皆の意識が共有出来ると。で、あんたは本当は植物状態になった訳じゃなくて、あの時サクコブに心だけこっちに連れてこられて、それからずっと意識だけはこっちで「暮らして」いたと。>
自分の伝える内容が自分で余り理解出来ていない雰囲気の宏子が念じる。
<そう。だからここは、天国でも地獄でも川でも花園でもなくてまだ現世なの。バーチャルな物だけどね。ここまでは分かってくれた?>
<一応…理屈は。>
<ああそう。理解が速くて助かるわ。>
かなり眉に力の入っているリジュワナが頷く。
<あの、失礼ですが…今の佐藤さんの理解のスピードは、お世辞にも速くはなかったような…もう話せる時間も残り15分ですよ。本当はこの時点で予定の半分は説明を終えていないとマズいんですけど。>
<それ位分かってるわ。>
スグタに答えるリジュワナ。
<え、でも今、「理解が速い」って…>
<私ももちろん、そっちへ帰ろうとは思っていたんだけど、こっちでやっている仕事から手を離せなくて、なかなか戻る機会が無かったのよ。>
リジュワナはスグタを無視して宏子に念じる。
<…仕事って?>
<後で話すわ。それで、このスグタが「せめて地球と連絡位はとるべきだ」ってうるさくって。まあ確かに私も自分の体が心配じゃないと言ったら嘘になるから、こうやってあなたに来てもらった、って訳。>
<ふうん…でも、何で戻ってこなかったの?>
<は? …だから、今言ったでしょ。仕事が忙しかったから。それに、この精神世界と地球の現実世界は行き来がちょっと難しいのよ。>
<難しいって…でも、私ここに来てるよ? これが本当に夢でも、死後の世界でもないんだとすれば。>
<だから、何とか出来るようになったからあなたに来てもらったのよ。>
<じゃあ今までリジュワナは、戻りたくても戻れなかったんだ。>
<…まあね。それ位忙しかったのよ。>
リジュワナは頷いてみせる。
<忙しかったから? 戻れない訳じゃなかったって事?>
宏子はリジュワナに近づいた。
<それは、物理的に言えば戻る事は出来たわ。だけど一旦戻ると、こっちにまた来れるかが分からないの。>
<…つまり、戻れたのに戻らなかったんだね。リジュワナは。1年もの間。何の連絡も無しで。>
<まあ…それは、確かにそうなるわね。それについては悪かったと思ってるわ。でも宏子、そのお陰で>
<リジュワナ。…こっちがどれだけ心配したと思ってるの。>
宏子は静かな調子で念じた。リジュワナはややバツが悪そうに目を落とす。
<…確かに、悪かったわ。>
<悪かった、って…あのさ、リジュワナの場合殴っても意味無いだろうから私も手は出さないけどさ。…反省してよ、ホントに。>
言いたい事がまとまらないという様子で宏子は両腕を広げ、首を振り一旦後ろを向くような動きをする。
<リジュワナにこんな風にされて…私は凄い悲しい。私じゃなくても誰でもそうだと思うよ、アリーザでもモニクでもプオでも。誰でもこんな事されたら悲しいと思う。その事を、リジュワナは自分で少しでも、理解してる?>
リジュワナはゆっくりと顔を上げ、宏子の目を見た。
<…悪かったわ。本当に。>
<…、…>
<…>
リジュワナは当惑気味に息をつく。
<…何でそれで泣くのよ。こんな事位で一々>
涙を飛ばし宏子は遮った。
<こんな事って何よっ! 凄い大事な事じゃん! 私らあんたがもう意識が戻らないってずっと思ってたんだよ! もう、どうして皆、こう勝手なの…勝手にどっかに行かないでよ…行く時は言って。あんたがいなくなってから、私がどれだけ寂しくて、辛かったか…>
<ちょ…>
急に抱きつかれてリジュワナは念をもらす。
「…ぐっ、うっ、うぐっ…うっ…」
<…ふう。>
リジュワナは穏やかな顔になり、宏子の背中を軽く叩いた。
<分かったわ。もうこんな事しない。だから、安心して。>
<…今度、どっかへ行くときは…事前にちゃんと教えてよ。…せめて後からでも連絡を入れて。>
<…あなた、私の両親みたいな事を言うのね。>
<そうだよ。おかしいでしょ? …だから、私に一々こんな事、言わせないでよ。>
<…そうね。気をつけるわ。>
<…>
宏子は顔を上げ、恥かしそうに目をそらしながら鼻をすすっている。
<…忘れてたわ。私達は、「チームメイト」だったんだものね。>
<…>
宏子はリジュワナを見る。微笑みかけるリジュワナに、宏子は答えるように少し口元を緩めてみせた。

<ねえ、宏子。…言い訳という訳じゃないけど、ここにいる間に私が何をしていたかについても、あなたに知っておいて欲しいの。あなたにとっても…いえ、地球人全体にとって、とても重要な話よ。…私は、それ位のつもりでいるわ。>
<…>
改まって念じるリジュワナ。宏子は息をつきながら無言で頷く。
<…>
宏子は、まるで今その存在に気付いたかのように、ふとリジュワナの隣の少女に目を向けた。
<あ、初めまして。>
にっこり頭をさげるスグタ。
<う、うん…>
<紹介するわ。彼女…一応女性よ、はスグタ・ベトボ。パフタオチトゥの実務代表。…まあ、一言で言えば、サクコブね。>
<あ…>
宏子は一瞬口を開けるが、すぐ納得顔で頷いた。
<だね。ここはサクコブの意識世界…ああ、「意識ネット」だったっけ、だから、サクコブが人間の格好しててもおかしくない訳だ。っていうか、私とリジュワナ以外に人間がいたらむしろびっくりする事なのか。>
<そうね。>
<…ん? 一応女性?>
宏子は目を細めてスグタの顔を見る。スグタは少し困った様子で笑う。
<ええと…私達の種族の性別や生殖の仕組みについて細かく御説明したいのはやまやまなんですが、後10分しか時間が無くてですね。今はそれよりもまず、パフタオチトゥの事についてお話申し上げたいな、と…>
<…良いけど…何で日本人顔なの、ここでは?>
<それも後で説明するわ。>
<…何でそんなに時間が無いのよ。>
リジュワナを軽く睨む宏子。
<それは今説明する。>
リジュワナは息を整えるようにして両手を合わせた。
<まず、何で時間が無いのかって言うと、今の私達のこの会話は、言ってみれば、ネットワーク内の秘密通信なの。この部屋には私達以外誰もいない。って言っても、例えば盗聴器をこの部屋に仕掛けるとか、あるいはもっと象徴的に「ドアから盗み聞きする」でも良いけど、どこかで私達の会話に聞き耳を立てている者がいるかもしれない。実際にはここはバーチャルな世界だから、そういった事が現実世界よりむしろ更に容易であるのは想像つくわよね。…少なくともあなたなら。>
<…ん、まあ…>
自信無さ気に頷く宏子。
<良かったわ。正直言うと私は余りよく分かっていないのよ、この辺りの理屈は。…とにかく続けるわ。それで、普通の会話なら聞かれても特に害も無いでしょうけど、私達の場合は少し困るのね。>
<何故かと言いますと、私達は>
<パフダーなんたらだからなんでしょ。…で、それって何よ?>
<私達の仲間よ。>
<…>
宏子はリジュワナの念に眉を上げてみせた。
スグタが人差し指を立てて振る。
<…違いますよ、ホクさん。ホクさんはパフタオチトゥの仲間、じゃなくてマネージャーです。…創設者と言った方がより正確ですが。>
<創設者? リジュワナが作ったの? 何を?>
スグタに聞く宏子。
<…地球の人は、サクコブ生命体の事を殆ど何も理解していないと、ホクさんが言われた事があります。つまり、サクコブ生命体の事を、ただ地球人・クザラル人へ攻撃をし続けている悪魔のような存在としてしか知らないと。これは、本当ですか?>
<あ、う、うん。まあ、そうかも。>
<その見方は、それはそれで間違いとは言えないかもしれませんが、あくまで私達の一面に過ぎません。クザラル人がただサクコブ生命体を攻撃し続けるだけの存在ではないのと同じように、私達にもまた色々な意見、生命体がいるのです。>
<…>
<あなた方から見ればどれもこれも同じサクコブ生命体にしか見えないかもしれませんが、私達は多様な言語、民族、思想を持っています。現在、多くの生命体を指揮し、対クザラルの安保戦争を指導しているのはフィキチュアジという名前の軍事企業です。ですが、彼等に賛同する事を良しとしない集団も、決して表には出ませんが実際にはいるのです。>
<色々、専門用語が出てきてよくは分からないけど…まあ良いや。要は、今のサクコブの偉い人達が嫌いな人達な訳だ。その、パフ…>
<パフタオチトゥ。>
<…って言うのは。言ってみれば地球のEIMみたいなもんだね。>
言葉を足すスグタに頷きつつ、宏子はリジュワナの方を向いた。
<…EIM?>
リジュワナが眉をひそめる。
<うん、そういう事でしょ?>
<…地球…独立運動? 初耳だけど、どういった運動なの?>
リジュワナはテレパシーを分析しながら宏子に尋ねた。
<え? …あれ、あんたってもしかして、EIM全然知らないんだったっけ?>
<…>
肩を上げ頷くリジュワナ。
<…はあ…つくづく私って孤立無援だったんだなあ、もしかしてもしかすると。>
呟く宏子。
<私が知っているところで挙げるなら、クザラル人のHNKよ。彼等には良く似ているわ。>
<あ、うん、そう。大体そういう意味の事を言おうとしたの。>
<そう。…宏子、ここに来る前に私、言ってたでしょう。サクコブは話が分かるかもしれないって。…その私の推測は、半分正解で半分間違ってたわ。私が最初に声をかけたサクコブは、私に聞く耳なんて持たなかった。それでも彼等の興味半分にこの意識世界に連れてこられて、最初は自分の心の働きを観察されたりとか、実験動物みたいな扱いも受けて、不愉快な思いも色々したけれど…>
リジュワナは息をつき、眼鏡を上げる。
<徐々に、彼等の中で、話が通じる存在もいる、という事に気付き出したの。>
<最初にホクさんが接触してきたのが、私達ジュトゥ生命体のレジスタンス組織でした。その後、私達から他の民族の抵抗組織達の事を聞いたホクさんは、彼等をフィキチュアジ打倒という共通の目的の下で大同団結させようと試みだしたのです。>
<試みだしたっていうか、私はここにいるだけで何もしていないのよ。実際に交渉に動いたのはスグタ達だったから。>
<そんな、謙遜なんかしないで下さい。>
スグタは手を振って笑う。
<デアグジョオバのバササク書記へのホクさんの啖呵は、今でもジュトゥ生命体の間では伝説になっていますよ。あの時のホクさんの>
<まあ、とにかくそういった事があって、ここ最近は4組織で連絡を取り合って、共同戦線を張る事にした訳。>
スグタを遮るようにリジュワナは念じた。
<…なるほどね。>
<残念だけど、この共同戦線でもまだ、フィキチュアジの体制を覆すまでの実力は無いでしょうね。でも、宏子、考えてみて。地球人と、地球人に協力的なHNKと、このパフタオチトゥと、3者が力を合わせたら。それぞれ単独なら弱小でも、私達全員が揃えば戦況は変わると思うわ。コココ人はゴニ教徒の侵略を止める事が出来る。パフタオチトゥはフィキチュアジの圧政から解放される。何よりクザラルとサクコブ、両方の戦争が終わるわ。…そして宏子、地球人はこれで初めて、どちらの勢力に怯える事もなく、宇宙の中での独立を勝ち得る事が出来るのよ。>
<…>
宏子は何かを念じかけてからそれを止め、窓の外の夕焼けの景色を眺めた。
<まあ、そうなったら私も嬉しいよ。>
リジュワナ達に背中を向けて彼女は念じる。
<ええ、私がどうしてずっとここにいたのか、理由はそういう事なの。ここにいないと、私はスグタ達と連絡が取れなかったから。>
<ふうん…>
<でもそれも変わるわ。こうやって宏子をちゃんとここに呼ぶ事が出来たという事は、今度からは私も地球に戻れるし、彼等と連絡したい時はこうやってここに来る事も出来る。双方の意思疎通が簡単に出来るようになった。つまり、今、これで初めて整ったという事よ、パフタオチトゥと、私達が共に戦うという準備が。>
<…うん、良かったね。>
背中を向けたままの宏子の念に、リジュワナはふと眉を寄せた。
<余りあなたの念が嬉しそうに聞こえないのは気のせいかしら。>
<うん…そんな事無いよ。良い話じゃないかなと思う。頑張ったら良いんじゃないかな。>
夕陽を背に振り返る宏子。
<…ええ、そうね。お互い頑張りましょう。>
<…>
<…何よ。>
苛立たしげに聞くリジュワナ。宏子はまた目をそらし、息をつく。
<リジュワナは偉いと思うよ。…でも私はもう駄目なんだ。そう言えばアリーザも前、そんな台詞言ってたっけな…私ももう、ゆっくり眠れたら良いのに…>
<…何だか、アリーザが今、ゆっくり眠っているように聞こえる表現ね。>
<…私は、もう良いんだ。戦争とか、地球がどうとか…どうでも良い。もう良いんだ。うん。もう良いの。>
ぎこちなく笑う宏子。リジュワナは尋ねる。
<…何があったのよ、宏子。>
<色々あったんだよ。…リジュワナと同じ位色々ね。リジュワナは、辛い事は我慢出来たみたいだけど…私は駄目。もう駄目だよ。…だから、私からは、リジュワナとスグタには、頑張ってって応援する位しか出来ないんだ、悪いけどさ。>
リジュワナは驚きで目をまたたかせながら、宏子に念じる。
<でも、…待って、確かにあなた達も色々会ったでしょうし、私のいない間に大変な事も多かったのかもしれないけど…そういった事が、これでようやく終わるかもしれないのよ? ようやくそういった事を終わらせられる一歩になるかもしれないのに…あなただって、この春日部の学校に戻りたいでしょ? 平和な学校で授業を受けたいでしょ?>
<春日部全部が消えた訳じゃないけど…>
宏子は自分の前の机をコンコン、と手で叩いた。
<少なくとも、この学校はもう無いよ。この辺り一帯はもう、完全に廃墟になってるはず。大体、あの辺にいた人で生き残りって言ったら、私と美耶位しかいないんじゃないかな。後は全員死んでると思う。クラスメイトとか、皆の家族とか、ウチの近所とか。…全員。春日部に関しては、もう手遅れだよ。皆穴だらけになったか、その後の建物倒壊で潰されたか、その後の火事で燃えたかしたから。>
<…>
リジュワナは動きを止めた。
<…で、でも! …それなら、あなたは、サクコブに相応の恨みがあって良いはずだわ。これから、ようやくその報復が出来るじゃない。>
<恨みはあるよ。>
顔を上げ、宏子は穏やかに念じる。
<だから、リジュワナに頑張ってほしいなとは思ってる。私の恨みの分まで晴らしてくれたら嬉しいと思うよ。>
<そうじゃなくて!>
<佐藤さん、私達は、佐藤さんが地球を代表する魔術師だと聞いているんですが、私達にお力を貸しては貰えませんか? 私達の利害は一致していると思うのですが…。>
<残念だけど、私はそもそも魔法少女じゃないから…>
宏子はスグタに肩を上げる。
<宏子、今はそんな言葉遊びの冗談を聞きたい時じゃないの。>
<冗談なんかじゃないよ、リジュワナ。…はは、冗談だったら良かったんだけどね。>
<…>
リジュワナは眉を寄せ、ため息をついて宏子を見つめた。
<…あ、もうそろそろ時間ですね。>
スグタがバーチャルディスプレイの時計を見て呟く。

赤い教室の中で、三人の少女が別々の方向を見たまま立っていた。


<…>
<…もっと楽しい顔しなさいよ。>
リジュワナが宏子を睨む。宏子は今日何度目か分からないため息をまたついた。
ニ人は日本国内と思われる遊園地の中を歩いている。人手は夏にしてはやや少なめだが、それに代わるようにクザラル人達の姿がちらほら目につく。イハッジャはもちろん、腰のホルダーにステッキを差している女性も多い。
<きゃっ!>
何かにけつまづきリジュワナは体のバランスを崩した。
<っ>
よろけるリジュワナの右手を、宏子が咄嗟につかむ。
<…ありがと。>
姿勢を直し、あまり嬉しくなさそうに念じながらリジュワナが手を離す。
<これで6度目。今日中に10行ったら何かおごる事。>
<…>
ニ人はつまらなさそうな顔で遊園地を歩く。
<…だから言ったでしょ、無理すんなって。久々に自分の体に戻ったから慣れてないんでしょ? 一回胃とかが痙攣して大変だったじゃない。>
<それは戻ってすぐでしょ。1時間もしないで治ったし、その後はもう2日ほど普通に生活出来てて、自律系の問題は全く起きていないんだから。ちょっと意識接続が長かったからって、人を病人扱いしないでちょうだい。>
<じゃあ今度コケても私助けるのやーめよ。>
<…>
宏子はリジュワナを見る。
<…病人でしょあんた。大体そんな髪ボーボーに伸ばして。>
<仕方がないでしょ、一年間散髪してないんだから。大体、伸びているなら健康な証拠よ。>
意識ネットの虚像に比べかなり髪の量の増えたリジュワナが念じる。後ろ髪を団子状にまとめる事は諦め、ひとまずは髪留めできつく縛っているようだ。
<そんな状態でムリして系魔法使ってるんだから。そもそも、私達ニ人でここに来て何が楽しいのよ。>
両腕を自分の頭の後ろで組みながら歩く宏子。
<信じられないね。自由に行動して良いってマブルのお墨付きをもらってまず最初にする事が、05の宇宙船借りて日本に遊びに行く、だなんてさ。EIMが地下抵抗組織だって部分、あんたまだよく分かってないでしょ。>
<分かってるわよ。だからこっそりバレないように着陸したでしょ。>
<…リジュワナさん?>
<大体、宇宙船を借りた件は私のせいにしてほしくないわ。宇宙船を使わない限り簡単に長距離を移動出来ない、って言うあなたが悪いのよ。あなたが魔法さえ無くしていなければ、マレーシアと日本の間位、瞬間移動であっという間にやって来れたのに。>
すまし顔で首を振るリジュワナに、宏子は頬を引きつらせた。
<…あのね。だから行くのは無理だ、って意味で言ったのを、それででも強引に宇宙船使って無理矢理私を日本に連れてきたのは、一体どこの誰だってーのよ。>
<あなたの思い出の遊園地じゃない、ここは。>
周囲を見回すようにしてみせながら、リジュワナが念じる。
<思い出? …そりゃ、あんたとプオにとってどうだったかは知らないけど?>
<そうね…まあ、あなた達はそれを出歯亀している思い出しか無かったわね…>
<う…>
<だったら、今日はあなたが楽しめば良いわ。>
<…別にあんたといても楽しかないんだけど。>
リジュワナは腕を組み、わざとらしくため息をついてみせる。
<ああ、残念だったわね。本当はプオラギイックに協力してほしかったのよ。でも彼、何だかあなたに話し掛けるのを怖がっているみたいで。>
<…別にプオなんかと話したいとも言ってないけど。>
<聞いたわよ、美耶とモニクから色々。…ちょっとうんざりするほど。>
<あのデマ好き姉妹の話なんか、まともに取り合ってるだけ無駄だと思うけど。>
<何でもプオラギイックと上手くいってないらしいわね。最近ニ人が話しているところを誰も見ていないそうじゃない。>
<別に。あんたがいなくなる前だって、そうそう話してた訳じゃなかったじゃん。>
<その後に気持ち悪い位ベタベタくっついていた時期があったそうじゃない。私がいなかった間のこっちの事は、昨日記録映像を山ほど見てあらかた分かっているのよ。>
<…そ。>
宏子はリジュワナに顔を向けた。
<それなら分かると思うけど、別にプオと何か喧嘩してるとかって訳じゃないから。そんな映像はどこにも無かったでしょ? …ただ…>
<…>
<…>
<…何?>
宏子は顔をそらし前を向いた。
<別に。>
<…>
<…>
<…問題が何も無い、という状態には思えないわ。何があったのよ。>
<別に。何も無いって。>
宏子は小さく念じた。
<…ただ…。ただ、お互い相手の事をよく分かってなかった。…ううん、そんなんでもない、私が一方的に分かってなかっただけか。…子供だからさ、私が。だから、…プオを…人として見ていなかったんだよ、結局。あくまでクザラル人だ、っていうか…ぶっちゃけた話、自分を助けてくれる存在としてしか見ていなかった。でも、そんなの彼にとっちゃいい迷惑じゃん。本来そういう関係ってさ、ギブ&テイクで成り立つものでしょ? 一方通行に助けだけ求めるのは甘えだよ。そんな関係はあっちゃいけない。…相手の事を、少しでも友達と思えてるなら尚更ね。>
<…>
リジュワナは宏子の顔を無言で見る。
リジュワナはふいに歩みを止めた。立ち止まりリジュワナの方を向く宏子。
<…ん?>
リジュワナは無表情に後ろの行列を指差した。
<来たからには乗るわよ。ホワイトトルネード。あなた、心臓病とかの持病は無かったわよね?>
<…あんた少しでも私の話聞いてた?>
頬を引きつらせながら宏子は呟くように念じた。


「ふう…」
夏の日差しがパラソルの濃い影を作る。プラスチック製のベンチに座っているショートカットの少女が、やや青白い顔色でため息をついている。
日の光が一瞬遮られる。宏子は疲れた顔で目を上げた。
<あなたも苦手なのね。日本人だから平気かと思ったのに。はいこれ。>
パラソルの下にやってきたリジュワナが、ストロー付き紙コップを宏子に渡しながら向かいに座る。
<…何で日本人だと平気なのよ。>
<だってこの遊園地、日本にあるじゃない。しかも日本でここだけじゃないでしょ、ジェットコースターがある遊園地は。私の国には、こんな大掛かりな物は一台だって無いわ。>
<それは、平気とかそういう問題じゃないと思うんだけど。>
<まあね。>
自分の分のジュースのストローに口をつけながらリジュワナが肩を上げる。
<でも結果として日本にはジェットコースターが多いんだから、人々はそれに慣れているものだと思っていたんだけど。>
<まあ…1、2回位なら分かるんだけどね。…あんたの乗り方が異常なだけで。>
自分の胸を押さえながら宏子が顔をしかめる。
<じゃあもうこれで、病人呼ばわりはやめてくれるかしら?>
得意気に微笑むリジュワナ。宏子は苦笑いを漏らした。
<…まあ良いけど。>
<…>
<…何飲んでるの。>
<コーラよ。あなたも自分のを飲んだら。>
<ん、まあ…>
曖昧に頷きながら宏子は顔を横に向ける。
<…前に比べて静かになったわね。>
<私が? …そりゃあね、意味も分からずあんたにこんなとこまで拉致られて引きずりまわされたら、誰だって恐怖で言葉も出ないでしょうよ。>
<…>
宏子はリジュワナを見て顔を近づける。
<…言いなさいよ。何で私をここに連れてきたの?>
<…スグタと相談したのよ。>
<はあ。あのサクコブが。で、何の密談?>
<しばらく会っていなかったでしょ。だから、ゆっくりあなたと話がしたくて。ニ人きりで。>
<そんなもん、あんたの部屋でも私の部屋でもどこでも出来るでしょうが。何で宇宙船ジャックまでして、系魔法浪費して危ない思いしつつ、ここにいなきゃいけないのか、って聞いてるんだけど。>
リジュワナはストローから口を離し、周囲の景色を見回した。
<…そうね、危ないわ。一見平和そうに見えるけど、それはただの虚像。既に地球はあちこちに大打撃を受けているし、良き隣人としてこの星に住み出したクザラル人達は、実際には癌細胞のようにこの星の未来をむしばみ出している。…あのクザラル人達を見てみなさいよ。皆、背中にイハッジャかステッキか、どっちか必ず付けているでしょ。…まるで、パレスチナ占領地区でマシンガンを背中にかけてうろついているイスラエル兵みたいよね。>
<イスラエルとかパレスチナとかの事は、あんまり良く知らないけど…クザラル人に関しては、皆がそれを認めてるからね。地球人達が。今、クザラル人達が街に溢れている現状は、地球の人が自分で選んだ事なんだから。それはもう、しょうがないよ。民主主義って、そういう事なんでしょ。>
<私はそんな多数決には納得出来ないわ。それに、あなたからそんな意見が出てくるっていうのも意外だし。知ってるでしょう? 彼等の今までしてきた、そしてこれからもするであろう事は。人をさらって、洗脳して、手術して、地球人全体をクザラル人化して、その上で自分達の戦争の兵隊として使おうと目論んでる。>
<そういった話はね、リジュワナ。全部、EIMはもう言ってきてる事なんだよ。その上で地球人達は私達を無視して、魔法協会を選んだの。全部分かった上で魔法協会をとってるんだよ、地球人は。>
<分かってないのよ。情報として知るのとそれを本当に理解するのとは違うわ。>
<そうかもしれない。けど、全ての…多くの、でも良いよ、地球人が、クザラル人の怖さを理解する、なんて言うのは、多分無理なんだと思う。無理って言うか、しばらく後になって、本当に取り返しがつかなくなってから、そこで初めて気付くんじゃないかな。それまでは、何を言われたって…>
<…>
<大体、あんたがそんなにHYIに批判的な事の方が意外だけど。あんた、人を洗脳する事には賛成だったんじゃなかったっけ?>
<それは時と状況によるわ。フィクバ・モ・ブンティブの時点では、そうするのがベターだと判断しただけ。私だって基本的に、洗脳が良い事だなんて思っていないわ。…ましてや、その目的が地球人の奴隷化だっていうんだったら、それは真平御免よ。>
<ふーん…でも、そのクザラル人に抵抗するでもなくあんたは心の旅に旅立っちゃった訳だけどね。>
<ええ、戦っているチームメイトをずっと放っておいて。随分酷い魔術師よね。…でも、そんな酷い事をした甲斐は充分にあったわ。>
リジュワナは眼鏡を上げた。
<今の私達は、単独でフィキチュアジに対抗出来るだけの力がある。もう、嫌々魔法協会と手を結ぶ必要なんてないのよ。>
<…>
宏子はリジュワナに目を向けた。
<聞くけど、本気でその「フィキチュアジ」っていうのに勝てると思ってんの? HNKがHYIを倒すのだって、はっきり言って現段階じゃ妄想以外の何物でもないと思うけど、それ以上に有り得なさそうだよ、数匹だけでもあんだけ強い連中に、本当に勝てるなんて。>
<私達の強みは多様性よ。>
自信有り気にリジュワナは腕を組む。
<サクコブ生命体の魔力。05生命体の技術力。クザラル人の魔力は、またサクコブ生命体とは違った強さがあるわ。そして地球人。これだけの別々の力が一緒になったグループが出来れば、単一の種族だけのグループに負けるなんて事はないわ。>
<他はともかくとして…地球人の売りは何よ。05との連携の時に思い知った事だけど…こっちは他の種族の役に立つような力が無いの。魔力も技術力も無い連中に、他の種族が魅力を感じるとは思えない。事実、05との関係は最近あまり良好とは言えないし…。>
<HNKとはうまく行っているわ。>
<それは…私達の経験を向こうで宣伝出来たからでしょ。>
<そうね。それなら、少なくともその経験は私達の「売り」の一つという事になるわね。>
<…>
リジュワナは宏子を見ながら念じる。
<魔力だって決して無い訳じゃないのよ。確かに現段階で地球人の魔法少女と言ったら、私のような「偽地球人」に限られるけど、そうでない人間も少なくとも一人はいる。美耶のような微弱なNKだったら、持っている地球人はもっとたくさんいるわ。05の技術力を借りれば、クザラル人化せずに地球人が魔力を得る事だって可能かもしれない。結局、地球人のNKはゼロに近いと言うだけであって、ゼロじゃないんだから。決して不可能な話ではないと思うわ。>
<そんな事…出来るんだったらもうやってるって。>
<そうかしら。記録で見た限りではあなた達と05の協力関係は限定的なものだった。宏子、あなたは「非人道的」な事は意図的に回避したがるから、どうしても及び腰になるところがあるわよね。>
<…かもね。あんたがEIM代表になれば、また変わってくるかもよ。>
<でも代表はあなたよ。何しろ、あなたが初めての、そして今のところ唯一の、地球人の魔法少女なんだから。>
<だから、私は>
<もう魔力が無い。かもしれないけど、それは単にそういった攻撃を受けたというだけでしょ? その魔法が解除出来れば良いだけの話じゃない。>
<少なくとも、クザラル星の一番魔力の強い人…それこそシャウビとかでも、この魔法を解くのは物理的に不可能だ、って話だったよ。>
<だとしても、あなたはやっぱり魔法少女よ。そういった攻撃で今は魔力が消えたかもしれないけど、あなたが人為的な移植など無しでクザラル人顔負けの魔力を持っていた、というのは紛れも無い事実なんだから。あなたに代表になって貰わないと、他種族は納得しないし、地球人はまとまらないのよ。>
<…勝手な事ばっかポンポン言って。私は何と言われようと動く気はないからね。>
<私は何と言われようとあなたを動かせてみせるわ。>
<…>
悪意のこもった宏子の視線にまるで気付かないかのようにリジュワナは首を振る。
<…でもね、宏子。私が何よりも地球人の一番の「売り」だと思っているのは、問題を解決しよう、良い方向に向かっていこう、とする力よ。これは私は、地球人がクザラル人にもサクコブにも勝っている点だと思うわ。>
<そんな曖昧なもので戦争には勝てないと思うけどね。>
無視してリジュワナは続ける。
<この「努力」で私達はHNKと手を結んだ。今はパフタオチトゥの協力も得られるし、彼等はHNKとの協力を基本的に受け入れると言っているわ。つまりクザラルとサクコブが共闘するのよ。これは、地球人がいて初めて実現した事なの。これまで80年も戦ってきた彼等自身には今まで成しえなかった事を、私達がたった1年でかなえようとしているのよ。>
<…それは…彼等にとっては、お互いが敵だから…>
<私達にとってもサクコブは当初モンスターだった。敵なんて生易しいもんじゃないわ、正体不明の怪物だったのよ。…今でも、クザラル人の公式の見解はそうでしょ。でも私達地求人は、自分達の誤りを正していく勇気がある。だからこれだけの短い時間に、これだけの事が出来た。>
<何言ってるんだか。地球人だって同じじゃん。そこら辺の子供…大人でも良いよ、に聞いてみたら? サクコブをどう思う、って。モンスターを「サクコブ」と呼ぶとは、モンスター側に洗脳されている奴がいるぞ、って警察呼ばれるのがオチなんじゃないの。>
<…>
一瞬テレパシーの止まったリジュワナは、真剣な様子で宏子の顔を見た。
<だから、あなたが必要なのよ。このまま放っておいたら、地球はますますクザラルに支配され、サクコブに破壊されてしまう。>
<…何か言ってる事が矛盾してるじゃん。>
「...Ha.」
ストローに口をつけコーラを飲み干したリジュワナが念じた。
<次はどこに行く? 個人的にはこの、お化け屋敷に興味があるんだけど。>
<…>


「Thank you.」<ほら、入って。>
<…>
係員に挨拶しながらリジュワナが観覧車のゴンドラの中に入り、宏子を手招きする。ため息まじりに向かいに座る宏子。
ドアが係員によって閉められ、ゴンドラはゆっくりと地上から上がり出す。
<もう、夜景になりつつあるわね。って、当たり前ね。もう7時なんだから。>
<…あ、リジュワナ、お祈りとか大丈夫なの?>
<ちゃんとしてるわよ。正午のはあなたも付き合ったでしょ?>
<はたからは何か黙祷してるようにしか見えなかったけど。>
<悪かったわね。私だって目立ちたくないのよ。午後と日没後のも、きっちり済ませているわ。>
宏子ははたと気付いて顔を向けた。
<…さっきのトイレ?>
<便利でしょ。手や顔を簡単に清められるし。>
<…トイレでやってたの?>
<トイレ「で」やった訳じゃないわよ。>
むっとした様子でリジュワナが念じ返した。
<まあ、結局今日は一日中ここにいた事になるわね。良い休日だったんじゃない。>
<あんたにとってはね。>
<私だけの話じゃないわ。>
<ちょっと、私は無理矢理付き合わされただけで何にも喜んでないんだけど。>
<まあ、ね。あなたはそうかもしれないわ。>
リジュワナはほくそ笑んだ。
<…は?>
<だって、ね。やっぱり私じゃなくて、プオラギイックの方が良かったでしょう? 私じゃ「デート」にならないものね。>
<…>
宏子は目をそらし、窓の景色を眺めた。
<反論も無し。逆に重傷っていう雰囲気ね。>
ため息をつくリジュワナ。
<全く、何と言ったら良いのか…子供っぽいと言うか、馬鹿馬鹿しいと言うか…>
窓に頬杖をつくリジュワナ。
<偉そうに。あんたに言われたかないけどね。アリーザじゃあるまいし、あんた、いつから恋愛のオーソリティーになったのよ。>
<まあ確かに、本来私が口を出す事じゃないかもしれないけど。ただ、プオラギイックとうまく行かないとすねるでしょ、あなたって。それで他に影響が出るのは困るのよね。>
<…人の行動をそんなに単純化してほしくないんだけど。>
<双方が好きあっているのが事実なら、何が問題なのかしらね。>
<だから好きあってないって。私はそんな事、一言も言った覚えないけど。>
<ま、それは単に双方とも子供で、素直に自分の気持ちを認められないだけでしょうけど。>
<…>
宏子はリジュワナを睨んでから、<だから、あんたはアリーザじゃないでしょ>と小さく念じた。
豆粒のような家々の明かりを見ながら、リジュワナが続ける。
<朝に言ってたわね宏子。私はプオを、自分を助ける存在としてしか見ていなかった、って。だとすれば、確かにそれは良くないわね。あなたはプオがあなたの事をどう思っているのかを、まるで分かっていないんだもの。でも、宏子、人がお互い助け合うという事自体には、何も問題はないわ。むしろそれが自然なんだから。宏子、あなたの本当に良くない所はね、他の人があなたの事をどう思うかにまるで鈍感なのよ。プオラギイックはあなたの事を好いているわ。その深い心理までは、私には分からない。私はプオラギイック本人じゃないし、アリーザみたいな恋愛のエキスパートでもないから。ただ私でも分かる事は、彼も、あなたに助けてもらっているのよ。宏子、あなたが気付いていないだけで、あなた自身が他の人に助けられているのと同じように、いやそれ以上に、あなたの存在は、他の人達の助けになっているのよ。それはプオラギイックだけじゃなくて、モニクや私にとっても同じ事なの。>
<…>
リジュワナはため息まじりに、視線を別方向に移した。
<…じゃなかったら、隣のゴンドラにモニクとプオラギイックが固まってこっちを観察していたりはしないはずだわ。>
<はあっ!?>
宏子は勢い良く立ち上がり、前後を見回す。
<ど、どっち? そっち? あ、あいつら…性懲りも無く…>
<…前回はあなたも被告側だったでしょうが。>
<う、るさいな、その後私は更正して>
<更正して。その後は温泉地で聞き耳をたてていたわよね、それこそ性懲りも無く。>
<…う…>
リジュワナは笑った。
<座りなさいよ。大体ここで何をやっても仕方がないわ。向こうに瞬間移動出来るなら別だけど?>
<…にしても、何で、あいつら…>
座り直しながら、宏子はふとリジュワナを見た。
<もしかしてあんたが呼んだの?>
<違うわよ。まあ、保安の関係上、この遊園地に行くとは知らせていたけど。>
<呼んでるのと同義でしょうがっ!>
<それにしてもモニクはともかく、プオラギイックがここに来るとは意外だったわ。…それだけあなたを心配してるのよ。>
<…>
宏子は目をそらす。
<…何が不満なの?>
<別に。私はプオに不満があるとかじゃなくて…私じゃそぐわないっていうだけ。>
<…>
<私は、さっきリジュワナが言ったようなポジティブ全開な考え方なんて出来ないよ。それでやってきた結果がこれだもん。家族と別れて、皆死んじゃってさ。私はポジティブに頑張ってきて、それで誰も救えなかったし、これからなんか、もっと駄目だよ。もう魔法だって使えないんだから。>
<はあ…宏子、率直に言うけど、あなたのそういった自省は、今は逃避の言い訳にしか聞こえないわ。幾分自己陶酔の混じったね。>
怒るでもなく肩を上げてみせるリジュワナ。宏子はリジュワナを睨む。
<別に、そう思われても結構です。もう私は疲れたの。人間が疲れたら逃げようとするのは当たり前でしょ、それで何が悪いって言うのよ。>
宏子は腕組みをした。
<大体、あんただって逃げてたでしょ。こっちの現実から逃げて、ずっとバーチャルの世界で平和に暮らしてたんじゃん。あんたはその間の苦労を知らないから安易に「逃げるな」「逃げるな」言えるんでしょ。>
<ちょっと…それはまた、別の話でしょ。>
<別なんかじゃない。事実としてそうだよ。帰ってこようと思えばこれたのに、あんたは帰ってこなかった。仮に帰らないにしても、何かしら工夫すればこっちに秘密通信の一つもよこせそうなもんなのに、そんな努力すらしてないじゃない。こっちから逃げていたとしか思えないよ。>
<そう言うんだったら、私も事実を話すわ。とにかく結果として、私はパフタオチトゥの協力を得る事に成功した。仮に逃げているように見えたとしても私は、地球の未来にプラスになる事をしていたのよ。それで、今のあなたは何? プオラギイックやEIMから逃げて何を残すつもりなの? それがどう地球の未来にプラスなのか、聞かせてもらうと助かるわ。>
<ほら、図星突かれたからムカついてやんの。自分だって逃げていて何よ、偉そうに。確かに結果として仲間が出来たかもしれないけど、それこそ結果論じゃない。あんたは逃げていたんだよ。辛い自分達の現実から。その事実は変わらない。>
<違うわよっ!>
<違いません。>
<……ふう…>
知らぬ間に立ち上がっていたリジュワナは、自分の気持ちを落ち着けるように呼吸をして席に座り直した。

<…でも、宏子。…それでも私は、戻ってきたわ。>
<…>
宏子は無言でリジュワナを見た。
<確かに…私に、宏子に偉そうな事を言う資格なんて無いわね。でも宏子、我侭な女の戯言だと思って聞いて。…後少しなのよ。後少しの頑張りで、地球の未来は全く違ってくると思う。ここが踏ん張りどころなのよ。ここを頑張れば全てが変わる。そして、申し訳無いけど、ここを引っ張って、皆をまとめていけるのは…あなたしかいないのよ、宏子。>
<…>
宏子は窓に目を向けた。
<リジュワナにそんな事言われても、私、動かないよ。>
<…>
リジュワナは疲れた顔で息をついた。
<…でも、プオが言うんだったら…どうしても、って頼むんだったら、ちょっとは聞いてやっても、良いかな…>
<…>
<…>
<…全く。>
リジュワナは微笑んだ。
<あなたも、いい加減告白しなさいよ。結局未だに言葉にはしていないんでしょ?>
<…だって、…別に好きな訳じゃないもん。私はただ、あいつが言うんだったら何か切迫感があるから、聞いてやらないと悪い気がするかな、って事を言ってるだけなんだから。>
<分かったわ。そうよね。別に好きじゃないのよね。>
リジュワナはおざなりに頷いてみせる。
<…何よ。何でそれで笑う訳。>
<別に笑ってなんかいないわよ。ほら、もうそろそろゴンドラも一周し終わるわ。外に出たら、後ろのゴンドラの一行を暖かく迎えましょ。>
<暖かく? 覗きやってた現行犯を暖かく許すような神経は、私は持ってない。>
<よく言うわね…じゃあ、どうするのよ。>
<…ファミレスにでも寄って、二人の言い訳をじっくり聞いてあげようかな。>
<…>
リジュワナは笑いながら、宏子に肩を上げた。



→Part B



←Prev ↑Home ↑Original Novel →Next