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古いむきだしのコンクリート壁の、先程までいた部屋と何がどう違うのか判然としない個室で、宏子は部屋の壁を見回した。
<…>
宏子は何かを隠すように左手を目の高さまで上げ、自分の手前側に向けた左手のひらをちらちら見ながらきょろきょろと体の向きを変える。やがて彼女は天井近くの壁のある一点の方向に向き、もう一度自分の手のひらを見た。
<…>
ピピッ。
宏子が隠した何かを右手の人差し指で押す。するとどこからともなく電子音が鳴った。
<これで、ダミー映像送信完了、と。>
宏子は左手で隠していた小型のバーチャルディスプレイの一部に触れて、それを消去する。
ピッ、ピッ。
宏子は端末も何もついていない自分の右手の甲を数度叩く。すると新たなバーチャルディスプレイが宏子の前に現れた。
宏子はタッチパネルを操作する。操作を終え、宏子はそのまま、動かないディスプレイを眺めている。
<…>
数秒の間を開けて、ディスプレイに青い顔が表示された。
「おい、宏子かっ!?」
興奮した様子のニグーワー語が部屋に響く。
「ちょっと、プオ、静かにして! この通信は秘密なんだから!」
小声で宏子はディスプレイに喋る。
「そうか。…今どこにいる?」
宏子と同じくらいのひそひそ声で、画面のプオラギイックが言ってくる。
「HYI地球支部の今の本拠地の一つ。ジュチャ達のいる所。」
「HYIだってっ!?」
「静かにしてって言ってんでしょっ!」
「ああ、すまん…それにしても…本当なのか?」
「そんな嘘ついてもしょうがないでしょ。あ、ちなみにこれ通信の許可とってないから、いつ切れるかも分からないからね。」
「お前、こっちがどれだけ心配したか…」
「分かってる。だからこうやって出来るだけ早く連絡入れたんじゃないよ。」
画面に笑う宏子。
「三日も音沙汰無しで言えた台詞じゃないんじゃないのか、それは。大体仮にHYIのアジトに行くにしろ、その前に一言言えば良いだろうが。」
「一言言ったら止めたでしょ?」
一瞬絶句し、プオラギイックはため息をつく。
「大体、瞬間移動も出来ないくせにどうやって行った。…宇宙船をチャーターしたとか言うなよ。」
「本当はそうしたかったんだけど、HYI側を刺激しそうだったからさ。…まあ、チャーターしたんだけどね。」
「したのか!?」
「でも探す間だけで、その近くに着地してからここに来るまでが大変だったの。…まあ、そういう話は後でゆっくりするよ。」
「宏子、その、宇宙船って言うのは…」
「シユマだよ。…あ、船に同乗してくれたのはレワフィだけど。」
プオラギイックは呆れた顔を返す。
「ついでに皮膚下ビルトイン式の腕端末まで用意してもらっちゃった。」
「はあ…まあ、無事なら良いんだが…洗脳を受けたりしてないだろうな?」
「今のところは大丈夫だと思うけど? それよりプオ、そっちの本部、攻撃にあったんだって?」
「ああ。9人やられた。建物、というかエリア一帯が全壊。今はテント暮らしだ。」
「そうだったんだ。確かにいつあってもおかしくないとは思ってたけど。…こっちもちょっとゴタゴタしてて、連絡が来たのが、一日遅れだったからさ…」
画面のプオラギイックは首を上げた。
「いや、こう言っちゃ悪いが、仮にお前がいても何も出来なかっただろう。本当にサクコブに皆、手も足も出なかったよ。じっと息をひそめて隠れて、それでも彼等に見つかって、最後の抵抗をしたが、彼等には引っかき傷もつけられなかった。正直、犠牲者を9人で抑えられたのが不思議な位だ。」
「そうだったんだ…リーちゃんとモーちゃんは無事?」
「…」
若干の沈黙の後でプオラギイックが眉を上げる。
「誰よその、リーちゃんとモーちゃんって。」
ディスプレイの向こうからインド系の言葉が聞こえてくる。宏子はにっこりと笑った。
「あ、リーちゃん元気?」
「…元気じゃないわよ。宏子、こっちは大変だったんだから。」
プオラギイックの横からリジュワナが顔を出し、こちらに冷たい目を向けた。
「あー、大変は大変だけど、リーちゃん元気だよ。相変わらず愛想は無いけどね。」
画面には入ってきていない誰かのフランス語が聞こえてくる。
「だからその言い方は止めなさいよ。」
「…あの、取りあえず皆、もうちょっと小声で喋ってね、お願いだから。」
宏子は画面の前で指を立てた。
「リジュワナちゃんはねえ、むしろ、状況が危機的になると元気になるところがあるんだよね。」
モニクの小声がディスプレイから聞こえてくる。
「誉め言葉と受け取っておくわ。でもモニク、今度からそういう心理分析は、出来れば本人のいない場所でやってほしいわね。」
「…まあ、ニ人は大体こういう調子だ。」
「うん、よく分かった。」
宏子はプオラギイックに頷いた。
「じゃあ、ミーちゃんはどう?」
「…ミーちゃん?」
眉を寄せるプオラギイック。
「それは通じなかったか。…美耶。あの慢性虚弱体質はどうしてる?」
「ミヤ? ええと…」
プオラギイックは視線を泳がせ、隣のリジュワナに目を向けた。
「ミヤ…って、知ってるか?」
「…」
リジュワナはしばらく考え込んでから首を振る。
「何? あんた達、美耶と何か喧嘩でもしたの?」
宏子の言葉に、プオラギイックとリジュワナは不思議そうに目を合わせる。リジュワナはふと口を開け、こちらに向き直った。
「宏子、名前を間違えているでしょう。ええ、ビルクナ隊員なら無事。でもいい加減、彼女のファーストネーム位覚えてあげなさい。ミヤじゃなくて、ミッラよ。」
「何言ってんの? いくら名前が似てたってミッラと美耶を間違える訳ないでしょうが。大体ミッラは健康優良児だし。私が言ってるのは美耶だよ、幸田ちゃんの方。」
「コーダ?」
「…」
眉をひそめるリジュワナ。宏子は息を飲んだ。宏子は画面に映っていない相手に呼びかける。
「…ねえ、モニク?」
「えっと…ごめん、分からない。国府田マリ子だったら知ってるけど…その人も、日本人なの?」
「…」
「宏子。そのミヤっていう奴は誰なんだ?」
「…」
宏子はまばたきを繰り返し、自分の口を手でおさえた。
「…宏子、どうしたの?」
「…ごめん。」
吐き気をおさえるようにして、宏子は答える。
「今ちょっと、めまいが…」
「大丈夫か?」
「うん…」
「それで? その、ミヤっていう人は何? 私達が知っているはずの人物なの?」
「う、うん…」
「それを俺達が知らないという事は…どこかの時点で俺達に系魔法がかけられているという事だな。」
「っていうとやっぱり、ウボンが攻撃された時なのかな?」
「は…はあ…は…」
プオラギイックは耳を揺らし、こちらを見る。
「おい、本当に大丈夫か? 呼吸が荒いぞ。」
「あのね…その、美耶っていうの…凄く、あの、大事な、友達だったのね、私にとって…」
「まあ、ここで聞く位だからそうなんだろうな。」
宏子は呼吸を整えながら話す。
「その…それが…いないの。もういなくなっちゃったって、今、分かっちゃった。」
プオラギイックと一瞬目を合わせたリジュワナが首を振る。
「宏子。そう思い込むのは、まだ早いわ。確かに私達はそのミヤさんを今、覚えていないけれど、仮に系の魔法なのであれば解けるはず。それで思い出せば、彼女?がどこへ行ったのか、手がかりもつかめるはずよ。」
「そうじゃないの。そういう意味じゃなくて…もう帰ってこない。もう、生きて帰ってはこないっていうのが…」
「何でそんな事が分かるのよ。」
「それは…分からない…」
リジュワナ達は呆気にとられた顔でこちらを見ている。
「でも、分かるの、それが…何でかは分からないけど…」
「…宏子、」
リジュワナは言葉を捜しながら語りかける。
「宏子、それは…不安になっているからそう思うだけよ。あなたの友人が務まるような豪胆な人なら、生きてないなんて事はないわ。大丈夫。」
「違うの、はっきり分かるの。もう帰ってこないって。何でだか、感じられる…」
「…」
「…はあ、はあ…はあ、…うっ」
頬をつたう涙を拭いもせず、宏子は胸元に手を当てた。
「姉貴も、アリーザも、石戸田も、志穂も、皆どうして? 私だけ残して、皆…でも美耶だけは、あいつだけは私を置いてったりなんてしないと思ってたのに…」
リジュワナがぎこちない表情でこちらを見ながら言う。
「連絡が…無いだけじゃない。あなただってここ数日行方不明だったのよ。でもただ、ちょっと連絡が遅れてただけなんでしょう?」
「そうだけど、でも美耶は…」
「宏子、それならミヤさんだって同じよ。あなたはそうじゃないって言うけど、何か証拠がある? 別に無いんでしょう。魔法でピンと来た、なんて言わないでよ、今のあなたには魔力だって別に無いんだから。」
「それは…そうだけど…」
ズウウウウウウウウウウウウン。
壁が揺れ、机の上のカップが音を立てた。
「…え…?」
周囲を見回す宏子。
「…おい、今そっちの方から音が…」
ゴガガガガアアアアアアアアアンッ!
部屋が激しい振動に見舞われる。同時に何かの落ちている音が大音量で響き渡った。
「おい! 宏子、」
「あ、また後でかける!」
宏子は右手の甲を叩きディスプレイを消す。
ゴガガガガ…。
部屋のドアが開き、ソドゥが顔を出す。
<佐藤さん、>
<サクコブ?>
<はい、脱出を御案内しますので付いてきて頂けますか。>
<うん。>
頷く宏子。ソドゥは一礼し、通路へと走っていく。
<…ごめんね、あんたらの役に立たなくて。>
呟きながら宏子はソドゥの後ろを走り出した。
<あ、宏子。こっちは通れないわ。そこから曲がって行って、非常用通路があるから。>
<うん。>
ステッキを持って通路の角に立っているジュチャに頷き、宏子は通路を走る。前を行くソドゥが急に立ち止まり、宏子は背中にぶつかりかけてバランスを崩した。
<どうしたの?>
<魔力反応が…>
ガガガガガガガアアアアアアアアアンッ!
ソドゥが念じ終わる前に振動が起きる。今度こそ宏子はソドゥにぶつかり、それから廊下に尻餅をつく。
金属と岩石を打ち付けたような音と共に数メートル向こうの天井が崩れ、2階の壁がのぞいている。サクコブ生命体の出す破擦音がどこからか聞こえてきた。
落ちた天井の細かなコンクリート片で、前の視界が遮られる。
<ふう…戻る?>
立ち上がった宏子が念じた。ソドゥは腕端末を見て首を上げる。
<…いえ、他の道はモンスターと直接顔を合わせないと抜けられませんので、申し訳ありませんが佐藤代表にはここを通って頂くしかありません。>
<オッケー。ま、良いダイエットにはなりそうだよね。>
肩を上げながら、宏子は目の前のコンクリート山を登りだす。
<気をつけてください。天井は不安定ですし、いつ第二波がくるとも限りません。>
<ご忠告はありがたいけど…よっと、…でも、注意しろって言われてもねえ…>
鉄骨の生えたコンクリート片をまたぎながら、宏子はまだこちらに来ていないソドゥに振り返る。
<佐藤さんっ!>
<え?>
ソドゥが駆け寄る。次の瞬間、まだ上の鉄骨にぶらさがっていた天井の破片が、宏子のいた所になだれをうつように落下してきた。
「っ!」
頭に天井が、今まで落ちていなかったのが間違っていたかのように、覆い被さるように降ってくる。宏子はとっさに目をつむった。
<…>
突然危険が襲ってきた時は、とても時間が進むのが遅く感じられるものだ。宏子はそう思った。自力で逃げられる位遅ければもっと良いのだが、自省の時間が与えられただけでも幸運と呼べるのかもしれない。
<…>
空気が生暖かい。ここはタイほどではないが温暖な場所なのでそれも自然な事だが、この暖かさは冬にストーブにあたった時のような、微妙に気持ちの悪い違和感を宏子に覚えさせる。
<…>
宏子は目を閉じている。
<…>
いい加減長く感じられて、宏子は目を開ける。
<…あ。>
ソドゥのそばまで駆けつけてきた小英が、ステッキをかかげ、宏子のいる場所までを包む形で防御膜の半球を光らせていた。
シュウウウン、シュウウウウン、シュウウウン、シュウウウウン…。
<急ぐぞ。この向こうに小型艇を待たせている。>
自分の防御膜を震わせて、上に乗っている天井のかけらを落としながら小英は念じた。
<あ…ありがとう。>
<…個人的に、助けたいと思っている訳じゃない。仕事でやってるだけだ。>
<それは…そうだろうけど。>
<行くぞ。>
防御魔法を解除した小英はにこりともせずに、宏子の横をまたいで通路の向こうへと歩き出していく。
<…>
宏子はソドゥと頷きあい、小英の後へついていく。
<こっちです。>
照射機を構えたソドゥが先頭に立ち通路を走っていく。
突き当たりのドアでソドゥは立ち止まり、宏子に振り返った。
<ここから建物の外に出ますので、特に注意して…>
ソドゥの背後でドアが開く。咄嗟にソドゥは照射機を、小英はステッキを向けた。
<…降伏します。>
両手を胸元につけ肘を上にあげたジェスチャーで、ジュチャが軽く笑いながら念じた。ソドゥと小英は腕を下ろす。
<遅刻よ。待ち合わせ時刻を忘れたのかと思って迎えに行こうとした所だったわ。>
<時刻は覚えていたが、道が渋滞だった。>
ジュチャは小英に肩を上げる。
<そう。こっちは渋滞どころの騒ぎじゃなかったわよ。でももう大丈夫だけど。…来て。>
彼等は建物の外に駆け出した。
工場の駐車場のようなスペースに、小型の戦闘機程度の大きさのクザラル船が着地している。青い光が、音の無い雷のように空を何度か照らしている。
<…どこが大丈夫なんだ?>
身をかがめながら四人は宇宙船前部横にある扉まで走る。
<数秒気づかれなければ大丈夫よ。>
小英に答えるジュチャ。ソドゥが聞く。
<他の乗員は?>
<あなた達が最後。>
ジュチャがソドゥの方を向いて念じる。ソドゥはジュチャの背後を見て耳を立てた。
<議員!><ジュチャ、危ない!>
<え?>
振り返るジュチャ。
サクコブ生命体から発せられた青い光が、目の前を横切る。
それはジュチャの足元数センチ横の地面をかすめ、そのまま建物の方向へ、日本刀を差し引くように流れていく。
<…>
息をのむジュチャ。自分の足元を確認した彼女は顔を上げ生命体に目を向ける。サクコブ生命体は足の一本に怪我を負い、攻撃のコントロールが悪くなっているようだ。
<宏子…>
小英の念に、ジュチャは振り返った。
<え? …もしかして…今の、宏子がやったの?>
<あ…うん…多分…>
何も持たず、サクコブ生命体に向かい両手だけを構えていた宏子はふと我に帰り、頷いた。
<つまり、嘘をついていたんだな。>
<あ、ううん、嘘なんかついてないって。私…確かに今、思わず攻撃を止めさせようって身構えはしたけど、何で…だって、私、魔力はもう無いはずなのに…>
宏子は目を広げ、自分の両手を見下ろす。
<NKの測定値を変えるような系魔法が個人で出来ればかなりのものです。失礼ながら佐藤代表でもそれは困難なのではないでしょうか。>
<だけど実際、>
<どっちでも良いわ、今はとにかく全員早く、外で立っていないでこっちに乗って。>
ジュチャの念に小英は不満気に息をつく。彼等は既に開いているせり上がり式の扉の中へ走り込む。
<何はともあれ宏子、助けてくれてありがとう。>
<…こちらこそ。>
最後に扉に入った宏子に念じるジュチャ。宏子は上目遣いになりながらぎこちなく念じる。宏子の背後で扉が下におり、密閉された。
<パイロット、離陸開始!>
<了解!>
宇宙船はふわりと浮かび上がり、バックしながら旋回して、黒ずんだ市街地の上空をそのまま猛加速で飛行しだした。青い光の波は、その間も何度も空にまたたいていた。
続く
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