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サンダカンにあるのと殆ど同じような熱帯の植物が生い茂る密林を背景に、芝の張った小道を宏子、リジュワナ、モニクの三人が歩いている。
リジュワナは少し不愉快そうな様子で、腕を組みながら眉を上げた。
<下らないわ。そんな事以外に出来る事だってあるでしょう?>
<具体的には?>
<…>
モニクの念に沈黙で答えるリジュワナ。
<まあ、出来る事は色々あるかもしれないけど、一応あんたの心のケアだって大切な事じゃん。下らないとは言えないよ。そりゃまあ、あんたが傷つきやすい繊細な心を持ってるとはお世辞にも言えないとは思うけど…>
<どっちかって言うと、ガチガチに硬くて周りに引っかき傷が絶えないタイプの心だよね。工業用ダイヤの心を持った女。>
モニクが宏子に笑って頷く。
<…不思議ね。二人の発言が、多少なりとも私の心を気遣っているものには全く聞こえてこないのは何故なのかしら。>
一人で前を歩いているリジュワナが眉を引きつらせながら念じる。
<そう? ま、HNK地球支部の方にカウンセラーがいるそうだから、明日行って診てもらってくるようにね。>
<そんな事に構っていられるような状況じゃないでしょう、今は。>
<良いから行くの。代表命令権行使しようか?>
リジュワナは立ち止まり、宏子に振り向いた。
<あなたはマブルやプオラギイックからカウンセラーと話すように言われた時、一度でもそれを真面目に聞いた事があったかしら?>
<だって私は平気だったから、わざわざ話、する必要なんか無かったもん。>
<…>
細い目で宏子を見るモニク。
<なら私も平気よ。それこそ私の心が硬いって、知ってるでしょう。あなたと違って、感受性に乏しいから。不必要に自己陶酔をするような暇があったら、状況の打開策に思いを馳せているのよ、私は。>
<ほうら、そういう風にすぐに喧嘩を売ろうとする辺りが怪しいんだ。>
宏子は楽しげにリジュワナに顔を近づけた。
<…はあ。もう、付き合っていられないわ。>
<ま、まあ、とにかく、もう予約も入れちゃったから、リジュワナちゃんも明日は一応そういう事で、ね? そんなに時間はとらないだろうから。>
手を差し伸べるようなジェスチャーで、モニクが笑いかけてみせる。リジュワナはため息をついた。
<…まあ、手続きとしてはそうするべきなのかもしれないし。命令だというなら、私も無理に破るつもりはないわ。どこかの代表さんと違って私は周囲の意見も聞き入れるから。>
<あ、あはは…>
<でもモニク。何で私が今日、今からわざわざダッカに行かないといけないのかしら。それと明日のカウンセリングと、一体何がどう関係があるの。そんな事、しても仕方が無いでしょう。>
<自分だって、瞬間移動も使えない人間を無理やり日本へ連れて行った癖に。>
リジュワナは宏子に目を向ける。
<それでそのお返しに、あなたはモニクを見張り役に使って私をバングラデシュに行かせたい訳ね。>
リジュワナはため息をついた。
<そういうのはケアじゃなくて復讐って言うのよ、宏子。>
<良いから。同じ「チームメイト」として私もリジュワナには元気になってほしいからさ。>
<それはありがとう。あなた達ニ人がどこかへ消えてくれれば、私は充分元気になるわ。…それからあなたの「チームメイト」っていう立場を引退するにはどうすれば良いのかを教えてもらえると、更に元気になれるわね、多分。>
モニクがリジュワナの肩に手を置く。
<まあ、リジュワナちゃん、ちょっと付き合ってくれるだけで良いから。私にダッカの街を案内してくれたら嬉しいな。今からだから、丸一日潰れる訳じゃないんだし、軽い気分転換って事で、ね?>
<…>
モニクの毒気のない笑顔に、リジュワナは心底困った様子で息をついた。
屋内の一室、家具の少ないがらんとした部屋で、宏子がタッチパネルを操作している。
<オーケー、ウォームアップ完了。じゃ、良い旅を。>
<…>
<うん、楽しんでくるよ。>
むすっとした顔の横で、モニクが宏子に答える。
<土産はまんじゅうで充分だから。>
<…日本風菓子なんてダッカで売ってないわよ。>
<じゃ、ごゆっくり。>
手を振る宏子。
<うん。>
笑顔のモニクが頷き、自分のイハッジャを持ち出して構えた。
シュウウウウウウウウン…。
部屋にあるオーディオ機器か何かのような機械群のデータ表示が反応しだす。モニクとリジュワナを包むようにしてピンク色の光が輝きだした。
<…ザナ・キュディヌ・ヒオ!>
ズバアアアアアアアアアアアアン!
光で視界が覆われる。爆発音があって突風が起き、それに押し流されるように光が消えていく。
さっきまでいたEIM本部の室内から、屋外に周囲の景色は変わっている。ニ人は周りを見回した。
<…あれ?>
低いトーンで、モニクが呟いた。
<…>
<何で、だろ。>
モニクは急いで腕端末を叩き、バーチャルディスプレイを表示させる。
<…>
リジュワナは息をのみ、無言で数歩、その場を歩きだした。
<えっと、多分設定ミス…なのかな? 私はちゃんと念じたと思ったんだけどね、増幅装置に何か故障があったのかもしれないね。場所、絶対間違えてるもんねえ。>
タッチパネルを右手で操作するモニク。表示されたデータにモニクは眉をよせる。
<嘘…ここがダッカなんてはずないんだけど…あれ? なんでかな。ちょっと、本部に通信入れて確かめてみないと。下手に故障だったら困るな…増幅無しで帰るには、ちょっと長い距離だし…>
風が吹き、地面にある紙くずなどを巻き上げている。
彼女達は、もとは街中だったと思われる、全ての人工物が破壊され瓦礫で埋め尽くされている地面の上に立っていた。
「ごほ、ごほっごほっ。」
砂埃が風に乗って通り過ぎていく。口の前に手を押さえながらディスプレイを見ているモニク。
周囲の景色は黒と灰色と茶色で埋め尽くされている。明らかに人体らしいものの残骸は所々に見え隠れしているが、生きて立っている人間は彼女達ニ人以外に周囲には見えない。
<…モニク。>
<何、リジュワナちゃん?>
リジュワナはモニクから数歩離れた場所で座り込み、瓦礫の地面に見入っている。彼女は立ち上がり、モニクの方を向いた。
<増幅装置の故障じゃないわ。>
<え…?>
<…>
リジュワナはもう一度、地面に目を向けてみせる。モニクはリジュワナに近づき、同じ場所を見下ろした。
コンクリートらしき破片に挟まった何かのビラがある。白黒の写真と、横棒で一本に繋がっている形状の文字で書かれた文章とがそのビラに印刷されていた。
<ベンガル語よ。>
<…>
<まあ…ダッカじゃなくてコルコタかもしれないし。チッタゴンかもクルナかも、グワハティかも、あるいはシンガポールかロンドン辺りのインド人街かもしれないけれど。>
リジュワナはビラから目をはずし、もう一度周囲を見回す。
<それにしても彼等もまめなのね…フランスや日本ならいざ知らず、ダッカなんか攻撃しても、世界経済に殆ど何の影響も与えないでしょうに。せいぜい、ジュート麻とタゴールの詩集の流通に支障が出るくらいだわ。>
<リジュワナ、ちゃん…>
<分かるわよ。今朝までは全く無事だったんでしょう? でも午前中かお昼に、攻撃があったのよね。私達がサクコブとかち合わなかったのは幸いだったわ。>
<あの……ごめん…>
<あなたが気に病む事じゃないわ。大体、今の状況なら多分、フランスの方が酷いわよ。>
<それは、そうかもしれないけど…>
両手を背中で組みながら、リジュワナはゆっくりと、コンクリートで一面覆われた「平原」を歩く。
<悪かったわね。案内出来なくて。リクシャと3輪タクシーの洪水も、小汚いバザールも、その裏手のスラム街も、汚物だらけの川も、蝿の飛び交うオープンカフェも、見事なまでに文明の無い隣町も、…私の自宅も。…全部、案内したかったんだけど。消えてしまったようね。系魔法で作った虚偽の記憶が、何時の間にかとけて無くなってしまったみたいに。>
<…>
<残念だわ。宏子に日本風菓子の土産も買ってあげられない。>
<リジュワナちゃん、もう良いから…>
<そんなに悲しい顔をするものじゃないわ。モニク、あなたに暗い表情は似合わないわよ。私と違って。>
リジュワナは軽く息をつくと、肩を上げる。
<帰りましょう。ここにずっといても、私も案内のしようもないし。>
<…>
ボスッ。
<ちょっと、モニク。急に何? 呼吸が苦しいんだけど。>
モニクはリジュワナを自分の胸に抱きしめた。
<…>
<…何か…言って。>
<…>
<…>
モニクの胸の中で、リジュワナは何度かまばたきをする。そして彼女はほぼ無表情で、軽く視線を落とし、自分の右手をモニクの背中に回した。
<…宏子にだけは言わないって、約束してほしいんだけど…>
<…>
モニクの抱きしめる力が少しだけ強くなる。
<…数分だけ。このまま…>
リジュワナはモニクの胸に顔をうずめる。無言で瞼を閉じている彼女の目から、徐々に、涙が滲みだした。
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