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(ろぐ186)


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ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】Thrk
【タイトル】RE:引く前に、けびんさんとの約束を。
  07/18 03:45
Mail: thrk@mte.biglobe.ne.jp
URL: http://www2s.biglobe.ne.jp/~Thrk/
【メッセージ】
砂漠谷 麗馬 さん、こんにちは。

>(ちなみに、thrkさんには悪いがあたしはあの綾波は余りに「人形」
>であると思う。故にあんまり良い感じでは無い 笑>しのぱさんすいません。
>人外ならば人外の「理屈」があり、それは人間の都合とは無関係・・・の方が
>実は気持ち良い。あれだと「人間サイドの身勝手な都合の投影」・・・最後まで
>「人間の道具」になっている。神の目の前に「人間」は大して特別な存在
>などでは無いのだろう、とね 笑)

あれ、Thrk、そんなこと書きこみましたっけ???
書きこみの元ファイルを眺めたんですけど、「ある神話」のレイに言及したもの
は、なかったので、多分、他の人の書きこみだと思います。
多分、以前、Thrkが、良識を持った人外の存在としてのレイが好きと書き込んだ
ことから、つながったんだと思いますけど。

それで、「ある神話」のレイについてですけど、砂漠谷 さんの意見が、完璧なの
で、なかなか付け足すところがありません(苦笑)

そうですね。まず、「ある神話」には、レイが動く理由がないと思います。シンジ
がレイのことを思い続けているわけでもないですし。
まあ、人として扱ってくれたシンジに、ちょっとした恩返しをした、という見方は
なきにしもあらずかもしれませんけど、シンジのレイに対する拒絶で帳消しのよう
な気もします。
ただ、Thrkは、LASな人の書くお話に出てくるレイについては、あまり期待しない
ようにしています。なにしろ、特に理由もなく殺されたりしますから。そういうお
話に比べれば、それなりに本編準拠(苦笑)な扱いなので、いい方のような気がし
ます。
まあ、LASな人も、レイな人(例えば、Thrk)の書くお話のアスカには期待してい
ないと思うので、お互い様かと(苦笑)
 

関係ないですけど、けびん さんの論述には、現在、メールでレスしています。
それを、ここに書きこむかどうかは定かではありませんけど。


【名  前】
【タイトル】シンジ至上主義とLAS
  07/18 01:43
Mail:
URL:
【メッセージ】
 言われるまで気づかなかった。
 確かにシンジの事を悪く言う奴あ許さねえ!と言っている方々の好む
組み合わせはLASに限っているように思われる。
 なんでなんだろう?

唐突に第2回「こんな真・女神転生は嫌だ」
ガイナックス製
・シナリオとシステムと操作性の全てに重大な問題あり。
・留め絵盛だくさんのムービー
・最期は「おめでとう」か「気持ち悪い」の二者択一
・リリスの会話パターンが「妖艶」から「無機質」に変更

最後のはチョッチ良いかも・・・。


【名  前】関 犬輔
【タイトル】遅レス。
  07/18 00:12
Mail: aag22190@pop02.odn.ne.jp
URL:
【メッセージ】

>せつこさん

>私はアスカファンではありませんが、某氏の扱いが蔑ろにされていると「嫌だなあ」と思います。
>(でも、蔑ろにされていない、と思った数少ない例外が「○○ド○○○○ン・○ンド○」だからなあ・・・)

サー○チルドレ○・ゲ○○ウは自分も好きでした。
あれもう更新しないのかなー・・・。

>ちなみに、「I burn for you」はあまり好きではありませんでした。何だか、誰も救われていない気がして。

私から見ると、シンジは一生を懸けて探し求めていた綾波(あるいは死に場所?)を探し出したことで救われているし(多分コレが彼の人生で最大かつ最後の目的だったのでしょう)、綾波は愛しの碇君と再び出会うことが出来て救われているし(勝手な想像ですがアーなった綾波には多分時間も空間もあんまり関係なくなっちゃってて、これからは死後の世界やら因果の彼方やらで二人で永遠に仕合わせに暮らすんでしょう・・・以上個人的妄想(笑))
まあアスカさんは救われてないかも知れないけどケンスケは恐らく自分の見た物を受け入れられたんだと思います故。
何より「全てを捨てて世界中を放浪・転戦しながらこの世の(?)どこかにいる綾波レイを探し続けるシンジ君」というのが個人的に凄いツボな物でして。
ただ一人愛する君の為に生き、この世を流離い続ける放浪者ですよ。目茶目茶格好いいじゃないですか!

>MEGURUさん

>分化基準というのは誰でも持っている。何もないように見えてもあることはあるのだ。
>基準は絶えず修正を受ける。教育や経験によって培われていく。
>分化を司る基準は1つではない。人間関係に関することでも、友人・親・恋人・上司などでは
>分化基準が微妙にずれている。
>同じ人間でも、いつもと異なる時&場所で会えば、違う基準によって分化していることはよくある。

この分化基準というのは物事を判断する基準、と解釈していいんですよね。大ざっぱかな・・・。

>けびん氏と関氏に心因性鬱病の気配を見たのは、物事に真摯に当たろうとしているにも関わらず、
>確固たる分化基準がよく見えないからだ。少なくとも俺にとっては。

うーん・・・分化基準がよく見えない、と言われてもたしかに書き込んでいる自分ですら何が言いたいのかよくわからない書き込みが多いですから。

>確固たる分化基準がないからと言って、鬱病になるわけではない。俺が思うに、両氏は生真面目だ。
>対象物を真剣に捉えようとしている姿勢には好感が持てる。が、確固たる分化基準という
>ワンクッションがないために、まともに外的刺激を受けすぎている。
>同じ物でも、他人より余計に刺激を受けているために、反発力も大きくなる。

は、反論できない・・・外的刺激に対して感情的な対応(自己防衛)で返す、という点であれば自分はまさしくMEGURUさんの言う「確固たる分化基準がない」種類の人間ということになるでしょう。
なんせ自分の中では「LAS=怒り憎悪呪詛脳髄掻き毟って憤死」という等式が成立してしまってますので。
LASを読むことどころかLASという文字さえダイレクトに負の感情に直結してしまう自分は本当に正気なのだろうか、と夜も眠れず悩んだ日はありませんがそれでも気にはなっていました。
ただ、LAS作者の方や彼らなりのLASに至る都合だとかについてはそれほど感情的になることもなく(正確には感情に流されることなく、です。彼らにも自分と同じように彼らなりの都合があってそれぞれの道を歩んでいるのですから自分がそれを感情を根拠に非難する謂われは無いはずです)判断しているつもりなのですが・・・。

しかし・・・まあMEGURUさんの言を見る限り自分は狂っている訳ではなくただのクソマジメらしいので(まあ実際に医者に通えばまたどう言われるか知らんが)その点では一安心・・・していいのか?
最後に、丁寧なレスをどうも有り難うございました。

>けびんさん

前々から一度聞いてみたかったのですが、シンジ至上主義者の方というのは何を持ってシンジを至上の物としているのでしょうか?
自分はいくら考えてもあのクソガキ(失礼)にそれほどいい所があるとは思えないと言うか、そりゃいい面もあるだろうけどそれはあくまで凡人の範囲内であって取り立てて言うほどの「何か」が本編及び映画での彼の行動にあったとは思えないので。
そういや嘗てこの掲示板の常連であったcrazy diamondさんもシンジ至上主義者とLAS人を兼ねてましたが、この二つというのはなにか共通項というか相容れる物があるのでしょうか?
たわいのない疑問ですが、お暇がありましたらお答えいただけると嬉しいです。まあ、同じクソマジメのよしみということで一つ(爆)

・・・しかし、考えれば考えるほどあのタコガキシンジにレイちゃんの重荷の一片さえ背負えるとは到底思えない・・・(故にアヤナミストは結構シンジへの思い入れが薄いのかも知れない・・・少なくとも自分の知る限りアヤナミストとシンジ至上主義者を兼ねている人はいない)まあ、奴は「これからの男」という事で手を打ってもいいんだけど。
レイちゃんの思いに答えられないor答える能力が無いままのダメシンジ君なんぞガソリン風呂→点火の火炎コンボで一思いに焼却してやった方が世のため人のため奴のためだと思うぞなもし。
それこそ「I burn for you」みたいに綾波にもう一度会うためだけに己の人生を懸けて世界中を探索して回る様な根性と意志力とラブがなければ。

最後に、
>鯖さん

一日も早い新作の完成と復活、お待ちしてます。


【名  前】砂漠谷 麗馬
【タイトル】最後に追記。
  07/17 21:05
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
同じ墓に葬られるまで突っ走って死んだ、ボニーとクライド。

「俺達に明日はない」ね。しかし・・・同じ墓には入らなかった
んですよ。ボニーの母親にとってクライドは、単に「娘を奪い、
悪の道にそそのかしたロクデナシ」だったから。

死後、皆にいたまれる・・・と言うのは結局「彼らだけの幻想」だった。
まあ「生きている間」の話だって同じだろうけど。皆、自分が生きる
事で精一杯。

まあ、フォードV8ごと蜂の巣になってあの世へいった彼らには
関係の無い事なのかもしれませんが・・・


【名  前】砂漠谷 麗馬
【タイトル】引く前に、けびんさんとの約束を。
  07/17 20:06
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
けびんさん、しのぱさん

完全撤収の前に、矢張り「ある神話」の感想については
書かせて頂こうかと思います。

実は「感想を書く為に訪れる」までは、全くしのぱさんの書かれた
ものを拝見してはいなかったのですが・・・(すみません)

率直に(失礼の段ご容赦)

拝見させて頂いたのは本編「ある神話」全8話と続編「虹」、
そして外伝の「雨」「漂沙」です。もう一つの「続編」に
関しては、「求めておられる感想については、私が触れても
あまり意味はないだろう」と概略のみ読むに留めております。

本編の印象は「綺麗」及び「そういう人生も好き好きさ・・・」
という辺りでしょうか。清潔で、風の無い世界。揺るぎ、ノイズ
に溢れている筈の「戦後復興」はきっと、「硝子の向う」・・・
彼は「汚れ無き少年」の侭死を迎える事を選んだ、それだけの事・・・

そんな気もします。私には向きませんが。

只・・・「彼は何一つ、実は変わっていないし変わろうともしていなかった」
と言う気はしますね。しのぱさんが「大人になる為に棄却していくもの」
といわれた何かを維持する、と言うイメージでしょうか?

只、私はその「何か」は棄却されるのでは無く、単に「要素が加わる」
事に拠って変化する、のだと思っていますが。(故に、無知ゆえの無垢
が美徳とは思っていない。)

確かに「人形」かもしれませんね。あれは・・・

意志の元に生きるのは好きです。しかし・・・その意志って結局
なんだったんだろう?と言う気はする・・・

(ちなみに、thrkさんには悪いがあたしはあの綾波は余りに「人形」
であると思う。故にあんまり良い感じでは無い 笑>しのぱさんすいません。
人外ならば人外の「理屈」があり、それは人間の都合とは無関係・・・の方が
実は気持ち良い。あれだと「人間サイドの身勝手な都合の投影」・・・最後まで
「人間の道具」になっている。神の目の前に「人間」は大して特別な存在
などでは無いのだろう、とね 笑)

まぁ、後「そんなに弱気じゃ政治家は勤まらないぜ?アスカ君」てな
所かしら。「後十億位ぶっ殺す!」てな意気込みは欲しいね(笑)
エネルギー不足。彼女はシンジと違って結局「汚れる事を厭うては
進めない世界」に生きる事を選んだのだから・・・かく生きて欲しい。

そーんな男さっさと見限ってしまいなさい(笑)と言う気はするな。

品の良いじいさまなんだけどね・・・しかし、結局「変わっちゃいない」
と言う気はする。

けど、「二人の補完」のシンジも「本質的に一緒」な気はするんだが・・・
(本編の生臭い餓鬼の方が好感が持てるかもね 笑 根性無しのだめだめ君
でも)

清潔なのはまあ、良いとして・・・「体温が全く感じられない」のかも。
温和で朴念仁でも・・・「体温とか温もりが伝わってくるようなキャラクター」
だととても好きなんだが。

残念ながらしのぱさんも、けびんさんも何故か・・・「キャラに体温と匂いが
感じられない」のね。それが惜しい・・・

良かったのは「虹」。問題点は前者と同様ながら・・・リビドーと死刑囚達の
哀れな業が「ぞくぞく」っと心地よい。<人でなし鯖

そーゆー「下卑たぞくぞく」が「何かこの連中いとおしい、少し」と言う
気にさせる(笑)まぁこれは「さでぃすとのたわごと」(笑)でも・・・

人間はそーゆーもんを糧に生きている・・・んじゃないか、と言う気もしますな。
矢張り折角の「官能」が今一つ・・・「料理」に繋がらないのは残念。

結局、「人生」ってその向こう側・・・って感じがね。

こんなつまらない感想ですが・・・某かの御役に立てば。

では。

REIMA SABAKUTANI


【名  前】ファーストアヤナミスト
【タイトル】星の海
  07/17 20:02
Mail: CZN01522@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
というエヴァSSがある。
古き良きSFという趣の作品で、レイがまるっきり出ていないがかなり
のお気に入り。
一応EOE後の話で、レイは消滅、ミサトやリツコは死んだままアスカ
とシンジはそれぞれ別の相手と結婚してそれなりに幸せになっとります。(シンジは楽器職人でアスカは物理学者)
で、アスカのチームの研究が元でワープ機関が開発され、2048年宇宙へ
進出していくという、エヴァSS界ではチト異色。
しか〜い、丁寧で読みやすい文章と綿密な世界設定が実に読ませるので
あ〜る。FFだとお約束に流れるか、何時の時代のどことも知れぬ曖昧
な場所になりがちなのですが、良いですわ。
場所はここ。
http://member.nifty.ne.jp/5inkyo3/index.htm

【名  前】一握の灰
【タイトル】祇園・・・疲労・・・金欠
  07/17 13:53
Mail:
URL:
【メッセージ】
しかし、私はつくずく外来語というものが苦手らしい。私が前回の書き込みで使用したカルトという言葉。広辞苑第四版には収録されていなかったので、知恵蔵98で調べてみた。

カルト
カルチュアを意味する言葉の核。人類学者、宗教学者によって何らかの崇拝の対象を取り巻く、組織化された信仰と儀礼のセットという意味で用いられてきたが、転じて救世主を名乗る教祖を頂いた熱狂的信者の新興宗教集団を指すようになる。

となっていた。ということは厳密にいえば、ジャンルとしてのカルトなどというのは、あまり正しい使い方ではなかった。ごく普段の会話で使うぶんにはいいが、総合のような議論がおこなわれるような所では、ちゃんと語意を理解して使わなければと、反省。

ついでにエンターテイメントは
大衆文学と同意。しかし、かつて「大衆文学」と呼ばれた作品群に比べ、近年の同種の作品が旧日本的な重苦しさ、律儀さ、物々しさを脱却し、より軽快ないし軽薄な、浮遊してどこにもとどまらないかのような感覚を特徴としているのに、この英語の響きが程良く相応していると感じられるだろう。

となっていた。この文面どうりなら、「新世紀エヴァンゲリオン」は少なくともジャンルとしてはエンターテイメントには該当しないらしい。

そういえば以前にけんけんZさんが「ポルノ」という言葉についても議論を展開なさっていたと記憶している。この際、いろいろと調べてみるのも面白いかも知れない。(時間の余裕があればの話だが・・・)

文章というものは、読む人がいて初めて意味を持ちます。本人にしか理解できない文章は意味がありません。だから、字は丁寧に、そしてなるべく分かりやすく書きましょう。

誰しも小学生の頃、このように先生から教わるものだが、なかには難解な文章ほど権威あるものと盲信している人間がいる。

一般にはあまり浸透していない外来語を使用したり、旧仮名遣いを多用してみたり。文学としてはそういった言葉を使用する意味もあるだろうが、そうでないものにまでそういった言葉を使用するのは、あまりに無意味だ。

というものの私の文章は文法段階で間違いだらけだからあまり説得力もないか(笑)

BLEADさんへ
発言はしていないと記憶しているけれど、曖昧です。何故なら、私が以前していたような出来るだけ宗教的要素を排除した考察などは、多分に某監督の作品を参考にしながらしたものですから、発言はしてないものの心情は同じ様なものだったと思いますし。

>キャラクターに人権はあるのか
なぜか白熱した議論。おそらく人権という言葉があまり適切な表現ではなかったのだろう。しかし、傍観しているぶんには、愉しめる内容だった。
 ただ、少し気になったのは砂漠谷さんの議論の持っていきよう。ああいった発言はなにも特定のジャンルでなされているわけではなく、ほぼどのようなジャンルでもなされている。にもかかわらず、それをあくまで特定のジャンルと位置づけて、以前おこなったのと同じ様な議論を展開していく姿勢にある種、病理的なものを感じた。
その後にこれらの議論が何ら実りのないものだと自己完結しているところは、かなり笑えたが。

そういえば以前、作家の話題になったが、どうせなら田中芳樹よりもS・シェルダンの作品の感想などは見てみたい。


【名  前】ファーストアヤナミスト
【タイトル】ペルソナ〜
  07/17 01:29
Mail: CZN01522@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
 パンツ番長が何か良い。ペルソナはペルソナであって、女神転生とは
関係無いという意見がわりと一般的らしい。確かに脇役がかつて主役を
はった物語にでてきた脇役が真・女神転生の主役に似た人物とあったら
しいという事だけで世界観まで一つとするのは無理があるかもしれない。
 

 というわけで「扉を開けて」を読んでみた。やっぱり理解不能。とり
あえず、しのぱ氏は「有能な者」と「無能な者」の病んでる愛が好みで
あるらしい事だけは分かった。(違ってても怒らないように)


【名  前】BLEAD
【タイトル】課長王子は…意外と面白かった、っていうかOPが良かった。
  07/17 00:15
Mail: blead@ky.xaxon.ne.jp
URL: http://www.ky.xaxon.ne.jp/~blead/
【メッセージ】
 鯖さんが総合での活動を一時中断して執筆に専念するとのこと…
 「WILD DOG」を楽しみにまっとります。

 それと、甚だおまけ的だが…

>こう考えてみてはどうか?重度のキャラ萌えをしている人間におけるキャラクター
>の意味・・・この場合、各読者乃至作者にとってそれは無論「実在の他人」では
>ないが「単なるフィクション」で片づける訳には既にいかなくなっているもの・・・

>ユング派においてアーキタイプと呼ばれる「自分自身の心の一部」。
>それと既に「結びついてしまっている」(未だ未処理ながら)と。

 鯖さんにおける「綾波レイ」を…ずれているが参考にしてみては?
 そうすれば整理はつくのではと…
 

横槍を…

けびんさん
>エヴァが消滅しチルドレンで無くなったシンジはどこにでもいる極めて普通の少年に
>過ぎない。(シンジ至上主義者としては大変不本意な評価ではあるが。(苦笑))

 逆に言うなれば、だからこそ「新世紀エヴァンゲリオン」というものの主人公に相応しいキ
ャラなのではないでしょうか?
 思い入れの対象として。

では


【名  前】MEGURU
【タイトル】分化論
  07/16 13:48
Mail:
URL:
【メッセージ】
以前、「子供と大人は、本質的に精神的な差はない」と言った。このときの子供とは、中学生くらいを想定していたのでやや言葉足らずだったような気がする。
赤ん坊と30歳が同じなわけはない。
子供を極限まで突き詰めと卵子まで行き着くであろう。受精卵が親の細胞から分化したところから子供になる。
精神的に分化が始まる、又はできるのはいつ頃からか?
この時期が子供と大人を精神的に分けるラインになりうる。

個人差はあるが、判断に関する脳がおおよそ完成する7−9歳が境界線になるだろう。
大まかに言うと判断とは、外的情報を分類することである。分類するにはそれに応じた機関が必要であり、それが整うのがこの時期に当たる。
分化を行うためには基準がいる。外的刺激が、笑う・悲しむ・怒る・喜ぶといった情動と、極めて直接的に結びつくというのは分化基準がない証拠である。

分化基準というのは誰でも持っている。何もないように見えてもあることはあるのだ。
基準は絶えず修正を受ける。教育や経験によって培われていく。
分化を司る基準は1つではない。人間関係に関することでも、友人・親・恋人・上司などでは分化基準が微妙にずれている。
同じ人間でも、いつもと異なる時&場所で会えば、違う基準によって分化していることはよくある。

度々、俺が”規範”と呼んでいるのは、ある種の闘争を伴う経験によって獲得された分化基準と言い換えても良い。
分化基準を持たない人間(精神的大人)は存在しない。だが、分化基準は人によって強度も精度もバラバラだ。
”規範”的分化基準を持たない人間は、環境に左右されやすい。
前にも書いたが、鯖氏が嫌悪する「制度に従属する者」というのは、分化基準を獲得する努力を怠り、一方的に外部に委ねている人間とも言える。

当たり前のことだが、個人の分化基準というのは完璧であるはずがない。
が、人間は自らの分化基準によってしか物事を判断できない。ごく少数の天才以外の人間は、相対化によってしか価値判断ができない。よって他人の分化基準と突き合わせ、修正を行いながら精度と強度を高めていく他にない。
生物学的な分化は、一度分化が生じると後戻りが効かないが、精神的分化基準はいくらかの修正は可能である。

また、自分の分化基準が通用しない領域を認識をしておくことも必要になる。
「PERSONA」のリツコのセリフにあるように、「一貫性を極限まで追求していくと、最終的に一貫性が成り立たないパラドクスが存在する」ということに近い。

最初に分化について触れたが、人間の精神は同時に逆方向のことも行う。
基準によって分化させた諸要素を、もう一度組み立てるという作業だ。分化したままバラバラにしておくと、自己同一性の確保が難しくなる。
ほとんど無意識的な自己防衛作用である。
分化基準はいくつか存在すると言ったが、互いの基準があまりに統一性を欠くと、再構成に支障を来す。

分化に関することを具体的に適用してみる。
例えば、精神的な病を抱える人間というのは、そのほとんどが分化基準があやふやだ。
ちなみに、連続殺人犯や猟奇犯罪者などは分化基準があいまいというより、他人と大きく異なっていると言う方が正確であろう。
精神的分化基準は修正可能と前述したが、こういった人間達を変えるには多大なる労力と時間がかかる。可能性も低い。

確固たる分化基準がない人間は、物事をうまく対象化できない。自分がどういう根拠によっているのかが分からないのだから当たり前だ。
対象化の段階でうまくいっていないのだから、対象物との関係性の確保が難しくなる。
無秩序に分化されたファクターを再構成するのは大変な作業だ。ほとんどの場合、まともに組上がらない。
人間は自分の基準でしか物事を認識できない。知覚できる世界とは、自らの分化基準によって認識し、再構成することによって全体像を与えられた世界だ。
分化する段階で無秩序化が起これば、再構成もまた無秩序になる。

確固たる分化基準と言ったが、これはなるたけ感情的要素を廃したことであるのが望ましい。
感情というのは一種の自己防衛機能だが、その日の体調や精神状態に左右されやすい。
感情的要素で分化を行うと、自己防衛にプライオリティが置かれやすい。分化が一定しない。再構成もその時々で異なる。
主にビジネスをする上でだが、俺はそういう人間は当てにしないことにしている。状況次第でコロコロと態度が変わるからだ。
 


 

けびん氏と関氏に心因性鬱病の気配を見たのは、物事に真摯に当たろうとしているにも関わらず、確固たる分化基準がよく見えないからだ。少なくとも俺にとっては。
例えば、けびん氏との領域論争の際、「あなたは他人の領域にズカズカ踏み込んでいるように見える。そんなあなたに言われる筋合いはない」というような返し方をされた。
また、「ある神話」に対する論評レスを見ても、精神的自己防衛機能を優先させているように見える。

確固たる分化基準がないからと言って、鬱病になるわけではない。俺が思うに、両氏は生真面目だ。
対象物を真剣に捉えようとしている姿勢には好感が持てる。が、確固たる分化基準というワンクッションがないために、まともに外的刺激を受けすぎている。
同じ物でも、他人より余計に刺激を受けているために、反発力も大きくなる。

物事をうまく対象化できないこと、外部との関係性に破綻がみられること、それらは受信側だけでなく、発信側にも責任がある。
真面目すぎるとそれらのことを全て自分のせいにする可能性がある。
結果、自己に引き困りがちになり、鬱病などを発症しやすい。

以上が俺なりの分析だが、とくに関氏に関しては判断材料となりうる書き込みが不足しているので思い違いかもしれない。
けびん氏に関しても実際にカウンセリングを行ったりする機会があれば、違う結果がでるのかもしれない。


【名  前】けびん
【タイトル】第三回「ある神話について(後編)」
  07/16 09:42
Mail: itirokai@gol.com
URL:
【メッセージ】
後編では再び「続編」から「本編」へ戻って話しを締めくくることにします。

上で書いた通り、僕にとって「続編」の展開は“イタイ”けど“最高”でした。
勿論、上記である程度証明した通り、破綻・矛盾点は探せばいくらでも出てくるのですが、
“人間の作るモノに完璧なモノなどありえない“という観点から見れば、十分許容範囲
内であり、もし「続編」の展開はそのままで、「本編」が、シンジがアスカに勇気を
出して会いにいって告白して、アスカはシンジを受け入れ、そして二人は結ばれた…と
いう筋の話しだったら、
「EOE後のシンジとアスカは本当に辛いことはあったけど、最後に長い苦労は報われて
二人は幸せになったんだな。」(本当に甘ちゃんだな、僕は…。)
と満足し切って、自分の中のエヴァはとっくに終わっていたものと思います。

けど、現実として「本編」で突き付けられたエンディングは「二人は一生巡り合えない
まま死亡した。」という“現実”です。
なぜ、そうなったのか?
自分なりに、二人が“会いにいかない理由”について、考えてみたいと思います。
(作者から見れば極めて見当違いな「考察」をしているのは鼻から承知ですが、
僕は僕個人の主観に基づいて最後まで論述を書き上げるつもりです。)

まず、シンジ側の事情についての自分なりの考察…。
これは単純に、アスカに対する恐怖心からだと推測。
シンジは「アスカにもう一度逢いたい」という“想い“だけをたった一つの支えに
して、常に“死”と隣り合わせの本物の修羅場の中で、心を壊さずに生き続けて
きました。
この時から「アスカに逢うこと」は“彼の人生のたった一つの目的”(ライフワーク)
そのものに変化していたわけです。
(それを責めることは出来ないでしょう。そうしなければ、彼は間違いなく“壊れて”
いたわけですから。)
つまり、「アスカに拒絶されること」は、まさに「ある神話」のシンジにとっては“死”
と完全に同義語であり、彼の存在するアイデンティティの消失でもあるわけです。
で、アスカがシンジの事情について知ることが出来た程には、シンジはアスカの
事情については、分からなかった。
「いつか君に相応しい男性になってみせる。」
刑務所で、あらゆる成長のポテンシャルを奪われたシンジに、この言葉を呟くことは
永遠に適いません。
シンジにとっては、完全に一発勝負であり、今現在の自分をアスカが受け入れてくれない
のなら、今後も絶対に受け入れてくれる可能性は無いわけです。
で、自分は女を食わせることも出来ない、ボロボロに汚された社会不適応者であり、
相手は世界政府総裁という世界一の権力者。
(自然界の法則に従えば、“雌”を娶る“雄”として完全に失格ですね。)
刑務所でイェルクを相手に、「あなたは、自分の愛を、分相応の愛に限定出来るのですか?」
と言い切ったシンジがそういう、自分と相手の社会的な立場に負い目を感じたかどうかは
分かりませんが、アスカに拒絶されることにまったく恐怖を感じていなかった…と言えば
絶対に嘘になるでしょう。
ようするに、シンジはアスカが100%自分を受け入れてくれるだけの自信がなかった
ので、アスカに拒絶される可能性に脅えて、“僕はアスカに逢いたい。だから公園で
待っている”というメッセージを残して、完全にアスカに下駄を預けてしまったわけです。
アスカを待ち続けている限りは、決して拒絶されて自分が傷つくことはないわけなので、
残念ながら自分個人の卑小な殻の中に再び閉じこもってしまったと言わざるえない。
だから、僕個人の推測では、もしシンジがヒカリなりから、アスカの事情(アスカは
未だにシンジを愛している。アスカはシンジに負い目を感じているので会いにいけない、等)
を知ることが出来たら、つまり「アスカは100%自分を受け入れてくれる」という確信
をシンジが持つことが出来たなら、シンジは絶対にアスカに逢いにいっていたと思います。

その考えを裏付ける論拠として、
本編で、シンジが臨終の手前で、アスカの手紙を読んでアスカの真意をはじめて知った時、
>どうして、無理をしてでも、すがってでも会いに行かなかったのか。
>結局逃げていただけなのか。
>全ては遅すぎた。全力で生きた、そう思っていたのに、その全てがもう間に合わない。
アスカの真意を知って、はじめて自分の人生の行動を後悔したところに顕著に現れてい
たと思います。

ようするにシンジ側の結論としては、シンジは「アスカに拒絶されるかも」という恐怖心
を力づくででも捻じ伏せて、逢いにいくだけの“心の勇気”を出すことが出来なかった。
(ようするに、負けるかもしれない…という敗北の可能性のある勝負に“自分の人生”を
賭けることが出来ずに、100%勝てると分かっている勝負しかシンジは出来なかった。)
だから最期まで、自分からアスカに会いに行くことが出来なかった…と解釈しています。
 

次に、アスカ側の「逢いにいけない」事情についてですが、アスカの場合はシンジとは
事情が聊か異なります。
まず、アスカはシンジの気持ちを総て知っていました。
シンジが未だに自分を愛していることも、そして何よりシンジには、“自分を愛する“
以外の選択肢が存在しなかった…ということも。
僕はこの件に関しては、相当アスカに厳しい見解を持っており、真面目に書き出すと
切りがなくなってくるので論旨だけ簡単に纏めさせてもらいます。
このアスカの事情に関しては外伝「小春日和」で語られています。
(あくまで、“結論”を決めた後に、後から付け足しただけの理由であることは
重々承知していますが…。)

ここのところは重要なので、「小春日和」のアスカの心理描写より一部抜粋して、
自分なりの解釈も同時に入れます。

>確かに、シンジが釈放される前までは、お互いが余りに離れていすぎた事で、
>会ってもどうにもならない隔たりが出来てしまったと思ってた。

これは「やがて曲が終わる時」のイェルクと最後の会話をしたアスカが20歳の時の
心境ですね。(確かにこの時は、“絶望的なまでの住んでいる世界の相違”から
「多分あたしはシンジに会わない」と宣言していました。)

>でも、それは間違ってた。
>あたしは、それでもシンジの側に居て、シンジに近づこうとするべきだったし、
>そうしたいんだもの。
>シンジからメッセージを貰ったとき、あたしはやっとシンジをどうしようもない
>程愛している事に気が付いた。
>シンジが欲しい。

メッセージをもらった地点でのアスカは24歳。
この時、アスカは「やがて曲が終わり時」で、自身が感じていたであろう、
“自分とシンジとの間の絶望的なまでの世界の差”を「自分の本当の心からの気持ち」
に気がつくことによって、乗り越えたのだと思います。
(けど、人間は一度乗り越えたと信じた「同じ問題」について、再び何度も悩んでしまう
しょうがない動物ですから、アスカが再びこの問題をリフレインしてしまう可能性も十分
ありますが、(というより無ければおかしい)そういう予測まで要れるとさすがに切りが
なくなってくるので、もうこの問題ではアスカは悩まなかったと仮定させてもらいます。)

>でも、その後で知った。
>シンジを奈落の底に突き落としたのには、実はあたしも荷担してたことを。
>あのカールスルーエでの馬鹿な研究のせいで......。

このカールスルーエでの研究がいかなるもの…だったのかは、未だに描かれていないので
自分にもよく分かりません。
ただ推測するに、アスカがMAGIの研究資料を提出した為に、シンジの存在が日本政府
の目に止まる何らかの切っ掛けを作った(シンジ逮捕の引き金になった。)類の出来事だ
ったと思っています。
いずれにしても、これは全然アスカの責任ではありません。
カールスルーエでの研究が日本でのシンジの立場にいかなる影響を与えたかは推測の域を
出ませんが、それはあくまで、偶然の結果に過ぎず、少なくともアスカには
シンジを傷つけたい(不幸にしたい)という”悪意“がなかったことだけは確かですから。

>どうして会えるのよ。
>彼の全てを奪っておいて。
>今、シンジに会えば、きっとシンジはあたしを許してくれる。
>でも、シンジに他にどうできる?。
>許すしか無いところへ追い込んでい置いて、それで許されるの?。

このセリフから分かる通り、アスカはシンジが自分を受け入れてくれることを確信して
いました。
けど、シンジを不幸にしたのが自分だったので、この時のアスカには、
“シンジと一緒にいたい“(幸せになりたい)という想いよりも、
”自分はシンジと一緒になってはいけない“(自分は幸せになってはいけない)
という「内罰的な想い」の方が上回ってしまったわけです。

以上の考察から分かる通り、アスカがシンジに自分から逢いにいかなった理由は、
“シンジの不幸に対する自身の「安全と自由」に対する負い目“です。
そして、僕の場合、この問題もどうしても“勇気の有無”に還元してしまいます。
というのも、これほど内省的なアスカに、今まで不幸に不幸を重ねたシンジをせめて、
これから先は自分の手で幸せにしたい…という想いが欠片も存在しなかったとは
到底思えません。
ただ、それ以上にその結果として、“自分までがシンジと一緒にいられるという幸福“
を享受してしまう“その嫌らしさ”にアスカは耐えられなかったわけでしょう。
けど、だからこそ尚更乗り越えて欲しかった…というのが自分の正直な本音です。
本当に“シンジの為”を思うのなら最も「優先するべきモノ」は何なのかを、
“そこ”で思考停止せずに、もう少し勇気を出して考えて欲しかった。

以上が僕なりに考えたシンジとアスカがお互いに逢いにいけなかった理由です。
そして、これらを統合するとどうしても僕としては「ある神話」の物語は最終的には
“ほんの少しの勇気が出せなかったばかりに一生を台無しにしてしまった人生の負け犬“
の物語だったという、偏見を承知の上での“暴論”に辿り着かざるえないです。

ところで僕が“負け犬”という相当に辛辣な結論を述べたのは上記の理由意外に
もう一つ重大な理由があるからです。
(というより、二人が会えないまま終わったことよりも、その“終わり方”の
方にこそ自分は拘っているのかもしれない。)
それは「ある神話」本編のエンディングである「光で」の内容に尽きます。

「光で」の内容は、
死亡寸前で昏睡したシンジが、闇の中で14歳の姿のアスカに出会って、自身も14歳の
姿になって一緒に光の中へ帰っていき、そしてベッドの上の老人のシンジは安らかな笑顔
で死んでいく…という、まるで今までの辛い展開に対する最後のサービスのようなお話でした。

これ自体は特に問題ではなく、白状するなら自分も「続編」のラストでは似たような
エンディングを用意したいと思っています。
ただ、本当に我が侭な話しですが、“これ”が「ある神話」と融合した時、自分は相当
強烈な拒否反応を起こさざるえませんでした。
(ハッキリ言えば“逃げ”だとしか思えなかったから。)
これは僕の勝手な価値観ですが、僕は輪廻とか転生とか天国とか地獄とかいう死後の世界の
類の話はまったく信じていないタイプの人間です。
僕にとって“死”とはすなわち永遠なる意識の喪失…つまり眠った後永遠に朝がこない状態を差す事であり、死ねば人は全て土に帰ると思っています。
けど、だからこそ、僕の中では“生者”と“死者”は厳しく分けられねばならないモノで
あり、生きることと…或いは死ぬことを軽視する類の考えは嫌いです。

僕が“嫌悪”を感じたシーンは二つ。
それぞれ、コトなる視点から(「光で」が現実であった場合とそうでなかった場合について)
語ってみることにします。

まずは、シンジの頭の中で14歳のアスカが言った、

>・・・・・・・ねぇ、でも、
>今はもうアタシ達ひとつになれるのよ!!
>ひとつになっていいのよ!!。

という言葉について(もし「光で」が現実であった場合。)
“今は”もうひとつになっていい…。
とすれば、生きている間はシンジとアスカは絶対に一つなってはいけなかったわけでしょうか?
けど、それはアスカが勝手に自分で決めただけの話しです。
シンジの出所後には、誰もそれを二人に強制しなかったはずですから。
とすれば、「ある神話」が最終的に語りたかったコトは、“生きている間は絶対に許され
ないことも、死んでからなら何でも許される“という趣旨のことなのだろうか。
だとしたら、このテーマは“心中カップル”の主張とどの程度の違いがあるのだろう…。
いずれにしても、仮に死後の世界とやらが存在して、「光で」が“現実”の内容だとしたら
「シンジとアスカの87年間の辛い”生”」はまったく無意味・無価値なモノであったこと
だけは確かなような気がします。
 

そして、自分にとってはこれが極めつけでした。(「光で」が“幻想”だった場合。)

>六分儀シンジは、子供のような顔をして死んだ。
>これまでにも、安らかな死に顔というものを見た事はある。
>しかし、これほど、少年のような清らかな顔は始めてだった。

もし、臨終したシンジに子供のような清らかな死顔を与えたのが、
“14歳の姿のアスカの幻影”だとしたら、自分にとってはこれほど
悔しいことはないです。
前述した通り、僕は“死後の世界”を一切信じないタイプの人間なので、
「光へ」の内容は酷い見解ですが「昏睡したシンジが臨終の際に見た自分にとって
都合のいいただの幻覚」として処理しています。
シンジは別に誰にでも簡単に手に入れられる“お手軽な幻想”を手に入れる為に、
73年もの間、一人でずっと苦しみ続けてきたのだろうか。
だから、“あれ”が最終的なシンジの求めていた“答え”だとしたらあまりに
情けなさすぎます。
ハッキリ言うなら、戦争に敗れて現実の財産を失って落ちぶれた貴族が、もう現実
の世界では絶対に再び取り戻すことが適わない、かつての栄華を恋しがって、空想の中
だけで、過去の“大切なモノ”を再現して、自分自身を慰める…のとレベル的に一体どう
違うのだろうか。

“綺麗な死”は別に問題ないと思います。
14歳の姿で1つになるっていうのは絵的には美しいと思います。
自分も老人になった自身が死の病床で思い出すのは、多分、その時の自分ではなく
若かりし頃の自分であるような気がしますので。

ただ、上記の理由で「ある神話」がそういうラストを採用した場合、
どうしても僕の狭量な価値観では、「人生の負け犬」という言葉を
拭うことは出来そうにありません。
(ようするに僕にとって「ある神話」は最高の“過程“と最低の”結果“が同時に描かれ
ていた作品だったということですね。)
 

総論。

色々意味不明なことを書き殴ってきましたが、僕が「ある神話」に反発するのは
極めて単純明快で、ようするに
「もし、僕がシンジだったら、こんな人生だけは絶対に送りたくない」
という自分にとっての最悪の人生がご丁寧に最期まで描かれていながらも、
EOE後の状況を考えると、シンジがそういう道を歩むのが、一番最もらしく
感じてしまったから、思いっきり抵抗しているだけなのです。(爆)
しのぱさんにとって、作中のシンジが理想の人生なのか分かりませんが、僕の
卑小な価値観では、続編地点はともかく、本編まで辿り着くと、今まで書きこんで
きた理由からどうしても“人生の負け犬の物語”にしか感じられませんでしたので。

ラスト

僕は「ある神話」は実はエヴァFF界最高のアンチLAS小説じゃないかと
勝手に思っていたりします。(反論者多数、賛成者ゼロは承知の上ですが。)

「シンジとアスカの物語」として“EOE”を見た者が、EOEから感じた
テーマは“シンジとアスカは絶対に一緒になってはいけない”という趣旨の
「絶対真理」のように思えてなりませんでした。
(だから、あの作品ではいかにシンジとアスカの関係性を壊すかに終始
していたように自分には感じます。)

で、「ある神話」は、その僕が偏見で考える「EOEの絶対真理」を最も忠実に
継承して、さらにその“絶対真理”を発展させ、
“シンジとアスカはお互いに愛していようと死ぬまで絶対に一緒になってならない”
というさらなる別の次元にまで昇華させた作品のように思えるからです。

正直、しのぱさんが提示したテーマに比べれば、総合で良く見かけるようなアンチLAS
論述など甘すぎますし、また、「どちらかが途中で死亡する。」「途中で別れてしまい、
それぞれ別なパートナーを見つける。」というような一見アンチLASに見える“イタイ”
作品も全然痛くなくなりました。

僕個人は別に「シンジとアスカが絶対に一緒になるのが“絶対真理”」なのだ…などとは
全然思っていません。
(自分はシンジ至上主義者ですから、シンジがあぶれないお話なら大抵読むことはできますし。)
ただ、人間の性として、自分の気に入らない“絶対真理”を見せられると、“反発”を
感じてしまうだけです。
だから「二人の補完」では、EOEと「ある神話」の提示した“絶対真理”に逆らって
みただけの話しです。

色々と暴言を吐いてすいません。m(__)m
しかし、ネット上には、これほど自分好みのFFが溢れているというのに、それらを一切
無視して、自分の好みのと対極のFF一本に心が縛られる辺り、自分は本当に視野狭窄
ですね。
もう少し思考に柔軟性とバランスを持ちたいとは思っているのですが。
(「ある神話」を書きながら、同じEOEを出典としながら、二人が何の障害も無く結婚
するお話を描いた「扉を開けて」のような作品を同時に描けるしのぱさんの思考の
柔軟性がすごく羨ましいです。)

何にしても「絶対真理」は本当に言いすぎました。
前述した通り、自分と同じく、しのぱさんも「一つのテーマ」として「ある神話」を
書いただけなのは重々承知していたことなんですけどね。
なぜ、自分がここまで「ある神話」に縛られるのか。それは「ある神話」という作品は
「僕にとって最大級の“浪漫”(物語)」があったからだと思います。
(今まで何度も出てきた“浪漫”という用語の説明は次回行います。)
 

おまけ

以上が「ある神話」に対する自分なりの考察です。
(異常に長くなってしまった上で、論旨が全然纏まっていなかったので、最後まで真面目
に読んでくれた人がいたか疑問ではありますが。)

色々と問題な発言があったと思いますが、ご承知のように、僕の意見はたった一個人の
“偏見”に過ぎません。
だから、この自分の意見を「ある神話」の統一見解にしようなどというような馬鹿なことは
全然考えいませんし、自分意外の他人がどういう意見を持ったとしてもその考えを変えさ
そうという気も全然ないです。
ただ、偏見だとは承知していますが、それでも僕は「負け犬の物語」という「ある神話」に
下した評価を自分自身が変えることは絶対にないと思います。
(例え作者や周りから、どれほど説得力のある“反対意見”が提出されたとしてもです。)

ただ、自分の意見もまた“偏見”であることを知っているので、
「ある神話」の物語を“負け犬でなく人生の勝利者の物語”として見ることが出来るヒト
がいれば、是非その論拠を聞いてみたい…と思っていたりします。

実は自分が砂漠谷さんの「ある神話」に対する感想に興味を持ったのは、
もしかしたら、システムを始めたとした社会的通念の枠組みに一切捕らわれない砂漠谷
さんなら、システムの常識の範囲内の価値観でしか、「ある神話」を見ることが出来ず
に「負け犬」という評価を下した自分と違い、あの二人の生き方に「勝利者」としての
何らかの“意義“を見出せるのではないか…と勝手に期待しているからです。
(本当に辛辣な言い方ですが、「ある神話」のシンジとアスカの物語を“人生の勝利者”
として見るコトが出来るヒトはそうはいないでしょうから。)

というわけで、いつか砂漠谷さんの「ある神話」に対する「感想」が聞けるのを
楽しみにしています。

つづく…。
 


【名  前】けびん
【タイトル】第三回「ある神話について(前編)」
  07/16 09:41
Mail: itirokai@gol.com
URL:
【メッセージ】
今回はいよいよ核心である「ある神話」の批評に入ります。
なぜ、自分がここまで「ある神話」に病的に拘るのか、可能な限り論理的に
纏めてみたいと思っています。
 

ただ、その前に一つだけ断っておきますと、これから書く僕の論述は、恐らく
作者(しのぱさん)が意図したであろう「ある神話」の本質から大きくかけ離れた、
極めて見当違いの方向を指している…という前提についてです。

何度もしのぱさんと意見交換しているうちに、少しだけ分かってきたのですが、
「ある神話」という作品の本質は、あくまで“EOE後の世界”が主眼であって、
決して“シンジとアスカの物語”ではないということです。
(この違いは少し分かりづらいかもしれませんが、作品を書く場合、世界観とキャラと
どちらを優先して書くか…という問題に当て嵌められるかもしれません。)

つまり、しのぱさんが二人を主役として採用したのは、僕のようなシンジとアスカに
対する思い入れではなく、EOEの結末を考えると、この二人の関係が主軸になるから
だけにすぎず、ようするにしのぱさんが書きたいテーマを表現するための“駒”として
作品世界の主役という役割で出演されただけの話しだということです。
勿論、別にそれが悪いと言っているわけじゃ全然ないです。あくまで前提となる自作
と「ある神話」とのテーマの違いを述べているだけです。
だから、この作品を“シンジとアスカの物語”として見るのは、実は前提として間違って
いるような気がするのですが、自分のように“シンジとアスカの物語”として、
「ある神話」を見る人間がいたりする為に、話しがややこしくなるわけです。

そういう意味では、僕がこの作品で最も拘っている“シンジとアスカがお互いに
死ぬまで会いにいかなかった理由“も、しのぱさんから見ればそれほど大騒ぎする
ことじゃないのだと思います。
(何よりも、自分の“会いにいかない理由”の予測さえも、しのぱさんから見れば
相当見当違いのことを指しているに違いないですから。(苦笑))
恐らくしのぱさんにとっては、「二人が一生巡り合えずに死亡する」という悲劇の
結末を迎えることによって表現される「何か」(この何かは自分にも未だに良く
分からないのですが)こそが最重要項目であり且つ、物語の前提として最初から
すでに定められていた決定事項で“二人が死ぬまで会いにいかなかった理由“
は、その次にくる、あくまで二次的なモノなのだという気がします。
つまり、物語を突き詰めていった結果として、「二人が一生巡り合えずに死亡する」
という“結論”に辿り着いたわけではなく、最初から「上記の結論」は既に決定して
いて、その結論を導き出すための理由を後から付け足している…というのが
「ある神話」の順序だと思うので、その前提(二人が一生巡り合えずに死亡する)
について考察するのはのは、実は本当は全然意味が無いコトなわけです。
(じゃあ、それが分かっていて何故こんな長文を書く?という突っ込みは勘弁。
あくまで、自分の中にあるものに整理をつけるために書いていますので。)

ただ、それでもやっぱり自分は、僕個人の主観(フィルター)を通してしか、
物事(物語)を見ることも、語ることも出来そうにないので、あくまで
“シンジとアスカの物語”として「ある神話」を見たモノの意見としてこれから
論述を書いていくつもりです。
というわけで、相当「ある神話」に対して、主観と偏見に満ちた意見を書きこんで
いきますので、上記の前提(実は見当違いの意見を提出している)を頭の片隅にでも
留めておいてください。
 

それでは、本論に入ります。

まず、初めて「ある神話」の本編(この作品って最初にエンディングが発表されると
いうかなり珍しいタイプの作品なんですよね)を読んだ時には実は、全然衝撃を受けま
せんでした。
「捻たコトを考えるヒトもいるな」というのが正直な感想です。
それは多分、ある神話の本編では、ただ、“結論”が述べられていただけで、そこへ
至る“過程”がまったく描かれていなかったからだと思います。
アスカの手紙を読んだ時はハッキリ言って「あなた、誰?」状態でしたし、 EOEでは
半端、“狂獣化”していたアスカが、その後、何の脈絡もなく、世界一の権力者まで
成り上がったとか言われても全然現実感が感じられなかったからでしょう。
(自分はアスカには科学者としての才能はあると思いますが、政治家になれる適性は
欠片も存在しないと思っていたので、狙いすぎだよなぁ…と苦笑していました。)
ようするに、 
“知力の一部は傑出していても「内省」が出来ない我が侭な子供であった本編のアスカ”

“シンジの不幸に対する負い目から、自らを律して生涯罰っし続けた妙にしおらしすぎる
「ある神話」のアスカ”
が自分の中ではまったく繋がらなかった…ということでしょうか。
(シンジに関しては後で触れるのでとりあえず割省)
自分にとっては、「過程を描く」というのは、それだけ重要なことだったので、
もし、「ある神話」が本編だけで、その後「続編」が発表されなければ、自分は
「ある神話」を心の片隅にも留めていなかったと思います。
(だからこそ、自分の論述は全然見当違いなんですけどね。しのぱさんが“おまけ”
で作った「続編」の方に目を奪われているのですから。(苦笑))

で、本編の後に発表された「外伝」「続編」シリーズを読んでから、自分の中で
「ある神話」が特別な位置を占めるようになるのですが、ここでは自分はこの作品
に対して、卑怯ながら“ダブルスタンダード”を持たざるえないです。

僕がEOE続編で重視するポイントは以下の二点です。
@ EOE後のシンジとアスカの心理描写を忠実に再現しているか?
AEOE後の状況として描かれた世界観に偽りはないか?
ようするにEOE後の状況として、キャラの内面描写と作品の世界観が不自然なく
描かれているか…ということですね。
(どのような理由であれEOEに特に拘りがないヒトにとっては、自分の拘りは本当に
どうでもいいコト(特に@に関しては尚更)なのだと思いますが、僕にとっては、
この二つ(特に@)はEOE補完FFを読む上で絶対に欠かすことが出来ない最重要
ポイントです。)

自分がこの作品にダブルスタンダードを用いるのは、主に@に関してです。
(Aに関しては、まったく持つ必要がないので。)

スタンダード(1)…あくまで純粋に@(EOE後のシンジとアスカの心理描写を
忠実に再現しているか?)に拘って「ある神話」を見た場合。

は、実は「ある神話」は EOE続編としては、とんでもない落第作品だったりします。
(あくまで僕個人の身勝手な基準に照らしあわせればですが。)

それは続編「やがて曲が終わる時」「虹」で描かれていた、シンジとアスカが
明らかに、EOEのシンジとアスカとは「別人」だったということに尽きます。
百歩譲っても、アスカとシンジの「人格」に相当都合の良い、“イカサマ”
が用いられているのは否定できない。恐らく、“素”のままのシンジとアスカ
では、しのぱさんの書く物語の展開には絶対に耐えられないが為の“苦肉の策”
だとは思いますが。
(心理描写が無茶苦茶うまいので、思わず惹きこまれてしまいそうになりますが、
続編での二人の思考は、少なくとも14歳の少年少女のモノではない。)

本当は作品を語るのにこういう前提を言い出すと“切りがない”のは重々承知して
いますが、今回自分にとっては意味のあることなので敢えて言わせてもらいます。

具体的に言うなら、まずシンジに関しては、外伝・続編で身体中を切り刻まれる
酷い拷問を受けたり、数年間たった一人で、牢獄の中で孤独な時間を過ごしても、
さらに死刑囚と一緒にされてからは、毎日のように暴行・強姦を受けても、決して
心を壊すことなく、それどころか、何やら一種の“悟り”のようなものを啓いて、
死刑囚達の心のオアシスのような存在に成り果てましたが、(シンジが刑務所を
出られると分かった時、“総ての”死刑囚から心から祝辞を受けた時は本当に
脱帽モノだったが)僕には失礼ながら“イカサマ”だとしか思えなかった。
(普通の人が読めば、シンジの心理描写がめちゃくちゃ上手くて、シンジの心理の変化
のスピードが極めて巧みなので、一見、シンジは本当に“成長”(というより聖人化か)
しているように錯覚してしまうと思いますが…。)

自分が“イカサマ”という相当酷い言葉を使う理由は単純で、自分は何度「ある神話」
のシンジに自分をシンクロさせても、必ず途中で耐え切れずに壊れてしまったからです。
シンジは“選ばれし勇者”であり、命懸けで戦える気骨を持たないモノが、シンジに
シンクロしたつもりになるなど絶対に許されざる暴挙だと言われれば、これはもう謝る
しかないですが、EOEを考えるとどうしても、自分にはシンジが勇者だとは思えなかった。
ようするに、自分を基準に考えてしまうと、弱い人間が極限まで追いつめられれば
強くなれる…というのは嘘で、普通は壊れてしまうだけなのでは…と考えているだけです。
勿論、万人がそうだと言う気はないです。
“本物の修羅場”の中で、自分を高められる人間も存在するかもしれないですが、
少なくとも“EOE後のシンジ君”には絶対に無理なんじゃないかと思っているだけでして。

で、次にアスカですが、こちらはすでに本編で少しだけ触れたので単純にします。
「やがて曲が終わる時」のアスカの行動・思考にはハッキリ言って非の打ち所が
ないですが、もしアスカがあんなに“内省”の出切る性格だったら、僕は「二人の補完」
で、あそこまでアスカの扱いに苦労していないです。
(後章はともかく前章のアスカを“不自然”だと指摘する人はほとんどいませんでしたし)
ほぼ完璧に近い外的な能力を持ちながら、それが全然本人の幸せに寄与しないのが、
僕が考えるアスカのキャラクターですから。

先程から随分と酷い事を書いていますが、僕は別に「ある神話」の物語を貶めたい
わけでも、「だから自作の方が絶対に正しいのだ」という比較広告を行っている
つもりもありません。
ただ、僕個人の主観で考える「ある神話」の長所と短所は、自作の「二人の補完」
の長所と短所とまったく逆の性質を持つような気がするので、順番として、まずは
僕が考える「ある神話」の短所に触れているだけです。
(だから、天に唾するというわけでもないですが、僕が唾した暴言は後の方の論述で、
必ず、自作にも降りかかってくるでしょう。)

以上がスタンダード(1)から見た、@のポイントに対する考察です。
 

本来なら、ここでAのポイント(EOE後の状況として描かれた世界観に偽りはないか?)
に進むべきなのですが、僕は@のポイントに対して、もう一つ別なスタンダードの見方を
持っていたりします。

スタンダード(2)…@(EOE後の二人の心理描写を忠実に再現しているか?)には
特に拘らずに、“別人”とかいう野暮な考えを頭の中から追い払った上で、「ある神話」
のシンジとアスカというキャラクターの善し悪しを見た場合。

スタンダード(1)の“別人論”には目を瞑った(って、こんなことに拘るのは僕ぐらい
だろうけど)上で、スタンダード(2)に基づいて二人を見れば、「ある神話」の
シンジとアスカは実に魅力的なキャラクターに仕上がっていると言わざるえません。
(あくまで「続編」地点の二人であって、「本編」(エンディング)へ戻る(辿り着く)
と、思いっきり株価暴落なんですけどね。(苦笑))
それほど僕は「続編地点」のシンジとアスカというキャラクターに対して、強い魅力と
同時に強烈な反発を感じますから。

僕は「ある神話」では、全然泣けなかったのですが、たった一つだけ“感動したシーン”
があります。
それは、「やがて曲が終わる時」の刑務所内でのアスカの元恋人のイェルクとの面談で
「あなたは、何回も犯されている。汚されている。彼女にふさわしいと思いますか?!」
とイェルクがシンジに質問した時のシンジの回答に尽きます。
実際はもっと、色々とイェルクとの細かいやり取りがあったのですが、あまりネタバレ
してもアレなのでシンジの“答え“を要約すると

「そうですね。僕は汚れている。確かに彼女に相応しく無いかもしれません。
でも、あなたは、自分の愛を、分相応の愛に限定出来るのですか?
自分の心の底からの想いを、そんな風に封じられるのですか?
僕には出来ません。」

この台詞を聞いた時、「これほど純粋な愛の形があるのか?」と底知れぬ感動に
打ち震えました。(本当に大袈裟な…。(苦笑))
自分は元来、LAS人でありながら、エヴァ本編でのシンジのアスカに対する“愛情“
を思いっきり疑っている人間ですが、そんなことはどうでもいいぐらいに、「続編」
のシンジに“一途さ”に、のめり込みました。
勿論、こういう“打算の無さ過ぎる純粋な愛”は“単なる己を知らない身の程知らずの高嶺の花“
との分別が難しいですし、さらに一歩間違えれば、ストーカ行為に化けやすい(実際に
ストーカーになったのはシンジでなくアスカだったが)ので難しいところではありますが。

僕は基本的にはスーパーシンジよりも聖人化シンジの方が嫌いなのですが、人間としての
のあらゆるポテンシャル(人生の可能性)を予め総て封じられた上で、それでも自分の
想いを最期まで“純化”し続けたシンジには、強い反発と畏怖と魅力を同時に感じ続けて
ています。(本編の最期の最後でその想いも裏切られたのですが。)
 

で、アスカですが、これはもう、「やがて曲が終わる時」でイェルクと何度も寝て
しまった後、泣きながらシンジの名前を叫び続けたシーンに尽きます。
僕もまたLAS人の習性としてアスカの貞操に病的に拘る人間ではありますが、
「ある神話」においてはあのシーンは絶対に必須だった。
もし、アスカが処女のまま臨終しようものなら、僕はそれこそ「ある神話」を
砂漠谷さんが言う「人形劇としてのシリアスLAS」としか見れなかったと思います。
「虹」の方で何度も出てきた“ヒトである以上、肉の持つ性から逃れられない”
という人間いや動物の持つ“業”について…。
(この場合に生まれつき性欲が乏しい特殊なヒトの例などを引き合いに出すのは
勘弁して下さいね。)
アスカがイェルクに抱かれたのは、イェルクを愛しているからでなく、彼の男の“肉体”
が欲しかったから…、そして、そのコトに気づいたアスカは、肉の性の誘惑に負けた、
“女”としての自分自身の“性”を激しく嫌悪する。
(まあ、これさえも少し潔癖すぎるんじゃないのか…という気もしないでもないが…。
エヴァ本編のアスカはどう考えても“貞操”に拘るタイプの淑女には見えなかったし。)
どうにも僕は「ある神話」の“偉すぎるアスカ”には色々と違和感を感じますし、基本的
には“シンジ視点”でこの物語を見てしまうので、あらゆる選択肢を封じられたシンジ
に対して、いくらでも自由な選択肢が与えられていながら、その権利を行使し得なかった
アスカに対して厳しい見解を抱きがちですが、こういう“人間の不健全さに対する葛藤”
が描かれているからこそ、ぎりぎりの所でアスカに“人間”を感じることが出来るような
気がします。

というわけで、スタンダード(2)に基づけば、僕にとって、これほど魅力的なシンジと
アスカのキャラクターを描いた作品は他にないのです。
やっぱり、まず“世界観”が先に立つ「ある神話」でも、シンジとアスカという
“キャラクター”に魅力が感じられなければ、“アスカとシンジの物語”としてエヴァ
を見る人間が、ここまでこの作品に拘ることは無かったでしょう。
勿論、スタンダード(1)の問題を無視すれば…という前提がついてくるので、
だからこそ自分は@の問題についてダブルスタンダードを持たざるえないわけです。
 

次にA(EOE後の状況として描かれた世界観に偽りはないか?)について入ります。

EOE後、世界はどう変わるか?
これは作者の主観と作品のテーマによって大きく変わると思いますが、僕には
こちらの方は“リアリティ”という観点から見ても、ほとんど文句の付けようがないです。
(僕も「二人の補完」の世界観の初期設定は一部「ある神話」を参考にしています。)

まず、“太平洋二人ぼっち”(総ての生物が朽ち果てた世界に二人だけ残された)
の特殊状況ではなく、ちゃんと人間が帰ってきて、
さらに、北斗の拳のような“世紀末原始人的暴力の荒野の世界“でもなく、
不完全ながら“社会”が維持されようとしている“文明世界”を描いていたこと。

総ての人間が現実に返ってきたわけではなく、戻ってこれたモノと来れなかったモノ
に分けられていたコト(その基準に関しては特に何も説明されていなかったが。)

シンジとアスカを“神”にせずに、一個の人間として設定して、さらにエヴァを
はじめとした、神々の遺産が総て消滅させ、“SF的何でもあり”の要素を一切
省いた上、一歩ずつ地道に歩を進めるしかない“地味な現実世界”を描いたこと。

エヴァという便利で特殊なアイデンティティを失ったシンジとアスカが、人間としての
“生身”の自分自身の知恵と肉体と心だけで、“現実”の世界と戦ったこと。

等数え上げると切りがないのですが。
(唯一の不満はアスカが世界政府総裁まで成り上がったことぐらいか。政治に無知な
自分にも、“頭が良いだけの純粋な子供のアスカ”が頂点に勝ち登れるほど政治の世界
は奇麗でも甘くもない…と思うのだが、まあ、僕の場合は単純に「アスカがシンジを
見下ろす」という“ある神話の構図”がシンジ至上主義者として気に入らないだけ
なのかもしれない。(苦笑))

けど、一番納得がいったのは、EOE後のエヴァというアイデンティティを失った
シンジとアスカという二人の元チルドレンに対する社会の評価(位置づけ)に、
すごくリアリティを感じたということですかね。
エヴァのパイロットとして見れば、シンジの方がアスカより優秀だったと思いますが、
エヴァは極めて特殊な状況でのみ効力を発揮するアイデンティティに過ぎません。
(補完計画が終了し、エヴァが消滅した後には、シンジとアスカのチルドレン時代の
二人の関係の優劣性は完全に消滅します。)

で、「ある神話」を例に取れば
エヴァが消滅しチルドレンで無くなったシンジはどこにでもいる極めて普通の少年に
過ぎない。(シンジ至上主義者としては大変不本意な評価ではあるが。(苦笑))
だか、国家(社会)から見れば無能な一少年にでも、“役に立つ使い道”はある。
それは、サードインパクトを起こした、“政治犯として死刑“にして、民衆の
不満を逸らす為のスケープゴートとして利用することである。
これなら、無能な少年である碇シンジ(でなくても実は誰でもいいのであるが)
にも務まるのである。
この場合、碇シンジに本当に罪があるのかどうか(実際にサードインパクトの責任は
シンジ一人が負うべきものなのか否か)は特に問題にならない。
また、たかが一少年の“人権”など、国家という規模から見れば然したる問題でもない。

逆にアスカの場合は、
エヴァが消滅しチルドレンで無くなったとしても、アスカにはシンジと違い、14歳で
大学を卒業した極めて優秀な頭脳(恐らくアスカは“数学分野”の天才なのだろう。)
があるので、技術畑の方面で色々と使い道がある。
だから、アスカの場合はどこかの研究所に勤務させるなりして、技術者として、何らかの
研究に従事させた方が、有効である。
(僕の勝手な主観では、EOE後のアスカの精神は相当壊された状態なので、(それは
シンジにも言えることではあるが)どう考えてもマトモな社会復帰が出来るような状態
ではないと思うのだが(アスカが最初にいくべきは研究所ではなく白い壁の中のような
気がするが)、それを言ったら話しが進まないので、この際、それは置いておきます。)

そんなわけで、「無能なシンジ」は、誰でも務まる戦犯として刑務所に放り込まれ、
単なるスケープゴートとして死刑にされかけて、「優秀なアスカ」は研究所で
MAGIの研究員として“研究者”としての職務が与えられる。

そして「ある神話」は最後までこの構図
“無能者としてのシンジ”と“有能者としてのアスカ”
に対する社会の位置付けとしての関係性を貫くことになり、最終的には
“誠実なだけの刑務所帰りの社会不適応者のシンジ”と“世界一の社会的成功者(世界政府総裁)のアスカ”
という隔たりまで、二人の関係性を引き離すことになるわけである。

ようするに、何が言いたいかと言うと、以前うらかみさんの言説にあった、
「オルフェウスの窓」のようなロシア革命を絡めた大河ドラマの例の通り、
「ある神話」は世界観の物語として見れば、エヴァという特殊なアイデンティティ
を一切使うことなく、シンジとアスカの関係性に“世界そのもの”をうまく絡める
ことに成功した極めて魅力的なスーパー大河ドラマであるということである。
(EOEからの“素”のままのシンジとアスカが、この大河ドラマの配役に耐えられ
るキャラか否かについてはとりあえず置いておくとして…。)

……………なんか、うまく纏まっていない気がする。(何時ものことか)

まあ、僕が「ある神話」の世界観で最もリアリティを感じたのは、大河ドラマ
としてのスケール云々よりも、国家という単位から見れば、一個人
(碇シンジという一少年)の“人権”(人生)なんて、簡単に踏みにじられ
てしまう程度のちっぽけなモノにすぎない…という現実を痛く痛感させられた…と
いうことですね。
(キャラに人権?あるわけないよな。だいたい“人権”というのなら、主役だけでなく、
名も無いキャラも含めて総てのキャラに平等に認めなければ意味がない。
僕が「二人の補完」でシンジをメインに描いているのは、単純に自分はシンジが好き
だから、“シンジを特別に贔屓“して描いているだけですし。)
 

以上が
@ (EOE後のシンジとアスカの心理描写を忠実に再現しているか?)
A(EOE後の状況として描かれた世界観に偽りはないか?)
の自分がEOE補完で重視するポイントに対する、「ある神話」に対する自分の主観的な
評価です。(全然論理的に纏まっていないような気がするけど。)

後編へつづく…。
 


【名  前】BLEAD
【タイトル】ちゃいます。
  07/16 06:10
Mail: blead@ky.xaxon.ne.jp
URL: http://www.ky.xaxon.ne.jp/~blead/
【メッセージ】
一握の灰さん
 初めはそのつもりだったんですが…
 「それはさておき」辺りから脱線し始めてますんで、まぢで。
 脱線転覆はいつもの事とは言え……
 ところで、「○○(適当なアニメ製作関係者を入れてくれ)がエヴァを作ればこんな電波だと
かカルトだとかにはならなかった」って発言なさったんですか?
 俺の覚えてる限りでは無かったと思うのですが…

【名  前】鯖@連絡
【タイトル】書き込み停止のお知らせ♪
  07/16 01:01
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
総合に来ると何か書く、思った事を取りあえず言葉にしてしまうので
熱量が償却されるので・・・これだな、問題は(苦笑)

何故か運動にまでなってしまったのに、「書かない」訳にいかねー
だろー、やっぱ・・・

という事で「総合における書き込み」及び「出入り」を無期限凍結
する事にしやす(笑)教育とかその他には出入りするけど。

私信もどき?

(ない姫の所の御返事を読まれた方へ、かな?)

別に「弱気」とか言うんじゃないんだが・・・まぁ、「ある種の嫌気」
ではあると思います。無論「綾波及びFFそのもの」に対するもの
じゃない。前者は相変わらず好きだし、後者も矢張り「好きなもの
はある」・・・これは「SF」とか「エンターテイメント」の分野から
足を洗う事が先ず無い、というのと同じようなもの・・・

なら「何に嫌気がさしたか」?・・・FFとか「この種のメディア」を
取り巻く「環境」ですかね。「・・・なんでこーなのかね・・・」と。
「庵野症候群」?(アニメ誌等の姿勢に対する反発・抵抗とか、ファン
とか『ネット』に対する拒否感)に近いもんじゃないかと思う・・・

良いものは其処にある、し、可能性も其処に在る。が・・・矢張り奈何とも
し難いものもある・・・ヲッサンは一度にちゃぶ台をひっくり返したが・・・
あたしは其処までおいつめられてもいなけりゃ馬鹿でもない(苦笑)
素人ゆえ気楽な分、「間合いの取り方」位は見える。

前にも言ったが「気持ちは解らんでもない。けど、あんたそのやり方
は阿呆丸出しの上に見苦しい 苦笑」・・・その上「根性ちょっち卑怯
すぎ。」その辺は「品性」の問題ね。

まっこう勝負するつもりは何処へ行ったのさ・・・をっさん。
カルトでいーんだよ、それで(苦笑)只、中途半端すぎるって
言ってるの(笑)肝心の所で結局「迎合」してるじゃないのさ、
あんたが嫌ってた連中に。お涙頂戴かつ海女尼だよ、あれじゃ・・・

そんな所ですかね。

やるなら「全部敵に回す」!それやろうとする姿勢が見えたからこそ
「その意気や良し!」と思ったんだもの。

基本的にあたしも「アンチ・ジュヴナイル」なんだな(あはは)
性描写・暴力表現どんどんおっけー。但し・・・やるからにはそれを
安易に美化や肯定はするなよ?てね。(無論、傷付き易い十代、なん
てのも御免だ 苦笑)

何が「抵抗」なのかは御解り頂ける・・・かもしれない(苦笑)

ついで

HIROSHIさん(?)

イッてますな、確かに(苦笑)そのついでに・・・何が「抵抗・違和感」
なのかをこの際端的に。どういう風に「居心地が悪い」か・・・

一言で言えば「新興宗教」みたいな感じ・・・かな。「統一O会」とか。
某真理教もさることながら、その「被害者の会」もまたあたしには
「カルト集団」に見える。いや、ある意味「危ない」感じでは本家を
上回るかも。・・・善良である事そのものを責めようとは思わない。が・・・

「善男善女」の集団・・・これに対する一種の「赤信号」が働くんですわ。
其処に働いている「理屈」とか「空気」に。

多分・・・ひげ君がネットとかに関して言っていた「自分の境界線が曖昧に
なって云々」とか、「肥大した自我」のイメージというのと同じなんでは
ないかと思うんですが。

「自己肯定」と「健全」という概念がネット上に、特にFF方面に一種の
スローガンとして現れる場合、其処にそれを感じずにはいられない。

それが「制度に守られた脆弱な人間の肥大した自我」云々・・・という話
なんですな。
 

哲学や宗教思想そのものを収め、追求する事は面白いし、意義深い事
ではあります。が・・・「教団」という奴はあたしは苦手だ。自分がそれ
を追求したり、教えを求めるものに対して門戸を開く・・・のではなく、
それを積極的に「布教」し、一つの教義の元に「世界を塗り潰そう」
とする類の人間は。

自分と他人は違う・・・という認識が稀薄であり、自分が信奉するもの
は総ての人間にとって正しく、真理である、と考える。それは「他人」
の存在を認めていないのと同じだ。「ほっといてくれ・大きなお世話だ」
という言葉に「協調性や社会性が無い」という口実を立てて干渉を図り、
「断る」といえばあらゆる難癖を付けて「異分子」=「排斥すべきもの」
の定義を用いて嘲笑い、攻撃し、追いやろうとする。

『此方側へおいでよ、そうすれば楽になるよ?』

・・・冗談じゃねぇ。御免だね。あたしは生まれつき「協調性」なんて
上等なもなぁもっちゃ居ないんでね。

あたしはあたしだ。それを口にする事が「異質だ」と思うなら思えば良い。

そういう雰囲気が嫌だ、し、「偽善的だ」という言葉も口を衝いて出る。
本田・秘書そおこ批判は無論高嶋批判も、その他もろもろも、全てそういう
事・・・なんで自分と他人の境界線が解らない?という苛立ちかもしれない。

恐らくそれが「アレルギー」の正体でしょう。自我を「健全」だの何だのと
言う「教義」の元に侵蝕しようとする傾向に対する拒否感と嫌悪感。その無神経
さがどうしようもなく「嫌」だ・・・と。俺はあんたじゃない。ほっといてくれ。
とね・・・

キャラ人権云々

例えば、上に書いた様な事を言う為に、LASな人達に・・・「痛い」だの「健全」
だの言うならあんた達のやってる事は何だ?矛盾しちゃいねーか?と言った
事が在る。「痛い」という事、あるいは「誰かにとって痛いものを書く事」が
責められるような事であるとは全く思わない。が・・・

要は彼らの「健全」とやらが如何に矛盾した出鱈目なものであるか、
という事が言いたいが為に度重なりそれを口にした。「痛い」という
事も「イタモノを書く」事も全くどうのこうの言われる様な事では無い。
只・・・彼らの矛盾と「健全」のまやかし加減を言いたかった。

故にそれは「イタモノ批判派」「擁護派」いずれにも組みするものでは
無い。(脅迫メール等のテロ行為は論外だが。)

そういえば、某下関出身の群馬大生君・・・無事卒業したかね?(笑)H君。
そろそろ「Kさん脅迫事件」に関してもオープンにしてもいいやろう?
「言論統制」に関する卒論は上手く行ったかね(あはは)そういえば
君はとぼけるのも御上手やったな(苦笑)裏工作は「一流」やねぇ・・・

んなこたどうでも良いが。

只・・・ふむ。確かに「イタイ」云々というのは解る。フィクションである
キャラクターに一々、ってのは考えてみれば不思議な話。が・・・

こう考えてみてはどうか?重度のキャラ萌えをしている人間におけるキャラクター
の意味・・・この場合、各読者乃至作者にとってそれは無論「実在の他人」では
ないが「単なるフィクション」で片づける訳には既にいかなくなっているもの・・・

ユング派においてアーキタイプと呼ばれる「自分自身の心の一部」。
それと既に「結びついてしまっている」(未だ未処理ながら)と。

アニマ、というシロモノについて今更説明するのも面倒だが・・・
この「伊吹・魂の如く大切なもの(男性型 アニムス)」という
意味を持つものは「異性の源イメージ」とも言うべきものであり、
その人にとって重要な意味を持つ。恋人・配偶者として望んだ相手
というのは本来はこの、その人の「アニマ・アニムス」に重なる様な
存在を選択しているのだ、という話もある。(ちなみにこのアーキタイプ
というものもまた実在の配偶者等からの影響を受けて変化していき、
結果的に両者のイメージの差異は関係が深いほど少なくなるものと
考えるべきであろう。元々アニマ・アニムスというのはその人の精神
と共に成長していくものという考えらしい)

これは結局その人(の対人関係とか生活)にとって重要なものであろう。
単純に「自己愛」云々(言っておくならば自己愛というものは所謂ナルシズム
とは異なり、又必要なものなのだ)といって否定して済むものでもないとは
思う。むしろある意味「自分の精神の一部ゆえ他人の都合より優先して
防衛する」のは不思議でもなんでもない。無論責められるような問題では
まったくない(あにきゃらとアニマが重なる事が問題だ、という意見なら
解る 笑)そういう心的機能というのは言わば「実際の他人との関係の基本方針」
とでも言うべきものなのだから「おろそかにしている人間は、他人との関係自体を
軽視している」と言っても過言では無い。アニマを「軽く扱うべき物」と捉えて
居る男は「現物の異性も(理屈ではともかく感情的には)軽い『物』として扱い
がちである」とも言えるらしい。言わば「雛形」である。

そんなら「アーキタイプと重なってしまったキャラクターならば」、
その人の中では「大切に扱う」事は無駄な事とは言えないのではないか、
とは思う。それは実際の対人関係に確実にフィードバックしてくるだろう
から。只・・・「自分のそれを他人に強要する」のは多いに問題ではあるが。

故に・・・キャラもえだけで書いて居る話も、そう言う観点からすれば
あたしは無意味って事はないと思っている。それでその人の中にアニマ
・アニムス等に関するイメージが安定し、成長するならば・・・有意義な
話ではないか(笑)

半端で放り出してあたしみたいな「女性不信」になるよりは良いん
じゃなかろうか(苦笑)

取りあえず、こんな所。

では、あでぃおす、あすたれーご。
 


【名  前】一握の灰
【タイトル】単細胞
  07/15 22:55
Mail: fwiy0146@mb.infoweb.ne.jp
URL:
【メッセージ】
BLEADさんが指摘しているのは多分、私なんだろうな。(どうせなら指名してくれればいいのに。わざわざ遠慮なさらずに)

でも「阿保」でよかった。「馬鹿」じゃなくて・・・。そう思えるのもカープが連勝したおかげ。


【名  前】BLEAD
【タイトル】ん〜…
  07/15 20:19
Mail: blead@ky.xaxon.ne.jp
URL: http://www.ky.xaxon.ne.jp/~blead/
【メッセージ】
 なんだかここ数日定時退社だったりする。
 なんでも火元責任者達が先週仕事で徹夜をする羽目になり、ヘコんでしまったようだ。 
 俺の会社は残業してナンボなので辛いかも…ちなみに仕事場と会社は別会社(変な…)

 とりあえずCDは243枚売れたらしい。
 しかもその殆ど総て(241枚)が歌唱力で売ったらしい(嘲)
 何とも俺らしいといえばらしい。
 根本的にどーでもいーが、矢張りこう言うのは結構面白い。

 夏コミには行けるかも知れない。
 現場責任者の人にちょっと話をしてみたところ「その頃は会社としては休み」と言う話だっ
た…だがこの辺派遣の辛いところ(苦笑)と言う訳でその辺の時期に適当に休みを取らせて貰
うという口約束を取り付ける。
 早い目に確保しておかねば…
 どうでも良いが、仕事場では休日扱いなのに実際は平日扱い……空しいかも。
 この辺はウチの会社の給与大系の問題だな。

・エヴァの話
 エヴァ開始直後だろうか、その頃に手に入れたCDシングルの広告をこの間見つけた(こうい
う訳の判らない物を集めるのは好き)その中で庵野氏のコメントとして「ロボット・アニメが
パターンにはまっているから、それを壊したかったのかな」というのがあった。
 要するに、エヴァにロボットアニメの王道的展開を願うのは筋違いの勘違いだと言う事だろ
う、何せ開始当初からこんな事言ってるんだから。
 それはさておき。
 どこかで「○○(適当なアニメ製作関係者を入れてくれ)がエヴァを作ればこんな電波だと
かカルトだとかにはならなかった」等の発言を見た覚えがある。
 阿呆だ。
 あの世界観、設定、仕組み、キャラクターを考えて一番始めに魅せたのは庵野氏であり、他
の人間には出来なかったからエヴァはアニメ史上三番目位の金字塔を、少なくともここ数年に
置ける金字塔を打ち出したのだ。
 パチものにはこれは出来ない。
 パチものにエヴァほどの売り上げが出せたか?
 無理だったのは現状を見れば良く判る。
 求めたものと違う結末だったから、それを否定するのはカルト信者と同レベルだろう。
 一部の手の平の返し方には見ていて愉快だったが。
 失望だけをしたのなら、黙って去って行けば良い。
 26話直後、EoE後、二つの争乱。
 実は、俺にとってEoEは意外と思った通りの結末な部分が有った、人類補完計画…綾波レイ
という差異は部分的にあったのだが、それでも「予想通り」な展開だった、それで満足してし
まった部分も、実はある。
 あのまま人類が溶けたまんま滅亡してしまっても、俺は満足だったのかもしれない。
 まぁ、基本的に「そう言う人間」だからなのだが。
 そういうオチで何か問題ある?
 ところで、TV26話は結構好きだというのは何度か書いた。
 あぁいぅ結末もアレはアレで良し、だったり。
 あるものを楽しむ気質というか…
 んじゃ、一体なんの不満があったんだ? と聞かれれば。書き始めた当初は話が終わってな
かったから、ぼんやりと考えていたことを本家が語る前に書いたに過ぎない。
 今書いているのは「新世紀」とはあまり関係無い。

 などと、相変わらず自動書記的に垂れ流し。


【名  前】フランソワ
【タイトル】衛星のレンタル元が
  07/15 18:32
Mail: francoise@nerv.office.ne.jp
URL: http://start.at/404/
【メッセージ】
知らない内にサービスを停止してしまっていたので、衛星はしばらく休止致しますわ。
余談:御兄様はCD2枚売れたそうですわ。「負けた」と悔しがっておられましたわ。

【名  前】Aoi Ryu
【タイトル】拙作・DNML
  07/15 05:10
Mail: aoiryu@aoiryu.net
URL: http://www.aoiryu.net/
【メッセージ】
 の収録希望のメールが舞い込んだ。

 なんでも、「この素晴らしいプログラムとその作品をより多くの方
に知っていただく」為に、夏コミでCD-Rを販売したいらしい。

 価格は500円辺りを想定しているようで、さらに作品を提供した人
には送料のみで送付していただけるそうなので、少なくとも営利目的
ではないのは明白と思われる。

 #「それって、大丈夫?」と心配したくなるほどだ(笑)。

 自分のページの紹介なども収録して下さるようでもあり、宣伝とし
ては過分なくらいだと感じたので早速収録許可のメールを返信してお
いた。

 だが……。

 私がページで公開した奴って、三歩譲ってもまだ「習作」の域を出
ないんだよなあ……ホントに、良いんだろうか(^^;?

 どちらかというと、向こうよりも(私が見たところ、収録の価値の
ある作品も沢山あるので)こちらに問題がある。

 つまり――Aoi Ryuブランドでこんな習作を公開するのはちとツラ
イ、とまあそういうことだ。

 これが、自分のページだとしたら、たいして迷うことはない。趣味
のページにどんな作品を置こうが(それなりに限度はあるが)、それ
は当人の勝手なのでそれについては悩むまでもない。

 ただ、曲がりなりにも対価を要求するものとして、「この作品では
……」という想いは禁じ得ない。ううむ。せめて、10円程度の価値
があると良いのだが(笑)。

 #インターネットに支払われる10円と、夏コミに支払われる10
円では重みが違う気がしてならない……。

 作品収録の締め切りは、7月末日までを予定しているそうなので、
ネタはない、暇もないという状況ではあるが、もっと楽しんでもらえ
る作品に着手しようかどうか思案中である。

 まあ、面白みのない作品がさらに一作増える可能性は、私自身、否
定しきれないのだが(笑)。

 もっと、深く考えてから返信すれば良かったかも知れない(苦笑)。

---------------
 
 ところで、明日は試験があったりもする(笑)。
 困った。さらに、テキストは大学に置き忘れた(爆笑)。

---------------

 ちなみに、下記のページに詳細が提示されている。計画自体には賛
同するところが非常に大であるので、何の滞りもなく成功することを
願ってやまない。

 http://www.freepage.total.co.jp/NEKOMI/

 #意見を受け付けていると言うこともあり、アドレス公開には問題
がないと思う所存である。<少しおかしな言い回しか(^^;?


【名  前】ファーストアヤナミスト
【タイトル】そう言えば、小説批評って
  07/14 23:51
Mail: CZN01522@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
今は閑古鳥が鳴いている。
「理解不能だった物を人は理解できるようになるか?」というテーゼ
の確認のために「ある神話」の議論はやって欲しかった。

【名  前】くわたろ
【タイトル】転送速度24バイト/秒
  07/14 02:36
Mail: kuwataro@speed.co.jp
URL: http://www.speed.co.jp/kuwataro/junk/index.html
【メッセージ】

それでもなんとか繋ぐ。
 

愛夫号ひろし@弟募集さん(と呼んでいいのでせうか (^^; )

「『空気』の研究」は文春文庫で出てます。今、手元に無いんでISBNコードは判りませんけど、大きめの本屋さんならあると思いますです。

山本七平氏の論述は、自身の強烈な体験(太平洋戦争で砲兵としてフィリピンに行って敗戦を迎えた)から得た、体験主義とはまたちょっと違う、ピリピリするような現実主義……といったらいいのかな、目の前にあるものも常識も疑ってかかりその裏を見るという具合で、着眼点も論考の進め方もかなり独特。

そういった視点でもって「『空気』の研究」では人を支配してしまう『空気』について述べています。そんなのをHIROSHIさんの書込みから連想したわけです、はい。
 


【名  前】MEGURU
【タイトル】るみねろ
  07/14 01:54
Mail:
URL:
【メッセージ】
同行者と新宿で待ち合わせた。
「今、どこにいる?」と聞いたら「”るみねろ”の前」と答えてきた。しばし、思考。30秒後、回答発見。
ルミネの出口の前だった。つまりルミネ口。同行者の天然ボケは今に始まったことではない。
 


 

「総合の流れは絶えずして・・・」というのは余り好ましくない引用なのかもしれない。鴨長明自身の記述によれば、当時の京は死体が道ばたにゴロゴロしていたらしい。
左京(京との半分)だけで2万体以上の死体を見つけたと書かれていたのを記憶している。

方丈記はさておくとして、けびん氏と関氏にはレスを返さなければならない。
躁鬱病の話はそう難しくないのだが、もう1つのけびん氏向けのやつは、書き出すと恐ろしく長くなりそうだ。おまけに照れる。
思考の組立法の差違をはっきりさせておくと、後はスムーズだ。ただ、今回は躁鬱関係の話だけにとどめておく。
肉体的に疲れているのだ。残りは週末にでも。
 


 

躁鬱病の定義や分類からやると用語の説明がややこしいので割愛。鬱病の分類だけで膨大な字数を消費する。
大まかなことを言うと、鬱病は3つに分類できる。以下はドイツの精神科医キールホルツの分類。
頭部外傷や脳の動脈硬化が要因となる器質性鬱病、幻覚や妄想といった精神分裂病的症状を示す内因性鬱病、神経症的色彩が濃い心因性鬱病、の3つだ。
精神病と神経症の違いが分からないと困るので少し説明すると、「現実を判断する能力が失われている状態」が精神病、「不安や恐怖にさいなまれながらも現実を把握する能力と病識がある」のが神経症、である。
ちなみに両者の中間を、精神病質や人格障害と言ったりする。

鬱病は生物学的と臨床学的な考え方で捉えられる。
前者は脳内物質の変化についてだ。具体的に言うと、刺激伝達物質アミンが減少することによって起こる間脳の機能失調ということになる。
間脳は感情中枢でもあるので、感情病として捉えられる。
後者的には鬱病は体質や素養、特徴的な性格、環境、の3要素により発症すると言われる。

鬱病分類の話に少し戻る。
俺がけびん&関氏にかいま見た気がするのは、心因性鬱病。
心因性はさらに3つに分別される。ノイローゼをともなった神経性鬱病、極度に疲労した時に起こりやすい疲憊性鬱病、大きな精神的ショックが引き金になる反応性鬱病だ。
両氏についてこれ以上詳しく言及することはできない。ジグゾーパズルを組み立てるピースが不足している。

臨床学的に、鬱病になりやすい性格というのはある。
よく言われる「真面目な人」だ。義務感が強く、秩序を重んじ、几帳面で、理想を追いかける傾向が強い、・・・という感じの人間。ピッタリ当てはまる定型の人間というのはいないし、自覚していない場合もある。
自分に過剰な義務を掛け果たせなかった場合、秩序を乱された場合、几帳面な生活を荒らされた場合、理想に裏切られた場合、・・・など発症の引き金になりやすいことを抱える。

断って置くが、精神的に問題を抱えているからと言って、責められることはない。
例えば、躁鬱病患者の自殺率は0,2%程度という報告がある。躁鬱病が自殺の要因となることはっても、自殺する人間はすべて躁鬱病、又は躁鬱病患者の多くは自殺する、ということにはならない。
心が全く病んでいない人間などいない。
もし、そう主張する人間がいたら、単に気づいていないだけか、現実把握能力が欠如している精神病患者か、よほどの天才か、単なるバカか、だと思えば良い。

けびん氏と関氏は理想論的な言い回しをすることが多い。空想的というのではなく、物事に真摯に当たろうとするという意味でだ。
また、物事を対象化すること、善悪的ではない判断基準によって物事を分別すること、分別する判断基準によって物事を組み立てること、などが余りうまくない気がする。
この辺りは最初に「恐ろしく長くなりそうな・・・」と書いたことに重なってくるので次回記述。

俺的に言うと、キーワードは分化。