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(ろぐ167)


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ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】SOU
【タイトル】いや、別に
  04/07 17:36
Mail: sou-1701@qc4.so-net.ne.jp
URL:
【メッセージ】
私と、鯖君はなんも言争ってることはないはずなんだが?。
それとも自覚不足?。(かもしれん)

あたしゃ、T.OKAさんに質問したりしてるだけだし。
と、思うんだけど


【名  前】せつこ
【タイトル】お久しぶりです。
  04/07 15:52
Mail: komahi3@suma.kobe-wu.ac.jp
URL: http://www.geocities.co.jp/Playtown/3926
【メッセージ】
 ・・・ここはどこ?私は誰?
 はともあれ、久しぶりにこの掲示板を覗いてみましたが、・・・相変わらずの書き込みのようで。

質問:結局、鯖さんとSOUさんは何を言い争っているのでしょう?中心となっている話題がまったく分かりません。

 結局、綺麗だとか汚いだとかいう考えはだれかの主観によるものであって、それに対する評価もまた同じです。
 つまり、綺麗な行為を行ったから偉いとか、逆に汚い行為を行ったから偉い、ということはありません。
 時折、シンジ君が強くなる話があります。前もここで書きましたが、そういう話は私は好きではありません(これも主観だなあ)。
 腕力的に強くなった場合、何だかシンジに関する肝心の問題が除外されてしまったかのようで腑に落ちません。
 精神的に強くなった、とされる場合も、話を良く読んでみると「本当に強くなったのか」とつっこみたくなります。
 LASもLRSも、いや、シンジと誰かが幸せになる話の大抵が好きではありません。そういう話は大抵、アスカもレイもその他の女も、シンジのことしか考えていません。私が男だったら、そういう女は煩わしいだけだと思いますが。
 これもやはり主観で、私が女で、世の中には好きな女の事しか考えない男、という人が極めてまれ(たぶん)なため、そういう話を読んで、そう感じるのかもしれません。
 もしかすると、これはエヴァのパロディ小説に限らない話かもしれません。

 いつか書く話
 ゲンドウはレイを道具と見なしていたが、レイの姿がユイに似ているため、段々と愛着を持つようになる。が、結局は道具として扱わなければならない矛盾に陥る。結果、レイを冷たく突き放す。
 レイは主にリツコによって育てられる。しかし、リツコは余りレイを好きではないため、レイと接する機会を極限まで減らそうとする。そのため、レイは人とまともに接する機会がほとんどないまま育っていく。
 やがて出会ったシンジは仲間意識からレイに接する。レイはシンジによって、人との接し方を学んでいく。同時に、今までの自分の生活について疑問を持つようになる。
 その疑問は、レイに、ゲンドウやリツコへの反発心を生ませる。奇しくもその頃、ダミーシステムが完成していたため、レイは以前ほどの重要度がなくなり、比較的自由な行動が許されるようになる。
 レイは皆と多く接するようになり、特にシンジとの交流を深める。ゲンドウはそれを黙認する。二人を道具として扱っているのだから、口を挟めるはずもなかった。
 ある日、シンジはネルフを出ていくと言いだす。レイもそれについていくだろう事を察していながら、ゲンドウは「勝手にしろ」と告げる。
 そうして、二人は第三新東京市から姿を消す。
 しばらくして、レイから手紙が届く。何枚もの手紙には、シンジと幸せに暮らしている様子が文面に載っていた。手紙は定期的に届き、ゲンドウが気もない返事を送ると、やがて嬉しそうな返事が届く。
 そこから手紙の往復が始まる。シンジも最初は手紙を書くのを渋っていたが、やがてワープロを立ち上げる。
 そして、二人が第三新東京市へ戻ってきた日、第三新東京市は破壊の限りを尽くされていた。二人は皆を捜すため、その中へ飛び込んでいく。
 さて。

 ・・・おかしい。私はレイがゲンドウと結ばれる話を考えていた筈なのに、気がついたらこうなっていました。
 という訳で、上の話は忘れてください。
 それでは。


【名  前】まっこう
【タイトル】次は
  04/07 10:54
Mail: akagi-labo@NERV.TO
URL: http://www2k.biglobe.ne.jp/~penguin/rtop.html
【メッセージ】
 せーだか……せがた……せが……さたーん……ぷれいすてーしょん……振られ捨てられ者専用掲示板

かしら……あはは私なんかばんばん書き込める……はぅ


【名  前】T.OKA
【タイトル】要するに・・・
  04/06 13:57
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
 私の主張は、次のようなものに過ぎないのだが、見事に伝わっていないようだ。

「他人を批判するときは、自分の中の他人の虚像のイメージだけを取り上げて批判するのではなく
 きちんとその根拠と理由を示すべき。」

 だから、鯖氏との会話は、次のような会話に似ている。

鯖氏:「SOU氏は、バルタン星人である。だから、退治すべき。」

T.OKA:「SOU氏が、バルタン星人である理由は何? そもそもバルタン星人って何?」

鯖氏:「バルタン星人の定義は、怪獣大図鑑に載っている。
    それを読めば、SOU氏がバルタン星人であることは、自明である。」

 しかし、私が知りたい中心は、「SOU氏をバルタン星人と判断した根拠・理由」にあって、
バルタン星人に変身能力があることや、その体重や身長を知ることではないのであり、
それを知れば自明と言われても分からないから聞いているのだ。

 勿論、バルタン星人の特徴を知らなければ、SOU氏がバルタン星人であるかは判断できないが、
それだけでは不十分であり、その特徴とSOU氏を具体的に繋ぐ事実なり根拠が知りたいのだ。

 しかるにこの回答では、これまでも、今後も余り対話になりそうにない。
 疲れる訳である。
 

 だから、例えば、以下の2つの発言が非常に虚しく聞こえる。

>それよりも・・・自分は「何故自分がそう感じ、他の人はそう思ったのか?自分は何を
>求めていて、その結論は何なのか?」・・・そんな事の方が遥かに興味が在る。

>無論「強要されれば拒否し」、「それによって人を打つものが在れば斬り」、
>「差異を認め合い、平和的に話し会いを楽しめる人とは、その違いを興味深く
>思う」・・・それがあたしのスタンスだ。

 この2つの発言は、結論だけ読むといつも私が言っていることと全く同じであるが、
鯖氏の手法がそのスタンスと全く整合していないと私は感じるから。

 もし、ある人が、作品や作者についての「自分の考えの結論だけ」をただ開陳するだけで、
その考えの根拠や裏付けとなる論理について何の説明もしないならば・・・
 そのことによって分かるのは、単にその人の結論だけであって、
結論が導かれる理由や、結論が異なってくる差異を知ることは絶対に出来ない。

 それは、単に結論の叫び合いに過ぎず、相互理解とはなり得ない。

 例えば、天動説と地動説の争いを考える。
 単に、天動説側が、地動説は、神の権威に反し、不敬であると叫んでいるだけの間は、
両者の相互理解は進まない。
 両者が実際に星を観察し、記録を残し、それを基礎として議論した結果、惑星の動きが
天動説よりも、地動説でこそ、より良く説明できることが明らかになり、そこで始めて、
また、一つ、相互理解が進む。
 さらに同じ地動説の中でも、理論と観測数値の違いの原因を追及した結果、次なる
理論(例えば、歳差運動)が生じ、或いは、小惑星が発見されたりする。
 そうして、天動説との関係では、一見、同じものに見えた地動説の中の違いが明確になったり、
或いは、より精緻に正確になっていく。

 相手の考え方を理解し、その考えと自分の考えとの違いを認識し、相互理解を深めていく方法も
基本的には同じであろう。

 にもかかわらず、そこにおいて、実際の惑星の動きを無視して、神の権威のみを持ち出すような
天動説的議論の方法は、私には余り理解できない。
 

 多分、鯖氏の意見では、天動説とっていることでその人が信心深いことが分かり、
地動説をとっていることで神を信じていないことが分かる。
 それが重要なのであって、天動説か地動説かは重要ではないということなのだろうが・・・

 その場合は、今度は、「何故、神を信じるのか」、或いは「何故、神を信じないのか」に
ついて議論すべきであり、にもかかわらず、その結論の根拠について話をしないのは、
思考停止、或いは、相互理解の放棄の最たるものに思える。
 

 それでも、作品や作中へのキャラへの妄想についてだけなら、理由も根拠も示さずに
結論だけ叫んでいても、それは何の害もない・・・
 どころか、他人の妄想の一端に触れて、それはそれでおもしろい部分もある。
 

 しかし、その根拠を示さない方式を、他人の人格や他人の行動を批判する際に適用するのは
かなり問題がある。
 

 何故なら、そうした他人の批判が、批判者の中の他人の虚像のイメージだけに基づくときは

1 批判される人間が、実際には行っていない行動(例えば、「純」「不純」論争)について、
  行っているとして批判にさらされたり、

2 擁護される人間が、実際には行っている行動(例えば、何度も自分の言葉に反する行動)を
  行っていないとして擁護されたり、

と、批判される人間の身に覚えのない行動について、批判されるからである。
 

 この場合には、批判者は、常に正義であり、
        批判される人間は、実際の行動とは無関係に常に悪である。

 まさに、この批判者は、「権威」と言う塔を打建てているのである。
 それが、まさに、鯖氏が私やH氏を批判する方法なのである。
 

 まこと、常に、汝の敵は悪徳にまみれ、正義は汝とともにある。


【名  前】まっこう
【タイトル】微総合という事は
  04/06 10:35
Mail: akagi-labo@NERV.TO
URL: http://www2k.biglobe.ne.jp/~penguin/rtop.html
【メッセージ】
 イロウルで

 次は巨大総合で リリス?


【名  前】鯖@詠。
【タイトル】「嗚呼、禍なるかなバビロン。」
  04/06 00:31
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
その諸々の塔は崩れて地に落ちたり。

人は「権威」と言う塔を打建てる。その盤石の姿を見て、
多くの人がそれを称え、その力を欲する人達がその周りに
群れ住む・・・それを自らの支えとし。

****************************

前にmal委員長が言われたけれど(笑)(共通認識?或いは暗黙の
空気として)FF世界と言うものが何時の間にか作られて居たとして・・・

そういうものにあたしは「当てはまらない」らしい(笑)

或いは、其処に何時の間にかある種の「基本思想」みたいなものが
生まれて、其処に見えざる枠の様なものを創り出していたとすれば・・・

矢張り、それを破壊しようとするのかもしれない。恐らくは無意識の
内に。

一つの「権威」を克服する為に生まれた志は、又時として「新しい権威」
をいつしか指向している事がある。全てを刷新しようとして生まれたそれは
いつしか「自己保存」の為のものになっていく・・・

解放の英雄はいつしか「独裁者」になっていく事が侭或る。かつて憎んだ
者達と同じ轍を辿る・・・そして又、その塔は崩れ去る。その塔の元に住み着いた
人々の悲鳴や怒号と共に・・・

願わくば彼の人々に慈悲を。心に安らぎを。

主が汝と共に在らん事を・・・


【名  前】鯖@はう。
【タイトル】一握の灰さんへ。
  04/06 00:04
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
読書後にしか反論を許さない、のではなく、
「その本の内容に沿って書いた文ゆえ、読まなければ解らない」
と言う意味です。

つまり「本の紹介」に対して「本を読まずに反論するのは不適当」
と言う意味。あれは「小此木氏の著書はこういう問題の理解の一助
になる。興味のある人は読んでみると良い」と言うものですから。

無理に読めと言う意味では在りません(笑)

只、それについて批判するのならばタームの用法が適切ではない、と
言う事。

御配慮に深く感謝(平伏)


【名  前】鯖@はう。
【タイトル】想像力の問題ね。
  04/05 23:54
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
まぁ、端から説明するのは面倒だから一々言いませんけどね(苦笑)

砂の城?・・・元々の相互に矛盾する「断片情報」を繋ぎあわせて
「好みの解釈」を綴り合わせている点では「全て蜃気楼でしか有り得ない」

その中で・・・リアルだ、と言えるのは「辻褄合わせ」じゃなく「〜に対して
こう感じた」・・・「その理由は〜である(裏設定がどうの、と言う話では無い。
なぜ自分がそれに対してそういう情動を持ったか、と言う意味)」「自分は〜
に対してこう思う」と言う事だけである、てね。

なんでそれが好きか、とか嫌いか、と言う回答は「自分の中にしか無い」。

「幼くして大卒云々だから〜に違いない」と言う類推を立てるのは見るものの
自由では在るが、それがそこに現れた性格やそれによって多くの人間が受けた
印象と何ら結びついていないだろう事も又事実。

そういう「努力をしてるんだ!」と言う事にしたいのならば「自分でその綻び
を綴り合わせる」しかない。「実体は全く違った」と言う話だって「何の不自然も
無く成り立つ」以上はね。

「〜と言う設定だから絶対にこうだ!」と言うのは論理的論証でも何でもない。
単に「個人的好みを補強する為の手段」であり著しく一般性を欠く。それも所詮は
「言い分けつき蜃気楼」に過ぎない。実験で実証できるような事では無いのだから。

それよりも・・・自分は「何故自分がそう感じ、他の人はそう思ったのか?自分は何を
求めていて、その結論は何なのか?」・・・そんな事の方が遥かに興味が在る。

そういう「ストーリーに出てこなかった設定上の問題」では「見るものが受けた情動」
の理由の説明などにはならない。「〜な筈なのだから〜は有り得ない」と言っても
そういう言動が見られたんだからしょうが無い。それを見たものが「どう受け取ったか」
と言う話だ。

故に「自分はこう感じた」と言う事、あるいは「〜を望む」(例えばけんけんZ氏の
「幻想愛・幻だからこそありがたい」と言う嗜好)と言う事そのものや
「そう感じた理由」が重要なのだ。

H田批判にせよ。結局はそういうレベルの理論でこちらも(恐らく彼も)「そう感じる」
自身の人格を賭けて殴り合う。彼は「自分の心に安らぎを求める」為に他人に喧嘩を売り、
それによって「人格そのものに対する衝撃」を受けた人達が怒る。そして、その「安らぎ」
の存在の仕方を受け入れ難いあたしは「まやかしだ」とそれを暴こうとする。暴いた果てに
「自分の探しているもの」が在るかもしれないと思ったからだ。

「作品論」ではなく「作者論」の闘いである。

けんけんZ氏との対話で面白かった・勉強になったのは「その筋書き」
では無い。そう言う「捉えかた」を通じて「氏の指向する人生論」とか
「価値観」の様なものが見えてくるからに他ならない。けんけん氏も、
あたしのそういうものを面白がってのって頂けたものではないかと思って
居る。「小手先のなぞ解きごっこ」と言う「玩物喪志」に嵌まるのはフェティ
シズム的傾向を持つ我々SFファンの悪い癖では在るが(苦笑)

けんけんZ氏とのお話ではお互いある程度の「思想や感覚の差異からくる
精神的方向性の違い」を確認できて大変楽しかった。氏がなぜそれを望むのか、
あたしがなぜそういう捉えかたをするのか・・・

けんけんZ氏が言われた事だが、「T.OKA氏が理想として求められている
人間関係観と言うのは概ね自分には分かる気がする・・・多分自分と同じだ」
と言うのが大変印象に残った。そして、これは邪推だが、けんけんZ氏は
「自分にはそれが合っている」と言われるだろうし、T.OKA氏に関しては
「それ(氏自身の人間関係観)を至上と考えて居る」のだろうととれるニュアンス
も耳?にした。それで「少し糸口が見つかった」様な気がしたのは余談では在るが・・・

もしそうだとすれば・・・思うに「自分にとってその人間関係観が至上」なのは
当然なのだが、「必ずしも他人にとってはそうでは無い」と言う事を改めて
言っておきたい。全てにそれを適用して、それに適合しているかしていないかで
「優劣を付ける」事を行っているとすれば少々空しい様な気がする。仮に・・・だが。

仮にそうだったとしても氏のそれは「言葉の端々に微かな優越感や不快感として
現れる」程度なので問題ないが、H田氏の問題はそれを「公式化」してそれに
適合しないものを「糾弾する権利を持つ」と錯覚した事に尽きるであろう・・・

あたしは個人的には「H田氏が『何とか自分のものとして担ぎたかった価値』」と
「T.OKA氏の重視する価値」と「けんけんZ氏が『自分にはこれがあっている』
と言われた価値」は極めて似通っているのではないかと思っている。

無論「強要されれば拒否し」、「それによって人を打つものが在れば斬り」、
「差異を認め合い、平和的に話し会いを楽しめる人とは、その違いを興味深く
思う」・・・それがあたしのスタンスだ。

そして、あたしが興味を持って語るのは「そう言った諸々の価値」についての
話である。その「価値」を正当化する為のガジェットや戦術そのものでは
無い。

それだけの話である。


【名  前】T.OKA
【タイトル】つまり・・・
  04/05 23:40
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
>なぜ怒る?。

「 SOU氏は、M87青雲(で良かったか?)からやって来たパルタン星人であり、
 世界征服を狙う大悪党なので、見つけ次第塩をかけるのが吉。
  なぜなら、バルタン星人は、なめくじと同じで塩をかけると縮むからである(笑)

  ところで、何故、SOU氏がバルタン星人って分かったかって?
  それは、能力ある人には、自明の理なので、分からない人に説明してやる必要はない!」

というような言われ方を、真顔でされた気になったからです。>SOU氏

 もし、それが、こんな感じの冗談ならば、笑って済ますことが出来たんですがね。

それでは。


【名  前】一握の灰
【タイトル】最早言うまいと思うが・・・
  04/05 23:27
Mail: fwiy0146@mb.infoweb.ne.jp
URL: http://village.infoweb.ne.jp/~fwiy0146/index.htm
【メッセージ】
両者に遺恨を残さないように
あえて当事者でない第三者が責任をとることにより
当事者自身に、自粛を促し議論を収拾させる

私の発言がルールに反しているかどうかは問題ではなく、あえてここから退出させてもらったのは、こういった意図によるものだが、両氏にはうまく伝達できなかったようだ・・・

しかし、一端宣言した以上はここに出入りするべきではないだろう。でなければ誰も私を信用しなくなるであろう。いや私自身にも反する。

しかし、今回だけは言わせていただきたい。

砂漠谷氏、貴方の今回の姿勢は掲示板に記載をおこなうものとして適切ではなかったのではないだろうか?

掲示板は意見交換の場所でしかない。その結果として議論になることもあるが、基本的には意見交換の場所である。したがって、ここで権利義務を持ち出すことは出来ない。にもかかわらず砂漠谷氏はそれを持ち出しておられる

>先ず読んでから反論する事。

本来意見交換の場所でしかない掲示板において砂漠谷氏に反論するのに、なぜ砂漠谷氏が指定した書物を閲覧しなければならないのか?

議論のためにもうけれられた場所ならいざ知らず、このような場所で、である。

この発言は議論をおこなうものとしてはなはだ不適切ではないか?砂漠谷氏はよく自らの読書を比喩として挙げられるが、これに反論するにはそれらをすべて閲覧した後にしか、許されないのか?

砂漠谷氏には自省を求めたい。


【名  前】鯖@はう。
【タイトル】単純に表層的意味ならば、
  04/05 22:52
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
自由化論者一般は「日本的モラトリアム心理を否定している」と言う
ことが出来る。「人が何とかしてくれると思うな、手前の事は自分で
やれ」・・・まぁそうだろう。

しかしね・・・其処だけならそれて意味は通る。しかし、焦点とした
のは其処ではない。

「モラトリアム国家日本の危機」小此木敬吾著 祥伝社刊
第四章。ここにおける「パーソナルな自己愛=理想自己」と
「社会観念的自己愛=自我理想」の定義。

此処が論点。これはあくまで小此木教授の観点で語られているが、
あたし個人としては「どっちが良い」と言う問題ではないと思う。

何故なら現在「普通・健全・進歩的」と見られ易いのはむしろ前者の
「理想自己」における「周囲の期待に適合する人間」であり、後者の
「自我理想」的な発想を持つ人間は時に「狂信的・時代錯誤・封建的」
と言う批判を受け易いからであるが・・・

実際本文中において、著者も「自我理想的発想に対する女子学生達の
反発」について触れている。これが小此木氏ではなく名だたる女権論の
論客諸氏ならば「全く正反対の評価」を下しただろう事は想像に難くない。

どちらが正しいと言う問題ではなく、多分「どちらも正解」なのだと思う。

そして、現段階に置いては単純に「福祉社会・和を以って・・・」=モラトリアム指向
「自由競争指向」=アイデンテイティ型社会指向、とは言えない状況になりつつ
あるのではないか?

「福祉社会」を維持するには「強いアイデンテイティを持った存在が外側で
支える必要がある」が、誰もが「外側に廻ろうとしない・廻りたくない」為に
「義務の強制が少ない(様に見えている)自由競争社会へ(一時的に)殺到する」
・・・まあ、それで「ある程度現実にさらされて性根を据えればマシになる」のかも
しれないが。

氏は一般的に「重度のモラトリアム型」と言えるあるグループの理屈に対して
「自由化を説く」役割を担って来たとは言える。が・・・

氏の「アダム・スミス的市場主義」を「人の価値観全般にも適用する」
思想や、多分に「外的規範をより重視する」発想は基本的な所で「理想自己」的
発想に見えるのだ。

それが意見の食い違いを生む最大の要因ではないか?と言う話である。


【名  前】しもじ
【タイトル】微総合って何?
  04/05 22:39
Mail: HGA01077@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
タイトルが毎日猫の目の様に代わりますねぇ。
これは毎回わざわざUPLOADし直されているのかしらん。
 

原稿の〆切を3本もかかえ、加えて連日の徹夜実験を並行して行なうという悪夢のよう
な3週間を終え、ようやく学会の準備に取り掛かれるようになって少しヒマができた。
と思った頃には桜はもう盛りを過ぎてるし。取りあえず飲む。
 

○MEGURUさん
レス、どうもです。あっと言う間に過去ログの彼方に消えていたので、正直レスが
帰ってくるとは思ってなかったんですが。んで、お返事ですが...
(もう記憶の彼方に忘れ去られとる頃になって、お返事っつうのもなんですが)

> ただコルトンと表記されても意味不明。
> 鯖氏に「新潟の純米酒は?」と聞いているのと同じ。
はあ、カキコした時は赤か白かも書き忘れるぐらいに酔ってましたからね。
ラベルを見ながら書いてたのに、Santenayをスペルミスしとるし。
コルトンの1984は赤ワインで、Grand CruでついでにDomaineです。
ラベルをはがしてもらい、記念にとって置いてあります。

> 値段はいくらくらいだろうか?
Santenayが5000円、Cortonが2万円だそうです。相場も何も知ったもんじゃ無いん
で、これが高いか安いか私にはわかりません。わかったのは値段に応じて旨さが違った
ことぐらい。飲んだのはレストランではなく研究室。だから値段は酒屋で買った時の値
段。
 

○LAS革命
UMAさん、情報提供ありがとうございました。行ってみましたけど、昔の日アスからは
エライ変わり様。ついでに秘密結社の方も探し出して見てきました。感想は以前に 
T.OKAさんが言っとったのと大体同じなので省略。何が問題だったのか、全然わからな
かったです。まあ普通、自分に都合の悪いものを残して置くはずはないですけど。
 

では、んなもんで。
他にも色々思ったことはあるけど、まあ、酔った勢いでは書かないのが吉。


【名  前】鯖@はう。
【タイトル】だーかーらー。
  04/05 21:59
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
「モラトリアム型」「アイデンティティ型」の分類は
小此木氏の著作に乗ってるって(苦笑)

それを前提にして「こんな本にこういう感じの分類が載ってます。
面白いから見てみれば解る」と言う話なのだと言うのに。

言葉、特に「心理学のターム」を皮相的な意味だけで捉える事の
危険性とかね、今更言うことでも無いが。

それには「プラスの意味もマイナスの意味も無い」。

長所短所合せての分析が載っているから先ず読んでから反論する事。


【名  前】SOU
【タイトル】でもさあ
  04/05 21:32
Mail: sou-1701@qc4.so-net.ne.jp
URL:
【メッセージ】
>つまり、「他人の主張が、Aであることは、自明である」と非難するのである。
 そこには、他人が積み重ねた議論のほとんどが捨象され、鯖氏のイメージに残り、
鯖氏が批判するのに都合が良い部分だけが残される。
これって、批判あうるのにつごうがいいとかじゃなくて、その言葉あるいはその部分しかその相手に
つたえられなかったってことにもなるんじゃないかなあ。
むしろ、あいて(今回は鯖)が批判に都合の良い部分を残したと言うか
批判したくなるという部分しか残らなかったというかのうせいだってあると
おもうんだけどね。

>私が、最初に激怒とした理由もそれであり、今回もやはり同じ理由で怒っている。
なぜ怒る?。
別段激怒することでは無いと思うし、それではなんの解決にはならんともおもうんだけどもね。

僕の中の事実としては、まるでT.OKAさんがじぶんの中の事実をたにんが分かって
くれなくて、怒ってるようにみえる。
これは、確実に鯖君の中の事実とも違うだろうしむろんT.OKAさんの中の事実とも
確実に違うんだろう。


【名  前】まっこう
【タイトル】むしろ
  04/05 15:56
Mail: akagi-labo@NERV.TO
URL: http://www2k.biglobe.ne.jp/~penguin/rtop.html
【メッセージ】
 ガムよりトコロテンが好き

 カロリー無いし


【名  前】T.OKA
【タイトル】尼LAS批判とモラトリアムな態度?
  04/05 15:08
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
 例えば、これである。

>尼LAS諸氏もH田氏(T.OKA氏)も「それは汚れているからいけない・
>汚らわしい」と言う理論で「調教じゃ無い!」「調教なんだよ、汚らわしい奴等め」
>と言う押し問答をしている。

 まず、最初にそんな押し問答など私は誰ともしたことが無いし、「調教」かそうでないのか
誰かとの間で激論になったこともない。
 私の言う病院補完については、似たような感覚を持っている人がいることは間違いないが、
それについての問題意識が尼LASを好きか、苦手を分けていると言うこともない。
(この点については、小説批評掲示板の覗いて「Remembrance」の批評を読めばすぐに分かる。)

 もっと分かり易く書けば、
1 尼LASや病院補完が調教かどうかについては、そういう意見もあるというだけで終わっていて
 それ自体が問題となっているわけではない、
2 また、それを調教と感じるか否かと、好きか嫌いかとは基本的に無関係
なのである。

 むしろ、ここで問題となっているのは、「TV版24話まで&EOEという本編に帰ろうよ!」
という意識と、「TV版後半やEOEは庵野の妄想だ!嘘だ!無かったことにしろ!」という感覚の
違いにあると思う。(これも小説掲示板を参照して欲しい。)

 端的に言えば、尼LASは、いわゆる学園のりの第8話〜13話くらいまでの明るい雰囲気を
エヴァFFの基本に据えようとするのに対して、
 もともと、ラブコメが苦手な私などは、本編を全部見た後では、そういう尼LASがどうにも
嘘臭く見えて仕方がないので、本編に回帰してくれ。ということに尽きるのだと思う。

 要するに、違和感の原因は、何をエヴァ本編と捉えるかの問題なのである。
 つまり、「汚れているか、汚れていないが」とか、或いは、「調教か、調教ではないか」の
問題ではなくて、単に、
・「EOEまで含めた本編に忠実な方がおもしろい」と言っているのか、
・「第8話〜第13話までの学園のりがおもしろい」と言っているか
の違いにしか過ぎない。
 まさに、それは好みの問題であって、どっちが正しいとか間違っているとかの問題ではない。
 そして、実際にも、好みの問題として、正誤の議論になったりしない部分である。
 

 それでも、鯖氏が「調教か、調教でないか」争いがあると誤認したとすれば、それは、
私の狂騒曲での病院補完についての言及が原因だと思う。
 しかし、これについても実は、「純」「不純」が争いの根本では無いことは、「本編に帰れ!」
に照らせばすぐに分かるのである。

 まず、「単純な病院補完」は、シンジがアスカを看病すると、アスカがシンジを好きになって、
シンジもアスカを好きになって二人は相思相愛になるというものであるが・・・

 もし、シンジがアスカをもともと好きであり、アスカもシンジのことを好きであったならば、
精神的に壊れたアスカをシンジが一所懸命看病して、立ち直らせ、相思相愛であることを確かめる
のは、美談にこそなれ、何ら問題とされるべきことは無いように思う。

 そして、この場合は、例え、シンジがはっきりと自分の性欲を意識し、かつ、自分が看病する
ことによって、アスカが立ち直れば、それが満たされるかも知れないと言うことに気づいていた
としても、何ら疚しさを感じる必要はないと思う。
 年頃の少年が、自分の気になる美しい少女を看病すれば、自分のものになるかも知れないと
思うのは、ごく自然なことであるからであるし、アスカの側もそれを望んでいるからである。
 

 しかし、EOEのエアーの冒頭や途中経過を見ると、シンジとアスカの間にはもともとそのような
感情があったと考えるのは、非常に難しい気がするし、さらに、EOEのあの後からならば、
なおさらアスカがシンジを好きになるというのは不自然に思えるわけである。
 もし、それで簡単にアスカがシンジのことを好きなるとすれば、それは、一種の調教に
思えるわけである。

 従って、ここでの問題は、
1 看病行為自体が、一般的に調教か否かではなく、
2 EOEを含めた本編まで含めて見たら、看病行為によって、簡単にアスカがシンジを
 好きなるようなことがあれば、それは「調教」になのではないか
ということなのである。

 つまり、「看病」が「調教になるか否か」は、「本編」の二人の関係をどう捉えるかによる
のであって、それ自体が独立しているわけではない。

 さらに言えば、議論はここでは終わっていないのである。

 いわゆる「単純な病院補完はおもしろくない」と言う意味は、「本編」の二人の関係を
踏まえれば「看病」には、純粋に人助けという行為の側面だけでなく、こうした「調教」
或いはシンジの下心の面があるのは明らかなのにも関わらず、そうした闇の部分に何の言及も
無いのは、違和感があるという意味である。

 もっと、はっきり言えば、主人公であるシンジの心理描写が光の部分ばかり強調された一面的
なものになっていて、立体感が無くて詰まらない。
 だから、病院補完を書くならば、そういった闇の心理の部分にもきちんと言及されていないと
本編を無視しているし、立体感が無くて詰まらないと言っているわけである。
 

>その「そう言ってみれば実も蓋も無い筈の行為」が「奇麗事・
>理想化されて何の疑問も無く美談とされる」ことが「抵抗」の原因では無いか
>と思うが・・・問題の本質は「調教」そのものではなくその「奇妙なイノセントさ」
>の方では無いのか?

 まさに、この指摘の通り、本編を踏まえれば、単純な病院補完がイノセントを強調しすぎた
奇妙なものなので、闇の部分も照らせと言っているわけである。

>これはLAS全般に良く見られる事だが・・・「イノセントである事」に
>脅迫的に拘っている様に見える。汚れたものは「存在して居てはいけない」、
>だから「汚れたらいけないんだ」と言う強迫観念みたいなものが無いか?

 従って、これは全く逆である。
 尼LASや「単純な病院補完」を批判する心理というのは、本編を踏まえるならば、シンジと
アスカの心の中には、闇の部分があり、それを認め、作品の中でも、その部分についての悩みを
素直に表現することこそがキャラと作品を立体的にするのでないかという問いかけのなのである。
 つまり、主人公の一部分が、「汚れていること」を前提としているのである。
 

>T.OKA氏はネット上では「根底としてモラトリアム型の指向」を
>もっておられるようだし、あたしの発想は何処までも「アイデンテイティ
>希求型」・・・恐らく噛合うとは思えない。
(中略)
>T.OKA氏の尼LASに対する態度とかは「モラトリアム批判」と誤解される
>かもしれんけど・・・本質は決してそうでは無いと思うのね。結局「より緻密な
>モラトリアム社会」を指向していると言う事。それはそれで良い。

 ここでも、土台が無いという点で、蜃気楼批判の構図は同じである。
1 そもそも、「根底としてモラトリアム型の指向」が何なのか説明が無いし、
2 私の尼LASに対するどのような態度をもって「より緻密なモラトリアム社会」を
 指向しているとしてしているのか不明、
であって非常に反論しにくいのである。

 が、「アイデンティティー型」と対比されていることから、「自己の確立を猶予し、逃げ続けて
いる」くらいの意味のような気がするので、その線で反論してみる。
 

 まず、私のアイデンティティーであるが、有り難いことに、子猫の言論弾圧事件でかなり、
固まったような気がしている。
 すなわち、あのときに余りに頭に来て、真剣にネットとの関わり方を考えた末に、結局、
自分で自分の納得の行く行動基準を定め、それを他人の批判を受け入れながら修正しつつ、
行動基準自体はきちんと守るというのが、ネット上での自分の行動規範であり、
 同時に、作品の好み・趣向の部分については個人差があるのだから、他人の趣味について
駄目だなどとは言わないけれども、自分が何を好きかについてははっきり言わしてもらう
ことにする。というものである。

 従って、私のネットとの関わり方に、「モラトリアム」という概念が当てはまるとは
とても思えないのである。
 

 次に、私の尼LASに対する態度であるが、正確に理解しようとすれば、作品自体に
対する態度と、作者に対する態度の2つに分ける必要があると思う。

1 作品としての尼LASに対する態度
  作品としての尼LASについては、一言で言って、「苦手」である。
  それは、既に長々と書いたが、要するに、私が一般的にラブコメが苦手であり、
 本編からすると不自然に思えるからに過ぎない。
  では、嫌いかと言われるとそうではなく、好きな作品もあるし、他人に書くなとか
 読むなというつもりもない。
  単に、自分はあまり読まないし、他人にもそんなに勧める気にならない。
  要するに、あまり思い入れがないのである。
  だから、行動も、ランキングに入れないとか、入れても下の方に入れるぐらいである。
  それ以上に積極的に否定する必要性は、全く感じていない。
 (一部の尼LASの人が、いわゆるイタモノ排斥をするのとは違うのである。)

2 作者としての尼LASに対する態度
  はっきり言って、一般の尼LASの作者には、特に感想はない。
  好きな作品が少ないので、熱心に感想メールを送っていると言うことは無いが、
 だからといって、こつこつ書いている人を批判しようとも思わない。
  頑張って下さいと思うのみである(ただし、その作品を読みたいと思うかは別である)。

  しかし、ごく一部の尼LASの方で、
 ア.言論弾圧をする方(つまり、著作権上許されている批評を許さないと言う方)
 イ.イタモノ狩りをする方(彼等の感覚でアスカに残酷な作品の作者に対して、書くな!とか
              あるサイト(他人のサイト)から出て行け!と言ったりする方)
 ウ.アを主張しつつ、イをやったり、勝手に他人を誹謗中傷したりと、自分で自分の言葉を
  守れない方
 については、一部同情すべき点は認めつつも、その態度を改めない限りは、基本的に
 許すつもりはない。というのものである。

 この態度は、単に、言論弾圧したり、自分の言葉を守れない奴は許さないという非常に
単純なものであって、「モラトリアム批判」とか、「より緻密なモラトリアム社会」を
目指していることとは無関係に思えるのであるが・・・
 一体、どういう理屈で鯖氏があんなことを言ったのか知りたいものである。
 何の根拠もないとすれば、これも誹謗中傷になる気がする。
 

 むしろ、鯖氏の発言のように、根拠を示さず「イメージとしての結論」だけで他人を
批判するそのやり方は、

1 事実に基づかず、根拠示さす、自分のイメージだけで他人を批判するという点で
 恣意的であり、誹謗中傷に近いものがあるし、

2 批判の根拠となる事実と基準を示さないと言う点で、相手の反論をしにくくした、
 逃げている態度であるし、

3 相手の反論に対して、「能力があれば、自明」などとしか反論しない点で卑怯である

ということで、「モラトリアムな」(私的には正面から向き合っていないというほどの意味)
発言そのものに思える。
 これについては、是非、鯖氏の意見を聞きたい気がする。

それでは。


【名  前】T.OKA
【タイトル】砂の城と蜃気楼
  04/05 15:08
Mail: t-okazak@tkb.att.ne.jp
URL: http://member.nifty.ne.jp/t-okazak/evarvwtp.htm
【メッセージ】
 他人の作品を解釈し、それを貫いている論理構造・謎を推測するのは、砂の上に城を築くことに
よく似ている。

 人は、砂浜の湿った砂を集め、城の材料とするように、作品の中の描写を集め、推測、理解、
論理構造の材料とする。
 大きな城を築くためには大量の砂が必要であるように、体系だった作品の解釈を行うには、
多くの描写ときちんと明示された多くの設定が必要となる。
 

 人は、そうやって集めた砂を高く高く積み上げて、城を築く。
重力の鎖がある以上、高く積み上げるには、堅固な(砂としてはだが)土台を必要とする。
 同様に、壮大な体系だった論理構造を築くには、その構造を支えるそれなりの土台、つまり、
作品中で明らかにされた設定なり、描写なりが必要とされる。

 そうやって、人は、大きな城を築き、体系だった作品の解釈を行う。

 もし、その城の形が重力の法則に従っていれば、短い時間ならば自身の力で立っていることが
できる。
 しかし、重力の鎖を超えては、自分の創造力の翼のままに、その城の形を築くことはできない。
 だから、人目を引く大きく飛び出したファサードをつけようとしても、それが引力の重みに
耐えるものでなければ、空しく落ちるだけに終わる。
 同様に、解釈として論理構造が、それ自身の重みで崩れないためには、少なくともその論理の中
だけでは、作品中の描写と設定とそれから導かれる論理的推測と矛盾が無いことが必要である。

 重力の鎖を無視する城、作中の描写、明示された設定とそれからそれから導かれる論理的推測を
無視する解釈は、崩れる他ないのである。
 

 他方、人は、蜃気楼の中に城を見ることが出来る。

 この蜃気楼の城は、砂の城と異なり、重力の鎖に縛られる必要がない。
 そもそも材料としての砂を集める必要が無ければ、自身の重みに耐えられずに崩れてしまう
心配もする必要がない。

 同様に、人は、作品の中の描写や設定に囚われることなく、単にイメージだけで作品を解釈する
ことも可能である。
 そこには、論理的な構造はない。論理を裏付ける作中の描写も設定も無い。
 ただ、単に、結論だけがある。
 

 私は、議論というのは、少なくとも砂の城(本当は、本物の城が良いのは言うまでもない)を
築こうとする者同士でなければ、成り立たないのではないかと思っている。
 砂の城ならば、それを改良する案は、必ず重力のテスト(論理のテスト)をクリアーしなければ、
間違っていることが明らかになるからである。
 それによって、そこに、議論のための共通言語が出来るからである。

 例えば、全く同じ描写、設定を基にすれば、城として崩れない程度の変形の範囲は、概ね自ずと
決まってくると思われるし、
 他方で、非常に凝ったファサードをつけようとすれば(つまり、FFでかなり意外な結論に
持っていこうとすれば)、どのような土台が必要となるか(伏線としてのどのような描写が必要か)
それなりに決まってくると思うのである。

 或いは、FFで最終的な解釈が違うのは、どの部分の描写、設定についての解釈が異なり、
それをどのように論理的に展開していけば、違いが生じるのか明らかになるのである。

 ここに、双方の考え方の違いが浮き彫りになり、相互理解が生じる端緒になるのである。
 

 他方で、蜃気楼は、そう言った努力が不要である。というか、出来ない。
 ただ、単に「こうしたい」「こうである」とさえ言えば良い。
 重力によって(或いは論理によって)検証されることは無い。
 それは、頭の中で最初から「決まっている」のであって、どこからもチャレンジされない。
 

 そういう意味で、けんけんZさんの宗教論や綾波論は、いろいろな前提を置き、推測を重ね
少なくとも作中の描写と設定から、結論としての解釈を、論理によって橋渡ししようとする
努力が見られる点で、少なくとも砂の城を築こうとしてように見えるのである。

 そして、これは他の大半の人の解釈についても同じである。
 ただ、作品に書かれていない部分の前提の置き方(これが作中の描写を解釈するに当たっての
材料となる)が、大きく異なるので、当然、論理構成も異なり、結論も異なってくるのであるが。

 しかし、いずれにしても、事実(作中の描写、設定)を基礎に、論理的な推測を施していく
という基本的方針は共通しているように見えた。
 つまり、少なくとも砂の城を築こうとしていたように思えるのである。
 

 ところが、鯖氏が綾波論をするたびに、或いは、H思想批判を繰り返すたびに思うのは、
私には、その論が蜃気楼の城に見えるということである。

 何故ならば、鯖氏の論は、鯖氏の議論を支える事実と論理的推測と言った要素を提示するという
努力を全く放棄しているように思えるからである。
 特に、綾波論とH氏批判をについて語るときは、その傾向が顕著になるように感じる。

 例えば、以前、鯖氏は、綾波について、「三人のチルドレンの中で、ただ一人、当初から、
作戦全体の中で個々人の責任を意識して行動していた」といような主張を行っていたことがある。

 私は、その主張自体の是非には余り興味は無かったのであるが、何故、そのように感じたのか
については非常に興味を持ち、質問したことがある。
 何故ならば
1 中学に編入されるまで、多分、ネルフの地下で隔離された生活を送ってきたこと
  つまり、多数で役割分担をし、個々人のそれぞれの役割をきちんと果たすという経験を
 したことがあるとは思えないこと
2 育てのが、多分、ゲンドウとリツコであり、協調性を教えるとはとても思えないこと
3 チルドレンとして、ゲンドウとリツコ以外からは、常に特別扱いされてきたと推測されること
4 作中においても、当初は作戦全体の役割分担というよりも、単に自分が命令されたことをやる
 (特に、ゲンドウが望むこと、或いは、命令しそうなことをやる)
 という面が強調されているように思えたこと
5 従って、当初はそのような意識は無く、よく言われるようにシンジに触れることによって
  成長したのではないかと思えたこと
などから、全く逆の認識を持ったからである。

 確かその時の返事は、「真のアヤナミストならば、そのようなことは自明であり、それが
分からないのは理解能力に欠け、精神的に問題があるのである」といような返事だった。

>それを読み取る、読み取れないは「能力の問題」に過ぎないが。

 つまり、まさに、今回のこの回答と双子だったような覚えがある。

 そして、こういう回答をされると反論するのに、非常に困難を感じるのである。
 この議論の方法は、議論自体を主観的領域のみに押しやって、まさに、水掛け論しかできない
ような構造に追いやるからである。

 これが意識的に行われているのか、それが鯖氏の議論のスタイルなのかは不明なのであるが、
「そんなことは自明だ!」「いや、自明じゃない!」の水掛け論を目指しているとしか思えない
このような議論の進め方は、残念ながら、私には余り建設的には思えない。
 

 これと同じ事が、他人の批判や非難の基礎となる「他人の主張の理解」にも当然該当する。

 つまり、「他人の主張が、Aであることは、自明である」と非難するのである。
 そこには、他人が積み重ねた議論のほとんどが捨象され、鯖氏のイメージに残り、
鯖氏が批判するのに都合が良い部分だけが残される。
 私が、最初に激怒とした理由もそれであり、今回もやはり同じ理由で怒っている。

 しかも、往々にして、「他人の主張」が何であり、「Aである」ことが何であるか、
両方とも曖昧ななままに、鯖氏の中の遊離したイメージのまま非難してしまうのである。
 従って、やはり反論が困難になる。

 このような場合に、そもそも、他人の主張の理解が間違っているとすれば、それは、
批判でも非難でもなく、身に覚えのない行動に基づいて他人を誹謗・中傷しているに過ぎない。
 そして、もし、このような議論の進め方を意図的に行っているとすれば、非常に悪質な
誹謗・中傷であると考えるのである。

続く


【名  前】まっこう
【タイトル】ふと
  04/05 02:31
Mail: akagi-labo@NERV.TO
URL: http://www2k.biglobe.ne.jp/~penguin/rtop.html
【メッセージ】
 リツコンである私は「恋路の邪魔は皆殺し」タイプなのだろうか
 とか自分以外は信じないとか……
 
 逆か「なんであんないい女があんな外道に惚れてんだよ」ってネルフの酒場でコップ握り潰す
手下あたりか……我ながらリアリティあるな……

 どっちにしてもリツコンはサンプルが少なくてよくわかんない


【名  前】鯖@はう。
【タイトル】阿呆な評論にかまけているのも詮無い事ですな(汗)
  04/05 00:18
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
確かに。「人の振りみて我が振り直せ」とは言うものの、
一々人の「振り」に拘っていては進歩もない・・・

単純にね・・・小此木敬吾氏辺りの本でも見ると、解り易いヒントが
在るんだけど。最近の著作では「モラトリアム国家日本の危機」
(笑えるタイトルだが中身はなかなか面白い。)・・・中島梓せんせいの
「コミュニケ・・・」辺りと一緒に読むと尚よし。

小此木せんせいは元々は「モラトリアム型社会」を「可能性」として
評価してるんだけど(高度な福祉実現の可能性、とかね。)・・・最近の
有り様を見て「こりゃちょっち不味いんじゃねーか?」と言う話ね。
(文芸春秋調の『近頃の若いもんは』てな安直なヲッサンの類ではない 笑)

まー、あたしもあの「人権派」の「ここまで駄目になってたのか」と言う
有り様を見るまでは『護憲・人権』の側に寄った見方をする事が多かった
けどねー・・・結局は「矢張り駄目だ」と言う結論になってしまう。

あれじゃ結局「マイノリティの立場は保証されない」と言うのが見えた以上は。
『人権』は知的障害を持った小さな坊やの側ではなく、思い上がった似非インテリ
調の異常者な餓鬼にしか『シンパシーを示せない』って事がはっきりした以上はね。

彼等は「マイノリティ」ではなく『自分達に近いメンタリティを持った存在』を
選んだ。それが良く解ったから。所詮彼等の「人権」は自己弁護と自己憐憫の枠を
一歩たりとも出る事は無い・・・その程度のものだと、ね。

ならば「斬るしかない」・・・あの異常者を生み出したのは「彼等」でも在るのだ。
サブカルチャーの度し難い愚行・・・

結局ね、似た様な現象なんですよね。酷似していると言っても良い。
(奇しくもどちらも「神戸」・・・あの惨禍がその蓋を開けてしまったとでも
言うのか・・・あ、Umaさんごめんなさい 笑 )

んな事は良いとして・・・一つのバロメーターですが、「モラトリアム型」と
「アイデンテイティ型」の二つの性格について小此木氏の本に出てきます。

外的規範と内的規範の問題を、この両者に当てはめて考えると解り易い。
LAS問題と言うのが非常に「モラトリアム型理想自己の理論」によって
発生しているという事も何となく解る(笑)・・・んで「LASアレルギーを
起こし易い人間には、実は極度にアイデンテイティ型への指向・欲求が強い
のでは無いか?」と言う仮説を立てた訳ね。そして・・・あたしの個人的感想
としては「レイにんにアイデンティティ型自我理想への欲求が強い」のは
成り行き上無理からぬ事だと感じる訳ですな(笑)

T.OKA氏はネット上では「根底としてモラトリアム型の指向」を
もっておられるようだし、あたしの発想は何処までも「アイデンテイティ
希求型」・・・恐らく噛合うとは思えない。

庵野とか、あるいはけんけんZさんが「無理だ」と感じたのはその
「アイデンティティと言うものを理解する」と言う事なんではないかと
思うのね。庵野が良く「自分の中には無い」といろんな所で言っていた
のは、「そういうもの」の事なんだと思う・・・

確かに「モラトリアム型」で生きていくのも何の問題も無い事なんですけど。
それはそれで良い事ですし。庵野はアイデンテイティが欲しかったらしいが
結局諦めた。けんけんZさんは多分「自分には無理だからモラトリアム型の
方が向いている」と言われるでせう。T.OKA氏は「そっちの方が優れて
いる」と思っているのでは無いかしらん?どっちが良いとか言う問題では
無いけど。一般に現在のフェミニストは「アイデンテイティ型を社会的脅威
と見なす」傾向があるけど(笑)

T.OKA氏の尼LASに対する態度とかは「モラトリアム批判」と誤解される
かもしれんけど・・・本質は決してそうでは無いと思うのね。結局「より緻密な
モラトリアム社会」を指向していると言う事。それはそれで良い。

んで・・・あたしなんぞは「時代錯誤なアイデンテイティ欲求の持ち主」ゆえ、
そういう生き方が出来ない(苦笑)こればっかりは性分だから「それが悪い」
と言われてもどうにもならん(あはは)その本の中でボガードの「カサブランカ」
に関する言及があるけど、やっぱりあのラストシーンでリック(ボガード)に
「男やなぁ・・・」と来てしまう質だから(笑)

興味の在る方は御一読(偽つんどくの舘)

で西田啓な訳か?>あたし

節田Dさん

こあいよう(笑)>西田先生

あれは二人とも「二十代後半」・・・大体26、7辺りでせう。
内縁の関係(事実婚?)なのでと言うか、何となく疎の侭で
呼んでいる。っつーか似た例で「葛城」「加持君」の応報に不自然と言う
話とかもあったがあたしには「姓で呼び合う方が自然」に感じるので。
何か「結婚しても別姓で、その侭呼び合う」様な感じが好きだなー、と(笑)

国外とかでファーストネームで呼ばれた時の違和感物凄かったし(あはは)
「それって俺か?」と言う感じで・・・ニックネームか姓で呼ばれるのが普通
でしたからね。普段は・・・

完全オリジナルなら「暗号名兼用の通称」とかで呼ぶ様なノリですが・・・
あんまり殺し屋の自覚ないのかしらん?あの連中は・・・(汗)

まうー。


【名  前】節田D
【タイトル】ぐー
  04/04 18:18
Mail:
URL:
【メッセージ】
>月
 気が変になる、というのは「高揚する」ところから転じてると聞いた記憶があったり。月の魔力。狼男もその系譜?あ、砂漠谷さんの作品では人狼ですね。という流れで「白銀」再読。この世界観で「碇君」の呼び方は違和感。十代ではなさそうだし。でも林原声「碇君」萌えなので痛し痒し。‥あ。「ふさふさ」って単語が。
クラシックに造詣が深いではなく、亡き王女の為の‥は聞いた筈だがラヴェルで覚えているのは「ボレロ」のみ。消え入るような静けさががやがて荒々しくなる様は、感情を表現するようになった少女にも似て。ってラストは自爆あるいは巨大化から崩壊?ヤなオチ。
 幾つかのFFでは太陽を羨み影の身を悲しむ少女に僕は月が好きだと少年が言うが、PoD投稿作品「REI〜ある少女〜」の誇りを持って自らを月になぞらえる少女の姿は鮮烈で凛々しい。

砂漠谷様
お返事有り難うございます。
「善処」という言葉は本来の字義から外れたところで用いられる例が大半のように感じる昨今ですが、信じてもよろしいのですね(<故西田先生を想定してみました)


【名  前】鯖@ねむい。
【タイトル】下記補足。
  04/04 17:05
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
不可避、と言ったのには理由がある。

一つに・・・そもそもいったい何が「きもちわるい」のか?
と考えた時(これはストーリー上の文脈以上に作者論として
考えるべき。)、多分確実に「イノセントである事への過剰な
こだわり」「教科書・マニュアル思考から一歩も出られない
その想像力の限界」・・・つまり「不自然さ、いびつさ」に対する
ものが含まれていると思うからである。

言わば『朝日・日教組的優等生』の『気持ち悪さ』だ。
いつまでも「少年でありつづけようとする」事の異様さこそが
その「キモチワルイ」の本質にかなり近くないか・・・

「大人って汚い」と言いつづける内は何処まで行っても「きもちわるい」
のである(あーあ)。

庵野のそれには既に「諦念」が在る様に見えた。言わば「自分は男になれない」
と言う意味での諦念である。その結果として行き着くのがあのラストシーンでは
なかろうか。アスカと言う娘はある意味結構寛容な所があるのかもしれない。
彼女は「餓鬼のヒロイズム」でも妥協して満足し、「永久に男になれない少年」を
「キモチワルイ」と言いながらも受け入れてくれる娘なのかもしれない。

せめてもの「慰め」であろうか?「泣きながら諦める少年」への・・・
それは彼女にとって不幸な事では在るが。少年の「リアリティ」は永久に
えられる事は無いだろうから。又、彼女にとってのそれも・・・

まうー(つかれた。)