総合
(ろぐ125)


←Prev ↑Home ↑Billboard (Current) ↑Index of the Archive →Next
 
ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】けんけんZ
【タイトル】魍魎の匣・狂骨の夢
  11/30 02:59
Mail: ken-kenz@kk.iij4u.or.jp
URL: http://www.kk.iij4u.or.jp/~ken-kenz/kurige/
【メッセージ】
 以下は京極夏彦未読の方には面白くない上、これから読もうと思うかたにはネタバレです。
 ご注意下さいm(_ _)m

***********************************






***********************************

 上記2作、読了。
 結論から言えば「魍魎の匣」は大変面白かった。
「狂骨の夢」の方はそれほど(^^;
「姑獲鳥の夏」よりも一段落ちるかな、と言う感じ。
 まあ三冊しか読んでない京極の中で、の話しであって、ミステリなんぞ普段読んでいないので偉そうな事は言えません(笑)

 さて、面白かった「魍魎の匣」の読書感想文。
 なにが面白かったかと言えば、そのスケール感。
「姑獲鳥の夏」は、主人公の関口の個人的経験と記憶の混乱に集約されてしまうような、小説的な趣きが有った。
「狂骨の夢」は、途中からどんどん事件の輪郭が拡散していって、京極堂の最後の憑き物落としの段ではすでに付いて行けない(^^;
 これはまあ読者(つまり自分、一般化するつもりはない)側のキャパシティの問題かとも思うが、どうにも読んでいて事件の全容が「手に負えない」気分になってしまって、木場に移入しようが伊佐間屋に移入しようが、物語の中に入っていけなくなってしまったのだ。
 つまり、傍観者であり観客に過ぎない。
 降旗は割りとその事件との関わり方からして読者にとって解かり易い立場に居たはずだが、最後で理解する事を投げ出してしまったような観が有っていただけない。
 結局、京極堂による「謎解き」つまり、全容が手に負えなくなってしまった事件のばらばらのピースを解説付きで組み立てる作業の手際の良さを楽しむだけしか、読んでいる楽しみが無くなってしまった(^^;

「魍魎の匣」は違った。
 どう表現したら良いのかわからんけれど、しっくりきた(笑)

 特にラスト近くで、雨宮と久保の邂逅が事実であって、それこそが事件の発端で有ったような見事な謎解き。
 いや、謎を解くと言うより輪が閉じると言ったほうが良いのかな、その解決の提示のされ方がなんとも清々しかった。事件そのものは清々しいなんてモノじゃあないけど(笑)

 なにより事件の実行犯であり、一方でもっとも割りを食った被害者であるところの久保に、読者である私が乗っかってしまったので入りこみ方が深くて面白かった。

 私は或る日電車で乗り合わせた男が持っている箱から少女の声がしたらなんと思うだろうか?
 その中に居る、「あつらえた様にみっちりと」収まった少女の顔を見て平常で居られるだろうか?
 そんな美しい秘密の詰まった箱を抱えた男を、羨まずに居られるだろうか?

 正直言って自信がないのだ(笑)

 そんな不安な読後感もまた、たまらなく上質。
 たった三冊読んだ中では、「魍魎の匣」が白眉。
 事件の全容も、その繋がりが始めからおぼろげながらに輪郭を見せている点。
 主人公(と思ってしまった)の久保の「私小説」が徐々に現実の事件と繋がる点。
 京極堂や木場や関口ら、おなじみのメンバーが事件に巻き込まれていく過程の自然さ。
 なにより、最大の舞台装置になった美馬坂の異常なまでに鋭い情熱。
 全てがあるべきスケールと時間軸にきっちり収まった面白さ、とでも言うのだろうか、充実した書であると間違いなく誰にもお勧めできると思った。

 紹介してくれたT.OKAさんとbleadさんに、改めて御礼m(_ _)m
 残りもじきに買って読む事間違い無し(笑)
 また感想を書いてお二人への御礼の代わりとしたい。

**************************************









************************************

 さて、T.OKAさんによる登場人物との対比だが、関口巽で異論は余り無い(笑)
 でもまあ、久保のほうがしっくり来るな、私には(^^;
 カラクリ仕掛けで生きているように見える箱入り娘なぞ見せないようにお願いしたい(爆)

 んでわ(^_^)/~


【名  前】MEGURU
【タイトル】Q&A5
  11/30 00:48
Mail:
URL:
【メッセージ】
「結局またこのスタイル?」

「文句があるのか?」

「ありあり。」

「対応策は?」

「・・・思い浮かばないよね。急には。」

「では先を急ぐ。」
 


 

「鯖君とT・OKA君の話なんだけどさ。」

「話が妙な方向に行っているな。」

「福祉VS自由主義について全く興味がないからって、妙な方向なんて言い方はよくないと思うけど?」

「単に読むのが面倒という説もある。」

「単に僕たちは他人の話を聞くのが嫌いだという説もあるよ。」

「鯖氏の疑問についてだが。」

「話をすすめることで、ごまかすわけだね。」

「T・OKA氏が全く別の話で指摘しているように、鯖氏は個人VS個人に話を還元しすぎる。弱肉強食・自然淘汰などの生態系論理は、種全体、いわば地球全体に働くと考えた方が良い。それも時間軸をも含めた。」

「もう少し整理してくれないかい?」

「つまり、生態系論理は歴史を動かしていく物だと言いたいのだ。マルクスは生産力と生産関係の矛盾によって、イブン・ハルドゥーンは狩猟民族と農耕民族の争いによって、歴史が動くと主張した。俺は生態系論理のバランスシートが歴史を動かすのではないか、と考えている。アメリカ型競争社会VS修正資本主義型福祉社会のどちらが優れているか・正しいかなどには余り興味はない。」

「話が大きくなってきたね。しかもずれている。そして分からない。」

「これはまだ理論化が済んでいないのだが。人間は生態系論理から逸脱していると思われがちだが、そうではない。」

「地球ガイア説?」

「そういう意味ではない。言葉にするのが難しいのだ。頭の中でイメージ的な枠組みは出来ているのだが。」

「役に立たないじゃないか。それじゃ。」

「言葉にすると本を一冊、資料も含めると十冊以上というような分量の内容だ。簡潔にできる時期が来たら話すことにする。」
 


 

「今回の鯖氏の言説には余り乗り気じゃないみたいだね。」

「善悪論争になると興味が無くなる。京極堂風に言うと”世の中には正しいことなど何もないのだよ”ということになる。ただし、だからと言って何をやっても良いということには繋がらない。」

「脳味噌の足りない中学生みたいな印象を持たれるよ。そんなことを言うと。」

「話を少し戻すが、世の中の全てのことは生態系論理のバランスシートの上に乗っている。ヒトラーのユダヤ人虐殺も、地下鉄サリン事件も、横浜フリューゲルスの解散も、七歳児の我が儘もだ。」

「殺人・虐殺・戦争は生態系論理に反するんじゃ?」

「反しているわけではない。個体数調整の一形態だ。」

「だからと言って、許されるわけではないだろう?」

「歴史は善悪では動かない。個々の事象が、その時の法律なり道徳なりに反していたらそれなりの罰を受けるだろう。が、殺人者・虐殺者・戦争犯罪人の処罰も生態系論理のバランスシート上では、行きすぎたものの排除だ。善悪ではない。」

「でも、君は他人をすぐにバカだとか愚かだとか効率が悪いなんていうじゃないか?」

「死刑論議の時にも言った。重犯罪者を死刑にするべきだというのは、善悪ではなく社会効率のためだ。バカはバカだが、バカ自体が悪いことではない。」

「結論がないね。」

「そうとも言う。」


【名  前】鯖@もうすこし親しみやすい話題はないのか?
【タイトル】検証(?)「姉妹の居る人居ない人」の違い???
  11/30 00:40
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
なんなんだ。

別に「へっじふぁんどの介入に怒るアジア諸国当局」みたいな話が
したい訳じゃなくて・・・いや、いいんですけどね。
(儲けたい奴はもーけりゃ良い。一晩で一億擦ろうが知ったことか)

「商売女にまで弱い木場修」・・・とT.OKAさんに言われる(あう)

んなこた無いぞ!・・・堅気の女性に比べたら遥かにプレッシャーが・・・
あに?所詮比較論?・・・確かに問題ね・・・

女性(にょしょう)は縁遠き者にて・・・と言う感じが在るのは確か。
決して身近な存在だったことは無いかな?それは何時も「極めて特殊」
な事だった様に思うなー。自分の「標準状態」からみれば。

「知らなかったその異質さに驚く」のだろうか。矢張り・・・

普通に会話等はしていた筈だ、昔から。なのになんで気づかなかった?
と言う感じ。やっぱり「意識する事に何かある」訳かね?

(つまり自分にとって「女性と『居る』状態」は「常ならぬ状態」と言う
認識が働く訳だ・・・)>しかし「プロ」の人に関しては「一緒に居る」と言う認識
ではなく「契約の便宜上同じ空間に入っている」と言う頭が在る為それは「特異では
あっても日常的作業の延長上にある」と言う感覚がある・・・商取引としてのサービスは
特別な事ではないから。「作業の内容」はこの際問題ではない。>メンタルに相手を
「自分にとって一般とは異なる意味を持つ」と認識するから「駄目」なのかもしれん。

つまり木場にせよあたしにせよ「無差別にギネフォビア」な訳ではない。
相手に「異性を感じる」から駄目なのだ(ならプロのおねーさんは「異性」では
ないのか?・・・多分「違う」のだろう。)一緒に仕事したりする分にはそれは
「関係ない」から。それはデリカシーの欠如と同義なのかもしれんが(笑)

(新隊員教育隊の教官(担任みたいなもんだす)を仰せつかった時(二等兵氏は
えらい。大津で教育専門部隊に居たんだから・・・)、やはり教え子の中に女性隊員
が数名居て正直不安だった事があるが・・・やってみると何とかなるものだった 笑
彼女達が実に優秀だった、と言うのも幸いしたのだが・・・朝霞のWAC隊教官を
やらされた同期に比べれば 笑 ・・・やっぱり「どう接して良いのか解らん」もんね。
「もしかして、キツイ事やらせているのか?」とか「こういうジョークは不愉快じゃ
ないかな?」とか・・・(土方部隊の技術教育である。時に口がすべってシモネタが
飛ぶ・・・反省))

あにきやけんけんZさんの様に(関口巽はあんなにもてまへん(むー)>T.OKAさん)
姉妹がいらっしゃる方のお話を聞くに・・・「やっぱり感覚が違うのではないかいな?」と
思う。「幼児期から身近に接している」のと居ないのでは・・・

多分居る方が自然と身に付けている感覚が自分には「解らない」のかもしれない。
(木場修には妹が居た筈だが・・・やっぱり四角い顔なのか? 汗)

例えば・・・十代半ば位には、何の根拠も無く「自分は女子生徒に嫌われているか
馬鹿にされている」と言う意識が在ったりする。(それこそ関口か降旗君ではな
いかいな?)「こんな運動神経が鈍くて暗くて協調性の無い変人は
碌な風にいわれちゃ居るまい」と推測する訳だ。それがたまたま全く違う風評を
聞いたり(「優しそうで良い人」と言う実態とかけ離れた評価ではあるが)事も
あろうに下級生から「御手紙」を頂いたりするに至って「何がどうなってるんだ!?」
と驚愕する訳だ(彼女はどうも「見た目一見硬派風」に惑わされたらしいと後に判明・・・
まぁ、当時は少林寺部の副将張ってて何時も胴着肩に掛けて風切って恰好つけてたから
なぁ・・・汗)どうやら総合評価としての印象は「別に悪くはなかった・どちらかと言うと
親しみやすい」と言う事だったらしいのだが・・・それは「本人にとっては想像を超えた」
事態だった訳だ。

「悪感情以外のものを持たれる筈はない」と言う固定観念が在ったのか?

故に当時そんな被害妄想を持つ奴が「まともに女の子と口を利ける筈が無い」
のである(笑)その割には「部活動等の事務的な会話」とかは平気なんだけどね・・・
それがマシになるのは「外的要因」によって認識を改めてからと言う話。

そう考えたら・・・やはり「姉妹の存在」と言うのは大きいのではあるまいか?
(「女の子に世話を焼かれる十代の少年」、と言うゲーム等でありがちな設定は
それ自体自分にとっては著しくリアリティの欠如したものなのだ(笑)そんな
奴が本当に居るのか?・・・てね。居ないことも無いんだろうけど。)

どーなんでしょ?


【名  前】鯖@しべりあち。
【タイトル】呆けている<あたし(汗)
  11/29 18:36
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
あ、結論が無い、下の・・・

つまり「組織戦になったらそれはもう「個人の闘い」ではない」
と言う話だったのれふ。単に「個人的にも利益はある」と言う
だけで「闘争全体からは個人は「疎外されざるを得ない」」・・・

工業社会における「人間疎外」みたいなもんですね。
(労働者は「自分が何の部品を作っているのかすら知らないで
造っていることすらある、と・・・全体としての目的から隔離されて
労働力のみを提供して賃金を受け取っている)

で、その「目的」を回復する為には「自分が組織の一部になる」事が
必要で、結果的に自分の意志は「従属的立場に置かれる」・・・
むろん「組織の目的に共鳴する」のであれば全く問題はないですが。
でもそれは「全体の勝利」だし・・・

指導者であれば、無論「個人的野心」で大勢を巻込むことは「指弾される」
日が来るでしょうし、経営者が「利用している」と言う意識をはっきり
持っていれば「従業員は消耗品としての能力以上は持っていても発揮してくれない」
でしょう。奇麗事じゃなく・・・現実に「士気」は重要。

故に「大義名分無きものは破れる」。(アジだ、要は・・・と言ってしまえば
世界はペテン師の為にある、って事になってしまうが・・・汗 そうかもしんない。)

故に「個の為に他を利用する」のは急場しのぎ以外には「余り有効な手段とは言えない」
でしょう。「自分がシステムの一部にならないかぎり・・・」

それを持ち出したら「自由主義」vs「福祉重視」の対立構造そのものが無意味化する
のはその通り。しかし既に「生存の為の選択支」とすら言えないのでは・・・

両者が「フラクタル的に交互に現れる為、本質的な所で分離は出来ない」から。
一つのステージ上でそれを語ることは出来ても「他のステージを含めて」語る
事は無意味化してしまうと。

結局「結論は似た様なもので争点そのものに意味が無い」・・・訳だから(汗)

単純に「個人レベルの人間観」に付いてディスカッションをやった方が
有意義だった・・・(汗)

福祉についても、「カッコーの雛に餌を与える」がごとき真似は最近つくづく
嫌気が差してますしね。「大声で喚いて『倫理的』脅迫を行い、自分の懐に
全て予算を呑んでしまう」様な「自称人権派」のやり口とかね・・・

(営利目的の「抗議団体」?・・・で、その金はどこへ行った?)

本当に困っている人達は「声すら上げていない」事がなんと多いか。
巣に何時の間にか見慣れぬ矢鱈図体がでかくて大声でなく、貪欲な
雛が居坐っている。何時の間にか巣にあった親鳥の卵を蹴落として・・・

(近年のラティカルフェミニズムや某神戸事件の「人権派」の類やな)
人権を口にする奴が弱者踏みにじる様な真似を毎度毎度繰り返す訳ね・・・

対策は必要でしょうね。しかし「雑草を枯らすために花壇に水をやるのを
止めてしまう」のは愚か。

大抵は雑草の方が「繁殖力おう盛で強い」・・・目の利かぬ人々か多い為、
その気の在る人達の大半が「雑草にばかりせっせと水をやる」・・・

だから「肝心の花は正に枯れんとしている」のに。早く手を打たなければ
手後れになる場合だってある。

(雑草でも結構綺麗な花を付けたりすると皆直ぐにそれに群がって、育てていた
花の存在すら忘れてしまうことがある?・・・はぁ・・・)

まう。


【名  前】鯖@しべりあち。
【タイトル】つまり。
  11/29 17:53
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
「組織を利用する」以上は「その組織にきっちり貢献しなければ
ならない」訳ですな。他人や組織が「銃や刀」と違う所はそれが
「独自の意志や存在目的」を持ち、それを道具の様に「我が一部」
として操るには「自分からその一部分になりきらなければならない」
事。それが時に「自分の意志と反する」事である場合すらあっても・・・

そこで自分の意志を通す為には、その組織から離れることが必要に
なって来ます。だから「組織と自分の目的が合致しているか」を
見極めねばならないし、「組織=自分」と腹を括って行動しなければ
ならない。自動販売機よろしく「硬貨を入れればビールが出てくる」
と言う様なシンプルな契約で自己の自由を確保しようと思えば、
「それ以上にその組織を利用することは出来ない・・・そこまでの力しか
得られない」。それは結局自分を「消耗品」の侭で置くことと同義です。

組織を利用する為には「みずからも出血を強いられる」。何らかの形で・・・
使い捨てが利かない。

結果的に「組織によって力を得る」人間は「個体単位では過度の競争的態度は
見せない・能力至上ではない・むしろ協調的である」と言う事かしらん。

まうー。


【名  前】鯖@しべりあち。
【タイトル】何故カステラの間に羊羹を挟んだ奴を「シベリア」と言うのだ?
  11/29 17:27
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
元々は大正年間の新聞閲覧所(所謂ミルクホール)で売り出された
ものらしい・・・謎。

んな事はどうでもよろしい。

同じモトネタをベースにT.OKAさんとMEGURUさんでは全く違う
方向で話が進んでいる(笑)

あれは解釈の余地として・・・「政策論・行政問題としての規制緩和と
保護主義の問題に付いて」と「社会というものを造る習性を持った「人間」
と言う生物の行き着く果ては?」と言う動物社会学とかに近い所での問題と・・・
「単なるコミュニケーション論としての社会と個人の関わり・対人関係論」
と色々な見方が。

・・・相互に関連は持つし、本質的には同じような所へ落ち着くんだろうけど
「各断面としては違った層を見せる」ものに分裂している。

フラクタルな構造になってるんでしょうね。「全体を細かく観察していくと、
細部に相似になった構造がスケールを変えて幾重にも現れる・・・」

まぁ良いか。元々は只の「人生観と社会意識」と言う「個人の意識」を対象に
したものだったのだが・・・

●組織戦

個人的闘争と集団的闘争ではその性質の上で大きな差異が存在する・・・
のは言うまでもない事ですな。

しかし、あの場合何故「個人的問題」に焦点を搾ったかと言えば、
もともと「個人の姿勢」について書いたもの、と言うのをさて置くと
しても、こういう前提も存在します。

「組織戦に英雄は存在しない」、良く言われる事ではありますが・・・
これは単に「功名心や自己顕示欲にはやって集団行動を乱すな」と言う
戒めの意味だけではないと言う事・・・

「各パートの人間が各々きっちり役割を果たし、それが
連動して始めて目的達成が可能になる」・・・目的遂行の為にはまず「協力的
態度」だの「全体としての目的・意義の理解」だのが必要になってきます。
「末端の一兵卒」と言えども「その職責において優秀であること」を要求され、
各メンバーが一定以上のレベルに達した能力を持っていなければならない。

そこにおいて「抜きんでていること」はあまり重要ではなく(抜きんでていても
一人だけではあんまり役に立たない・・・無用の長物になってしまう)、むしろ
余力のある奴は「能力の低い同僚のバックアップに廻る」事の方が大事です。

一人「能力を示してもそれは評価には値しない」事の方が多い・・・

ましてや「一階級上」の立場とすれば重要なのは「調整能力・管理能力」な
訳ですから「人に勝る」事を第一義としている人には「余り向かない」。
そこは「程度の問題」ですが。

ここまでは良く御存知の事と思います。

つまり・・・「対外的には競合勢力と闘うことになる人物も、組織内に
おいては能力第一主義・競争原理だけではやっていけない」。それでは
組織力が十分に発揮できない・・・

しかしながら近年においてはこの辺の「内外の性質」が混同されて語られる・・・
故に「悪戯に共同体のシステムを破壊することが自由主義」と言う発想が
結構みられません?娑婆にゃ・・・

極論すりゃ「対人関係」の問題において「能力主義」を標榜する御仁がその
辺りを勘違いしていることもしばしば。「でもあんた、調整能力ゼロやん・・・汗」
とか「相手の状態把握できないで自分の都合しか見えない奴には人を使うのは
難しいんだよ?」とか。

人徳はもっとも強力な「能力」でしょうね。ほっといても「頭が下がる」相手。

しかしながら、最近は「単純に声がでかい」とか「俺は自分のやることはやっている。
出来ない奴が悪いんだ」と言いきる人間が「能力主義者」=「有能」と誤解している
人も多い。はっきり言って「半人前」ですが・・・

本当に組織に必要な人間は「配慮の出来る」人間、それが指導者の器って奴なんだ・・・
てのを忘れている様な気がしましてね。(若い人達は。)目立てば良いと思ってる。

その辺で単純に「能力主義を肯定する」と言ってしまったら「そういう風に誤解される」、

だから和えて「個人 対 個人」と言う関係論にまで解体して話を持ち出す訳ですね。
逆を言えば貿易なんかでも「保護的政策」ってのは明らかに対外的には
非常に「敵対的行動」な訳ですから(笑)

レベルを変えれば「構造は逆転する」。どこで切るか、の問題ですね。
「人」と「組織」と「国」の行動を同一の視点で切ると誤解が発生しますから・・・

(ネット上なんかの問題だと、もっとも「組織的利害」が発生し難いが
故に究極的に「個人対個人」の図式が現れるわねん♪)

基本的にあれは「個人と言うものと社会の関係」についての物ですわん♪

(組織的行動はその次のレベルの問題。)
 
 
 
 


【名  前】T.OKA
【タイトル】祝。5万ヒット!
  11/29 10:07
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
 ということで、「このエヴァ」も5万ヒットです。
 来て頂いている方。ありがとうございます。

★鯖さんへ

 リスクではなく、可能性に注目する。
 私の立場は確かにその通りですが、何時もはさらに過激な規制緩和論者と話をしているので、
普段と立場が逆転していてちょっとおもしろいです。

 それから、もう一つ。
 人間界における「弱肉強食」「自然淘汰」「競争」の意味の捉え方も違うと思います。

 鯖さんは、全てを結局のところ「個人対個人」、一対一の競争、闘争に還元している気がします
が、動物であるオオカミ、ハイエナ、猿でさえ、群れを作り、群れ同士の縄張り争い。
 というのもあるわけで、人間も含めて、動物が個の闘いに勝利する為に集団を利用するという
行動様式も「ごく普通」と捉えるのが良いと思います。

 つまり、人間の競争においては、自分一人だけの「生物学的力」だけが武器なのではなくて、
他人の力、集団の力も武器になり得る。ということです。。
 とすると、個人が「強い」というのは、ただ単に個人が一人だけで出来ることについて能力が
優れているだけではなくて、他人を利用して勝つとか、集団や社会システムを利用して勝つ力も
「強い」に含まれます。

# 「ここで他人を利用」と言うと聞こえは悪いですが、むしろ他人が自発的に力になってしまう
 ような魅力があると言い換えた方が良いかもしれません。例えば、知り合いのかわいい女の子に
 にっこりが微笑みながら「ちょっと、お願いがあるのですが・・・」と言われて、話しぐらいは
 聞いてあげようと気にならない男は少ない訳で、こういう「魅力」もはやり「力」。

 人間の競争の場合は、むしろ、個人・個人の力は大したこと意味を持たず、他人を動かす力
(いわゆる人的魅力、人徳、指導力、カリスマ性)やシステムを利用する力の方が、大きな意味を
持つ感じがします。

 このように個人の競争に、社会システムを利用すると言うことを認めてしまうと、「アメリカ型
競争社会」と「福祉国家型」も、個人が武器として競争に利用できる社会システムとしては同じに
過ぎないということになります。
 武器として捉えならば、そのシステムは「刀」や「銃」と同じわけで、人によって武器の使い方
の上手、下手があるように、社会システムにも向き不向きがある。
 そうすると、武士ならば「刀」、西部のガンマンならば「銃」で闘うのが得意なわけで、
お互いの決闘の武器を統一しなければならないならば、自分の得意な武器を選びたい訳です。
 つまり、武器(=社会システム)は、決闘の結果を左右する重要な要素なわけで、その選択は
既に、決闘の一部です。

 とすれば、「アメリカ型競争社会」と「福祉国家」の対立も、前者を「強者が勝つ」社会、
後者を「弱者保護」の社会として捉えるのは単純に過ぎる訳で、それぞれの社会システムを
採用した時に、得をするものと損をするものとの間の大きな競争の一貫に過ぎないという
ことです。

>ルールは「システムを維持する為のもの」。皆が守らなければ意味を失う。
>しかし・・・「僅かな人間だけが得をする」システムを「その他大勢」がいつまで
>支えるつもりになっているか・・・増長した時にその特権を剥ぎ取ることは
>意外と簡単。だから「システムを維持する為には暴力装置と言う無法に
>対処する仕掛けが必要」・・・

>だれでも「機会」はある。しかしそれ以上にリスクがあり、生き残れる
>奴はやっぱり一握り。東部の大都市で相変わらず冬ごとに凍死者が出るのは
>何故?「幸せになれるさ。運がありゃ、ね・・・」

 この辺は、「競争社会」と「福祉国家」の対立というよりも選び取った社会システムの
メンテナンスの問題では?

 例えば、アメリカ型競争社会での勝ち組みは、余りにも多くの悲惨な敗者を作りすぎれば、
社会システムそのものが変革されてしまう危険があることを知っている。
 その社会の変革は、今までの勝者が即、敗者になる道です。
(現実的にも、ソ連崩壊までは、それは共産主義の危険として実感されていた。)

 その危険は、まるで、折角、自分に有利な武器が選択できたのに、観客とか審判とかの命令で、
「余りに不公平な武器なので、使用禁止!」となってしまうことに似ています。
 だから、チャリティー(アメリカで非常に盛ん)とか公的福祉(ヨーロッパ&日本的方法)で、
余りに悲惨な敗者を作らないようにして、基本的な「競争社会」を守ろうとするわけです。

 今までの、日本的福祉国家観というのはそういう側面もあったわけで、その福祉的側面が
強くなりすぎれば、今度は逆にその「セーフティネット」を支えきれなくなって、競争主義的
側面を強調しようとする動きが出てきてしまうことになります。

 こう考えると、今の日本の自由化・規制緩和の動きは、アメリカからの外圧と言う側面もかなり
ありますが、むしろ、今まで規制で保護されてきた人(例えば、規制業種で競争に晒されず、
ボロ儲けした会社等)が余りにも得をし過ぎているので、その反動としての日本内部からの動きと
見ることが出来ます。

 この場合は、自由化・規制緩和とは

1 福祉国家論者にとっては、今まで規制で保護されてきた人で得をし過ぎている人が居るという
不公平感を押さえ、現在の福祉・規制レベルを可能な限り維持する手段としての、最小限導入しな
ければならない「コスト」のようなものであり、

2 アメリカ型競争主義者にとっては、「資本主義社会」維持のためのコストとしての福祉・規制の
結果、今まで規制で保護されてきた人が得をし過ぎている=現在のコストが大き過ぎる為の、
「是正措置」ということになります。

>一握りの富者を生み出す為に餓死者を出すようなら「社会など何の意味も無い」と
>思うんですけどね・・・極論ですが。

 その通りです。
 でも、自由化・規制緩和された競争社会=負ければ餓死者が出る社会。というのは、単純すぎ。

 最初に戻りますが、福祉国家論者もアメリカ型競争主義者も、個人の生物学的な力だけではなくて、
社会システム(単に、競争のルールを整備するという意味に過ぎない場合であっても)を武器として
利用して競争することも認める点(素手ではなく何らかの武器の使用が可能)では一致していて、
その武器としての社会システムの在り方(例えば、刀か銃か。)の点で異なるに過ぎません。
 従って、一定の社会システムを守るという点では一致している。

 餓死者が出るような状況は、
1の立場の人にとっては、そもそもの目的に反しますし、
2の立場の人にとっても、余りに悲惨な敗者を作っているので、やはり失敗。

 つまり、「社会システム」を競争の手段としている人=両方の立場の人にとって、餓死者が出たら
失敗というか意味がないわけで、自由化・規制緩和になっても「餓死者が出ても良い」或いは、
「極端な敗者を大量生産しても良い」とは決してならないと思います。

>自由化にはメリットはある。しかしそれは決して「正義」でも「歴史の必然」でも
>無いって話です。

 同感。
 現在の日本では、たまたま自由化には確かにメリットがあると思いますが、それのメリットを
説明するのに「正義」とか「歴史の必然」を持ち出す必要は無く、自由化・規制緩和は、単に、
社会システムを維持するコストを誰にどれだけ負わせると良いのかということに対する当面の
回答でしかない。ということだと思います。

土曜日のワイン
ブルゴーニュ、コート・ド・ニュィ Marsannay 94 赤
ボルドー、サン・テミリオン Chateau Calon 95 赤

それでは。


【名  前】鯖@Pinpoint Bombing
【タイトル】一部解消。>ぎもん。
  11/28 22:07
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
なんか昨日からあたしばっか書いてない?>(ひまじん)

ま、いっけどぉ・・・

疑問一部だけ解消。・・・「弱肉強食」と「自然淘汰」を明確に区分せず
用いてしまったこと。それがまず問題。

自由主義における「被抑圧者・疎外の発生」は食物連鎖的な整合性をもつ
「弱肉強食」と言うより「同一の餌を同一地域で摂取するグループ間に発生
する競合の結果の陶汰」に近い。

食物連鎖ピラミッドのヒエラルキーが同一レベルのものの間に発生する軋轢。

無論両グループの間に「相手への慈悲」なぞ存在するとは考え難い。所謂
「利他行為」という稀な現象くらいのものか・・・
(群の中のカバは別に食い扶持を争って大口のくらべっこをする訳ではありません。
故に「のどかな闘い」なのです。)

人間は「同一の群に属するものどうしでさえ、会い争わねばならない」ほど
追いつめられた種、と言うことか?それは既に「交尾相手の奪い合い」や
「群のリーダーの決定」のような「直接命に関わらない」レベルではなくなっている。
(群のリーダーの決定はまぁ、あらっぽい選挙戦だろう。トップに座ったものは搾取
するために其処にいる訳ではない。商売がたき同士の命懸けのサバイバルレースでは
ないのだ・・・)

自然界において幸運な状態であれば・・・例えば熊は1家族一山、という範囲のテリトリー
を持つが、これはその面積の「生産能力」と年間を通じた熊の栄養の必要摂取量のバランス
に基づくものだ。そのテリトリーに侵入してくる競合者は稀であり、他にも山は在る為
「断固とした意志」を相手に見せることで「相互確証破壊」的な潰し合いに至ることは
避けられる・・・ところが、人間だけはそうはいかなくなってしまっている・・・

おそらくここが問題なのだ。

故に人間は「極めて熾烈なテリトリー争い」を宿命とし、さらに「同種間で食物連鎖に良く似た
搾取・被搾取のヒエラルキーを持つ」に至った。前提が極めて特殊だったと言う事になるか?

こうなってくると・・・「自由主義」だろうが「社会幻想」だろうが「前例は無い」。
無論「自由競争が自然の摂理」とも言えなくなって来るか・・・

まう。(要はどちらが群を生かす道なのか、と言う事やが・・・)


【名  前】鯖@Pinpoint Bombing
【タイトル】ちっょち疑問。
  11/28 18:49
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
MEGURUさんの「遺伝情報による生存システムとしての民主主義」
、凄く面白い・・・が、ちょっちぎもん。

ここで問題なのはん・・・生物界における弱肉強食とは「食物連鎖」と
「同種間のテリトリー争い・餌獲得のための生命線維持」の二つが
考えられると思うんですけどね・・・

MEGURUさんの言う「突き詰めた弱肉強食が弱者保護に至る」と言う
のは「牧場」「養殖」「農業」の事ではないかいな?

それを言い出すとあたしの奴も「意味の再定義」を経て整理しないと
いけなくなるんだけど・・・

同種間における「生存競争」と「縄張り争い」に関してその「鴨を維持する為の
弱者保護」の概念が適用できるかどうか・・・

同種の群におけるヒエラルキーは「役割分担」であって「搾取・被搾取」と言う
「食物連鎖に酷似した」関係を同種間に見るのは「人間くらい」じゃないかな?

つまり「経済化・市場化されたことによって「擬似的な共食い」が発生している」と
みることも出来る訳で。

ううむ。要再考。


【名  前】鯖@Pinpoint Bombing
【タイトル】朝の補足
  11/28 10:25
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
下記ほそく。

故に「リアリティを見失うな、そこに安住するな」と言っている訳で・・・

「皆が安心して生活できる社会」が現実に在る訳じゃ無い、結局は競争原理
によって陶汰が行われている事は事実だし、それを直視はしないといけない。

「リスクが無いのは当たり前、それが当然の権利」と錯覚してしまっている
人達が増えたから「自由化だ、構造を改革しなければ」とT.OKAさんは
おっしゃる訳だ。そういう権利を声高に主張する人達によってかえって社会は
歪む、リアリティが失われていくって言うことですよね?

その事自体に異存はありません。

彼等によって本当に何かが必要な人達の声は「届かなくなる」んだし。

しかし・・・「自由化によって均等な機会を与える」のは良いが、
「そこで延び始めた新興勢力への猶予期間」(例えば男女雇用均等法に
合せて、女性の社会進出を容易にする為の保護的政策が必要になってくる、
等。しかし、「それを彼女達が当然と思い始めたらまた問題」)を設定
したり、競争の形式が一極集中することによって「今まで折角温存して来た
価値」が破壊されるのを防止する手段を講じなければならない。

それを「強者のお目こぼし」と考えているようなら話にならない。
優位に立っている連中自身が何れ「それに頼らなければならなくなる」
日が必ず来る、と言う事。

それを維持するには「競争原理至上」「市場万能」では駄目だ、と言う話。
常に「全体のバランスを考える・種や社会を生かすことを考える」のでなければ。

それが「帰属意識・社会性」だというのです。母性的な発想ではありますが。

「保護的政策に甘んじていて良い」と言うのではありません。現実は見ないと
いけない。しかし、「それを肯定して満足し、後は自分の機会を追求する」のでは
なく「その問題点を一つでも解消するために理想を忘れるな」と言う・・・

そんな所。(T.OKAさんは可能性から考える、あたしはリスクから考える・・・
そこの違いじゃねーかな?)

まう。


【名  前】鯖@Pinpoint Bombing
【タイトル】ねむい。
  11/28 02:35
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
夜勤ごくろーさま(笑)>T.OKAさん

こっちもモロミの仕込みが始まったところ。最初の搾りは来月中頃
の予定。まぁ、この不景気で大幅減産って有り様ですがね(苦笑)

(欧米的意味での)「保守」と「リベラル」(笑)

アメリカ型経済、と言ったもののあくまで「極論」すれば、の話。
様々な抑止システムはそりゃ付いてるでしょう・・・

もともともっともプロテスタント的な道徳にうるさい国ですし。
(21にならなきゃ『合法的に』酒が飲めない位だもの。ドライ、
の州なんかにはとてもすめない 笑)

しかし、それでも「ドメスティックで保守的」な人達は東部の
「市場万能主義」を嫌ったりしてる訳ですが・・・

プロテスタント的な価値観をもっとも色濃く残している人達は
日本人以上に「保護貿易」的で「民族主義的」では?
(あたしもカントリー・アンド・ウエスタンは嫌いじゃ無い 笑)
そういう土台が文化的にあるから「維持されている」部分はあるっしょ。
IMF調のグローバル経済を「全てのアメリカ市民が文化的意味合いでも
受け入れているか」と言えばあたしゃ疑問。

(がんまにーなお陰でそういう人達とお話が通じるのねん♪趣味の分野で。
まぁ「日本陸軍(と言った、彼等は 汗)のサービスライフルってどんなの?」
「ドイツのG3に少し似てるよ。古いのは・・・30口径。新式はFNCに近いかな?」
なんて会話ばっか・・・汗 別に人種差別主義者とかじゃ無いですよ?その人達。)

それと「星条旗や国家に対する意識」は日本人には理解し難いほど・・・

まず「前提としての国家意識・共同体意識」がいかにも移民国家らしい
形態で存在している。その上に乗っているから「それが成り立つ」のだと
思いますが。それはあたしら東洋人が真似をしようとして疎の侭適用できる
様なもんじゃない。

だから現在の日本の自由主義者にはその「倫理」となる「共同体への帰属意識」
が見当たらない。「企業」や「役所」の様な機能集団では駄目なんじゃなかろうか。
アメリカ人だってそれを「宗教」や「伝統」と言う形で維持している・・・

歴史がそれに正当性を与えている訳で。

それとも、日本人(や韓国・朝鮮人、漢民族その他エトセトラ)が
「アメリカ人と同じ形の共同体意識・伝統」を持つべきだ、と?

倫理を造っているのは結局そういう部分の様な気がしますが・・・
(言うまでもなく日本人の国粋意識や華人の中華思想と同じく
アメリカ式の伝統・思想にも多大な欠陥がある・・・だから様々な
軋轢が生じる。)

福祉型と夜警型・・・の奴は「競争」と言うより「闘争」でしょう(笑)
あたしは競争は大して興味はないが闘争、は三度の飯より好き(困った奴)
だってやればやるほど「客層」が分離するものに「商戦」の概念は
当てはまりませんもの(笑)

んで、結局「生きることは闘いだ」なわけですな(結局それか)

と言うのは置いといて。

能力があるのに発揮を禁止されているから弱者、と言うのは如何なものか・・・
べつにそれで「食うに困った」訳ではないので。(それを言ったら、例えば
賞金稼ぎみたいな商売を合法化してくれたらあたしみたいなのは趣味と実益を
兼ねて楽しく生きられるかもしれませんが、流石にそれは出来ない。で、仕方なく?
堅気で稼いでいる・・・でも取りあえず不自由は無い、と。故にあたしは「合法的に
持っている技能を金に変える」事を禁じられていても「弱者」だと言う実感は
湧かない 笑)逆に「たかっている不心得者」が居たとしても「福祉が圧迫されれば
ダイレクトに苦しむ人は必ず出る」・・・

一握りの富者を生み出す為に餓死者を出すようなら「社会など何の意味も無い」と
思うんですけどね・・・極論ですが。

それを見殺しにしても自分の幸福が追求したい、と言う人はあたしとしては
あんまり信用したくはないし。欧米では「富者には喜捨する義務がある」と言う
暗黙のルールがありますが・・・それすらも「きちんと機能しているか」?と
言えば・・・「犬に骨を投げる」つもりならそれは別の意味で「精神的なもの」を
搾取していることにもなりそうですしね・・・
(NGO活動の行き詰まりは「骨はなげられても機会は与えられない」事に
馴れてしまった人達の存在が原因であることもしばしば。誇りを奪ってはならない
、違います?)

ルールは「システムを維持する為のもの」。皆が守らなければ意味を失う。
しかし・・・「僅かな人間だけが得をする」システムを「その他大勢」がいつまで
支えるつもりになっているか・・・増長した時にその特権を剥ぎ取ることは
意外と簡単。だから「システムを維持する為には暴力装置と言う無法に
対処する仕掛けが必要」・・・

弱肉強食と大して違わないんじゃ無いですかねぇ・・・
自由化が始まった時はまだ良い・・・しかし、東欧の様に皆直にそれが
「新たなノーメンクラツーラを造っただけ」だったことに気づく。
単にそこにいる顔ぶれが景気の変動に合せて頻繁に変わるだけの話。
大半の人間には「返って悪くなっただけ」。

だれでも「機会」はある。しかしそれ以上にリスクがあり、生き残れる
奴はやっぱり一握り。東部の大都市で相変わらず冬ごとに凍死者が出るのは
何故?「幸せになれるさ。運がありゃ、ね・・・」

どんなものにも裏と表がある。市場は万能なんかじゃないし、福祉はいとも
た易く腐敗する・・・あたしは「皆が飢えない、身体や立場の弱い人が困らない」
方が好きなだけ。自分の厄介な技能を食うことに役立てるつもりもない(笑)

自由化にはメリットはある。しかしそれは決して「正義」でも「歴史の必然」でも
無いって話です。

まう。


【名  前】T.OKA
【タイトル】SOU言えば・・・
  11/28 02:00
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
まるしーSOUさんだったかも?

>T.OKAさんまでつかうようになったのねん、これ
>(Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y)

 子猫で斜め読みしたバルタン笑い。なかなか、かわいいです。
 余りにイメージにぴったりだったので使わせていただきました。

(¥)o\o(¥) (¥)o\o(¥) (¥)o\o(¥) (¥)o\o(¥) (¥)o\o(¥)

 では、何だかちょっと、太り気味ですし・・・
 

★鯖さん
>冷たい方程式、優しい「嘘」・・・

 長大な反論文を書きたい気分になりかけたけど、終電逃しも4日目で気力・体力ともに無し。

>自由化・規制緩和によって「能力のある者・強い力を持つ者」に
>より多大な機会を与え、その力に応じた活躍を許し、利益を得る
>機会を与えることによって「合理的でより優れた社会を形成することが
>出来る」・・・乱暴な言い方ではあるがこれが「自由主義」でありアメリカ
>型経済を支えている理念だと思う。

>この考え方の核になる発想は「自然淘汰によるバランス維持」と言うものに
>極めて近いようにも思うが・・・

 しかし、自然界の自然淘汰にも同種同士の競争では殺し合いにならないような一定のルールが
組み込まれている(例えば、カバの競争は、どちらが大きく口を開けたかによって決まる。)
ように、アメリカ型の競争はルールの遵守を強調します。

>ここでふと思う。その「社会」自体が共同幻想としての「法治主義」や「倫理」
>によって「人間の持つ無制限な欲求」を押さえ、少しずつ皆が譲歩・許容することで

 アメリカ社会は、いわゆる訴訟社会(司法権がかなり強い社会)なので、法治主義的理念
であるレジティマシー(法的正当性)とか、デュープロセス(適正手続)とかを
非常に強調する社会ですし・・・
 プロテスタント的「倫理」観も、かなり、強調されます。
(日本で大した罪ではない独禁法違反やインサイダー取り引きは、米国ではかなり重い罪。
 つまり、チーティングと言われるズルのような行為には厳しい糾弾が待っています。
 服役後、UCLAのビジネス・スクールで教えることができたミルケンなんかは異例。)
 

 という揚げ足取り気味な指摘はともかく・・・

 「アメリカ型競争社会」と「修正資本主義的福祉型国家」の対立も、要は、
アメリカ型が生き易い人と、福祉国家が生き易い人が、自分の生き易さを求めて競争して
いるんだと思うのですが・・・

 言って見れば、今までJリーグがなかった社会(福祉国家)では、サッカーがいくら上手
でも金が稼げなかったという状況があったとして、そこに、無理矢理Jリーグを作って
(競争社会)、サッカーが上手な人が金を稼げるような社会を作ろうとしている感じ?

 つまり、社会のルール作成競争において、福祉国家にたかるのが上手な人達がこれまで
の歴史の中で圧倒的な勝利を収めた結果出来上がったルール=福祉国家型ばらまき行政。
(上の例で言えば、Jリーグがなくて、サッカーが上手でも何の得も無い社会で、
 相対的にサッカー出来ない人に有利だった社会)

を、福祉国家にたかられてる人がひっくり返そうとしているとも見ることができます。
(Jリーグを作って、サッカーが上手だと得な社会)

 とすれば、今までは鯖さんの言う「能力のある者・強い力を持つ者」(サーカー上手
な人)は、いわゆる「弱者」(サッカー出来ない人)によって金を稼ぐことを禁止されて
きたわけで、実は本当は虐げられた弱者だったとも言えるのでは?

 と、かなり端折った説明で終了。

>あとで「過夏応援歌」やるかも。だって・・・

 やれ(命令形!)(笑)

それでは。


【名  前】MEGURU
【タイトル】Q&A4
  11/28 01:37
Mail:
URL:
【メッセージ】
A「ついにと言うか、ようやくと言うか、本職のソムリエの人が来たね。」

B「らしいな。」

A「漫画”ソムリエ”と職業としてのソムリエを混同していたようだけど。」

B「掲示板ではよくあることだ。」

A「ところで今日は何について話すつもり?」

B「徒然なるままに・・・・だ。」
 


 

A「鯖君がおもしろい社会論を展開していたよね。弱肉強食という生態系論理から派生した自由主義と、欲求の無制限な拡大と弱肉強食論理を押さえる社会幻想の対立。君はどう思う。」

B「おもしろいが同調は出来ない。」

A「どのような理由で?」

B「”社会は積み重ねで作った嘘”と鯖氏は主張するが、これは俺の意見とは違う。物理的に存在しないものでも、信じる人間・必要とする人間が存在すればそれはリアリティを持つ。例えば”1”という数字は物理的には存在しない。だが、多くの人間が共通認識として持つことにより、物理的とは違うステージで存在している。」

A「でもそれは共同幻想だろ?もろくて不確かなものじゃないのか?現に社会の崩壊が叫ばれて久しいじゃないか。」

B「本質的に社会は崩壊しない。人間は周囲の環境を大きく認識する際に、世間・社会という言葉を使わざるを得ない。社会の再編成はいつの時代も行われている。スピードが多少早くなっているだけだ。」

A「人間は共同幻想を捨てることは不可能なのかな?」

B「人間が感覚器・脳・神経・意識を共有するはない。個々のそれらに差違が存在する限り、共同幻想という奴ですり合わせをするしかないだろう。それと社会という共同幻想は生態系論理の一形態でもある。」

A「どういうこと?」

B「生態系論理を弱肉強食だけで括るのは勉強不足だ。親密性が攻撃衝動を押さえる作用を持つように、生態系論理の中には弱肉強食を押さえる論理が存在する。」

A「もう少し詳しく。」
 


 

B「強者が存在する条件の1つは弱者がいることだ。搾取する弱者の存在が無くなれば強者もまた滅亡する。生態系では、強者は弱者を全滅させない程度に狩る。」

A「鯖君は”弱肉強食が有るべき姿、と言うことを極論的に突き詰めれば幻想自体が崩壊する”と言っているけど?」

B「弱肉強食のあるべき姿を全体像で突き詰めると、弱者救済という論理が登場する。平等主義・共産主義・倫理というのは、強者が搾取する弱者を長期的に存在させるために開発したシステムという側面を持つ。」

A「ふーーん。そんなものかな?でも強者が意識してそんな論理を導き出したのかな?」

B「意識のステージには昇っていないだろう。遺伝子の中にそういう本能なり習性が含まれているのではないか、と言っているのだ。また強者と言っても万能ではない。計算違いも度々生じているだろう。」

A「例えば?」

B「徳川慶喜。」

A「15代将軍の?」

B「そうだ。歴史的資料をつき合わせた上での推測だが、慶喜は大政奉還した後でも、一定の権力を握る気だっただろう。だが、時代の激流はそれを許さなかった。今は俯瞰した流れを論じている。個々の事例での矛盾はあるだろう。」

A「民主主義も生態系論理に即したシステムなのかな?」

B「俺はそう考えている。生態系論理の解明も、遺伝子にその論理が記録されている証拠も、まだ見つかってはいないが。」

A「他に言うことは?」

B「眠い。」
 
 


【名  前】鯖@Pinpoint Bombing
【タイトル】「土方の闘い」(爆)
  11/28 00:00
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
二等兵氏

こないだ頂いたメールの御返事遅れて申し訳ねぇ(汗)
謹んでお悔やみを・・・気を落とさないで欲しい・・・

施設科のサバイバビリティ?

あたしは「戦闘施設」だから群と違って前線で動くクチやし・・・
まぁ「歩兵の命は10日、工兵の命は三日」(苦笑)
はっきり言うと高くはないね。

敵前の地雷原に夜間一個分隊で這いずり込む訳だから・・・
道路閉塞なんかにしても常に「綱渡り」。ぎりぎりまで
肉薄、引く時は最後尾。敵の前衛部隊が「目視出来る距離」
を非装甲のジープと3トン半でケツまくって後退・・・

大抵は爆薬や地雷を抱えて(笑)ぎりぎりまで引き付けて
時間を稼ぐのがあたしら戦闘工兵の商売。

戦力を極力温存してobj占領しなければならない二等兵氏のとこに
対して「少数だろうと接近を試み、細工を仕掛けて味方部隊の攻撃
を可能にし、あるいは敵を遅滞・撹乱する」事が専門のあたしら
ですもの(笑)各部隊単位で生存性は徹底して追及。しかし、
「土方に安全な戦場は無い」(猛爆)

やばい所に投入されるのは毎度の事・・・普通科さんが「やってくれ」
と言われれば資材と隊力の許す限り。

隠密行動なら普通科さん同様「十八番」♪

そんな所ねん。(危ない所に小隊を出すのは勿論嫌ではあるが。)

・・・要は「運用に関する決定権が乏しい」と言う言い方も出来るが(汗)

まう。


【名  前】二等兵、新まっと発射写真目撃す。
【タイトル】re:(1)冷たい方程式、優しい「嘘」・・・
  11/27 21:03
Mail: VZF10347@niftyserve.or.jp
URL:
【メッセージ】
>鯖氏の言葉、この文はおっけーで、理解した二等兵でやんす。ほえ。

>優しい「嘘」か。、
痛い本音より、痛くない嘘、あなたはずるいひとね(ゆうゆの曲より)を想いだした。こんなふいくしょんでも、ひとひととの「衝突」を回避してきたのだから、たいしたもんだ。


【名  前】SOU@悪趣味
【タイトル】あらあら
  11/27 12:33
Mail: sou-1701@qc4.so-net.ne.jp
URL:
【メッセージ】
T.OKAさんまでつかうようになったのねん、これ
(Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y)
うーむ、次はなに考えよう。
笑う宇宙人笑う宇宙人・・・・
うーむぅ。
思い付かん。

【名  前】鯖@Pinpoint Bombing
【タイトル】徒然
  11/27 12:17
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
憲法解釈は「ダシ」であって本音は違う所にある・・・
「順法性」を盾に取るのは今に始まった事じゃ無い。

結局は九条解釈と同じ「政治問題」・・・純粋に法学的な議論と
別の所で思惑が動いているのは例によって。

「公共の福祉」と言う解釈の余地のある(余地を残す様に造ってある
んだから当然か)語をめぐって、結局は「夜警」か「福祉」か、の
階級闘争じみたドロドロに帰結する訳だ。

だから本音は「階級意識」とかの自意識のあり方に返ってきてしまう・・・
そこからみて「望ましい社会」の姿が違うと言うことに帰結。人間観だ、
要は。人間はそれを「言葉」を武器に自分の方へ引き寄せようと図る。

法廷や政治の場では「法的手続き」によって事が進行すべきだが、
それ以前にその問題の「哲学的本質」が語られることを疎かにスベキでは
無い・・・我々の社会ではそのプロセスがしばしば抜け落ち、「暗黙の了解」
的にされている為「議論が噛合わない」・・・

今に始まった事ではない。抜けているのは「本音の理想」である。
結局は「人間性」か・・・

まう。


【名  前】VIA MEDIA
【タイトル】魔法使いの問はず語り
  11/27 12:00
Mail: slc31551@biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~viamedia/
【メッセージ】
 「『私学』助成」は「憲法違反」

 まず、私学助成の件だが、個々の裁判の判例が憲法そのものの規定に影響を及ぼ
す訳ではないのは言うまでもない事であって、「『この』私学助成は違憲ではない」
と言う判決をそのまま「私学助成『そのもの』が違憲でない」と言う結論にすりか
える事は出来ないのは当然である(この論法が全てに有効ならば、『自治体が地鎮
祭や慰霊祭に金を出すのは違憲か合憲か』の問題は、しばしば「違憲」と「合憲」
が入れ替わる事になるがそんな馬鹿な事はない)。

 ここで間違えてはいけないのだが、私は別に「私学助成は違憲だからやめろ」と
言っているのではない。「自衛隊は違憲だから即刻廃止せよ」と言う論法が暴論で
あるのと同じく、「憲法そのものに問題がある」と言う事を言っている訳だ(だか
ら前回の発言でも「『憲法違反』の私学助成」と言うように鈎括弧を付けて書いて
いる)。

 幾ら「屁理屈」をこねて「私学助成は憲法違反ではない」と言っても、それは、
「自衛隊は憲法違反ではない」、「地鎮祭に公費を出すのは宗教行為ではない」と
言っているのと同じで、「解釈によって成文法を骨抜きにする」、と言う、「日本
だけの法律運用」に過ぎない。ストレートに読めば、「私学助成は憲法違反である」
と言うのはどんな法律学者でも認めざるを得ない事である。事実、このままの状態
では「私学助成は憲法違反」になってしまうからこそ、「私立学校と言えども公的
な性質を持つ」と言う「後付けの屁理屈」を持って来なければならないのであって、
もし私学助成が憲法違反でないのなら、「私立学校は公的な性質を持つ」等とホザ
く必要はない筈だ。

 さて、ここで翻って考えてみよう。私が最初にこぼした愚痴は、とどのつまり、

  「私学と言えども天下のワセダであろう。それが落ち目のアイドルを『裏口入
   学』させてまで商売をせねばならんとは、いやはやなんとも、『堕落』した
   ものだな」

と言う事である。それに対して、

  「私学なんだからスポーツ入学があっても芸能入学があってもいいじゃないか」

と言う反論があったと推定される。確かにそれは一理ある。早稲田が「純然たる私
立学校であり、公的性質は全く持たない」のなら全くその通りで何も言う事等ない
訳だ。

 しかし、ここでもし「私立学校といえども公的性質を持つ」と言うのなら、

 「ほんなら、せめて入試ぐらいは公正にやれや。人気取りのために裏口入学を使
  うなんぞ、情けないで」

と言う「皮肉」が成立してしまうのだが(絨毯爆撃苦笑)。
 

 「(絨毯爆撃笑)」

 私にとって「(絨毯爆撃笑)」は命とも言えるほどの大切なものである。これな
くしてVIA MEDIA は存在出来ない。「レゾンデートル」、と言えるほどのものなの
だ(絨毯爆撃笑)。

 で、あるからして、「(絨毯爆撃笑)」に対する侵犯行為には断固たる決意を以
て反撃を行うのである(絨毯爆撃笑)。他の全ての執筆活動を投げ打ち、寝食を忘
れて反撃する。

 これをなすものは「(絨毯爆撃笑)」の神への信仰に他ならない。自分の全てを
「(絨毯爆撃笑)」に集約する行為はそのまま同時に「(絨毯爆撃笑)」の神に対
する帰依なのだ(絨毯爆撃笑)。
 

 「便所の落書」

 私の文章は全て取るに足らない「便所の落書」である。で、あるからして、金を
取らずにタダで公表している。世の中にはゴミそのものの文章を高い代金で売り付
ける「同人商売人」もいるようだが、私にはとてもとても(絨毯爆撃苦笑)。


【名  前】鯖@Pinpoint Bombing
【タイトル】LIC対処には有効ではない事が立証済み。
  11/27 11:27
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
ということだす。>王子

以前やったランチェスター第二法則的な戦術ではあるが、
如何せんアナクロ。大体未だに戦略爆撃機が保有されている
のはそのフレキシビリティに有効性が見出されている・・・

すなわち「弾道弾・巡航ミサイルは引っ返さない、中止が利かない」
という事。寸前まで「交渉の余地を残す」為のもの。

だから「限定攻撃」・・・より融通の利くプラットフォームとして
未だ残されている訳だ・・・

態々人間を前線に出して地域一帯を焼け野原にするアナクロ戦術は
今時流行らない。湾岸でやったのは「在庫処理」に近い。

リデル・ハート流の「決戦回避」がもっとも優れた戦略であると
言うのが定説として定着しつつあるから。出血が多すぎるんですよ。

つーこと。素人芸やな・・・

めーるの御返事は野地歩鈍♪

T.OKAさん

あとで「過夏応援歌」やるかも。だって・・・

只のお涙頂戴なんかじゃないんだよぅ(しくしく)あれは・・・
(燃えるなもえるな)

はむ。


【名  前】T.OKA
【タイトル】(Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y) (Y)o\o(Y)
  11/27 11:06
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
 ぶぉっふぉっふぉっふぉっふぉっふぉぉぉぉぉ〜〜

 「絨毯爆撃笑」ってこんな感じでしょうか?  何か、かわいいいんですが(笑)・・・

★のりさんへ
> 私学助成は憲法九条同様いろいろと意見が分かれるところだが、九条問題が政治問題に棚上げされ
>ているのに対し私学助成は「違憲ではない」と言う判例が既に出ている。

 憲法問題の基本とは言え、法学部出身の人がすぐには思いつかないようなことをよく・・・
 前にも思いましたが、理系なのに法学部出身者より法学部的ですな。

★ご芳名ださんへ
> どうも、TV「ソムリエ」でソムリエってキザな職業という印象が強まってきているのが現状なので、
>ちょっと一言言いたかったのです。
>気分を害されたのなら謝ります。

 いえいえ、その必要はありません。
 こちらこそ、漫画「ソムリエ」について話をしているのか、現実に働いているソムリエ一般に
ついて話をしているのか、不明確だったのが悪かったようですし・・・
 むしろ、気分を害されたのはご芳名さんの方ではないかと思ってのあの書き方がでした。

> 週平均2本のペースですか、日本ではそのペースが妥当な線だと思います。
>私が修業時代の時は、一日に最低2種類のワインを飲んでました。一人ではなく、同僚の方とですけど。
> ワインだけ飲んでると、いくら好きでもさすがに苦になるので、チーズ等と一緒に飲むことをお勧めします。
>そのチーズも、良いミルクで作られたものでないと、ワインが悲しんでしまうので、選ぶのも大変ですけど。

 ワインを飲むときは、ディナーのお供かおつまみを用意していますので大丈夫。
 家で飲むときは、フランスパンに、青かび、ウォッシュ、白かびなど取り揃えて飲みます。
 今朝、冷蔵庫を見たら、ロックフォール・パピオン、スティルトン、ピエ・ダングロワ、
ルークトン、シャンベルタン、パルメジャーノ・レジャーノの他2・3種類不明なものが
入っていたので、週末のどちらかはこれでワインとなりそうです。
 付け出しは、ラタトィユも良いのですが、同じ野菜ならオーブン焼きにしてバルサミコとか
も行けるし、ブルーチーズ入りのシーザーサラダもどきも良いかも?
 などと、今から楽しみにしています。(例によって作るのは妻、私はお手伝い。)

 ところで、ワインの話。ちょくちょく書き込んでいただけると嬉しいです。

それでは。