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(ろぐ172)


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ここはわたくしフランソワが逃げた兄に代わり仕切っていた(過去形)掲示板ですわ。
大体何でも好きに書き込んで下さって構いませんわ。わたくしが気に入らない書き込みはプチ消しますけれどもね。ぷん。


【名  前】グレイト
【タイトル】車ね、、
  05/23 00:42
Mail: gto@jin-net.or.jp
URL:
【メッセージ】
はじめまして、
来るまで走ってる人にも個性があるんで、
それに口出すのはふてい野郎だと思うのだが
どうだろう?

【名  前】BLEAD
【タイトル】帰還……が
  05/22 21:47
Mail: blead@fat.coara.or.jp
URL:
【メッセージ】
 美浜での仕事も終わって帰って参りました。
 感想:疲れた。
 それ以上に言い様ないです、いやまぢで。
 なんだか自分の体力不足を厭と言うほど思い知らされた気分、重い物を持ち上げただけで次の日腰が痛くなったり、朝鏡を見ると目の下に隈があったり…ようは運動不足。
 しかし…なして俺はタービン周りで油まみれになって検出器の取り付けなど……謎。
 一応今回は終わった……筈なんですが………大飯でまた定検作業が行われると言う噂が……(汗)勘弁してくれ。
 とりあえず、自分のページに手を入れたい気分。

 それはさておき、鯖さん続き書くんですか?
 なんだかその話題で持ちきりのようなんですが(どうかな?)
 個人的には「WILD DOG」が楽しみなんですけどね、鯖さんの将来を暗示しているようで(謎)
 んで、当然MEGURUさんにはペルソナの続きを書いて貰うって事で。

勝手にそんな感じ


【名  前】鯖@再起動
【タイトル】ぱーそなるかー奇想
  05/22 18:32
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
てなわけで(何がだ)

「走り」が好きなら餓鬼で良いじゃない・・・小さな子供達が親様の
洗濯の手間など全く意にかいさず、実に楽しそうに泥遊びに興じる
様に、「恰好を気にしていたら思う存分遊べない」・・・その子供達が
数十年後にはそれが昂じて陶芸家になっていたり、何てことはあんまり
無いとは思うが、馬鹿を続けている内に「それはそれで様になる」・・・
ああいうもんの「恰好」なんてのはそんなものでは無かろうか?
好きこそものの・・・でしょうかね。「体裁の為のパーソナル」と言う
発想をあたしが「阿呆らしい」と言うのはその辺ですな(あはは)

最初から「恰好良い」と言われたくてパーソナルカーを買う、モテそう
だから・・・なんてのはそれこそ阿呆の考えそうな事じゃ(笑)

実際世の中にはその阿呆は多い様だが(苦笑)そういう人は「買ってもらわなくて
結構」と言う職人も居た訳なんだけど・・・餓鬼と言われようがそれが好きだから、
良い歳こいて何十年も遊んでいる内に・・・端から見れば「渋いおっさんがスポーツ
カーに乗っている・・・凄ぇ」と言う事になる、と(笑)

「餓鬼のクルマは嫌だ、センスの良い大人のクーペは無いのか」と言う意見に
「それはまがい物では?」と言う見解を抱いてしまったのはそういう事かも。
着こなし、の為の労を払わないと。馬子にも衣装とは言うけれど・・・

結構お子様ちっくに見えるロードスターでも、乗っている奴の空気によって
は「全くガキっぽくない」と言う様な事もありました。(かなりインパクト
強いからクルマ単体の雰囲気を変えちゃうのね 笑 それが様になってるから
不思議だ・・・)あの悪評高いR33ですら、「白い車体に水色の点描で淡いライン
が描かれている」奴を夜の街で見掛けたとき「綺麗だねぇ・・・」と思った。
あれにウイングだのエアロだのを付けたら台無しになるけど、そう言う悪趣味な
事は無かったから。

個人的に嫌いな国産車の筆頭である二代目ソアラも、バブル期、「乗ってる奴等は
どいつもこいつも碌でもない奴等だ」と言う印象を振り撒かなければそれほど嫌では
無かったかもしれない。(どの道興味は湧かなかったろうが・・・)あたしが「基本的に
乗用車は好きじゃ無い」のもバブル期のイメージがあるからだろうし(笑)

しかして・・・確かに「それじゃモテない」と言う御指摘が在るかもしれない(笑)
餓鬼全開の遊びのクルマ・・・野郎が乗る分には「果てしなくメールショーなシロモノ」
ですし(あはは)パッセンジャーの事など初めから眼中に無し!ですしね。
そりゃ当然だわな。「子供のクルマ」なんだもん(笑)真だ色気付いて無いから
「遊びに夢中」なんです。フェラーリのかつての特徴なんて・・・「乗り心地が良い」
「荷物(せいぜいゴルフバッグ)が積める」だけで「堕落だ!」とエンスージアスト
の総攻撃を食らった(笑)ニューモデルの360モデナは「同乗される御婦人にも
御不満の無いよう作ってあります」と言うのが売りらしいけど・・・

スポーツカー=モテる、なんて阿呆な公式を最初に考えた奴は誰だ?(笑)

モテよう、無いしフェミニズムを追求したければミニバンに乗る、とまで
は言いませんが少なくともスポーツ系は選択支から外すべきでしょうな。
まぁ「走り」は捨てる事。本筋から言えばね・・・

まぁ、(又私信化 笑)けんけんさんの言われた「餓鬼のクーペとオトナのクーペ」
つーのはこの辺りに行き着くんじゃ無いですか?(笑)餓鬼のクルマは
「スピード一点主義でおんなのこを乗せることを全く考えてない」「高級パーソナル
と言うのは同乗者に対するサービス精神のアピール」(笑)→「大人のクルマ」

別にその事を「軟弱だ」と責めるつもりは無いっスよ(あはは)確かにね・・・
「色気づいた餓鬼んちょ向けスポーティ」ってのが結局「恰好良く見せたい・
なるしー」やりつつ「モテたがっている」割に、「その割に自己中な発想が
抜けない・サービス精神の欠如」・・・「メールショーで餓鬼だ」と言う感想に
なるのは御尤も。故に「モテよう」ってのを捨てて「遊ぶことに徹するか」
それとも「走り」を捨ててモテることに走るかどっちかにしろ・・・てな話です
わな。この辺までは殆ど「同じ様な意見」ですかね、結局・・・見解の差異は
たいして見られないと(笑)

只・・・そっから先ね(あはは)あたしが「オトナの高級パーソナルってのは
やっぱり何か変だ」と口を挟んだのは。「セダンで良いんじゃねーの?無駄
だし」とかね。自分でも文章化して整理したかったんですよね、この辺は・・・

もっと言えば「サービス精神を車でアピールする」ってのも
「何だかね・・・」と。いや、何かスーパーで売ってる「寄せ鍋セット」
みたいに「その為の出来合え・・・インスタントみたいなものを喜んで
て良いのかね?」とか。金さえはらえば誰でも出来る「サービス」って
安易じゃねーか?とか・・・けんけんさんのされた老夫婦向けと言う話
にせよ、何か「今までの人生に欠けていたものを後になって金で買う」
って言う感じがするんですよね・・・「自分の人生の中にそれが無かった
からモノで補おう」と言うか。熟年離婚防止の苦肉の策と言うか。

続く(好い加減にしろよ>あたし)


【名  前】鯖@再起動
【タイトル】「子供のクルマから抜けきらない」と言うより・・・
  05/22 14:45
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
いっそ「餓鬼んちょのクルマに徹すれば良いものを、中途半端に
退廃的にしている」辺りがいかんのだな(あはは)→国産パーソナル

エボなぞ、どう見ても「或る程度の歳の人が乗っていると違和感がある」
デザインだと思いますが、あれは見事に「子供のクルマのデザイン」に
徹している。「大きな超合金」。無邪気且つ健全(?)。

只、お子様テイスト全開で楽しいクルマにしては高価いんだけどね・・・
子持ちのおとーさんの場合、坊やは喜ぶかもしれんけど。図画工作の
時間に「おとうさんのくるま」と言う題でクレヨンで画用紙にランサー
と親父さんの顔を書く(笑)凄く楽しそうで良い様な気もする・・・(?)
これは些か「ニューファミリー的幻想」と言う感じだけど。

まぁ、「お子様テイストな割には下半身だけオトナ」と言うようなクルマが
目立つのは事実。ガキっぽさとセックス・アピールが同居しているのが猥雑
なんだな・・・多分。逆に最近の流行?である「4ドアスポーティ」系は「妙に
子供っぽいヲッサン」?アルテッッアだけなら良いが・・・ホンダはアコードの
タイプRを出すと言う。他社もまた・・・

RVブーム初期から中期の「ガワだけ4駆、中身只の乗用車」
大発生パターン再来かしらん。月並な2Lセダンに「それっぽい
味付け」をすることで「若い客」或いは「精神的に若い客」
への売り込みを図る・・・結局「スポーティなんだかファミリーカー
なんだか訳の解らんクルマが跋扈する」(あはは)儲かるのは良い
事とは言えるが、余り様にはならないねぇ(笑)やるならもっと
思い切って「ガキんちょ全開」にすれば良いのに。そもそも「スポー
ティになぞ乗ろうと言う人間が幾らオトナぶった所で無駄」なのだ(笑)

逆に「乗ってる時は餓鬼全開で遊ぶ」自覚のあるオッちゃんが良い味
なんですよねぇ・・・玩具だと解って楽しんでいる。中途半端に大人ぶら
ない。必要無いから。「馬鹿なんじゃないの?」とか奥さんとかに白い
眼で見られつつ愚にも付かないスピード談義に遊び仲間と熱中している
様な類の(笑)

如何に「都会的でオシャレ」を気取ろうが結局「中身は峠のあんちゃん達
と五十歩百歩」なんだから。クルマ好きなんてのは(笑)

さてと・・・(だからさぼるなって!)


【名  前】鯖@再起動
【タイトル】息抜きのに。
  05/22 00:25
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
御馬鹿な話のに(やけか?)

しかしながら、思うに「走り」なんてのはどう取り繕った処で
「極めて餓鬼っぽい」・・・けんけんさんの表現を拝借すれば
「お子様」な欲求だとも思う訳でして。

故に全てのスポーツ・GTはすべからく「餓鬼っぽいのは当たり前」。

例えばF40なんてエンツォ翁が「私達が精魂込めて作ったクルマが走り
の何たるかも解らぬ連中の投機対象(バブル期、億単位のプレミアが付いた
らしい)や見掛けしか解らぬうつけ者の「パーティードレス」にされるのは
耐え難い」、テスタとか、見かけは派手・ブランド性十分・運転はイージーで
ド下手でも出来る(それ自体は良い事だとも思うが)クルマがフェラーリの
看板だった当時・・・正にバブル絶世の時期に「ならば、あのブランドと外見でしか
クルマの価値の分からぬ、走りの何たるかも知らぬ者共には絶対に乗りこなせぬ
クルマを作ってやる!」と思ったのがかの「暴れ馬」誕生秘話だ・・・という俗説?
を聞いたことがある(ほんまかいな?)

まぁ、事の真偽はさておき・・・(気持ちは解るけどね)、F40は最も多くの未熟な
ドライバーの血を吸ったフェラーリのクルマだというのは本当らしい。大馬力ツイン
ターボがいきなりドカンと行った瞬間、ABSだのトラクションコントロールだの
と言ったハイテク制御機構とは全く無縁、極めてタイトなステアリングを持つ野性馬
は壁だの崖だの対向車だのへ問答無用で突っ込んで行く・・・という感じかしらん?

職人として「ものの価値も分からん金持ってるだけの客」に「作品」を売りたくない
という気持ちは分かる。「湾岸ミッドナイト」に在った「若い板金屋さんが、富裕階級
の女性ドライバーが注意も聞かずに丹精込めた塗装に無神経にハンドバッグの金具で傷
を付け、『あたしのクルマでしょ、何?あんた文句あんの?』としか思わない事で嫌気が
差して行く」というネタね・・・「クルマはゲタ」「見かけがカッコ良ければ良い」としか
思わないような人には乗って欲しくないでしょうな。そりゃ・・・

それが「本末転倒」であっても、職人としてはね。味の分からない人はジャンクフードで
十分だ、位は言いたくなるでしょ。「客さえ着けば良い」なんて思う人には理解できない
とは思うけど。(商売でやる事じゃ無いけどね、これは)

しかして、これは矢張りクルマの様な「潜在的凶器」を扱う商売人としては明らかに
「子供の論理」なんですな(苦笑)「分別のある大人のする事では無い」・・・まぁ、
噂に過ぎないんだけれど、「そういう噂がまことしやかに立つ」様な所がその業界の
人達にはある・・・ってことだとも取れる訳で。どんなに高価でも、一人歩きした
ブランド性と言う「本来の価値とは無縁になったもの」の方が評価されたとしても・・・
作っている側にすればそれは「御洒落の為のアクセサリー」なんかではなくて、どこま
でも「大きな少年達の玩具」。負けん気と夢想を詰め込んだ・・・ゆえにそれは何処か人を
引き付ける魅力を持っている。それがわからない人達には只の「高価な飾り・ファッション」
にしか見えないとしても。餓鬼です。果てしなく・・・しかし、故に愛される。

失った幼い日の夢の残滓・・・なんでしょうか。

スポーツカーを「大人っぽく」乗る・・・なんてセリフは矢張り「解って居ない」か、
或いは「クルマの子供っぽさ以上に本人の内面が幼児性を拭えない」事から来る
んじゃないか・・・なんて時々思います。プレイボーイで鳴らした生活の派手な男が
実は「ベタベタに依存的で自律心の未熟な、『セックスだけは出来る子供』」だった
という様な感じの・・・

けんけんさんが「大人のラグジュアリーが日本に無い・・・日本のパーソナルカーはどれも
餓鬼っぽい」とおっしゃったのは、結局「パーソナル=走り」の固定観念に取り付かれて
居るからでしょうね(笑)おっしゃる通り「本当のラグジュアリーは若い奴には不相応で
似合わない」って辺りが正解ではないか、とも思う・・・(あはは)

モータージャーナリズム(?)が何時までも何かと「走り」という単語に拘って居る以上、
いつまでも「クルマの主流はガキのもの」なのかもしれない。あたしの個人的発想では
「若いもんは金に頼る前に安物と付き合って色々やってみろ」という辺りになりますけどね(あはは)

続く?(をい!)


【名  前】鯖@再起動
【タイトル】私信(という程のものかい?)
  05/21 00:54
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
衛星に書き込めないのでここに書く(笑)こんな事してるから
上のタイトルは中々変わらないし(自業自得じゃ!)、DSNの最新話
まで出るわで益々追いつめられるんだよな・・・(あのな)

でも一辺考え付いたことは頭から放逐しとかないと進まない(をい)

けんけんさん

馬鹿話(クルマ)の続きで思った事です(あはは)

「レーシングカーの性能を持つ『実用車』(ここが引っかかるが)」
という様な過去の定義等は取りあえずうっちゃって、汗等の観点から
スポーツを他のGT等の乗用車から区分するとして、ピュアスポーツ
なんてものを追求すれば・・・結局F1等とまでは言わなくてもどの道
カートみたいなものにしか行き着きませんわな(笑)

単純な最低限のフレームにエンジンを乗っけて人一人ぎりぎり乗せられる。
天井知らずのエンジン出力なんて訳に行かない以上は(直線で早いだけなら
軽トラの荷台に個体燃料ロケット・モーターでも積めば良い)軽量化、簡略化
以外に道はない・・・シンプル・イズ・ベスト。

それを「公道を走る乗用車」にしようとする事自体が「妥協・堕落」に他ならない。
ロードゴーイングレーサーと言う発想そのものが「間違い」とも言える・・・
ラリー車にした所で「レギュレーションの中で可能な限り軽量化・簡略化を図る」
という事なしに語れるものでは無いし。本皮のシートなんてものを付けといて「ピュア
スポーツ」なんてのは寝ぼけた台詞でしょう、矢張り(笑)

けんけんさんの「スーパーセブンこそスポーツカーの本道!」と言う御意見、しごく
真っ当だと思う訳ですな(笑)まー「クラシックなスタイル」はエスプリ(笑)と
考えて。只、あの辺はやっぱり「公道をカートが走っている!」としか言い様が
無い(わはは)クルマと言うより「正体不明の走行物体」(猛爆)そして更に
御意見の通り「ならば矢張り普通の神経の持ち主はバイクを買う」・・・

走りを求めるなら結局サーキットにしか行き着かないと言う在りがちな話では
在りますが。サラブレッドは馬場の外に居る馬じゃないって辺りかしらん。
脆すぎますからね・・・何処まで行っても「スポーツ=遊び」であって「実用車」
じゃない。競技場と言う「単純化された約束に支えられる場所」を出て、「公道」
という「ややこしい利害が絡み合う一般社会」で走る為には「走りを捨てる」事が
必要なんじゃないでしょうか。スピードを求める若者達の時間が「短い」のも又・・・
(良いとしこいたオッサンのそれは「照れの入った伊達と酔狂とノスタルジー」(笑)
マジになってる訳じゃないでしょ 笑)

サーキットででも走りつづけたいのならそれなりの覚悟と代償が居る、それを
払うつもりの或る人間だけがスピードを追求できる。それはもう只の御遊びでは
済まない問題っしょ。御気楽に、人生棒に振らない程度の金と労力で自家用車
使って「走りだ」ってのは虫の良い話かもね。

そして大抵の人間はそれに「其処までする価値は見出していない」。
その情熱故にレーサーは「資質を持つもの」な訳だ(笑)

んで、走り屋の車に「矢鱈高い『高性能』車を用いるのは変だ」と言う話ですが・・・
個人的には昨日言ったサブコンパクト・クラスから精々テンロクの小さな車(AE86、
スターレット、シビック、カローラU、ファミリアのハッチバック等)をいじり倒して
乗るのが本筋ではないでせうか?それこそ「ドアやガラス?んなもなぁいらねーよ」
という世界。屋根なんてのは「只のロールバーの替り」。連装オートチェンジャーや
カーステレオ、ナビ、エアコン?論外です。けんけんさんの御友達のハチロク乗りさんは
決定的に走り屋として正しい(拍手)

豪華な装備を持ったラグジュアリー・パーソナルなんてのは「豪華ヨットorクルーザー」。
走るもんじゃない。走り屋の車は「競艇用パワーボート」じゃなければ。
んで・・・ごく私的に言うならば「軽トラとならぶ台所的生活車」なサブコンパクトな
訳ですから、中古か、あるいは「おとっっあん、おっかさんの使い古した買い物車だった
それを譲り受けていじる」位の姿勢が丁度良い様な気がする(笑)それなら遠慮なく「ドア
なんていらねーよ!」と走りを追求できると言うもの。「まっとうに使える」新しい乗用車
をそんな風にしてしまうのは余りに「無駄」ですが。金持ってない若者が全力で遊ぶのには
その位が丁度良いと思う・・・その方が楽しいと思うし。実用車としての務めを終えた車体が
「走る」為にリサイクルされる位で良いんです(笑)板金に傷が行くのを一々気にしてるよう
なら飛ばすんじゃない!てね。

良い若いもんの癖して高い車に乗るのは「走りを解ってない軟弱者」なんじゃないかと時々
思う(笑)「そんなもん知らん」と言うのであれば何の問題も無いですが。

馬鹿話の続きでした♪又某所?にて。

まうー。


【名  前】MEGURU
【タイトル】腕立ての効用
  05/20 03:27
Mail:
URL:
【メッセージ】
車選びが無期限延期状態になっている。そもそも頻繁に車を使う必要はない。大学へも会社へも、駐車する手間を考慮すると自転車の方が早い。
同行者が購入したプリウスはアクアメタリックである。冬にやや心配がある。「ボルボを新たに飼えば問題ない」と同行者は言う。
例によって8歳児が名前を考える。しばらくにらめっこしていたが、ピンと来るものがなかったらしい。
「プリウスしているから、プリウスのままでいいのだ。」8歳児はそうのたまわった。ていうわけで名前はプリウス。そのまんま。

一握の灰氏が「無学であるがゆえに知識のある人間とは違ったものの見方が出来る」と言っている。
俺の考えではこれは違う。学歴自体は物の見方の差違に影響を与えない。「環境が同じなのだから・・・・」みたいな話もあるが、双子なのに物の見方が180度違うなんてことはよくある。
ささいなことで見方は変わる。
学歴を誇るのは過去にすがっているだけだが、無学の徒だから社会経験が豊富ということにはならない。学歴、経験、年齢に関わらず物の見方は異なる。
 


 

小学校のカウンセリングに出る。父兄&児童が何組か集まって会合を開いている。有り体に言えば親子喧嘩の延長。ていうか、そのまんま。
「勉強しろってばかり言うな」
「あなたのためを思って・・・」
という応酬があったときには、あまりの独創性のなさに吐き気がした。面倒なので席を立って帰ろうとしたが、そうもいかない。

「東大に入ったって、大蔵官僚は汚職ばかりして日本を駄目にしているじゃないか。」「一流企業に入社してもリストラで首になる可能性もあると思います。」
相対的に子供の側の情報量が増えているのに対して、親の側(母親)の情報量はそれほど変わっていない。
中盤からは子供側が優勢に立つ。

小学生に東大に入るのに、実際にはどれくらいの労力がいるかは分からない。俺も入学していないので各個足ることは言えない。おおよその推測はできるが。
簡単に東大だの国家公務員試験1種という言葉が出てくる。母親の側は、東大にもリストラにも実感がないので有効な反撃ができない。
困り果てた母親の1人は、「先生(カウンセラー)は受験勉強をしっかりされたでしょ?何か言ってやってください」と話を振ってきた。
これは墓穴的発言。子供は自分の親がどれだげ頼りないかを実感してしまう。

その場は先任者のカウンセラーが納める。閉会後、帰る支度をしていると1組の親子に意見を求められた。母親の方は会社の顧客の1人だ。
「自分に鍛錬を課していない人間はとりあえずダメだ。東大や官僚が軽視されがちだが、彼らは動機が受動的であるにせよ試験を通るために鍛錬している。10年後の心配をするより、今の自分に自律的な鍛錬を課すべきだ。」
というようなことを丁寧口調にして言った。

「先生は何をしているの?」と子供の方に聞かれた。片手の腕立てを即座にやって見せた。
不意をつかれたようで、しばし反応無し。まあ、体のコンデションを保っていることは理解してもらえたらしい。
フランス語で「おまえみたなガキには関係ない」とでも言ってやれば良かったか、と後で考える。体調を戻して置いて良かったと痛感。
話し合いのみで解決することなど何一つない。


【名  前】鯖@再起動
【タイトル】さぼるな<あたし
  05/19 23:29
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
古い方の酒蔵を掃除していた弟が、見慣れない徳利を見つけた・・・
中身は二十年前に詰めた本醸造?・・・晩酌に試飲・・・

期せずして、見事に古酒に仕上がっているではないかいな(歎息)
特上の老酒そのものだわ。色、香り、丸い・・・偶然出来た二十年もの
の大古酒♪老酒をかめで熟成させるのと同じ条件になっていた訳だ。
酒蔵の屋で・・・あたしが十歳の時から眠っていたんだよな。

全く変質せずにここまで仕上がるとはね。二本と無い・・・
完全なプライベート・プレミアムと言う訳だ(あはは)

こいつに合う肴を調達するまで、後は取っておくことにしやう。
銭金で呑めるもんじゃ無いだけにねぇ(溜め息)

まうー


【名  前】Aoi Ryu
【タイトル】ぐさっ。なので横レス。
  05/19 10:10
Mail: aoiryu@aoiryu.net
URL: http://www.aoiryu.net/
【メッセージ】
 Aoiです。

>足りないのは「知識」じゃなく「経験」そのものだと思った事は無いですか?

 ……うっ(笑)。

 手が、というか筆が止まるたびにここでハマるんですよね。
 んで、「やっぱりまだだめかなー」とか思って、全然関係ないことやってた
りするんですけど、三週間ぐらい経つとやっぱりなんか書いてみたり。

 ……ホント、なんなのでしょう(^^;

 最近では憂鬱な気分すれすれの時の方が、筆が進むことを発見したり……。
 色々不思議です。
 
 ではまた。


【名  前】鯖@再起動
【タイトル】追申<魔王閣下
  05/19 02:14
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
寝た子を起こすとはこの事か(ふっふっふ)

【名  前】鯖@再起動
【タイトル】理想を抱くことは、決して悪い事では在りません。
  05/19 02:06
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
それは賞賛に値するでしょう。それを挫く事は大人げ無いとも
思う・・・

しかし、其処で「忘れ物は無い?」「もし時間が在るならもっと
落ち着いてやってみても面白いよ」と要らぬお節介をするのもまた
老婆心。一途に情熱に燃えるだけでは見えないものに気づいて、
深みを知るのも又楽しいし、そう言う事を語らえる若い友が得られれば
又嬉しい・・・

結局をやじ共はそういう事を言っているだけなのです。

では。


【名  前】MEGURU
【タイトル】アナウスメント
  05/19 01:58
Mail:
URL:
【メッセージ】
文章を頼まれた。
札幌のレストラン案内を覆面審査して論評が欲しいのだという。おおげさなものではなく、学祭時に発行される小冊子に乗せるものだ。
「取材に出かける金はなく、レストランを評価できるほど色々なものを食べていないから」というのが、依頼者自身がやらない理由らしい。

レストランを審査するのに経験はいらない。舌がとりわけ鋭敏である必要もない。金と時間は必要だ。あとは体調が飢餓状態でないという最低条件を満たしていれば良い。
要は客としていって、料金に見合うだけのものがあったかを考えればよい。
レストラン論評で問題とされるのは、「高くて旨い店」、「旨いけれどサービス&立地等のサブ的要因が優れていない店」、「好不調の波が激しい店」などである。

バカでブスで性格の悪い女性が、男性の話題に上らないと同じで、「高くてまずい店」に論評を加える必要はない。「安くて旨い店」もまた別の意味で評価の際に苦労はない。
何度も書いたが、味覚とは総合的な感覚である。
五味だけでは判別ができない。他の五感は勿論のこと、感情レベルやコストに対する不満などが舌に反映されることもある。

俺が「良い店」だと思うのは、バランスの取れている店である。バランスというのは打率4割、ホームラン60本、打点150、盗塁40、ゴールデングラブ賞、・・・という店だけを指しているのではない。
個人差はあるが、味についてのヒエラルキーは存在する。が、廃屋のような建物の中で、10万払って、気にくわない人間と一緒に、100点満点の料理を食べても満足はしない。
味覚は総合的なものなのだ。
ただ、収入によって、嗜好によって、経験によって、どの程度がバランスが良いかの判断は分かれる。

レストランガイド制作者は、大抵色々なものを食べている。店を選ぶためにレストランガイドを見る人間は、大抵色々なものを食べていない。
両者の嗜好は違う。前者は後者の感覚でガイドを作成しようとするだろうが、ズレが生じるのは当たり前のことだ。
更に言うなら、作成者と店側のなれ合い、顔を見知っていることによるサービスの差違なども問題になる。
ガイド作成は、食についての知識はほどほどかそれ以下で、好奇心が旺盛であり、アナウスメント能力がある人間が最適であろう。
 


 

web上にもいくつかレストランガイドがある。書店で売られているものより興味深い。肉声が聞けるからだが、やはり問題点、というより俺が気にくわない点もある。
気にくわないタイプの書き込みは2種類に大別される。
1,「全然、よくなかった!みんなが誉めているから行ってみたのに失望しました」という辛口コメント。だが、その後の論評がない。失望した理由などが細かく述べられていることはない。
2,「はっきり言って他人には教えたくないのですが・・・・」で始まるような文章。「なら書くな」ということである。自分が発見したことを他人に見せびらかしたくてウズウズしているのに、それを脚色する。慎み深いのではなく、ただのバカだ。

両者だけではないが、アナウスメント能力が欠如していると思われるレビューが多い。自分の書いたものが他人の目にさらされる事に対しての認識はないのだろう。
最低限、「何を食べたか」「いくらだったか」「それについて何を思ったか」ぐらいは書くべきであろう。

で、アナウスメント能力についてだが。
mal氏の書き込みを見て、アナウスメント能力の欠如について考え、上記のようなことと連想して思い浮かべた。
例えば「人類の叡知など信じない。人間に自由意志はない。強いられた選択があるだけだ。」というのはバタイエ的表現なのだろうか?

バタイエはフランスの思想家だが、17歳(確か)の時にキリスト教への信仰にとりつかれ、数年後信仰を失う。本人がそう叙述していたはずだ。
バタイエは信仰を捨てたわけだが、キリスト教を強烈に攻撃したりはしなかった。
キリスト教的思考組立法が、自分の中に深く浸透していることについて熟知していたからだと言う。
キリスト教的価値観の中で育ったのに、それを否定する。自己を否定することによって自己統一性を失う。人は統一性の危機が訪れるとしばしば原初体験に戻る。原初体験への回帰という心理作用から逃れるのは用意ではない。

mal氏の「自由意志はない」は上記のようなことを意味しているのだろうか?
本人も未整理であることを承知して書いているようである。自分の心理をアナウスメントするのはたやすいようで難しい。

ところで鯖氏に言いたいのだが、「WILD DOG」だけは続筆しないでよろしい。俺も「PERSONA」を書かなくてはんばらなくなるから。


【名  前】一握の灰
【タイトル】他人をほめる人 けなす人
  05/19 01:22
Mail: fwiy0146@mb.infoweb.ne.jp
URL: http://village.infoweb.ne.jp/~fwiy0146/index.htm
【メッセージ】
以前、このようなタイトルの本がベストセラーになったが、私自身は読んでいない。今度、読んでみようと、ふと思った。

その程度のことである。


【名  前】鯖@再起動
【タイトル】ふむ。
  05/19 00:40
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
直接体験したことが「単なる勘違い」でなければね・・・

それは決して珍しいことでは無い。そして、気付いた時には
遅すぎる。信じられるのは今生きていると言う単純な事実だけかも
しれない(笑)人は「勝手な思い込み」と「錯誤の積み重ね」の上に
人生を築いて行くものかもね。

喉もと過ぎれば何とやら。人一倍痛い目に遭っても、まぁこんなもの(苦笑)
その中から何か一つでも「得たり」と思えばそれは既に「幸運」だと。

・・・もっとも、それが「誤解」で無いと言う保証は何処にも無い。

足りないのは「知識」じゃなく「経験」そのものだと思った事は無いですか?

これこそ大きなお節介かもしれんけど(苦笑)

まう。


【名  前】一握の灰
【タイトル】愚者と賢者
  05/18 13:48
Mail: fwiy0146@mb.infoweb.ne.jp
URL: http://village.infoweb.ne.jp/~fwiy0146/index.htm
【メッセージ】
わたしは無学である。しかし、無学であるがゆえに知識のある人間とは違ったものの見方が出来る。学のないものは、経験によって学ぶしかない。そうした人間同士のふれあいのなかでしか学べないものもある。それは知識のみで人間を理解しようとする人間には、決して得ることのできないものである。

だから人類の叡知はエゴを克服できる。人間は運命を意のままに操ることは出来ないが、運命の動向に合致した力量を実現できる。そういった確信がもてるようになる。

わたしのやっていることは偽善でしかないかもしれない。否定はしない。だが人間というものが自己保存本能と種族保存本能の集積体でしかなく、ことの善悪が帰属する組織にとって利益であるか不利益であるかでしかないのなら、わたしは自分の感性を信じる。


【名  前】mal
【タイトル】「死の欲動」と「神話の暴力」
  05/18 03:05
Mail: mal@asc.forum.ne.jp
URL: http://www.kiwi-us.com/~mal/
【メッセージ】
礼儀正しく、相手のことを思んばかるブルジョア?市民
その「偽善」に「自然」からの「神話の暴力」が襲いかかる。

「死」に踏み出して、愛に直面するもののみが、真に救われる。

ヴォルター・ベンヤミンがゲーテの「親和力」を論じたもの。

戦争は人間の特性(他の生物との違い)「死の欲動」(バタイユの「過剰」)
を解消する手段の一つであった。過剰を供儀によって鎮める、
英雄の「死」によって、世界の安定が回復される…「神話の暴力」

啓蒙主義(近代合理主義)に対する批判として生まれたロマン主義、
その限界は一言で言える「現実に帰れ」
しかしロマン主義がイメージに転化したときに生まれる「力」は
決して無視は出来るものではない。

しかしヨーロッパにおいて今世紀なされた二つの「総力戦」
それは「神話の暴力」の回帰ではなく、近代合理主義の
二面性の一つ「道具的合理主義」(=科学)が自然も人間性も
破壊してしまうことが露わになってしまった。

人間に「価値」はあるのか?
私的スピノジストとしてのわたしには
「世界に価値があるのであれば、人間にも価値がある」
条件付きでしか言えない。

なぜなら、その「価値」をになうものは「死の欲動」だろうから。
(「死の欲動」は同時に「生の欲動」でもある)
わたしは私的スピノジストだから、
人類の叡知など信じない。人間に自由意志はない。
強いられた選択があるだけだ。

啓蒙も共同性も、批判的吟味の果てに見いだされる、
有効性と危険性の両義が見えぬ限り、安心など出来はしない。
夢の構造は悪夢の構造と変わりはしないのだ。

廃墟の中での血塗れの赤子の産声、それだけが信じるに値する。
 

実家帰って空いた時間に思想書なぞ読んだら、
こんなことばかり考える(爆)
自動書記どころかなにがなんだか(~_~;)
引っ越し終わったら未定義術語吟味して書きたい…なぁ(~_~;)


【名  前】鯖@再起動
【タイトル】人は何故戦争するのかしらん?
  05/18 00:45
Mail: hemmi6@land.hokuriku.or.jp
URL:
【メッセージ】
魔王閣下の「興味」の一つだったっけ(笑)

個人的に思うに・・・戦争とは「祭」なんだと思う。誤解を
恐れずに言えばね。本来的に「祭」には供犠・・・捧げられる血が
必要なんだと。経済的・政治的etrの「理屈」は結局後から付いてくる。

こいつに必要なのは結局「人類学的」究明なんだとね・・・

書いてます、性格には「書こうとしている」(苦笑)
(愛夫号さん、それ洒落になってないよう しくしく)

話を戻す・・・戦争や暴力は決して「ヒューマニズム」や「倫理」では
解決しないと思う。そう言う「上っ面」のレベルの現象じゃ無い、そう
感じるから。こいつが発生するメカニズムそのものを探らなければ結局
何も見えてはこない。解った所で解決するものでもないとは思うが。それで
絶望したい人はすれば良い。「そこが可愛い」って人も中には居るだろう(苦笑)

こいつはいつにも増して自動書記だ。「言霊を降ろす」為の前振りの
様なものだ。直観的で、飛躍していて、匂いだけで書いていて、否定したい
人は夢中で「タワゴトだ」と言いたくなる様なシロモノだ(笑)整合性
なんてどうでも良い。自分が納得出来るかどうか、それがすべてだ。言ったろう?
「理屈は後から付いてくる」ってね・・・

奇麗事は慰めにしかならない。それは幻想だ。現実は引き裂かれるように
痛く、えぐいほどに苦く、それ故に心地よい。土砂降りの雨の中で味わう
自らの血の甘露を思うがいい・・・はらわたの腐臭を知らずに高雅な香の価値を
知れると思うな・・・真実は見えなくとも、少なくとも其処に苦痛と快楽は在る。

乗って来たな(笑)

終わったと思っていた何かに火が付くことも在る。久々にきな臭い匂いを
嗅いだ時・・・久しく忘れていた本物のトラブルの匂い。だれきった身体の
芯に焼けた酒精を注ぐ何か。これが、「生きている」と言う事か・・・フェイク
や代用品では決して味わうことの無い、鳩尾に走るちりちりとした痛み。

後悔することは解って居る。「二度とやるもんか!」と泣き言を口にするだろう
事も・・・しかし、それでもそいつは呼んでいる・・・

こいつを手なづける事など出来るのだろうか?恐らくは無理なのではないか?
何れこの性悪な獣は俺を内側から食いつぶすだろう。しかし・・・蠢動する。美酒
の匂いにつられるが如くに。それは又その時・・・

随想。二、三の個人的な事柄?から。

では。


【名  前】ファーストアヤナミスト
【タイトル】富野監督は・・・
  05/18 00:12
Mail: CZN01522@nifty.ne.jp
URL:
【メッセージ】
かつて、自分が創ってきたアニメによってエヴァのようなアニメが創ら
れたというのなら、その責任は取らなければ・・・な事を言っていたら
しい。

その言葉はちゃんとな成しとげられたようですね。かつてブレンファン
は言いました。
「無残な話を創って、現実というのはこんな酷いんだ! どうだ! と
いって終わる時代はもう過ぎた」
と。


【名  前】一握の灰
【タイトル】「ブレンパワード」に逢って、私は変われた
  05/17 22:41
Mail: fwiy0146@mb.infoweb.ne.jp
URL: http://village.infoweb.ne.jp/~fwiy0146/index.htm
【メッセージ】
理解、共感、そして称賛もしくは愛。これが私なりにキャラクターによせる感情のレベルなのだが

過去に呪縛された人間、自己の存在価値を求める人間、愛情に飢えた人間。「新世紀エヴァンゲリオン」という作品にあるキャラクターは、現実感はともかく存在感があり、そこに理解なり、共感なりが出来た

だからこそキャラクターが、人間が本来持つ死・破滅・敗北・苦悩などを克服しようとする姿は、あまりに「人間」であり一喜一憂できた

これはEFFにもいえることだった

そして劇場版
「現存する人類に存在する価値はあるのか?」という問いへの答えは、あまりにも無情であった

キャラクターたちは、そういったものの呪縛から逃れることは出来ず、圧倒的な悪意、理不尽な暴力、虚無の前に、さしたる抵抗などまったく無力であった。

これは一体わたしたちに何をいいたかったのだろうか?

人類の何世代にもわたる自由と平和と平等への希求は無意味であると否定された気がした。生命というものが生存競争を繰り返し、進化してきたことを否定された気がした。いや、嘲笑されたと感じた

終劇
原点への回帰−アダムとイブ−は、はたして救済なのだろうか?

私にはそうは思えない。それは未来への可能性を否定し、過去を否定し、現在を否定することにしか思えなかったのだ。

劇場版の後、わたしは貪るようにEFFを読みあさった

誰からも愛されなかったからと言ってそのあてごすりを人類にするな!時間は遡行することがない。だからこそ、生命はその枷の中で強く輝く。どんなに悪行がはびころうと、世界は生きるに値するし、死が間近に迫ろうと人類には、明日を夢見る力がある!人類はエゴイストでしかないかもしれない。でも人類の叡知はそれすら乗り越えることが出来る!

そういったことを体現してくれるキャラクターに逢いたくて

だがそういったテーマはどうも劇場版以来敬遠されているらしくほとんど皆無といってよかった。わたしが執筆しようにも力量が足りなかった。

でもようやくそういったことを体現してくれるキャラクターに出逢えた。それはEFFではない。「ブレンパワード」この作品に出逢って、わたしは「新世紀エヴァンゲリオン」という作品によって奪われてしまった何かを、再び取り戻せたような気がする。

だからさようなら、「新世紀エヴァンゲリオン」


【名  前】横着星
【タイトル】鎌鼬見学ツアーのお誘い
  05/17 16:58
Mail: outyaku@pop11.odn.ne.jp
URL:
【メッセージ】
突然ですが。
長らく神隠しに有っていた、鎌鼬のmalことHP綾波補完委員会委員長のmal氏の
生存が先週末確認されました。

・・・・・・・しかしながら、諸事情により田舎への定住が決まり帝都から撤退
することになったそうです。
まあ、ネット上ではこれからも変わらず鎌を振りかざす姿が見受けられるとは思
いますがoffなどで其の鎌鼬ぶりを拝見することは些か難しくなるやもしれま
せんなあ(しみじみ)。

と、そこで唐突ですが「鎌鼬の面を実際生で見てみたい」って物好きな方も多く
居るかと思いまして、今度の土曜日(22日)「鎌鼬見学ツアー」offを開催
したいなんぞと思っております。
暫定的にしか決まってませんが、一次会は夕方から場所的には新宿辺りかなあっ
て思ってます。
多人数の参加が予定されて居るため会場予約を行うつもりですので、参加を希望
成される方は私までメールか(希望が有れば携帯番号教えます)、綾補のBBS
にて表明して下さい。
また今後詳しい事は決まり次第(参加者発表なんかも)綾補BBSにて行います
んであちらを注意していて下さいませ。
 

TO 鯆さん
>白銀 
はよ続き書いてくだせーまし。
PODのOFFでも必ず何時でも話題に上がります。
 

天文系仮性アヤナミストの横着星


【名  前】MEGURU
【タイトル】漬け物の逆襲
  05/17 02:24
Mail:
URL:
【メッセージ】
「お寿司食べたい!」という娘の主張は、父親のそれと合致していたらしい。新生児をおれと同行者に預けた8歳児一家は一路寿司屋へ。
今日は俺も同行者も疲れていたので、夕食は手抜き。作り置きの鴨と仔牛のリエット&一昨日勝ってきたパン・ド・カンパーニュ、作り置きのビストゥーソースを絡めただけの冷製パスタ、もらいもののヴァイス・ブルスト(白いソーセージ)、ワインは丁度手前にあったアルザスのリースニング。
書くと偉そうだが、作るのは10分余り。

その後ダラダラと食べる。8歳児妹はひたすら寝ていた。
なんか足りなかったので、キュウリのぬか漬けを一本丸ごとポリポリかじっているところに8歳児登場。
この前8歳児は同じ事をして、と言っても俺をまねたらしいのだが、父親にしかられていた。
8歳児父は「下品だ」と言い、8歳児母は無視。
8歳児母曰く、「常識と規律は親が教えるものだが、美意識は本人が獲得するもの」らしい。
手は洗っているので衛生上の問題はなし、栄養も特に言及することはない、というわけで8歳児母は何も言わなかったらしい。

8歳児宅と俺の家ではぬか漬けの嗜好が違う。
古漬けまではいかないが、結構漬けておく家庭に育った父親の好みが反映された8歳児宅。主に漬けているのは、茄子、人参、変わったところでズッキーニ。
浅漬け嗜好の俺の家では一晩で取り出す。内容物はキュウリ、カブ、そして長芋など。
ぬか床の管理は同行者&8歳児母の担当。が、ぬかはそれぞれ男の実家経由で運ばれてきた。
同行者&8歳児母はぬか漬けを漬けない家庭で育ったらしい。代わりと言ってはなんだが、受け継いできたのは梅酒。毎年漬ける。最も古いもので15年。一瓶だけだが、8歳児宅に生息している。

8歳児宅でもキュウリを漬けることはあるが、頻度は少ない。8歳児は古漬けは今のところ余り好みではない。
朝は両家とも和食が多いのだが、8歳児は漬け物は俺の家のモノを食べることもある。
ぬかは毎日かき回すだけだが、それをやらないと機嫌が悪くなる。すぐに味が落ちるというわけではない。
が、ぬか漬けが不味いと人間様の機嫌が悪くなる。
ぬか漬けがまずいというのは、手入れする余裕もない生活をしているということなのだろう。

ちなみに両家で共有している漬け物が一種類だけある。
それはキムチ。晩秋、留学生会館で韓国人が共同で漬けるのを手伝いに生き、毎年もらう。もらう量は年々増加し、今年はポリバケツ一杯分。
5kg用なんて小さい奴ではない。ハムハムの上背ほどある巨大なもの。車に乗せて持って帰ってきた。
余談になるが、オープンカーの後部座席にキムチ入り巨大バケツを縛り付けて札幌を疾駆したのは俺だけであろう。