いい女とそうでない女の違いはなんだろう?
勿論、ブスは論外だ。ブスにも素晴らしい女がいるだろうが、いい女には決してなれない。どんなに性格が良かろうが、IQが高かろうが、事務次官だの重役などに出世しようがそれはいい女じゃない。少なくとも俺にとってはそうだ。
しかし正直なところ、俺にはいい女の条件というのがよく分からない。
いくら顔立ちが整っていてスタイルがよく肌がきめ細やかでも頭がパープリンなら、そいつはただのマネキン人形だ。かといって頭が良けりゃいいってものではない。
色気が勝ちすぎていても、才気が突出していても、性格が従順すぎても駄目。
要するにバランスなのだが、完璧に均整が取れている人間などいやしないし魅力もない。美形であることは必須であるが、その他の条件については未だに不明だ。
思考が混沌としてきた。
実はいい女というものは、日本狼のように絶滅していて「そういえば見かけたって友達の友達から聞いた」という類のものかもしれない。
美形は必須条件だと言ったが、それすら怪しくなってきた。
「帰る。」
俺が人類史上最大の命題の一つについて考えていると、アスカはそれだけ言って俺が二時間くらい前に引き剥がしたバスローブを拾い上げた。俺は薄暗い天井から一瞬だけ視線をはずすとアスカの方を裸身を見て、すぐに視線を天井に戻した。
やはり美形は必須だ。
俺は0,2秒ほどアスカの横顔を見て考え直した。
顔がよくなきゃいい女じゃない。
スタイルがいいのも当然。
胸は大きい方がいい、いや手の平にすっぽり収まるサイズが一番だ、髪はショートカットがそそる、それより長い髪のからのぞくうなじに魅かれるなど、好みについては緒論あるだろうが、荒れた肌やぶっとい足は論外だ。
十八歳のみずみずしさをたたえた豊かな果実に、完璧にくびれたウェスト、なだらかなヒップライン。思わず拍手したくなるような肉体だが、俺はアスカの体について褒めたことは一度もなかった。
「胸がでかすぎてアンバランスだ。ヘアも思ったより濃すぎる。」
以前、アスカが俺の目の前で裸身を一回転させ「どう?」と誇らしげに訊いてきたので返してやった言葉だ。
目をこれ以上ないくらい吊り上がらせたアスカからは間髪入れずに水晶製の置き時計が飛んできて俺は後悔した。ねじ曲がった批評をしたことではない。置き時計を避けたことに対してだ。
一秒前前まで俺の頭があった空間を通過した置き時計は、窓際に置かれていたウェグナーの椅子と衝突して相打ちになった。俺は破損した時計と足の折れた椅子を弁償するために、同年代のサラリーマンの月給二ヶ月分をホテルに払い込まなければならかった。
アスカの身体について言及したのは後にも先にもそれ一度きりだ。心についてはというと、こっちの方は一度もない。
「そういうことは家に帰って碇とやってくれ。」
アスカが甘えてきたり、情事の後に腕枕をねだったりしたら言ってやろうと思っているセリフだ。
今まで使ったことはない。
おそらく使うこともないだろう。
もし使うことがあったら、アスカと完全に他人になる時だ。
酷い内容だな、と思ったこともあるがアスカも同じ様な内容のセリフを用意しているのかもしれない。
「アンタなんて少しだけデキのいいバイブレーターと一緒よ。馴れ馴れしく心まで抱こうとしないで!」
実際に突きつけられる機会があったら俺はどんな反応をするのだろう?
アスカはすばやくシルクのバスローブを身に纏うとベットルームを出ていった。その後ろ姿を見た瞬間、俺はいい女の条件に付け加えるべきことを思いついた。
歩き方だ。
食い物が同じになってきたせいか、日本人女性の体形は欧米人に近づいている。欧米人の体形が最も美しいというわけではないが、手足がスラリとして胸がでかい方が見栄えがいいというのは男の共通意見だ。
日本人の女の歩き方は最悪だ。
特に下り階段が酷い。
膝が無様に割れていて見るに耐えない。
あれではいくら体形がよかろうと話にならない。
季節が変わるごとに”今年の冬こそ綺麗になる”といった特集を組んでいる女性誌には、歩き方大百科でも出して欲しいものだ。
上体を軽く反らして顎をやや上げスマ先から優雅につけて歩く。膝のを開かないように足のラインに常に注意する。
アスカの歩き方はヨーロッパ貴族の教本にでてきそうな歩き方だった。歩き方を教えるスクールにでもいってるのかと思うくらいだ。
アスカは誰も見ていないダイニングルームをノーヴルな足取りで通り過ぎた。扉は閉まっているので視覚的には分からないが、聴覚的には分かる。全身の毛穴を耳と化した俺に聞こえてきたのは、五月晴れの合間に少しだけ降った雨が新緑の若葉を伝って地面に落ちるようなしっとりとした足音だった。
光源氏には何人の恋人がいたっけ?
永遠の想い人藤壺の宮にヒロインである紫の上、最初の正室は葵の上だ。空蝉の君に明石の君、朧月夜の君なんていうのもいたな。
俺の脳は唐突に源氏物語にジャックされた。次々に浮かんでくるのは光源氏の女の名ばかり。俺は無規則な記憶に頭を痛めつつアスカがシャワーから上がって出ていくのを待っていた。
アスカとは一緒にホテルに入ることはないし、肩を抱き合って出ていくこともない。勿論シャワーを一緒に浴びたりもしないし、朝まで一つのベットで過ごしたこともなかった。
初めて身体を合わせた時、俺は急な用事で約束の時間に遅れ、アスカを先にホテルの部屋に入れていた。
そのとき偶然できあがったルールが今も続いている。ただ性欲を処理するためだけのように情事を重ねている俺達には似合いのシステムだ。
なぜ源氏なのか?
俺はどうしようもない手持ちぶさたな時間を、どうしようもない記憶をたどることによって埋めようとしていた。記憶は俺の専攻ではないが、講義は受けた。
記憶とはネットワークである。五感によって取り入れられた情報は脳の中に散りばめられる。積み重なるのではなく散りばめられるのだ。
記憶の破片は最初は獣道のような細い道でつながっていて、思い返すことによって道に電流が走るようになっている。何度か電流が走ると獣道は舗装された道になり、しょっちゅう思い出しているとやがては高速道路のようにスムーズな流れになる。
ただし、使わなければ獣道は元の荒れ地に戻ってしまう。記憶の破片が消失するわけではないが、道が無くなってしまったために行き着くことができなくなる。忘却とは記憶が消滅することではなく、記憶の破片が孤立化して行き方が分からなくなることを指すのだ。
学生の頃、重要事項は関連づけて記憶しろと言われるのはこのためである。周辺の記憶との交通を整備しておくと、いつでも思い返すことができる。
脳がいきなり源氏に占拠されたのも脳がトチ狂ったからではなく、俺が源氏にリンクしていた何かを思い浮かべたからなのだ。
ただそれが何であるかが分からない。
正確には思い出せない。
俺は源氏物語にジャックされた前に思い浮かべたことを並べ上げた。いい女の条件に女性誌と歩き方への悪口、ええとあとは何だったっけ?アスカが源氏の登場人物の誰かに似ているのか?いや、源氏にはあれほど我の強い女は登場しない。あえて言うなら朧月夜の君だが、しっくりこない。アスカは容姿も性格も行動原理も歩き方も源氏とは無縁の位置にある女性だ。
歩き方?
俺の思考が止まった。
記憶のネットワークがつながる。
今まで錆び付いて回路に電流が流れ出す。
アスカの歩き方を思い浮かべた俺は、源氏がどうしてでてきたのかが分かった。
話は少し遠回りにある。
俺の中ではイメージで直結しているのであるが、説明をするには前置きが必要だ。
俺はアスカの足音を思い浮かべるときに、五月晴れの合間の雨が新緑の若葉をつたうところを連想した。それが源氏への入り口になる。
あれは俺が大学には行って間もない頃だった。まだ右も左も分からない新入生の俺は、階段教室の片隅で海面に流出したオイルのような気分で梅雨の前触れのように降り注ぐ雨を見ていた。
確か授業は哲学か宗教学だった。
E・B・タイラーがアニミズムを唯物論と対極を為す唯心論の一形態と見なしており、人間の宗教的世界観の根源であると同時に、より高度で多神教的世界宗教の基盤となったとかいう内容の講義だ。
今でもタイラーとヴィトゲンシュタインは俺の理解を超える存在であるが、当時の俺は講義ファイルをダウンロードし終えると教室に響く甲高い講師の声を聞き流していた。
退屈な講義だったので教室はまばらで、やる気の無さから視界が狭くなっていた俺の目に映ったのは二つ前の列に座って熱心にディスプレイを覗き込んでいた女くらいのものだった。
流れるような豊かな黒髪を持つ女だった。
数年前の俺は女の長い髪にかぎると信じこんでいて、ショートカットの女はまとめて収容所に放り込み、髪が肩につくまで出してはならないとまで考えていた。
女の髪は背中まで達していて、途中で見えなくしていた机が邪魔で仕方なかったことをよく覚えている。ちなみに顔や名前は覚えていない。その時間でしか授業が重ならなかったこともあるが、髪の印象が強すぎてあとは記憶されなかったらしい。
それまで俺の中で髪の綺麗な女というと、光源氏の女の中では飛び抜けてというより、唯一のブスである末摘花の君だった。末摘花というのは紅い花のことだ。髪が綺麗なのと身分が高い事以外長所が無く、家は没落寸前で顔も神が見放したような作りである末摘花の君は鼻が紅かった。
鼻が紅いから末摘花と呼ぶことにした光源氏と紫式部のセンスは置いておくとして、アスカの足音が五月雨を、五月雨が階段教室の女の髪を、美しい髪が末摘花から源氏へと接続され、俺の頭は源氏で一杯になったわけだ。
時計をみると十時四十五分を少し回ったところだった。アスカが部屋をでてから十五分くらいといったところか。
俺は全身を耳にして隣の部屋の様子を探り、誰もいないことを確認するとバスローブを片手にベットルームを出た。
十五分は女が身なりを整えるのに十分な時間とは言えない。だが、アスカは出ていく。逃げるように身支度を整えて。
だだ広いダイニングルームにはアスカの残り香が充満していた。薔薇の織り込んだフランス製のシャンプーと何かの香水それにアスカの汗が混じり合っているのだろうか?いつものことだかこの複雑な香りの成分構造が俺には分からない。
俺はバスルームに入って湯の温度を設定すると蛇口をひねり、湯がいっぱいになるまでの時間を酒で潰すことにした。
俺はコニャックを取るかカルバドルにするか三秒ほど迷った後、カルバドスのボトルを掴んでソファに腰を沈めた。
「珍しい洋酒を飲みたがるのは心が貧相な証よ」
アスカの残り香はそう皮肉っているように思えた。カルバドスだろうとパスティスだろうとアクアヴィットであろうと俺にとっては日常的な酒なのだが、こういう酒を日常にしていること自体貧しさの裏返しだ。もしくは四分の一だけフランス人の血が流れているせいかもしれない。
四年前に親父が自家用ジェットで事故死して、どこにそんなに隠していたんだと眉をしかめたくなるくらいの遺産が入ってきた。生存している唯一の肉親である腹違いの兄貴と半分にして多額の税金をさっ引かれても、一生どころか百生くらいは放蕩を繰り返しながら人生をやり直せる額だ。
奨学金で大学に行き学生食堂でトンカツを頼むのにためらいを覚えた自分が馬鹿馬鹿しくなってくる。俺は企業に送る予定だった資料請求のはがきを破棄して大学に残ることにした。
生活の糧を得ること以外就職する理由がなかったので当然のことだった。大学に残ることを選んだのは第三新東京大学には質量ともに豊富な蔵書が眠っているからだ。研究員になればこれらを自由に読めると踏んだわけだ。
突然リッチマンにった俺だが、生活自体がそう変化するわけでもなかった。大学の近くの小綺麗な1LDKに引っ越し、ルチアーノ・バルベラとイザイアのスーツにジョンロブの靴、ジラールペルゴの時計を買ったりはしたが、毎日キャビアとドンペリを食すようになったわけではない。
大学に行って講義を受け、家庭教師のバイトをして、閉店間際に安くなる生鮮食料品を狙うというそれまでのサイクルを繰り返した。今いるようにホテルはスィートにすることもあるが、旅行時の飛行機は未だにビジネスクラスだ。
女でもいれば、内心小馬鹿にしながら宝石を買ってやることもあったかもしれないが、親父が死ぬ二週間ほど前に別れたばかりだった。
料理も下手で酒の飲み方も上品さがなくSEXも稚拙な奴だったが、運もないというわけだ。あと二週間ほど我慢していれば手切れ金代わりにブルガリの時計でも貰えたかもしれないのに。
三杯目のカルバドスを飲み終えると十五分ばかり過ぎていた。バスタブが一杯になった頃だ。俺はボトルとクリスタルグラスをテーブルに起きっぱなしにして風呂に入った。
嵐は突然やってくる。
人は何の前触れもなく死ぬし、男と女はいきなり破局を迎えることもある。
努力すれば報われるというのは道徳家を名乗る連中を廃業させないためのデマだし、一生懸命勉強すれば頭が良くなるというのは教育ママに金をつぎ込ませるための口実だ。
世界中から金を巻き上げ飽食に明け暮れ愛人を数人囲っていた親父が死んだ時も驚きはしなかった。自業自得だと思った。驚いたのはいつの間に用意されていた遺言状に勘当同然に家を出た兄貴と捨て子のように家をおっぽりだされた俺のみに財産を分けると記してあったことだ。
数人の愛人は十五の時の俺のように無一文になったということだ。愛人の一人であった俺の母親はとっくに死んでいたのでどうとも思わなかった。ただ愛人達には兄貴が一生食っていくには困らないだけの手当をしたらしい。
小国の国家財産ほどの金を手に入れた俺に群がってくるウジ虫の中に愛人達の姿がないことがそれを証明していた。遺産は親父の弁護士と兄貴によって綺麗に処理された。美術品は寄付されたらしいし、株や会社の権利などの面倒なものは全て兄貴が引き取ってくれた。俺に残されたのは数カ国の国債と途方もない額の預金、二台の車に第三新東京市の一等地にある高級マンションの権利、それに北海道とカリブとマジョルカにある別荘であった。
二ヶ月ほど前、親父がきちんと遺産を分配したことと同じくらい驚く出来事があった。ゼミの後輩であるアスカからいきなり電話が掛かってきて会いたいという。それも人の目に付かないところで。
俺はHOTEL・CENTURYのスィートを指定し、ちょっとした用事を片づけ二十分ばかり遅れて部屋に入った。
アスカは既にバスローブ姿だった。シャワーもすませていて髪は艶やかに濡れていた。足を組んでソファに深々と座った姿は妖艶でもあったが、グラスの中のブランデーが微かに浪を立てている当たりには稚拙さが残っている。
「どうした?」
「女がこんな格好しているのにどうしたもこうしたもないじゃないですか。」
ブランデーはベットタイムへのプレリュードだ。ロバード・パーカーの小説の主人公スペンサーは女とベットを共にする時には必ずと言っていいほどブランデーを飲む。ブランデーとホワイトラム、トリプルセックにレモンジュースをシェイクしたビトウィーン・ザ・シーツというカクテルもある。アスカは知っているのだろうか?
「俺にも一杯もらえるかな?」
俺はアスカの向かい側のソファに腰を下ろした。アスカは足をほどくと入れ違いにサイドボードに行き、バルーン形のグラスを持って帰ってきた。
俺は少し安心した。
何度かこのスィートを利用したことがあるから知っているが、この部屋には色々な形のグラスが常備してある。アスカが持ってきたのはスニフターと呼ばれる風船型のグラスだ。口の狭まったスニフターには酒の香りを凝縮する働きがある。かつてはスニフターを手の平全体で包み込むようにして持ち、体温で暖めながらブランデーを飲むのが一種のステータスシンボルであった。
だが一流ホテルのスィートに置いてあるような上質のブランデーはスニフターを必要としない。熟成された芳醇な香りはスニフターで過度に強めるとデリケートなアロマを堪能できないと考えられているからだ。普通はサイドがストレートに近いチューリップ形のグラスで飲む。
もし大学に入ったばかりのアスカがチューリップ形グラスを持ってきたら、俺は恐ろしくなってしまったことだろう。慣れない手つきでスニフターにブランデーを注ぐアスカの姿は俺の心を落ち着けた。
「内線四番でフロントを呼べば帰りの車を手配してくれる。俺はシャワーを浴びてくる。三十分くらいであがる。」
俺はブランデーをなるべくゆっくり飲み干すと矢継ぎ早に喋って立ち上がった。ブランデーが滑り降りる度に喉が乾いていくような気がした。
気の利いたセリフを言語ファイルから検索していたのだがついに出てこなかった。アスカに「なぜ?」と聞くのは野暮すぎたし、ホテルやブランデーについて感想を述べるのはいかにも知ったかぶりで嫌気が差した。無言なのが一番効果的なのかもしれない。俺は饒舌になりかかった口を押さえるようにしてバスルームに入った。
長めの風呂から上がるとソファには一枚のバスローブがかけてあった。ベットルームのドアが半開きになっていて間接照明の柔らかなオレンジが漏れてくる。
扉の向こうには何かを隠すようにシーツにくるまっているアスカがいた。露出していた肩口は赤みを帯びたライトの下でも白さを失うことが無く、俺の最終案全装置をはずすには十分な色気を持っていた。
魅力的な据え膳を何度も拒否できるほど俺の自制心は立派ではない。俺は一匹のオスとなってアスカに襲いかかった。アスカと俺はグッチョングッチョンになるまで身体を溶かしあい、俺は気が付くと疲れ果てて寝ていた。何回やったかは覚えていない。窓の外は白んでいた。
「帰ります。」
枕元のサイドテーブルにはアスカの走り書きがあった。
不思議と何の感情も沸いてこなかった。全ての感情がかなり低いレベルで一定していて眠りこけていた。俺は瞬きと欠伸を二度繰り返すとベットに潜り込んだ。
それまでのアスカはただの後輩だった。後期授業から俺の所属する冬月ゼミに入ってきたアスカはすぐに周りの注目を集めたが、一緒に同棲相手である碇シンジもついてきたので羨望の眼差しは溜息へと変わった。
アスカには肉親がいないらしい。親兄弟はすべてあの世で暮らしている。最近知ったことだが、アスカには元々父親がいない。ドイツ人と日本人のハーフである母親が精子バンクから精子をもらって生まれた子供ということだ。
海外では子供が産めない女の代わりに子宮を提供する代理母や精子バンクによって生まれる子供が時々いるとは聞いていたが実際に見たのは初めてだった。
母親はすでに他界し、アスカは母親の知り合いである碇の両親の元に引き取られた。詳しい時期は知らないが、碇の母親も死去している。第三新東京大学学長を務める碇の父親は多忙な人間と聞く。アスカと碇は幼い頃からずっと一緒に暮らしてきたということになる。
週二回のゼミで顔を合わせるだけであった。博士課程二年目である俺と一年生のアスカでは授業が一緒になるなんてことは絶対にない。俺が所属していたバスケットサークルにアスカと碇の共通の友人である洞木ヒカリ、鈴原トウジ、相田ケンスケがいたので噂話くらいは聞いたことがある程度だ。
嵐の予兆はゼミの歓迎会に始まる。
飲み過ぎたアスカが三次会の会場であった俺の家に泊まったことがまず最初の引き金となった。三次会に碇の姿はなかった。繊細な顔立ちをしているシンジは三年生の女子に絡まれ早々に潰されていたからだ。
目立たないタイプ故か余り飲まされることがなかった洞木がアスカを介抱していた。泥酔してしまったアスカは一向に目覚める気配が無く、洞木はアスカと共に俺の家のベットルームで一夜を過ごすはめになった。
その晩俺はどうしていたかというとダイニングルームでパスティスを飲みながら「シャレード」を見ていた。誰にでも何回見ても飽きない映画というのが一つくらいあるものだが、俺の場合「シャレード」がそれに相当した。「シャレード」を見終わるとレヴィ・ストロースの「親族の基本構造」の訳書を読み、頭がこんがらがってくるとさらにパスティスを飲んで混乱を助長させていた。
翌朝俺は洞木とアスカを家まで送っていった。その日乗っていたアストンマーチンDB4は親父の遺産の一つである。
もう一台貰った車はフェラーリF50だが、運転が下手で車に移動手段以外の意義を見いだせない俺はさっさと売り払った。なぜアストンマーチンを選んだかというと別にジェームズ・ボンドに憧れていたからではなく、フェラーリよりは乗りやすそうだったからだ。
しばらくして俺は両方とも乗りづらく故障しがちであることに気が付く。ただ、アストンマーチンのフォルムは気に入っていたので知り合いの整備工に頼んでエンジンや電気系統をを入れ替えてもらった。クラシックカーの愛好家は怒るだろうが俺の知ったことではない。
俺の家からだと洞木のマンションの方が近く、アスカを降ろすときに二人きりだったのが第二の引き金だ。謎にその場面を目撃していたゼミで最もお喋りな三笠ヨウコがおもしろおかしく脚色して噂話を振りまいたらしい。
翌日ゼミに行くと何本かの鋭い視線が俺に突き刺さった。視線の主は全て男。窓際でゼミの上級生に囲まれていた碇を除く全員の視線は棘だらけだった。男の嫉妬ほど醜い物はない。俺は視線の内容まではわからなかったが意図は感じ取った。うんざりとした。
「先輩、昨日はアスカと最後まで一緒だったんですって?」
三笠は勝ち誇ったような目をしていた。この女は目が異様にパッチリしていて実物以上に大きく見える。その日はパステル系のシャツにパンツルックに安物のローヒールを履いていた。ティファニーのオープンハートがやけに貧相だった。
「怪しい電波でも受け取ったのか?」
俺は以前に三笠がUFOについて熱弁を振るっていたのを思い出してはぐらかした。男共の視線の意味は分かった。碇は俺の方を見ようともしなかった。
「誤魔化さないで下さいよ。私見たんですよー」
三笠は口を尖らせて食い下がってきたが、洞木がアスカと一緒にゼミ室やってきて詳細を話したので噂はその日で消えた。
洞木が丁寧な説明を始め、少し不機嫌なアスカが補足して回っている間に、俺は新入生がもってきたレポートの整理をしていた。志望動機やら、自分が研究したいことやらが羅列されている紙の束だ。
このゼミには博士課程の三年以上はいなかったので俺が最上級生として細々とした雑事をやらされることもある。ドクターになりたい奴は研究で忙しいのであるが、俺はアメリカの大学で実施されている論文考査で去年博士号をとってしまっていた。
通常は論文考査一発での博士号取得は難しい。文系は特にだ。ただし俺には世界最強クラスの相棒というより先生がいた。その女性は共同研究者の欄に名前を記載できないような大物であったが、俺の論文作成にかなり力を貸してくれた。「博士論文を出せば?」と勧めてくれたのが彼女というせいもある。俺は自分の実力の数倍に匹敵する論文を提出し、同期の多大なる羨望と微量の疑惑を受けながら博士号を取得した。
洞木の説明が佳境には入った頃、人目を避けるようにやってきた碇が所定のレポートを提出しにきた。
一見静かな顔をしているが瞳の色だけが異様に濃い。海面に出てきた深海魚の目のようにギョロリとしていて、暗く濁った何かが茶褐色の瞳の奥でメラメラと燃えていた。
俺は溜息をつきたくなるのを我慢し、心の中で苦虫を噛みつぶしながらレポートを受け取った。俺がそしらぬ顔をしていたので碇の瞳は少し色を失った。まだこいつには俺の仮面を突き崩すだけの経験がないのだ。逆にばつが悪そうな顔を作った。
トーンダウンした碇を見た俺は失策を侵した。
立ち去り際の碇を手で呼び止めると余計なことを耳打ちしてしまったのだ。パスティスを飲み過ぎたツケがこんなところで回ってくるとは思わなかった。
「アスカはお尻の方が感じるんだな。碇が仕込んだのか?」
碇は怯えと怒気を足して得体の知れない何かを掛けたような表情を作った。俺が「冗談だ」と言う前に時間に恐ろしく正確な冬月教授が入ってきた。俺は回収したレポートを小脇に抱えると後ろ髪を引かれるような思いでゼミ室を出た。
それが最後に引き金になった。
アスカから電話が掛かってきたのはそれから三日後のことであった。
俺は細胞ごと酷使した身体をいたわるように風呂に斑入り終えるとフロントに電話を入れてマッサージを頼んだ。このホテルには数人の専属のマッサージ師がいるらしい。この時間に来るのは大淀という名の白髪混じりの老人だ。
大淀は黙々とマッサージをすると礼儀作法の教本に出てきそうなお辞儀をして帰っていく。この時間にマッサージ師を呼ぶような客には不必要な会話は無用のものだと心得ているらしい。
この日も大淀は「お待たせいたしました」「よろしくお願いします」「終わりました」「失礼いたします」の四語しか言わなかった。
マッサージを受けていい気分になった俺はそのままベッドルームに直行しようと思ったが、明日までに提出しなければいけない学術論文を思い出した。自分個人のものであればどうにでもなるが、それは冬月教授のものだった。俺は頭をかいて「参ったなぁ」と三度呟き、その度に自分の間抜けな顔を想像して苦虫を噛みつぶした。
「仕方ないか」
俺は最後に大きな溜息をつくとフライのシャツを羽織り、プリオーニのスーツを着込んだ。普段からスーツを着ているわけではない。この日は親父の遺産のことで銀行に寄らなければならなかったのだ。
新東京三菱銀行に百億単位で金を預けている俺は超がいくつもつくようなVIP待遇を受ける。俺を担当している常務取締役が米つきバッタのようにお辞儀をする度に、俺は暗い気分になり分不相応な扱いに辟易する。
「今日は新種の金融商品ができましたので最優先で紹介にあがりました。」
倍くらいの年齢の人物に揉み手をされるのは実に奇妙な気分だ。だがこの常務俺に対して敬意を払っているわけではない。俺の預金に敬意を払っているだけのことだ。
俺は面では神妙な顔をしながら、今日はアスカとはどんな体位でやろうか?でもいざとなったらいつもアスカにイニシアチブを握られているよな、やっぱり男より女の方が動物学的にSEXが得意なんじゃないだろうか?などと場違いなことを考えていた。
俺は無碍に断るのも気まずかったので三十分に渡って新商品の説明を受け、口調が熱っぽくなる度に頷いて見せた。
「なかなか魅力的な商品のようですね。しかし父の遺産の運用については兄と弁護士に相談することになっています。ご承知のように兄は遺産を積極的に運用することに否定的でしてね。私は兄に頭が上がらないのですよ。」
俺はデタラメと真実を絶妙にミックスして丁重に断ると、「人と約束がありますので。」と断って銀行を後にした。
VIP専用エレベーターを降り、エントランスに向かって歩き出すと右手に一般客のカウンターがある。俺は冷ややかな視線で雀のようにせせこましく動き回る人間を見ていた。
「効果的な資産運用法なんて考えるだけ無駄だ。ボーナスを賢く増やす方法なんて特集を雑誌が組んでいるが、あんなのは何の役にも立たない。雀の涙ほどの金で株や金融商品を買うんだったらその分自分に投資してボーナス分の給料を一ヶ月で稼げるような人間になればいい。」
兄貴はそう言って金融や不動産関係など実体のないものを転がすことによってボロ儲けしている連中を忌避していた。目的と必要に駆られて利用することはあるが、決して馴れ合うマネはしたくない、そう言っていたのをよく覚えている。
兄貴とは母親が違うこともあってほとんど会うことはない。電話も希だ。それでも兄貴のセリフは大事なことを俺に教えてくれているような気がする。
俺は最後にバゼロン・コンスタンチンの時計をはめるとフロントに電話し車を回すように言った。
俺とアスカが獣のようにやりあった部屋は最上階の隅にある。大理石の廊下を30mばかりあるくと直通エレベーターがあってロビーと駐車場に直結している。俺はコカインを吸った後のような、俺はコカインに限らず麻薬をやったことはないが、倦怠感を振り払うようにして歩いた。
スーツを着てきて良かったと思う。フォーマルな服装は気持ちも引き締める。
中学の時生活指導の教師が言っていた「外見なんて気にしなくていいんだよ。大切なのは内面を磨くことだ。」というのは単なる戯言だ。
他人には外見しか見えない。たとえ血のつながりがあるとしても自分の他の人間の間には越えられない絶壁が存在する。それに外見を磨けない奴が内面なんて磨けるはずがない。心を磨くことがどんなに難しいことかあの教師は知らないのか、それとも知らない振りをしているのだ。
「レイちゃんこっちだよ。」
廊下に脂ぎった声が響いた。顔を見なくても声の主の顔は想像が付く。視線を上げて眼球をやや右に動かした俺の視界に飛び込んできたのは予想通りの太った中年だった。サイズがまるで合っていないアルマーニを着ている。袖丈はツンツルテンで腹ははち切れんばかりに膨らんでいる。まるでこれが最悪の着こなしです、と宣言しているような親父だった。
だが俺の注意が最悪のアルマーニ男に惹きつけられたのはほんの一瞬だった。
その女を見た瞬間俺は非日常の世界にぶっ飛んだ。
自分の身体から目だけが飛び出て勝手に歩き回っているような感じだ。地に足をつけている感覚しかない。視覚だけが自意識の外にはじき飛ばされて、宇宙遊泳をしているような気になってくる。
「ほらレイちゃん。はやく部屋にお入り。」
アルマーニ男は入り口のドアに自分の身体をねじ込ませると、エレベーターから出てきて俺の意識を右ばて知多空色の髪の女を手招きした。
レイ、と呼ばれた女は俺を一瞬だけ見るとアルマーニ男の方に歩いていった。まるで金縛りにあったかのように俺の身体は動かなくなった。眼球だけがだけがどうにか凍り付くのを許され、空色の妖精を追いかけた。後で考えると、白いというより透明な肌に白いノースリーブのワンピースを着た空色の髪の女は高級コールガールだったのだろう。ただその時の俺には異世界から降臨した光のように思えた。
アルマーニ男はレイを抱き寄せると芋虫のような右手をスカートの下に突っ込んで直に尻をなで始め、左手で胸を揉みしだいていた。それからアルマーニ男は立ちつくしている俺に鋭い一瞥を投げかけるとレイを部屋の中に引きずり込んだ。
レイは最後に俺の方を向いた。
緋色の瞳だった。
始めてみる色だ。
そんな色がこの世に存在していることすら知らなかった。
男に尻をなでられ、胸を揉まれているというのになんと透明感のある色をしているのだろう?
俺の脳裏にはムンクの叫びがグルグル回って気が学的な円形になっていくような訳の分からない情景が映し出されていた。全身をなぶるように緋色の瞳が駆け回り、全ての毛穴から侵入してきたそれは一瞬にして俺を覆い尽くした。
身体がガクガクと震えた。
細胞の一つ一つが振るえているような感じだった。
たまたま掃除に来たボーイが心配して声を掛けても震えは収まらなかった。
生命活動を極限まで細分化すると細胞の核の周りをエネルギーが回っているということになるらしいが、緋色の瞳は俺の分子運動にまで干渉してきた。赤外線を細胞核に注入されたように俺の身体は熱を帯びた。
それが綾波レイとの最初の出会いだった。
惣流アスカ「ちょっとアンタ!打ち切りにするなんて文章をお詫びに入れておいていきなり他HPで発表に踏み切るとはどういう了見よ!それともエヴァ世界から逸脱することなく自己満足にも終わらないだけの方策が見つかったとでもいうの?!」
MEGURU「おや、アスカさん。大層な剣幕ですね。」
名前は以下略
A「アスカさん?何よ、その呼び方!アスカ様と呼びなさいよ!」
M「僕はアスカさんの下僕ではありません。アスカちゃんと呼ぶにはあなたは大人びているし、アスカと呼び捨てにされるのは嫌でしょう?それとも惣流さんがいいですか?」
A「もういいわよ!それよりこの連載ではアタシがちっともでてこないわね。一話でちょっと出てきたと思ったら二話なんてリツコOnlyじゃない!」
M「これから出てきますよ。主役はアスカさんとレイですから。」
A「ホントに?アンタが掌を返すのが得意だってことはよく知っているのよ。」
M「本当ですよ。」
A「話は変わるけど”俺”が美化されすぎっていうメールがきているわよ。」
M「金を持っているだけでしょう?観察者として行動して欲しいので物欲的なコンプレックスを強く持たれると困るんです。何度も言うようですが”俺”と僕はあまり一体化していませんよ。それに”閉店間際に安くなる生鮮食料品を狙う生活が続いた”って書いたはずですが?」
A「でもホテルのスィートに泊まったり珍しい酒を飲んでいたりいい女とよろしくしているのは許せないって。」
M「ホテルに関しては仕方ないですけど、カルヴァドスもパスティスもアクアヴィットも珍しい酒かもしれませんが高価なものではないですよ。大きな酒屋かデパートに行けば手に入ります。いい女に関してはコメントできません。」
A「リツコに人間味がありすぎるのも変だって言われているわよ。」
M「最近リツコが好きなんですよ。」
A「最近?じゃ前は誰の下僕だったの?」
M「誰の下僕だったこともありませんよ(笑)。前はミサトが好きでした。その前はアスカさんでしたよ。あと加持は一貫して好きでマヤは一貫して嫌いです。」
A「最初の問いに答えてもらってないわね。しかも好き嫌いをはっきり言うのは他者への否定につながるわよ。」
M「方策は見つかっていません。それと”マヤに転んでる奴は嫌いだ”と言えば他者への誹謗中傷につながりかねないと思いますが、ただキャラクターが嫌いだというのは許容範囲だと思うのですが?ただし”くたばれLAS”の広告は取り下げます。内容に関しては吟味をするようにします。ただしモラリスト全般や日本の風潮を皮肉るような表現は続くと思います。最後に連載は続けます。自分で完結しないネット小説が多すぎるのではないか?って書いたこともありますし。」
A「ところでアンタ恥ずかしくない?”俺”の一人称なんかで書いて?激バカかナルシーなんじゃない、実は?」
M「少しは恥ずかしいですよ。」
A「ホントにそう思っているの?心底恥ずかしい思っていればそんなこと言わないはずよ。それからこの後書き自体かなり恥ずかしいわよ。」
M「僕もそう思います(笑)。」
以下次回(ホント?)