総合
(ろぐ110)


←Prev ↑Home ↑Billboard (Current) ↑Index of the Archive →Next

ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】T.OKA
【タイトル】綾波礼賛
  11/04 11:54
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
 折角、けんけんZさんと鯖さんに素晴らしい綾波論を展開して頂いたと言うのに、
切り返すほど綾波について考えたことが無い・・・って言う話は前にもしましたね。

 これが、FMTTMの絆のための伝言板や、お亡くなりになった綾波狂掲示板なら、
きっと議論百出でおもしろいことになったろうに・・・と、思いつつ、どなたか
書いてもらえないか他力本願中。

 例えば、ファーストアヤナミストさんなど、深い考察をしているのでは?
と、思わないでもないですが・・・

 私自身は、どっちかというと、TV・EOEの綾波には人外の魅力が在る。
 その必然としての人に憧れてしまった途端に終わる運命の悲劇性と言う感じの、
けんけんZさんの解釈の方が納得できました。

 言うなれば、夕鶴であり、人魚姫といった感じです。

 しかし、綾波像。いくらつきつめても、アヤナミ・レイという人間は実在せず、
直接インタビューするわけにも行かず、そして、与えられた情報は、TV本編と
EOEだけであまりにも少ない。
 これで、多くの人の意見が一致するアヤナミ像など構築不可能でしょう?
(この点は、アスカだろうが、ミサトだろうが多分一緒。シンジだけは、かなり
 情報量が多い気もするが、それとても正反対の解釈が可能なのは、前に、
 子猫で議論したときにシンジ観が二つに割れたのから見ても明か。
  それでも、ちまたの解説本によれば、レイ=グレートマザー=母性の象徴で、
 概ね一致を見ているようですが、それに鯖さんが反発していますし・・・。)
 

 だから、このようなキャラ論って言うのは、結局の所、自分の理想の女性像
(男性像)をキャラに投影しているという事なんでしょうか?
 例えば、次のような感じ。

1 まず、自分の理想の女性像に最も近いイメージを持ったキャラ(例えば、
 レイ)を選び、 そのファンになってしまう。

2 次は、そのキャラと自分の理想のイメージが一体化してしまい、キャラ
 (レイ)の性格を自分のイメージと同一のものだと思ってしまう。
  つまり、解釈の方向が、逆転してしまうわけです。
  本来なら、TV・EOEの中のキャラの動きを解釈して、イメージを作る
 べき所を、「このキャラはこうあるべき」というイメージが先にあるので、
 作中のキャラの動きをそのあるべきイメージで逆算して、説明してしまう。
  例えば、鯖さんのアヤナミ像、けんけんZさんのアヤナミ像、私のアスカ像
 が、これに当たりそうです。

3 そうなると、レイの性格についての他人の違う解釈を、レイの解釈である
 とともに、自分の理想のイメージへの違う解釈として理解してしまう。
  特に、批判的な解釈の場合に、その傾向が強くなる。
(#こういう傾向って、心理学的にはどう説明されるんでしょう?>MEGURU氏)

4 で、このキャラというのが、異性だった場合には、自分の恋人なり想い人
 に対する中傷と捉えてしまい、敵意さえ持ってしまう。
  例えば、アスカ人のレイ像に対する鯖さんの敵意ですか?

5 さらに、このキャラが同性だった場合には、理想の自分と同一視している
 わけで、それに批判的解釈をされたりすると、自分への直接的批判と思って
 しまい、感情的に対応してしまう。
  例えば、子猫でのシンジ論議論、ケンスケ論議論ですか?
 (発端となったシンジ論は、「このエヴァ」徒然エヴァ論に掲載。)

  4と5については、もう少し、皆、冷静に対応すれば、いろいろな人が、
 様々な解釈を提示しやすくて良いと思うのですが、どうなんでしょう。

 ということで、皆さんのレイ像をもっと教えていただきたいので、どんどん
書き込んで頂ければと思います。よろしくお願いします。

・・・なんか、題から大きく論旨がずれたような・・・。ま、いいか。

それでは。

P.S.フランソワ女史。クッキーの件。了解。


【名  前】フランソワ
【タイトル】一行
  11/04 08:12
Mail: francoise@nerv.office.ne.jp
URL: http://start.at/404/
【メッセージ】
=T.OKA様@奥様大胸自慢
>クッキー
知ってるぴょん。でもそれはここの掲示板になぜかTITLEが無かったりお兄様のホームページが7割の確率で本物のfilenotfoundになっているのと同じで、わたくしの人知の及ぶ所ではないのだぴょん。

【名  前】T.OKA
【タイトル】閑話休題
  11/04 07:31
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
チーズ

 赤ワインには、きつめのチーズが良く合う。例えば・・・

 ブルー系は、はっきり言って、チーズに青カビが生えているのであるが、
       でも、ロックフォール・パピヨンはおいしい(あたり前か?)
       パスタに絡めるなら、やっぱゴルゴンゾーラ(定番)

 ウォッシュ系は、はっきり言って、見た目も匂いも腐っているようにしか見えないのであるが、
       でも、「失楽園」で話題になったエポワズのようなクリーミーなのも良いし、
       もっと強いシャンベルタンも捨て難い。

 うちでは、二人ともどちらもおいしく頂いている。

・・・が、しかし、白ワインが好きとかで、随分前にセラーまで買った友人は、
かなり苦手のようである。関西出身で、納豆が嫌い(人間の食べ物ではない!と力説する。)
なためか、腐ったもの全般が嫌いなのかも知れない。
#繰り返しになるが、ブルーにはカビが生え、ウォッシュは腐っているのである。

 せいぜいがんばって、カマンベールぐらいだと言う・・・。

 この前、飲みに行った時に、

「白ワインには、チーズが合う。」

とあまりに力説するので、どんなチーズが好みか聞いたら、かなりあっさりしたもの
ばかり上げるので、追求してみたら分かった話。

「どうりで、赤ワインが苦手な訳だ。勿体無い。」

の一言に、イタク傷ついた様子で、必死でシャンベルタンに挑戦する姿が涙を誘った。
苦手なら、無理して食べること無いのに・・・

★しもじさんへ
>○ 姑獲鳥の夏
>T.OKAさん、推薦どうもありがとうございます。早速、ヒマを作って読みました。

 いえいえ。実は、総合が京極の読書サークルみたいになってしまった全ての原因は、
Bleadさんにあります。私も、それで読んだので。
 よって、Bleadさんに感謝する(或いは、怨むのか?)のが筋かも・・・

★けんけんZさんへ
> T.OKAさんが提示したフォーマットによれば、気に入らない綾波論と比較した上でどっ
>ちが正しいのか示せとなっている(^^;
> 私は自分の意見が正しいなんて思い上がってはいない。

 あのフォーマット自体が鯖さんの書き込みの内容を明確にするためのフォーマットだったので
ああ言う書き方になっています。
 私自身は、「認識が違うもんはしょーがないじゃん。」
 それは、「違う」というだけであって、「どっちが正しいとか不当とかの問題ではない」
と思っていますので、念の為。
 鯖さんも、結局は同じだったようですが。

★フランソワ女史
 クッキーが壊れているような気がしますが・・・

それでは。


【名  前】二等兵。本日の訓練終了
【タイトル】re:(二等兵。本日の訓練終了につき。
  11/04 00:46
Mail: VZF10347@niftyserve.or.jp
URL:
【メッセージ】
>ファイブ・スター・ストリーズの\卷を読む。何だか、調子悪いぞ。心が特に。なんでかいな。ほえ。でも、ファテイマ・インタシテイの最後の話がだいぶ影響しているのかいな。ほえ。何か、こめられたおとぎ話だな。
>二等兵。研究論文の作成を進行中。テーマは、「心の地図。ー文明と秩序の成り立ちを中心にー(仮題)」
これで、学位(どくたーなんて無謀だが、まじなのね・これが)。
>論文の作成過程は、何回となく変更のまた変更かいな。ほえ。国際政治学、国際関係史、国際関係論、心理学(ユング派)、児童文学、防衛学(軍事学)、戦術・戦理、歴史学、文明論、までも視野にいれてね。これで一体なにができるのやら。見通しただず。でも、これで自分の興味関心を素直に追いかけてきたせいだ。後でリンケージしたものも多いのであります。ほえほえ?

【名  前】二等兵。潜伏中からの伝言板
【タイトル】がってんしょうちだ。ほいな、ほえほえ?
  11/03 21:03
Mail: VZF10347@niftyserve.or.jp
URL:
【メッセージ】
>「エヴァンジュリスト」。国際政治の南アメリカの民衆で広まる個人の幸福を重視する人達。そう認識している。二等兵。ほえ?そうだ、解放の神学にも親水性があるみたい。
>「アナーキスト」。常識では「無政府主義者」とされているけど、別な言い方では「自律主義者」と訳されてもいる。ほえほえ。
>近くの本屋で、「薔薇十字団」を論じた本を入手。結構、難解ほーくすです。
>まにゅあるで、攻撃シリーズを読む。戦車のつぶしかた。うんぬん。各部隊のレベルでだ。ほえほえ。ついでに、森の戦いにおける特性を読む。ほえ?

【名  前】二等兵。潜伏中からの伝言板
【タイトル】re:(1)森に潜伏中の二等兵からの伝言板
  11/03 20:44
Mail: VZF10347@niftyserve.or.jp
URL:
【メッセージ】
>けんけんZさんへ。二等兵であります。
>二等兵は、数年前に新隊員の教官をやっていましたけど、いい班長達の協力で、私のクラスからは一人として退職者を出しませんでした。いい班長といっても、一筋縄ではいかない猛者ばかりで(教育隊の勤務だからそれなりの評価されているのですが)、大卒や防大の新米尉官が彼らを指導するなど、竹槍でB−29を撃ち落とすぐらい無謀なことです。でも、彼らをどう指揮していくかが、その指揮官の人柄というか、もてるもの全てで勝負しなければなりません。(今も変わりないけど)。
>「新米尉官のおもり」ですが、右も左もわからない若造に、ただ階級だけで、命令されるのは、経験ある人達からすれば、あまり気持ちのいいこのではありません。
下で使われる(命令を下される)隊員のたいへんは、身近にいて良くわかります。命令されるのは、いくら仕事だからとはいっても、この人なら命令されてもいいな、と想わせるのが、指揮官としてたいへんな技術です。難しい言葉だと「統御」というのですが。
>「新米尉官」の一例として、機動戦士ガンダムのブライトは、士官候補生時にホワイト・ベースの艦長となってしまいました。艦橋のクルーは、自分より手強い女性陣で固められ、モビルスーツのパイロットは、素直な連中でないし、こんなんで、連邦軍の最新鋭艦を動かすなんて、ブライトの苦労性は運命的ですな。その中で、
リュウが、一番頼れ、信頼できる存在だったと思います。そのリュウが、亡くなった時のブライトが、「これからどうすればいいんだ」と涙ぐんだのは、リュウの存在が他クルーの指揮にどれほど必要不可欠だったかが想像できます。若い指揮官は、身近な経験ある部下によって作られるのです。
>おそまつ。ほえほえ。

【名  前】鯖@納得
【タイトル】成る程ね。
  11/03 13:38
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
つまり「社会との関係性」は9歳までで基礎が出来るんだ♪

ん?・・・三歳から九歳?

・・・どうも「もっとも社会に対する憎悪」が深かった次期の様な(汗)
「一歩家を出れば廻り全ては敵」と思っていた節があるな・・・

「数名の信頼できる友人を除けば、後は基本的に『潜在的敵性分子』である、
無論、教師(幼稚園・小学校)は『喧嘩両成敗に事勿れ主義を貫く』ので
信頼できない・・・無論そんな事は親に言う事ではない、結局すべて自力で
解決するしかない」と思っていたように記憶しているが・・・

大人しく従うのは何より嫌いだった上に、「一人でも案外勝利する事は
出来る」と言う経験の蓄積と「勝利の快感」が喧嘩好きを助長・・・(汗)

手後れねん、やっぱり・・・(あーあ)

はむ。


【名  前】MEGURU
【タイトル】昼
  11/03 10:49
Mail:
URL:
【メッセージ】
7歳児はまずい物以外は何でも食べるという無差別主義者である。強いアルコール類以外は口に入れることが出来る。
7歳児宅及びその周辺は、7歳児&7歳児母が法律を作っている面があるから、7歳児はシャンパン程度なら香りをかいで一口くらいは飲む。
俺が作る定番の総菜として、レヴァーのローストがある。新鮮なレヴァー(主に牛)が手には入った時にやる料理で、作り方は下記。

1>掃除をして牛乳で臭みを取ったレヴァーを、オリーヴオイル・タイム・ローズマリー・ニンニク、塩、胡椒でマリネする。
2>120度くらいのオーブンに入れて50分ほど火を入れる(温度と時間はレヴァーの大きさと量で微調整)。途中アロゼする(焼き油をかけること)。
3>レヴァを取り出し、冷めないようにしながら休ませる。余った焼き油に浮いた汚れを取り除き、そのオイルで付け合わせのキノコ類をソテー、白ワインを入れて蒸し煮。
4>ポルト酒を煮詰めてフォン・ド・ヴォーを加え、バターモンテしたソースをかける。

前置きが長くなったが、とにかく7歳児は何でも食べる。7歳児の親友のあーちゃんはレヴァーが嫌いだった。
が、7歳児がうまそうに平らげている姿を見て、「まゆまゆそれおいしいの?」と聞き、7歳児に薦められて生まれて初めてレヴァーを食す。
とりあえず2切れほど食べたあーちゃんは、レヴァーは食べられるということは認識したようだ。
好き嫌いは、子供の時から食べているかどうかで決まることが多い。日本人がチーズを食べられないのは食べていないから。
だが、チーズと共通性のある発酵食品(味噌、鮒寿司、醍醐など)を食べていた人間は、成長してからでも割合すんなりと入っていけるようだ。
 


 

20歳過ぎの子供に反抗されて困っている人間がカウンセリング室に来た。はっきり言えば「根本的解決は手遅れです」ということになる。
子供の教育は、2歳までの肯定、9歳までの躾、その後の実績獲得と多面的な刺激で決まる。
2歳くらいまで、主に母親がついてやって安心感と自己肯定を与える。脳の価値判断や抽象的な思考を司る部分が完成する9歳までに基本的な規範を教える。その後、実績と経験を積ませて自信を構築し、多面的な刺激で脳の働きを活性化させる。
2歳までの肯定がないと妙におどおどした子供になる。9歳間までの躾がないとルールに対しての観念がない。
細かい条件は人によってずれるが、「気づいた頃にはすでに手遅れ」というのは教育に限ったことではない。
 


 

>民主主義
しもじ氏の言説は、氏の前提条件が意味不明だ。
「自由・平等」が含まれていない、又は軽視されている氏の民主主義の理念とはいかなるものかがまず不明。
氏が民主主義のエッセンスとして挙げている「主権在民、多数決原則、法治主義」の内、法治主義は民主主義と全く関係ない。
例えば、女独裁者が「醜男は死刑。美少年はハーレム行き。自分より美人は国外追放。あとは強制労働」という法律を作ったとしても、違反すれば法治主義に反する。
法律の導入者は権力者である。ヨーロッパでいえば、比較的大規模な領主にすぎなかった王が、裁判と法律を手にすることによって絶対主義が確立していく。
法治主義の成立と、民主主義の発展の間には大きな溝があり、絡めて考えるのは訳が分からない。

主権在民の概念は平等から来る。
「王族、貴族、金持ちだけではなく、俺達(いわば庶民)にも政治的権利を与えろ」と言うのが、主権在民の始まりのはずだ。

それから「信奉するのは制度ではなく理念」というのは、どういうことなのか?
制度化・システム化・言語化・表現化されない理念というのは、意味がない。理念が完璧であるから実現されないのではなく、理念を完全に表現するのは無理なのではなく、表現に携わる人間が無能であるか、理念自体が欠陥品だ。
制度化するのが困難だからといって、理念だけを信奉し、制度化する努力を怠る・避けるというのは、無能な夢想主義者の甘い夢だ。
勿論、民主主義は欠陥品である。だが、民主主義は、体現者が全能でないこと、理念自体が欠陥品(つまり種々の矛盾を含んでいる)であることを前提にしている。

「主権在民、多数決原則、法治主義」というのは制度であり、理念ではない。
「社会はどうあるべきか?」>「一部の権力者だけの物ではなく社会成員全体のものであるはずだ」>「政治権力は世襲ではなく、広く解放されるべきだ」
みたいな論議と闘争があって、主権在民や多数決原則がでてくる。これらを理念とする氏の見解は、理論構成に明らかな欠陥がある。
それは認識の相違ではない。


【名  前】ファーストアヤナミスト
【タイトル】Where are there?
  11/03 07:43
Mail: CZN01522@niftyserve.or.jp
URL:
【メッセージ】
> 野見山さんの所の掲示板が、カップリング&ケンスケ論で盛り上がっているのに

 これって、どこでしょう?


【名  前】しもじ
【タイトル】Re:トシちゃん感激!
  11/03 06:11
Mail: HGA01077@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
どうでもよい事だが、私の大学時代のある友人は
マカロニほうれん荘と言う名のアパートに住んでいた。
西武新宿線沿線、鷺宮か井荻のあたりだった筈だ。

【名  前】しもじ
【タイトル】出張から帰ると、溜まったログ処理に追われ夜が明けた
  11/03 06:05
Mail: HGA01077@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
○ レイ
考えれば考えるほどわからなくなる。確か一年程前にもこんなことをやっとった気がす
る。結局行き着く先は人類補完計画。いつもここで大きな壁にぶち当たる。要は理詰め
で考えるのをやめればいいんだろうが...。ま、それが私の習性だから仕方ない。
答は永久に見つからん筈だが、考え続けることには何か意味があるだろう。それに、
感性的には答は既に出ている。言葉に出すのは何回か試みたが難しい。
他のヒトのレイ観を読む。なる程と思う。それなりに納得できる。できてしまう。
それはそれで良いが、さて、どうしたものか。

○ 姑獲鳥の夏
T.OKAさん、推薦どうもありがとうございます。早速、ヒマを作って読みました。
(ヒマを作る=睡眠時間を削る。思いっきり削れた。)
面白かった。特に京極堂の民俗学的考察(というのだろうか)が。
謎解きは純粋な推理小説としては反則技だが、そう思わなければそれも良し。
次は順番から行くと「魍魎の匣」か。また眠る時間が減りそうだ。

○続「私的民主主義論」
> 民主主義が不完全に終わる理由は、誰も民主主義の理念が実現をすることを望んでいないからだ。
民主主義の理念に「自由・平等」が含まれているならばその通りかも知れない。が、ど
うも私とMEGURU氏とでは民主主義の理念とやらが違うようだ。私の歴史の認識は正確で
は無いが、マグナカルタとフランス革命ぐらい理念が違う、と言うのだろうか。私とし
ては民主主義のエッセンス(と私が考えている物)だけを理念と呼んだが、そこから二
次的に派生した「基本的人権、自由、平等」などの概念も民主主義に含めて考えるのが
普通なのだろうな。まあそれが一般的な認識なのだろうが、いわゆる「戦後民主主義」
「近代民主主義」だけが「正しい」民主主義のすべてである、とは私は思っていないの
で「私が信奉している」民主主義の理念には含めずに、自らの定義を述べてそれを前提
に議論をした訳だ。話の元が「私が信奉している民主主義の(制度ではなく)理念」だっ
たから。ついでに言うと、私が民主主義のエッセンスと呼んだ物は「主権在民、多数決
原則、法治主義」と言うものらしい。
さて、そもそもの前提・認識・言葉の定義が違うと議論にはならない。どうしても議論
しなければならない場合は、まずその辺を詰めてからでないとお話にもならない。この
作業は手間がかかるが時に実りが多い作業でもある。が、相手や状況によっては煩わし
いだけな事もある。特に前提の違いを認識しない、あるいは認識していても無視するタ
イプの相手とは。その場合もっとも簡単な解決法はやはり議論しないと言う事だろう。

では、これにて失礼。


【名  前】T.OKA
【タイトル】トシちゃん感激!
  11/03 05:01
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
って、25歳は遥か彼方ですが・・・。
でも、これ読んでいた時、私、まだ小学生だったんですよね。・・・分かる人は、凄いオヤジです。

 ところで、本題。いやー、嬉しいです。
 野見山さんの所の掲示板が、カップリング&ケンスケ論で盛り上がっているのに、「総合」は
相変わらず、どうでも良い、個人攻撃の在り方みたいな話をしていて、ちょっと、エヴァへの
「愛」が足りないかな〜なんて思っていたところに、鯖さんとけんけんZさんの大論文。
 喜びの踊りを思わず、踊ってしまいました。

 それでは、綾波論。
 前にも書きましたが、綾波は、エヴァの中で一番掴み所が無いキャラだと私は、思っております。

 その原因は、鯖さん。

 もし、鯖さんがしつこく総合に綾波論を展開していなければ、私は、綾波をかなりステレオ
タイプなグレートマザー的象徴として捉えていたと思います。
 それは、鯖さんが懸念するような本田さんの影響ではなくて、「快楽原則」など一連の解説本の
解釈によるもので、極めて他からもたらされたものです。
 そして、そのような借り物のイメージにならざる得なかった理由としては、私の人生観や、
主義主張の中に、鯖さんが主張する綾波的なものはどうもしっくり来ないというのがあったと
思います。
(#反対にアスカは、キャリアウーマンとしての妻や職業婦人としての母のイメージにかなり
 あてはまり、自分自身のイメージとしてかなり明確なイメージを持てました。)

 そういう中でのけんけんZさんと鯖さんの綾波論開陳。非常に興味深かったです。

 そうして、開陳された綾波論はお二人それぞれのもので正しいとか不当とかそういう物では
ないわけで、単に、違うと言うに過ぎない訳ですが、それでもいくつかコメントがありますので
それを述べさせて頂ければと思います。

★けんけんZさんの綾波論
> T.OKAさんの理解の中で、おいらの綾波観と砂漠谷さんの綾波観は相容れないだろうとの
>誤解が有るわけですな(^^;
 これ、今でも誤解と思っていません。聞けば、聞くほど、真実のような気がしています。

> 二人目のどの辺が「ツボ」ったかと言うと、それは昨日の書き込みの通り、その「散り様」
>であります。
> 散ったからこそ惹かれたのです。
 これについては、了解。よく分かります。例えば、沖田総司ですな。

> あのシーンは、ヒトならざるモノとして生まれた綾波が、ヒトに近づいたあまりにその身を
>散らした瞬間なのです。
> イカロスが太陽に近づきすぎたように。
> バベルの塔があまりに天に近づきすぎたように。
> 心を持たなくとも良い、ヒトらしい弱さ脆さを持たずエヴァのためNERVのため人類のた
>めに「造られた」綾波が、ヒトに近づいたが為に起こった「必然性のある悲劇」なのです。
 凄い。凄すぎます。この理解は、かなりしっくりきます。

 そして、けんけんZさんが、そこに惹かれた理由についても大納得。

 さらに、私も感想で述べた通り、2015の綾波が、狙って駄目駄目に描かれていたのは、
同感なのですが・・・

> シンジにはアスカ「ぐらいで(爆)」ちょうど良いではないか(核爆)

 これは、私に対する挑戦状と受け取りました(笑)。
 私は、「シンジなど、アスカ様にはもったになさすぎ!」という意見を持っていますので。
 これについては、少しだけ、「このエヴァ」徒然論に書いてありますが、いずれきちんと
書かなければならないようですね。(ニヤリ)
 

★鯖さん
>そういう「構造を持った理論」で彼女を「規定したくない」と言う気持ちはあります。
>「攻撃への反証は簡単に出来るし、実際やるけれど」・・・「出来るだけ、ライブ感覚の
>気分で伝えたい」と言う気持ちが常に在る。
・・・やはり(ニヤリ)。
 それが反論されるのを忌避する余りの、
「明確な論理構造をとると反論されやすいから、あえて分かりやすい論理構造をとらない」
という、まるで古典宗教理論のような理由でないことを祈ります。

>で、先に箇条書きの「例文」へのつっこみ(笑)
 既にお気づきと思いますが、これらは基本的に、鯖さんが「高嶋レイ批判」の中で用いた
言い回しに、私なりの疑問を加えただけです。

>何の事はない。「任務と言う、自己の存在価値」に照らして「その時最も必要と彼女が判断する」
>行動をとっているのである。「他の二名が引き受けたがらない」地味な割に危険なパートを引き受ける
>と言う習慣まで何時の間にか付いている・・・(対マトリエル戦)
 この段落というより、この御返事の二の書き込み全体が、仕事を真面目にしたことのある者、
特に、上に立って、仕事をまとめなければならない立場に立ったことのあるものには、非常
分かりやすく、共感できる内容だったような気がします。
 

>社交的、と一口に言っても・・・「目立ち・御山の大将」が「社交的」だとは
>あたしゃ思わないし。社交性と言うのが本人の「社会性の発露の一形態」
>だと考えたら「単に取り巻きを引き連れてもてはやされるのが好き」で、
>例えば「上に立つものの義務」を弁えないような人間を「社交的」と呼ぶには
>問題が在ると思いませんか?一杯いますけどね。そういう人も・・・

>自由闊達・・・それは勿論「無法で礼儀を弁えない、他者への敬意や配慮を知らない」と言う意味では
>無いですよね?「自分の欲求の為なら、他の誰かが酷い眼に遭っても仕方が無い」と言う意味でも
>無いですよね・・・それが「共存の為の自由闊達」であれば無論否定はしません。

 他方、こちらの方は、非常に極端な例を挙げての、余り普遍性の無い反論のような気がしました。
 勿論、鯖さんの前提を全て鵜呑みにすれば、頷ける反論なのですが・・・

 ということで、私のコメントは煽っておきながら非常に第三者的で申し訳ないのですが・・・
私が言いたかったことは、さらに第三者的なので・・・

 真意が伝わるように、もう少しまとめてからアップしたいと思います。
 というわけで、私の綾波論は、今回はこれまで。(他の方の意見を大募集中。まじに・・・)

>故に「エヴァと言う憑き物を落とす」には「主人公が必要・・・FFを書くに碇シンジは必要
>なのだ」と言う事になってしまう。

 シンジ論については、「このエヴァ」にかなり書いていますので、そちらを参照頂ければ。
 気に入らない人が、かなり居るのは分かっていますが・・・ 

それでは。


【名  前】鯖@序論
【タイトル】その上で・・・
  11/03 03:48
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
けんけんZさんと「一点で交叉し、(皮肉にもそれが、LAS的綾波観に
対する心理的抵抗だった訳だ)所にある綾波観」について、語る事になるんで
しょうね・・・

多分、出発点は同じ「人間と言われるものへの懐疑」なんでしょうが・・・

けんけんさんは所謂「人形愛」的美意識(失礼 汗、しかし、それの持つアーティスティック
な面を安易に否定する浅はかな奴が多いゆえ、あえて反抗して使わせて頂きました)
から出発して「汚されざるもの」へ、「人工的で硬質な、冒されざる存在」の方へと
指向されている・・・

「作られたものゆえ美しく、悲しい」、「人はその不純さゆえに彼女を苦しめる」・・・
で、不純で愚かな人間が、やがて彼女達に駆逐される事を夢見る、とおっしゃりつつも、
「それが根本的な所で不可能」なことを理解していらっしゃるのではないか、とつい邪推
してしまう・・・(いや、現実問題とか言うレベルではなく、本質論的に・・・)

だから又、彼女達は「宿命的に消えて行く」、その事だけが彼女達に出来る「復讐」なのだ、
と言う辺りなのでしょうか・・・

で、ここで思うのが・・・最初の分かれ目は何処だろう、と言う事。(けんけんさんとあたしの)
一つ目は「行為主体」の問題かな?と思う訳です。

けんけんさんは「シンジが大嫌いだからLASを書く」(笑)とおっしゃって・・・
さらに殊更EVAの世界においては「人間全体」にその絶望?を広げられる訳ですが・・・

あたしはどうも「人間そのものを」悪辣なものだと言う事は解っているつもりでも
「捨て切れない」らしい・・・あえて言うなら「未だ終わってない、何かで切る筈だ」
と言う悪あがき(苦笑)

けんけんさんも恐らく・・・あの論旨に垣間見た人間観からすればEOEにおける
取って付けたような人間礼賛部分に「薄ら寒い嫌悪感」を覚えられたクチでは
無いかと思うのですが・・・(ここまでの我侭と自己憐憫が、人を傷付けてまで許される
と言うのか!?と・・・)最近、その時感じた「嫌悪感」の理由は、庵野氏の提示した結論が
「アイデンティティの希求を放棄する」と言う事だったからではないか・・・と言う結論らしき
ものに達したんですね。実は・・・

どうも、あたしにとってのEVAと言う話は、「少年のアイデンティティ希求の物語」
だった様で・・・それによって14歳と言う「青年期の入り口」に居る少年に当時27歳
と言う「青年期の終わり」に差し掛かった男が激しく感情移入してしまった訳なんですね。
(つまり、結局自分は悪あがきした割にまともなアイデンティティは得る事が出来なかった
訳だ・・・)で、彼がいかにしてそれを得るのかと言う問題に取り付かれてしまったのですな。

で・・・結局出された結論は・・・「求める事を止める」と言うものだったと。(あの自己肯定と
言うのは結局そういう事でしょう・・・)まぁ、「求めなくても生きていける」ってのは庵野氏
自信の本音なんでしょうけど。まぁ、その時点では呆れるだけでしたが・・・

しかし、どうも「求めたってしょーがねーんだ、そんな物。求める奴は阿呆なんだ」と開き直り
に等しい態度が気になるにつれて、「段々収まりが付かなくなって来た」・・・

少なくとも「自分は放棄しない」と言いたくなりましてね。

元々「行為主体」としての意志を捨てたら「庵野の思うつぼだ」(って事はないだろうけど)
少なくとも自分だけは「そんな生き方は御免だ、糞食らえ」と言ってやろうと・・・

故に「エヴァと言う憑き物を落とす」には「主人公が必要・・・FFを書くに碇シンジは必要
なのだ」と言う事になってしまう。終盤果てしなく生ゴミに零落しようとも、その物語と
書いている自分の連続性を保つ為には「結局彼を主役に据え、やるべき事をやらせなければ
ならない」・・・その根性を叩き直してでも。それは同時に「人間に対する絶望から何とか脱出
する」作業でもある訳ですね。

要は「往生際が悪い」・・・(苦笑)

で、その辺りが「出発点としての差異」になるのではないかと思うんですが・・・
(綾波論じゃねーやん、これ)

本論はいずれ(苦笑)


【名  前】鯖@箇条書き
【タイトル】取りあえず箇条書きの部分は回答しましょ。
  11/03 01:30
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
「社交的・無駄と解っていても努力せずには居られない」では駄目なのか?

「社交的」なのが駄目とは一言もゆーとりません(笑)
只、「それに至上の価値を見出してはいない」だけです。

社交的、と一口に言っても・・・「目立ち・御山の大将」が「社交的」だとは
あたしゃ思わないし。社交性と言うのが本人の「社会性の発露の一形態」
だと考えたら「単に取り巻きを引き連れてもてはやされるのが好き」で、
例えば「上に立つものの義務」を弁えないような人間を「社交的」と呼ぶには
問題が在ると思いませんか?一杯いますけどね。そういう人も・・・

まぁ、それは良いとして・・・「社交的であろうが無かろうが、身のほど知らず
はお断りだし、自己中全開な奴はホストが勤まらない・礼節を弁えないので
社交的だとは思えない」と言う事は言っときましょう。ましてや「付和雷同」
とか「単に人目を引き付けるのが好きなだけ」の奴と社交性を混同するのは論外。

「孤独」の意味を解せぬものに「社交性」が解ってたまるか!と言う辺りでしょうか。

「無駄と解っていても努力せずには・・・」

僅かでも可能性が在り、他に有効なオプションが無いからそうする訳でしょうが・・・
「百パーセント無理」な事に解っていながら労力を注ぎ込むのは努力ではなく只の
「自暴自棄」ではないかいな?

そして・・・他に手段が残されていない時に「最期の可能性」に全力を注ぐ事を「無駄」
だとはあたしは思わないし、無論彼女も「それが任務完遂の為の唯一のオプション」
であれば迷わずそれを選ぶと思いますけどね。

「無駄を嫌う」と「諦める」は全く違います。「諦める」は明らかに「任務放棄」「敵前逃亡」
になる事ですし・・・

この場合の「無駄」とは、「どうでも良い事」に付和雷同的に流されてエネルギーを浪費したり、
無意味な見栄を張ったりしてプライドに振り回され結局疲れただけ・・・と言う様なありがちな
事を指しているのです。「自分の明確なポリシー・行動方針を持っていない為に払う良く分からない
浪費や、それを人に悟られまいとさらに虚栄心に取り付かれてドツボに嵌まる・・・」

そういう話ですな。

以下の「区別」に付いては最初のものに付いての説明と似たり寄ったり。

何故駄目なのか、の所は・・・

「忍耐強く与えられた義務を果たす」に対する「無駄な忍耐を嫌う・臨機応変の対応」

無駄な忍耐?・・・それが「無駄」と解ってしているとしたらそれは忍耐ではなく只のマゾ
でしょうに。「無駄な忍耐」と言う言葉はどうも忍耐の意味を理解しているとは思えない
様な印象を受けますな。「どういう理由にせよ、それが必要であると考える」から耐える
んですな、人間は・・・他にもっと有効な手段が手に入るならそれを選ぶ馬鹿は居ない。

単に「もっと有効な手段を発見する能力があるか否か」の問題では?

「無駄な忍耐を避ける」と言う表現が使われるとすればそれの意味は只の
「逃げる為の口実」じゃなかろうか・・・

例えば「確実だが苦痛を伴う手段」を嫌って「上手くすれば楽な方法で行く
んじゃねーの?」と言う「希望的観測に基づく判断」をしてしまう・・・

やり直しが許されるのならそれも良いでしょう。が・・・「チャンスは一度」の
時に実際それをやろうとするのは只の無責任ではないだろうか・・・

また、「臨機応変」と言うのは「組織戦で結果オーライのオプティミズムをや
られては他の人間がたまらない」と言う事を念頭に置いていれば良いんですけどね・・・
そして「義務の達成」とは「与えられた任務が何を要求しているのか」と言う分析
から始まると言うのは「軍隊の常識」ですし・・・「いわれた事を祖の侭何の状況判断も
なく単純作業的に繰り返す」のは「義務を果たしている」とは言いません。

このT.OKAさんの設問は・・・「臨機応変」を「刻一刻と変化する状況を冷静に分析し、
その時最も有効で確実な対応を取る」と言う本来の意味を超えて「より大きな利益を上げる
事を目的にハイリスクな博打に出る冒険心」を「臨機応変」と言う表現に託してませんか?

前者であればそれは「綾波の行動律」に何ら反するものではありませんし・・・

「後者」の意味であれば「ヒロイズムは満たせる」かもしれませんがやっぱりそういう人間は
「それによって人が被る犠牲や危険」を失念した阿呆、と呼ばれるでしょう。少なくとも戦場
では・・・

自由闊達・・・それは勿論「無法で礼儀を弁えない、他者への敬意や配慮を知らない」と言う意味では
無いですよね?「自分の欲求の為なら、他の誰かが酷い眼に遭っても仕方が無い」と言う意味でも
無いですよね・・・それが「共存の為の自由闊達」であれば無論否定はしません。

自己の欲望に素直・・・その欲望が「より高次の価値」を指向する可能性のあるものならば良い
のですが。周りを傷付け、自分をも疲弊させる欲望でなければ幸いだと思いますが・・・

しかし・・・やはり「群の喜びを我が喜びとする」先憂後楽の静かで孤高な満足に、思いの侭の
シンプルな欲望は色褪せて見える様にあたしには思えます。

君子のWay of lifeにこそ美しさを感じる・・・

以上、こんなもんですかね・・・?

はむ。


【名  前】BLEAD
【タイトル】最中の彼方の輝きに…
  11/03 00:50
Mail: blead@fat.coara.or.jp
URL: http://www.coara.or.jp/~blead/
【メッセージ】
ペプシマンのCMが愉快すぎる。

 延々と有線からGLAYの曲が流れているのでそいつをBGMにしている。
 なんでも今月の特集がGLAYらしい。
 なんか聞いたことのある曲やら全く知らない曲やら、そんな感じ。
 結構心地良いと言えば心地良い。
 相川七瀬の特集やんねぇかな? 個人的にはまり道なのだが。

管理人さん
 とかくと「めぞん一刻」のやうだが(笑)
 件の広告…気付かんかった……ちっ、勿体ない。

SOUさん
 ユダヤ人陰謀説も絡めてみましょうか(わはは)
 あのネタは結構スキなんですが。

けんけんZさん
 まぁ、こういうワザとらしやりとりはおいときまして(笑)
 これを機会に「エヴァンジェリスト」を読んでみよう。

 しかし…レイに関しては俺は平気で反則技(二人目の記憶を三人目というハードが取得する
という…最低の技かも)も使うからなぁ…
 まぁエデンのはそう言う趣向話だったんですが。
 彼女は…不完全であるが故に完全に美しい。
 寧ろ不完全でなければ完全な美しさはない。
 そんな考えには賛成一票。
 ……ちょっと違いますかな?

> そう、いつの日か、彼女ら「未来のイブ」達が、愚かな人類に天が打ち下ろす鉄槌となって、
>人類の歴史に終止符を打つに違いない。

 俺はこういう考え好きですよ、正直言って。
 多分基本的に虚無主義者ですから。
 諸行は無常ですし。

あむ。


【名  前】鯖@箇条書き
【タイトル】御返事の二?
  11/03 00:15
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
T.OKAさん

何時もの「自動書記」は師匠に「アジア的混沌」とも呼ばれとりますな(笑)
(まぁ、綾波に嵌まればはまるほど「近代への懐疑」たの「脱理論」だの、
クローバルスタンダードへの抵抗だの戦後民主主義への疑問だの、どんどん
「攘夷派」になっていく 苦笑・・・マハティールの旦那やリー・クァンユーの
爺様の危惧が良く分かるようになった・・・一方で一層デリダだのドゥルーズだのに
傾倒したり・・・それまでは「結構軽薄な社会民主主義者」を標榜していたに。暴力
装置の構成員の癖して 笑)ま、どうでも良い前振りは置いといて・・・

そういう「構造を持った理論」で彼女を「規定したくない」と言う気持ちはあります。
「攻撃への反証は簡単に出来るし、実際やるけれど」・・・「出来るだけ、ライブ感覚の
気分で伝えたい」と言う気持ちが常に在る。

出来れば「ロジックではなく、言葉以前の情動を情景描写とかで表す」方が相応しいと
思う訳です。だから「たかが反証」に隠喩を使いまくり、神話学まで持ち出して「イメージ」
を伝えることで知ってもらいたい」と考えながら駄文を綴ったりする・・・

解りにくいでしょうが・・・「彼女に付いて何を理屈で語ったところで、それは言語と言うレベルに
解体された「断片」を捉えて論じているに過ぎない、その本質は「言語以前の感情の複合体」その
ものにあるのだから」と言う表現になってしまう。それが個人的見解です。

だから「ある側面に付いて語る」事は出来ても「それが俺の綾波なんだ」とは言い切れない。

故に「綾波のここが好き」と言う言い方は出来ても「綾波って所詮そういう存在なんだろ?」と
言う奴は阿呆だ、と言う訳です。「一断片を曲解して解った気になって、我田引水に御高説を垂れて
いる」と。(本田氏はそういう言い回しをかつて乱発して「だから綾波ファンって奴等は」と繰り返し
たので「カモにした」、高嶋さんも「だから劣った存在」と言う言い方をしばしばなさるので批判した
って訳です。「それがすべてと断定して、解ったつもりで棄却している」から。)

まぁ、それを前提にして、「こういう所に惹かれた」と言う意味の綾波論であれば可能ですが・・・

で、先に箇条書きの「例文」へのつっこみ(笑)

「寡黙・慎重」

「消極的・主体性の欠如」、と言うのは「付和雷同・自分で判断できない、
人の意見に引きずられる」と言う風に行動に現れてくるものである。お馴染
みの「命令だから」をもってそのように解釈するのは的外れとしか言いようが無い。
解らない人間は「与えられた命令を忠実に実行する」事がどれほどの意志力、精神力
を浪費するか一度やってみれば良い。「我侭放題喚き散らす」事や「反抗的態度で
サボタージュに訴える事のた易さ」も同時に学ぶ事が出来るだろう。そんな事は別に
巷に五万と居る「付和雷同で自分の意見の無い」連中だって毎日の様にやっている。
そして「罰則を与えられて始めて」泣き言を言いながら半人前の仕事をどうにかこなす
のだ。慣れ?それでも「落ちこぼれる奴・満足なレベルに達しない奴」なら腐るほど
居るだろう。馴れれば馴れたで「手の抜き方を覚える・慢心する」のが世の常と言う奴だ。

派手なスタンドプレーに走ろうとするのは誰でも出来る(成功するかしないかは別として)
しかし、「実直に与えられた任務を達成しようとする」人間は存在自体が重要なのだ。
(ファシズム下における特殊な教育(洗脳)においても、結局「優秀な猟犬」に育つ奴は
もともと高い素養の持ち主なのだと言う事を失念してはいけない。つまり「能力の低いものは
事前に排除されているので見当たらない」だけなのだ。「意志の弱い」奴は生き残れなかった
と言うだけの話である)事の善し悪しはともかく・・・

「消極性」と言うものは結局「怠惰・エネルギー不足」や「自信の欠如」に起因するものだ。
自己の内外における要因が結果として「消極的」にしているのである。例えば本人が好き好ん
で(十分な能力を持ちながら)「消極的態度」をとっていたとしても「都合が悪くなればその
態度を何時でも放棄できる」のであればそれは「消極的」とは言わないのではないか?
自分にとって不都合が生じ、何らかの意志・行動が必要な時においてさえ「意思決定が出来ない」
「行動に移せない」人間を「消極的」、「不本意ながらも従ってしまう」「それが不本意である
にも関わらず、自己の意思決定が出来ない為に他人の意見にずるずると引き摺られる」様な人間を
「主体性に欠けている」と普通は言うのだ。

仮に「全体主義下において命令に逆らえず悪行に荷担した兵士」が「顔では忠実・勇敢」な振りを
していても内心「脅えている・後ろめたい」様な場合が相当するのだ。「何の疑問も持たずに実行した」
のであれば「本人にとってはそれか正しい行為」なのであって実に「主体的行動」な訳だ。間違っている
のは「本人の倫理基準」の方なのである。(無論そっちの方が怖いが)

それを念頭に置いた上で、彼女の行動が「消極的」だったかどうか考えてみると良い。

「初号機には、わたしがのる」、「誰かかやらなければ、いけないんでしょう?」「貴女は人に
誉められる為に・・・」あるいは停電下において一人黙々と真面目に正しい通路を辿って、外野の
どつき漫才には目もくれず誘導した時・・・

何の事はない。「任務と言う、自己の存在価値」に照らして「その時最も必要と彼女が判断する」
行動をとっているのである。「他の二名が引き受けたがらない」地味な割に危険なパートを引き受ける
と言う習慣まで何時の間にか付いている・・・(対マトリエル戦)

良く分からないがあの人達は嫌がっている、でも必要だからわたしがやろう、と言う事なのだろうか・・・

故に「消極的」なのではなく、「冷静」「自己の考えが無い」のではなく「余計な事は言わない」、
それだけの話なのである。

こんな感じの説明?

まう。