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Persona
第三話
天才すら困惑させる田舎娘の生まれ変わり

 
 
 
PERSONA : Episode3 Embarrassment
 
 

目覚めはMichael.Boltonの「Lovers」だった。
真冬の寒空に散りばめられた星々のような旋律が俺を打った。音質が軽くて歌詞の一つ一つがパチパチと飛び跳ねているような感じがする。主義主張とは無縁でニュートラルなMichael.Boltonは朝に聞くのが一番正しいのだ。
本当か?おい?
俺は音楽全般に詳しくないし、クラシックや演奏技術に関しては無知同然だ。
一度リツコさんにオペラに誘われたことがあったが、寝不足であったのとイタリア語が理解できないことが重なって欠伸を堪えるので精一杯だった。三回俺をしかりつけても効果がないことを悟ったリツコさんは、四度目の叱責代わりに俺の脚をヒールで踏みつけた。埋め合わせをしようと思ってコーラスラインの日本上演を誘ったが、見事に断られてしまったこともある。
世界に通用しないと俺が思いこんでいる日本の音楽以外で持っているCD、つまり洋楽ということになるが、はMichael.Boltonの他には、QueenとRod.Stewart、George.Michael、14.KARAT.SOUL、Mariah.Careyというポリシーも一貫性も感じさせないようなものばかりだった。

How can we be lovers if we can't be friends?

コーラスの部分を思わず口ずさんだことで頭がクリアになってきた。部屋を見回してもリツコさんはいない。バスルームにも隣のダイニングにも人の気配はない。俺とリツコさんが何時間前に体を重ねていたはずのハイアットリージェンシーの1531号室は閑散としていて蝉の抜け殻のようだった。
枕元に書き置きがあった。
「1:00に研究室で。」
これを書くときにはリツコさんは赤木教授になっていたのであろうか?B4くらいの大きさの紙に書かれた短すぎる文面は繰り返し読んでも変化することはなかった。
凝った趣味のあるリツコさんのことだから部屋の澄みあるフルーツバスケットにあるオレンジの汁で余白に「素敵な夜をありがとう。昨晩のあなたは野獣のようにしなやかでたくましく、私の体をエデンに導いてくれたわ」なんてことを書いてあってライターであぶり出しにすると字が浮かぶに違いない、それから・・・・・。
「その辺にしておけ。いいかげんにしろ。」
俺はくだらない考えを打ち消すために声に出して自分をあざ笑った。
思い浮かべたことも声に出して嘲笑したのもそれらを馬鹿馬鹿しく思うことも、全てがくだらないことだった。自律神経がドロドロになっていくような気がした。
時計の長針は8を、短針は1の文字の左隅を指していた。

Let's break these chains,our love can free us.

何度も聴いて歌詞を覚えるんじゃなかった。
愛が俺達を自由にしてくれるだ?真に愛することを恐がり、愛をパロディにしてしまっている現代人を解放してくれる愛などあるものか。
現代人?無責任な言い方だ。
四方に配置されたスピーカーから浪のように押し寄せ来るメロディに辟易した俺はベットから這い出ると乱暴にデジタルプレイヤースイッチを消そうとして寸前で手を止めた。おそらくこの音楽はリツコさんが曲目まで指定して目覚まし代わりにセットしておいたのだろう。俺は最後まで聴いてからスイッチを切った。
前にも一度同じ様なことがあった。
その時リツコさんが指定していたのはなんとWham!のFreedomだった。俺はリツコさんの音楽センスに頭を悩めると同時に、冒頭近くのShe's making a fool of youという歌詞には深い意味があるのではないかと勘ぐってしまった。

俺は綺麗に畳まれてベットの隅に置いてあったバスローブを羽織った。脱ぎ捨てた覚えしかないからリツコさんが整頓しておいてくれたのだろう。俺は行儀悪くベットに腹這いになるとダイヤル10番をプッシュした。
「はい。フロント松島でございます。」
「1531号室だが。」
「おはようございます。今日は終日とても良い天気だそうですよ。ご用件は何でしょうか?」
天気のことなどどうでもいい、俺はそう思いながらも窓の外に目をやった。15階の窓からの眺めを遮る物はなにもなく、クリアブルーの空には雲一つ見えなかった。俺は空の色から即座に綾波レイを連想してしまった。
綾波レイのことが片づくまではうかつに空も見れないな、リンゴの赤でさえ緋色の瞳を連想させてしまう、レイに脳味噌を占拠されないためには青と赤の色が付いた物を視界からはずして生活するしかない、でも青も赤も除いたら目をつぶって歩くしかないかな?いや目をつぶって歩くというのはレイに支配されている証拠だ。
「連れの女性はいつチェックアウトしたか分かるか?」
「1531号室におられた女性のお客様ですね。金髪でお美しいご婦人でいっらいましたね?午前2:30頃にタクシーでお帰りになられましたが。」

思い出せる最後の記憶は何度目かのSEXの後に「リツコのいった時の顔って春の草原に舞う妖精のようにかわいいよね」なんて頭のネジが吹っ飛んでないと言えないセリフをはいて、お返しに耳を囓られたことだった。
結構強く噛まれたので思わず顔を背けたら枕元の時計の針は1:00すぎだった。あれからもう一回したはずだから寝ついたのはそれから三十分ほど過ぎた頃なのだろうか?
「何かございますか?」
「あ、いや、何でもない。三十分後に朝食のルームサービスをよこしてくれ。メニューは洋風で軽めに。あ、それから主要各紙の朝刊も頼む。」
「確かに承りました。チェックアウトは何時にいたしますか?」
「9:00、いや10:00頃にする。」
「かしこまりました。それでは良い一日を。」
フロントの男はまた余計なことを言った。

冬月教授が出張中なので午前の予定はない。俺は少しゆっくりしてから家に帰って着替え、頭を心理学用に切り替えてから研究室に向かうことにしようと考えた。とりあえずは頭と肉体を叩き起こさなければならない。
俺はシャワーを浴びに行った。
 

髪をタオルでふき取りながら真新しいバスローブに着替えてから少し後悔した。もう五分は余計に風呂に浸かっているべきだった。
編集者にカンズメにされた作家でも、ホテル住まいをしているエグゼイティブでもないので一人だけ部屋に残されるとやることがない。腕立て伏せをやろうと思ったがシャワーを浴びたばかりだし、着替えようにも昨晩着ていたスーツも見あたらない。多分リツコさんがクリーニングサービスに出して置いてくれたのだろう。その内ルームサービスが持ってきてくれるはずだ。
朝食が来るまでにあと十分ほど。
俺はやることもないのでわざと溜息をついて窓際の椅子に深々と腰を下ろした。

1:00までのスケジュールはがら空きだった。
この二ヶ月ほどは後期から入ってきたゼミ生に渡す資料作成とか冬月教授の論文の手伝いとか定期預金の満了に伴う雑務とかアスカとの全く心の通わないSEXとかで忙しかったのだが、今週末はエアポケットのように暇になってしまった。加賀と飯を食いに行くくらいしか記載済みの予定がない。
「アスカと清算するか。」
何だか他人事のような言い方だった。
心の中にあるときはコールタールのようにグトグトしていて近づきたくないことだったのだが、体の外に出した瞬間自分の問題でないような気がしてきた。一緒に暮らしている男がいる後輩と肉体関係になり、しかも相手の男もゼミの後輩で、その上実は大学の教授とも恋人に近い関係にあるなんて、外れることのない知恵の輪のようなものだ。
「あなたが外で何をしていようと興味はないわ。私と一緒にいるときにアスカのことを過剰に持ち込まなければそれでいいわ。私は誰に強制されるわけでもなく納得してあなたとの関係を続けているのだから。」
リツコさんはそう言っていたが、そろそろ潮時だろう。あの時だってリツコさんは、アスカとのことは一夜限りの関係くらいに思っていたかもしれない。

そもそもなんでアスカは俺の所に来たのだろう?
深く考えたことはなかった。
本能的に避けてきただけなのかもしれない。
「初恋の人の影にすがってみたかったのかもね。」
赤木教授の顔を二割ほど覗かせたリツコさんはそう言っていた。深く分析する気はなさそうだった。俺もリツコさんにアスカの分析を頼む気はサラサラなかった。

アスカと碇の間に何があったのかは分からない。
俺がしたこと言ったら、洞木と一緒に酔っぱらったアスカを一晩泊めたのと碇にタチの悪いジョークをぶつけたくらいだ。元々あの二人の間には真冬の関東平野のように乾燥した火薬庫が横たわっていて、俺はそれを知らずにマッチ一本ほどの火を投げ込んだだけだ。
別にアスカを強姦しているわけではないし、碇を脅しているわけでもない。アスカと碇は幼い頃から苦楽を共にしてきた間柄だからくっついて末永く幸せになるべきだなどということは俺の知ったことではない。
少し社会学的にSEXの変遷を見てみると、SEXをする基準が制度から愛へ、愛から合意へと移り変わっていることが分かる。俺とアスカの間には制度的な結びつきも心の奥底から湧き出る愛もないが、お互いの合意というものだけは存在している。
断っておくが、俺は援助交際や不倫を奨励しているわけではない。モラリティの話をしているわけでもないし、体制からの逸脱が快楽につながると主張するわけでもなく、女は多情で一人の男では満足できないと言っているわけでもない。

頭がこんがらがってきた。
要するに、多分アスカと碇はかなり前から火種を抱えていて、俺の不躾なジョークが発火装置のスィッチを押してしまって、逃げ道を求めていたアスカの目には初恋の人の面影を少しだけ持つ俺が映って、俺の自制心はアスカの肉体に負けてしまって、今に至るというわけだ。
ちっとも要するにじゃなかった。
起き抜けからMichael.Boltonを聴かされたせいだ、俺はそう思った後、リツコさんの冷たい視線を思い出して首をすくめた。
アスカは碇への当てつけとして俺のところに来ているようだ。その証拠に俺との関係を碇に隠していないようだし、まだ碇と一緒の家に住んでいる。
全く何を考えているのであろう?
アスカも碇も俺も。

アスカは人格障害を起こしているのではないか?俺はそう思った。
人格障害は精神病や神経症とは違う。
一般に精神病は重度の躁鬱病を含む精神分裂病のことを指し、「現実を判断する力が失われ、常識を大きく逸脱する奇異な行動を示し、通常のコミュニケーションが不可能に近い重い病気」という定義がある。
神経症は一般にはノイローゼ、医学的には機能的異常精神状態と呼ばれ、「病識があって不安や恐怖に苦しみながらどうにもすることができないが、現実感は喪失していない病気」のことを指す。
両方とも様々な分類があって一概に定義することは困難だが、どちらとも診断できかねる境界線に属するものを人格障害と呼ぶ。特徴としては「人格が未発達で不安に耐える力がや衝動を抑えるコントロールの欠如している。自己を防衛するための社会的に適合した心理操作が行えない。したがって思考・行動面が本能的で感情統制や他者の配慮に欠け、自己中心的である」といったことが挙げられるが多種多様でこれも定義が難しい。
ちなみに十八歳以下には人格障害は適用されずアイデンティティ障害と言われるが、アイデンティティ形成は社会や文化、個々の境遇によって時期がずれる。アスカはもうすぐ十九歳。
微妙だ。

アスカには演技性人格障害や自己愛性人格障害の兆候が見られるような気がするか、俺には判断できかねる。
例えば演技性人格障害の診断基準として
1,自分が注目の的でないと楽しくない。
2,他者との交流で不適切なほど性的に魅惑的な態度又は挑発的な態度をとる。
3,浅はかですばやく変化する感情表出をする。
4,自分への関心をひくために絶えず身体的外見を用いる。
5,適度に印象的だが内容の詳細がない話をする。
6,芝居がかった態度や誇張した感情表現を示す。
7,他人の影響を受けやすい。
8,対人関係を必要以上に親密な物と見なす。
の中から五つ以上該当する場合はその危険性があるとされるが、俺にはアスカがそうであるかの判断すらできない。
性感帯や体のサイズなどは予測がつくが心の交流などは全くなかった。俺はアスカの好物すら知らない。服装と下着の趣味がかろうじて分かるくらいだ。

終わりにしようかと思ったのも、道徳観に目覚め心理学を学ぶ人生のささやかな先達としてアスカを導こうと思い立った、というのはのは真っ赤な嘘で、肉体的快感を空しさが上回っただけだ。
最初から空しさはあったし、もしそんなことがあったら空しいだろうな、と思っていた。しかし俺のちっぽけな自制心は何の役にも立たなかった。十八歳の瑞々しく魅力的な肉体の前では。誰しもそうかもしれないが。
俺が忌々しげに溜息を吐くと同時にベルが鳴り、プレスされた俺のスーツを抱えた女性従業員とルームサービス用のトレイを運んできた若いホテルマンが入ってきた。
すっきりした目覚めの割には憂鬱な朝だった。
 
 
 
 

PERSONA : Episode3 Prelude
 
 

エントランスにあるマレーヴィッチの抽象画と対面したのは12:30を少し回った頃だった。総ガラス張りの人工進化研究所の入り口は冬の柔らかな日差しが差し込んでいたが、警備員は相変わらずドーベルマンのような冷たい目をしていた。

ホテルから出て家に戻ったのは10:00前だった。
留守番電話と電子メールをチェックした後、ユングの古代神話と現代人についての項を読み返し、三十分で飽きたのでここ一年ほど読む度に挫折しているウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」に何十回目の挑戦をして、また負けた。
数え切れない敗戦は頭の回路がショートさせた。
何だか異様にムカムカしてきて家にあるガラスというガラス全てに石を投げたくなってきたので、リラクゼーションのアロマテラピーと音楽をかけ、火の出るような熱いシャワーと凍り付くような冷たいシャワーを交互に浴びて気分をシャッキリさせ、ダージリン紅茶で鴨の薫製をはさんだライ麦パンを飲み下した。
時刻は12:00を過ぎていた。
俺のマンションと大学は隣接しているような距離なのでまだ早いかなと思ったが他にやることもない。余りゆっくりしているとまた石を投げたくなるような気がしたので着替えて家を出た。

エントランス左手にある階段を駆け上がると、肌を振るわせるような風が俺の横っ面を跳ねた。
俊敏で乾いた風だった。
大地の匂いがする。大きく吸い込んでみても土の味がするほどの風ではないが、微かに地面と森の香気を含んでいる。アーティフィカルに構成されている人工進化研究所の建物とナチュラルな風は妙に均衡が取れているような気がした。
赤木教授は時々換気のために窓を開けさせる。換気装置のついたクリーンヒーターを使用しているはずなので、窓を開放して換気する必要はない。
「辛気くさい研究をしているでしょ?自然の風に当たらないと精神が持たないわ。」
赤木教授はリツコさん風の口調でそう言っていた。俺は辛気くさくない研究って何だろう?と考えてスポーツ生理学や海洋生物学を思い浮かべたが、すぐに打ち消してしまった。赤木教授は自戒を込めて自分の研究を辛気くさいと言っているだけなのだ。クリーンと聴いてスポーツや海を思い浮かべるのは、俺というより日本人全体に共通する悪い癖だ。

「あら、早かったわね。」
赤木教授は昼食を取っていた。マヤも一緒だった。
赤木教授は屋上や楡の木陰などで昼食を取るのがお気に入りなのだが、さすがに真冬ではそんなことはしない。大学の近くにある仕出し屋で懐石風の弁当を買ってくるか、学食に電話を入れて届けさせて研究室で食べる。この日はサンドイッチに地中海風とおぼしきサラダとヨーグルト、それにコーヒーが並んでいた。マヤは手作り弁当を持参していた。
前に盛んにマヤが「私のお弁当はおいしんですよ」と言っていたことがある。要するに赤木教授に弁当をつくってあげたかったらしい。
「あら、マヤおいしそうね。私にもいただけるかしら?」「勿論です。このはさみ揚げなんかは自信作です」「絶品だわ。毎日食べたいくらい」「それなら私が作ってさしあげます。先輩のためですもの」
俺はマヤの理想世界を想像して一人で吹き出していた覚えがある。その場居合わせた赤木教授は怪訝な目をし、マヤは無視を決め込み、マコトは目をキョトンとさせていた。

「お昼は食べたの?」
もう済ませました、俺は後ろ手でドアをしめながら言うと、綾波レイのカルテをもらえますか?あの時はまともに見なかったので、と付け加えた。
今度も卒倒寸前になったらどうしようか、とは考えなかった。免疫ができたのかそれとも何も考えていなかったのかは、自分でもよく分からない。実物と写真を含めてレイに会うのは三度目だ。
今度は平気だった。
睨み付けるように緋色の瞳と空色の髪を凝視したが何も感じない。
俺は理由もなく落胆した。心臓の鼓動は一定で、心拍音は平野部の川の流れのように緩やかだった。
綾波レイ。十九歳。無職。両親は共に十五年前に死亡、原因は交通事故。兄弟はいない。三親等までの親戚は全て死亡。資産家の両親が残した遺産は約八十億円、現在は預金で暮らしている。第三新東京市在住。
第三新東京市立第一中学校から、第一高等学校へ進学。昨年度、第三新東京大学医学部を受験。次席で合格するが入学はせず。
犯罪及び補導歴はなし。しかしカウンセリング中の本人の告白によれば、現在時々ではあるがコールガールをしており、麻薬・煙草の経験もあるとのこと。

「解離性同一性障害?」

俺はカルテを読み進める内に素っ頓狂な声を出してしまった。赤木教授はカルテを渡した時から予想していたのか小さく頷くだけだった。マヤは目を尖らせていたがいつものことだ。
「信濃教授はそういう判断を下しているみたいね。」
信濃テツゾウは精神科の副主任でマコトの恩師に当たる。白髪混じりの恰幅の良い人で歳の頃は四十半ばくらい。体格の割に神経質で、重箱の隅をつつくようにして学生のレポートをつっかえすことで有名だ。多分切手を張るときに1mmでもはみ出していたら眉間に何本も皺をよせてやり直すに違いない。
「赤木教授の診断は?」
赤木教授は他人のカルテをあまり信用しない。しかし解離性同一性障害、つまり多重人格というのは誤診がそう多くない症例だ。珍しいだけに診断の結果はいやがおうにも慎重になる。あの信濃教授が明記しているのだから、他の誰が診断しても同じ結果がでる可能性が高いと言える。
「まだ実際に診ていないからどうとも言えないわね。」
赤木教授はオマールとおぼしきサラダの具を口の中に入れた。

DESテストの結果は48%。高い数値ではあるがこれだけでは何とも言えない。DESテストとは多重人格であるかどうかをさぐるペーパーテストで、30%が正常と異常の境目だと言われている。ちなみに多重人格者と診断された患者にやらせてみたところ平均は41%だったという報告がある。
綾波レイの48%は完全に危険水域だ。
「今日は信濃教授も立ち会われるんですか?」
信濃教授は赤木教授に好意的ではない。
自分の領域に踏み込んでくる人間に対しては誰しも嫌悪感を持つものだ。信濃教授の反応はまあ正常と言えば正常というもので、内心嫌っているが厄介な患者を押しつけていることもあって表向きは無関心さを決め込んでいる。
「信濃教授は来ないわ。いや来られないと言った方が正確なのかしら?」
赤木教授の仮面を被った彼女は半ば感情を凍結させている。抑揚のない言葉端から真意を読みとることはできなかった。
「理由は何です?」
「強迫神経症。」
赤木教授は「今日はいい天気ね」くらいの口調でキョウハクシンケイショウと発音し、最後に残っていたハムサンド食べ終わるとコーヒーカップを手に取った。
 

「日向です。失礼します。」
マコトが入ってきた。俺が強迫神経症の英語名はobsessive-compulsive neurosisだったな、なんて現実逃避にも似たことを思い浮かべていた時だ。赤木教授はコーヒーを飲み、マヤは空になった弁当箱を巾着袋にしまい込んでいた。
マコトほど白衣が似合わない医者はいない。
黒縁眼鏡にグリーンとイエローのチェックタイとの組み合わせもなじんでいない。大目に見ても製薬会社の営業がせいぜいだ。患者はこんな頼りなさそうな医師に相談して不安にならないのかと思うが、未だに苦情は来ていないらしい。
「なんだ、おまえもいたのか?」
マコトはドクターバックを右手に持っていた。黒光りするドクターバックはマコトには不釣り合いだ。全体の印象が軽いの右手の黒革だけが仰々しく見える。

「今日の診断は彼にもつき合ってもらうわ。」
赤木教授はコーヒーカップを右手に持ち、左手でカルテを持って左目で覗き、右目と口だけをマコトの方に向けていた。やり手の女社長が「命令よ」という姿にどこか似ている。
「え、でも、しかし」
マコトは俺と赤木教授を交互に、それも二回ずつ見た。ボサボサぎみの髪とネクタイが小刻みに揺れた。ペラペラのネクタイをするなよ、もっと厚みがあってしっかりとした生地を使っているものにしろ、曲がりなりにも医者なんだから、俺はまた訳の分からないことを考え始めていた。
「トランス状態の患者に会ったことがあるそうよ。すれ違った程度らしいけど。」
赤木教授は右目もカルテに落としていた。マコトに向けられているのは唇の動きだけだった。マコトは少し首を傾げていたが何も言わなかった。

「でもくれぐれも気を付けてくれよ。覚悟してからレイに会わないと信濃教授みたいになっちゃうぞ。」
マコトの目は真剣そのものだった。ただしシナノキョウジュと発音する時に、やや語調が弱くなった。
「強迫神経症で入院か?」
「なんだ?知っているのか?」
「さっき赤木教授から聞いた。詳しい話は何も知らない。」
マコトは可聴域ギリギリの声で「そうか」と呟いた。眼鏡をはずして眉間を親指の付け根でグリグリと押していた。支えが取れたように喉仏が動く。マコトが飲み込んだ唾液には疲労や困惑が大量に含まれていそうだった。
 

マコトの辛気くさい顔はランチタイムを終わらせた。休憩時間1:00までにはまだ十五分ほど時間があったが、誰も休息を必要としていなかった。
マヤは時間一杯まで赤木教授といたいのか不満顔だったが、マコトが口にした「部外者に患者のプライバシーを話すわけにはいかない」というもっともらしい理由に赤木教授の流し目が加わったのですごすごと出ていった。
「綾波レイが来院するのは予定では2:00です。」
マコトの第一声だ。極秘の作戦会議に参加している気分だ。俺は信濃教授が入院したと聞かされたにも関わらずなんだかワクワクしていた。

「今までの経過についておさらいします。」
マコトは教育実習生のように切り出した。製薬会社の営業より理科室の実習生の方が正しいのかもしれない。赤木教授は一度説明を受けているのか、レイのカルテを見ながら考え事をしていた。マコトの目も俺を向いている。
「最初の一ヶ月は何事もありませんでした。いや、精神科に来院していながら何事もなかったというのはやはり異常だったのでしょう。」
マコトの話しぶりは俺がガキの頃にやっていた「日本昔話」の語りを連想させた。マコトが「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました」と言い出さないか少し心配だった。

新たに渡された治療の記録を克明に記したカルテの冒頭を見て俺は顔をしかめた。
「やっぱり変だろ?」
赤木教授が完全に聞き流しているのを確認したマコトは丁寧口調を止めた。
「変だ。来院経緯が普通じゃない。」
俺はカルテを捲る手を止めずに答えた。 精神科を訪れる人間は既に心に異常をきたしている場合がほとんどだ。自らの意志で来院してきても自分をコントロールできなくなっていたり、親や配偶者に無理矢理連れてこられたりするケースが多い。
最近では人格障害とも言えない軽度の悩みで精神科やカウセリングセンターを訪れる人もいるが、そういう人はただ誰かに悩みを聞いてもらいたいだけだ。何度か通院して悩みを吐き出すとスッキリした顔で帰っていく。

綾波レイのケースは特殊だ。
「私には三十二日後に光が訪れるんです。」
全く表情を乱さず第三新東京大学付属病院精神科にやってきた綾波レイはそう告げた。担当したマコトは即座に妄想性人格障害か分裂病の被害妄想だと思ったらしい。気配りや調和がモットーの日本人には妄想性人格障害になる人が多い。
マコトはレイに理由ではなく最近起こった出来事について尋ねた。患者に話させるというのはカウンセリングの常識である。
レイの話は理路整然としていた。虚言癖や妄想が混じれば、それを見抜く訓練を受けている精神科医やカウンセラーには兆候くらいは分かる。例えば妄想性人格障害の患者の奥底には深い憎悪と嫉妬が眠っている。また本人に病識がないことも多い。レイは自分の意志で散歩でもするかのように来院し、話にもおかしな点はなかった。
マコトは自分が未熟なだけかと思って様々な検査をした。言葉による面接、神経が過剰に高ぶっていないかなどのチャック、血液検査までした。
マコトは異常なしと見たが、次の来院日予定を聞いてレイを帰した。
レイは週に三度はやってきた。まるで国際精神分析学会が「精神分析を正しく行うためには週に四回、一回四十五分以上の面接を継続すること」と定めているのを知っているかのように。
マコトは不安になって他の医師にも診てもらったが異常は無し。寂しがり屋の女の子くらいの認識くらいしか持たなかった。マコトは律儀に来院してくるレイに微かな不審を感じながら話し相手を務めていた。
「三十二日後に光が訪れる」ことなど忘れて。

「その日、僕は非番でね。土曜日だったんだ。レイが来たのは午前の患者が一段落し、休憩時間に入った12:00過ぎだったらしい。担当したのは信濃教授だ。」
マコトはそこでこめかみを押さえて溜息を吐いた。
「看護婦や他の医者も出払っていた。信濃教授とレイが話していたところを見た人はいない。終わった後にいつものように出ていくレイとすれ違った奴はいるけど。精神科の半分がレイとは顔見知りのようなものになっていたからね。”レイちゃん元気?”と聞くといつものように起伏のない笑みを返してきたそうだ。」
「信濃教授がおかしくなったのはそれからか?」
「分からない。もしかしたら以前から悩みを抱えていたのかもしれない。でもそれが顕在化することはなかった。やはりレイが・・・・。」
マコトは大きく息を吐くと首を振った。視線は床を向いていた。
「それからレイは信濃教授が診るようになったんだ。教授はカルテを処分してしまっていてね。幾つか残っていたものから、レイには実は麻薬と喫煙の経験があったこと、金に困っているわけでもないのに時々売春まがいのことをしていること、まだ自意識を保っていた時の教授が解離性同一性障害と診断していたことが分かったんだ。DESテストをしたら48%なんて数値がでていたこともね。その後少し調べて作成したのがこの資料だ。あ、言い忘れたけど教授の強迫観念は綾波レイだ。レイに関する全てが怖いらしい。自分の中からレイを追い出そうとしている。教授はドピュッシーが好きでね。ドピュッシーを聴いている時が一番心が安まるそうだ。今ではレイを排除したいがために一日中ドピュッシーに浸かっているよ。」
「何も聞けないのか?」
「強迫神経症だけでなく躁鬱病も分裂病も併発している。鎮静剤を注射してレイのことを尋ねると”彼女はジャンヌ・ダルクだ。私は彼女によって駆逐される悪魔なのだ”って繰り返すだけなんだよ。」
「鬱から躁に転換するときに被害妄想が誇大妄想になったか?教祖にあるようなパターンだな。信濃教授は新しい宗教でも始める気なのか?」
マコトは苦笑すらしなかった。
 

トルゥゥゥ トルゥゥゥ トルゥゥゥ
 

マコトの胸から電子音が鳴った。やけに大きく聞こえた。
「はい、日向です。」
マコトは更に顔をしかめていた。
奴は電話が嫌いだ。なんでもガキの頃父親が借金取りに追われていた時期があって、その時家に盛んに電話が掛かってきたことの名残だそうだ。携帯電話は大嫌いだと酒の席で叫んでいたが、病院の緊急用ということで常に持ち歩く羽目になっている。看護婦と同僚にはよほどのことがないようにと伝えているらしい。他に番号を知っているのは親と青葉さんだけだ。
俺は知らない。
「え、でもそれは急だね。本当に大丈夫なの?・・・・待ってよ!切らないで!」
マコトの顔は真っ青だった。
「綾波レイからです。今日は風邪を引いて熱が出たので来院はできないそうです。」
マコトは声の震えを止めるのに必死だった。
なんで綾波レイがおまえの携帯番号を知っているんだ、とはとてもじゃないが聞けなかった。おそらく信濃教授から聞きだしたのだろう。すぐに推測がつくことだ。ほんの一時だが、俺はちっぽけな推理力すら使えぬ程混乱していた。
「不味いわね。」
赤木教授が初めて顔を上げた。
感情が乏しい仮面が揺らいでいた。
俺は初めて赤木教授が困惑するのを見た。
悪い予感がした。悪い予感は必ず当たるものだ、と付けたすことはできなかった。あの緋色の瞳は、俺に状況を皮肉る余裕を与えてくれなかった。
 
 
 


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ver.-1.00 1998-2/3 公開
批評はこちらに meguru@knight.avexnet.or.jp

MEGURU「訳の分からない専門用語を出さないでくれっていうメールが来そうな話だったけどどう思う?」
綾波レイ「・・・・・知らない。」

名前は以下略

M「一応説明を加えながら書いているんだけど興味のない人が見たらパニックしそうな文章ばかりだと思うんだけど?」
R「そうかもしれないわ。」
M「専門外のことも書いているので調べながら書いたところもあるんだけど、やっぱり不自然な文章だったかな?」
R「そうかもしれないわ。」
M「僕としてはエヴァ本編の綾波レイというキャラって本当につかみ所が無くて、そもそもまともな精神が備わっているかもはっきりしていないような気がしていて困っているんだけど。」
R「そうかもしれないわ。」
M「本編レイについての分析や制作側の意図なんかは詳しく読んだことないんだけど、イメージとしては”神の子”みたいなものを受けたんだ。それがこの話のレイにつながっているんだけど。」
R「そうかもしれないわ。」
M「全く話し聞いてないでしょ?」
R「そんなことないわ。」
M「でも余り話しをしたくないようだけど?」
R「分からないわ。」
M「具体的には何について分からないんだい?」
R「なにもかも。」
M「分からない事に対して早急に答えを求めず、分からない事として保留しておくことも時には必要だと思うんだけど?」
R「そういうことにしておくわ。」



「で、MEGURUさんの問題(?)連載、Personaの新作第3話まで、一挙公開となった訳ですが…確かにかなり専門的な話にはなってますが、訳分からないなんて事は全然無いですよ。(^^) 少なくとも第1・2話のブランド名の羅列に比べれば、遥かにわかりやすかったっす。」
「すんすん…すんすん…」
「あ、あのー…」
「…すんすん…」
「シンちゃーん?」(^^;
「(グスッ)な、何ですか。フラン研さん。」
「あの、ほら、折角来たんだし、Personaの感想を何か…ほら! 気になるなーっ、信濃教授は何を見たのか! レイちゃんは一体どうなってしまったのか!!」
「どうでもいいです…」
「…(ぴゅるーっ)…(はっ)いやいやシンジ君、どんな感想でも良いからさ、それこそ好きとか嫌いでも良いし…やっぱり、アスカちゃんはあんなでレイちゃんはこんななのはシンジ君としては許せない!とか…」
「いや、別に良いんです。どうせ僕なんて、誰も構ってくれませんよ。そんな資格も無いですから…」
「(ありゃー…)あのー…レイちゃんとか、神の子みたいなイメージを受けたって話だけど、シンジ君はどう思う?」
「別に…もう、良いんです、どうでも…綾波は…結局使徒だったから…アスカは僕を受け入れてくれないし、結局…僕は、自分を愛してくれる人にしか興味が湧かないんですよ、多分。だから、ナルシストなんです。でも、そんな人の事なんか、誰も愛する訳、ないんですよね…(以下JAVAスクリプトエラーで無限ループ)」
「あーあー…」(^^;
「(ぬーっ)御兄様。」
「あ、又来た。お前さっきから出方が唐突だぞ。」
「いえ、ちょっと相談があるのですけれど…MEGURU様がこちらに投稿なさったのは良しとして、何か、MEGURU様が書く意欲が湧くような努力はなさいませんの? ここの「管理人」として。」
「何、例えば?」
「ここって基本的に訪問者がいないでしょう?」
「おい。」(--#
「だから、色んな所で宣伝をするとか、」
「良いんじゃない、別にい。一応ここだってヤフーに載ってんだしさ、Personaが好きな人って良くも悪くもマイナー志向の人だと思うんだ、へそ曲がりって言うかさ、多分。だからここも見付けるでしょ。」
「要は面倒臭いという事かしら?」
「あっはっは、妹よ、お前は時々妙な事を言うなあ。」(^^##
「あーら御兄様こそ、好い加減「愛は霧の向こうに」の続きでもお書きになられたら?」(^^##
「お前の掲示板の書き込みって口調がうるさいよな。」
「お兄様のページ、カウンターは壊れっぱなし?」
(以下仮にも本編の主人公だった少年を忘れて喧嘩を続ける兄弟)

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