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総合 (ろぐ213)
ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板の跡ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。


ネタどうかは別として
No.:194
Name横着星(論文age)
Date:2002/12/21(Sat) 00:51

ネタだったらどうでも良いのだけど、もしネタじゃ
無かったらって可能性考えると
>そゆ事も含めて、矢張り色々話し掛ける事は良いこと
>だとは思いますです。
これは賛成。
この少年に対しての我々の対応にせよ、少年が少女に対し
ての対応にせよ。

でもやっぱり
>詮にちゃんだから、最初に書いた少年が真面目に
>やってても阿呆が来るのがあそこでしょ(苦笑)
>残念ながら場違いだ、と言うことじゃないかと。
これなんだ(悩)。
誰が何言ってんだかさっぱりわからねーってのが
難儀なとこやわ。

でも・・・好きな子が苛めにあってたとしたら
告白云々以前に何とかしてやろうとするな、やはり。
告白どうこう言う情念はどっか飛んでしまう気もする。

昔から策士ぶるのが好きなエセインテリだから(威嚇なんて出
来ない)謀略の限りを尽くして何とかしようとはするが、
結局は策士策に溺れって風情になり、
>嫌がらせ等を自分の方に引き付けてやる事だ。
こうなってしまうのだろう事は想像に難くない(苦笑)。

所詮「賢しげな道化」・・・・でも、馬鹿だ、非論理的だ、
ロジックじゃない、と自嘲しながら馬鹿やっちゃうだろね。


でも、人でも物でも学問でも、何かを好きになるってのは
何処か馬鹿になるって事だろうから、まあ問題ないのか(爆)。


Re[191]: MLに・・・
No.:193
Name
Date:2002/12/20(Fri) 12:57

あ、気が向かれたら貼っといて下さい(苦笑)

一応、念の為に。

・・・此処だと一応「本人照明」の署名付に
なるんだよな(苦笑)

こぴぺはおっけーっすが、
No.:192
Name
Date:2002/12/20(Fri) 12:55

所詮にちゃんだから、最初に書いた少年が真面目に
やってても阿呆が来るのがあそこでしょ(苦笑)

残念ながら場違いだ、と言うことじゃないかと。
まぁ、そーゆー御悩みそーだんが出来るような所
が他にありゃいいんですけどね。

ネタならネタで別に良いことだし、でも良くある
話でもある訳だし・・・そゆ娘は大事にしませんと
ね<私情入ってる(苦笑)だからああいう場所で
出すのは如何なものか、とは思う訳で。

まぁ、何とかしたいと思っている時は、そーゆー
事に気付かずなりふりかまってられないんですけどね。

そゆ事も含めて、矢張り色々話し掛ける事は良いこと
だとは思いますです。

MLに・・・
No.:191
Name横着星(出先)
Date:2002/12/20(Fri) 12:38


書いたって別にえーのに。
なんなら私がコピペしてあげよーか(にこ)。
短編をMLに流してくれてもOKよ〜ん。

しかし総合に書くのも随分久しぶりや。

矢張り原則的に
No.:190
Name
Date:2002/12/20(Fri) 12:32

にちゃんに出入りはやです(苦笑)

やっぱり
No.:189
NameSOU
Date:2002/12/20(Fri) 12:29

自分でこきやがれ、いや書きやがれ!

ほら、そのネタで短編1本いけますよ、鯖たん!

う〜〜ん
No.:188
Nameまっこう
Date:2002/12/20(Fri) 02:22

自分で書くべきでしょう。

場所は好きじゃ無いが(苦笑)
No.:187
Name
Date:2002/12/20(Fri) 00:46

黙っとく様な事でもねぇな・・・(ちっ。)

まぁ、此処は「さらされる」らしいから誰か見てたら
参考にでもしてくんな(苦笑)

http://tv2.2ch.net/test/read.cgi/eva/1040122446/

について。

虐めの被害に遭っているからなんとかしたい、てんなら
まず「介入」する事だわな。そーゆー形で、その娘を一人
にしない事だ。何かやってるなら横から口を挟む、割って
入って怒鳴る。

んな下らねぇ事やってても「恥ずかしくない」、調子に
のってる連中が居るってのは要するに「誰も何も言わない」
と思って居るからだ。その子が「かしこそう」なのが気に
入らない、「人付き合い苦手そうでとっつき難い」から
付け込める・・・んな連中は、男子生徒の一人も首をつっこんで
くれば興をそがれて大したこたぁ出来なくなる場合もある。

しつこかったり、くってかかるようなら椅子の一つも振り回して
床に叩き付けるくらいの事はやって威嚇しても良いだろう。

ただし、相手に直接手を出したり、ましてや得物なぞもちだ
そうもんなら貴方自身の身の破滅のみならず、その娘にも
迷惑がかかることになる。

その娘の盾になる気で行くことだ。付合いたいという以前に、
「ほうっておき難い」と思うなら。好き好んで巻込まれて行く
といい。嫌がらせ等を自分の方に引き付けてやる事だ。

まぁ、それでその娘が喜んでくれるとは限らないし、
こーゆー事は下心でどうこうと言うものでは無論無い。

只、自分が「そのままで居て欲しい、傷付いて欲しくない」
と思う娘が酷い目に遭っているのに放って置けば貴方のトラウマ
になる(苦笑)やるだけやれば自分の器量が上がる良い修行に
なるという物だ。まずは、彼女の気持ちを考えて、返って
傷付ける事の無いように。

死ぬ気で行け。守るものがある勝負など滅多に出来ない
貴重な喧嘩だ。やる価値は十二分にある。

健闘を祈る。

とまぁ、綾展MLの皆さん、気が向いたら何かに使って
下さい♪

であ。

それって中身こにゃっくと違うんでわ・・・(汗)
No.:186
Name
Date:2002/12/17(Tue) 00:44

カラオケ屋さんですし。パックのブランデーかもしんない。

それは意味深な夜(ををっ・・・汗)

近代初期の女性運動の偉人達には
No.:185
Name
Date:2002/12/17(Tue) 00:41

理念や目標があったんですよね・・・自分が苦労しても、意志の
力で実現したい目標が。その為の障害を取り除こうと闘った。

あにき

だから、それは業績として残り、称えられもするし朽ちも
しない。男も、それを見ていてだんだん「無理も無い事だ。
立派なことだ」と称え、応援もするようになっていった。

んでも、今のフェミはだんだん・・・

目標も無く、結局「甘えたい、出来るだけ甘えて楽したい」
という本音が透けて見える様になったり、「褒められたい、
認められたい、そうすれば全てが手に入るのよ」という
エゴだったり、単なる八つ当たりだったり・・・これでは
受け入れられない、というか「楽しててきとーに勝手な事
いうだけになったフェミニズムが、只の女のセクシャリズム
に過ぎなくなるのは当然だ」とは思い安。

補足のいち。
No.:184
Name
Date:2002/12/17(Tue) 00:33

書き忘れていた部分(汗)

我乱堂さんの論の中で、「去勢」に関する考察の前提で
「暴力」を挙げておられるので少し。

実際の所、「暴力」の問題はフェミニストサイドの言説に
も良く使われてもいますし、概念的に「解り易い」訳なの
ですが・・・事は実際そう単純ではない(笑)

純粋に「看過し難い身体的脅威」を与える「暴行・傷害」等
は無論、現在の法では法執行等の「国家等に帰属する手段」
としてのものを除けば、正当防衛・緊急避難と認められない
限り「厳しく禁じられ」ています。

これは「性差」以前の「社会の安全、信頼性」のレヴェルの
問題ですね。所謂「夫婦間暴力」の問題等は、本来この法秩序
によって禁止されなければなら無いものが「社会的要因によっ
て、隠蔽され、法の手が及んでいない」と言う事で問題にされ
て居る訳です。言わば「現行の秩序の中での不行き届き改善
の問題」とも言えましょう。

この問題を「性差」による問題に転化しようとするのはフェミ
ニズムサイドにとって「一つの戦略」な訳なのですが、しかし、
それは「本質」とは言い難い・・・問題の本質は「性差」ではなく
「遵法意識」や「暴力性の抑制」と言った部分ですから。ここ
から「オトコは・・・」と言う非難の為の言葉を導き出すことは
容易であり、既存のジェンダーや生理的差異が要因の一つで
在る事も間違い無く事実ではありますが・・・「拳がなければ
人が殴られる事はない」からといって「全ての人の拳を切り
落とす」行為が「解決」と言えるや否や?

其処に本質はありません。必要なのは「安全装置の強化」で
あって「撃発機能の除去」では無い訳で(あ、解り難い表現
だな 汗)

しかして、フェミニズムの今までの傾向は・・・果てしなく
「去勢」を望む事が余りに多い。故に「かえって解決から
全力で遠ざかっている」観は否めません。

その上で。

暴力における「性差」の優劣、がこれもまた「ジェンダー」
のもたらした後天的なものだ、と言う視点を持ち込んでみれ
ば、事は余計に変わってきます。

「暴力」に対する「知識や経験の隔離」が、その格差を生んで
いる部分が大きい、と言うことなのですよ。必要なのは「対処
法」であって、「力いっぱい殴り合って勝つか負けるか」と
言う事では決してない(苦笑)

まあ、例としてはどうかとは思いますが、特にその「暴力性」
に恐怖を示すタイプの女性にしばしば「おコゲ」的嗜好が見ら
れる事は知られています(笑)しかして、現実に「精巣の除去」
を行ったと言う例を除けば、ゲイの人々の身体能力と異性愛者
の男性のそれの間に「何ら差異は無い」、時にゲイの方が力に
勝り、逞しい、と言うことも珍しくはありません(笑)

それでも、やはり「ゲイの方が安心できる」と彼女等は
感じている、という現実がある・・・それは「生物的性差」を
彼女等が恐れている訳ではない、と言う一つのヒントになり
ます。ここまでの論はフェミニズムサイドにおいて既に色々
言われて居ることでもありますが(笑)

ここから先、フェミニズムの論は「原因はオトコのジェンダー、
後天的なものだから破壊できる、それで解決」と彼女等は考え
る。まぁ、事はそう単純ではありませんが。

ここで、敢えて、こう言う処方もある、と。
「生物的性差による暴力の優劣が恐怖の原因ではない、むしろ
暴力を想起させる言動や、心理的暴力性が彼女等を恐れさせて
居る原因である」とすれば・・・無論「誤解に基づく恐怖心の除去」
を図る事も出来る訳です。そしてその「恐怖心の克服」は、
彼女等に自信を与え、実際に「不必要に臆し、またその心配に
よって過度にヒステリックになる」現状を変えうる、そして
「対等」により近づくことにもなる訳ですが。

恐怖心の原因は「暴力に関する『文化』からの隔離」が
永らく女性に対して行われて来た事にも原因が在る、と。
意識・無意識の「距離の取り方」や、「この場合こう
対処すれば・・・恐れるほどの被害はない」とか「威圧できる、
相手は小心で大した気迫はない」等の「経験則」を学ぶ
機会が不足していると言う事が大きいと思うのですな。

実際の所・・・格闘技のリングに上がる訳ではなく、日常に
おいて「自我を暴力の脅威から守る」のであれば、実は
一般的には「性差によって、過度に脅える必要は無い。それ
は植え付けられた誤解に過ぎない」と言う事です。

実際の所・・・「暴力」すら結局は「去勢の口実」という
構造が其処に在るのでは無いかと時に感じます。実は、
彼女等が問題にしているのは「全体的に既得権を持って
しまっている(と彼女等が考える)男性側の文化」の
存在による「不利益」の方なのだと。

確かに、それを「はぎとって」すっはだかの「勝負」を
すれば「対等だ」と言う事なのですが・・・人間という物は
結局「その社会の文明・文化」を纏い、それとの関係性
に基づく「能力」を云々される部分の方が大きい・・・

その「衣」をはぎとっての「対等」を求めるとすれば、
それは「ニンゲンとしての競争」とは言い難いものが
あるのですよね。

現実にはそんな所だと思います。

心理的には、我乱堂さんの指摘された心理が彼女達の
中にあるのでしょうが・・・その「脅威」自体が実は幻想で
あり、「去勢」という不毛なものを求めずとも「恐れること
は無い」と言う認識こそが必要なのだと考えるのですが。

「去勢された都合の良い男」を支配下において始めてなり
立ちうる「フェミニズムの支配の下の対等」は彼女等の
中に今も根強くある幻想なのでしょうが・・・それは非現実的
で、結してまともなものではないのと同時に「そんな妄想に
縋らなくとも、実は正しい理解さえつめば、恐れることは
ないのだ」という理解を進めることが肝要かと。

寝よう、今日は。

あまりもんのへねしー
No.:183
NameSOU
Date:2002/12/16(Mon) 23:56

もって帰って呑んでも、美味くは無いのは
やはりカラオケ屋専用ってことで。
女性のやわらかさを久々に実感した日曜の夜ってこと。


フェミニズム、フェミニストが日本だけでなく
海外でも、一向に結実しないのは、こと仕事とか
問題処理などに関して肝心のことを見てないから
では、と。
全て性差で片付けようとするあまり、本来もっとも
重要なこと、”能力差”ってものを無視、あるいは
わすれちゃってるってことが問題なわけで。

それを性差で全て片付けようとするから、フェミニズム
だとか、女性解放運動が、すべからく能力の無いもの
全ての言い訳にすぎなくなり、本来自立した女性すらも
その悪影響をうけ、立ち行かなくなってしまっていることと
それをやはり性差にしてしまっていることが、さらに
フェミ系によって妨害をうけた女性の反感を買っている
ってこと、それが結局、女性は能力が無いとき性の所為にする
という認識をひろげてしまっていることにある。

さらに問題は、能力をもって対等の結果をだした女性すら
ねたまれそねまれ、引きずり落としの対象となって
しまっていることじゃあなかろうか?

前承(笑)
No.:182
Name
Date:2002/12/16(Mon) 23:37

で、此所までは我乱堂さんとあにきの振られたネタ、「対等」
等を均等法がらみで、企業等における現象?として少々、の
前振り(笑)

まあ、現状とパラダイムの整理ですな。

で、それはまー良いとして(良いのか 汗)、矢張り核心と
しての部分は我乱堂さんの指摘された「対等」についての
概念・・・フェミニストの指向する「対等」とは実は「結果の
平等」を求める為に「支配下に置く」事であるという矛盾
ではないかと思う訳なんですな。

フェミニズムの「何が問題か」といえば・・・結局この一点に
尽きる、と。

この部分に目を瞑って「フェミニズムを論じた」所で、
何の意味がありましょうや?

この「核心」部分に対する言及や分析を欠いたフェミニズム
批判はほぼ「無意味」と言って良く、また、この点を突き詰めて
初めて「性差による抑圧」なる問題が見えてくるとも考えられ
る為、この核心を「避けて通ろうとする」現在の我が国のフェミ
ニズムは「欺瞞の上に成り立っている」と言っても良いのやも
しれません。

「フェミニズム」は既に「メールショー」の対義語であっても、
「セクシャリズム」の対義語とはなり得ない・・・むしろ、
「セクシャリズムは、メールショーとフェミニズムの二種類に
大別される」と言う解説を付けた方が良いのが現状であると
考える訳ですね。

あたしは「セクシャリズムを克服するという見地から、フェミ
ニズムを拒否する」と言うカウンター・フェミニズムとでも
言うべきものが「性差別なき男女共同参画」の為に必要不可欠
であると考える訳ですね(笑)

とりあえず、今宵は此所まで。

さて・・・本題、と思ったのですが
No.:181
Name
Date:2002/12/16(Mon) 01:10

BS見てから風呂に入ったらこんな時間(汗)

ここから先が論旨?のつもりだったのですが、
取りあえず又後程。

では(汗)

エコノミスト・オヤジに利用されたフェミニズムの誤算
No.:180
Name
Date:2002/12/15(Sun) 17:04

均等法によるフェミニストの派手なパフォーマンスは、
そもそも彼女達自身の実力によるものと言うより、
むしろ「限界に来た護送船団方式や重工業依存の
財界の体質を、新世代の形に切り替える上でのアド
バルーン」として、ヲヤジ達に「担がれた」と言う
側面も見逃すことは出来ません。

彼女等が「男性側の保護主義」に斬り込めたのは、
それが一重に「旧来の護送船団型の経済システム」、
所謂「ケインジアン的な日本モデル」と一体をなして
いたから、とも言えるでしょう。財界トップのサイド
にとっては「もう使えなくなった、使い捨てるべき旧い
道具」と見なされている・・・

フェミニズムは「リストラの時代」のプロパガンダと
見事に一致した訳です。穿った見方ですが・・・彼女等の
どちらかと言えば「破壊主義」に近い行動様式は、いら
なくなった社員を「中に残した侭」の企業システムに
対する「解体屋」・・・いや、むしろ「社屋に、経営者側
が仕掛けた爆弾」の役目を果たすに丁度良かったとも言
えます。無論、そんな事では彼女達自身も生き残れません
が・・・仕掛ける側にとっては、そんなことは「どうでも
良い」。

エコノミスト達がかつて、「消費者」を焚き付ける事に
腐心したが如く、フェミニストは「リストラに正当性を
与える為の宣伝材料」として重宝されている、と言う
側面もあるのではないかと見えもします。

「保護主義(男性の)は敵、憎い、憎い、憎い・・・」と
言う感情は、「旧い道具を捨てたい」持ち主にとっては
丁度良い「追い風」であり、メディアを通じた「空気の
醸成」の手段としては極めて有効だったのではないかと
思います。彼女達自身が今更「保護主義」を言い出せない
理由はその辺りにも・・・

実際、ある程度の「セーフティネット」は必要ですし、
「自由主義万能」自体は女性にも男性にも不幸をもたらす
側面はあります。しかし・・・

噛合わないまま暴れている現状が、何ら良い結果を産むとは
考えられない。

続きます。

説明が若干とんでますが(汗)
No.:179
Name
Date:2002/12/15(Sun) 16:43

「同等の難度の勝利条件を持つもの同士」ニアリーイコール
「結果の平等」と言う事で。最初から「能力差を許さない」
のであれば「統制経済=保護主義」と言うことになってしま
う、と言う話ですな。

それでは「機会の平等」とは呼べない、と。

ならば、最初から「均等法」など制定を求めずに
「保護主義」で行けば良かったのでしょうが、(古典的な
革新系の主張に沿った形等で)、そう叫びたいのは山々
なれど、「出来ない」理由が又ある、と。

それは「性差別=男性側の強固な保護主義」を「自由化」
の立場から批判して切り崩すという戦略を彼女等が選択して
しまった以上、自分達が今更「保護主義」を訴えても勝ち目
は薄く、又、破綻を来してしまうからですね。

其処にねじれがある。

「男性側の保護主義」を叩く事にやっきになる今風の
フェミニストが、その論拠たる「自由主義」の前に、
みずからの弱点を突かれてしまう、と言う苛立ちですかね。
だから「声高に結果の平等は今更叫べない、でも、保護
無しではキツすぎて持たない者も多い・・・」と言う矛盾。

法制度は「企業文化」や「社会慣行」と言う本来民間の
自主的選択に基づくものまで縛る事は不可能であり、そし
て「企業社会における能力」とは「その文化と不可分であ
る」と言う現実・・・次に彼女等が持ち出したのは「セクシャル
・ハラスメント」等の理由付けによる「企業文化の切り崩し」
だった訳ですが・・・これも又「裏目に出る」傾向が見えます。

現実の「性的非違行為や下品な行為」に対する対策と言う
本旨から時に離れて「企業内においてジェンダーに関する
と思われる、自分達になじまない慣行はすべて破壊する」
と言う事の口実として(そういう口実が存在しなければ、
既に企業の機能の一部を担うものとして存在する慣行を
破壊する権利は彼女達には無いので)利用されるように
なった・・・しかし、これが賢明な対策とは矢張り考え難い。

速やかに「それ以上の代替システム」を提案して「より
企業に貢献する」事が出来ない限り、その行為は「サボター
ジュ」と言う評価しか産まないからですが。それを「性的
非違」と言ういささか「品の無い」事を肴に展開しつつ実行
する事は「結局、女であるという事、まあ見方によってはカラダ
を武器にしてるだけじゃないか」と言う評価を下される事に
なっていく・・・

それが結果的に「普通に働いて既存の企業機能に入り込む」
選択をした女性からみれば「足ひっぱらないで!」と言う
話にもなってきてしまうというジレンマも生じる。

まぁ、その辺を・・・良く考えて居ないので現在の「社会進出」
的な方面でのフェミニズムは「破綻せざるを得ない」と思うの
ですが・・・

続く?

議論が盛り上がって来ましたね(わくわく。)
No.:178
Name
Date:2002/12/15(Sun) 16:12

久々の「御題」に大歓喜♪です(笑)

我乱堂さん

元々の趣旨(フェミニズムの)からすれば「誤解」だと
言うわれるかもしれませんが現実としては核心を突いて
おられるのではないかと。<(御見事でした。)

タテマエと乖離した彼女等の言動や理屈の展開を見れば、
そーゆ結論が矢張り導き出されるのは不可避・・・もし、それ
を彼女等が「誤解」と主張するのならば、何処がどう違って
真意はどうなのかと言うことを、論理立てて「納得の行く
様に」説明する義務がフェミニストには在る筈。

それをしないと言う事が、既に「タテマエがどうあろうと、
そしてかつての志がどうあろうと、」現在においては「結局
それが本音に過ぎない」と言うことの「証拠」となりつつある
のではないかと思うのですが。

もし、本心から「そうではない、誤解だ」と言う人がフェミ
ニストにあるならば、その「本心」と「ならば何故このような
指摘を受けるが如き振る舞いを続けるのか」と言う説明がなさ
れなければ疑義は晴れないと考えるのですわ。

機会の均等、と法の名称にうってある通り「機会の平等」で
あって「結果の平等」を求める法律では本来無い訳でして。
フェミニズムの発達経緯から考えれば、彼女等の「平等」が
「結果の平等」を指し、所謂「自由主義的」(それが良い、と
言い切りは無論しませんが 汗)な、「機会の平等」とは相容
れないものかもしれない可能性は高いのですけれど・・・

しかして、現在の自由資本主義的な「機会の平等」に基づく
法の趣旨を考えれば「あらゆる能力が資本」であり、性差の
みによって「差別」は禁じられても、潜在的「暴力性」に
基づく「精神的圧迫感を与える能力」も又、この場合「資本」
と見なされなくもない・・・それを「禁じる」事は逆に「保護主義」
的な統制を意味し、現在の基準においては「容認されない」考え
方、と言うことになるかと思われます。

まあ、「セーフティネット」と言うものが大事であり、全て
「自由」で割り切ることは乱暴としても、現行の「均等法」の
理念を「盾に」、それと相反する「保護主義」的な主張をする
事にはそもそも重大な矛盾・破綻が在る・・・

と言うことなのですわ。

一反きりますね。


対等の概念
No.:177
NameSOU
Date:2002/12/14(Sat) 13:59

対等ってことに関する概念が、多分みなわかってないんじゃあないか
と思うことがしばしばありますねえ。
男女平等だ、フェミニズムだっていうことに関していえば。

たとえば、男女雇用機会均等法であれ、同様の仕事をそんなことに
関係なく与えられるとした場合でもそれはでてくるのじゃあないだろうか。
たしかに機会は同様に与えられるべき、というのは理想だし、とりあえず
そうでなかったらいけない、とは思いますが、それでもまず”その機会を
有効につかえるか”という能力と、”その問題(仕事とか)を確実に
こなす能力はある”というのは、まず別物ですし。
ラディカルフフェミニズムというのが嫌われる要因の一つに、それらの
ことを抜きにした、感情論が出てくることにあるということも事実かと。

それは、一つの案件をこなすときに、同じ条件でそれを処理する場合
かりに男性がうまくやったとし、女性がうまくやれなかったとする。
その場合、その女性には能力が無い、ということになるのだけども
それはその案件のみに関して能力が無い、という結論であって
女性全般に能力が無いってわけじゃあない。
けれども、それを女性の権利を訴える人の殆どが男性に有利な状況で
やったからだ、とか、男性のための社会だからだ、という風に騒ぎ
余計にことをこじれさせているということもあったのですし。

でもそれが、当の女性にしてみれば、自分はその案件をこなすことが
できなかったから、能力不足だった、と認めてもそれはフェミ風団体が
許さなくなる。
男性社会に洗脳されているとか、過去の因習に縛られているとかそういう
ことをいい、女性の社会進出、自立を妨げるという風にしてしまう。
その失敗した女性にしてみれば、経験不足だったかもしれないし、それは
ひょっとすると、そのことに関する能力が不足していた、というだけの
ことかもしれない。
だけども、そのことを抜きに、女性の権利侵害だ、自立の妨害だ、と
騒ぐことで、男性側の反発を招いたり、機構としての仕事を混乱に
導いたりするということから、逆に女性の社会進出、自立ということを
不利にしていることが事実としてある、と。

フェミ風や、ラディカルフェミに関係なく社会に出て、自立している
という女性の立場からいうと、とにかく変に騒ぐだけならなにもするな
というのが、本音だし(事実そう聞いているし)、そういうことを
やって騒ぐ女性団体、フェミ団体っていうのは実質能力が全てに
おいて劣っているという自分のことを棚にあげているというか
オールト雲の彼方まで運んでいるだけに過ぎず、うまくいかない自分を
すべて他人の所為にしているにしかすぎない、という話をも聞く。

彼ら、彼女らフェミ団体にしてみれば、対等という概念は我乱堂さんの
言うように自分たち女性にかしづく去勢された男性をもとめており、対等
というより支配欲にしか見えないわけで。

本来対等といえば、同等の能力、および条件となるのだろうが(大雑把)
その場合、やり方は問われないはず。
たとえば、素手でゴリラを仕留められる奴と、素手はちょっと、なやつが
ゴリラとってこい!、といわれればおのずと方法はかわるわけだし。
それは銃でとろうが、素手で獲ろうが、結果重視となるわけだし。
先に結果出したほうが勝ち、なのが対等の勝負。

なぜなら、それは能力が平等ではないから。
人は権利において平等かもしれないけれども、実際の能力、適性などに
おいて決して平等とはなりえないし、身体の構造でも平等とはいえない
からであって、それを補うことで結果を出すことができればそれは
だれも文句は言わない。

たとえば、女性がそれをこなすときに、人の手を借りたから女性は
という風にいうのは、男性の負け惜しみであるという根本の
事実を見逃しているし、逆に男性に有利な状況だからだ、とか
言うのは、所詮女性の言い訳にしか過ぎない。
体力で劣るなら知恵を使えばいいし、知恵で同等ならだませばいい。(ひど)
どんな方法でも獲る結果が同じだったらば、だれも文句は言わない。
それが競争というものだし、対等の勝負というものだ、と思うし。

対等というのは、与える機会、与えられる機会が平等であって
なおかつその結果をだせば、評価がでるというのが対等なのでは
と思うし、その間なにをやろうと、それは自由だ、と思う。
その人の使う方法がどんなものであれ、結果がでることが実力と
認められることなのだということを忘れているんじゃないだろうか。

まあ、中には女の武器をつかってなんとかしようというのもいるわけ
だが、それは、もろに女性の中で排除されるのだから、ほおって置く。

そういうことは、意外とフェミニズムの人たちが忘れ、感情的に
なって騒ぐだけになる原因だとおもうのだけどもね。


ちなみに。
私は女性の支配下におかれたとしてもそれはかまわない。
けど、支配する以上、自分以上の能力者でないといけないと思う。

まあ、男女とも俺を支配するなら俺を倒してからいえ、ってことか。
(意外に簡単に倒せます。)

と、我乱堂さんのをよんで思ったこと

今更だけど「フェミニズムのいきつく先」
No.:176
Name我乱堂
Date:2002/12/13(Fri) 23:53

 某所での鯖さんの書き込みとか見てたらなんとなく思いついたこと、なんですが。

 フェミなおばちゃんがなして男性蔑視とかになっていくのか、そのことについて疑問を覚えました。私が昔関わってきたフェミなねーちゃんは、男女関係とかから人間関係に思考をシフトしていたくさいけど、まあ、鯖さんが言われていたような傾向はあったと思う。もう何年もまともに話していないから、今はどんな風になっているのかも解らんけど。
 とりあえずそのねーちゃんは「適切な人間関係」とかあれこれ言ってた。よーするに「対等な人間関係」ということだろう。男女平等。昔から言われていたことでもある。
 で。
 この「対等」という言葉を考えてみると、なかなか曖昧というかいい加減というか感覚的である。はっきり言ってしまって「これが対等」と呼べるような例はすぐには思いつかない。フェミなねーちゃんとかおばちゃんの御託をそのまま採用してもいいのだが、なんかねぇ、喧嘩売っているくさいですねぇ。ああ、喧嘩だ。かつての欧州などであった神明裁判では、決闘の決着によって正邪を裁定するというのがあったという。その際には明らかに技倆の劣る者でも「対等に勝利をつかめる」ように、優っている相手に何らかのハンディが課せられたそうな(参考「拷問の歴史」)。
 所詮、人間関係というのは対立と妥協である。調和というのはあまりにも美しすぎる幻想だ。美しいがゆえに理想とされるのだろう。
 えーと、話がずれたっぽい。
 対等というのは、結局のところ「同等の難度の勝利条件を持つもの同士」ということではないか、と思う。「雇用機会均衡法」とかも、つまりはそういう理念から生まれたのだろう。女性だ男性だとかの差ではなく、何かをする機会を皆に与える、みたいな。
 それでまあ、「対等の人間関係」だけど、男女にとっての「対等」の感覚がずれている可能性が高いのではないかと思う。つーか、素のままで男と女が対立する、とする。論理と理性のみによって話が進めば、そこに性別の差が入り込む場合はないと思う。少なくともフェミな人が求めているのはそういう図式だろうと思われる。しかし、対立の解決は必ずしもそういう論理とか理性によって解決するものではない。むしろ暴力によって白黒は簡単にひっくりかえる。そして女性は暴力に関して言うのなら、男性に対して圧倒的に不利な立場にある。
 全て、とは言わないが、ほとんどの女性がその不安におびえているのではないだろうか。
 つまり、彼女等にとって「対等」に男性と向かえるのは、男性が決して暴力を振るわない状態をさしているのではないか。そしてそれは、現在において「男を支配下におく」ことによってしたなしえないと考えているのではなかろーか、と。
 あー、なんか何を言いたかったのかよく解らなくなったけど、女性にとって対等に相手できるのは去勢された都合のいい男であって、それ以外は常に脅威であると、そういうことがいいたかったんだ。
 それでまあ、だからこそアスカがもてはやされたのだと思う。彼女は男を支配下におこうとする意欲がかんじられないでもなかったから。多分。
 フェミな人達にとって、今現在は「戦争」なのではなかろーかと思う。
 もうなりふりかまっていられない、みたいな。
 とにかく彼女らにとっての「対等」とは、「支配下において」ようやくなしえられるものなのだから。


 ……って、こんな感じの論説、ずっと昔に出ているんだよねぇ。
 その当時の私なら、フェミニズムを誤解しているとか思ったんだろうけどさぁ。
 つーか、絶対誤解してるよ私(笑)

仮説「ネイティブ虐殺コンプレックスの病理」
No.:175
Name
Date:2002/11/24(Sun) 23:09

例えば、ある島なり大陸なりに、祖国をなにかの理由で
追われたり、あるいは一山「新天地」で充てようとバクチ
ががった連中が「集団入植」して来たとする。

所が、その土地には先祖代代暮らして来た人々の村とか
があったりした、と。

で、仮に、その先住権をもつ人達の土地を入植者が
奪って、「建国」をした場合・・・そもそもその国の
生い立ちは「盗人」と言う倫理的負い目を持つ事に
なる。建国神話はその犯罪を「誤魔化す」事から始め
なければならなくなる。

後世、先住者の子孫に当る人達と、入植者の末裔達が
和解したとしても、「建国の歴史」に関わるアイデン
ティティを否定される事を極度に恐れる手合は「愛国者」
を名乗って欺瞞を続けなければ「生きられない」と思っ
ている場合が多々在る。

また、あるいは「先住者の子孫」と「入植者の子孫」の
間に権利を巡ってトラブルが在った場合・・・元々「隣あう、
仲の悪い民族」(例えば我が日本人と隣の韓半島の人々
苦笑)同士の「色々見ていけばどっちとも言えない」と
言う様な話とは決定的に違う「彼我の関係」が其処に在る
事になる。

「入植者」の「国」は、そもそも「先住者」の土地を
奪うと言う犯罪によって成立している。隣り合い、攻め、
攻められて抗争を繰り返しつつも「互いの国は元々在った」
二国間の関係とは決定的に異なる。

「入植者」の侵略がなければ、そもそも抗争は有り得なか
ったし、当初の時点で「非がある側」は明らかで動かす事
が出来ない。しかし、その事実は「入植者の国」のアイデン
ティティをマトモに脅かす事実であり、その記憶を抹殺、
捏造したいと言う意識は「入植者」の根元に眠る欲望とも
言える。

アメリカ等は、ある程度「多様な移民を受け入れ、共存を
図る」と言うタテマエのお陰で、ネイティブアメリカンの
権利を守ると同時に人身売買の被害者の子孫であるアフリカ
系市民の権利を主張する動きが在ったりして、多様である
事で「コンプレックス」を緩和して来た。お陰で「加害者
の末裔」である「保守系白人層」は「全体の一部であって、
決してアメリカそのものではない」と言う意識が在る事に
よって「其処から解放されている」部分がある訳だ。

アメリカ保守系勢力が、むかしさんざん差別して来た筈の
ユダヤ人の国に、何故あそこまで肩入れするのか。石油
権益だけでは「説明し難い」心理的側面。

フロンティア、と言う「美化され捏造された」、過去の
犯罪的建国経緯を「隠す為の」神話。其処を「最初に
侵略した」ものの側にまず在る筈の「非」を認められない
が故に耐えない流血の責任を「見て見ぬふり」をする態度。

過去の非を認めてしまえば、「祖国が犯罪国家であった
事を認めなければなら無い」と言う脆弱な恐怖心。

かつて、南アフリカのアパルトヘイトに「保守系白人層」
が寄せた奇妙な「フロンティア的」共感、それと同じ事が
また繰り返されている。「みずからが侵略者ではなく、英雄
だと思いたい」と言う自己欺瞞によって、非道が見過ごされて
いる訳だ。

どっちもどっち、では決してない。どちらも悪いが、どちらが
「原因」かははっきりしている。その所を見ようとしないもの
の精神には「病」がある。フロンティアの病を持つものに病んだ
憧れを持ち、彼等に同化したいと願う「心の闇」と言う奴を。

我が国の奇妙な「新保守主義者」と言う連中、アメリカン・
ネオ・コンサヴァティブに擦り寄り、客観的視点を捨てて
彼等に絶対的に同化する事でアイデンテイティを保つ「ガク
シャ」だのシキシャだのと言う連中が涌いている。我が国の
成り立ちや風土からすれば、はなはだ奇妙な話ではあるが・・・

徒然。